1). けさの「バロックの森/リクエスト」は大バッハと息子たちの作品がかかりました…出だしの「ふたつのバイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV.1043」、これひさびさに聴きまして、感動をあらたにしました…とくに「ラルゴ・マ・ノン・タント」の中間楽章が大好き。二丁のヴァイオリンが丁々発止といった緊迫感あふれる掛け合いが「ヴィヴァーチェ」の第1楽章の聴きどころとすれば、第2楽章での二丁のヴァイオリンのやりとりはため息が出るほど美しい。天国…というのがいったいどんな場所なのか、は召されてからのお楽しみでしかないのですが(? 、地獄行きもしくはリンボー行きなんて言わないでね。レトリックですので)、この第2楽章の二丁のヴァイオリンの調べはまさに「天上の音楽」というのはこんな感じなのではないのかと思わせてしまうくらい、じつに美しい、と思う。朝の目覚めにはまさにぴったりですね(現存するのはソロおよび通奏低音のパート譜のみ)。最後にかかった「オルガンのためのトリオ・ソナタ BWV.530」ももちろんすばらしい作品、というか、恐るべき難曲。でも「ひとり室内楽」をただ聴いているかぎりでは、そんなことみじんも感じさせない、バッハにしてはわりと「とっつきやすい」作品のように感じます。
今週の番組テーマは「追悼の音楽」で、たとえばブロウの「ヘンリー・パーセル氏の死を悼むオード」などを聴くと、やはり最愛の弟子を突然、失った師匠の深い悲しみと衝撃がずしりと伝わってくる。パーセルの葬儀の場へタイムスリップしたかのような感覚に襲われます(パーセルの死因ははっきりしていないようですが、一説によると結核らしい)。
…そういえば今日のお昼時に放映していた「世界ふれあい街歩き」はリンツでして、もちろんあのザンクトフローリアン修道院教会も紹介されてました…あそこの大オルガンの真下に、アントン・ブルックナーが眠っているのですね。りっぱな棺も映し出されてました。リンツ中心部から15kmも離れたところにあるんですねぇ。
2). ところであのツタンカーメン王墓はようやく修復される運びになったみたいですね。先日の地元紙夕刊紙面にリンク先の画像とおんなじ写真とともに載ってました。修復作業がはじまると…当分のあいだは公開停止になるのかな? この墓は「特別料金」で、王家の谷入り口で入場料を払っただけではダメで、墓の入り口にてさらに見学代金を取られるそうです。現在もなお貴重な「第一の人型棺」が残されている墓所でもあるし、そのお金が墓の維持管理に使われているのであれば(たぶん)、「特別料金」扱いはしかたないでしょうね(それにしても「玄室」の床面ってずいぶんボコボコしているんですね…手前に見えているのは石棺のふた。真ん中で割れているのはもとからで、たぶん突貫工事でこさえた花崗岩のふた[石棺本体は石英質の岩]がなんらかの理由で割れてしまったらしい。割れた部分はセメントでつなぎあわせてある)。それと「カーターハウス」もこのほど修復され、いずれは一般観光客向けに公開される計画だという。希望者はなんと宿泊もできる!! カーターの亡霊とかが出そう(?)ですが考古学好きにはたまらないかも。
…と最後にまったく関係ないヨタ話のたぐいではありますが、手短かにガス抜きを。先ごろ明るみに出た超有名な脳科学者先生の申告漏れの件。ご本人は担当している番組サイトにて「予想以上に仕事に追われ、確定申告する時間がなかった」とか釈明しているそうですが、脳科学を専門にしている方にしては釈明にもならない釈明ではないですか。それだったらていどの差こそあれ、だれしも忙しいじゃないですか。額も途方もないし(一般的な一庶民から見れば)…いままで税理士に頼まなかったというのが、不思議といえば不思議な話ではある(たしか「雑所得」って年間20万円以上になると確定申告が必要になると思った)。そういえば先生は今年のLFJのアンヴァサダー(?)だったかしら、そういう役回りも務められていて、『音楽の捧げもの』という新書本まで書いて、御著書は会場に山積みされて売られていた。先生も大のバッハ好きらしいから、たぶん内容はすばらしい…のでしょうけれども、この「申告漏れ」の話を聞いたときは、正直、あきれた。
…けさ見た「オバマ大統領の演説(あのサントリーホールを貸し切り!!)」は、やはり「語られることばの力」を感じた。だれかさんの言い方をそっくりそのまま引用して感想を要約すれば、「やっぱりオバマは演説がうめーなー」でした。
2009年11月14日
2009年11月08日
「大聖堂の雀たち」にコープマン
1). 先日の「芸術劇場」は、ひさしぶり! にオルガンリサイタル、それもあのトン・コープマン! とあっては、見ないわけにはいかない(笑)。その前に放映していた、ズビン・メータ指揮ウィーンフィルによるベートーヴェン「7番」ほかもすばらしかった。「7番」は全体的にテンポが気持ちちょっと速いかなとも感じたけれども、若い指揮者のように勢いに乗って突っ走る心配もなくて、聴いていて気持ちのいい快演でした。さすがは名門ウィーンフィル。SS席(?)なんか、さぞかし高かったんだろうな…でもテジタルハイヴィジョン対応受像機に買い換えたせいか、音楽番組はほんとすごい臨場感です。まるで会場にいるみたいだ。いままで見ていたのはいったいなんだったのだろうと…。写真で言えば、「'写るんです'からいきなり4x5インチの大判フィルムに切り替わった」ような、そんな感じです。
で、つぎのコープマン。昨年9月の来日公演からでして、楽器は東京オペラシテイ・コンサートホールの大オルガン(大阪ザ・シンフォニーホールとおんなじスイス・クーン社の楽器)。この人の演奏の最大の特徴は、「弾いているのはオルガンなんだけどチェンバロみたいに弾く」こと。なのでチェンバロっぽい語法(奏法)が随所に出てきて、聴いていて理屈ぬきに楽しい。装飾音も、ほかの奏者とくらべてひじょうに多いですし。見入っているうちに、2005年11月の静岡音楽館AOIでのオルガン・チェンバロコンサートのこととか思い出してしまった(そういえばあのとき、ティニ・マトー女史との二重奏で「フーガの技法」から数曲、弾いてくれましたっけね)。コープマンは巨匠レオンハルトの弟子のひとりでもありますが、その派手な演奏スタイルはおなじオランダ人の師匠とはまるでちがう。だからなのだろう、若いときにヘルムート・ヴァルヒャの後任として独アルヒーフレーベルからバッハのオルガン作品全集を出すはずだったのが、あまりの新奇さ(?)に保守的なアルヒーフ側が難色をしめしてあえなくお蔵入りになってしまったという話もあるくらい。
若いときの録音にくらべていまのコープマンはゆるぎない演奏様式を確立して、親しみやすさとともに堂々たる風格も感じられます。親しみやすい演奏とくると、たとえばサイモン・プレストンなんかもそうですね。でもいかにも英国人らしく几帳面さが前面に出ていて、少々のミスも気にしない(?)コープマンとはやっぱり「親しみやすさ」の中身がちがう。レジストレーションも奇をてらったところがなく、各旋律線をくっきり際立たせることに重点が置かれていることがよくわかります。
「チェンバロのように弾く」コープマンの演奏スタイルは、プログラムにもあった北ドイツオルガン楽派の雄、ブクステフーデとかがぴったりです。そしてこの人の弾く「小フーガ BWV.578」はたぶん最速(笑)。3分くらいで弾き終わってしまうので、カップ麺のあたため時間として使うとちょうどいい(冗談です、もちろん)。でもページには「バッハを中心に…」とあったけれども、ブクステフーデのほかにはクープランの「修道院ミサ」とかあったし、バッハ作品はたったの二曲しかなかった(「小フーガ」と詩人中原中也が大好きだったという「パッサカリア ハ短調 BWV.582」)。
2). けさの地元紙朝刊の教育欄に、あの郎朗がなんと子どもたち相手にピアノレッスン! をしたという話が掲載されていて、ちょっと驚いた。でも記事を読んで納得。郎朗自身も、――重複失礼――「トムとジェリー」の「ピアノコンサート」でトムがリストの「ハンガリー狂詩曲 第2番」を鮮やかに(?)弾きこなすのを幼少時に見たことが、ピアノへの憧れをもつきっかけだったというくらいですから、「子どものときの音楽体験」をとくに重要視しているらしい。そんな彼なので、このような企画もたしかにうなずけるお話ではあります。また彼はこうも言ってました。「親の強制はダメだ」と。「親の期待でピアノが強制されているとしたら、それは音楽教育ではありません。心からピアノが好き、だから楽しみながら演奏できるという純粋な気持ちを持たせることが大切です」。今後は小中学校にも出張する計画だとか。おおいに楽しみですね(→主催者サイト)。
3). 「世界ふれあい街歩き」という番組。これけっこう好きなんです。こういう番組が作れるのがNHKのいいところ。もっとも放送じたいは終わっていて、再放送なんですが、たまたま見た南独の古都「レーゲンスブルク」の回。期待はしてなかったけれどもなんと、あの「レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊」のめんめんも登場! これはちょっと驚いた。彼らの通う学校(ギムナジウム)も紹介されてました。たしか本放送のときにも途中から見たおぼえがあるけれども、彼らについは記憶がトンでいるから、登場場面のあとから見たんだろう。2004年夏に来日したときにアルトパートを歌っていた子だと思うけれども、「トップの雀たち(聖歌隊の少年たちは、Domspatzen=「大聖堂の雀たち」という愛称で呼ばれている)」として練習のこと、みんなと歌うことが好きでなければならないこととか、ほかのひとりとともに聖歌隊活動についてしゃべってました(当然のことながら、背丈はずいぶん伸びていて、体つきもたくましくなっている)。紹介していた子はソプラノパートのオスカルくんという年少隊員さん。最後のほうで彼も練習に加わって歌ってましたが、とてもさわやかな、「雀のさえずり」にも似たソプラノヴォイスでした。「ぼくたちは毎週日曜日に歌ってますから、ぜひミサに参加してください!」とアピール。また「大聖堂の雀たち」はWSK同様、二種類の楽器演奏ができるようになることが必須事項のようです。
余談ながら、レーゲンスブルクも昨今の日本同様、ゴミ問題とか治安の問題とかいろいろと抱えているようです。ゴミ問題では、番組でも登場していた「インディアン」なる渾名の男性。この方、旧市街外れにあるゴミ捨て場だったところを、なんとたったひとりで緑あふれる菜園に変えてしまったというすごい方。「市当局は見て見ぬふりさ」と見物人のひとりが言っていたように、いまやこの人は市民にとっては英雄的存在になっているらしい。と、ここでつまらない疑問が…この人、どうやって生活しているのかな? 番組で見たように、採れたての新鮮な野菜と引き換えに、応援してくれるみんなから入り用のものを「物々交換」してもらって生活してるのかな? 畑の脇にはテントみたいなものもあったし…でもこういうやりとりってすばらしい。子どもたちにも人気があるみたいだし、金がすべてみたいないまの世の中、こういう大人がひとりくらいいてもよいと思う。
また大聖堂聖歌隊がらみではさるOBが、聖歌隊の送迎用の車が盗まれたとかこぼしていたのを以前、Almost Angelsというサイトにて読んだことがある。欧州の失業率もひどいし、いまも治安状況はけっしてよくはないだろう(番組でもそこここに落書きが写っていた。でも旧市街地区は世界遺産に指定されているから、車の乗り入れができないのかもしれない。通行車両をまったくといっていいほど見かけなかったので。すくなくともこれはいいことだと思う)。
…「バロックの森」、今週はバッハ尽くしでしたが、来週のテーマは「追悼のための音楽」。しんみりしそうだ…。
で、つぎのコープマン。昨年9月の来日公演からでして、楽器は東京オペラシテイ・コンサートホールの大オルガン(大阪ザ・シンフォニーホールとおんなじスイス・クーン社の楽器)。この人の演奏の最大の特徴は、「弾いているのはオルガンなんだけどチェンバロみたいに弾く」こと。なのでチェンバロっぽい語法(奏法)が随所に出てきて、聴いていて理屈ぬきに楽しい。装飾音も、ほかの奏者とくらべてひじょうに多いですし。見入っているうちに、2005年11月の静岡音楽館AOIでのオルガン・チェンバロコンサートのこととか思い出してしまった(そういえばあのとき、ティニ・マトー女史との二重奏で「フーガの技法」から数曲、弾いてくれましたっけね)。コープマンは巨匠レオンハルトの弟子のひとりでもありますが、その派手な演奏スタイルはおなじオランダ人の師匠とはまるでちがう。だからなのだろう、若いときにヘルムート・ヴァルヒャの後任として独アルヒーフレーベルからバッハのオルガン作品全集を出すはずだったのが、あまりの新奇さ(?)に保守的なアルヒーフ側が難色をしめしてあえなくお蔵入りになってしまったという話もあるくらい。
若いときの録音にくらべていまのコープマンはゆるぎない演奏様式を確立して、親しみやすさとともに堂々たる風格も感じられます。親しみやすい演奏とくると、たとえばサイモン・プレストンなんかもそうですね。でもいかにも英国人らしく几帳面さが前面に出ていて、少々のミスも気にしない(?)コープマンとはやっぱり「親しみやすさ」の中身がちがう。レジストレーションも奇をてらったところがなく、各旋律線をくっきり際立たせることに重点が置かれていることがよくわかります。
「チェンバロのように弾く」コープマンの演奏スタイルは、プログラムにもあった北ドイツオルガン楽派の雄、ブクステフーデとかがぴったりです。そしてこの人の弾く「小フーガ BWV.578」はたぶん最速(笑)。3分くらいで弾き終わってしまうので、カップ麺のあたため時間として使うとちょうどいい(冗談です、もちろん)。でもページには「バッハを中心に…」とあったけれども、ブクステフーデのほかにはクープランの「修道院ミサ」とかあったし、バッハ作品はたったの二曲しかなかった(「小フーガ」と詩人中原中也が大好きだったという「パッサカリア ハ短調 BWV.582」)。
