2017年07月24日

ツタンカーメン王二題

 もう先月の話になるけど、こちらの番組について。「アルバレス・ブラボ写真展」で静岡市に行った折、いつもの癖で美術館とおなじ複合ビル内にある本屋にも立ち寄って、こんなおもしろそうな本も見つけた。というわけで、番組を見た個人的な感想とあわせて思ったことを書き出してみる。

 このドキュメンタリーの主人公はクリス・ノーントンという若い考古学者。さしずめ 21 世紀版ハワード・カーターといったところでしょうか。で、『ツタンカーメン発掘記( 筑摩書房刊、1966 )』は有名ながら、カーターが残した膨大なメモ書きやノート類はその後一度も科学的に検証されたことがない! おまけに王墓が発見されてから 90 年以上も経つというのに、ツタンカーメン王の死因も異常だらけのミイラの状態についてもなにひとつわかってないじゃないか !! というわけで、独自調査した結果報告みたいな構成で、2013 年の制作、というからもうずいぶん前の話です。

 じつはほぼおんなじ内容の記事がこちらにも掲載されてまして、番組でも取り上げられた「埋葬後のミイラの自然発火」について書かれています。もっともこの件に関してはカーターのメモ書きを見ないまでも、『発掘記』にも「 … ミイラも、ミイラをつつんでいる包み布も、危険な状態にあることが、ますますはっきりしてきた。ふんだんに注がれた香油の脂肪酸によるはたらきが作用して、二つながら完全に炭化していたのである[ 前掲書 p. 219 ]」とあるので、埋葬直後かどうかはべつとして、ゆっくり自然燃焼した結果であることは発掘当時も認識されていたことがこの記述からも窺い知ることはできるわけでして、個人的には「完全に予想外の新事実」とは思わなかった[ → こちらの新聞サイトにハリー・バートンの発掘記録写真をカラー化した画像が掲載されてます。最後の純金の人型棺が開けられたとき、ミイラの金製の両手に握られていた「王笏」と「殻竿」はすでに文字どおりの炭となって崩壊していた。ついでにバートンが使用したのはフィルムじゃなくてガラス乾板。おかげでいまなお鮮明な映像として残されている ]。

 もっとも「黄金のマスク」の耳たぶにファラオなのになぜか(?)ピアスの穴が空けられていたことや、ネメス頭巾と顔の部分が入念に接合されていた( つまりべつべつに作られていたものがあとでくっつけられたことを示す )ことなどの指摘は、たしかにそのとおりだし、とくに後者に関しては、マスクは「金無垢の一枚板の打ち出し」だと思いこんでいたものだから、なるほどそれはあるかな、と。

 また 1968 年にはじめてツタンカーメン王のミイラの X 線撮影が行われたときのメンバーで、唯一の生存者でもあるリヴァプール大学のロバート・コノリー教授の取材とかも興味深く見たけど、かつてはやった「暗殺説」の証拠として取り上げられた頭蓋骨内部の骨のかけらについて、「 … カーターが発掘中にミイラを分解した際に、ミイラの首の脊椎の骨が割れたものだと判明した」みたいなナレーションがついてましたが、正確にはミイラの検死解剖を執刀した解剖学者ダクラス・デリー博士のせいだろう[ これは日本語版ではなく、オリジナルが悪い ]。ただし傷つけた犯人はデリーではなく、古代のミイラ職人だったかもしれない。ジョー・マーチャント本にはそのへんの可能性もきちんと書かれてあって、やはりこの手の話は科学ジャーナリストが長期にわたって調べつくして書いた本を読んだほうがいいように思う。以前、古代エジプトものとくれば例のメディア大好き博士の指揮した CT スキャン調査なんかが思い浮かぶんですけど、だいたいにして TV ものは編集段階で恣意的にカットされたり、事実として確定していない事柄までさも既定事実のごとき表現で片付けられがちなので、参考ていどにするのはいいが、鵜呑みにしてはならないように思う。

 ツタンカーメン王は、そのもっともよい例、いや最悪の見本なのかもしれない。たとえば王の死因についても、以前は「暗殺説」が圧倒的に人気があって、その人気にワル乗りした米国人考古学者がほとんど妄想にもとづいて書いた本がベストセラーになったり、あるいはいまだに「ファラオの呪い」なんてのがまことしやかに語られたりする。ちなみに真っ先に呪われてしかるべきデリー博士なんか、その後 40 年は生きながらえて 1960 年代に亡くなっているにもかかわらず、「ミイラを調査した直後に死亡」なんていまだにホラ吹いてる本ないし記事があったりするから困ったもんだ。

 ツタンカーメン王の死因ですが、暗殺 → チャリオットからの転落死 → マラリア → 遺伝病による病死とまあ諸説紛々。数十年前の時代遅れな機械を使っての X 線検査から 2005 年の当時最先端のトレーラー移動式 CT スキャン装置による検査まで、ここまでやってもけっきょく決め手というか、ほんとうの死因がいまだつかめずというのが事実。ちなみに上記マーチャント本には、説得力ある仮説としてなんとカバ( !? )を挙げている。なんでもファラオってカバ狩りをたしなんでいたんだそうな。むむ、たしかにツタンカーメン王墓から出土した遺物にはそんな狩りを描写した櫃だったか、そんなようなものがあったにはあったけれども。*

 ジョー・マーチャント −− ちなみにこの方は女性 −− の本は、そのへんの事情も絡めて書いてあるので、「ファラオの呪い」の系譜や、ツタンカーメン王のミイラがたどった数奇な運命について知りたい向きにはもってこいだと言えます。もっともどっかのモルモン教徒の唱えたという「ツタンカーメン=モーセ説」だの、「ツタンカーメン=キリスト説」だのははっきり言って不要じゃないかと、読んでいて思ったんですけど …… なんでツタンカーメンのミイラの組織の一部がリヴァプール大学にあるのかについてもロバート・コノリー博士に取材しているから、そのへんの裏事情も知ることができて、こういうところはさすが、という感じです。

 ノーントン氏の番組では、チャリオットに轢かれたために死んだ、と主張している … なんかもうここまでくると個人的にはどうでもよくなってきた。ツタンカーメン王はもうそっとしておいてやったらどうなのか、とそんな気分にもなってくる。マーチャント本を読むまで知らなかったが、1968 年に X 線撮影のために第1の人型棺を開けて王のミイラを引っ張り出したとき、「 … 愕然とした。ミイラの体が、ばらばら状態になっていたのだ。…… ミイラの傷みぐあいは、カーターが加えた傷の規模をはるかに越えていた」。なんと第二次大戦の混乱に乗じて、最後までミイラに残っていた頭のバンドや「胸飾り」が消えうせ、さらには「両目はつぶれ、まぶたも睫毛もなくなっ」た[ → 現在の王のミイラの顔 ]。「胸飾り」と肋骨のほとんどがなくなっていたことは CT スキャン調査で明らかにされていたけれども、まさか賊が侵入したとは思ってなかったもので、これはいささか衝撃的だった。たしかにハリー・バートンが 1926 年に調査の終わったミイラを( ふたたび四肢を組み立てて )砂を敷き詰めた木のトレイに入れなおした記録写真と、いつだったかやめときゃいいのに王のミイラを保護するんだとか言って木のトレイごと墓の「控えの間[ 前室 ]」に移動させて「展示品」にしてしまったときに撮られた王のミイラの顔の画像と比べてみればそのちがいは一目瞭然。香油の注がれなかったミイラの頭は保存状態がよかったってカーター本人は書いていたんですけど、このぶんじゃほんと、マーチャント女史が心配しているように「現在の保存方法では、ミイラがさほど遠くない将来に、土にもどるのは避けがたいことのようだ」。ついでにマラリア説が出てきたときに言われていた「左足先の異常」についても、デリー博士の所見ではいたって正常だったってはっきり書いてある。

 以上、ノーントン番組とマーチャント本をかいつまんで書くとこんなふうになる。

1). ツタンカーメン王の健康状態はいたって正常で、目立った病変はない
2). 肋骨が人為的に切り取られた痕跡があり、心臓もない
3). なんらかの事故死( カバに襲われた? )、つまりまったく予期しない急死だった可能性が高い
4). 左足先の変形は死後に生じた可能性が高い
5). 左脚膝の骨折は生前のものか死後のものかは不明( 古代 DNA 調査は信頼性に欠ける )

 こうなると、小学生のころに読んだ『ツタンカーメン王のひみつ』に出てきた、「3週間の病の苦しみから逃れてわたしはしずかな眠りにつく」なんて王自身のことばというのは、真っ赤なウソだった、ということになる。いま目を皿のようにして『発掘記』を読んでいるところだけど、いまのところそんな記述は出てこない。創作 ?! 

