2012年01月22日

たてつづけに … 合掌

 先週の月曜朝に聴いた「古楽の楽しみ」。中世の音楽形式のひとつコンドゥクトゥスなるものが出てきたり、「ロバと酒飲みとばくち打ちたちのミサ曲」というなんともユーモラスな作曲者不詳のミサ曲 ( ? ) が出てきたりしたので、ちょっと手許のコピーを調べて中世ヨーロッパ風の「無礼講」だった正月 1 日のいわゆる「愚者祭」とか、その前、12月28日の「幼な子殉教者の祝日」に催されたという「少年司教 ( boy bishop ) 」の話とかとからめて書くつもりでした。でもこの間、たてつづけに著名な音楽家の訃報があいつぎ、そしていまごろになって、古楽復興の立役者、オランダの鍵盤楽器奏者で指揮者のグスタフ・レオンハルト氏まで逝去されていた事実を知り、しばし呆然。しかも行年 83 というのは、奇しくも 21年前の8月に亡くなったドイツを代表するバッハ弾き、ヘルムート・ヴァルヒャともおなじだった。

 レオンハルトが残した功績、というか音楽的遺産はあまりにも大きい。日本人からも数多くのお弟子さんを輩出していますし。レオンハルトの来日公演にはたいていそういったお弟子さんとか、孫弟子の先生とかが一般聴衆に混じっていることが多くて、最後の来日公演となった昨年 5月末の明治学院チャペルでのオルガンリサイタルでも BCJ の鈴木雅明氏が聴きに来ていたりした ( その後伝え聞いたところでは終演後、レオンハルトとしばし談笑していたらしい ) 。なので一音楽ファンにして門外漢の自分がかの巨匠について、あれやこれや書くのはかえって失礼な気がして気がひけるのですが、レオンハルトの貴重な実演に接したひとりとして、個人的感想を綴ってみたい。

 昨年 5月の来日公演時に書いた記事でも触れたけれども、自分がはじめてこの老巨匠の演奏に接したのは忘れもしない 1996 年 3 月、池袋西口の東京芸術劇場で、席はたしか 3 階席中央だったと思う。ご存知のようにここのオルガンはフランスのガルニエというオルガンビルダーが建造したもので、3 つの回転台にそれぞれ筍よろしく乗っかったオルガンがぐるりと回転して「ルネサンス・バロック」面、「ロマンティックオルガン」面と 3 つの「顔」をもつ楽器として有名 ( それゆえいろいろ問題もあるけれど。途中で止まったりとか … ) 。レオンハルトは「ルネサンス・バロック面」を使って演奏してくれた。スペインのアラウホとか聞き慣れない人の作品がつぎつぎに奏でられ、たしかバッハはアンコールピースのコラール前奏曲だったように思う。印象は、意外とエネルギッシュで、堅苦しさはみじんもなかった。でも氏のすらりとした長身、その端正な物腰がなんともいえずカッコよくて、「ああ、ワタシも年とったらあんなふうになりたいものだ」なんてまだ 20 代だったけれどもそんな感慨を抱いたりした。また演奏のときには眼鏡をかけ、客席に向かってお辞儀するときはさりげなく眼鏡をジャケットの胸ポケットにしまうその仕草がとてもダンディだった、という印象もあった。

 2 回目の「レオンハルト体験」は静岡音楽館 AOI での公演で、2004年6月のこと。前回がオルガンだったので、こんどはチェンバロを、と考えていたら、おあつらえ向きに静岡市での公演とあいなり、大喜びで聴きに行ったものです。レオンハルトはステージに登場すると、みずから楽器の「ふた」を立てて、やおら演奏しはじめた。自分の席は前から 5 番目で、左寄りだったから両手の動きがとてもよく見えるし、楽譜までよく見えて、ある意味ひじょうにラッキーな好位置だった。このときはフローベルガーとか大クープランとかフォルクレとかフランスものが多かったような気が ( プログラム、探したけど出てこない ) … でも当時書いた「覚え書き」をいま見ると、最後はバッハの「パルティータ BWV.767」だったようだ … 以下、その「覚え書き」からの引用。↓

―― 相対湿度が低かったせいかどうか知りませんが、当夜の公演では開始直後は客席からやたらとゴホゴホが聞こえてきました … そのうちそういった雑音は ―― たぶんチェンバロの繊細な響きに耳が慣れ、レオンハルトの演奏に集中できるようになったからというのもあるかと思うが ―― あまり聞かれなくなりましたが、代わりに演奏者自身の「オフォン ! 」が。各曲が終わり、拍手にこたえたあと、かならず咳払いしてました。高齢というのもあるかもしれませんが、かなりしんどかったのかもしれません。でもいざ鍵盤に向かうとがぜん若返り、トッカータの速い走句では右足でトントンとリズムをとり、迫力あふれる演奏でした。掉尾のコラールパルティータもまさに名演。

―― 聴衆の鳴りやまぬ拍手にこたえ、アンコールとして2 曲弾いてくれましたが、うち 1 曲はなんと例の「無伴奏ヴァイオリンパルティータ第 2 番」のサラバンド !! 弾き始めて数秒のタイムラグがあってからそのことに気づきました … このアンコール作品もまた絶品。ここでホール関係者とおぼしきオジさんから花束が ―― というより、二輪ほどの薔薇 … せっかく巨匠が来静してくれたんだから、もっとでっかい花束にしたらいかがかと。これじゃいくらなんでも巨匠に失礼です。

… あいかわらず勝手なこと書いてるな ( 苦笑 ) 。最後の来日公演については拙記事参照。

 レオンハルトなどオランダの鍵盤楽器奏者は、たいてい「助手」というのをつけない。譜めくりもストップ操作もぜんぶ自分ひとりでこなす。マリー・クレール-アラン、ジャン・ギユー、アンドレ・イゾワールといった仏人奏者や一部の英国の奏者、サイモン・プレストンなんかもひとりでこなすタイプですが、レオンハルトやコープマンに言わせると、バッハ時代まではこの「すべてひとりでこなす」スタイルが常識だったから、そうしなくてはならないという。だからいつも助手なしで弾いているんですね。

 こちらの追悼記事を見ますと、「わたしは学者ぶるのは嫌いだ。音楽家は解釈の基本原則の正しさを認識したうえで、あとは自身の感興に従って演奏すべきだ」みたいな発言もしている。レオンハルトとというとどうも衒学肌の近づきにくさがあるような印象を持たれたりするけれども、ご本人はまったくそんなことは念頭になし。あるお弟子さんの回想では、レッスンを受けるために先生の家( 1605 年に建てられたお屋敷で、17 世紀の調度品でいっぱいだったという )を訪ねたら、レオンハルト先生は口笛 ( ! ) 吹き吹き、軽やかに階下へ降りてきたんだという。またコープマンによると、たまたまレッスンの持ち合わせ曲がない時なんか、「ハイ、今日はこれでおしまい」と言って打ち切ったとか。時間のムダを徹底的に省く合理主義者でもあったみたいです。またあるときはインタヴューにこたえて、「わたしは朝寝坊の芸術家なんかじゃありません」。朝早く起床する、規則正しい生活を送っておられたらしい。そして極めつけは、「レオンハルトは現代のバッハだ ! 」とフランス・ブリュッヘンが呼んだことについてどう思うか、と訊かれたときは、笑顔でこう返したという。「ひじょうに親しい友人による、愛すべき誇張です」。

 またレオンハルトは長年、生まれ故郷オランダ・アムステルダムの新教会オルガニストを務めており、チェンバロ弾きと同様にオルガン弾きとしてもまさに名人だった。そしてオルガニストとしてのレオンハルト最大の功績は、自身も好きだというスペインのアラウホとか、バッハ以前のあまり世間では知られていないオルガン作曲家の作品を、これまた世間ではほとんど忘れ去られているような歴史的オルガンを用いて数多くの録音を残したことだと思っている。こんな地味な活動を長いあいだ細々とつづけるにはよほどの情熱がなければとうてい成し遂げられないはずです。そんなアルバムが図書館から借りられるのもうれしいし、うち何枚かは手許にあるとはいえ、とうていすべてを聴ききれるものじゃない。でもこうして行ったこともない、聴いたこともない古いオルガンの響きにひとり浸る瞬間は、最高に贅沢なひとときだと感じている。

