2020年03月30日

ハラリ氏の FT 寄稿コラムについて

 けさ、コメディアンの志村けんさんの訃報に接して──みなさんそうでしょうけど──病歴や年齢、ヘビースモーカーでもあったことを思って案じてはいたんですけど、やはりショックを受けています。「オレみたいになるなよ! みんなはだいじょうぶかぁ〜〜 !!」と、身をもって警告しているのかもしれません。合掌。

 … 警告、ということでは先週、大急ぎでと言われて渡されたのが、こちらの原文記事。寄稿した先生は、世界的ベストセラーにもなった労作を世に問うたイスラエル人歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏。原文は見てのとおりきわめてやさしく書かれていて、とりわけ新聞とか目を通さないであろう若い人にも読んでほしくてこれ書いたのかな、と思うほど論旨明快、主張されていることもしごくまっとうで、不遜にもこれはぜひワタシがやらねば、という意気込みのままいっきに訳出した、という感じで作業を進めました(英語の先生らしい方の、高校生のみんなもぜひ読んでみて、という趣旨のツイートも見かけました。ワタシもまた、英語の得意な生徒さんは学校もお休みだろうから、ヒマ持て余してるくらいならハラリ氏の原文をじっくり読まれることをつ・よ・くオススメしたい。アドヴァイスとしては、いわゆる「一語対一語」ではなくて、あくまで前後関係、むずかしく言うと「コンテクスト」で文意は決まるので、パラグラフ・リーディングというのを意識して読んでみてください。何度か目を通しているうちに、「そうか、わかった!!」っていう瞬間が来るでしょう。で、「ハラリ先生の英文がオラにも読めた!!」ってなればしめたもの。あとは興味の赴くまま、ペーパーバックでもなんでもいいからとにかくいっぱい読んでみることを、そのつぎにオススメしておきます)。

 で、新年早々、まだ COVID-19 が話題にものぼらず、よもやこんなパニック・恐慌状態に全世界を陥れようとはつゆほども思ってなかったころに海外逃亡した例の方の原文6千ワード超の記事をせっつかれて訳していたときの記事でも書いたように、やはりこちらもヤフトピさんに取り上げていただいた。それはよかったんですけど、レバノンに逃れた人の記事以上のものすごいコメント量にこんどは圧倒されて、あらためて翻訳という仕事の責任の重さを痛感したしだいです(もっともっとがんばらないと …)。

 それで、こんなこと告白するとあんまりカッコよくないんですけど、原文には突拍子もない比喩もなければシェイクスピアや聖書の引用もなくて(なんたってイスラエルの人ですし)、たしかに平易に書かれてあるとはいえ、訳語選定でもっともアタマを悩ませたのが、'empower/ empowerment'。コラム後半部でもっとも重要な主張のひとつであり、キーワード的なこの用語、いろいろ考えたんですけどなかなかすんなり・しっくりくる日本語に思い当たらず …… 編集サイドに迷惑がかかるかもと後ろ髪引かれる思いで、そのままカタカナ語表記でいくことにした。

 コメント欄見たらやはりそのことを指摘されていた読み手の方がいて、こちらはアタマ掻きつつ読ませていただいた。断っておきますけど IT 系やすでにカタカナ語化している外来語ではない、こなれていない横文字語はきょくりょく、日本語表記化するというのがいちおう、自分のスタイルなので、これは忸怩たる思いが残った。いまはやりの「民度[を向上させる、など]」というのもよぎったんですけど、民族主義的なかほりがイヤだったんで、ボツ。個人の力・権利・能力・リテラシー……ようするに、全体主義中央集権的「総監視国家、総監視社会」を選ぶのではなく、個々人の持てる力を底上げすべきだ、ということなんですけど……。なおこの点に関して、やや理想主義的かもと感じたりもしたが、主題が現下のパニックな状況をどうサヴァイヴするのか、というのではなく「その後の世界はいったいどう変わってしまうのか」、コロナ後に人類が生きる世界はどうあるべきかを考察しているので、「どっちを選ぶかと言われたらみなさんどっちをとる?」という流れで書かれているのだと(訳した本人は)解釈した。

 そのときは気づいていなかったが、この手の話題の書き手によるコラムが掲載されると案の定、腕に覚えのある方が率先して訳を起こし、公開していたことも拙訳記事公開後に知った。あいにく、「オフィシャルな邦訳が出たから」という理由でご自身の訳は引っこめてしまわれたみたいですが、版権の関係はたしかにあるけど、個人訳であっても前半だけなら大丈夫ではないでしょうか。前から繰り返して言っていることだけれども、翻訳っていうのは「100 人いれば 100 とおりの翻訳ができあがる」もの。いろんな人の、いろんな訳が読めるほうが数倍、楽しいと思うんですけどどうでしょうか(なお全体主義関連では、こちらの邦訳本もおススメします)。

 と、そんな折も折、NK 新聞が独自訳? をぶつけてきたらしい。出版翻訳の場合、「日本語翻訳権は版権を獲得した一社のみ」で、ほんらい他社からは出せないはずなんですけど、この手の洋新聞や洋雑誌の電子版記事や寄稿コラムのたぐいは権利関係の扱いがどうなってるのか、よくわかりません。こちらはただ、「つぎ、これ訳してね ♪ 」と言われて引きこもって黙々と訳を起こして〆切日までに納品する、というのが仕事なんで。

 先方に怒られるかもしれないけど、ハラリ氏の寄稿コラムの冒頭部のみ、拙訳版と NK 版訳とを並べておきます。冒頭部のみなのは、サブスク契約会員限定記事のため(拙訳版は、ヤフトピさんの転載記事をそのまま引いてます)。
ハラリ氏の原文:Humankind is now facing a global crisis. Perhaps the biggest crisis of our generation. The decisions people and governments take in the next few weeks will probably shape the world for years to come. They will shape not just our healthcare systems but also our economy, politics and culture. We must act quickly and decisively. We should also take into account the long-term consequences of our actions. When choosing between alternatives, we should ask ourselves not only how to overcome the immediate threat, but also what kind of world we will inhabit once the storm passes. Yes, the storm will pass, humankind will survive, most of us will still be alive − but we will inhabit a different world.