 「事態にほとんど進展が見られないため、誰もが独自の仮説と好みにしたがって、さまざまな意見を披露するのも、避けがたいこと」とマーチャント女史が書いているように、この薄幸の若いファラオは死んで約 3,300 年後、カーターというひとりの考古学者によって墓を開かれて以来 90 何年、ある意味身勝手な後世の人間たちによって振り回されてきたようなもの( だいぶ前に書いたかもしれないが、ツタンカーメン王の石棺を保護していた四重の厨子の扉は指示書きがあったにもかかわらず、墓職人たちがあせっていたためなのか、ほんらい「西」向きに取り付けるはずが反対の「東」を向いてしまった。おかげで王は来世に行くはずだったのが、ふたたびこの世界に舞いもどってしまった )。墓だってそう。いつのまにか玄室の壁面にはいくつか四角い穴が穿たれているし、壁画の一部は発掘調査時に破壊されているし、今後も王家の谷を襲う洪水で水没する危険性もある。子どものときからツタンカーメン王にまつわる話はずっと好きだったけれども、もうこのへんで「ツタンカーメン産業」にファラオを巻きこむのはやめにしてほしいと最近、思うようになりました。それだけトシをとったということか。ついでにノーントン番組とマーチャント本、制作と出版がともに 2013 年でして、これはいわゆる「共時性」ってやつかもしれないが、なにかしら因縁めいていますな。

* ... ツタンカーメン王墓発見者カーターは『発掘記』で、野鳥やライオンなどの砂漠の動物を仕留める若いファラオの姿を生き生きと活写した調度品の数が多いことに触れ、「王のスポーツ好き、若い王者らしい狩猟熱の証拠もみとめられ」ると記している。では 墓内に 130 本も納められていた「杖」はどう考えればよいのだろうか? たしかにツタンカーメンの狩猟好きはじゅうぶん考えられる[ → カーターが例に挙げていた証拠のひとつ ]。でもひょっとしたらすこし歩行に難ありだったかもしれない[ 個人の感想です ]。カーターが例を挙げている小型厨子の「狩猟場面」は、若いファラオが「腰かけた姿勢で」野鴨を弓で射る瞬間を描写している。ほかにも杖をつく姿が浮き彫りされた櫃とかあるけれど、同時にチャリオットを駆って勇猛果敢に戦っている描写もあったりする。いずれが真の姿だったのかは「永久にわからないかもしれない[ ibid., p. 165 ]」。

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2017年07月09日

パディントン生みの親、逝く

1). 『くまのパディントン』シリーズで世界中のファンから愛された作家マイケル・ボンド氏が先月 27 日に逝去された。享年 91 歳。心より謹んで冥福をお祈りします。

 マイケル・ボンドさん、とくると、以前 NHK の「グレーテルのかまど」でも取り上げられて、そのときの感想をここでも書いたりしたんですけど … ほんとうに残念だ。あともう一作くらいは書いてほしかったかな … 。ボンドさんの訃報に接したとき、すぐ頭に浮かんだのは、番組の取材を受けた際にボンドさんがおっしゃっていた第二次世界大戦のときに見たというロンドン大空襲を逃れて疎開してきた子どもの話だった。「彼らはパディトンとおなじように首から名札を下げていました。わたしはあのときの光景がいまでも忘れられません」。パディントンの首に下げられていたあの荷札、「どうぞこのくまのめんどうをみてやってください おたのみします['PLEASE LOOK AFTER THIS BEAR Thank you.']」は、そうした作者ボンドさんの原体験が投影されていたことをこのときはじめて知ったのであった。そしてこれも繰り返しになるけど、ディック・ブルーナ氏の訃報のときにはじめてお顔を TV で拝見した松岡享子先生の名訳が光る。

2). … ボンドさんの「おくやみ」記事で終わらせたいところだったが、またいつものように関連しつつ悪しからず脱線。ボンドさんの訃報に接して、手許のパディントン本をひさしぶりに繰ってみた。'... Paddington gave the man a hard stare.' というのは、前にも書いたけれどもこの子グマの癖ですな。そしてちょうど折よく( 折悪しく ?? )、「英語は 3語で O.K. 」みたいな英語関連新刊本の新聞広告なんかも目に留まりました。「 … こんないい本があるなんて驚いた」、「 3語で伝わるなんてすごい」、「英語嫌いだったが、だれかと話してみたくなった」という読者の声も紹介されてました。

 で、でかでかと例文として挙げられていたのが 'My job is an English teacher.' でして、'I ... English.' で通じる、としている。中学英語がきちんと身についていればだれだってわかる他動詞 teach が入るわけなんですけども、じゃたとえば 'He races.' なんかはどうですか。これもおんなじ「職業を表す動詞」ってやつで意味は「彼はレーサーだ」。かたちはすごく単純ですけど、ぱっとこういう言い回しが出るかどうか。

 だいぶ前ここでも米国大統領の英語として Plain English のことをすこし書いたことがあり、この新刊本の中身はまだ読んでないからよくわからないけど、ようするに中学英語レヴェルでも伝えたいことはきちんと言い表すことができますよ、ということなんだろうと思う。なのでたしかに英語嫌いの方や英語が苦手だった、という方にはとっつきやすい学習本だと思います。とはいえ編集者なんだろうけれども「たった3語でよい」みたいに言い切る書名を冠するのはワタシの性格上、どうもなあ、と思ってしまう。

 いちばん大切なのは、「発想を転換する」ということ。日本語そのまんまの発想を捨て、英語話者がふだん使っているような言い方が口から、あるいは書き出せるかどうかにかかっていると思う。これをどうにかこうにか、身に着けないことには英語を含めて印欧語族系はなかなか上達しないんじゃないでしょうか。いまひとつ例文が掲載されてまして、なんと驚くことに 'I found her smile attractive.' という典型的第 5文型の「3語書き換え」だった。こちらも学校英語をまじめにやってきた人なら即答できるはずの 'I like her smile.' で、はっきり言ってなんてことはないんですけど( もっと強く love でもいい )、書き換える前の言い回し、これどう転んでもふつうの言い回しじゃないでしょうよ。慣れてくれば、「わたしは彼女の笑顔を魅力的だと思った」→ I like her smile. への変換はぱっとできると思う( Facebook の「いいね!」ボタンも、もとは LIKE! )。すくなくとも 'I found her smile ... ' なんてヘンな言い回しを思いつく人のほうが圧倒的に少ない( はず )。

 英語的発想というのは、たとえば以前ここでも取り上げたオバマ前大統領の就任演説に出てきた '... This country is more decent than one where a woman in Ohio, on the brink of retirement, finds herself one illness away from disaster after a lifetime of hard work.' なんかがそうですね。「いままでずっと汗して働いてきたというのに、いざ退職間近になって病気ひとつでもしたらそれこそとんでもないことになりかねない」、この国はそんなひどいところじゃない、もっとまともな国なのだ、ということを述べたこの下線部あたりがきわめて英語らしい発想だと思います。

 たしかに字数は少ないに越したことはないし、誤解も少なくはなると思う。でもそれよりも have, give, take のような基本動詞とそれとセットになってくっついてくる前置詞フレーズ( 句動詞 )をマスターするほうがまだしも英語習得には役に立つと思う、経験上は。それと大統領の英語ついでにいまの大統領に関しては、ほんと indecent な言い回しが多すぎてびっくりするやら、あきれるやら。前任者とはエライちがいだ。もっともそれだって「個性」だと言えるかもしれないが、英語の使い手という観点から前任者と現大統領について言えば、「ただわかりやすいだけではない、品格と教養ある大人の英語[ 米国英語 ]」使いなのか、「子どもの喧嘩レヴェルの、下世話な単純フレーズ連発英語」使いなのか、ということに尽きるように思う。

 こういういささか人間としてどうかと思わざるを得ない人の「ついーと」なんかで英語学習するよりも、すっとぼけた英国流ユーモアの典型みたいなパディントンものを読んで英語の奥深さを追体験しつつ学ぶほうがよっぽどいいと思いますよ。「英語らしい発想」という点では、個人的にはこっちの学習本のほうがよいと思う( p.100 の 'dust' について、「dust はゴミではなくて、ホコリの意味で使われるのが一般的」と書いてあるけど、英国では trash can ではなく dust bin という言い方をする、ということも念のため付記 )。

posted by Curragh at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | おくやみ

2017年06月11日

アルバレス・ブラボ写真展

 静岡市美術館にて先月までやっていたこちらの写真展に最終日に見に行ってきました。

 写真は好きなくせして、寡聞にしてこのマヌエル・アルバレス・ブラボなるラテンアメリカを代表する写真の大家のお名前はまったく知らなかったので、せっかく静岡市で回顧展みたいのが開かれているのだからとのこのこ出かけたわけ( ついでに駿府城天守台跡の発掘調査現場にも行ってみた )。薄暗い会場に一歩入るとそこはゼラチンシルバープリントやプラチナパラジウムプリントの数々、モノクローム特有の豊かな階調の支配する世界。ふだん PC やスマホの画面でデジタル画像のあのギザギザを見慣れている目には懐かしさよりもむしろ新鮮さのほうがつよく感じられた。それにしても人物を撮っても風景を撮ってもどれもみんなサマになっていて、おなじ写真好きとしてはなかなかこういうふうには撮れんよなーとかって思いつつ眺めてたんですが、サボテンとか山並み、街角のショーウィンドウとかの風景はジナー(!)の 4 x 5 判ヴューカメラを使っていたようです( 撮影風景の写真を見るかぎり )。どうりで構図の切り取り方の斬新さもさることながら、美術で言うマチエールというのか、とにかく細かい部分がシャープに像を結んでいて、初期の代表作「ラ・トルテカ[ 1931 ]」なんかは 90 年近くも前に撮影されたとは思えない臨場感にいまさらながら驚かされる( ロラン・バルトふうに言えば「たしかにかつてこの世に存在していた」という紛れもない事実が立ち現れる )。これはひとつにはオリジナルプリントの保存管理が適切だった、ということなのかもしれない。ブラボ氏は 2002 年に満 100 歳( !! )の天寿を全うしたからその後の膨大な原版の管理は娘さんをはじめ遺族の方々を中心にされているようなので、これはけっこう骨が折れる作業だろうと思う( 最晩年のブラボ自身がプラチナパラジウムプリントを仕上げるようすを記録した動画クリップも上映されていた )。