 椎名雄一郎氏のアルバムのライナーに、レオンハルトからこんなことを言われたとしてつぎのようにあります … 師、曰く、「一生、楽譜の勉強をつづけなさい」。西洋音楽、ことにバッハ時代とそれ以前の作曲家の作品を演奏する場合、まさにこの「音楽の解釈」に尽きるといってもいいから、ほんとそのとおりだと思う。「17 世紀と 18 世紀のあいだには、埋めがたい溝がある」とも言っていたとか読んだことがある。だからなおさら、土台となる「解釈」をしっかり構築しなさい、ということなのだろう ( → 来日公演の招聘元だった音楽事務所によるレオンハルトへのインタヴュー ) 。なおレオンハルト氏の葬儀は、現地時間 24 日に執り行われるらしい。

 レオンハルトが現地時間の16日に逝去する前、日本でも戦後を代表する作曲家の先生が他界された。別宮貞雄先生、享年 89。こちらは老衰というから、大往生と言ってよいのかもしれないが、かつての盟友、吉田秀和氏にしてみれば、もうすこし … という思いもあるのではと察します。米良美一さんの歌う「さくら横ちょう」は最高です。そして別宮先生の亡くなる前、松の内がとれたばかりの 8日には、なんと玉木宏樹氏まで逝かれてしまった。享年 68。まだ「向こう岸」へ旅立つには早すぎる歳です。レオンハルト氏、別宮貞雄氏、玉木宏樹氏のご冥福を心から祈ります。

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2012年01月15日

写真の力 & 祝日本一周

1). 今月11日は、あの大災害から 10 か月 … そんな折、こんな記事を見かけました … 名優・高倉健さん。御年 80 歳 ( !! ) とは信じられないくらいの若々しさを保っているすばらしい方ですが、このほど 6 年ぶりに新作映画に出演されたそうで、記事もそのことにかんするインタヴュー。見出しを見て一瞬? だったんですが本文を読んで「あッ ! 」と思った。たしかあの大震災の直後にも書いたと思うけれども、瓦礫の中、唇をきっと噛みしめて水の汲み出しのために歩く少年の姿をみごとにとらえた一枚の写真。じつは自分もあの写真見た瞬間に釘付けになり、健さんとおなじくやはりスクラップしておいてあるんですが、よもやあの健さんもまったくおなじことをしていたとは想像もしていなかった ( その後、この少年の追跡記事が掲載され、それによると少年は気仙沼市内の仮設住宅で親族とともに暮らす、空手の得意な 11 歳の子だと判明 → 関連ブログ記事 ) 。

 ―― 新作映画の撮影中、いつも持ち歩いていた台本に、1 枚の写真を貼り付けている。震災の残骸の中、唇をかみしめて歩く少年。新聞から切り抜いた。「宝物です」。被災地を思う高倉は「人生は切ない。切ないからこそ、何かに『うわっ』と感じる瞬間がある」と語る。

 たしかに、突如襲った大地震と大津波で一瞬にして日常生活を奪われたうえに、だしぬけに報道写真家に撮影された当の少年にしてみれば、はなはだ心外 … だったかもしれない。そのへんの事情は推して知るほかないんですが、この写真には見る者の心を鷲掴みにする強烈なメッセージというか、訴求力があります。あの少年の写真を見てただちに感じたのは、児童労働で搾取される子どもたちを撮影したあのルイス・ハインの写真をはじめて見たときに感じたのとおなじ「写真の力」です。健さんも、一目見てあの写真の訴えかけるもの、見る者の心に深く突き刺さるたいへんな力を感じたはずです。

 写真には昔からいわゆる「やらせ」というか、事実ではないのにいかにも事実だと見せかける術というのがつねについてまわってきた歴史がある。古くは「心霊写真」とか、見栄えをよくするための写真画像の改変あるいは加工とか。デジタル写真全盛のいまはそれがずっとかんたんになって、子どもが撮ってもその場であっけなく画像加工ができちゃったりします。写真を撮るという行為はもはや「写真術」でもなんでもなく、その気になれば iPhone のカメラでさえかつての 35mm 判一眼レフで撮影したかのような写真だって、いともかんたんに撮れてしまう。でもこんな時代であっても、やはりプロ・アマ問わず、カルティエ-ブレッソンの言う「決定的瞬間」をとらえた映像というものには、やはり強烈な力があるように思ってます。銀塩全盛のころとくらべるといささか弱くなってきたかもしれないが、写真というメディアの持つパワーはいまだ顕在、という思いを強くした。それにひきかえ、わが国の首相ときたら … 地元紙によると、石巻市の仮設団地を訪問したはいいが、仮設住まいの老婦人から、ここよりもっとひどい場所があるからなんとかしてほしい … と懇願され、その返事が、「被災者が自分たちよりも困っている人を思っていることに感動した」というのはいったいなんなんだ … この方には生身の人の血が通っているんだろうかと疑いたくなりますね。話もとにもどって ――

 ―― 健さん:「被災地には行きにくい。行ってはいないけど、ずっと思っています」。

 と語ったそうで、門外漢の自分はご本人の気持ちを尊重したい。でも、「幸福の黄色いハンカチ」の健さんだもの、いつかきっと、心の整理がついたら気仙沼を訪問して、あの少年をはじめとする被災した子どもちたちを励ましに行ってくれると、勝手に信じています。

2). そしてこちらの話題も、遅まきながらつい最近、朝の NHK ニュースにてはじめて知りました。いやー、こっちも負けずにすばらしい話じゃないですか! そういえばまだ NYT は例の写真募集、やってるんだろうか … 英国のタブロイド紙とかは問題外としても、震災発生当初は原発事故もあったせいで、いいかげんな記事を載せないはずの新聞サイトまでもがデマまがいの虚報を流したりといったことがあったし … どこだったか通勤中の東京の人がみんなマスク姿だったことをさも放射線汚染が首都直撃 … みたいな「講釈師、見てきたようなウソをつき」的な記事を平然と垂れ流していた報道機関もあったし ( 今年の花粉症シーズンもそんなふうに書きたてるのだろうか ? ) 。

 でも、世の中捨てたもんじゃなくて、たとえばダニエル・カールさんなど、さかんに「それはちがう !! 」と正しい情報を発信しつづけてくれた人も少なからず存在する ( そもそも政府の情報開示のやり方がおおいにまずかったからこうなった、という要因がなによりも大きい ) 。そういえばそんなひとりとして、一躍時の人になった感ありの「テキサス親父」さんもいましたね ( はじめてあのキケロ [ ? ] ばりの雄弁な演説を耳にしたとき、イタリア系移民の人かしら、と思ったらどうもそうみたい ) 。そしてもちろん、この 'Travel Volunteer' 企画もすばらしい。以前読んだベリーの本にも「地方の発信力」について書かれたくだりがあったけれども、こういう試みが東京発ではなく、地方から全世界へ発信している点がなんといってもすばらしい。もっともっとこのような取り組みが波及して、相乗効果をあげるとよいのだけれど。