拙訳:現在、人類は世界的な危機に直面している。我々の世代が経験する最大級の危機だろう。
この先の数週間、人々や政府の下した決断が、今後の世界のあり方を決定づけるかもしれない。その影響は医療制度にとどまらず、政治、経済、文化にも波及するだろう。決断は迅速かつ果敢に下されなければならないが、同時にその結果として生じる長期的影響も、考慮すべきである。
どんな道を選択するにせよ、まずもって自問すべきは、直近の危機の克服だけでなく、この嵐が過ぎ去った後に我々の住む世界はどうなるのかということだ。……

NK 訳:人類はいま、世界的な危機に直面している。おそらく私たちの世代で最大の危機だ。私たちや各国政府が今後数週間でどんな判断を下すかが、今後数年間の世界を形作ることになる。その判断が、医療体制だけでなく、政治や経済、文化をも変えていくことになるということだ。……

 …そしてハラリ氏の名コラムとはまるでカンケイないことながら、同氏の全著作を訳しおろした先生は個人的に存じ上げている。はじめてそのお姿を拝見したのは、たしか翻訳関係の授賞式だったような(記憶があやふやで申し訳なし)。……あれからウン十年、憧れの先達と、それもまったくおなじ原著者の手になる寄稿コラムをよもやこんなかたちで訳す巡りあわせになろうとは。翻訳、とくに文芸ものの翻訳ってたしかにおカネにはあまりならない、日陰仕事ではあるかもしれない(もしワタシが特許関係の翻訳の資格を持っていたら、まちがいなくおカネになるのはそっちなので、そっちをメインにやっていたかもしれない)。でも、ヘタのなんとかではないけど、なんでいままでつづけてこられたか。それは μ's の矢澤にこじゃないけど、「翻訳が大好きだから」。だから、いま将来に見通しが立たなくて絶望している若い方に対して、前にも書いたことながらおなじことをふたたび言いたい ── こんなこと言うとまたしても怒られそうだけど、ワタシだっていつ斃れるか知れた身ではないから、いまのうちに ── 生きていれば、きっといいこともありますよ。だから、とにかく生きてください。

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2020年03月09日

沈黙の春 2020

 世界保健機関(WHO)のお偉いさんが、「新型肺炎ウィルス[COVID-19]の世界各地における epidemic な流行のため、医療用マスク供給に数か月の遅延が発生している。だから "widespread inappropriate use" はやめるように」と、記者会見で発言していたらしい(誤解なきようここでも断っておきますが、今回の事態はまだ世界的大流行、つまり pandemic ではなく、リンク先記事にもあるように現時点はまだ "the coronavirus epidemic" にとどまっている。世界における COVID-19 のリアルタイムの状況についてはこちらを参照)。

 こんな物言いを聞くと、世界的なマスク不足がなんかワタシのような花粉症持ちの人間のせい、みたいな言い方のようでちょっとどうかと思ったり。メディアもメディアで、このエチオピア人の WHO トップのとなりに座ってたライアンという人が、「マスクをしたって予防にはならない」と発言しただけなのに、なぜかマスクは不要なのかという、「マスク不要論 / 役に立たない説」に加担しているしまつ(そうは言ってない)。

 基本的に欧米の人ってよっぽど具合が悪くならないかぎり、マスク着用の習慣がないし、もしマスクつけて外を歩けば、とたんに白い目で見られる国がほとんど(聖ブレンダン関係で大のアイルランドびいきだけれども、この件についてはおそらく似たかよったかでしょう)。

 前出の「ガーディアン」記事を見るかぎり、この発言は「医療従事者でさえマスクや防護服が足りなくてたいへん困っているから、ほんとうに必要ではない人は使用するな」という趣旨だったことがわかる。なのにメディアやワイドショーではさも「WHO トップが《マスクは不要》と言っているが … 」みたいな振り方をしている。fake news ってこうして始まるんですな。

 新型肺炎騒動は収束するどころか、世界経済全体にも暗い影、『スター・ウォーズ』シリーズじゃないけどまさしくPhantom Menace となって覆いはじめた感がある。専門家でさえ意見が1週間前と後で変わってたりして、とにかくシッポをつかむのがこれほどむずかしい、タチの悪いウィルスははじめてだ。そうは言っても、いくら SARS の経験が日本国内でなかったからとはいえ、SARS 禍を経験済みの台湾[中華民国]はそれなりに成果を上げているのだし、日本ももっと学ぶことはあると思う(ついでに、いまのお医者さんはかつての肺結核も含め、感染症の恐ろしさを肌身で知らない人がほとんどだということも、対策が後手後手に回った一因かと個人的には感じている)。

 今回、こうした事件が起きてもっともつよく感じたのは、人間という動物の本性。自他ともに認める西洋かぶれでさえ、たとえばローマのサンタチェチーリア音楽院の院長みずから、「東洋人学生のレッスンはすべて停止する」旨の通達を出した話にはポカンと口が開いてしまう。ふだんはオクビにも出さないくせに、いざこういうことになると手のひら返して「ウィルスだ、ばっちぃ !!」とわめきたてる大衆。もっとも人種偏見は日本人も人のこと言えないから、こういうときはあるていど起こることなのだろうが、言われたほうはたまったもんじゃない。

 また、こうした浮足立っているときは必ずと言ってよいほど、根拠のないデマが流れる。今回もまたしかりで、いつぞやの石油ショック(!)よろしく、トイレットペーパーがまたぞろ店頭から消えた。なんでこうなるのか、ホントこちらの理解を超えているのですけれども、歴史を顧みれば、とにかくこういうことが繰り返されてきた(メアリ・ヒギンズ・クラークのスリラー小説『子どもたちはどこにいる』に、ほぼ 100 年前にパンデミックを起こしたインフルエンザ「スペインかぜ」のことが出てくる。よもや 100 年後にこんなことになろうとは …)※。