 ブラボ初期の 1930 年代から晩年の 1990 年代まで 4部構成で俯瞰する回顧展を見て思ったのは、キャッチコピーにもあるけれども一貫して流れる「静謐さ」。とくに街角の雑踏の只中で撮影したと思われるお店の看板(「眼の寓話[ 1931 ]」)とかショーウィンドウとかは、どことなくウジェーヌ・アッジェを彷彿とさせる雰囲気がある( じっさいにアッジェの薫陶を受けていた )。いっぽうで「身をかがめた男たち[ 1934 ]」なんかはアンリ・カルティエ−ブレッソンの言う「決定的瞬間」、あるいは「絶対非演出 / 絶対スナップ」のお手本のような作品。トロツキー、ディエゴ・リベラフリーダ・カーロ、『シュルレアリスム宣言』のアンドレ・ブルトン、ノーベル文学賞作家オクタビオ・パスなどの錚々たる著名人のポートレイトもいくつか展示されてまして、一見すると間口の広い器用な写真家のようにも見えて、そのじつ「写風」はブレてない印象がある。展示会場にはブラボ本人の「名言」みたいなのも掲げられてまして、そのなかのひとつがこの大写真家の写真という芸術に対するスタンスというか考え方というかそれをみごとに集約していることばだった ―― 「わたしにとって、写真とは見る技法です。ほぼそれに尽きると思います」。「見る技法」、至言だ !! また「光と影には生と死とおなじ二元性がある」などの引用もありました。もっともオルガン好きなワタシがいちばん気に入った 1 枚は、「大聖堂のオルガン[ c. 1931 ]」ですかねぇ。ブラボ氏だけに、BRAVO !! でした。

 同時代の貴重な関連資料も展示されてまして、ブラボ作品の初出雑誌( Aperture とか )や展覧会図録なんかがあったけれども、1933 年に出会った米国の写真家エドワード・ウェストン( 8 x 10 インチ、エイトバイテンと呼ばれる巨大な組立暗箱カメラで風景や人物や静物を撮りまくった人。8 x 10 インチのシートフィルムは「六切」とおなじサイズ )がブラボ宛てにしたためた賛辞の手紙( 出だしに '... I am wondering if I'm not sure why I have been the recipient of a very fine photograph series from you.' とかって達筆な筆記体[ !! ]で書いてあった )まで展示されてまして、興味津々で見入ってました。

 美術館の外に出ると、その日は地元商店街近くの神社祭典があったらしくて、とてもにぎやか。呉服町商店街ではストリートオルガン弾き( 日曜日午後に見られるらしい )もぐるぐるぐるぐる、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」などを演奏してまして、否が応でも写真撮影熱が高まるわけなんですが、そこはヘタの横好きの悲しさ、「会心の作」みたいにはいきませんねー( 嘆息 )。

posted by Curragh at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術・写真関連

2017年05月16日

オルランディ版『聖ブレンダンの航海[ 2014 ]』

 Beannachtaí na Lá Fhéile Bhreanainn !! というわけで、今年もぶじにこの日を迎えることができました … と、これだけでも感謝ものなんですが、なんと !!! セルマー校訂版『航海』邦訳者、太古先生よりほんとうにひさしぶり(!)にメールをいただきまして、驚くことにイタリア人学者ジョヴァンニ・オルランディ教授による新校訂版『聖ブレンダンの航海』が 2014 年に刊行済みとのこと、驚愕x九層倍なんであります( もっとも、時間のあるときにちょくちょく某密林書店を渉猟してはいたが、こちらの目が悪かったらしく、まったく知らずにいた )。

 じつはオルランディ先生、すでにこの完全な校訂本を出版されるずっとずっと前、1968( !!! )年、というから不肖ワタシが生まれる前に序論とも言うべきご本を上梓されている。その後約 40 年、急逝される 2007 年までこつこつ、ひたすら後半生をラテン語版『航海』の「完全な」エディションを編むことに心血を注いでこられた、ということもいまさらながら知ることとあいなり、ひとり涙したのであった( といつものごとくこんな調子で書くといかにもノリの軽い人間のように思われてしまう危惧なきにしもあらずだが、とにかくこれ書いている当人はいたってまじめに発言している )。*

 2007 年にオルランディ教授が亡くなられたあと、その遺志を継いでこの新校訂本を完成させたのが、同教授の教え子だったというロッサーナ・グリエルメッティ女史。以下、おなじく太古先生より頂戴した書評コピーをもとにかいつまんで内容紹介。

Navigatio sancti Brendani. Alla scoperta dei segreti meravigliosi del mondo, a cura di Giovanni Orlandi e Rossana E. Guglielmetti, introduzione di Rossana E. Guglielmetti, traduzione italiana e commento di Giovanni Orlandi, Firenze, SISMEL - Edizioni del Galluzzo 2014( pp. CCC + 215 ).

ジョヴァンニ・オルランディ / ロッサーナ・E・グリエルメッティ校訂『聖ブレンダンの航海 世界の驚異を求めて』 序文:ロッサーナ・E・グリエルメッティ、翻訳および註釈:ジョヴァンニ・オルランディ」

1). 新校訂本の構成:英文によるまえがき( 筆者は中世ラテン文学の碩学マイケル・ラピッジ元ケンブリッジ / 米ノートルダム大学教授で内容はほとんど「献辞」と言ってよい )、伊語によるグリエルメッティ女史の序文( 300 ページ!)、『航海』ラテン語本文と現代伊語による対訳文+註釈[ 後注 ]+索引( 215 ページ )、つまり 500 ページ超という文字どおりの労作。

2). ヒベルノ・ラテン語本文について:新しい校訂本のたたき台となっているヒベルノ・ラテン語の原典は、かつてのセルマー本とちがって単一の写本[ ヘント写本 G ]をベースにいくつかの異本を組み合わせたものではなく、141( 制作年代は 10 − 15 世紀 )の現存ラテン語写本すべての関係性を精査して5つの系統樹(!)を構築したうえで、「祖型となる物語にもっとも近い構成」の写本群を選んで本文としている。

 しかしそれにしても … 、現存写本数がセルマーのころからさらに増えてたんですねぇ … これをすべて検討した上で校訂し、「最古型」に近い姿に復元する、なんて常人のなせる業じゃないですよ、これ。ほんとにすごいことです。歴史言語学史上の偉業とさえ言っていいんじゃないでしょうか。ところでアイルランド国立大学メイヌース校教授デイヴィッド・スティフター氏の書評によると、冒頭部の 'Sanctus Brendanus, filius Finlocha nepotis Alti ... ' のコメントにやや難ありとし、またこの箇所で当時すでに廃れかけていた古アイルランド語の用語用法がひょっこり顔を出していると指摘してもいる。具体的には、この下線部分のラテン語本文は、後期古アイルランド語の「… の孫の息子」という言い回し 'macc huí' をそのまま「逐語訳」したもので、初期古アイルランド語の「[ アルテ ]の家系に属する」の意の 'moccu / maccu [ Alti ]' と取りちがえた結果によるもの、という。つまりは単純な誤訳、ミステイク、ということになる。この廃れかけていた古い用法はたとえば『聖コルンバ伝( c. 690 − 700 )』にも出てくるという。言い換えるとこの moccu の「再定義」が起きた時期にアイルランド語話者によって書かれた作品ということになり、現存する『航海』の成立年代はこの「再定義」が生じた時代にほかならないだろう、としている。もっともこれは例外でして、シュティフター教授は全体的にひじょうに好意的な書評を書いている( セルマー本が刊行されたのは 1959 年なんだから、当然と言えば当然な話 )。

 ところが驚くのはまだ早かった。太古先生によると、これは一般読者向けに編まれた本で、より専門的な校訂版、つまり「決定版」が近いうちに刊行される、とのこと。でもいまだにそのようすはないらしい。もっともディレッタントなワタシとしては、現代伊語対訳じゃなくて、現代英語の対訳形式にしてもらいたいところではある。

 3). 冒頭部と終結部の比較:以下、セルマー本[ C ]と比較したものを転記しておきます( 赤字がセルマー本の本文、u / v の相違は無視、Carney, 1963 はすでにカーニーが指摘したセルマーの誤り、< > は C にある語句でオルランディ O にない語句、[ ] は O にあり、C にはない語句 )

● 冒頭部:

Sanctus Brendanus, filius Finlocha nepotis Alti / Althi, de genere Eogeni stagni Len regionis Mumenensium ortus fuit( Carney, 1963 ). Erat vir magnae abstinentiae / -nencie et in virtutibus clarus, trium milium fere monachorum pater. Cum esset in suo certamine, in loco qui dicitur Saltus Virtutum / uirtutis Brendani, contigit ut quidam patrum ad illum / eum quodam / quadam vespere / vespera venisset, nomine Barrindus / Barinthus, nepos Neil / illius( Carney, idem, 1963 ). Cumque interrogatus esset multis sermonibus a praedicto sancto patre, coepit lacrimare / -mari at / et [ se ] prostrare < se > in terram at diutius / diucius permanere in oratione / oracione. < At >Sanctus / sanctus Brendanus erexit illum de terra et osculatus est eum, dicens : “Pater, … ”

 聖ブレンダンはアルテの後裔フィンルグの息子として、オーガナハト・ロカ・レイン配下のムウの人の地に生まれた。偉大な禁欲の人で、数々の奇蹟と、三千人近い修道士の父としてその名はあまねく知れ渡っていた。その聖ブレンダンが、「ブレンダンの奇蹟の野」と呼ばれる地で霊的戦いをつづけていたある日の晩のこと。アイルランド教会の修道院長のひとりでニアルの子孫バーリンドと名乗る長老がやってきた。聖ブレンダンが矢継ぎ早に質問を浴びせると、長老は涙を流し、床にひれ伏して長いこと祈りつづけた。聖ブレンダンは長老を起こすと、抱擁して呼びかけた。

● 終結部[ いわゆる「ショートヴァージョン」で終わっている ]:

… < tunc uero >Acceptis de fructibus terrae et omnibus generibus gemmarum dimissoque benedicto procuratore et iuvene / , sanctus Brendanus cum suis fratribus naviculam ascendit / ascendit nauiculam et coepit navigare per medium caliginis. Cum autem pertransissent /, venerunt ad Insulam quae vocatur Deliciarum /. ibique trium dierum hospitium peregerunt. < atque > Accepta benedictione sanctus Brendanus recto itinere ad locum suum reversus est.