2). けさの地元紙朝刊の教育欄に、あの郎朗がなんと子どもたち相手にピアノレッスン! をしたという話が掲載されていて、ちょっと驚いた。でも記事を読んで納得。郎朗自身も、――重複失礼――「トムとジェリー」の「ピアノコンサート」でトムがリストの「ハンガリー狂詩曲 第2番」を鮮やかに(?)弾きこなすのを幼少時に見たことが、ピアノへの憧れをもつきっかけだったというくらいですから、「子どものときの音楽体験」をとくに重要視しているらしい。そんな彼なので、このような企画もたしかにうなずけるお話ではあります。また彼はこうも言ってました。「親の強制はダメだ」と。「親の期待でピアノが強制されているとしたら、それは音楽教育ではありません。心からピアノが好き、だから楽しみながら演奏できるという純粋な気持ちを持たせることが大切です」。今後は小中学校にも出張する計画だとか。おおいに楽しみですね(→主催者サイト)。
3). 「世界ふれあい街歩き」という番組。これけっこう好きなんです。こういう番組が作れるのがNHKのいいところ。もっとも放送じたいは終わっていて、再放送なんですが、たまたま見た南独の古都「レーゲンスブルク」の回。期待はしてなかったけれどもなんと、あの「レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊」のめんめんも登場! これはちょっと驚いた。彼らの通う学校(ギムナジウム)も紹介されてました。たしか本放送のときにも途中から見たおぼえがあるけれども、彼らについは記憶がトンでいるから、登場場面のあとから見たんだろう。2004年夏に来日したときにアルトパートを歌っていた子だと思うけれども、「トップの雀たち(聖歌隊の少年たちは、Domspatzen=「大聖堂の雀たち」という愛称で呼ばれている)」として練習のこと、みんなと歌うことが好きでなければならないこととか、ほかのひとりとともに聖歌隊活動についてしゃべってました(当然のことながら、背丈はずいぶん伸びていて、体つきもたくましくなっている)。紹介していた子はソプラノパートのオスカルくんという年少隊員さん。最後のほうで彼も練習に加わって歌ってましたが、とてもさわやかな、「雀のさえずり」にも似たソプラノヴォイスでした。「ぼくたちは毎週日曜日に歌ってますから、ぜひミサに参加してください!」とアピール。また「大聖堂の雀たち」はWSK同様、二種類の楽器演奏ができるようになることが必須事項のようです。
余談ながら、レーゲンスブルクも昨今の日本同様、ゴミ問題とか治安の問題とかいろいろと抱えているようです。ゴミ問題では、番組でも登場していた「インディアン」なる渾名の男性。この方、旧市街外れにあるゴミ捨て場だったところを、なんとたったひとりで緑あふれる菜園に変えてしまったというすごい方。「市当局は見て見ぬふりさ」と見物人のひとりが言っていたように、いまやこの人は市民にとっては英雄的存在になっているらしい。と、ここでつまらない疑問が…この人、どうやって生活しているのかな? 番組で見たように、採れたての新鮮な野菜と引き換えに、応援してくれるみんなから入り用のものを「物々交換」してもらって生活してるのかな? 畑の脇にはテントみたいなものもあったし…でもこういうやりとりってすばらしい。子どもたちにも人気があるみたいだし、金がすべてみたいないまの世の中、こういう大人がひとりくらいいてもよいと思う。
また大聖堂聖歌隊がらみではさるOBが、聖歌隊の送迎用の車が盗まれたとかこぼしていたのを以前、Almost Angelsというサイトにて読んだことがある。欧州の失業率もひどいし、いまも治安状況はけっしてよくはないだろう(番組でもそこここに落書きが写っていた。でも旧市街地区は世界遺産に指定されているから、車の乗り入れができないのかもしれない。通行車両をまったくといっていいほど見かけなかったので。すくなくともこれはいいことだと思う)。
…「バロックの森」、今週はバッハ尽くしでしたが、来週のテーマは「追悼のための音楽」。しんみりしそうだ…。
2009年11月07日
阿頼耶識にタルボット
1). けさの「ラジオ深夜便 こころの時代」は、阿修羅さんのいます奈良・興福寺貫首(かんす)の多川俊映氏のお話でして、寝ながらですがわりと神経を集中して聞いていました…阿修羅さんと「八部衆立像」のみなさんは、東京・九州と長旅の末、いまはお寺にもどって「仮金堂」にてご本尊を取り巻くように勢ぞろいしていますね(23日まで)。で、その立像群の前でのインタヴューでした。多川貫首の話にはもちろん阿修羅さんやその他「八部衆」さんたちのことも出てきましたが(迦楼羅[かるら]以外、みんな「童顔」に作ってあることとか)、もっとも興味を惹いたのは「阿頼耶識(あらやしき)」の話。梵語では『大辞林』によるとalaya-vijñanaと書くらしいけれど、貫首の話ではなんと、あの「ヒマラヤ」ともおおいに関係があるという! Himalaya(s)も分解すると「ヒーマ」+「アラヤ」で、「雪倉」くらいの意味(→語源については英語版Wikipedia記事該当箇所を)。万年雪を頂いているから――近年、急激な氷河溶解が気にはなるが――たしかにそのまんまなネーミングだ。問題はアラヤで、ここが「阿頼耶識」の三文字と重なる。多川貫首の話では、「アラヤ」とは心の奥底の「無意識」、いまふうに言い換えるとsubliminalの世界。つまりは人の想いというのは善なる思いも邪な思いもすべからく「阿頼耶識」から発する。興福寺は法相宗の大本山で、法相宗は別名「唯識宗」とも呼ばれるらしい。多川貫首ははじめ寺を継ぐつもりはなかったようで、大学では心理学(!)を専攻していたという。でも「人の心の奥底の想い」を重要視する仏教宗派と、心理学とはやはり通じ合うところがあったのでしょう。けっきょく寺を引き継ぐ決心をしたそうです。「阿頼耶識」とくると、三島由紀夫。晩年、さかんに「阿頼耶識」のことを話したものだから、あるとき、「そんなに言われちゃ皿屋敷になってしまいますわ」とか言われて、笑いながら話を収めたとか、三島に関する本で読んだおぼえがあります。また多川貫首は「いまの社会はあまりにも物事を『分けて』考えている」とも言ってました。たとえば「生と死」というのは対立する概念ではなくて、死があるがゆえの生、つまり表裏一体の関係なのに、いまの人はあまりにも「死」について考えようとしない。結果、「生きることが『薄味』になっている人が多いのではないか」とも言ってました。これを聞いていて、二、三年前に聞きに行った、「死生学」のアルフォンス・デーケン教授の講演会のこととか思い出した。言い方はちがうけれども、どっちもおんなじことを話しています。
2). 今日は立冬ですね…長泉町に「クレマチスの丘」という複合文化施設があるのですが、いまさっき地元紙夕刊を見たら、いつのまにか写真美術館ができていた。開館記念展では写真術の先駆者のひとり、英国人タルボットに焦点を当てたものということで、こちらもおおいに興味あり。写真術の祖とくると「ダゲレオタイプ」のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールのほうがつとに有名ですが、紙ネガに直接焼き付ける「カロタイプ」の発明がその後の写真技術発展に与えた影響はやはり大きいように思う。ダゲレオタイプはシャープで鮮明な映像を残せたけれども、複製が作れなかった。対する「カロタイプ」は紙ネガを反転させて陽画(ポジ)を得ることでいくらでも複製を作ることができたけれども、紙に直接感光剤を塗ってあるのでどうしてもきめが粗くて、写真ならではの鮮明さに欠ける(輪郭線がぼんやりしている)。1851年に両者の欠点を相殺した「湿式コロジオン法」が発明されてからが、いまにつづく写真の歴史のはじまりだと言っていいでしょう(「湿式」というのは撮影直前に感光剤をガラス板に塗るのでそう呼ばれる。「湿式」では感光剤が乾かないうちに撮影と現像を完了しなくてはならず、この使い勝手の悪さを解消したのが「ガラス乾板」式[dry plate]。以前ここにも書いたジェイコブ・オーガスト・リースはこれを使ってニューヨークのスラム街を暴露した写真を撮って、「報道写真」の草分け的存在になった)。…って生年月日欄を見たら、リースって今年生誕160年だったんですね…。
3). …ところで20年前の11月9日(あしたですね)は、「ベルリンの壁」が崩壊した日ですね(→AFPBB関連記事)…。その年(平成元年)に生まれた子どもは晴れて成人というわけで、いまさらながら月日の過ぎ去ることの速さをしみじみ感じているところです…「ベルリンの壁」関連では、最近、地元紙に掲載された国際問題の専門家イニャシオ・ラモネ氏(もとLe Monde diplomatique紙総編集長)のコラムが印象的でした。とくに共産主義が内側から自滅したことを受けて、「資本主義の勝利」だと言い放ったインテリ連中を批判したくだりとか。ちょっと引用してみます。
「…ここから 『歴史の終わり』を掲げる、知識人の酩酊が始まった。これが決定的な誤りだった。実は、資本主義にとり共産主義は好敵手で、力による対立の緊張が暴走を防ぎ、自己規制へ導く役割を果たしていた。(好敵手を失った)資本主義は最もひどい衝動に(未来を)かじ取りさせることになった。世界に『平和を配当する』役目を忘れ、米国は経済のグローバル化を、各国に押し付けていった」
その結果が時代逆行とも思える労働・雇用環境の急激な悪化をもたらし、また『資本論』とかが亡霊のごとく復活してふたたび読まれるようになったんだな。
当時の日本はどうだったかというと「プラザ合意」後の円高不況のあとにやってきたバブルに踊らされていた時期でもあり、「リクルート疑惑」その他いろいろあって国民が政治というものに関心を示さなくなり、また「若貴兄弟」活躍華やかなりしころだった。20年経って、この国はすこしは変わったんだろうか…惰眠をむさぼってきただけのような気もしないではないけれども。
仏教では「目に映じるいっさいが空」だと多川貫首は言ってました。かたちあるものみな壊れる、すべては生々流転、すべてははかない。これをじつに端的に、ずばり書いた人が千年以上前の日本にいました。すくなくとも「この世の無常」というものをこれほど簡潔に表現した文章というのは、ほかの文学作品にはたして存在するのかどうか。
ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟 人の齢 春 夏 秋 冬(『枕草子』第245段)
2). 今日は立冬ですね…長泉町に「クレマチスの丘」という複合文化施設があるのですが、いまさっき地元紙夕刊を見たら、いつのまにか写真美術館ができていた。開館記念展では写真術の先駆者のひとり、英国人タルボットに焦点を当てたものということで、こちらもおおいに興味あり。写真術の祖とくると「ダゲレオタイプ」のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールのほうがつとに有名ですが、紙ネガに直接焼き付ける「カロタイプ」の発明がその後の写真技術発展に与えた影響はやはり大きいように思う。ダゲレオタイプはシャープで鮮明な映像を残せたけれども、複製が作れなかった。対する「カロタイプ」は紙ネガを反転させて陽画(ポジ)を得ることでいくらでも複製を作ることができたけれども、紙に直接感光剤を塗ってあるのでどうしてもきめが粗くて、写真ならではの鮮明さに欠ける(輪郭線がぼんやりしている)。1851年に両者の欠点を相殺した「湿式コロジオン法」が発明されてからが、いまにつづく写真の歴史のはじまりだと言っていいでしょう(「湿式」というのは撮影直前に感光剤をガラス板に塗るのでそう呼ばれる。「湿式」では感光剤が乾かないうちに撮影と現像を完了しなくてはならず、この使い勝手の悪さを解消したのが「ガラス乾板」式[dry plate]。以前ここにも書いたジェイコブ・オーガスト・リースはこれを使ってニューヨークのスラム街を暴露した写真を撮って、「報道写真」の草分け的存在になった)。…って生年月日欄を見たら、リースって今年生誕160年だったんですね…。
3). …ところで20年前の11月9日(あしたですね)は、「ベルリンの壁」が崩壊した日ですね(→AFPBB関連記事)…。その年(平成元年)に生まれた子どもは晴れて成人というわけで、いまさらながら月日の過ぎ去ることの速さをしみじみ感じているところです…「ベルリンの壁」関連では、最近、地元紙に掲載された国際問題の専門家イニャシオ・ラモネ氏(もとLe Monde diplomatique紙総編集長)のコラムが印象的でした。とくに共産主義が内側から自滅したことを受けて、「資本主義の勝利」だと言い放ったインテリ連中を批判したくだりとか。ちょっと引用してみます。
「…ここから 『歴史の終わり』を掲げる、知識人の酩酊が始まった。これが決定的な誤りだった。実は、資本主義にとり共産主義は好敵手で、力による対立の緊張が暴走を防ぎ、自己規制へ導く役割を果たしていた。(好敵手を失った)資本主義は最もひどい衝動に(未来を)かじ取りさせることになった。世界に『平和を配当する』役目を忘れ、米国は経済のグローバル化を、各国に押し付けていった」
その結果が時代逆行とも思える労働・雇用環境の急激な悪化をもたらし、また『資本論』とかが亡霊のごとく復活してふたたび読まれるようになったんだな。
当時の日本はどうだったかというと「プラザ合意」後の円高不況のあとにやってきたバブルに踊らされていた時期でもあり、「リクルート疑惑」その他いろいろあって国民が政治というものに関心を示さなくなり、また「若貴兄弟」活躍華やかなりしころだった。20年経って、この国はすこしは変わったんだろうか…惰眠をむさぼってきただけのような気もしないではないけれども。
仏教では「目に映じるいっさいが空」だと多川貫首は言ってました。かたちあるものみな壊れる、すべては生々流転、すべてははかない。これをじつに端的に、ずばり書いた人が千年以上前の日本にいました。すくなくとも「この世の無常」というものをこれほど簡潔に表現した文章というのは、ほかの文学作品にはたして存在するのかどうか。
ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟 人の齢 春 夏 秋 冬(『枕草子』第245段)
2009年11月02日
木枯らし一号…もうそんな季節か
本日はお休み。つまりは三連休、ということで、とりあえずこまごました雑事とかやりながら図書館から借りてきた本を読んだりして過ごしてました。時系列順にざっと書き出すとこんな感じ。
5時ごろ起床。もちろん目的は今年のYCOYを聴くため(笑)。最初は女の子の聖歌隊員からだろう、とタカをくくってゴミ出しなんかしていたら、あにはからんや今年は(去年も?)少年聖歌隊員から。orz ま、あとで聴きなおしますか。
6時。「バロックの森」を聴く。今週は――バッハだ!