 こういう「不安な時代(ハイドンの作品に、『不安な時代のミサ』というのもある)」に決まってぞろぞろ現れるのが、デマゴーグ、そして火事場泥棒を働く者たち。たしかに首相の判断はクソだった。なにいまごろ入国規制してんだよ。ごもっとも。でも、あなたはどうなんですか、という問題も忘れてはならない。個人を責めてるんじゃない。たとえば仕事ならしかたないところもあるが、この時節柄に遊びでとなりの国に行ってきて、いざ帰ろうとしたら日本政府側から足止めされて困った、とはどういうことか。門外漢にはまるで理解しがたし。自分ごととして考えてないからなんでしょうね。

 30 年くらい前だったか、パレスティナとイスラエルがドンパチやっているその「戦闘」のただなかに、これまたなぜか? 日本人の新婚さんらしいカップルがふらふらっとやってきた。それまで撃ちあっていた双方の兵士が呆気にとられ、なんとも間の抜けた空気が流れた「珍事件」があった、という話を読んだことがある。ホントかどうか、確かめようがないけれど、もしこれが事実ならばこの話ほど日本という島国に生まれ育った人間の本質があぶりだされている話もないではないか、って思う。はっきり言いますが、いまこのときに、人類にとって未知の新型感染症が地域的流行を起こしている国や地域に行くべきなんでしょうか? 他者を責める前にいま一度、よくよく考えてくださいね、というのがウソ偽りない気持ちではある。

 子どもたちも気の毒だし、なんたって受験シーズンを直撃した今回の新型ウィルス禍。春のセンバツをはじめ大相撲やマラソンが縮小開催されたり、人の集まるイベントは軒並み中止、まるで9年前のあの日のようだ(原発処理もまだまだなのに…)。その追悼式典まで中止になってしまった。

 はやく混乱が収まることを祈るしかないが、最後に、日本とおなじく一斉休校措置となったミラノの校長先生が、イタリアの文豪アレッサンドロ・マンゾーニを引いたメッセージには胸を突かれる思いがした ──
外国人に対する恐怖やデマ、バカげた治療法。ペストがイタリアで大流行した 17 世紀の混乱の様子は、まるで今日の新聞から出てきたようだ」。

※ …… 引用書名をカン違いしていたため、悪しからず訂正しました。
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2020年02月20日

『ラブライブ!』は、遊びじゃない!! 

 先週末、前にも書いたとおり『スター・ウォーズ エピソード9』と『ラブライブ! サンシャイン!! Over the Rainbow』の 11 回目鑑賞をしてきたばかりというのに、こんなニュースがそれこそ「藪から棒」に飛びこんできた。

 まず結論から申し上げると、個人的には猛烈に怒っている。というか、いまから 85 年前にスペインの思想家オルテガ・イ・ガセット(1883−1955)が代表作『大衆の反逆』で書いたような、そのまんまの展開に戦慄さえ覚えた。こんなことを野放しにしていたら、芸術文化活動全体に波及しかねない。というわけで、この悲しいニュースを知ってからはずっと悶々として過ごすこととあいなってしまった。

 こんな「フェイクニュース」の発信源はだれか、はこのさいどうだっていい。知っている範囲で書くと、「多様性」と HN に謳う一個人が、悪名高き SNS の Twitter(ほら出た …)上で、「なんでこのポスターに描かれている女の子のスカートは透けているの…?」とじつにかる〜〜い、のほほんと発信した一文がことの発端。するとこの「声」に呼応するシス・エターナルよろしく、非難の声が澎湃(どうせ読めないだろうからルビィちゃんふっとくわ、「ほうはい」ね)と同 SNS 上で沸き起こり、とうとう当事者の JAなんすん(ご苦労さまです)がすべて撤去した、というもの。フェミニストだかなんだか知らんが、この人たちの炯眼ぶりには『トムとジェリー』じゃないが、アゴが地べたにくっつくほどに、まっこと驚くほかなし。JA さんにはせめて、「安心してください、穿いてますよ!」のユーモアひとつくらい、あってもよかっただろう。

 彼らの主張ないしその結果について、問題点がいくつかある。まず、1). 非難の矛先を向ける先をまちがえている。「描き方が不穏当」と言いたければ、どうぞ制作会社にその旨お伝えください。不特定多数の第三者に向かってこういう不用意な発言をして知らんぷり、というのは、まさにオルテガの言う無責任な「大衆」そのもの。いや、これは「一億総トランプ化」なのか(ワタシが小学生だった当時、下田市にやってきたジミー・カーター元米国大統領は現職大統領に対し、「Twitter をやめろ!」と言ったそうな。むべなるかなではある)? 
…… 社交においては「礼儀作法」が姿を消し、文学は「直接行動」として罵詈讒謗に堕している。……
 手続き、規則、礼儀、調停、正義、道理! これらすべてはいったい何のために発明されたのだろうか。…… 文明とは、何よりもまず、共存への意志である。人間は自分以外の人に対して意を用いない度合いに従って、それだけ未開であり、野蛮であるのだ。野蛮とは分離への傾向である。だからこそあらゆる野蛮な時代は、人間が分散していた時代、分離し敵対し合う小集団がはびこっていた時代であったのである。
──── オルテガ・イ・ガセット / 神吉敬三 訳『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫刊、いつものように下線強調は引用者)から