… この地の果実と、この地から産出するありとあらゆる宝石すべてを受け取ると、聖なる給仕と若い人に別れを告げて、聖ブレンダンと彼の兄弟たちは舟に乗りこみ、霧の只中を進みはじめた。霧を抜けると、彼らは「歓喜の島」にたどりついた。その島で 3日間もてなしを受けたのち、祝福を受けて、聖ブレンダンはまっすぐ故国へ帰還した。

 ほかにもたとえば「夏至の太陽に向かって[ Ch. 6冒頭 ]」とか「銀の馬勒[ Chs. 6−7]」、「鳥の姿をした中立な天使の来歴[ Ch. 11 ]」とか、比較検討してみたい箇所はいろいろあれど、日本語にしたときにはさして意味内容に変化なしというか、思っていたほど異同は少ない … という印象を受けたので、もっとも目立つ出だしと終章を引っ張り出してみたしだい。セルマー本では「聖人たちの約束の地」につづいて「聖ブレンダンの帰還と死[ Ch. 29 ]」で終わるんですけども、「祖型」にはそういう「最終章」はなかった、という見方でおおかた一致しているので、オルランディ / グリエルメッティ本はこの「ショートヴァージョン」を採っている。

 この物語最大の謎のひとつスカルタ( scalta, scaltas、Ch. 17 )については、グリエルメッティ女史はおもしろい仮説を立てています。最後に太古先生が不肖ワタシに紹介してくださったこの大胆な仮説( ?! )について、その転載を快諾してくださったので、以下に太古先生みずから訳された引用箇所をここでも紹介しておきます。

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 もはやほとんど現世を超越した次元に昇っているこの隠修士たちの島は、『航海』の解釈者に一つの奇妙な謎、たぶん意図したものではないだろうが、既に中世の読者を戸惑わせるような謎を投げかける:不可思議なスカルタ( scaltae )だ。土地は、樹も草も欠く環境だが( XVII 6 )、同時に白と赤のこの果実で覆われており、のちに旅人たちはそれを豊かな糧食として受け取る。この果実の例外的な大きさ(「大きな玉のような」XVII 30 )に対するブレンダンの感想は、基準となす現物をブレンダンも作品の読者も知っていることを前提とし、実際、アイルランドの別のテクストも scaltae または caltae に言及する。しかし、こうした背景にもかかわらず、この語がきわめて難解であることは、一方で『航海』の書写生の奇妙な間違いや注釈が、他方で、しばしばラテン語語彙をあえて翻訳せずに書き写す俗語訳者の書き替えが証明するとおりである。旅人たちに贈られるスカルタが赤だけであることも新たな謎である:ケルト的な神の知恵の色への想起か、あるいは、この場面の他の部分が典礼聖務であるゆえ聖体への想起か。多年の議論の末席にいる者として、あえて一つの仮説を提出したい。テクストが提供する情報と相容れる性質の植物として、corbezzolo「イチゴノキ」( 英語でstrawberry tree、時にIrish strawberry treeもしくは Killarney strawberry treeと特別化される )があり、ヨーロッパの他の地域にも分布しているが、アイルランド南西部( ブレンダンおよび多くの旅の物語の故郷 )に固有の種の一つである。リンネがつけたラテン語名 arbutus unedo は、その液果の美味しさに欠けるところに負うが、直径 1−2cm のなんとか食べられる実である:『航海』におけるこの果物の極上の味と目を見張る大きさは矛盾するものではなく、問題の島に存在する標本の例外性と完全に一致するものだ。もっとも重要な点、そして考えうる他の多くのベリー類からこの木を区別する点は、色に関わる特異な事実である:白に始まり赤に達する果実の熟成期間は 12 か月で、もっとも熟成した状態の果実が次の開花の果実と同じ時に見られる;言い換えると、同じ木が白と赤の果実をたくわえているということだ、島に広がっているスカルタと同じように。当然ながら、ブレンダンが受け取る贈り物が選ばれた一色であることと一致して、赤の果実だけが食用に適する。樹がなんであれ、一つの問題が未解決のまま残る:植物は( 少なくとも風に揺れるようなものは )ないとテクストは明言していることだ。おそらくアイルランドのイチゴノキが、習性として岩だらけの険しい場所でも岩の隙き間に生えるという事実も、この問題に答えるには充分ではない( 'Introduzione', pp. LXXI-LXXII )。

* ... オルランディ教授の先行論文の発表された 1968年は、比較神話学者キャンベルが代表作『神の仮面』シリーズ最終巻を世に問うたころでもある。論文は I 部と II 部とあり、I 部はラテン語版『航海』と『聖ブレンダン伝』の関係について書かれ、II 部では自身のゼミ生のために用意した『航海』本文を収録。

2017年05月15日

[ 緊急 ]WannaCrypt 情報まとめ

 なんでまたこういうハタ迷惑なもんこさえて世界中にバラまくんだろうか。いつぞやの MS Blaster のときも、あるいは Web サイトに飛んだだけで地雷を踏んでしまうみたいなほんとロクでもないものをこさえてるヒマがあったら … と嘆きたくもなるが、ひとりで愚痴ってもしかたないので、少しでもお役に立てればと思い、ここでも手短にまとめておきます( ついでながら、「ファイルを回復できますか? / 確かに」などというど阿呆な日本語表現を平然と書いてまで平和ボケな日本人からカネを巻き上げたいのか )。

運よく被害に遭ってない方Windows を最新版に … と言ってもとくに「 Windows 7 」の場合、頼みの綱の Windows Update がいつまでも終わらない … という症状の方も多いようです[このへんの使い勝手の悪さはあいも変わらず。「Windows XP のアップデイトでも何度か問題が起こった。この種のものは数日のうちにさまざまなメイルで通知されるので、3日ほど様子を見て、人柱が出なかったことを確かめてから実行するようにしている」と、さる文芸翻訳家先生が著書で書いていたけれども、まったく同感 ]。そういう場合は、

1). こちらのサイトに飛んで、使用中の Windows OS 用修正パッチを取り急ぎ個別に当てる[ 64 ビットシステムを使っている方 →「 Windows 7 for x64-based Systems Service Pack 1 」、32 ビットシステムの方 →「 Windows 7 for 32-bit Systems Service Pack 1 (4012212)」、スタンドアローン型インストーラーが立ち上がるので、指示に従ってインストール → 再起動 ]

2). お使いのマルウェア対策ソフト( Norton とか )の「定義ファイルパターン」を最新にする

3). 可能ならば、お使いの Wi-Fi / ブロードバンドルーターの設定で「 TCP 445 番 」ポートを塞いでおく

4). 最後に PC の HDD / SSD を丸ごとバックアップ、またはべつの HDD / SSD にクローニング( こうしておけばいつでも取り替えできる )

運悪く感染してしまった場合:下記専門機関サイトへ相談すること( ただし、感染した PC はネットワークから切り離し、べつの PC もしくはスマートフォン / タブレット端末で )。

IPA 情報セキュリティ安心相談窓口
Phone:03-5978-7509( 受付時間は平日の10:00〜12:00および13:30〜17:00 )
E-mail:anshin@ipa.go.jp

JPCERT/CC JPCERT コーディネーションセンター インシデント対応依頼

 以上ですが、やっぱり日ごろからこまめに丸ごとバックアップ、あるいはクローニング作業をしておけば、こういう想定外なトラブルが起きてもなんとかなる、と経験上言える( それと「不審な添付ファイルはぜったいに開封しない」という古典的だけどひじょうに重要な防御策もあらためて徹底する )。それと PC は複数台持っていたほうがいいですね。とくに不肖ワタシみたいに中古 PC 使いの場合はなおさら。いまはもうふた昔前とは比べものにならないほど PC の価格は日用品並みに下落しているので、複数台持つのはさほど経済的負担にはならないと思う( お古の DELL ノートには Linux が入っている )。

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2017年05月07日

ジルバーマン、トロースト、ヒルデブラント

 早いものでもう連休もおしまい、みたいな感じで相も変わらずゴタゴタしている不肖ワタシです。そういえば先月はこういうすんばらしい番組を放映してくれた NHK にはほんと感謝しかなし。とくにうれしかったのは動画配信サイトでもわりと露出度の高いフライベルクの聖マリア大聖堂ジルバーマンオルガンとかナウムブルクの聖ヴェンツェル教会のヒルデブラントオルガンだけでなく、ジルバーマン(兄のアンドレアスのほうではなく、中部ドイツで活躍し、バッハとも親しかったゴットフリートのほう)の建造した比較的小型の知られざる名器も紹介してくれたこと。あと、当然のことながら案内役の鈴木雅明先生はじめ、取材先の 3つのオルガンのオルガニストの顔ぶれとかお話とかが聞けてほんとうに得難い経験でしたね。

 最初に紹介されたフライベルクの楽器は 1714 年建造のもので、ゴットフリートがアルザスにあった兄さんの工房で修行したのち故国にもどって最初に手がけた大きな仕事の成果と言われている楽器。フランス趣味が混在する楽器ということもあり、鈴木先生の選曲( と演奏 )はたとえば「幻想曲 BWV.572 」とか「パッサカリア BWV.582」などこのオルガンにぴったりのもの(「パッサカリア」の成立年代は 1710 年代、バッハのヴァイマール時代なので、このオルガンとほぼ同時期の作品になる )。ところでここのオルガン、とくると昔買った日本コロムビアから出ていた PCM(!)録音によるハンス・オットーのこととか思い出すんですけれども、オットーさんはとうに故人になっており、現在のオルガニストは寡聞にして知らなかった。番組ではアルブレヒト・コッホという若い人が出てました。ここのオルガンの演奏台って基壇から一段下がっていて、なんかちょっと狭苦しい感じ … がしないでもない。

 つぎに出てきたのが、「ジルバーマンとは対照的な」トビアス・ハインリヒ・ゴットフリート・トローストの建造したオルガン( 1738 年完成、奉献は 1741 年 )で、丘を登りきったところに聳えるお城の付属教会にある楽器。番組でも紹介されていたから二番煎じなのだがバッハは 1739 年 9 月はじめ、ここの楽器を「試奏」している。以下、『バッハの街』という本からの引用になるが、これは非公式の訪問であったらしい。つまり新オルガンの公式な鑑定ではなく、トローストとバッハとのあいだでの個人的なやりとりであったらしい( 城館教会入口付近にはバッハ訪問を示す銘板があり、番組でもちゃんと紹介されていた )。上掲書によると、バッハは「楽器の構造に耐久性があり、それぞれのストップ群の特性と魅力がみごとに引き出されていると判定した」。絶賛だったわけですな( ただし鈴木先生によると、ここのオルガンの鍵盤は「ひじょうに重い」んだそうだ。いったいどんなすごい力で速いパッセージとか弾くんだろ ?? )。