 最後に、100 日間 47 都道府県を廻りきったふたりの英国人の「旅日記」ブログから、下田のことを綴った記事を紹介しておきます。

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2012年01月09日

Fax も要らなくなる?! > Little Printer

1). 昨年暮れ近くなって、自宅で使っていたプリンタ ( 7 年選手 ) のインクが突然まったく出なくなり、あれこれ手を尽くしても復旧不能に。あわててなるべく安価で、無線 LAN が使えるものを、と某通販サイトで探したら、運よく EPSON のカラリオシリーズにそんな一台 ( PX-434A ) を見つけまして即購入 ( ああ、ただでさえ入り用のときにかぎって … ) 。無線設定ですこし手間どったけれども、いまはぶじ働いてくれています。いまでは当たり前の複合機仕様なので、これ一台で「A4 スキャン・コピー・印刷」ができるとはまったくおどろくほかなし。さらにいわゆる「スマートフォンプリント」もできる! とはいえじっさいいろいろいじくったら、専用アプリ経由でできることはたんに「スマホ内の画像データ、閲覧中の Web ページ、スキャン画像のスマホ転送」くらいで、ためしに Desire から Web ページ印刷をやってみたら、細かい印刷設定とかはできず、ページが途中で切れた状態で印刷された。orz でもスキャン機能なんかは秀逸で、指先でちょいちょいやるだけでお手軽にスキャン画像が転送されたりする。… まだお古のスキャナ ( ポジ / ネガフィルム読取りアダプター付き、こちらは 10 年選手 ) も使えるけれども、一台三役、しかもワイヤレスネットワークプリンタで1 万円ちょっとで買えるというのは、やはり「十年一昔」の感あり。

 ところで … ちょうどそんなとき、こういう記事も見かけました。以前、「スマホ連動腕時計 ( ? ) 」みたいなものがおしゃれなイタリアのメーカーから発売されたという記事も見たんですが、実用面でいったら断然、こっちのほうが完成度が高いと思うし、もし日本国内仕様が出たらけっこう ( ? ) 食指をそそられそうです。最近、ニュースサイトではスマホ仕様のページが主流になり、うっかりそんな「スマホ画面専用 Web ページ」をワイヤレスプリンタで印刷しようものなら、どうしようもないほどバカでかい活字で印刷されたりする ( さっそくやらかしている人 ) 。でもこれだったらそんな心配もなし。ただしこれは製造元と提携したクラウドサービス専用みたいだから、じっさいの使い勝手はどんなものかはよくわからない。今年から順次、売りだすみたいです。ちなみに印刷は感熱方式なので、レシートみたいな細長い感熱紙に印刷する仕掛け。これだったら置き場所もとらないし、かわいいデザインは日本でもおおいに受けそうだし、かなり応用のきく使い方もできるかもしれない。また、相手側にもこのデバイスがあれば、そのままファックスみたいに転送もできる、というから、これが普及しはじめたらことによったら従来の電話回線利用のファックスも不要になる … かもしれない (Windows XP には「FAX コンソール」というのがあったけれども、あいにく使ったことなし。現行 OS の Windows 7 にはもうそんな機能はないかもしれないが … ) 。

2). いまさっきこんな番組も見た。サンチャゴ大聖堂への長い長い巡礼路は、たしかに「お遍路」とおんなじですよね。巡礼者にとっての目的地のサンチャゴ大聖堂ではよく、ロープに吊るしたでっかい「香炉」をぐいんぐいん振りたくっているシーンを TV なんかで見ますが、あれって昔、巡礼者の体臭を消して堂内を清めるため、という目的もあったとかって話もはじめて聞いた。また身廊両側の壁には大オルガンのパイプ群がそそり立っていて、スペインのオルガンに特有の「水平トランペット」が何本も突き出てましたね。中学のときに使った音楽の教科書にはそんなスペインのオルガンの写真も載ってたんですが、たしかあれはサラマンカ大聖堂の歴史的オルガンのうち大きいほうの楽器で、ルネサンス期に製作されたという小オルガンのほうは、いまは亡き名オルガンビルダー、辻宏氏が修復したものだと思った。

 巡礼路の途中のちいさな教会で、司祭が昨年3 月の大震災と津波の犠牲者に対して祈りを捧げた場面は、やはり心に迫るものがありました。

 じつはアイルランドにも「クロー・パトリック ( Croagh Patrick 、「聖パトリックの岩」) 」という聖パトリックゆかりの山をめぐる巡礼路というのがあり、やはり洋の東西を問わず、人というのはこういう「道」が必要なのだなと感じたしだい。また、ブレンダンゆかりのブランドン山にもそんな巡礼路があります。クロー・パトリックはアイルランド西海岸メイヨー州にある標高 764 m の岩山で、伝説によるとパトリックが 40 日の苦行の最後にここで悪魔祓いをして、アイルランド全土から蛇を追い払ったとか。そういえばブレンダンの航海譚だってほかならぬ「海の巡礼」の物語だし、こうした「巡礼」というものは、旅を終えたあと、つまり「生まれ変わって」帰還することにこそ、真の意味がこめられているように思う。自分が最初にラテン語で書かれた『聖ブレンダンの航海』に興味を持ったのはティム・セヴェリンの航海記を読んだからだったけれども、しだいに『航海』の物語そのもの、それを生み出した中世初期アイルランドの修道院文学と「船乗り修道士」たちへと関心が移っていった … なんてことも見ながら思い出していた。ちなみにカミーノ・デ・サンチャゴの道案内につきものの「ホタテ貝」は、使徒聖ヤコブ ( Sant Iago ) のアトリビュート( 祝日 7 月 25 日 )。聖ヤコブは巡礼者の守護聖人でもあり、またスペイン人征服者によって新大陸にも聖ヤコブ崇拝が伝播し、それでチリの首都もサンティアゴと名づけられた。

 最後に出てきた「地の果て」、フィニステーラ岬の夕暮れ時の映像は、息を呑むほど美しく、感動的でした ( ついでに仏ブルターニュ半島最西端にある県もフィニステールといい、たぶん語源はいずれもおなじ「地の果て」を意味するラテン語でしょう ) 。カミーノ・デ・サンチャゴの巡礼者たちの最終目的地は、『航海』の「聖人たちの約束の地」を彷彿とさせるような「陽の沈む西の海」を望む岬で、番組でも映っていたように、一部の人はここで旅装束を火にくべて燃やすという。こういうのを見ると、日本人はどうしても「西国浄土」を連想してしまいますね … 。

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2012年01月03日

『カンブレの説教』

 本題に入る前に … 元日恒例の「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」。あっちこっち詰めこみ ( ? ) 読書のしすぎのせいか、やや睡眠不足状態でぼーっと見入っていたら、「ウィーン少 ( WSK ) 」のめんめんが金色に輝くオルガンバルコニーに参集しはじめているではないか ?! 録画、録画 (笑)! … とあせって録画機の電源を入れたりして ( 起動、遅ッ! ) … 。WSK は前半と後半でそれぞれ 1 回ずつ登場しましたが、「ニューイヤーコンサート」出演はなんと 14 年ぶりだそうで … それはそうと、団員は前回出演時みたいにお客さんに花を配ったりしたのかな? 歌っていたのは、どこのコアかな … ? それから大晦日の朝に放送していた、スペインの大作曲家ビクトリアの声楽曲がたくさんかかった NHK-FM の特番も最高 ! でした。ダ・ペラザとかナザレとか聞いたことのない作曲家のオルガン曲とかもかかりまして、大満足 ( 演奏者はパワー・ビッグズ ) 。ウェストミンスター大聖堂聖歌隊の清らかそのものの歌声もすばらしかった。

 … 「積ん読」の本を読み進めることが正月三が日定番の行事みたいになりつつありますが、ひさしぶりにブレンダン関連本を見ているうちに、ふと本家サイトでもほんのすこしだけ触れた『カンブレの説教』というものが妙に気になってしまって、手っ取り早くこちらの記事を見ました。以下、備忘録ていどにメモしておきます。

 ラテン語版『聖ブレンダンの航海』 17 章で、ブレンダン一行は「聖歌隊の島」に上陸します。島の聖歌隊は少年、青年、老年組と三つのグループに分かれていて、少年組は白、青年組は青、老年組は赤の服をそれぞれまとっていた、とあります( → 関連拙記事 ) 。

 白、青、赤 … 子ども隊が白、若者隊が青、というのはすんなりわかる。純真無垢とか若さとか。で、老年組の赤は、拙記事にも書いたように高位聖職者というか教会の位階を示唆する色、という印象をまず受けます。でも『航海』邦訳者の太古先生が指摘するように、『カンブレの説教』に出てくるおなじ白、青、赤の三色の喩えもからんでいる … かもしれない。