 2). 「表現の自由」=何を言ってもかまわない、匿名なら何を言ってもおとがめなしと思いこんでいる。かつてアイルランドのケルト人氏族は、人間のことばの持つ力をたいへん恐れていた。相手を呪えばその呪いが矢となって相手を射抜くとさえ考えていた。ひるがえって SNS 全盛のいまはどうか。情報が情報が、と言いながら、そのじつ情報の最小単位たる「ことば」がこれほど軽んじられ、悪用されている時代などかつてなかったのではないか。Twitter に関してはホントは言いたいことがいろいろあって、それはまた別の機会に書くつもりだが、よく耳にする「災害時に威力を発揮する」なんていうのも幻想に近い。最近の身近な例を引くと、台風 19号が伊豆半島に上陸したとき、「狩野川の氾濫が始まったようだ」というデマを見かけたことがある。北伊豆地区を中心にたしかに甚大な浸水被害は出たけれども、じっさいには「内水氾濫」のたぐい。狩野川の堤防はしっかり持ちこたえていた、なんてことがありました。こっちも垂直避難を考えていた矢先だったので、さすがにこのツイートには凍り付いたが、こういうときにもっとも役に立つのは TV の「データ放送」だ、ということを再認識させられた。もっとも Twitter だってツールですので、「助けてくれ!」と発信すれば、だれかの目に留まる可能性はある。でも、個人的にはこういうじつにクダラナイことでただ無益に時間を浪費するだけの壮大な資源と労力の無駄遣い、という印象しかない。人生はあっという間に終わるよ。

 以前、おなじ SNS 投稿の内容でも Twitter と Instagram でその反応が正反対になった、という海外のおもしろい報道を読んだことがあります。前にも書いたかもしれないが、写真好きなワタシは Instagram はけっこう好きでして、ヒマなときはよくみなさんの作品とか見ていたりする。おなじ SNS でなんでこうも反応が分かれるのかっていつも感じるんですけど、ひとつは「文字ならだれでも表現可能で、すぐ反応があるから」というのがその根底にあるように思う。写真ってだれでも撮れるようでいて、そうでもない(もっとも、日本人だから日本語の文章を書くのはかんたんだ、と思ったらそれはちがう。いまじゃ漢字も知らず、「心のおけない」も誤解する読み手が大多数で、国籍不明語ばかりが跋扈する)。

 3). 一連の示威行為は威力業務妨害。一部の悪質なクレーマーのせいで、ほんらい、果たすべきタスクが正常に終わらない、もしくは遅延を被った場合、これは威力業務妨害ではないのか。あろうことか、弁護士を名乗る人間まで、「スカートが透けている」に乗っかって攻撃している。そこで先生方にお尋ねしますが、あなたがた、高海千歌のスカートが「透けて」いるのはだれが見てもまぎれもない「事実」でしょうか? あるいは、この PR ポスターのせいで、だれかが明らかに損害や苦痛を被りましたか? 法廷ではこういった事実の「証明」が必須かと愚考しておりますがいかが? もしあなたがたが証明できない場合、あきらかな「誹謗中傷」に当たりませんか? 弁護士って人権とか差別とか、まずもって弱者を擁護する側であって、「多数という驕り(「100分 de 名著」NHK テキスト『大衆の反逆』の表紙から)」に味方することではないと思いますがいかがですか。

 最後に、この『ラブライブ!』シリーズを誤解している向きがホント多くてそっちにも驚いている。聖地民のひとりとしてこの作品を通じて個人的に感じたこと、それは劇場版『Over the Rainbow』で Aqours のメンバーのひとり、渡辺曜のいとこの渡辺月の科白とまったくおんなじことだ。
気づいたんだ。ぼくたちはなんのために部活をやってるのか。父兄の人たちも。…… 楽しむこと。みんなは、本気でスクールアイドルをやって心から楽しんでた。ぼくたちも、本気にならなくちゃダメなんだ。そのことを Aqours が、Saint Snow が気づかせてくれたんだよ。ありがとう ……

 2018 年の暮れ、Aqours の声優さんたちが紅白のアニメ枠で出場したとき、さる女性芸能評論家が作品を観たこともないのに、「メイドカフェみたいな格好で出場するとはどういうことだ」とコキおろしていたことがあった。こういうのを偏見差別と言うんじゃないですか。オタクがどうのこうのとのたまうのも侮蔑表現やね。あなたたち一度、ここ沼津に来て視察でもなんでもすればよろしい。地元の人間からクレームが出ていないのに、あることないことないまぜにしてフェイクニュースをばら撒き、せっかく築き上げてきた「宝物」をこれ以上、ぶち壊しにする権利などだれにもないはず。この作品をきっかけに結婚された方、移住された方、写真をたくさん撮って地元民でさえまるで気づいていなかったすばらしさを表現してくれた方、ドイツやポーランド、香港からはるばる「なにもないところ」だと思いこんでいたこの街に「まちあるきスタンプ」や缶バッジをたくさん付けて観光に来てくれる海外のファンに対し、失礼だと思わないのか。また彼らは、長井崎のすぐ下の入り江に停泊していた「スカンジナビア」号の思い出さえ、蘇らせてくれた(「浦の星」の「星」は、おそらくスカンジナビアのもとの船名「ステラ・ポラリス[北極星]」からではないかと言われている。また TV アニメ第2期オープニングに登場する「桟橋」状の背景も、かつてスカンジナビアにつながっていた桟橋がモデルらしい)。それが、自称「おもてなし」精神の民族の態度なのか。片腹痛い、片腹痛いですわ! 『ラブライブ!』は、遊びじゃない!! 

 不肖ワタシだってこの作品に出会い、芹沢光治良から内浦の地理・歴史にいたるまで、制作スタッフのリサーチの本気度の高さに心打たれて、こちらの記事でも書いたように、『《輝き》への航海 ── メタファーとしての「ラブライブ! サンシャイン!!」』という小冊子まで書いてしまった。それもこれもみな、「楽しむこと。みんなは、本気でスクールアイドルをやって心から楽しんでた。ぼくたちも、本気にならなくちゃダメなんだ」ということを教えてもらったからだ。
「生き生きとした人間が世界に生気を与える。これには疑う余地はありません。生気のない世界は荒れ野です。…… 生きた世界ならば、どんな世界でもまっとうな世界です。必要なのは世界に生命をもたらすこと、そのためのただひとつの道は、自分自身にとっての生命のありかを見つけ、自分がいきいきと生きることです」────ジョーゼフ・キャンベル、ビル・モイヤーズ / 飛田茂雄 訳『神話の力』から
 ひとつ補足事項。Aqours の前の物語の主人公 μ's を描いた『ラブライブ!』でも、やはりネットのデマで炎上した案件があったらしい。また、「卑猥だ」と言っている人は、こちらのキャラについてはどう思ってんのだろうか。

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2020年02月17日

'Some things are stronger than blood.'