 番組でも鈴木先生はここのオルガンの音色の特徴について触れながら、「いざ来ませ異邦人の救い主よ BWV.599 」の出だしを例にいろんな可能性があるよ、ということをじつにわかりやすく説明されていたけれども、これってたとえば翻訳にも通じる気がする。翻訳者は目の前の原書なり原文なりを前に「いかに」日本語文へと移し替えるかに腐心するわけですけれども、このプロセスはオルガニストがあれやこれやストップを引っ張り出し、さまざまな音色のパレットを試すのと似ている。ちなみにここのオルガンは「保守的な」ジルバーマンの楽器とは正反対に前衛的なストップが多く、ここのオルガニストのフェーリクス・フリードリヒ博士によるとフルート系と弦楽器系の、自然倍音を心地よく響かせる独奏に向いたストップが多いようです。

 最後に出てきたのが、お待たせしました、という感じのナウムブルクにある聖ヴェンツェル教会の大オルガン( 1746 )。ここのオルガンはバッハが生涯最後に鑑定した楽器でもある( ってこれもそうナレーションされてましたっけ )。ツァハリアス・ヒルデブラント( 1688 − 1757 )はゴットフリートの弟子だった人で、独立後、師匠とは仲が悪かったらしい。1746年 9月 26 日、師匠ゴットフリートとバッハはともにこの楽器の鑑定試験を行っているけど、ヒルデブラントを高く買っていたバッハはこの機会を利用して師匠と弟子とを仲直りさせようとした、という話もある( 上掲書著者は、当時のナウムブルク市参事会の記録からそう推察している )。

 ところでこの大オルガン( 実働 53 ストップ、3段手鍵盤と足鍵盤 )、「中部ドイツ型としては珍しく演奏者の後ろにリュックポジティフがある」というナレーションのとおり、そのパイプ列を収納したケースを演奏者が文字どおり「背負って」いるのですけれども、これってひょっとしたら「豪華なプロスペクトを新しいオルガンに採り入れること[ 上掲書 ]」が建造家ヒルデブラントに課せられた注文だった、というのとなんらかの関係があるのかもしれない( もっともこれはたんなる下衆の勘繰りかもしれないが )。プロスペクトというのはオルガンの顔、ケースを飾っているパイプ列のこと。ナウムブルクではバッハとジルバーマンの泊まった宿屋「緑の盾」のあった建物までしっかりと映されており、しかも「商館『赤い鹿』という新しい建物が造られた」という記述を裏付けるように「鹿」の意匠まで大きく映し出していたのは拍手もの(「緑の盾」は「赤い鹿」に建て替えられて現存しない )。

 でも「上手の手から水が」。せっかくこんなすばらしい番組放映してくれたのはありがたいかぎりだが、鈴木先生はうろ覚えで( これに関しては当方も常習者だから、人のことを言えた義理ではないことは重々承知のうえ )バッハ晩年の傑作「前奏曲とフーガ BWV.548 」を「二楽章のシンフォニー」と評した人物をシュヴァイツァー博士だったかな? と疑問符つきでコメントされていた。そこまではいいけど、裏も取らずそのまま字幕にするのはどうにも挨拶に困るところ。昔の NHK だったらきちんと校閲しているところだと思う( じっさいはシュヴァイツァーではなく、ブラームス[ 本日が誕生日 ]の友だちの音楽学者フィリップ・シュピッタ、ちなみに「『オルガン小曲集』はバッハの音楽語法の辞典」と古典的著作『バッハ』に書いたのはまちがいなくシュヴァイツァー。んなことだれが言ったっていい、なんて向きもいるでしょうけど、「NHK なんで」やはりこういうところはしっかり確認してほしい )。それにしても先生がごくごく飲んでいたあのリースリングカビネットの白、いいですねぇ、今夜はワタシも呑むぞ( ↓ は、ナウムブルク聖ヴェンツェル教会ヒルデブラントオルガン、弾いているのはここのオルガニストのダーヴィット・フランケ氏。ただ Organlive とかでこの楽器を使用した音源を聴くと、個人的にはここの会堂は少々残響時間が長すぎてワンワンしがちだと思う )! 


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2017年04月16日

[ ご参考までに ]iOS 10.3.1. 更新が途中で止まって焦った話

 ひさびさの記事ですが、手短に。昨今、信徒でもない人が大多数なこの国でなぜか移動祝祭日の復活祭( イースター )が盛り上がりつつあるなか、 iOS 10.3.1. 更新で思わぬトラップに入りそうになったこぼれ話です。いざ更新しようとしていきなりこういうトラブルに遭遇するとだれだってアセりますから、とりあえずほんのご参考までに( 2017年は本日が復活祭当日 )。

 じつは今年のはじめまで、iOS はあえて更新してなかったんです( 不肖ワタシは昨年より晴れて[ ? ]iPhone ユーザーとなりました )。理由は、前ヴァージョンに比べてなんと、バッテリーの持ちが悪くなってしまった、との報告があっちこっちで上がっていたこと。べつにこちとらは困ってないからとうぶんこれで行こう、なんて思っていたその矢先、しつこくポップアップする更新案内をスキップするはずが手もとが狂って更新をポチッとな。!!! と思ったがすでに遅く、だまって推移を見守るほかなくなり … しかもこのときはトラブル報告の出ていた「Wi-Fi 経由」での更新作業( iTunes につないで更新したほうがトラブルなし、との情報を得ていたので )。ええいままよ、でそのまんまほっといたら、小一時間くらいでなんとか更新じたいはぶじ終了。使ってみるととくにバッテリーの減りも気にはならず、まずはほっとした。

 というわけで今回、またもや「設定」アイコンに更新案内が出たときは、こんどこそ iTunes 経由で更新しようと意気ごみ、さて iTunes( もちろん最新版にしてから )更新を開始したら、黒地画面に「support.apple.com/iphone/restore」と表示されてウンともスンとも言わない。??? と思ってあわててトラブル情報を検索。するとなんと !! 安全策のはずの「iTunes 経由で更新」ではワタシのように( ? )上記画面で固まって動かなくなることがあるんだそうな !!! 

 そんなご無体な、と思ったがとりあえず iTunes を閉じてからケーブルを抜いて、強制的に電源を切った( 電源ボタンとホームボタン同時押し )。しばらくしてから電源を入れてもやっぱりおんなじそっけない黒画面のままだったので、恐る恐る iTunes を立ち上げてもう一度つなげてみました。するとやっぱりおんなじだったけれどもとりあえず認識はしてくれていたのでそのまま「更新する」をクリックしたらこんどは作業が再開されまして、あとは何事もなかったかのようにすんなり更新作業は完了、ぶじ最新版の iOS になって使えるようになりました。

 以上が今回のつまらないトラブルの顛末なんですが、ヘタすればせっかくの端末が「文鎮化」してしまいかねない事態だったので、OS やファームウェアの更新にはよくよくの注意が肝要だということをまたしても思い知らされたのであった。

[ 本文とまったく関係のない追記 ]:自室の掃除をしていたら、昨年暮れごろにクリッピングした切り抜きがいくつか出てきまして、そのなかに音楽評論家の先生が書かれた「サントリーホール 30 周年 / "成功体験" 地方に余波」と題された寄稿記事もありました。なんでも地方都市における音楽ホールは、サントリーホールが残した「成功体験」にこだわりすぎ、もっと立地条件や財政・運営面を精査して建設すべきで、「これはあくまで幸運な例外。基準にしてはいけない」。なるほどねぇ、とは思ったが、公共施設建設の一般的問題として、不透明な「随意契約」とかを一掃するほうが先なんでは、とも感じた( これはだいぶ前にも書いた公共ホールにおけるオルガン設置予算関係の話とも通じる )。税金で建てるものなんだから、モ、イラナインならべつにむりして作るべきじゃないですし、作ったはいいけど赤字つづき、では困る。で、記事でもオルガン設置の失敗例が出てきまして、「せっかく設置した回転式による 2種[ 正確にはルネサンス / バロック、ロマンティックの 3 種類のオルガンが入っている ]の巨大パイプオルガンを、白いスクリーンで覆い隠さなければ演奏が成立しない有名ホールがある。オルガンの設置で音が背面に抜けてしまい、音楽ホールとして使えないからだ[ 文中、柳瀬訳『ユリシーズ』を溶かしこみました ]」。

 この「有名ホール」って池袋西口のあのコンサートホールなんでしょうけれども、むしろあのホールのほうこそ「例外」中の例外じゃないのかな。コンサートホールでオルガンを設置したらかえって音響が悪くなった、なんて話は寡聞にして聞いたことないですし( 探せばあるかも )。「オルガン・コンサートはどこも赤字続きで、無料にしなければ人が集まらない厳しい現実にも、もっと向かい合うべきだ。残響が長すぎ、ピアノ演奏に向かないホールも少なくない」。

 静岡県にかぎって言えば、欧州の石造りの大聖堂よろしくワンワン残響がつづく、なんてところはまったく知らない。オルガンリサイタルについても、ようはやり方ひとつでどうとでも変わるんじゃないでしょうかね。これも前に書いたことですけどべつにバッハばっかプログラムに並べなくたっていい。「大きな古時計」だっていいし、「スター・ウォーズ」メドレーだって、アニソンや J-POP ( !! )だっていいんじゃないかな、かつてヴァージル・フォックスがやってみせたように、移動式コンソールを引っさげてばりばりのロックコンサート会場( ! )に殴りこみをかけてバッハの「トッカータ BWV.565 」を派手派手に弾き、最後はスポットライトを全身に浴びて「直立して」演奏を終える、なんて感じだっていいんですよ( もっともそんなスタイルの演奏をしてくれそうな太っ腹なオルガン奏者がはたしているかどうかはわからんが )。とにかくオルガンに親しんでもらうことが重要かと思われます。バッハはそれからでもいい。