7-10時 ふたたび寝る(笑)。「気まクラ」とか聴きながら。
正午まで 部屋の掃除とかいろいろ。遅い食事をとりながら、「国会中継」とか見ていたりする。首相の答弁を聞いていますと、申し訳ないがこんなアイリッシュジョークがぴったりだ――「借りた金は必ず返す――できるだけ早く」。
14-16時 「クラシック・カフェ」を聴く。本日は――なんとなんと「オルガン演奏を中心にお送りします」!! よっしゃー(笑)。バッハとなぜか大クープラン(フランソア)の作品とかがかかる。オルガン+オーボエ二重奏によるラインベルガーの「アンダンテ・パストラーレ “羊飼いの歌”」と「ラプソディー 変ニ長調」がまたかかったけれども、これ廃盤なのでまたエアチェック(できればアルバムがほしい)。サン-サーンスの「オルガンつき(この言い方はなんだか定食かなにかの付け合わせみたい)」は音量をあげて楽しむ(笑)。
17時20分-18時 「にっぽんのうた 世界の歌」を聴いて、またまた涙する。ヘフリガーの独語訳日本歌曲ってある意味すごすぎる。ヨーロッパの聴衆にも聴かせてやりたいくらいだ。
18-22時 ほとんど騒音かと思うけれども「へたの横好き」な練習をする。ダウンロードした「協奏曲 BWV.974」の緩徐楽章と「アリオーソ(チェンバロ協奏曲第5番 BWV.1056)」の楽譜を睨みつけながらちょこっと弾いてみる。あとでじっくり「大バッハの編曲作法」なんかも調べてみよう。
22-23時 つまらん記事を書く(いまですね)。
…いまYCOY2009を聴きなおしているんですが、なんだか今年の男子組はみんな緊張?! しちゃったのかな、いまいちというか…それでもアンドリュー・スウェイトくんの後輩くんはよかった。というか、歌声「だけ」を聴いていると昨夜、「ビバ! 合唱」にて聴いた「カンテムス」の女の子みたいだ。結果はこの子が少年聖歌隊員部門で優勝して、お決まりのデュエットとあいなったのですが、'The Lord Bless You and Keep You'の二重唱なんか、どっちが男子でどっちが女子か、まるでわからなかった。こんなことはじめてだ。たいてい、それぞれの「声の個性」というものが際立つんですけれども…。ちなみに優勝したのはこちらのローレンスくんという子。ダットンくんのときとおなじ出場者最年少の11歳だそうです。→YCOY2009のプレスリリースページ。
惜しくも優勝は逃したものの、少年聖歌隊員では「鳩のように飛べたなら」を歌ったカラムくんという子(オックスフォードシャー・ラドリーカレッジ礼拝堂聖歌隊員。「いままで歌ってきて最大の出来事は?」との質問にはあのヘイリー・ウェステンラと歌ったこととこたえてました)なんかよかったな。女子聖歌隊員では、「御身がそばにあるならば BWV.508」が印象に残った(これはバッハの作ではなくて、シュテルツェルという人の作品らしいけれども、低音はバッハの筆らしい)。また今年も常連ウィンチェスターカレッジからウィリアムくんという子も出てまして、クリケット・サッカー・ラグビー好きとのこと。サッカーは強豪チェルシーのサポーター…らしい。アレッドはここで意味ありげに'Good luck!' なんて言っていたけれども…(今年の審査員のひとりカール・ジェンキンスって父親が聖歌隊指導者だったんですね)。
…最後にいつものように脱線。日曜の朝、NHK総合の「三つのたまご」を見ていたら、Creative Libraryなるサービスがはじまったんだとか。すこし見てみましたが、「名曲アルバム」で出てきたオックスフォード・モードリンカレッジ近くの小川(水路?)をパント(punt)する平底船とかのクリップが出てきました。これたしか米良さんの歌う「あふれよ、わが涙」でしたねー。また土曜日には「教育テレビ50周年」で盛りだくさんでして、特設サイト見ていたら「いちにのさんすう」とか出てきて、ちがった意味で目が潤んでしまったり。そういえば「タップ(宇宙人かと思っていたら、お化けだったんですねぇ)」の等身大ぬいぐるみとか八重洲口地下街のNHKショップで見たことがある(笑)。
ここでお知らせ。先日、新宿文化センターから封書が来まして、? と思って開封したら、「国際交流演奏会」の案内だった。いっとき中断されたけれども、今年は再開するとのことで、招聘団体はモスクワアカデミー合唱団。なにしろ全席たったの1000円! なので、興味のある方は聴きに行かれてみては。
5時ごろ起床。もちろん目的は今年のYCOYを聴くため(笑)。最初は女の子の聖歌隊員からだろう、とタカをくくってゴミ出しなんかしていたら、あにはからんや今年は(去年も?)少年聖歌隊員から。orz ま、あとで聴きなおしますか。
6時。「バロックの森」を聴く。今週は――バッハだ!
7-10時 ふたたび寝る(笑)。「気まクラ」とか聴きながら。
正午まで 部屋の掃除とかいろいろ。遅い食事をとりながら、「国会中継」とか見ていたりする。首相の答弁を聞いていますと、申し訳ないがこんなアイリッシュジョークがぴったりだ――「借りた金は必ず返す――できるだけ早く」。
14-16時 「クラシック・カフェ」を聴く。本日は――なんとなんと「オルガン演奏を中心にお送りします」!! よっしゃー(笑)。バッハとなぜか大クープラン(フランソア)の作品とかがかかる。オルガン+オーボエ二重奏によるラインベルガーの「アンダンテ・パストラーレ “羊飼いの歌”」と「ラプソディー 変ニ長調」がまたかかったけれども、これ廃盤なのでまたエアチェック(できればアルバムがほしい)。サン-サーンスの「オルガンつき(この言い方はなんだか定食かなにかの付け合わせみたい)」は音量をあげて楽しむ(笑)。
17時20分-18時 「にっぽんのうた 世界の歌」を聴いて、またまた涙する。ヘフリガーの独語訳日本歌曲ってある意味すごすぎる。ヨーロッパの聴衆にも聴かせてやりたいくらいだ。
18-22時 ほとんど騒音かと思うけれども「へたの横好き」な練習をする。ダウンロードした「協奏曲 BWV.974」の緩徐楽章と「アリオーソ(チェンバロ協奏曲第5番 BWV.1056)」の楽譜を睨みつけながらちょこっと弾いてみる。あとでじっくり「大バッハの編曲作法」なんかも調べてみよう。
22-23時 つまらん記事を書く(いまですね)。
…いまYCOY2009を聴きなおしているんですが、なんだか今年の男子組はみんな緊張?! しちゃったのかな、いまいちというか…それでもアンドリュー・スウェイトくんの後輩くんはよかった。というか、歌声「だけ」を聴いていると昨夜、「ビバ! 合唱」にて聴いた「カンテムス」の女の子みたいだ。結果はこの子が少年聖歌隊員部門で優勝して、お決まりのデュエットとあいなったのですが、'The Lord Bless You and Keep You'の二重唱なんか、どっちが男子でどっちが女子か、まるでわからなかった。こんなことはじめてだ。たいてい、それぞれの「声の個性」というものが際立つんですけれども…。ちなみに優勝したのはこちらのローレンスくんという子。ダットンくんのときとおなじ出場者最年少の11歳だそうです。→YCOY2009のプレスリリースページ。
惜しくも優勝は逃したものの、少年聖歌隊員では「鳩のように飛べたなら」を歌ったカラムくんという子(オックスフォードシャー・ラドリーカレッジ礼拝堂聖歌隊員。「いままで歌ってきて最大の出来事は?」との質問にはあのヘイリー・ウェステンラと歌ったこととこたえてました)なんかよかったな。女子聖歌隊員では、「御身がそばにあるならば BWV.508」が印象に残った(これはバッハの作ではなくて、シュテルツェルという人の作品らしいけれども、低音はバッハの筆らしい)。また今年も常連ウィンチェスターカレッジからウィリアムくんという子も出てまして、クリケット・サッカー・ラグビー好きとのこと。サッカーは強豪チェルシーのサポーター…らしい。アレッドはここで意味ありげに'Good luck!' なんて言っていたけれども…(今年の審査員のひとりカール・ジェンキンスって父親が聖歌隊指導者だったんですね)。
…最後にいつものように脱線。日曜の朝、NHK総合の「三つのたまご」を見ていたら、Creative Libraryなるサービスがはじまったんだとか。すこし見てみましたが、「名曲アルバム」で出てきたオックスフォード・モードリンカレッジ近くの小川(水路?)をパント(punt)する平底船とかのクリップが出てきました。これたしか米良さんの歌う「あふれよ、わが涙」でしたねー。また土曜日には「教育テレビ50周年」で盛りだくさんでして、特設サイト見ていたら「いちにのさんすう」とか出てきて、ちがった意味で目が潤んでしまったり。そういえば「タップ(宇宙人かと思っていたら、お化けだったんですねぇ)」の等身大ぬいぐるみとか八重洲口地下街のNHKショップで見たことがある(笑)。
ここでお知らせ。先日、新宿文化センターから封書が来まして、? と思って開封したら、「国際交流演奏会」の案内だった。いっとき中断されたけれども、今年は再開するとのことで、招聘団体はモスクワアカデミー合唱団。なにしろ全席たったの1000円! なので、興味のある方は聴きに行かれてみては。
2009年10月31日
パーセルとブロウとメンデルスゾーン
いま図書館から借りている2枚のCD。もう返さないといけないから、ちょこっとメモっておきます。
一枚は巨匠レオンハルトの演奏したヘンリー・パーセルとその師匠ジョン・ブロウの鍵盤作品集。とくにパーセルのほうは400以上と言われる全作品のうち、オルガン曲はほんのひとにぎりしか現存していない。これはライナーにもあるように、王政復古期の国教会における典礼では大陸、たとえばドイツやネーデルラントほどにはオルガンは活躍しなかったことがあるように思う。オルガンが活躍するのはせいぜい詩編唱やヴァース・アンセム(フル・アンセムというのは基本的にア・カペラ)の伴奏、最後のオルガン・ヴォランタリーくらいだったから(いまも基本的には変わっていない)。またパーセル作と言われているオルガン曲にも偽作の疑いのあるものもあり、以前ここにも書いたけれどもじつはジェレマイヤ・クラークの作品だった、という場合もある。レオンハルトの盤でもそのような疑いのある作品が収録されていたけれども、それでもすこぶる新鮮で、おもしろい。師匠ブロウのオルガン曲というのもめったに耳にすることなんてないから、こういう組み合わせのディスクが図書館にあったことじたいがたいへんラッキーなことだったかもしれない(ちなみにこの図書館はほかにも掘り出し物のたぐいが多い。先日借りた東京カテドラル聖マリア大聖堂の伊マショーニ社のオルガンのDVDビデオとかもそう)。なかでもブロウの「ヴォランタリー ニ短調」はなんだかおなじ調で書かれたバッハの(作と言われる)有名な「トッカータとフーガ」冒頭部のモルデントを思わせるような装飾つきの下行音型ではじまるなど、スリリングな展開。ただし弾いているのはパーセルたちが使っていたような英国の二段手鍵盤の楽器、「ダブル・オルガン(チェア・オルガンもしくは訛ってクワイヤ・オルガンともいう)」ではなくて、オランダの教会堂に備わっているでかいオルガン(笑)。だからか(?)、パーセルとブロウの時代にはなかったはずの足鍵盤パートがところどころ出てきたりします(英国のオルガンに足鍵盤が備えられるようになったのは18世紀以降のこと)。
オルガン曲のほかにハープシコード作品もいくつか収録されていますが、ライナーで目を惹いたのはパーセル作曲の「全音階によるグラウンド」。なんとこれ、バッハが「ゴルトベルク BWV.988」で使ったのとおんなじ通奏低音にもとづいて展開されているんだとか。1693年にパーセル自身の歌劇「年老いし独身者」から取られたものとも書いてあった。とにかくこれはひじょうに興味深い。バッハはこの作品の筆写譜をもっていたということなのだろうか? また「あたらしいアイルランドの調べ」なる小品はライナーにもあったけれども、たしかにモーツァルトっぽいところがありますね。パーセルの作風はたしかに斬新なところがある。時代を先取りしているというか。それにしても36歳で亡くなっているんですよね…師匠よりも早く。死因はよくわかってないらしい。
もう一枚のほうは日本を代表するオルガニストのおひとり、椎名唯一郎さんがあの聖トーマス教会の「バッハ・オルガン」を弾いた録音盤。こっちも負けず劣らずいいんですよねぇ…バッハとメンデルスゾーンというある意味すばらしいカップリング。メンデルスゾーンもパーセルも今年が記念イヤー(昨年は師匠のブロウがそうだった)ですが、メンデルスゾーンのオルガン曲はけっして有名ではないけれども、どれも味わい深いものばかり。たとえばディスクにも収録されている「オルガンソナタ 第6番」。コラール「天にましますわれらの父よ」にもとづいて展開される一種の変奏曲になってまして、最後の静かに曲を閉じるあたりは作曲者自身の祈りというか瞑想といった感じで、聴いているほうも心洗われる思いがします。トーマス教会のこの新オルガンは2000年のバッハ没後250年を記念して建造されたもので、バッハが理想としていた音響を再現した楽器なんだとか。とにかくこの2枚のディスクは個人的にかなりおすすめです。
…と椎名さん関連でクグっていたら、えッ、あのカザルスホールが閉鎖?! ってそれいったいどういうこと???