 先月と今月、劇場の「サービスデイ」にて『スター・ウォーズ』サーガの最終エピソード、「スカイウォーカーの夜明け(もちろん「字幕版」で)」を観てきました。きみまろさんじゃないがこれでもかれこれ 42 年、日本初公開作だった「エピソード4 新しい希望」以来、『スター・ウォーズ』シリーズはずっと映画館で観てきた口なので、「ああ、これでやっと終わったか」という安堵のほうが大きかったりする。壮大な物語の結末を生きて見届けることができて、まずは感謝、といった気持ちが正直なところ。

 で、のっけからなんですけど、なんですかコレは、え? みたいな話の展開。銀河帝国元皇帝パルパティーンが生きていたですと ?¿! おなじみのタイトルロールからして 'The dead speak!' なんて思わせぶりな一文で、すべてちゃぶ台返し(古いか)で始まった感じ。でもよくよく見ると当のパルパティーンはなにやら生命維持装置みたいな機械にスパゲティ状態でつながっているわ、白目むいているわで、いわゆる living dead、生ける屍状態なのかしらとも思った。どうもシスのアジトのエクセゴルという惑星は、シスのカルトたちがパルパティーンのクローンかなにかを用意していて、マスター・ルークの父親アナキン・スカイウォーカーにもどったダース・ヴェイダーによって第2デススターの底なしリアクターシャフトに投げ落とされ、「自爆」したはずのパルパティーンの「霊魂」をこっちの不完全なクローンに転送した … のかもしれない(あまりに唐突な展開だったので、作中のレジスタンスの科白などから推測するにどうもそういうことらしい)。で、このゾンビなパルパティーンはその証拠にラスト近くで「ほんらいの自分」を取りもどしたベン・ソロとレイの若いふたりからエネルギーを「吸い取って」パワーアップ。しかもいつの間にか生命維持装置を離れて自分の足でしっかり立って、はるか上空に展開するレジスタンスの船団に向かって強烈な電撃攻撃を仕掛けたりする。

 今作はワタシのようなオールドファンから見ると、懐かしい科白があっちこっちで顔を出していたり(「イヤな予感がする['I have a bad feeling about this.']」、「フォースのダークサイドは超常的にも思える多くの能力に通じておる['The dark side of the Force is a pathway to many abilities some consider to be unnatural.']」とか)、これまでの要素ぜんぶ出しの大盤振る舞い、みたいなファンサービス? も観ていて感じましたね。

 このシリーズでは超有名な「フォースとともにあらんことを['May the Force be with you.']」のような印象深い科白、心に刺さる名科白がたくさん生まれてもいますが、最終章ということだけあって、今作もまたけっこう印象的な言い回しが多かった気がする。たとえばルークがレイに語りかけていた場面で出てくる「血のつながりよりも強いものがある('Some things are stronger than blood.')」、かつての同盟軍将軍ランド・カルリジアンの「われわれには仲間がいた。だから勝てた['We had each other. That's how we won.']」、C-3PO が全記憶を消去される直前に繰り返した「この作戦が失敗すれば、いままでやってきたことすべてが無になってしまう['If this mission fails, it was all for nothing. All we’ve done. All this time.']」とか。

 あとやはり「自分はシスのすべて」だと言い放つパルパティーンに対し、「わたしはジェダイのすべて」だと言い返したレイとの直接対決が印象に残ったかな。フォース+「それまでの戦いで斃れた全ジェダイ騎士の霊」とに支えられて「立ち上がった」レイが、ベンから受け取ったレイアのライトセイバーとルークのセイバーとを「十文字」にして立ち向かう。またしても自分の放った強烈な電撃をハネかえされ、逆にそれをモロに喰らって、なんか最後はシェイクスピアに出てくる 'hoist by one's own petard' という表現そのまんまか、あるいは断末魔を上げつつ吹っ飛んでしまうパルパティーンの正真正銘の最期の描写が、まるで古代ギリシャ悲劇もどきにも思えたり。ついでにエクセゴルのパルパティーンのいた場所ってずいぶん地下深く、というか地底王国の最深部みたいなところでしたね。あれなんかもたとえばダンテの『神曲 地獄篇』っぽい感じがしないわけでもない。中世ヨーロッパでは「ルシファー[Lucifer、もとは「光をもたらす者」の意]」がいた場所が地上楽園の対蹠地にして当時考えられていた地球の最深部に位置するインフェルノ、火炎地獄だったけれども、エクセゴルのシス拠点は「光をもたらす」とは真逆の闇の深淵。このへんも、どこかメタファー的な描写手法、のような解釈も可能かと思う。

 で、今作のストーリーとまったく関係ない余談ながら、レイがシスの権化たる自分のじいさん(!!!)をやっつけてしまうシーンは、これまたどっかで観たことがあるような … そういえば昔、ドラキュラ伯爵とその宿敵、ヘルシング教授との対決が、まさしくこんな感じだった。なんでかってあの「十文字」に結んだライトセイバーがね …… で、かつてドラキュラ役で出演した故クリストファー・リーと、ヘルシング役の故ピーター・カッシング、お二方ともなんと、『スター・ウォーズ』シリーズにしっかりと出ているんですよね。カッシングについては、旧帝国軍のターキン提督役を覚えている向きも多いと思う。