 『カンブレの説教』は古アイルランドゲール語で書かれた最古の説教文書と言われているもので、成立年代は 7 − 8 世紀ごろ。カンブレというのはフランスのカンブレ市のことで、8 世紀、カール大帝の時代に当地の司教に仕えていた写字生によって筆写された写本が原典らしい。リンク先記事 ( 出典や引用元の記述もしっかりしているので、信頼性は高いと思う ) によると教父文書や聖書の引用はラテン語、注解はアイルランド語で書かれてあるらしい。ただし一部の単語にはファダなどの長母音記号がなく、おなじ母音を連続して綴るなどの特徴があるとか。内容は、「わたしについて来たい者は自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従え」というマタイ伝など聖書からの引用句を提示したあとで注釈、つまり「説教」を述べる、という構造になってますが、不完全なかたちで終わってます。最後に、アイルランド修道院文学関連本でときおり引用される「三つの殉教」についての説教が出てきます。

 「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました ( 『新共同訳』より ) 」という使徒パウロのことばを引き、つぎのように説きます。

神のために愛するものすべてを捨てるのが、「白い殉教 ( bán martre ) 」。
深い悔い改めのうちにおのれの欲望 ―― 「Eテレ」で再放送していた故梅棹忠夫氏ふうに言うと、「業 ( ごう ) 」―― を捨てるのが「青い殉教 ( glas martre ) 」。
使徒たちにならって、キリストのためにみずからの肉体の破滅をもいとわず十字架を負うことが「赤い殉教 ( derc martre ) 」。

 ブレンダン一行が見た「島の聖歌隊」や「隠者パウルス」などは「白い殉教」に当たり、もとは当時のアイルランドの慣習法による刑罰のひとつ「氏族からの追放」がキリスト教的に昇華したものと言われています。ちなみに中世のアイルランドでは、追放刑は死刑につぐ重罰だったという。これのもっとも有名な例は、アルスターの王族出身の聖コルンバでしょう。コルンバは「カタハ」と呼ばれる詩編をめぐる血なまぐさい闘いの責任を取り、かつあらたな布教地を求めて故国を捨て、12 人の弟子とともにカラフに乗りこみスコットランドへ向けて船出したと伝えられています。

 本家サイトでははじめ「緑の殉教」としていたのですが、この 'glas' という単語、緑とも青ともとれるようで、手許の本を見たら「緑」派と「青」派で分かれてたりする ( 苦笑 ) 。ほかの用例では「顔色の悪さ」を示す「青白さ」という意味で使われていたりする … ということもこのたびはじめて知ったので、両方併記に改めました。

 前にも書いたけれども、英語の 'compassion' というのは「ともに苦しみを分かちあうこと」がもともとの意味。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」というパウロのことばにたいし、「他者とともに苦しむ者はだれでも、その心に十字架を負っている」と『カンブレの説教』は説いていて、相通ずるものを感じる。

 … そういえば今週末、こちらの番組でイングランド北東部の港町ウィットビーが登場する、とのことで楽しみ。以前ここでも書いたけれども、ウィットビーはいわゆる「復活祭論争」の地としても知られているから、そんな話なんかも出てくるかも。

2011年12月31日

冬来たりなば、春遠からじ

1). 先日、地元紙に掲載された記事です。大震災に見舞われた岩手県宮古市の高台の仮設住宅に住む女性の話。国内最大級の防潮堤を軽々と乗り越えてしまった大津波に愛児と実母と曾祖母を奪われ、6月になってようやく 3 人の葬儀をすませることができた、という。最近、当時 3 歳だった愛児が夢に現れるようになった。「ママはもう大丈夫と思ったのかも」。… おなじ紙面の下のほうに目をやると、「林道の車に 1 歳児遺体 近くで母死亡」との記事が。こちらはどうも無理心中らしい … 他人だからこんなこと言えるのかもしれないのでしょうが、もうすこしなんとかならなかったのでしょうか …。

2). 先週末、「ららら♪クラシック 『音楽の都 ウィーン』」という番組を見たあと、こちらの番組も見ました … 。今年ほど、いわゆる「専門家」なる人びとの発言がいい意味でも悪い意味でも注目された年もなかったのではないかと思う ( ちょうどそんなとき読んだのが、ほかならぬウェンデル・ベリーが 34 年前に書いた本。ベリーはその本で、物事をあるがままにとらえようとせず、隔絶された「専門分野」という「想定」内だけで都合よくかこつける「専門バカ」のたぐいを徹底的に斬っている ) 。肝要なのは、学者も人の子、だれが人として信用できるか、に尽きると思う。で、番組に出てきた北海道大学の一匹狼然とした老教授先生や、津波堆積物が残っていそうな池の底をボーリング調査しつづけている高知大学の先生などは、まちがいなく「人として」信用できる専門家先生のように感じられる ( 大震災以前から、この先生方の発見はときおり新聞記事として掲載されていた ) 。お二方とも、「後出しジャンケンみたいだけれど、研究者としての使命に駆られて」脇目もふらずに必死に過去の大津波の痕跡を記録した地層を片っ端から調べている。「二度目は許されない」。中越沖地震のときにもおんなどようなこと書いたかもしれないが、今年ほど、「想定外」なる単語がまるで「免罪符」のごとく安易に連発された年もなかった、と思う。また、膨大な震災瓦礫の受け入れをめぐってはいろいろあるようですが、「送り火」のときもそうだったように、「がんばろう」と言いつつもいざとなったらなったで「総論賛成、各論反対」ではいっこうに復興が進まないのではないか。ここだっていざおなじように被災したら、どうするのか … 蒸し返しになるけれど、やはりこの国には「マイホーム主義」が蔓延しているように感じる。

 以前、高校の世界史や地学の未履修問題とかに触れたことがあったけれども、なんのために歴史とか地理・地質学を学ぶのか ( 養老孟司氏いわく、「生きるために学ぶ。それがほんとうにわかっていれば、いくらでも人は学ぶようになるんです」* ) 。われわれの大半は、日本はひじょうに自然災害の多い国だ、ということを忘れているのではないか? その点、伊豆半島ジオパーク構想はすばらしい。これそまさに防災教育としても理想的。伊豆中央高校の生徒さんたちが中心となっていま、さかんに小学生や一般住民対象の「ジオ講座」とかが半島のあっちこっちで開催されていて、心強いかぎり。松崎町では、南伊豆町にかけての波勝海岸の名勝指定区域をめぐる遊覧船運行も計画している ( 以前、運行していた「波勝崎遊覧船」が復活したかたち)。そしてこれには関連法律の改正とかも前提にはなるけれど、豊富な温泉湧出量を誇る東伊豆町熱川 ( 温泉熱を利用して観光用にワニとか飼っているところ。ワニたちはこの前、年末恒例のデッキブラシによる「アカ落とし」をしてもらった ) 地区などでは、温泉熱発電の実用化に向けた実験がいよいよ本格化します。これを「ジオパーク」でひとつの物語にしないといけない。そう感じます。また歴史ということでは、たとえば西伊豆町に残されている入江と入江を結ぶ峠越えの古道を再整備しようと、なんと首都圏の学生さんたちに声をかけてボランティアとして活動してもらったという記事も見ました。… 中央高校の取り組みも、こちらのボランティア活動も、いずれもすばらしいし、頭のさがる思いです。西伊豆地区にかぎって言えば、「三角点」のある里山が荒れ放題。以前の切り抜きを見たら、「忘れられた里山を歩く」という山行録をまとめた方に取材した記事が出てきた。風力発電 … もいいけれど、こんどはこういった「忘れられた」かつての里山を再整備するときではないかと考えています ( 放置されているから、バブルのころにゴルフリゾートなんていまでは想像できない開発話がまことしやかに持ちあがったりした ) 。