一枚は巨匠レオンハルトの演奏したヘンリー・パーセルとその師匠ジョン・ブロウの鍵盤作品集。とくにパーセルのほうは400以上と言われる全作品のうち、オルガン曲はほんのひとにぎりしか現存していない。これはライナーにもあるように、王政復古期の国教会における典礼では大陸、たとえばドイツやネーデルラントほどにはオルガンは活躍しなかったことがあるように思う。オルガンが活躍するのはせいぜい詩編唱やヴァース・アンセム(フル・アンセムというのは基本的にア・カペラ)の伴奏、最後のオルガン・ヴォランタリーくらいだったから(いまも基本的には変わっていない)。またパーセル作と言われているオルガン曲にも偽作の疑いのあるものもあり、以前ここにも書いたけれどもじつはジェレマイヤ・クラークの作品だった、という場合もある。レオンハルトの盤でもそのような疑いのある作品が収録されていたけれども、それでもすこぶる新鮮で、おもしろい。師匠ブロウのオルガン曲というのもめったに耳にすることなんてないから、こういう組み合わせのディスクが図書館にあったことじたいがたいへんラッキーなことだったかもしれない(ちなみにこの図書館はほかにも掘り出し物のたぐいが多い。先日借りた東京カテドラル聖マリア大聖堂の伊マショーニ社のオルガンのDVDビデオとかもそう)。なかでもブロウの「ヴォランタリー ニ短調」はなんだかおなじ調で書かれたバッハの(作と言われる)有名な「トッカータとフーガ」冒頭部のモルデントを思わせるような装飾つきの下行音型ではじまるなど、スリリングな展開。ただし弾いているのはパーセルたちが使っていたような英国の二段手鍵盤の楽器、「ダブル・オルガン(チェア・オルガンもしくは訛ってクワイヤ・オルガンともいう)」ではなくて、オランダの教会堂に備わっているでかいオルガン(笑)。だからか(?)、パーセルとブロウの時代にはなかったはずの足鍵盤パートがところどころ出てきたりします(英国のオルガンに足鍵盤が備えられるようになったのは18世紀以降のこと)。
オルガン曲のほかにハープシコード作品もいくつか収録されていますが、ライナーで目を惹いたのはパーセル作曲の「全音階によるグラウンド」。なんとこれ、バッハが「ゴルトベルク BWV.988」で使ったのとおんなじ通奏低音にもとづいて展開されているんだとか。1693年にパーセル自身の歌劇「年老いし独身者」から取られたものとも書いてあった。とにかくこれはひじょうに興味深い。バッハはこの作品の筆写譜をもっていたということなのだろうか? また「あたらしいアイルランドの調べ」なる小品はライナーにもあったけれども、たしかにモーツァルトっぽいところがありますね。パーセルの作風はたしかに斬新なところがある。時代を先取りしているというか。それにしても36歳で亡くなっているんですよね…師匠よりも早く。死因はよくわかってないらしい。
もう一枚のほうは日本を代表するオルガニストのおひとり、椎名唯一郎さんがあの聖トーマス教会の「バッハ・オルガン」を弾いた録音盤。こっちも負けず劣らずいいんですよねぇ…バッハとメンデルスゾーンというある意味すばらしいカップリング。メンデルスゾーンもパーセルも今年が記念イヤー(昨年は師匠のブロウがそうだった)ですが、メンデルスゾーンのオルガン曲はけっして有名ではないけれども、どれも味わい深いものばかり。たとえばディスクにも収録されている「オルガンソナタ 第6番」。コラール「天にましますわれらの父よ」にもとづいて展開される一種の変奏曲になってまして、最後の静かに曲を閉じるあたりは作曲者自身の祈りというか瞑想といった感じで、聴いているほうも心洗われる思いがします。トーマス教会のこの新オルガンは2000年のバッハ没後250年を記念して建造されたもので、バッハが理想としていた音響を再現した楽器なんだとか。とにかくこの2枚のディスクは個人的にかなりおすすめです。
…と椎名さん関連でクグっていたら、えッ、あのカザルスホールが閉鎖?! ってそれいったいどういうこと???
2009年10月30日
奇跡的生還!
1). 八丈島沖で起きたキンメダイ延縄漁船「第一幸福丸」の遭難事故。発生から4日目にして3名の乗組員の方が救出された、との一報を聞いたときはほんとうに驚きました。奇跡としか言いようがありません。事故当時の海域は5mの高波が押し寄せる大時化、残念ながら亡くなられた船長ひとりがブリッジの操舵室にて漁船の舵を取っていたところを一瞬のうちに横波を食らってひっくり返ってしまったらしい。でもまだ4名の方が行方不明なので、手放しでは喜べないけれども、とにかくいろいろ偶然が重なっての奇跡的生還だったことはまちがいなさそうです。
まず一瞬のうちに転覆してしまったこと。これで最小限の海水しか船内に流入しなかったものと思われます。そして行方不明になっている4名につづいて居住区から脱出しようとしたものの、ドア近くにあった冷蔵庫が倒れてドアが開かなくなったらしい。どうしても開かないから、船外脱出をあきらめた3名の方はせまく、真っ暗な船室内にて助けが来るのをひたすら、待ちつづけていたと言います。結果的に、冷蔵庫が入り口をふさいだおかげで台風に直撃されてもあまり海水が船内に入ってこなかったようです。またいくら船室内に空気が閉じこめられていたとはいえ、大の大人三人が4日も生きながらえるには不足したかもしれない。これも、台風によって大時化になったことが幸いしたようです――つまり荒れて泡立った波から酸素が供給されたのではないか、ということです。時化がすぐに収まったらもっと早く発見されたかもしれないけれども、逆に酸欠になっていたかもしれない(二酸化炭素ガスはたしかに海水に吸収されるけれども、限界があるように思う)。また転覆現場海域がたまたま今年の黒潮の通り道になっていて、比較的海水温が高かかったために船内に閉じ込められた方の体力の消耗も少なかったのではないかという。また――ほかの漁船はどうかはわからないけれども――この船を建造した造船所によると、キールなどの主要部材には気室に富むFRPが使われているから、「破壊されないかぎり浮く」とのこと。とにかくいろいろな偶然が重なっての奇跡だったと思います(→船室の画像)。ちなみに一般にヨットと呼ばれるセイリングボートのたぐいは、荒天時にひっくり返っても「起き上がり小法師」のようにふたたび起き上がるように設計されています。
2). …それにしても海難事故があいついでいますね…海上自衛隊の護衛艦が巨大なコンテナ船と衝突したりといったこともありました。いまさっきTVニュースを見ていたらなんとエチゼンクラゲの重さのせいで転覆した…という小型漁船の事故の報も目にしました。今年はこのクラゲが津軽海峡を越えて太平洋側にも「進出」、とうとう駿河湾にも入ってしまったらしい。いま「あわしまマリンパーク」のブログを見たら、駿河湾のもっとも奥にまで到達してしまったとは…ということは西伊豆の海はこいつらがうようよ(4年前にも来ていたとはさらに驚き)??? …こういう来客は困ります。はやく消えてくれないかな(エチゼンクラゲは冬を越せない)。
3). そんな折、落語家の三遊亭円楽師匠が29日に逝去されていたことが報じられていましたね…享年76。またその前の25日には、『大国の興亡』、「文明の衝突」といった海外ベストセラーの翻訳で知られる鈴木主税氏も74歳で亡くなられていたことを地元紙訃報欄にて知りました…鈴木先生は文字どおり分野を問わずさまざまなノンフィクション/一般教養書と呼ばれる書籍の翻訳を手がけてきた大ヴェテランなのですが、個人的には19年前に邦訳版が緊急出版された『自然の終焉』を思い出します。著者はあのビル・マッキベン。当時、マッキベンはまだ20代だったし、自分はさらに若かった(苦笑)。両氏のご冥福をお祈りします。
まず一瞬のうちに転覆してしまったこと。これで最小限の海水しか船内に流入しなかったものと思われます。そして行方不明になっている4名につづいて居住区から脱出しようとしたものの、ドア近くにあった冷蔵庫が倒れてドアが開かなくなったらしい。どうしても開かないから、船外脱出をあきらめた3名の方はせまく、真っ暗な船室内にて助けが来るのをひたすら、待ちつづけていたと言います。結果的に、冷蔵庫が入り口をふさいだおかげで台風に直撃されてもあまり海水が船内に入ってこなかったようです。またいくら船室内に空気が閉じこめられていたとはいえ、大の大人三人が4日も生きながらえるには不足したかもしれない。これも、台風によって大時化になったことが幸いしたようです――つまり荒れて泡立った波から酸素が供給されたのではないか、ということです。時化がすぐに収まったらもっと早く発見されたかもしれないけれども、逆に酸欠になっていたかもしれない(二酸化炭素ガスはたしかに海水に吸収されるけれども、限界があるように思う)。また転覆現場海域がたまたま今年の黒潮の通り道になっていて、比較的海水温が高かかったために船内に閉じ込められた方の体力の消耗も少なかったのではないかという。また――ほかの漁船はどうかはわからないけれども――この船を建造した造船所によると、キールなどの主要部材には気室に富むFRPが使われているから、「破壊されないかぎり浮く」とのこと。とにかくいろいろな偶然が重なっての奇跡だったと思います(→船室の画像)。ちなみに一般にヨットと呼ばれるセイリングボートのたぐいは、荒天時にひっくり返っても「起き上がり小法師」のようにふたたび起き上がるように設計されています。
2). …それにしても海難事故があいついでいますね…海上自衛隊の護衛艦が巨大なコンテナ船と衝突したりといったこともありました。いまさっきTVニュースを見ていたらなんとエチゼンクラゲの重さのせいで転覆した…という小型漁船の事故の報も目にしました。今年はこのクラゲが津軽海峡を越えて太平洋側にも「進出」、とうとう駿河湾にも入ってしまったらしい。いま「あわしまマリンパーク」のブログを見たら、駿河湾のもっとも奥にまで到達してしまったとは…ということは西伊豆の海はこいつらがうようよ(4年前にも来ていたとはさらに驚き)??? …こういう来客は困ります。はやく消えてくれないかな(エチゼンクラゲは冬を越せない)。
3). そんな折、落語家の三遊亭円楽師匠が29日に逝去されていたことが報じられていましたね…享年76。またその前の25日には、『大国の興亡』、「文明の衝突」といった海外ベストセラーの翻訳で知られる鈴木主税氏も74歳で亡くなられていたことを地元紙訃報欄にて知りました…鈴木先生は文字どおり分野を問わずさまざまなノンフィクション/一般教養書と呼ばれる書籍の翻訳を手がけてきた大ヴェテランなのですが、個人的には19年前に邦訳版が緊急出版された『自然の終焉』を思い出します。著者はあのビル・マッキベン。当時、マッキベンはまだ20代だったし、自分はさらに若かった(苦笑)。両氏のご冥福をお祈りします。
2009年10月25日
日本丸と海王丸
先週末、日本最大級の帆船「日本丸」と姉妹船の「海王丸」が清水港に同時入港した、と聞いて、頭の疲れる本を読んだせい(?)か、だるいしカッタルイ(静岡地方の方言です)けれども帆船好きとしてはやっぱり行くか! と気合い(?)で見に行ってきました。
当日はいわゆるピーカンでして、ちょこんと冠雪した富士山まで見えるという絶好の写真日和。凪もよくて、まさに理想的な撮影条件。この日は「日本丸」で乗船見学、正午過ぎから「海王丸」でセイルドリル。こういうぜいたくが楽しめるのも二隻同時入港ならでは。
「海王丸」は2004年10月に襲来した台風で被災して、無残にも防潮堤に打ちつけられるショッキングな映像を見たことがどうしても思い出されます。1996年に清水港に来てくれたときは、自分もこの練習帆船を見学しているので、あんな大きな帆船がまるで木の葉のようになすすべもなく大波に翻弄されている姿を見たときはなんとも言えない気分になった。でもきれいに修繕されて、ふたたび「海の貴婦人」にふさわしい威容を取りもどしました。いま、こうして目の前にたたずむ帆船を見ますと、船体の塗装とかつやつやしていて、「日本丸」にくらべてあきらかにあたらしい感じがします。
で、しばし並んでアルコールで消毒(苦笑)して「日本丸」乗船とあいなったわけですが、「海王丸」のときは中の食堂とかも見せてくれたけれども、今回はデッキのみ。とはいえデッキ上では若い実習生の方々がふだん「おか」ではけっしてできないような体験を見学者にさせてくれていたのはとてもよかった。たとえばロープの結び方。「もやい結び(bowline knot)」くらいならなんとかできるけれども、ほかはさっぱり。みなさん実習生から手ほどきを受けて、がんばって挑戦されてました。またいろいろな結び方(clove hitchとか)なんかも展示されてまして、こっちのほうがはるかにおもしろかった。ロープで「とんぼ」なんか作れるんですねぇ、びっくり! また実習生さんたちは「ヤシの実」たわし(!)でデッキをごしごし磨く作業なんかも実演して見せてくれたり、子どもたちに教えたりしてました…これで「海王丸」につづいて「日本丸」にも乗船できたわけで、二大帆船はいちおう制覇、ってとこかな(二隻とも「四檣バーク型帆船」というタイプ→帆船用語について。ついでにハワイ沖の「太平洋ごみベルト水域」を調査している「海星」は、横帆マストと縦帆マストがそれぞれ一本ずつのブリガンティン型)。