 いろいろ映画の感想とか拝見しますと、「けっきょくパルパティーン家 x スカイウォーカー家」の対決の系譜に全銀河が巻き込まれただけじゃん、みたいな見方もあって、たしかにそういうふうにも見えるかもしれないけれども、むしろこの「エピソード9」でもっともつよく訴えたかったのは、やはり 'Some things are stronger than blood.' だったのではないかと。そして『サンシャイン!!』じゃないけど、最後の最後まであきらめないってことですかね。個人的には「ダース・プレイガス」とかも登場してほしかったところ。お話としてはこれにて完、でこれはこれでいいとは思うが、なんかこう消化不良感が否めない。パルパティーンの復活からしてそうですし。それとミディクロリアン云々 …… なのかはわからないが、死んだはずの人間がよみがえったりとスペースオペラのはずがどことなくオカルトっぽい脚色も感じられて、「はて、『スター・ウォーズ』シリーズってそういうのだったっけ?」というのも率直な感想としてはありました。どうせここまで踏み込むのならプレイガスあたりにもなにかひと言、しゃべらせてもよかったのでは、とつい思ったり。もっともストーリーじたいはとてもすばらしいと思っているので、「再・続編制作決定!!」っていうのはナシでお願いしますぜ旦那(とても体がもたないので、これ以上はカンベンして)。それとジャナという若い女性戦士、ひょっとしたらランドの娘? かもしれませんねぇ。

 最後に、邦題の訳について。原題の The Rise of Skywalker は ↑ でもそれとなく書いたように、レイがいまは亡きジェダイの騎士たちの声に支えられ、力を得て「立ち上がる」ことを表現したものですが、ではなぜ「夜明け」とまるでイメージの異なる訳語を与えたのか? 最終シーンはルークの育った砂の惑星タトゥイーンに沈む双子の夕陽ですし、なぜ、とも思うんですが、「《夜明け》で行こう」となるまでにはそうとうな紆余曲折があったはずで、当事者はタイヘンだったと察します。「スカイウォーカー、立ち上がる」ではとんとイメージが湧きませんし、じゃどうするか。ジェダイの再興 ⇒「黎明」⇒「夜明け」⇒「新時代の到来」、古い世界が滅んで新しい「夜明け」がレイ・スカイウォーカーとともにやってきた、みたいなイメージ戦略だったのかなと思ったんですけど …… ちょっと気になったもので。

評価:るんるんるんるんるんるんるんるん

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2020年01月20日

Ghosn is GONE !! 

 年末年始、↑ の方のかなり長め(原文で約6千語)の取材記事を訳出していたちょうどそのとき、ま・さ・か・の海外逃亡劇発生! で、こちらの予想どおり(?)クライアントさんから「悪いけど最短で入稿してほしい」旨の督促が。というわけで、短時間勤務 + こっちの納品で正月どころか、ホントぶっ倒れそうになりました。orz

 で、ワチャワチャしながらも入稿した訳出記事が、やはり年末年始もっとも注目された国内ニュースのひとつなのはまちがいない、ということもあってか、いわゆる「ヤフトピ」にも転載されてました。自分が手がけたこの手の翻訳仕事で「ヤフトピ」さんに転載されるのはこれまでも数回、あるにはあったが、なんせ日本中の人を敵に回したかのようなこのトンデモおっさんのトンずら劇のこと、コメントがハンパない(ずらぁ〜!)。

 こちらがこさえた訳文にはもちろん編集の手が入って、チェックも受けて晴れて掲載、とあいなるのですが、以前にも書いたように「全訳一挙掲載!」のようにとくに断わりのない邦訳記事はすべて「抄訳」扱いになります。だからといって原文を書いた記者ないしコラムニストの言っていること、趣旨じたいには影響のないように微妙なサジ加減はしっかり利かせているので、とんでもなく論旨からかけ離れた、明らかに別物、というのはほとんどないはずです。

 ただ、今回のような急ぎの仕事、たとえば出版系なら映画の原作ものとか「著者来日、緊急出版!!」みたいなたぐいにはある意味しかたないかもしれないが、その限りではない。昔の実例だと『大国の興亡』なんかが代表例かもしれませんが … このへん、翻訳者の仕事を奪うのではと危惧されてもいる AI とか、MT と呼ばれる機械翻訳テクノロジーがさらなる進化を遂げれば、現在ではとうてい不可能な短期間の納期でそれこそ「早い、安い、うまいラーメン」よろしく、「へい、一丁あがり!!」な翻訳商品を仕上げられるようになるのかもしれません。もっとも、どうなるのかはわかりませんけれども。

 転載記事のコメント欄ですけれども、内心、ちょっとドキドキしつつも拝見させてもらいました。で、思ったんですが、記事の内容よりも、日本語版の記事タイトルがお気に召さなかった方がたくさんおられたようでして、「大企業のトップに友だち、ハァ ?! なに言ってんだこの記者、大企業トップが孤独なのは当然じゃんか !!」といったお叱り(?)にも近い指摘がほとんどだった。言っておきますが、タイトルは編集サイドが考案したもの。で、翻訳本のタイトルもほぼ九割は、編集サイドが「売れるように」と知恵を絞って考えだしたもの(Webメディアだと、いわゆる SEO 対策みたいなことになるのかと思う)。で、翻訳者はとにかく中身で勝負、記事本文を、理想を言えば「鏡写しにしたような」日本語訳文に落とし込むのが仕事になる(こちらがまだまだ未熟者なのか、それともよほどの手練れでないと到達不能の境地なのか、いまだに「鏡写し」的な出来栄えとはほど遠いのは日々、反省しきりではありますが)。

 で、みなさんのコメントに目を通しているうちに一点だけ引っかかったコメントがありまして、引用記事はとうに削除の憂き目にあっているものの、ここですこし言い訳をしておきます。

 問題の個所は(下線強調はいつものように引用者)、
この状態は 2020 年以降も続くはずだった。2つの公判のうちひとつが春から開始され、検察と日産の元同僚側は、会計上の広範な不正行為と、企業の資産を私的利益のために横領したと訴える予定だった。対してゴーンの弁護団は、不正行為はいっさいしていないと反論し、自分はルノーとの合併に反対する日産経営陣および日本政府の策略にはめられた被害者だと主張するつもりだった。いずれの公判でも有罪が決まれば、ゴーンは 2020 年代を日本の拘置所で過ごす可能性が大きかった。
ついでに自分が書いたのはこっち ↓
この状態は 2020 年以降も続く。ふたつの公判のうちひとつが春から開始され、検察と日産の元同僚側は、会計上の広範な不正行為と、企業の資産を私的利益のために横領したと訴える。対してゴーンは不正行為はいっさいしていないと反論、自分はルノーとの合併に反対する日産経営陣および日本政府の策略に絡めとられた被害者だと主張。いずれの公判でも有罪が決まれば、彼は 2020 年代を日本の拘置所で過ごすことになるかもしれない。

[原文記事]... These conditions will persist well into 2020, when Ghosn begins the first of two trials for what prosecutors and his former colleagues at Nissan call a pervasive pattern of financial misconduct and raiding of corporate resources for personal gain. He denies wrongdoing, saying he’s the victim of a plot by Nissan executives and Japanese government officials to prevent further integration with Renault. A guilty verdict in either case could put the 65-year-old in a Japanese prison through the 2020s.