3). いろいろ言いたいことはあれど、キリないからこのへんでやめておきます。今年もこの拙い、なにを書いてんだかわからないブログをお読みいただき、妄筆多謝。どうぞ平安な新年をお迎えください。ワタシは、けっきょく「積ん読」のまま、年の瀬を迎えてしまった気の毒な本たちを横目で見つつ、「生さだ」を見ながら年越しそばでも食べようかと思います。ショーペンハウアーの『読書について』くらいは読みたいが … マッキベンの Eaarth もまだ半分残ってる (最終章の 'Lightly, carefully, gracefully' ってなにが書いてあるんだろ … ) し、ブレンダン関連本も『カンブレの説教』もあるが …。

 最後に今年、地元紙掲載の記事などで見た、心に残ったことばとキャンベルおよびベリーの詩などを引用して結びたいと思います。バッハの「クリスマス・オラトリオ」を聴きながら ( 蛇足ながら、お題は有名なシェリーの「西風に寄せる歌 [ Ode to the West Wind ] 」からの上田敏の名訳の引用です[ 原文は 'If winter comes, can spring be far behind?' ] ) 。


ウェンデル・ベリー

どうしてよいのか どうにもわからなくなってしまったとき
そのときこそ ほんとうの仕事がはじまるのかもしれない

進むべき道が どうにもわからなくなってしまったとき
そのときこそ ほんとうの旅がはじまるのかもしれない

途方に暮れる心 それがなければ 真剣さが足りない

せせらぎは すんなり流れないから 歌うんだ

―― 竜はひとりひとりの心のなかにいます。わたしたちは「人格」という名の竜を持っています。竜はわたしたちみんなの心の中にいて、「経験」を食べて成長します。だから、わたしたちは日増しに強くなるのです。そして、感情をコントロールして生きていくことが大切です。どうか自分の竜を大きく素晴らしく育てていってください。 ―― ブータン国王ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク

―― 多くの外国人が日本を離れる中、わたしの決断に驚いた人もいたが、『勇気をもらった』と言ってくれる人もいた。そうだといいなと思う。 ―― ドナルド・キーン

―― 『方丈記』にもあるように、人は、この地球に仮住まいしている身です。一個人がやっていいことはかぎられている。… 科学技術というのは、それ自体の内部に歯止めはなく、すぐに欲望と同化する怖さを持っています。―― 作家・福聚寺住職 玄侑宗久氏

―― 人生に意味などありません。あなたが意味をもたらすのです。人生の意味は、それを与えるあなたしだい。生きていること、ここに人生の意味があるのです。 ―― ジョーゼフ・キャンベル

―― お父さん、かっこいい名前をつけてくれてありがとう。… もし、一度だけでも、お父さんに会えたら、つたえたいです。「ぼくは元気です。お父さん、いつも、ありがとう。」 ―― 2010年度「ありがとうの手紙コンテスト」中部・東海地区低学年の部 最優秀賞受賞作から。

* ... 地元紙 2011 年 4 月 17 日付

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2011年12月30日

ありがとう、マエストロ!! 

 先日、ひだまりさんのブログを見てびっくりした。あのレオンハルト大人 ( 「たいじん」です … ) がついに引退を表明したとのこと。

 あるていど、覚悟していたこととはいえ、「Alas! これで巨匠の演奏に直接触れる機会はもう永久にないのだ」とひとりごちた。

 レオンハルトの実演にはじめて触れたのは1996年3月、芸劇の「回転オルガン」を使用してのリサイタルでした。もっともアラウホとかフローベルガーとか、バッハ以前の作品ばかりだったので、「ルネサンス・バロックオルガン」面のみでしたが ( バッハ作品もたしかアンコールで演奏してくれたように思う ) 。意外と ( ? ) 若々しいエネルギッシュな演奏だった、というのが第一印象でした。

 2 回目は、2004月6月で、静岡音楽館AOI でのチェンバロリサイタル。アンコールは、自身の編曲によるバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ BWV.1006 」から有名な「ガヴォット」でした。これ、最初の実演のときに買った「山野楽器特別企画」 CD にも収録されているもので、自分はとくにこの音源が気に入っていたので、なんて粋な計らいと大喜びで聴き入っていたのを思い出します。

 3 回目は、今年の5月29日に聴いた、明治学院チャペルのすばらしいオルガンによるリサイタル

 今回の引退表明、どうも出所はこの仏語サイトらしいが … レオンハルト先生は、循環器系のご病気を抱えているらしい。最後のリサイタルになった12日のパリ公演ではアンコールにもこたえず、すぐに会場を引き上げたようで、その翌日、突然の引退表明ということになったみたいです。

 言わずもがなだけれども、こんにちの古楽演奏の隆盛はレオンハルトなくしては考えられない。レオンハルトのお弟子さんもまたたくさんいて、ピエール・アンタイとかトン・コープマンとか錚々たる面々がいる。そしてわが静岡県東部にもその流れをくむおひとりがおります。オランダ留学中にコープマンに師事したチェンバロ / 通奏低音奏者の杉山佳代先生です。またレオンハルトというとバッハ好き、少年合唱好きにとって忘れられないのがアーノンクールとともに録音した「カンタータ全集」、「クリスマス・オラトリオ」や「マタイ受難曲」など、一連のバッハ声楽作品関連の偉大な仕事です。

 マエストロ、いままでわれわれ古楽好きにすばらしい演奏とすばらしい音源をたくさん残してくれてほんとうにありがとうございます! ささやかながら、この場を借りて心からの感謝を捧げたいと思います。

posted by Curragh at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連

2011年12月25日

「クリスマス・オラトリオ」

 今年のクリスマスシーズンは、夜の街を彩るイルミネーションも心なしか控えめに見えます。冬の節電 … もあるとは思いますが。

 昨晩は遅くまでクリスマスカードならぬメール送信しまくっていて、平行してこの時期恒例の NORAD のサンタ追跡 … ではなくて、BBC Radio4 サイト経由でキングズカレッジ聖歌隊による「9つの朗読とキャロルの祭典」に耳を傾けてました。'Once in royal David's city' 、今年のソリストくんは、声の成熟度が高いというか、変声直前の子かしら、と感じた。「創世記」のアダムとイヴの堕落と楽園追放のくだり、いつもいつも思うんだけれども、あれを頭の先からぬけるような一点の曇りもないボーイソプラノの声で朗読されちゃうと、内容とのすごい落差を感じてしまいますね ( 苦笑 ) 。

 今年は「木枯らしの風吠えたけり」さながら、強い西風が吹き荒れるクリスマスを迎えました … メール書きも一段落して、いまはバッハの「クリスマス・オラトリオ BWV.248」を聴いているところです。

 この作品、1月6日のエピファニーまでの降誕節の礼拝用に書かれた一連のカンタータをひっくるめてこう呼ばれています。なので出だしの合唱曲はもちろん25日のクリスマス礼拝用、第 2 部の出だしの曲は 26日の礼拝用 … と順を追って演奏されるのが本来の姿。でもただ聴いて楽しむぶんにはべつにそんなこと気にしなくてもいい。好きな曲だけ聴いてもよし、全曲いっきに聴くもよし。

 だいぶ前に買った「聖なる歌声 / ボーイソプラノ・バッハ」というアルバムがありまして、これにも「クリスマス・オラトリオ」から 2曲、収録されてます。個人的には元日礼拝用の第 4 部の4 番目の「エコー・アリア」が好き。小学館の『バッハ全集』ではモンテヴェルディ合唱団が歌ってますが、前述のディスクでは往年のウィーン少 ( WSK ) メンバーがソロを歌ってます。なんといってもあの 'Ja - ja!' ―― 'Ja - ja!' という掛け合いのエコーが絶品。こういう作品こそ、ボーイソプラノがふさわしい ( と思う ) 。

 そんな「クリスマス・オラトリオ」、今月の「名曲アルバム」にも登場してますね。さっそく見たんですが、礼拝で演奏中の聖トーマス教会聖歌隊のめんめんも映像に写ってました。ドレスデン聖十字架聖歌隊と比較されることも多いバッハゆかりの聖歌隊、今度こそ生を聴いてみたいものです。