午後の「海王丸」のセイルドリルも見ごたえがありました。なにしろ俗にtall shipと言うくらいですから、てっぺんに近い「帆桁(ヤード yard、ちなみにこの手の帆船は『横帆船 square-rigged vessel』という)」までは海上からなんと40m近くもあるのですから。うっかり足をすべらせたりしたらそれこそ一大事。実習生は全員、裸足で横静索(shroud)に張られた縄梯子(ratline)をきびきびと登り、各自担当するヤードの「足場索(footrope)」を移動してヤードに取りつきます(このときもちろんセーフティ・ハーネスをヤードのロープに引っ掛けます)。各横帆はヤードに「帆縛り索(gaskets)」でくくりつけられて畳まれているので、それを解いてゆくのですが、最上部もしくはその下の「アッパートップスル(セイル)」から順番にセイルを解くみたいです。…教官による解説つきで見ていて飽きないけれども、帆船にまるで興味なし(?)の小さい子には少々退屈だったかもしれない。波止場は夏みたいに暑いし、なかにはぐったりして寝ている子とかもいました。この日は北東方向から風が吹いていたので、風をはらまないようにヤードの向きを「転桁索(brace)」でえんやこらと変えていたから、すべて展帆するまでによけいに時間がかかっていたようです(→横帆船特有の用語についてはこちらを)。
いちばん船尾側のマストに張られた一枚の「縦帆」。これスパンカーと言うのですが、西伊豆にかぎらず、小型漁船にもふつうに取りつけられている帆だったりする。目的はおもに風に流されないようにするため。またこの手の帆船にはたいてい船首像(figurehead)というものがくっついていて、「海王丸」は横笛を吹く「紺青」、「日本丸」のほうは手を合わせて祈る「藍青」です。
…それにしてもすごい人だかりで、暑いし、「日の出埠頭」は駅から遠いし、帰りの電車は混んでるわで、やっぱり疲れた(笑)。
当日はいわゆるピーカンでして、ちょこんと冠雪した富士山まで見えるという絶好の写真日和。凪もよくて、まさに理想的な撮影条件。この日は「日本丸」で乗船見学、正午過ぎから「海王丸」でセイルドリル。こういうぜいたくが楽しめるのも二隻同時入港ならでは。
「海王丸」は2004年10月に襲来した台風で被災して、無残にも防潮堤に打ちつけられるショッキングな映像を見たことがどうしても思い出されます。1996年に清水港に来てくれたときは、自分もこの練習帆船を見学しているので、あんな大きな帆船がまるで木の葉のようになすすべもなく大波に翻弄されている姿を見たときはなんとも言えない気分になった。でもきれいに修繕されて、ふたたび「海の貴婦人」にふさわしい威容を取りもどしました。いま、こうして目の前にたたずむ帆船を見ますと、船体の塗装とかつやつやしていて、「日本丸」にくらべてあきらかにあたらしい感じがします。
で、しばし並んでアルコールで消毒(苦笑)して「日本丸」乗船とあいなったわけですが、「海王丸」のときは中の食堂とかも見せてくれたけれども、今回はデッキのみ。とはいえデッキ上では若い実習生の方々がふだん「おか」ではけっしてできないような体験を見学者にさせてくれていたのはとてもよかった。たとえばロープの結び方。「もやい結び(bowline knot)」くらいならなんとかできるけれども、ほかはさっぱり。みなさん実習生から手ほどきを受けて、がんばって挑戦されてました。またいろいろな結び方(clove hitchとか)なんかも展示されてまして、こっちのほうがはるかにおもしろかった。ロープで「とんぼ」なんか作れるんですねぇ、びっくり! また実習生さんたちは「ヤシの実」たわし(!)でデッキをごしごし磨く作業なんかも実演して見せてくれたり、子どもたちに教えたりしてました…これで「海王丸」につづいて「日本丸」にも乗船できたわけで、二大帆船はいちおう制覇、ってとこかな(二隻とも「四檣バーク型帆船」というタイプ→帆船用語について。ついでにハワイ沖の「太平洋ごみベルト水域」を調査している「海星」は、横帆マストと縦帆マストがそれぞれ一本ずつのブリガンティン型)。
午後の「海王丸」のセイルドリルも見ごたえがありました。なにしろ俗にtall shipと言うくらいですから、てっぺんに近い「帆桁(ヤード yard、ちなみにこの手の帆船は『横帆船 square-rigged vessel』という)」までは海上からなんと40m近くもあるのですから。うっかり足をすべらせたりしたらそれこそ一大事。実習生は全員、裸足で横静索(shroud)に張られた縄梯子(ratline)をきびきびと登り、各自担当するヤードの「足場索(footrope)」を移動してヤードに取りつきます(このときもちろんセーフティ・ハーネスをヤードのロープに引っ掛けます)。各横帆はヤードに「帆縛り索(gaskets)」でくくりつけられて畳まれているので、それを解いてゆくのですが、最上部もしくはその下の「アッパートップスル(セイル)」から順番にセイルを解くみたいです。…教官による解説つきで見ていて飽きないけれども、帆船にまるで興味なし(?)の小さい子には少々退屈だったかもしれない。波止場は夏みたいに暑いし、なかにはぐったりして寝ている子とかもいました。この日は北東方向から風が吹いていたので、風をはらまないようにヤードの向きを「転桁索(brace)」でえんやこらと変えていたから、すべて展帆するまでによけいに時間がかかっていたようです(→横帆船特有の用語についてはこちらを)。
いちばん船尾側のマストに張られた一枚の「縦帆」。これスパンカーと言うのですが、西伊豆にかぎらず、小型漁船にもふつうに取りつけられている帆だったりする。目的はおもに風に流されないようにするため。またこの手の帆船にはたいてい船首像(figurehead)というものがくっついていて、「海王丸」は横笛を吹く「紺青」、「日本丸」のほうは手を合わせて祈る「藍青」です。
…それにしてもすごい人だかりで、暑いし、「日の出埠頭」は駅から遠いし、帰りの電車は混んでるわで、やっぱり疲れた(笑)。
2009年10月19日
『日本語が亡びるとき』
…巷では売れているらしいけれども、とりあえず図書館で借りて読んでみよう、と思ってはや数か月。行くたびに「貸し出し中」…になっていて、読んでみようと思ってから3か月くらい経った先日、ようやく借りまして、読んでみました。で、読んでみた第一印象は「なんだか知らんがとにかく論旨がたどりにくい本だなあ」(苦笑)。ようするに近代日本文学という「古典」が読まれなくなったら、あるいは学校教育において子どもたちに日本近代文学を読ませなくなったら、2000年の長い伝統を持つ日本語そのものが「亡んで」しまう、という自身の強い危機感が前面に押し出された本だということだけはボンクラでも理解できた(→著者のインタヴューを読むとさらによくわかった)。
この本は言語学者が提出するような論文調ではなくて、著者自身の実体験にもとづいた、あくまでも「主観的な」日本語論、というか独断も偏見も丸出しのエッセイ。だから、というわけでもないとは思うけれども、先述したように「なんだか読みにくい」箇所がところどころ出てきて、アタマのよくない一読者はそのたびに何度も読み返すことになる(苦笑)。たとえば「私はすべての民族が<自分たちの言葉>を護るべきだとは、決して、思わない。…いつしかその言葉を話す人たちさえも地上から消えてしまったところで、その国の人たちを民族的誇りのない人たちだとは思わない。…長い目で見れば、文明は大小にかかわらず興っては『亡びる』ものでしかなく、数え切れないほどの<話し言葉>はもちろん、数え切れないほどの<書き言葉>も『亡び』ていった」(pp.283-4)。ときて、いきなり「だが、私たち日本人はどうすべきか」なんていきなり振られたのでは、それこそ身も蓋もないではないですか。また引っかかる箇所も多くて、「フランス語とは、まずは1066年、フランスのノルマンディー公がイギリスを征服してから三百年にわたり、イギリスの宮廷で使われるようになった言葉(p.64)」という一文。「今のフランス語とは大分ちがう」と丸カッコつきで書いていますが、いまにいたるフランス語って、たしか北部方言のひとつ「オイル語(Langue d'oïl)」が南部の「オック語(Langue d'ocまたはOccitan)」を凌駕したのがそもそものはじまりなんじゃなかったかしら(Ancien Français)。英語成立史なら古フランス語のひとつ「アングロ・ノルマン語」について書かれてあっても不思議ではないけれど…。また著者が招待されたというIWPなる「世界中の作家がアイオワ大学に集まってひと月のあいだ、創作活動・講演をしてもらう」でのエピソード。移動の車中、リトアニアから参加した若い詩人が「『ボンサイ』を知っていますか?」ときて、要領を得ないやり取りを英語で繰り返しているうちに、通路を挟んだ反対側に座っていたモンゴルの詩人が流暢なロシア語で話しかけ、ふたりは意気投合、みたいな感じになって「息を呑んだ」…「そうか、人はモンゴルに生まれて、モスクワに留学し、ロシア語を学んだりするのか」(p.10-1)。当時のモンゴルは旧ソ連圏だったし、この詩人の場合はほとんど奇跡的にモスクワへ留学してロシア語を叩きこまれたようですが、そんなにビックリ(?)するようなことなのかなあ、と。
もっとも著者の主張には頷けるところもあるし、また疾風怒濤のごとくつぎつぎと雪崩れこんでくる「西洋語」で書かれたありとあらゆる文献を「日本語で読めるようにする」、つまり翻訳する必要に迫られた明治の先達がいかに身を削るような苦労をしてきたかというくだりはとてもおもしろい(とくに福沢諭吉翁の話とか)。「野球」、「文化」、「社会」、「哲学」、「自由」、「権利」などなど、じつに多彩な「翻訳日本語」はこのときの「西洋の衝撃」を受けて、「曲折した」日本語から生まれたものだし、やがて明治の先達の苦労は西洋思想と日本古来の伝統文学とが融合したような世界的に見てもきわめてユニークな「近代文学」の花を開花させた、というあたりもおっしゃるとおり、と思う。とくに西洋語からの翻訳という行為を通じて、へたすれば西欧列強の植民地になりさがったかもしれない運命からいかに日本語を救ったか、についても書いてあり、このへんもたいへん共感できるけれども、「現地語」というものは日本語にかぎらず、「共通語」という「上位語」との衝突――具体的には翻訳という営為をつうじて――書きことばとして、考えるよすがとしても通用する「国語」へと昇華するものだと思う(もっとも西洋語→日本語という作業はひじょうに困難)。
…しかしながらインターネットという技術革新の波に乗って急速に「英語化」してゆく世の趨勢にたいしていかに日本語(と「日本近代文学」)を守ってゆくか、という点については全面的には首肯できない。そもそも現在の「世界語」としての英語と、かつてのラテン語やギリシャ語なんかを「普遍語」という一語でひっくるめて説明しているあたりもよくわからない。いまの英語って、一枚岩じゃないですよ。むしろ純粋なnative speakerのほうが少ないくらいだから(全世界の英語使用者のうち、約半数は非英語圏の非標準英語を使っている。* また米国では、ヒスパニックの多い地域では英語表記をやめて商売する人も出てきているくらい→NYT関連記事)。たとえば言語学では、このあまりにも急激に拡散していった英語はもはやEnglish languagesであって、かつてのラテン語が欧州各国のヴァーナキュラーにそれぞれ解体されていった歴史のように、いずれは「たがいに通じない」言語になってしまうのではないかと危惧する学者だっているくらいです。英語は一見すると、安泰な一枚岩のように見えるが、じつは日本語もふくめて数多くの言語と衝突し、融合するうちに亀裂が入り、別物へと「変質」しているのです。ようするに、「普遍語」である英語vs. 「一国語」である日本語という論法は単純すぎる。著者は、いまや「世界全域で通用することば」となった英語について、「思うに、英語という言葉は、ほかの言葉を<母語>とする人間にとって、決して学びやすい言葉ではない。もとはゲルマン系の言葉にフランス語がまざり、ごちゃごちゃしている上に、文法も単純ではないし、そもそも単語の数が実に多い。慣用句も多い。おまけにスペリングと発音との関係がしばしば不規則である(p.49)」と書いていますが、ほかの印欧語族にくらべて、たとえば「曲折語」のラテン語とその派生言語であるロマンス語系にくらべれば活用も少ないし、「名詞の性」に一致させる必要もない。単語数が多い点については、日本語だってすごい量ですよ。それこそ一生かかっても習得できないほどに(ちなみに『広辞苑 第六版』では収録語数は24万語)。発音のむつかしさについてはたしかにそのとおりだとは思うけれども、フランス語の「鼻母音」とかもむつかしいし、rの発音もむつかしいし、リエゾン・エリジオン・アンシェヌマンなんてのもあるし、スペリングからでは想像もつかない発音をするのはむしろフランス語のほうではないかと(おなじロマンス語でも伊・西・葡語の発音のほうがまだしも楽)。また「散文で書かれた」作品のほうが近代以前の西洋において韻文で書かれた「詩や劇」よりも質が優れているようなことも書いている(p.173)。ヨーロッパ語のさまざまな現地語で(散文)文学と呼べるようなものが書かれるようになったのは12世紀以降とし、「『カンタベリー物語』の一部をのぞけば、詩や劇であって散文ではない」とも書いているけれども、ものごとには例外もあって、アイスランドの国民文学『サガ(『エッダ』は韻文)』がある。文字として書かれたのは12世紀ごろからだけれども、アイルランドにおけるケルト伝承のように、口承文学として代々、伝えられてきたものだから歴史はそうとう古い(ちなみにアイスランド語はこのころからあまり変化していないから、『サガ』や『エッダ』は子どもでも読めるという)。世界中で使われるようになった英語は、言ってみれば音楽の「五線譜」のようなものかとも思う。尺八や三味線で使われる譜面は読めないが、五線譜として記譜してくれれば世界中のだれもが演奏できるようになる、みたいな(また、「二重言語状態」のアイルランドについて、「思うに、アイルランドの自国語保護政策は世界で一番贅沢なものである。宮殿に住んでいる人間が、庭の隅に茅葺きの苫屋を立て、そこで風流生活をして心の安らぎを見出すようなもの」[p.118]なんて書いている。ひどいなあ! 『アイルランドの文学精神』を読んだ人間としては、なんだかこの発言は無知からくる冒涜に近い気がする。アイルランドの人、とくにゲールタハトの人がこれ読んだら怒るんじゃないでしょうか)。