「はず」、というのはもちろん、当の本人がズラかったから編集サイドで追加したんでしょう。コメント主の方がミソをつけたのは、「起訴事実に横領はないはず」という点。たしかにそう。でも原文を見るかぎり、かなり強い言い方を使ってます。なのでその「勢い」を伝えたくて、ここはズバリ「横領」、ようするに会社のカネをネコババしたという表現を使ったしだい。

 刑事事件関係に詳しい向きは目くじら立てるところかもしれない。たとえばこちらの記事に書いてあるように、厳密に言えば「横領」と「流用」の定義はちがうし、横領に当たる正式な用語の英語表現は embezzlement になる。でも raiding、つまり「盗み取る」という言い方を使っている以上、さすがに「盗み取った」はキツいので、「横領」という訳語を充てることにした、ということです(名詞の raid には警察のガサいれ、手入れという意味もある)。

 大半のコメントが批判していた「社内に友人がひとりもいない」云々、についても、この記者の書いた記事を読むかぎりでは、いわゆる「なあなあなおトモダチ」という意味ではなく、真の友人、村岡花子訳『赤毛のアン』で言うところの、腹を割って話せる「腹心の友」がだれひとりとしていなかった、危険なまでの孤立状態にあったことも今回の転落の要因ではないか、彼の転落劇は社内の権力闘争という側面だけではなく、カルロス・ゴーンという「個人」に起因する要素も多々あるのではないか、という結論で終わっていたので、「読者第一号」としてこの原文記事を読み取ったかぎりでは、「この記者、なに言ってんの?」みたいな気持ちは微塵も湧かず、共感しかなかった。どころか、サウジルートだのオマーンルートだの、ただでさえ時間ないのに事実確認に追われるうちに、マジでこのおっさん「金の亡者だわ」、「やることがあまりにセコいずら !!!」としか思わんかったのも事実(苦笑 × 九層倍)。

 書き手を擁護するわけではないが、この記事は典型的なアメリカジャーナリズムが感じられる良質な取材記事だと思う … それが「ヤフトピ」に掲載された「抄訳」でどれだけ伝わっているか … という点はなかなかむずかしいかもしれないけれど、少なくとも煽情的タイトルで耳目を引きつけるだけのヘッポコ記事ではない、ということだけは、この記事を書いた記者の名誉にかけて言えるかと思います。

 … しかしそれにしてもこのゴーンという人は、なんだろう、ホントにハリウッド映画化なんて実現できるとかって思ってんのかな? スペインの新聞の取材でなぜ大晦日を狙って脱出したのかと問われ、「人々がのんびりと休暇やスキーに行く時期でいいタイミングだった」と自画自賛するようなお人。こういう人に違法な出国を許したほうもほうですが、情けないのはテロリストとか水際で防がないといけないところを「音響機器ケース」ごと突破されたこと。常識的に考えれば、これは国際刑事事件のみならずゆゆしき外交問題事案でもあるわけでして、それなのに突破された国の政府を代表する人間が「… 神奈川県のゴルフ場着。… 名誉顧問らとゴルフ」、「六本木のホテル内 ×× フィットネスで運動」、「『決算! 忠臣蔵』を鑑賞」、「午前中は来客なく、東京で過ごす。午後も来客なく、私邸で過ごす」…… こんなのほほんとした正月気分でいて、ほんとに大丈夫なんでしょうかね。今年はいよいよ世界中から人間がわんさとやってくる年なのに。

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2020年01月13日

「ボージョレの帝王」、逝く

 仕事が立てこみなにかとワチャワチャし、また世界的にもトンでもない事件や国際情勢の緊張などがたてつづけに発生するという前例のない子年の正月。そんななか、ジョルジュ・デュブッフさんが亡くなられたとの報が入った。享年 86 歳。

 ボージョレ・ヌーヴォーは世界でいちばん、理屈抜きに呑んで楽しいお酒だと思う。そのヌーヴォーの楽しさ、すばらしさをデュブッフ・ブランドで証明した功績は、まちがいなく長く語り継がれていくと思います。

 じつはメル友だったフランスの方が一昨年に亡くなったのですが、その方にデュブッフのボージョレ・ヌーヴォーのことを書いたら、「彼は作り手じゃナイよ」とたしなめられた。たしかにデュブッフさんは葡萄栽培農家ではない。デュブッフさんが自身の名を冠した会社はいわゆるネゴシアンで、その会社で契約農家から集めた原酒をアッサンブラージュ、つまりウィスキーで言う「ブレンド」を行っていたのがデュブッフさんだった。ようはブレンダー、それも名伯楽と言えるような、他の追随を許さない嗅覚、味覚の持ち主だった。有名レストランのポール・ボキューズのお墨付きを得たのち、デュブッフ・ブランドのボージョレは世界的に知られるようになり、リヨン地方の地酒でしかなかったこのガメイの醸造酒のステータスも飛躍的に向上、いまや世界のワイン好きが毎年 11月になるとここの新酒を首を長くして待つというのが当たり前になった。

 フランスワインの消費量は右肩下がりみたいですが、ボージョレワインが大好き、という日本の呑助さんはきっと多いはず。ボージョレワインの生産業者はじめ、故郷ボージョレに果たした貢献は計り知れません。

 デュブッフさん、ありがとう! 某コンビニ向け商品として、最後に醸してくれたボージョレヴィラージュ・ヌーヴォーを呑みましたが、心躍るような芳しいアロマ、ブーケのすごいこと !! 翻訳やライティングの仕事の合間に口にした 2019 年ヴィンテージのデュブッフさんのボージョレ・プリムールは、ほんとうにうまかった。Merci beaucoup, M. Dubœuf !!! 