 … そういえば先日、体調を崩して家で寝ながら聴いていた「ミュージックプラザ 年忘れリクエスト・スペシャル」。「ハッピー・クリスマス」、'That's an Irish Lullaby' 、「1 歳から 92 歳の子どもまで … 」という歌詞がとても印象的な「クリスマス・ソング」、そしてニニ・ロッソの「夜空のトランペット」!! 今年は精神的にやや difficult な年だっただけに、なんだかわからんが聴いているうちに泣けてきましたね ( 今年もビリー・ギルマンのクリスマスアルバムはじめ、手許の音源を片っ端から聴いたりした ) 。

 クリスマスシーズンなので、もちろん「サンタが街にやってくる」もかかりました ( Santa Claus は米語の言い方。英国では Father Christmas という。仏語では le Père Noël ) 。'He's making a ... ' は、いつだったかクイズのお題に出しましたね。ま、いまは Web というツールがあるので、調べ物はそれこそあっという間、歩きながらだってできてしまうのでしょうけれども ( 注:「歩きスマホ」はご法度。落下がこわいので、携帯するときはいつもカバンの中に入れている自分 ) 。

 サンタつながりでは、この前なにげなく若い俳優さんのツイートを見てたらこんなこと書いてありました。

 「子供の頃にサンタさんに『ゲームが欲しい! 』という手紙を書いて寝たところ、夜中、おじいちゃんが必死になってお店を探し回り、朝方枕元にそっと置いてく姿を見た時には、涙で視界が眩んだ事を思い出しました」

それでいいんじゃないかな。

 けさ、佐渡さんのこの番組も見ましたが … 考えてみれば今年ほど、「楽聖」ベートーヴェンのこの畢生の大交響曲を数多く聴いた年もなかったような気がする ―― それもただ漫然と、ではなくて、必死に、すがるような思いで。そして聴けば聴くほど奥が深い。3 楽章まで、えんえんと連ねてきた調べをアンチテーゼ - ジンテーゼよろしく、「おお友よ、このような調べではなく もっと心地よい もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか ! 」Yes ! Man alive !! 

 でもどうでもいいけどなぜクリスマス当日に「ハードロック・ヘビメタ三昧」かなあ … 。

 最後に私的なことで恐縮ながら … 遠くに住む親戚の子たちにすこし早い「お年玉」をその子たちのおじいさん宅に託したら、けさ、当の子どもたちからいきなり電話がかかってきてビックリした。たどたどしい声だったので、てっきりまちがい電話 ? とカンちがいしたり。こういうときにさっと頭の切り替えができなくて、「楽しい冬休み過ごしてね ! 」とかすこしは気のきいたことばでもかけてあげられればよかったのに … と思ったけれども、思いがけない声のプレゼントをいただきました。

 今宵もキングズカレッジの「9 つの朗読と … 」が再放送されるので、興味ある方は本場のクリスマスキャロル・サーヴィスを堪能されるとよいでしょう。たぶん 23 時くらいからはじまると思います ( Desire には「世界時計」ウィジェットというのがあって、いつも「静岡県」と「ケンブリッジ」の現在時刻を表示させて確認に使ってます ) 。それでは、平穏なクリスマスと年の瀬を。

posted by Curragh at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連

2011年12月11日

「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」展

 静岡市美術館にて開催中の「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」展、見に行ってきました … 先月末に見に行って、きのうもまた見に行ってました。以前ここにも書いたけれども、「受胎告知」のときも二回見に行ったし、自分にとってダ・ヴィンチという偉大な芸術家の存在はとりわけ大きいので、今回もまたおなじ美術展を二回、じっくりと鑑賞させていただいたしだいです。

 今回の巡回展ではダ・ヴィンチ自身の手になる作品こそほんの数点、あるかないかであとは真筆かどうか仮説の域をでないもの、または愛弟子サライ、メルツィはじめとするいわゆる「レオナルド派」と呼ばれる後継者たちの作品がほとんど。それでも今回、本邦初公開、というか世界初公開となる「アイルワースのモナ・リザ」や、おなじく謎だった「第三の」「岩窟の聖母」、そして一連の「裸のモナ・リザ」などなど、好事家にとってはまさにあれかこれかと目移りするような傑作ぞろい。「モナ・リザ」にかんして言えば、1600年ごろ、ときのフランス国王アンリ 4 世の命を受けてお抱え画家アンブロワーズ・デュボアによって制作されたとされるルーヴル版「モナ・リザ」の世界最古の複製画など、「アイルワースの … 」とおなじ展示室を取り巻くようにいろんな「モナ・リザ」が一堂に会するさまは圧巻でした。

 今回の日本での巡回展はレオナルドの故郷ヴィンチ村にあるレオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館館長のアレッサンドロ・ヴェッツォージ氏みずから企画されたというたいへん野心的なもの。真筆作品こそ少ないものの、レオナルドの工房に属していた弟子たち、その流れを引き継いだ「レオナルデスキ ( Leonardeshi, 単数形は Leonardesho ) 」の画家たちが、師匠の追求した「理想の美」をいかに継承していったか、その過程でレオナルド自身がいかに「神話化」されていったか、という過程を彼らの作品群、それに触発されて制作されたさまざまな派生作品、または当時の印刷物を通して体感してもらおう、という趣旨のものでして、この意図はおおむね成功していると思いました。もっとも最後の「神話化されるレオナルド」については、「美の理想」という視点からはいささか脱線しているようにも感じましたが。ちなみにあきらかにレオナルド作品として展示されていたのは「老人の頭部」というちっさい素描と、「衣紋の習作」二点のみ。あとは弟子との共作、もしくはレオナルドの手が加わっていると仮定されるもの。

 よくレオナルドの愛弟子だと言われることの多い通称「サライ ( 小悪魔の意 ) 」。でもじっさいに彼のものだとされる「聖母子と聖アンナ ( ウフィッツィ美術館から運んできた! ) 」を見ますと、細密な遠景描写、師匠が弟子にみっちり叩きこんだとされる「着衣のしわ」など、たしかに師匠譲りの達筆だとは思う。でも … 目の悪い自分が見てもなんか「マネキン ( 人台 ) 」みたいでぎこちなく感じた。いまにも動き出しそう、という「躍動感」にとぼしい。瞳もなんだか象眼みたいですし。また自然描写という点でも、前景の草花はよしとしても、遠景の岩山のあの描き方はまだ師匠の域には達していないとも感じた。どことなくタッチが荒い、というか。それにくらべると師匠の手が入ったとされる「岩窟の聖母」は見る者に強い印象をあたえる。もとはロンドンの版とルーヴルの「オリジナル」と同様にアーチ型の上部をもっていて、板絵からカンヴァスに移し変えたさいに切り取られたみたいですが、それでも左上からさっと差しこむ神秘的な光に照らしだされた聖母子と天使の姿は、500 年以上も前に描かれた作品とは思えないほどの臨場感というか、緊迫感がある。

 弟子サライが描いたとされる作品では、小振りながら「聖母マリア」のほうが愛らしくて個人的にはよかった ( X線調査によると、師匠レオナルドの下絵の上に重ねて描かれているという ) 。でもこの「小悪魔」サライ、素行のあまりよろしくなかった人だったらしく、1519 年に師匠がアンボワーズで亡くなったあと、喧嘩で刺された傷がもとで 44 歳になるかならないかで死んでいる。以前 NHK で放映されていたドキュメンタリー「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」では、ナレーター役の俳優が「馬鹿な男でした」と評していたのをいまだに憶えている。

 絵描きとしては、むしろ師匠の遺言状作成に立ち会ったとされるフランチェスコ・メルツィのほうが、師匠の追求した「美の理想」の正統的後継者だったと思う。残念ながらもうひとりの愛弟子メルツィの作品というのは展示されてなかったが、会場で買った図録( 2,300円 ) にはメルツィ作「フローラ」という女性の肖像画が掲載されていて、エルミタージュにあるというこっちのほうがはるかに美しく、質が高いと素人目でも感じる。