学問研究の分野ではたしかに英語で書かなければだれも読んでくれなくなっているのかもしれない。でもパリの講演で会ったというイディッシュで書いているという女性作家は、「日本語やイディッシュのような言葉で書くのには、英語のような<普遍語>で書くのとは別のおもしろさがあるのを指摘しようとした(p.95)」。そうですよ、だから川端が英訳され、その英訳がすぐれていたからこそノーベル文学賞を受けたのではないですか。また著者は、「西洋語に訳された日本文学を読んでいて、その文学の真の善し悪しがわかることなど、ほとんどありえないのである。わかるのは主にあらすじの妙であり、あらすじの妙は、文学を文学たらしめる要素の一つでしかない」と発言しているのはまだしも、「近代に入り、日本語は西洋語からの翻訳が可能な言葉に変化していく必然性があった。日本語で読んでも西洋語の文学の善し悪しがある程度はわかるのはそのせいである(p.263)」なんて書かかれちゃこんどは挨拶に困る。「逆もまた真」ですよ。どんな言語間でも翻訳というのは原文を超えられるものではないし、原文の身代わりでさえなりえない。それでも翻訳を読むほうがはるかにわかりやすいから読まれるのだし、日本文学の英訳がすぐれていたからこそほかの国の人からも高い評価を受けるようになった、と考えるほうが自然だと思うが…。
著者はいまの日本にはじっさいのところ、「読まれるべき文学はない」とまで言い切っている。これは一種のレトリックで、くだらない「三文文学」が跋扈しているいまの日本のていたらくぶりを嘆き、古典である「日本近代文学」を引き合いに出して活を入れているのだとは思いますが、著者の言う「日本近代文学」至上主義には疑問を感じる。読者としては、だれでもいいからすぐれた作品を書けばすむことではないかという気がする。すぐれた文学作品というのは「読まれるべき言葉の連鎖」に入る言語、つまり英語で書く必要性はないでしょう。
猫も杓子も英語の時代、韓国では国策として国民に英語を強いるような教育を行っているのは著者の指摘どおりで、いわゆる「バイリンガル教育」なるものにもまっこうから反対している点は共感できます。ただ、やっぱりそのあとの展開がよくわからなくて、その気になれば「お金もほとんどかからない(p.289)」のに、なぜ英語の読み書きは「一部の少数ができればいい」ということになってしまうのかがどうにもつながらない。国語教育の内容を見直して、もっと単元数を増やして…というのはわかる。でもそれだけでは対外的にはやっていけない、いまや英語習得も待ったなし。なので「学校教育で、英語を読む能力の最初のとっかかり(p.289, 下線強調は引用者。ここは理解できるけれども、和英ともに「文章を書く訓練」だって必要。読むだけではダメ)」をあたえる。あとは学びたい意思を持った者のみがほかの言語もふくめて選択できるようにすればいいと書いているから、そういう論法で「一部の少数のものができればいい」と書いているんでしょうけれども…やや飛躍があるように感じる(また著者はいまの日本人の英語の現状にたいして、「『英語公用語論』には反対するが、政府の無策をまえにして『英語公用語論』を唱えずにはいられなかった人たちの思いには、手を取り合って泣きたいほど共感する(p.271)」とも書いている)。
しかしながらこの330ベージにもおよぶこの本の最大の問題は、著者自身の「内向きな」姿勢とこの世代特有の(?)「憂国」史観にあるように思う(また、ばっさり斬って捨てている故河合隼雄氏の言明と、書いた本人は「反骨」のレトリックとして使っていると思われる坂口安吾の捨て台詞とは比較できないようにも感じる。ついでに駐車場の乱立については、たとえば先日目に留まった在日仏人日本茶店主の書いた、「日本の地方をこの目で見て改めて感じたのは、日本人の自然や環境に対する関心の低さ」という一文と通底し、この「無関心さ」については理解できる。けれどもこの場で強調しておきたいのは、日本人以上に日本の心のわかる「ガイジン」は数こそ多くはないが、いるという事実)。
もちろん、今、日本で広く読まれている文学を評価する人は、日本にも外国にもたくさんいるであろう。私が、日本文学の現状に、幼稚な光景を見出したりするのが、わからない人、そんなことを言い出すこと自体に不快を覚える人もたくさんいるであろう。実際、そういう人の方が多いかもしれない。だが、この本は、そのような人に向かって、私と同じようにものを見て下さいと訴えかける本ではない。文学も芸術であり、芸術のよしあしほど、人を納得させるのに困難なことはない。この本は、この先の日本文学そして日本語の運命を、孤独の中でひっそりと憂える人たちに向けて書かれている。そして、究極的には、今、日本語で何が書かれているかなどはどうでもよい、少なくとも日本文学が「文学」という名に値したころの日本語さえもっと読まれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである。(p.59)
…こういう典型的に「内向きな」書き方がよろしくない、と思う。「同じようにものを見て」という書き方は、たとえば「相手を打ち負かす」ディベートが盛んな米国育ちという自身の経歴も影響しているのかもしれない。それと著者は近代文学を読ませることについで、「文語体にも慣れ、伝統的かなづかいにも慣れるようにする(p.320)」なんてずいぶん高級なこと書いているけれども、そもそも「気のおけない友」や「憮然」とかが本来の意味ではもはや通じず、また「綺羅星のごとく」の「綺羅」がなにを指しているのかもわからず(「綺羅」は『平家物語』にも出てくる)、また「お召し上がりください」といった誤用もまかり通っているいまの日本語の現状をなんとかするほうが先決だと思うが…NHKでさえ、若いアナウンサーの日本語はひどいもの(ついこのあいだも「黄金色の稲穂」を「おうごんいろ」と誤読したり…。orz そうそう、かなり昔の話ですが、女子高生が寿司屋で「あたし『いなかずしー!』と声を上げて、それを聞いた人がいすから落ちそうになったとか[『いなりずし』のつもりだったらしい]」)。また「近代文学」以前に花開いた文学、『枕草子』や『徒然草』から『日本永代蔵』、『野ざらし紀行』とかも大切かと思いますね(と言っても書いている当人は読めませんが orz)。
いずれにせよ、ベストセラーだからと言って皆が瞠目するような本とはかぎらない。いみじくも著者自身、『ハリー・ポッター』について書いているくだりのように(「あの本はいったい何だったんだ!」pp.237-8)。
*...トム・マッカーサー著、牧野武彦監訳『英語系諸言語』(三省堂刊)、p.116。
評価:


追記。本文とは関係ないですが、『週刊新潮』4月2日号に寄稿されたさる数学者先生の「上から目線(いや独断)」丸出しの記事。小学校英語必修化について激怒(?)しているのはまだしも、「教養のある人は英語が下手で、英語が上手い人は教養がない」とか、あげくの果てには「祖国日本の敵は国民」という結論にはなんとも…『日本語が亡びるとき』と、この記事。両者になんとなく「おなじやうな匂ひ」を感じ取ったのは、偶然かしら?
この本は言語学者が提出するような論文調ではなくて、著者自身の実体験にもとづいた、あくまでも「主観的な」日本語論、というか独断も偏見も丸出しのエッセイ。だから、というわけでもないとは思うけれども、先述したように「なんだか読みにくい」箇所がところどころ出てきて、アタマのよくない一読者はそのたびに何度も読み返すことになる(苦笑)。たとえば「私はすべての民族が<自分たちの言葉>を護るべきだとは、決して、思わない。…いつしかその言葉を話す人たちさえも地上から消えてしまったところで、その国の人たちを民族的誇りのない人たちだとは思わない。…長い目で見れば、文明は大小にかかわらず興っては『亡びる』ものでしかなく、数え切れないほどの<話し言葉>はもちろん、数え切れないほどの<書き言葉>も『亡び』ていった」(pp.283-4)。ときて、いきなり「だが、私たち日本人はどうすべきか」なんていきなり振られたのでは、それこそ身も蓋もないではないですか。また引っかかる箇所も多くて、「フランス語とは、まずは1066年、フランスのノルマンディー公がイギリスを征服してから三百年にわたり、イギリスの宮廷で使われるようになった言葉(p.64)」という一文。「今のフランス語とは大分ちがう」と丸カッコつきで書いていますが、いまにいたるフランス語って、たしか北部方言のひとつ「オイル語(Langue d'oïl)」が南部の「オック語(Langue d'ocまたはOccitan)」を凌駕したのがそもそものはじまりなんじゃなかったかしら(Ancien Français)。英語成立史なら古フランス語のひとつ「アングロ・ノルマン語」について書かれてあっても不思議ではないけれど…。また著者が招待されたというIWPなる「世界中の作家がアイオワ大学に集まってひと月のあいだ、創作活動・講演をしてもらう」でのエピソード。移動の車中、リトアニアから参加した若い詩人が「『ボンサイ』を知っていますか?」ときて、要領を得ないやり取りを英語で繰り返しているうちに、通路を挟んだ反対側に座っていたモンゴルの詩人が流暢なロシア語で話しかけ、ふたりは意気投合、みたいな感じになって「息を呑んだ」…「そうか、人はモンゴルに生まれて、モスクワに留学し、ロシア語を学んだりするのか」(p.10-1)。当時のモンゴルは旧ソ連圏だったし、この詩人の場合はほとんど奇跡的にモスクワへ留学してロシア語を叩きこまれたようですが、そんなにビックリ(?)するようなことなのかなあ、と。
もっとも著者の主張には頷けるところもあるし、また疾風怒濤のごとくつぎつぎと雪崩れこんでくる「西洋語」で書かれたありとあらゆる文献を「日本語で読めるようにする」、つまり翻訳する必要に迫られた明治の先達がいかに身を削るような苦労をしてきたかというくだりはとてもおもしろい(とくに福沢諭吉翁の話とか)。「野球」、「文化」、「社会」、「哲学」、「自由」、「権利」などなど、じつに多彩な「翻訳日本語」はこのときの「西洋の衝撃」を受けて、「曲折した」日本語から生まれたものだし、やがて明治の先達の苦労は西洋思想と日本古来の伝統文学とが融合したような世界的に見てもきわめてユニークな「近代文学」の花を開花させた、というあたりもおっしゃるとおり、と思う。とくに西洋語からの翻訳という行為を通じて、へたすれば西欧列強の植民地になりさがったかもしれない運命からいかに日本語を救ったか、についても書いてあり、このへんもたいへん共感できるけれども、「現地語」というものは日本語にかぎらず、「共通語」という「上位語」との衝突――具体的には翻訳という営為をつうじて――書きことばとして、考えるよすがとしても通用する「国語」へと昇華するものだと思う(もっとも西洋語→日本語という作業はひじょうに困難)。
…しかしながらインターネットという技術革新の波に乗って急速に「英語化」してゆく世の趨勢にたいしていかに日本語(と「日本近代文学」)を守ってゆくか、という点については全面的には首肯できない。そもそも現在の「世界語」としての英語と、かつてのラテン語やギリシャ語なんかを「普遍語」という一語でひっくるめて説明しているあたりもよくわからない。いまの英語って、一枚岩じゃないですよ。むしろ純粋なnative speakerのほうが少ないくらいだから(全世界の英語使用者のうち、約半数は非英語圏の非標準英語を使っている。* また米国では、ヒスパニックの多い地域では英語表記をやめて商売する人も出てきているくらい→NYT関連記事)。たとえば言語学では、このあまりにも急激に拡散していった英語はもはやEnglish languagesであって、かつてのラテン語が欧州各国のヴァーナキュラーにそれぞれ解体されていった歴史のように、いずれは「たがいに通じない」言語になってしまうのではないかと危惧する学者だっているくらいです。英語は一見すると、安泰な一枚岩のように見えるが、じつは日本語もふくめて数多くの言語と衝突し、融合するうちに亀裂が入り、別物へと「変質」しているのです。ようするに、「普遍語」である英語vs. 「一国語」である日本語という論法は単純すぎる。著者は、いまや「世界全域で通用することば」となった英語について、「思うに、英語という言葉は、ほかの言葉を<母語>とする人間にとって、決して学びやすい言葉ではない。もとはゲルマン系の言葉にフランス語がまざり、ごちゃごちゃしている上に、文法も単純ではないし、そもそも単語の数が実に多い。慣用句も多い。おまけにスペリングと発音との関係がしばしば不規則である(p.49)」と書いていますが、ほかの印欧語族にくらべて、たとえば「曲折語」のラテン語とその派生言語であるロマンス語系にくらべれば活用も少ないし、「名詞の性」に一致させる必要もない。単語数が多い点については、日本語だってすごい量ですよ。それこそ一生かかっても習得できないほどに(ちなみに『広辞苑 第六版』では収録語数は24万語)。発音のむつかしさについてはたしかにそのとおりだとは思うけれども、フランス語の「鼻母音」とかもむつかしいし、rの発音もむつかしいし、リエゾン・エリジオン・アンシェヌマンなんてのもあるし、スペリングからでは想像もつかない発音をするのはむしろフランス語のほうではないかと(おなじロマンス語でも伊・西・葡語の発音のほうがまだしも楽)。また「散文で書かれた」作品のほうが近代以前の西洋において韻文で書かれた「詩や劇」よりも質が優れているようなことも書いている(p.173)。ヨーロッパ語のさまざまな現地語で(散文)文学と呼べるようなものが書かれるようになったのは12世紀以降とし、「『カンタベリー物語』の一部をのぞけば、詩や劇であって散文ではない」とも書いているけれども、ものごとには例外もあって、アイスランドの国民文学『サガ(『エッダ』は韻文)』がある。文字として書かれたのは12世紀ごろからだけれども、アイルランドにおけるケルト伝承のように、口承文学として代々、伝えられてきたものだから歴史はそうとう古い(ちなみにアイスランド語はこのころからあまり変化していないから、『サガ』や『エッダ』は子どもでも読めるという)。世界中で使われるようになった英語は、言ってみれば音楽の「五線譜」のようなものかとも思う。尺八や三味線で使われる譜面は読めないが、五線譜として記譜してくれれば世界中のだれもが演奏できるようになる、みたいな(また、「二重言語状態」のアイルランドについて、「思うに、アイルランドの自国語保護政策は世界で一番贅沢なものである。宮殿に住んでいる人間が、庭の隅に茅葺きの苫屋を立て、そこで風流生活をして心の安らぎを見出すようなもの」[p.118]なんて書いている。ひどいなあ! 『アイルランドの文学精神』を読んだ人間としては、なんだかこの発言は無知からくる冒涜に近い気がする。アイルランドの人、とくにゲールタハトの人がこれ読んだら怒るんじゃないでしょうか)。