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2017年02月27日

ブルーナ氏 ⇒ Afrojack ⇒ 雅楽とミニマル音楽

1). 「うさぎのミッフィー」で世界的に著名なオランダのイラストレーターで絵本作家のディック・ブルーナ氏が今月 16 日に逝去された。享年 89 歳。ミッフィー、けっこう好きでしたので、ちょっとさびしいですね。奇しくも『帰ってきたヒトラー』をまんま地でゆくような方が超大国の舵取り役に就任したばかりというこのタイミング( 「すべてはタイミングだった」とメアリ・ヒギンズ・クラークの『子供たちはどこにいる』の一節をふと思い出してもいた )での訃報だっただけに、いろいろと去来することが多かったのもまた事実でした。

 26 日付地元紙にはブルーナ作品の翻訳者だった東京子ども図書館理事長の松岡享子先生による追悼文が掲載されてました。また松岡先生は TV ニュースでもコメントされていて、先生のお姿もはじめて拝見したのであった。松岡先生、とくると、個人的には『くまのパディントン』シリーズを思い出す。以前にもここに書いたけれども、'Please look after this bear thank you.' を「よろしくおたのみします」とさらっと名訳されているのをはじめて目にしたときの衝撃はけっこうなもんでした( それはまだ湾岸戦争以前のことだったから、思えばずいぶん古い話 )。

 ピアニストがモーツァルトを引き合いに出して、「ああいうシンプルな作品ほどゴマカシが効かないから、じつは演奏家にとっていちばん恐ろしい」みたいなことを話すのをときおり耳にしたりする。ブルーナさんの描く絵も、一見、だれでも描けそうでいて、そのじつすこしでも線と線との間隔やバランスが乱れるだけでてんで似て非なるものになったりする( 嘘だと思ったら試しにミッフィー、母国オランダでは「ナインチェ・プラウス[ Nijntje Pluis ]」を描いてみるといい )。それとまったくおんなじことがやはり追悼文にも引用されていて、ブルーナ氏がいかに天才的なデッサン力を持っていたかについて言及し、「それだからこそ、子どもたちは、あの単純な絵の中にあたたかみとリアリティーを感じとり、くりかえし、くりかえし同じ本にもどっていくのだろうと思います」。ブルーナ氏の描き方では、まずあの「正面性」が挙げられますね。写真家ルイス・ハインとおなじ技法。感情移入しやすくする工夫の結果、「どんなときでも読者の方を向いている」スタイルに行き着いたんだろうと思われます[ → 松屋銀座でブルーナさんのデザイン展が開催されるみたいですよ ]。

 そして音楽界からも訃報が。S.S.、ポーランド(現ウクライナ)出身の名指揮者、というより世界最高齢現役指揮者、と言ったほうがいいかもしれないが、あのスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ氏もつい先日、米国ミネアポリスにて帰らぬ人になってしまった。享年 93 歳。ただただ合掌、そして音楽の喜びを届けてくれたことに対する感謝をこの場を借りて捧げたいと思う。

2). きのうたまたま耳にしたNHKラジオ第1の「ちきゅうラジオ」で、おなじくオランダの DJ、アフロジャックさんのことが取り上げられていたので思わず耳をそばだてた。なんでもアフロジャックさんてすごく有名な DJ で、このほど病気の子どもたちのために慈善イベントを開催して、集まった寄付金にさらにポケットマネー( もちろん、半端な金額ではない )を上積みして病気と闘う子どもたちの基金に寄付したんだそうだ。もっとびっくりしたのはオランダの子どもたちにとって DJ というのはあこがれの職業でもあり、なんと学校教育現場でも DJ 講座のような特別授業みたいなことも行われているだとか。こちとらもう唖然とするほかなし。なんでも「世界 DJ トップ 10」みたいなランキングで、オランダ出身 DJ がなんと 5人も入っているというからさらにおどろき。そういえばだいぶ前ここでもすこし言及した少年歌手デーミスくんも、いまじゃその DJ ですし。なるほどねぇ、と感心したしだいです。

3). そういえばおなじ日放送の「きらクラ!」。まずは新年度以降の番組続投決定、よかったですね。でもって「オザケン」こと小沢健二さんって、なんと遠藤真理さんとお友だちだったんですね … で、さらにびっくりしたのが、小沢健二さんの紹介したデニス・ジョンソンという人の 'November' なる作品。曲が流れるなか、「これ、ある音楽がそのまま模倣されているですよ、なんだかわかりますか?」ときた。ふかわさんも真理平師匠も「?」だったみたいでしたが、このときこれを聴いてた門外漢は「なんかこれ、越天楽っぽいなぁ〜」なんてぼんやり思っていたら、なんと「こたえは、雅楽なんです」とおっしゃっていたのにはほんとにびっくりした。小沢さんによるとこのジョンソン氏、その後ぱたっと作曲の道からはずれ(!)、しばらく音信不通ののち NASA の有人火星探査計画( !!! )関連企画に参加して、現在は「5, 6 m 四方の家で」過ごしているという … ??? うーむ、なんだか 21 世紀版『方丈記』みたいなお話だ。ちなみにこの 'November' は、ミニマル音楽のはしりみたいな作品らしくて、「いまこの音源を知っている人はほとんどいないと思います」。

 で、ここからが小沢さんのすごいところ。「ピアノというまったく異なる西洋の楽器でこのように演奏されるからこそ、もとの雅楽の持っていたすばらしさが際立つ」みたいな趣旨のことを発言されていたんです。然り! 話では武満徹氏のことも引き合いに出されていたけれど、武満作品がいかに西洋音楽っぽく作りこまれていても、鳴り響いてくるのはやはり日本らしさと言うか、日本特有の音の響きであり、こうして「翻訳」されるからこそ、それを聴いた向こうの聴衆や批評家は感動する … そのような内容を話されてまして、まったくもってわが意を得たり、みたいな気分に浸ってしまった( とくに翻訳[ ここ重要 ]、という言い方を使ってくれたことに座布団 100 枚!)。とにかくいいお話が聞けてよかった。再放送希望( 笑 )

追記:先月末、地元のくせして一度も行ったことのなかった世界文化遺産、韮山反射炉を見に行ってきました。バスが見当たらず、めんどくさいので伊豆長岡駅からテクシーで行った( わりと近くてよかった )。反射炉周辺の道路もすっかり「観光仕様」に整備され、案内標識も充実しているから迷うことなく現地到着。「韮山反射炉ガイダンスセンター」で反射炉生みの親、江川英龍(号は坦庵)とその子息のこととか年表とか展示を食い入るように見つめているうちに、英龍の5男坊の江川英武がわずか 10 歳( !! )にして家督を継いだこととかいろいろ見ているうちに不意に泣けてきた( 最近涙腺弱いなあ )。ガイダンスセンターを出て反射炉本体を眺めていると、地元韮山高校の女子生徒さんがヴォランティアガイドを務めてまして、その堂に入った解説ぶりとかはたで眺めていた不肖ワタシはとてもとても心強い思いがした[本文中、つまらない誤記があったので訂正しました]。

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2016年12月30日

Post-Truth だろうとなんだろうと、「すべては今日から」! 