 会場では「レオナルデスキ」たちの作品のみならず、レオナルドの「美の理想」におおいに影響を受けた同時代人の作品もまた展示されていたんですが、その白眉はなんといってもラファエロ・サンツィオ ( サンティ ) その人の手が加わったとされる作品。当時、レオナルドなど「親方」は工房を構え、そこで大勢の弟子たちと受注した作品を共同制作する、という徒弟制度が一般的でした。ラファエロもまた若き巨匠として工房をもち、弟子とともに描いたとされる一連の油絵作品が展示されていて、ワタシの目を釘付けにしたのが、「カーネーションの聖母」。その作品の前に来たとき、文字どおりしばらく動けなくなってしまった ( その壁の反対側にお目当ての「アイルワースのモナ・リザ」が待っているというのに ) 。ラファエロってあの頬杖をつくふたりの幼い天使の絵とか「聖母子」もので有名ですが、この作品、レオナルドの「カーネーションの聖母」に着想を得て制作されたものの一点らしいけれども、完成度の高さといい、膝に乗せた幼な子イエスにそそぐ聖母のあたたかい眼差しといい、幼な子の愛くるしさといい、遠景の描写といい、どれをとっても強烈な印象を受けたのでした … なんてったってその「肌色」がいい! ほんのり赤みのさした頬の描写、額縁から飛び出していまにも動き出しそう。赤ん坊の声がいまにも聞こえてきそう。マリアのうすく開いた口元からは、赤ん坊をあやす声がいまにも聞こえてきそう ―― そんなじつに活き活きとした肖像画だったんです。ちんまりとした油絵作品 ( この時代は多いけれども、これもまた板に描かれている。額縁右側から板の隙間がすこしのぞいていた)ですが、ハンブルクのギャルリー・ハンスというところの所蔵らしいけれども、一部の研究者ではロンドンにあるヴァージョンよりもこっちのほうが完成度は高いとしているようで、そんなすごい作品も同時にここ静岡市で見られるなんて、とほうもなくうれしいではありませんか ( ちなみにみやげ物の定番グリーティングカードなど、印刷された図版では聖母と幼な子イエスの頬のうっすらとした赤みは再現されず、全体的に白っぽい。やはり写真製版技術にとって「肌色」というのは再現がひじょうにむつかしいのでしょうね ) 。おとなりにあった「ヒワの聖母」という大きな板絵のほうは、地震 ( ? ) かなにかで破損して、修復跡が痛々しい。絵柄的には有名なウフィッツィにあるほうのラファエロの筆致そのものだったんですけれども。

 「アイルワースのモナ・リザ」という作品、初耳だったんですけれども、なんでもこの作品、長いことスイスの銀行の地下室に文字どおり門外不出状態で保管されていたらしい。このようなかたちでひろく公開されるというのも世界初だし、なんといっても研究者でさえ現物を見たことがないという。はじめチラシの印刷でこの作品を目にしたときには、「なにこれ、模写じゃないの?! 」とさえ思ったものですが、いざ現物を目にしたらガラリと印象が変わった。金色に鈍く光る袖のひだ、組み合わせた両手、襟元、そしてなにやら謎めいた微笑をたたえてこちらを見つめる「若い」女性の顔の繊細な筆遣い … とか見てますとやはりこれ、レオナルドの筆が入っているとしか考えられないくらいの説得力がある。背景は素人が見てもあきらかに未完成で、一説によると後世の人の手が加わっているらしい。いずれにせよルーヴルにある「本家」よりもとくに顔の肌色や唇の色あいなんかほんと美しくて、保存状態はこっちのほうがかなりいい ( ルーヴルのほうは傷みがひどい )。「本家」がポプラ板に描かれた油絵作品であるのにたいし、こちらはカンヴァス地に描かれています。ヴェッツォージ館長によると、この作品についての調査結果はまもなくある研究者グループによって本にまとめられて出版される予定だというから、そちらもひじょうに楽しみではあります。

 「『裸のモナリザ』、『レダと白鳥』」のコーナーも、珍しい作品ぞろいで見ごたえがありました。図鑑とか図録では見たことがあったんですけれども、とくに板にテンペラ画法で描かれた「レダと白鳥」の大きな作品はすばらしかったですね。

 また当時の印刷物も展示されてまして、個人的にとくに目を引いたのは『ポリフィロの夢』という物語のインキュナブラ本 ( 1499年刊 ) 。活版印刷初期本のことを「インキュナブラ」と呼んだりしますが、これはまたたいへん珍しいものを見せてもらったという思い。ややごつい特有の活字体で印刷されたテクストが、下へ行くにつれて先細りになってゆくのもおもしろい。あいにくなにが書いてあるのかはさっぱりですが ( ラテン語やイタリア語、ヘブライ語にアラビア語まで混ざっているらしい。いわばルネサンス期の『フィネガンズ・ウェイク』か ?? ) 。ページ上の挿絵木版画は、なんというかアントン・ゾルク印刷所から出版された『聖ブランダンの航海』みたいな例ののっぺりした感じの絵柄でした。

 また 1517年 10月にアンボワーズで最晩年のレオナルドに会ったという同国人アントニオ・デ・ベアティスという人の手書きの手記も展示してあって、こちらもおおいに興味を惹かれた。また19 世紀に制作された白大理石製の「立体版モナ・リザ」胸像なんかも展示されていて、「モナ・リザ」のスピンオフにはリトグラフやエッチングにとどまらず、こんなかわいらしい胸像まであるのかと感心しきり。

 … いずれにせよこんな機会はおそらく二度とない。静岡市にこれだけの作品群が一堂に会するという贅沢な美術展というのは、めったにないので、レオナルド好きでまだ見に行ってない人はいまからでも遅くないからぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。損はないと思いますよ。このようなすばらしい巡回展の開催実現に尽力された関係者の方々に、心から感謝。

 最後にレオナルドの語ったとされることばを引用しておきます。

―― 光を見つめ、その美しさを堪能しよう。きみがいま見た光はもはやそこには存在せず、これから見る光はまだ存在しない。

posted by Curragh at 14:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 美術・写真関連

2011年11月28日

備忘録ていどに …

 いちおうここは、巷で売れているものについてはあまり取りあげない方針で記事を書いてますが、先月亡くなられたジョブズさん公認の評伝について感じたことを少しだけ。

 「セガンティーニ展」で書いたように、先日、ようやくこちらの巡回展に行ってきまして、「アイルワースのモナ・リザ」はじめ、すばらしい絵画作品の数々をたっぷり堪能してきまして、個人的に大満足! でした。

 そのことはまた後日書くとして … 美術展のあと、ひさしぶりに静岡の街に来たのでついでに本屋さんにも立ち寄った。洋書コーナーがあり、行ってみてまず目に飛びこんだのが National Geographic の黄色い表紙。『欽定訳聖書』の特集。これはおもしろそう。日本語版が出たら目を通してみようかしら。で、そのまま視線を上へ移すと … ウォルター・アイザックソン著の例の評伝本がデンとこちらを見据えてまして、なにげなく手にしたら … 重ッ ! なんとこの本、本文だけで 700 ページ近いとんでもない分厚さ。性格がひねくれているので、とりあえず最終章の最後の部分、'Coda' という見出しではじまるパラグラフを立ち読み。あまり具合のよくないときに、死や神の存在について、ジョブズさんが著者に語ったということばで閉じられています。オン / オフスイッチのくだり、ジョブズさんにとってはなんだか人生をオン / オフする装置にも思えたんでしょうか。

 そのすぐあと、こんどは邦訳本のあるコーナーに行っておんなじ箇所を立ち読み。なるほど! これはメモメモ … ( 笑 ) すくなくともその箇所は鏡で写したような訳文だったと思います。

 帰宅して、ちょっと気になったものだから訳者先生のブログ記事ものぞいてみました。こういうふうにきちんと回答される翻訳家先生というのは、まずいないでしょう。お人柄というか、ひじょうに良心的だし、なにしろ正直です。そうですよ、こんな分厚い本をこれだけの短期間で訳了する、なんてことふつうではありえない ―― それも下訳者も使わずに、ご自分だけで!! 超人的としか言いようがありません。まったくもって頭のさがる思い。てっきり数人で分担して脱稿したのかと思ってましたから。