学問研究の分野ではたしかに英語で書かなければだれも読んでくれなくなっているのかもしれない。でもパリの講演で会ったというイディッシュで書いているという女性作家は、「日本語やイディッシュのような言葉で書くのには、英語のような<普遍語>で書くのとは別のおもしろさがあるのを指摘しようとした(p.95)」。そうですよ、だから川端が英訳され、その英訳がすぐれていたからこそノーベル文学賞を受けたのではないですか。また著者は、「西洋語に訳された日本文学を読んでいて、その文学の真の善し悪しがわかることなど、ほとんどありえないのである。わかるのは主にあらすじの妙であり、あらすじの妙は、文学を文学たらしめる要素の一つでしかない」と発言しているのはまだしも、「近代に入り、日本語は西洋語からの翻訳が可能な言葉に変化していく必然性があった。日本語で読んでも西洋語の文学の善し悪しがある程度はわかるのはそのせいである(p.263)」なんて書かかれちゃこんどは挨拶に困る。「逆もまた真」ですよ。どんな言語間でも翻訳というのは原文を超えられるものではないし、原文の身代わりでさえなりえない。それでも翻訳を読むほうがはるかにわかりやすいから読まれるのだし、日本文学の英訳がすぐれていたからこそほかの国の人からも高い評価を受けるようになった、と考えるほうが自然だと思うが…。
著者はいまの日本にはじっさいのところ、「読まれるべき文学はない」とまで言い切っている。これは一種のレトリックで、くだらない「三文文学」が跋扈しているいまの日本のていたらくぶりを嘆き、古典である「日本近代文学」を引き合いに出して活を入れているのだとは思いますが、著者の言う「日本近代文学」至上主義には疑問を感じる。読者としては、だれでもいいからすぐれた作品を書けばすむことではないかという気がする。すぐれた文学作品というのは「読まれるべき言葉の連鎖」に入る言語、つまり英語で書く必要性はないでしょう。
猫も杓子も英語の時代、韓国では国策として国民に英語を強いるような教育を行っているのは著者の指摘どおりで、いわゆる「バイリンガル教育」なるものにもまっこうから反対している点は共感できます。ただ、やっぱりそのあとの展開がよくわからなくて、その気になれば「お金もほとんどかからない(p.289)」のに、なぜ英語の読み書きは「一部の少数ができればいい」ということになってしまうのかがどうにもつながらない。国語教育の内容を見直して、もっと単元数を増やして…というのはわかる。でもそれだけでは対外的にはやっていけない、いまや英語習得も待ったなし。なので「学校教育で、英語を読む能力の最初のとっかかり(p.289, 下線強調は引用者。ここは理解できるけれども、和英ともに「文章を書く訓練」だって必要。読むだけではダメ)」をあたえる。あとは学びたい意思を持った者のみがほかの言語もふくめて選択できるようにすればいいと書いているから、そういう論法で「一部の少数のものができればいい」と書いているんでしょうけれども…やや飛躍があるように感じる(また著者はいまの日本人の英語の現状にたいして、「『英語公用語論』には反対するが、政府の無策をまえにして『英語公用語論』を唱えずにはいられなかった人たちの思いには、手を取り合って泣きたいほど共感する(p.271)」とも書いている)。
しかしながらこの330ベージにもおよぶこの本の最大の問題は、著者自身の「内向きな」姿勢とこの世代特有の(?)「憂国」史観にあるように思う(また、ばっさり斬って捨てている故河合隼雄氏の言明と、書いた本人は「反骨」のレトリックとして使っていると思われる坂口安吾の捨て台詞とは比較できないようにも感じる。ついでに駐車場の乱立については、たとえば先日目に留まった在日仏人日本茶店主の書いた、「日本の地方をこの目で見て改めて感じたのは、日本人の自然や環境に対する関心の低さ」という一文と通底し、この「無関心さ」については理解できる。けれどもこの場で強調しておきたいのは、日本人以上に日本の心のわかる「ガイジン」は数こそ多くはないが、いるという事実)。
もちろん、今、日本で広く読まれている文学を評価する人は、日本にも外国にもたくさんいるであろう。私が、日本文学の現状に、幼稚な光景を見出したりするのが、わからない人、そんなことを言い出すこと自体に不快を覚える人もたくさんいるであろう。実際、そういう人の方が多いかもしれない。だが、この本は、そのような人に向かって、私と同じようにものを見て下さいと訴えかける本ではない。文学も芸術であり、芸術のよしあしほど、人を納得させるのに困難なことはない。この本は、この先の日本文学そして日本語の運命を、孤独の中でひっそりと憂える人たちに向けて書かれている。そして、究極的には、今、日本語で何が書かれているかなどはどうでもよい、少なくとも日本文学が「文学」という名に値したころの日本語さえもっと読まれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである。(p.59)
…こういう典型的に「内向きな」書き方がよろしくない、と思う。「同じようにものを見て」という書き方は、たとえば「相手を打ち負かす」ディベートが盛んな米国育ちという自身の経歴も影響しているのかもしれない。それと著者は近代文学を読ませることについで、「文語体にも慣れ、伝統的かなづかいにも慣れるようにする(p.320)」なんてずいぶん高級なこと書いているけれども、そもそも「気のおけない友」や「憮然」とかが本来の意味ではもはや通じず、また「綺羅星のごとく」の「綺羅」がなにを指しているのかもわからず(「綺羅」は『平家物語』にも出てくる)、また「お召し上がりください」といった誤用もまかり通っているいまの日本語の現状をなんとかするほうが先決だと思うが…NHKでさえ、若いアナウンサーの日本語はひどいもの(ついこのあいだも「黄金色の稲穂」を「おうごんいろ」と誤読したり…。orz そうそう、かなり昔の話ですが、女子高生が寿司屋で「あたし『いなかずしー!』と声を上げて、それを聞いた人がいすから落ちそうになったとか[『いなりずし』のつもりだったらしい]」)。また「近代文学」以前に花開いた文学、『枕草子』や『徒然草』から『日本永代蔵』、『野ざらし紀行』とかも大切かと思いますね(と言っても書いている当人は読めませんが orz)。
いずれにせよ、ベストセラーだからと言って皆が瞠目するような本とはかぎらない。いみじくも著者自身、『ハリー・ポッター』について書いているくだりのように(「あの本はいったい何だったんだ!」pp.237-8)。
*...トム・マッカーサー著、牧野武彦監訳『英語系諸言語』(三省堂刊)、p.116。
評価:
追記。本文とは関係ないですが、『週刊新潮』4月2日号に寄稿されたさる数学者先生の「上から目線(いや独断)」丸出しの記事。小学校英語必修化について激怒(?)しているのはまだしも、「教養のある人は英語が下手で、英語が上手い人は教養がない」とか、あげくの果てには「祖国日本の敵は国民」という結論にはなんとも…『日本語が亡びるとき』と、この記事。両者になんとなく「おなじやうな匂ひ」を感じ取ったのは、偶然かしら?
2009年10月17日
新聞週間に合わせたわけではないが
15日からはじまった毎年恒例の新聞週間(知らない? さては新聞、読んでませんな)。いままで書いた記事でも「地元紙」ネタが数多く出てきますが、自分は印刷媒体・活字メディアの新聞というものはぜったいに必要なものと考えています。理由は基本的にラジオとおんなじでして、「いろんな立場にある、いろんな人の意見が読める」こと、「自分の知らない情報・見たことのない世界を手軽に知ることができる」こと。そしてときおり、いいかげんな記事も見られるとはいえ――あのNYTでさえ、「記事捏造報道」で大騒ぎになったことがある――プロ記者の取材記事は徹底的に「裏を取る」ことが大前提になっているので、いちおう信頼して読めるということ。また、リーマンショック以降のあまりに急激過ぎる世界的な金融恐慌の流れをかいつまんで説明してくれたり、最新技術について、あるいは想定東海地震の現状について、簡潔にわかりやすく書いてくれる記事とかはとても役に立つし、ありがたい。また読者の投書欄もわが意を得たりといい件もあれば、目からウロコの卓見ありと、これまた読んでおもしろい。書評欄も好きで、おそらく読むことはなさそうな新刊本の内容とかもかんたんながら知ることができるし、文化・芸術欄の記事も各方面の識者の寄稿文とかも手軽に読めたりする。また「時の人」というインタヴュー記事も読んでいて楽しい(囲碁の最年少名人位についた井山裕太さんと、第41回体操世界選手権でみごと日本人最年少優勝を果たした内村航平さんという、ともにはたちのお二方の快挙がきのうと今日連続で載っていた)――こういう多彩な情報・報道を掲載してくれるということが新聞の最大の利点。とはいえいまはネットニュースというものがあり、またGoogleによるニュース検索サービスとかが幅を利かせている時代で、自分より若い人のあいだでは新聞を取っていない人のほうが多数派になりつつあるようですね。でも新聞の肩を持つというわけではないが、たとえば日本のIT業界を引っ張っていると言われている人たちのほうが、じつは新聞を人一倍、熱心に読んでいたりする。以前、そんな人たちに取材した特集記事を読んだことがありますが、たとえばある若い経営者は朝、5つ、6つの全国紙をテーブルに広げてじっくり読み較べすることから一日をはじめるという。
そんな折、Googleがまた(?)あらたなサービスを開始したと先月14日付NYTにありました。Fast Flipというもので、じっさいにその「実験」サイトに行ってみると、NYTはじめ、BBC NewsやIHT、Washington PostやNewsweekなど、30社(TechCrunchなど電子版のみの媒体も含まれている)ほどの電子版の紙面がそのままキャプチャされた画面が並んで出てきます。ページを繰るような感じでどんどんスクロールして、見たいと思ったらその記事を掲載している新聞社サイトに直接ジャンプして閲覧、という仕掛けらしい。2002年に「Googleニュース検索」システムを開発した担当者(名前からはどうみてもインド系)によると、従来のネットニュースは紙の媒体にくらべてブラウジングのスピードが遅すぎ、これをもっとスピーディにすればより多くの記事も見てもらえるし、版元の広告収入も増える、ということで開発したんだとか。もっともこれは表向きの主張にすぎず、米国の新聞各社はどこも青色吐息、広告収入の激減をGoogleが提供しているような「ニュース記事検索サービス」が自分たちの記事に「ただ乗り」しているせいだという怒りの声を沈めるため、Googleは彼らの敵ではなくて味方であることをアピールすべく作った、というのがほんとうのところでしょう。
参加している数社でさえこの「実験」を、業界最大の懸案である「広告収入の激減」を食い止める解決策にはなりえないといぶかっている。米国の新聞業界における広告収入の依存率は日本より高いらしいから、名前の知られた版元がつぎつぎとつぶれ、雇われている記者たちが突然、路上に放り出されたりしている。NYTでさえ運転資本まで危なくなるという自転車操業状態で、まだ建て替えたばかりのあたらしい本社ビルを売却したりと台所事情はひじょうにきびしい。Googleのこの実験サービス、へたするとただでさえ苦しいのに、さらに首を絞められかねない。でもいまの危機的状況ではGoogleにうまいこと言いくるめられているかもしれないが、しかたないという。
Of course there is a concern,” said Martin A. Nisenholtz, senior vice president for digital operations for The New York Times Company. “That doesn’t mean you don’t participate.”