 まずは関係のないマクラから。けさ聴取した「古楽の楽しみ / リクエスト・アラカルト」、いちばん印象に残ったのはルクレールの「ソナタ 第 11 番 ロ短調」とバッハの「フルート、オーボエとバイオリンのための協奏曲 ニ長調 BWV. 1064 a 」でした。ルクレールのほうはフルートソナタなんですけど、はっきり言ってこれ構成がパルティータ、組曲なんです。で、聴いているうちに、あ、これをそのまま鍵盤に移植したらバッハの鍵盤作品だと称してもじゅうぶん通用するな、と。いかにもフランス古典でござい、と思わせといて、じつはイタリア趣味満載だったりするところがおもしろかった。2番目のはバッハの「3台チェンバロのための協奏曲 ハ長調」の原曲復元、というか、編曲の編曲。で、岐阜県にお住まいのラジオネーム「やまあるきにすと」さんがリクエストしたのは、なんとなんと往年のマエストロ、ヘルムート・ヴィンシャーマン( まだまだご存命 ) !!! いや〜、なんという懐かしい響き !! 案内役の大塚直哉先生も言っていたけど、最近の古楽ではこの名前、ほんと聞かなくなった( リヒターもヴァルヒャも例外ではない )。2016 年最後にかかったリクエスト曲がこのようなすばらしい音源だったとは、これまたうれしいサプライズでありましたね。 本題。今年ほど、いろいろな分野の音楽家が物故した一年、というのはあんまり記憶にない。ちょっと思い出してみるだけでも中村紘子さん( 7.26 )、プリンス氏( 4.21 )、ピエール・ブーレーズ氏( 1.5 )、デヴィッド・ボウイ氏( 1.10 )、以前ここでもちょこっと書いたマーラー研究家で実業家のギルバート・キャプラン氏( 1.1 )、キース・エマーソン氏( 3.10 )に、おなじ ELP のギタリストだったグレッグ・レイク氏( 12. 7 )、サー・ネヴィル・マリナー氏( 10.2 )、そしてニコラウス・アーノンクール氏( 3.5 )… 直近でいちばんびっくりしたのは、キャリー・フィッシャーさんと、「雨に唄えば( 1952 )」の名演で知られる母親のデビー・レイノルズさんがあいついで亡くなられたことですね … 心よりご冥福をお祈りします。往年の SW ファンとしては次回作が気になるところだが、すでに「エピソード8」は収録済みなんだそうです。最終作は … いったいどういう展開になるのだろうか? 翻訳関連では『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』などのジョン・ル・カレのエスピオナージュものの邦訳で知られる村上博基先生も不帰の人になっている( 4.30、享年 80 )し、ここでも取り上げた柳瀬尚紀先生も逝去された( 7.30 )。 不肖ワタシは以前、のら(?)の子猫ちゃんを動物病院に連れてゆく展開になりまして、しかたないから移動中の車中では自分の膝の上に乗っけてたんですけど、病院到着前、なんか心なしか「ふっ」と子猫の体重が軽くなったような感覚が。そのときはあまり意識してなかったんですけど、まさにそのとき、子猫は天に召されたのであった。なので、魂とか霊魂とかいうのは確実に存在すると確信するようになった。だってげんに「軽く」なったんですもの。生命あるものにはそのエネルギーを吹きこむ「なにか」が、確実に存在する( inspire という動詞のほんらいの意味は、「息を吹きこむ」)。そういえばこういう番組も先だって見ました。 なんでまた音楽関係の著名人の訃報やら、子猫の話を持ってきたかというと、ここ数年ずっとそうだろうけれども、子どもたちの自殺がほんと後を絶たないからでして … いちばん個人的に心痛めたのは青森の女子中学生の件ですかね …… なんでこうも自分の命を粗末に扱うのかってほんとうに口惜しい。「線が細い」とかって言い方があるけど、たかが十何年生きただけでかんたんに死ぬなよ、と声を大にして言いたい。この件についてはいろいろ言いたいことがあるが、あんまりここで喋々してもしかたないだろうから、ひとつだけ。やっぱり親御さんの責任は大きいと思う。べつに責めるつもりは毛頭ないが、わが子の自尊心というか自分を大切にする心というのが、けっきょくはそれだけのものだったのではないか、とつよく感じられるからです。自分の子どもに遠慮なんかしてどうするのですか。「サザエさん」じゃないけど、もっとおおっぴらにやりあうくらい膝突きあわせて徹底的に話しあうとか、そういうことさえなかったのでは、と思ってしまう。学校の先生を責める前にもっとやるべきことはあったんじゃないのかな( もっともハレンチな論外教師は今年も相変わらずけっこういましたが … )。
もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。
昨年の夏休み期間だったか、こんなツイートが話題を集めたことがありました。なるほど図書館ねぇ、と思ったもんですが、逃げ道を作る、という知恵はこういうときにこそ発揮すべきで、たとえば図書館とか物理的な場所ではなく、「他者に邪魔立てされない、自分だけの神聖な時間を作る」ということだっていいわけです。あっさり電車に飛びこんでしまう勇気があったら、なにかひとつ夢中になれるものを見つければいい。きっとそれがその子の命を救うことになるし、結果的に「全世界も救われる」ことになる … かもしれないのですよ。「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ( 「マタイ 10:16」 )」というイエスの名言もありますし。とにかく生きること、これに尽きる。生きているだけでいいんです、あとはなんとかなる( ついでにキャンベルふうの物言いを又借りしてくれば、大金持ちだろうと貧乏人だろうと中間層だろうと、自分の思い描いたとおりに生きている人なんてひとりもいやしないんです )。 それにしてもこの一年ほど、人間のことばの持つ力のブライトサイドとダークサイドを見せつけられた年があったかな、とあらためて感じる。たとえばこういうのはどうですか。あるいはまたこちらの記事とか( こっちは今月 23 日付地元紙コラムにも取り上げられていた )。もうこうなるとこちとらは空いた口が塞がらない、いや、背筋がぞっと寒くなる。これじゃいつぞやここで書いたオルテガの『大衆の反逆』じゃないですか、いやこれこそ「帝国の逆襲」なのかな。
… すべての人々が、新しい生の原理を樹立することの急務を感じている。しかし ―― このような危機の時代にはつねに見られることだが ―― ある人々は、すでに失効してしまった原理を、過度にしかも人為的に強化することによって現状を救おうと試みている。今日われわれが目撃している「ナショナリズム」的爆発の意味するところはこれである。…… 最後の炎は最も長く、最後の溜息は、最も深いものだ。消滅寸前にあって国境 ―― 軍事的国境と経済的国境 ―― は、極端に敏感になっている。―― オルテガ・イ・ガセット / 神吉敬三訳『大衆の反逆』ちくま学芸文庫版、pp. 261 − 2
 地元紙コラムはかつて先輩記者に口酸っぱく言われたこととして、「事実と憶測を混同するな」を挙げています。いまは一見すると、かつては考えられなかったくらい多種多様な情報がそれこそ全世界から入ってきて、あるいはいま自分のいる場所から全世界に向けて発信できたりして、30 年ほど前に喧伝されていたような「高度情報化社会」になったかのようにも見える。でもそのじつ、以前ここでも書いたマッキベンの言う「情報喪失の時代」に生きているのではないかという思いがますます募るいっぽう。その最たるものが、ついったーでしょうかね。言い方は悪いが、次期米国大統領閣下は従来メディアへの対抗手段として、「特定のニーズを満たし、特定のニーズにのみ届く」という SNS の長所でもあり短所でもあるこの点を巧みに突いて利用( 悪用 ?? )しているだけなんじゃないかって気もしますね。ついでに個人的に Twitterというシステムが気に入らない。あれはどう見ても「中央集権的」構造で、「 PPAP 」みたいな例はまあよしとして、けっきょくのところジャスティン・ビーバーかトランプか、発言力のつよい人に大多数を追随させるようにできている。ひところネットで「フラット化」が進む、なんてもてはやされたりもしたが、フタを開けてみたらちっともフラットじゃなかった、ってことですかね。 人間のことばの持つ魔力にいちはやく気づいていたのは、われわれじゃなくて太古の人間だったと最近、ほんとに痛感します。いまの人は「即時性」を求めるあまり、平気で他人を傷つける暴言をツイートし(「 … 落ちた日本死ね」)、また波平さんみたいなうるさ型オヤジが激減( ?! )したせいかどうかは知らぬが、どうでもいいことをわざわざ物議を醸すような物言いで垂れ流す御仁も老若男女問わずゴマンといるのも事実。トイレの落書きにもならないような繰り言を全世界に放って、あとは知らない、では話が通らない。そう言えば先月だったか、英オックスフォード大学出版局の選んだ「今年の漢字」ならぬ「今年の単語 Word of the Year 」に PPAP じゃなくて「脱構築」でもなく「脱真実 Post-Truth 」を選んだんだそうです。post-truth とは言い得て妙、かな? 英語の世界にまたひとつ新顔の仲間入りということか( ちなみに昨年は Face with Tears of Joy、嬉し泣き顔の絵文字[ ?! ]だったようでして )。 その点、たとえば古代ケルト人とか昔の日本人( ことだま )はちがっていた。とりわけ言語感覚が鋭かったのはケルト人だったような気がします。フィリ filidh と呼ばれていた知識階級( 古アイルランド社会においては、「紀元 7 世紀ごろにはすでにフィリたちがドルイド階級の職務と彼らの特権を引き継ぐ事実上唯一の後継者[ P. マッカーナ ]」となっていたらしい )。当時のアイルランドでは、フィリの放つ「ゲッシュ」、もしくは呪いにはほんとうに人を殺す力があると信じられていた( 呪いで相手をやっつけた、という話が多く存在する )。われわれはどうなんだろう? 人間のことばの持つ恐ろしさを肌で感じているだろうか。人間のことばにはたしかに鎌倉の図書館員さんのツイートのような温かい励ましもあれば、その真逆の人を絶望の淵に追いやり、その人の生命を奪うか、あるいは逆上して他者の生命財産へと矛先が向かうことだってある。またプロパガンダというたぐいのことばもある。この点で次期米国大統領閣下におかれましては、やってることは ISIS とたいして変わらない、ということになる( もっともむずかしいこと、それは「汝自身を知れ」)。この手のカルトについて、沼津市出身の小説家、芹沢光治良氏はこんなことを書き残してもいます。
いろいろ新しい宗教や信仰が、現在、さかんのようだが、それは、人間がつくった神で、祈ったからとて、何の力もない。他に神があるように説いて、信仰をすすめる者が多いが、それは、そう説く者の、私利、私欲によるもので、神とは全く関係ないので、愚かにも惑わされては、恥である ―― くどいようだが、重大なことであるから、重ねて言うが、神は、ただ、大自然の親神しか、存在しない。他に、神名を挙げる者があっても、それは、人間が勝手につくった偶像で、神でないばかりか、ただのお話にすぎないのだ ――『大自然の夢』1992、p. 191
 そんな世相を察知したのか(?)、はたまた現代のフィリということなのか、今年のノーベル文学賞があの「風に吹かれて」のボブ・ディランさんに決まったのは、なんか当然の成り行きだったような感じがした。
How many roads must a man walk downBefore you call him a man?...... Yes, ’n’ how many times must the cannonballs flyBefore they’re forever banned?The answer, my friend, is blowin’ in the windThe answer is blowin’ in the wind
 こういう時代だからこそ、やはり批判的に物事を考える習慣というのは大事なんじゃないかって思われます。「こたえは風に吹かれている」。ちょっと目を凝らせば、おのずと取るべき道が、こたえが見えてくるんじゃないかって気がしますね。 … とここまでつらつら勝手なことを書いてきたけれども、本年最後もやはり、珠玉のことばの花束で締めたいと思います。
… 日本人は道義心がつよいし、責任感もつよい。だがそのつよさゆえに、自分自身の人生に振り向けるべきエネルギーを奪われてしまっている。日本人は、課せられた仕事に対するのとおなじくらい、自分の人生を愛してほしい。自分と家族、あるいは友人たちと好きなことをして過ごす時間を大切にしてもらいたい。…… 人は、発展するために生まれてきたのではない。幸せになるために生まれてきたのだ。―― ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領( TV 番組のインタヴューからの抜粋なんですが、これホントにすばらしい、感動的名言だと思う )