 Amazon の書評で指摘されていたらしいんですが、見たかぎり、あきらかなケアレスミスはべつとして、なんというかほとんど「好みの問題」 … という気がした。もちろん自分も SW シリーズは好きだし 1978年の初公開時に見ている人なので、これが当初 3 つずつ計 9 つのエピソードで構想されていたことも知ってますが、邦訳本の訳でもとくに問題はないかと …。「の」が連続するのはだれだっていやなので、自分だったら「 SW シリーズ後半部最初の三部作」みたいに端折るかもしれない。とくにケチつけるようなところでもないんじゃないかな? 「先駆ける」と「先立つ」の指摘についても、語感の個人差ではという感じです。

 難関の 'the excess, the permission and warmth after the cold salads, meant a once inaccessible space had opened' については、門外漢のアタマではただたんに A, B, and C after ... というふうに思えるんですが … 。前後関係の説明を考慮してたとえば「冷たいサラダを経て示されたあの度が過ぎた量、許しとあたたかさ ―― かつて近づきがたかった空間が開けた、まさにそのとき」くらいの感じになるのかなーと思ったり … 。'... somebody said ...' の指摘についても、いちいち「だれそれが言った」なんてできないですよ。これは英語の癖みたいなもので。ためしに川端とか読んでみればいい。ようは、多すぎず少なすぎず、サジかげんしだいかと思います。また ' "...," he said, "..." ' のようにふたつにわかれた科白というのもよくあるけれども、生理的にしっくりこなかったら科白部分をひとつにまとめたってかまわない。

 自分もエラソーにここで「ヘンてこな翻訳本」について書いたことがあったけれども、すくなくとも重箱の隅をつつくような、揚げ足取りのような記事は書いてないつもりです。自分だってヒドいまちがいを何度もさらしてひとりで勝手に恥かいたりしてますし。ここで取りあげる訳本は、そんな自分でも首をかしげざるをえない本だけです ( 具体的にどんな本なのかはもう喋々しないけど ) 。いまひとつ解せないのは、最初に指摘した方はせっかくの指摘をなぜすぐに引っこめてしまったんだろうか、ということ。ひょっとしたら英語が専門の先生なのかな? ついでに比較神話学者キャンベルの『神の仮面』という本の邦訳。おなじく Amazon の読者評にて、「神話のイメージを期待して購入したが失敗。書いてる内容が意味不明」とありましたが、あれはまちがいなくヒドい翻訳の見本みたいな本。誤訳のみならず、とにかく日本語として読めたものじゃありません。ひとつの文に「の」が 4 つも連なっていたり。改訳をせつに希望。できれば分厚い 4 巻もの原本すべてを完訳してほしい ( 叶えられそうにないだろうけど)。

 ついでに … 「セガンティーニ展」を見に行ったおり、ジョブズさんの追悼特集を組んだ Time も買いまして、評伝本の著者アイザックソン氏が 'American Icon' と題する記事を寄稿してました。それによると2004年の夏、著者を散歩に誘ったジョブズさんみずから、自分のことを書いてくれないかと切り出したみたいですね ( 追記。有名になった 'Stay hungry. Stay foolish.' というジョブズさんのことばですが、自分だったら「ハングリーであれ。愚直であれ」と訳したい ) 。

posted by Curragh at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 語学関連

2011年11月27日

待降節第一主日

1). せんだって見たこちらの演奏会評の記事。映画でも美術でも写真でも、とかく芸術ものの記者さんの書く NYT の批評記事というのは総じて辛口。カーネギーホールの地元だけあって、いったいどんな演奏会評を書いたのかなとすこしは期待して見たら、やっぱりかなり ( ? ) 辛口でした。とくに ↓ のあたりが。

But probing depth and a sense of spontaneity are missing, perhaps inevitably, since Mr. Tsujii must precisely calculate every move to ensure that his fingers are above the correct keys. This was noticeable in works by Liszt, including “Un Sospiro” from the Three Concert Études and the “Rigoletto” Concert Paraphrase, both marred by stilted phrasing, as was the rendition of Beethoven’s “Tempest” Sonata.

今年が記念イヤーのリストの「ため息」や「リゴレット」の編曲版、ベートーヴェンの「テンペスト ( ピアノソナタ 第17番 ニ短調 ) 」などで、「深みと自然さ」が欠けていて堅苦しい印象を受けた、とか … でもどうなんだろ、その演奏を聴いてないからなんとも言えませんが、すくなくともクライバーンコンクール以降の辻井さんの演奏を TV とかで拝見してきたかぎりでは、「不自然さ」なんてみじんも感じなかった。それでもジョン・マストの「即興曲とフーガ」やアンコールの「雨だれ」なんかは褒めているけれども。この人にとっては、ややもの足りなかったのかもしれない。前にも書いたけれども、こと音楽の批評ってむつかしい。小林秀雄だったかな、モーツァルトの「交響曲第 40 番」を「悲しみが疾走する」なんて表現したのは。音楽批評家といってもそれこそいろいろで、ある人は「金字塔」と評した、まさにおなじ演奏会を「これがあのウィーンフィルなのか ? 」と評する人いたりで ( ほんとの話 ) 。ここまで差がひらくことはあまりないとは思うけれども、おんなじ公演を聴いた評がこんなぐあいになったりするので、軽く受けとめておけばよいのかと。とにかくカーネギーホール・デビュー、おめでとうございます ( なお、まことに勝手ながら NYT 関連カテゴリの記事は今回をもってしばらくのあいだ休止させていただきます ) ! 

2). それとこれはもうかなり前のことでいささか out of topic な感じではありますが、毎年この時期恒例のこれ。例によって中継を寝ながら聴いてたんですが、だれだったか少女聖歌隊員のファイナリストでなんと日本語を選択科目としてとっているという子がおりまして、すかさず茶目っ気たっぷりに MC のアレッドが、「ボクも日本語できるよ! 声変わりしたあとで、ウィーン少( 正確には「ウィーンの森」のほうだったと思う )」と日本に行って共演したときに覚えたんだ、と前置きして、いちばん好きなフレーズが「ボクはアレッド・ジョーンズです ! 」と、早口で披露してました。まだ覚えてたんですな! バブル期のあの当時、さかんに日本企業の TVCM に出てはたどたどしい日本語でいろいろしゃべらされていたような … 。ついでにみごと栄冠を勝ちとった少女聖歌隊員が、'Quite nice! ' と返答したのを受けて、アレッドが 'Quite nice ?! ' と突っこんでおりました。で、quite nice = very nice の意味じゃないということだけ、付記しておきます。「けっこういいわ!」くらいか。「けっこういい、だって ?! 」。それからこの子は、'Yeah, very good!' と言い直してました。

 今回、もっとも印象に残ったのは聖歌隊員の子たちもさることながら、ゲストのジョー・マケルダリーという若い歌い手さんでした。ゲストは審査員が審議中に歌を披露するわけなんですが、アゼリン・デビソンがカヴァーしたヴァージョンの「虹のかなたに」を歌いまして、これがなかなかいい! と個人的には思いました。このマケルダリーという方、 Wikipedia 記事によれば … まだ 20 歳 !! ピアノの北村さんとおない年なんだ! 最後に「今年の若き聖歌隊員」に選ばれた 2 名とともに「木枯らしの風吠えたけり」をいっしょに歌ってました。

 … 来週のこちらの番組、TOKYO-FM 少年合唱団が出演するということなので、いまから楽しみ。そして今日から、待降節 ( Advent ) がはじまる。教会暦も、今日からあたらしい一年がはじまることになります ( 念のためワタシは正式な信徒でもなんでもないが、自分の季節感が教会音楽好き、聖ブレンダン関連などなどでどうしても教会の暦を軸に動いているので、このような書き方になってしまいます。あしからず ) 。

posted by Curragh at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | Articles from NYTimes