He added that Fast Flip could help showcase sites like The New York Times better than current aggregators like Google News do.
かなり苦しい胸の内のようですね。
手許にいまひとつ地元紙から切り抜いておいた記事があります。「危機に立つ新聞の課題・情報の一覧性大切に」という大学の先生が寄稿したコラム。米国新聞業界の窮状を引き合いに出した上で、あらためて活字ジャーナリズムに問われているものはなにかを論じています。よく言われる「速報性」。ネットのほうが紙の新聞より情報伝達という点では速いが、ネット上の情報というのは基本的に読み手が無意識のうちに選択したものに限定されやすいという欠点がある。これはようするに自分と相容れない意見・情報には耳をふさぎ、目をつぶることにひとしい。「このことは、主権者である市民にとって大切な、自分と違う意見や直接関係のない情報にも触れ、公の立場で物事を考える、という仕事を難しくしかねない」。「伝えるべきことをいち早く伝え、論ずべきことをいま論じ、権力や社会の動きに警鐘を鳴らす。それがジャーナリズムの仕事だ」。
…地元紙については、誤植が目に付くだの、わりとケチつけていることが多かったりするけれども、たとえば浜岡原発一号・二号機の「廃炉」問題とか、全国紙よりも先駆けて取材したことは評価されていいと思う。地域密着型の地元紙の存在は、自分にとってはやっぱり大きい(そういえばいま開催中の「浜松モザイカルチャー(浜松立体花博)」のこととかもくわしく書いてあって読んで楽しい。ちなみに浜松市の出品作品は楽器の街・音楽の街浜松を表現したすばらしい作品でして、中央部分はオルガンをかたどっている)。
情報をいち早く得るというのは目的ではなくて手段にすぎない。多様なものの見方、そして議論の場を提供するということは、新聞(そしてラジオも)という既存メディアにとってやはり大切なことかと感じます。もしそれがおろそかになったら、そのときこそサイバー空間上を飛び交う雑多でごたまぜになった「情報の嵐」に呑みこまれてしまうかもしれない。
そんな折、Googleがまた(?)あらたなサービスを開始したと先月14日付NYTにありました。Fast Flipというもので、じっさいにその「実験」サイトに行ってみると、NYTはじめ、BBC NewsやIHT、Washington PostやNewsweekなど、30社(TechCrunchなど電子版のみの媒体も含まれている)ほどの電子版の紙面がそのままキャプチャされた画面が並んで出てきます。ページを繰るような感じでどんどんスクロールして、見たいと思ったらその記事を掲載している新聞社サイトに直接ジャンプして閲覧、という仕掛けらしい。2002年に「Googleニュース検索」システムを開発した担当者(名前からはどうみてもインド系)によると、従来のネットニュースは紙の媒体にくらべてブラウジングのスピードが遅すぎ、これをもっとスピーディにすればより多くの記事も見てもらえるし、版元の広告収入も増える、ということで開発したんだとか。もっともこれは表向きの主張にすぎず、米国の新聞各社はどこも青色吐息、広告収入の激減をGoogleが提供しているような「ニュース記事検索サービス」が自分たちの記事に「ただ乗り」しているせいだという怒りの声を沈めるため、Googleは彼らの敵ではなくて味方であることをアピールすべく作った、というのがほんとうのところでしょう。
参加している数社でさえこの「実験」を、業界最大の懸案である「広告収入の激減」を食い止める解決策にはなりえないといぶかっている。米国の新聞業界における広告収入の依存率は日本より高いらしいから、名前の知られた版元がつぎつぎとつぶれ、雇われている記者たちが突然、路上に放り出されたりしている。NYTでさえ運転資本まで危なくなるという自転車操業状態で、まだ建て替えたばかりのあたらしい本社ビルを売却したりと台所事情はひじょうにきびしい。Googleのこの実験サービス、へたするとただでさえ苦しいのに、さらに首を絞められかねない。でもいまの危機的状況ではGoogleにうまいこと言いくるめられているかもしれないが、しかたないという。
Of course there is a concern,” said Martin A. Nisenholtz, senior vice president for digital operations for The New York Times Company. “That doesn’t mean you don’t participate.”
He added that Fast Flip could help showcase sites like The New York Times better than current aggregators like Google News do.
かなり苦しい胸の内のようですね。
手許にいまひとつ地元紙から切り抜いておいた記事があります。「危機に立つ新聞の課題・情報の一覧性大切に」という大学の先生が寄稿したコラム。米国新聞業界の窮状を引き合いに出した上で、あらためて活字ジャーナリズムに問われているものはなにかを論じています。よく言われる「速報性」。ネットのほうが紙の新聞より情報伝達という点では速いが、ネット上の情報というのは基本的に読み手が無意識のうちに選択したものに限定されやすいという欠点がある。これはようするに自分と相容れない意見・情報には耳をふさぎ、目をつぶることにひとしい。「このことは、主権者である市民にとって大切な、自分と違う意見や直接関係のない情報にも触れ、公の立場で物事を考える、という仕事を難しくしかねない」。「伝えるべきことをいち早く伝え、論ずべきことをいま論じ、権力や社会の動きに警鐘を鳴らす。それがジャーナリズムの仕事だ」。
…地元紙については、誤植が目に付くだの、わりとケチつけていることが多かったりするけれども、たとえば浜岡原発一号・二号機の「廃炉」問題とか、全国紙よりも先駆けて取材したことは評価されていいと思う。地域密着型の地元紙の存在は、自分にとってはやっぱり大きい(そういえばいま開催中の「浜松モザイカルチャー(浜松立体花博)」のこととかもくわしく書いてあって読んで楽しい。ちなみに浜松市の出品作品は楽器の街・音楽の街浜松を表現したすばらしい作品でして、中央部分はオルガンをかたどっている)。
情報をいち早く得るというのは目的ではなくて手段にすぎない。多様なものの見方、そして議論の場を提供するということは、新聞(そしてラジオも)という既存メディアにとってやはり大切なことかと感じます。もしそれがおろそかになったら、そのときこそサイバー空間上を飛び交う雑多でごたまぜになった「情報の嵐」に呑みこまれてしまうかもしれない。
2009年10月11日
サラブレッドの活躍と「四季」
1). …といっても競馬の話ではなくて、ご存知のとおりハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールにて、三浦文彰さんがみごと優勝! まずはおめでとうございます、と申し上げます。報道によると、三浦さんのご両親ともに音楽家らしい。でも技芸の世界はどこぞやの二世議員とはちがって「親の七光り」なんて通用しない。これはもっと生まれた才能と、たゆまぬ努力の賜物。それと少々の運が必要かもしれない。とにかくすばらしい快挙にはちがいありません。
2). …先週のBBC Radio3のChoral Evensongは、イタリア・アッシジから(カトリックだから表記はChoral Vespersになっている)。去る4日は「太陽賛歌」で有名な聖フランチェスコの祝日ということで、説教もフランチェスコがらみの内容。アッシジとくると、どうしても1997年の直下型地震で天井が崩落した聖フランチェスコ大聖堂が思い浮かぶ。今回収録で使われたのは12世紀創建というサン・ルフィーロ大聖堂。この町の守護聖人はてっきり托鉢修道会の祖聖フランチェスコかと思いきや、そうではなくて聖ルフィヌスという3世紀ごろの人。クラウディオ・メールロのモテットとかはあんまり耳なじみのない曲だから、とてもよかった(この人はオルガン作品のほうがよく知られている)。それと最後のオルガン・ヴォランタリーもフレスコバルディの「トッカータ第6番」。さきに見た東京カテドラルの新オルガン建造のビデオグラムじゃないけれど、やっぱりイタリアの楽器はプリンシパル・コーラスがひじょうに美しい、と思う。前にも書いたけれどもイタリアの古い楽器は一段の手鍵盤のみの「ひとつの大オルガン」というタイプが多い。製作者はアンテニャーティ一族とかが有名。でもあのDVDを見てはじめて知ったのは、申し訳程度ではあるけれども足鍵盤も備わっていたということ。ギエルミさんがフレスコバルディの曲とかも弾いていたけれども、コーダ部分で和音の補強をする感じで足鍵盤を使用していた。あのやわらかい響きを聴くと、イタリアの古オルガンは聖歌隊の伴奏に最適だということがわかる。当時求められていた音楽の条件に最適な楽器だったというわけですね。
…もうひとつ、Radio3ついでにアレッドが進行役をつとめるThe Choir。こらちもぼんやりまどろみながら聴いていたんですが、なんと'Sakura'とか'Amanogawa'とか出てきて驚いた。マシュー・ホイットールという作曲家のその名も「四季(Shiki)」という作品(番組では作曲者本人が出てきていろいろしゃべってました。「四季」の歌詞は種田山頭火の俳句から取った['The text originated from a Japanese poet, quite non-Japanese poet Santoka Taneda, who was a travelling monk, a beggar monk, and he was very very unconventional, non-traditional Haiku, and there is incredible quality of the end completely at one with nature, not in very romantic sense, but very exposed, almost dangerous sense ... I found that quality very appealing...'とかなんとか、そんなふうに聞こえた]とか言っているので、かなりの日本通なのかも。自分よりこの国の歴史とかよく知っていたら、ちょっと恥ずかしいけれども)。この意欲的な作品を歌っているのがフィンランドの合唱団というのがさらに驚き(Naxosのライブラリーにありました! ホイットール氏はカナダ出身ですが、いまはフィンランドで活躍しているらしい)。メインはハイドンの「聖母マリアをたたえるミサ曲 変ホ長調(「大オルガン・ミサ」)」という作品でした。聴いたことなかったから、交響曲や室内楽曲ばかりに目が行きがちなハイドンにこういう作品もあったのか、という感じです。たしかに声楽作品も多いですよね。オラトリオ「四季」とか。そういえば「名曲のたのしみ」でも「小ミサ ヘ長調 Hob.22-1」という作品も聴きました。アレッドによると、オルガンはハイドン自身が弾いた…らしいです。
…週末の「バロックの森」ではブクステフーデの「シャコンヌ ホ短調」とか、タリスの「四声のミサ曲」がかかりまして、こちらもよかったですね。
2). …先週のBBC Radio3のChoral Evensongは、イタリア・アッシジから(カトリックだから表記はChoral Vespersになっている)。去る4日は「太陽賛歌」で有名な聖フランチェスコの祝日ということで、説教もフランチェスコがらみの内容。アッシジとくると、どうしても1997年の直下型地震で天井が崩落した聖フランチェスコ大聖堂が思い浮かぶ。今回収録で使われたのは12世紀創建というサン・ルフィーロ大聖堂。この町の守護聖人はてっきり托鉢修道会の祖聖フランチェスコかと思いきや、そうではなくて聖ルフィヌスという3世紀ごろの人。クラウディオ・メールロのモテットとかはあんまり耳なじみのない曲だから、とてもよかった(この人はオルガン作品のほうがよく知られている)。それと最後のオルガン・ヴォランタリーもフレスコバルディの「トッカータ第6番」。さきに見た東京カテドラルの新オルガン建造のビデオグラムじゃないけれど、やっぱりイタリアの楽器はプリンシパル・コーラスがひじょうに美しい、と思う。前にも書いたけれどもイタリアの古い楽器は一段の手鍵盤のみの「ひとつの大オルガン」というタイプが多い。製作者はアンテニャーティ一族とかが有名。でもあのDVDを見てはじめて知ったのは、申し訳程度ではあるけれども足鍵盤も備わっていたということ。ギエルミさんがフレスコバルディの曲とかも弾いていたけれども、コーダ部分で和音の補強をする感じで足鍵盤を使用していた。あのやわらかい響きを聴くと、イタリアの古オルガンは聖歌隊の伴奏に最適だということがわかる。当時求められていた音楽の条件に最適な楽器だったというわけですね。
…もうひとつ、Radio3ついでにアレッドが進行役をつとめるThe Choir。こらちもぼんやりまどろみながら聴いていたんですが、なんと'Sakura'とか'Amanogawa'とか出てきて驚いた。マシュー・ホイットールという作曲家のその名も「四季(Shiki)」という作品(番組では作曲者本人が出てきていろいろしゃべってました。「四季」の歌詞は種田山頭火の俳句から取った['The text originated from a Japanese poet, quite non-Japanese poet Santoka Taneda, who was a travelling monk, a beggar monk, and he was very very unconventional, non-traditional Haiku, and there is incredible quality of the end completely at one with nature, not in very romantic sense, but very exposed, almost dangerous sense ... I found that quality very appealing...'とかなんとか、そんなふうに聞こえた]とか言っているので、かなりの日本通なのかも。自分よりこの国の歴史とかよく知っていたら、ちょっと恥ずかしいけれども)。この意欲的な作品を歌っているのがフィンランドの合唱団というのがさらに驚き(Naxosのライブラリーにありました! ホイットール氏はカナダ出身ですが、いまはフィンランドで活躍しているらしい)。メインはハイドンの「聖母マリアをたたえるミサ曲 変ホ長調(「大オルガン・ミサ」)」という作品でした。聴いたことなかったから、交響曲や室内楽曲ばかりに目が行きがちなハイドンにこういう作品もあったのか、という感じです。たしかに声楽作品も多いですよね。オラトリオ「四季」とか。そういえば「名曲のたのしみ」でも「小ミサ ヘ長調 Hob.22-1」という作品も聴きました。アレッドによると、オルガンはハイドン自身が弾いた…らしいです。
…週末の「バロックの森」ではブクステフーデの「シャコンヌ ホ短調」とか、タリスの「四声のミサ曲」がかかりまして、こちらもよかったですね。