…… われわれは独力で冒険を挑む必要さえない。あらゆる時代の英雄たちが先に進んでくれたからだ。もはや迷路の出口はすべて明らかにされている。われわれはただ英雄が開いた小道をたどりさえすればいい。そうすれば、かつては恐るべき怪物に会うと思っていたところで神に出会うだろう。そしてかつては他人を殺すべきだと思っていたところで自我を殺すことだろう。まだ遠くまで旅を続けなければと思っていたところで、われわれ自身の存在の中心に到達するだろう。そして、孤独だと思い込んでいたのに、実は全世界が自分と共にあることを知るだろう。―― ジョーゼフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』( 飛田茂雄訳『神話の力』、早川書房刊 )

…… 首尾よくドイツ文学科の学生となった僕は、当然のことながら日々ドイツ語との苦闘を強いられることとなった。そんなある日、僕の心を鮮烈に捉えたドイツ語が、… 「アプ・ホイテ」であった。初めて目にして声に出した瞬間、なんともユーモラスな感じがしたのと、何度も口ずさんでいるうちに妙に楽しく愉快な気分になってきた。"今日から" "アプ・ホイテ"、そうだ、すべては今日からだ !! ―― 児玉清『すべては今日から』p. 239
Alles beginnt ab heute !! すべては今日からはじまる !! 来たる年はこれで行きましょう! [ 上記ドイツ語表現についてはベルリン在住の方に校閲してもらいました ]

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2016年12月25日

「ラスコー展」⇒ パリ木 ⇒ 「鏡の中の鏡」

1). 本日はなんともう( 早 !! )クリスマスじゃないですか。ここんとこいろいろヤボ用が立てこみ、また部屋の整理ついでに National Geographic 日本版など古雑誌や古本やらを整理し( 以前、神田の古本屋さんでティム・セヴェリンの「ブレンダン号の航海」特集号を買ったりしたけど、いまじゃ買い取りしてくれる古書店にお伺いを立ててもこの手の雑誌系は相手にもされない。写真とか付録地図とか、けっこう価値ありだと思うんですがね、雑誌の売れない時代のせいなんですかね )、息つく間もなかったような、今日このごろ。

 でもまあ風邪も引かずにここまでなんとかやってこられまして、そのことに深く感謝しつつ、ひさしぶりにお上りさんで先日、かねてより興味のあった「ラスコー展」を見に行ってきた。なんとかいう TV ドラマのせいで(?)、平日でもけっこう混んでるかも、なんていうビッグデータ解析サイト(!)の予測なんかも参考にはして出かけたんですけど、それはみごとにはずれまして会場にすんなり入れました。なるほど、こりゃすごいです。なんせ3万年も前のクロマニョン人の描いた洞窟壁画を精密な3Dレーザースキャンによる測量( 最近はハンドヘルド型で持ち歩きながら自在にその3次元空間のレーザー測距ができる座標測定マシン[ CMM ]というすごい機械もあるから、さらにびっくり )して忠実に再現したラスコー壁画のレプリカ展示は、圧巻( そういえばさっき見た「日曜美術館 / アートシーン」でも紹介されてましたね )。

 レプリカ展示もよかったけど、貴重な出土品の数々 ―― ランプ台、矢じり、フリント石器、本邦初公開というトナカイの角に彫りつけた「体を舐めるバイソン」や「馬の彫像」… もすごかったが、もっかキャンベル本( Goddesses )を読んでる身としては、なんといってもイタリアの遺跡から出土したという「ヴィーナス像( 34,000−25,000 年前 )」には文字どおり刮目させられた。いわゆる日本の「土偶」体型。典型的な大地母神のイメージが、はやくもこの時代にみごとに表現されていることに驚かされました。

 驚いた、ということでは最後の「後期旧石器時代の日本」に関する展示でもちょっとしたサプライズが。「初音ヶ原遺跡の世界最古の落とし穴」と紹介されていた地層剥ぎ取り断面図の写真パネル。ええっと思いましたよ、わりと近所の遺跡だったので( 苦笑 )。こんなとこでお目にかかるとは、ずいぶん遠回りしたような気分でもある。

 でも隣り合わせに展示されていた「東野遺跡の発掘ピット」の写真パネルは、ちょっとよくわからない。長泉町の東野地区にある遺跡のことなのかな? あそこはベルナール・ビュフェ美術館とかヴァンジ彫刻庭園美術館とかが建つ「クレマチスの丘」という複合文化施設のあるところでもあるけど … それはともかく、初音ヶ原遺跡の落とし穴って世界最古級なんだ、それはまったくの初耳。ラスコー洞窟壁画に話をもどすと、生き生きと描かれた牛や馬、バイソンや鹿、ライオンなどの動物群の壁画もすばらしかったけれども、なんといっても印象的だったのはやはり「トリ人間」ですかね。

2). 上野でラスコー壁画の世界を堪能したあと、こんどは「パリ木」を聴くため東京芸術劇場( 芸劇 )へ。ここに来るのもまたひさしぶり。NHK(?)か知らないが TV カメラが入っていて、開場時間になってもぐずぐずしていて入れなかった( 中継が入るとたいていこうなる、1999 年の王子ホール公演のときもそうだった )。今回はア・カペラ歌唱で知られるパリ木にしてはこれまた珍しく、オルガン伴奏つき! なのです( だから行くことにした )。芸劇コンサートホールの「回転オルガン( !! )」は、今回は白いタケノコをスパっとたてに切ったようなデザインのロマンティックオルガン面でした。

 パリ木( PCCB )の来日公演を聴くのもひさしぶりだったんですが( 前回は東京カテドラル聖マリア大聖堂[関口教会]での公演で、そのときはヴェロニク・トマサン女史という方が指揮者だった、現在はヴァンサン・カロンという若い方 )、'90 年代の公演スタイルとはかなり様変わりしていてある意味とても新鮮でした。「古参」ファンのなかには「グレゴリオ聖歌ばっかじゃかなわない、アンケートで抗議しようか」なんてことをつぶやく人もいたようだが、 べつに来日公演だからってムリしてまで日本語で日本歌曲を歌うこともないんじゃないでしょうかね。前にも書いたことながら、日本語の歌詞をもっとも美しく歌い上げられるのは、日本の子どもたちですし。ただ、団員の子たちによる曲目紹介くらいはあってもよかったかも。前半の締めがバッハの「ヨハネ受難曲」終結コラールというのもパリ木としてはひじょうにめずらしいプログラムだったけれども、なんといっても印象的だったのは当日オルガンを弾いていた現芸術監督のユーゴ・ギュティエレス( Hugo Gutierrrez )氏みずから作曲した「アニュス・デイ( 神の子羊 )」。この合唱のハーモニーはほんとうに感動的だった。とくに終結の 'Dona nobis pacem, PACEM, PACEM!' の連呼が ―― 昨年から今年にかけて、凶悪なテロ事件に揺れた欧州の人々を慰めるかのような清冽なフォルテで何度も繰り返されるこの「われらに平和を!」は、ほんとうにすばらしかった。でもあいにくプログラムノート( 書き手はなんと「古楽の楽しみ」の関根敏子先生だ !! )は「 … 中世のミサ曲からパリ木の芸術監督ギュティエレスが編曲しています」とずいぶんあっさり終わっているため(?)か、パリ木団員たち渾身の「思い」がいまいち聴衆に伝わっていなかった気がするのはすこぶる残念( 平和ボケ、とは言いませんが、こういう作品こそ反応してほしいところではある。歌っている団員たちの顔にも切実な思いが現れていた )。そういえばこの時期の定番でもあるような「カッチーニのアヴェ・マリア」も歌ってくれました。この作品については、先日放映のこちらの番組で加羽沢美濃さんが作曲家としての鋭い指摘( マイナーコード → メジャーコード … というコード進行は、初期バロックではありえないこと )も交えて解説してましたね。そもそもカッチーニは教会音楽家じゃないから、たしかにありえない話ではある( 'Ave Maria ...' のみの歌詞ってのもことさらにありえない )。最近はしっかり「ヴァヴィロフ作曲 / 編曲」と但し書きされて紹介されることがふつうになってきたから、これはけっこうなことだと思う。レーベル会社や招聘元も誤解を招く言い方ないし表記はそろそろ改めるべきでしょう。

3). パリ木の少年たちの清純な歌声とフランスのオルガン音楽( 当日はギルマンとデュプレのオルガン曲も演奏されて、こちらも大満足 )をたっぷり精神と肉体に取りこんで( 笑 )、最後は音楽そのものについてちょっと書きたいと思います。

 先日、地元紙に「世界を翔るタクト」連載中の世界的な指揮者・山田和樹氏が、「音楽のすばらしさは、技術的なうまい・へたを超えたところにある」という趣旨のことを書いていらして、わが意を得たり、と思いました。そんな折も折、愛聴している「きらクラ!」のあのふかわりょうさんがピアノ、遠藤真理さんがチェロでアルヴォ・ペルトのあの「鏡の中の鏡」を演奏してくれたことは( ワタシだけじゃなく、全リスナーがそう感じていたであろうと思うが )ほんとうにうれしいサプライズでした。フーマンさん、Danke schön !! 

 ヴァヴィロフの話じゃないけど、音楽作品にかぎらず芸術作品というのは作者の手を離れて、リスナーや読み手のものになった瞬間、もう作者のものではなくなる( と思う )。だれが作ったのかという真贋論争というのもたしかにそれはそれで大事なことですけど、芸術が人の心に呼び起こす感動というのはプロとか素人とか、それでカネ稼いでいるとかいないとか、そんなこととはまったく関係のない次元の話であって、ワタシはとくに音楽作品そのもののもつ「価値」を最重要視するほう。だからきょくたんな話、プロの名演であろうがちょっと足取りの危なっかしい子どもの演奏だろうが、しぜんと感動を呼び起こすのがホンモノの音楽作品、芸術のもつ底力なんじゃないかって気がします。みなさまもよき( そしてなによりも平和を !! )クリスマスと新年を。

posted by Curragh at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連