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2019年12月31日

ウン十年生きてきて、初の「著作」を刊行した話

 厳密にはまだ完全にフリーランスではないけれど、フリーという仕事形態に軸足をだんだんに移していくなかでもっとも悩ましいのが、「仕事の切れ目」。なるべく依頼が切れないようにと考えて引き受けたつもりが、こちらの予測をはるかに超えて? うれしいのか悲しいのか、よくわからない状態になることってときおりあると思うんです。で、いまのワタシがちょうどそんな感じ。2年ほど前からいまのような生活スタイルになったんですが、まさか年末年始も休まず稼働しっぱなしになるとは思ってもみなかったので、困惑しつつも楽しんで自分の好きな仕事に励んでおります。

 と、前置きはこれくらいにして、ホントはもっともっと大事なお知らせがあるんです … じつはワタシ、人生初の本を書きました! 本、と言っても、小冊子といったほうがふさわしいくらいの、ささやかなもんです。

 書名は、『《輝き》への航海──メタファーとしての「ラブライブ! サンシャイン !!」』でして、これは紙の本じゃなくて、Amazon Kindle ストア経由で流通している電子書籍というやつでして、本屋さんで売られているふつーの紙の本のような「実体」というものがありません。で、なんせはじめてのことだから、いったいどうやって「出版」すればよいのかもまるでわからず、脱稿したあとはほんとに手探りでやっとこさ、自分の誕生月である 10月にむりやり間に合わせ、なんとか刊行の運びとなりました(当たり前ですけど、原稿を書き終えるだけで1年くらいはかかっている)。

 じつはさらに「じつは」があって、「やっぱ紙の本も作りたいな〜」と思ってググったら、なんとなんとこういう Web サービスがありまして、何冊か作ってもらいました(と言うと聞こえはいいが、じっさいは目次にノンブル入れ忘れたりでおシャカにしてしまった分もカウントしてのこと。Kindle 本は「リフロー」形式でいわゆる「ページ」という概念がないので、目次にページ番号を割り振っていなかったのが失敗のもと)。

 自分の本の宣伝、とくると、今年は京都の観光大使だかなんだかを仰せつかっていた若い芸人さんが Twitter で、いわゆる「ステマ」もどきなことしてしっかり報酬はもらっていた、なんてことがバレて叩かれたりしました。自分の書いた本を自分が宣伝するぶんには問題なかろう、とは思うんですけども、インスタントに世界とつながってしまうこのご時世、うっかり不用意なこと書こうものなら矢だのテッポウの弾だのどこから飛んでくるかもしれぬ。なのであんまりおおっぴらに言いたくはないんですけど、このさいだからハッキリ言います──「みんな、買ってね !!(『サンシャイン!!』第1期5話、「リトルデーモン4号」になった黒澤ルビィふうに)」。

 もうすぐ年明けを迎えますが、この小冊子についてはいくつか書きたいことがあるので、また稿を改めてここでも告知がてら、書き足すことにします。それでは本年はこのへんで。ちなみにいま、なんの仕事をしているかといえば、レバノンにトンズラした哀れな男に関する長めの取材記事の訳出(なんとタイムリーな、というか TV の前でひっくり返っていた)。これ以上は守秘義務上、言えませんので悪しからず。

 … 来たる年も、とにかく前を向いて歩いていきましょう。「人生はすべてが苦である」と言ったのはお釈迦さまですけど、だからこそ、「うわっ! と思う瞬間がある」と高倉健さんは生前、おっしゃっていた。「《いまここ》で永遠を経験しないかぎり、どこへ行っても経験することはできない」と比較神話学者ジョー・キャンベルも言っている。たとえどのような世界であっても、そこに生きる人がみな生き生きしていれば、それだけで世界は救われることになる。これでも人並みに 50 年、生きてきて、ますますつよくそう感じるようになりました。

【書いた本人による広告】
京都の観光PRで芸人さんがをもらっていながらステマっぽいことして叩かれたりしたので、「コレは広告です」と、まずは断っておきます。

このたび、人生初(!)の電子書籍を出版しました。書名は『《輝き》への航海−−メタファーとしての「ラブライブ! サンシャイン!!」』。Amazon のKindle ストアで販売中です! 価格はワンコイン100円、安い!

https://www.amazon.co.jp/《輝き》への航海-メタファーとしての『ラブライブ!-サンシャイン-』-Ryuichi-ebook/dp/B07ZBZKPT4/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=《輝き》への航海&qid=1572425044&s=digital-text&sr=1-1

率直な気持ちを書けば、いままで生きてきたのはこのささやかな小冊子を書くためだったのかな…なんて思うこともあります。とにかくこのアニメ作品に出逢ったことじたいが嘘偽りなくキセキみたいな話なので、このすばらしい作品を作ってくれた人すべてに、まずは感謝、感謝です。
下世話なことを申しますと、一度くらいはバズりたい…なんて思ったりもしますが(a thought-provoking booklet だと思ってます)、とにかく中身で勝負! というわけで、興味ある方は読んでいただけますと幸いです。

そして今日は、本文でいちばん多く引用している比較神話学者ジョーゼフ・キャンベルの命日でもあり、謹んでこの小冊子を捧げたいと思います。

千歌ちゃんとAqours のみんな、thanks a lot❣️ #amazonkindlebook #輝きへの航海 #voyagetoradiance #沼津芹沢光治良記念館 #未体験horizon #国木田花丸 #Aqours #ラブライブサンシャイン #lovelivesunshine #manuscripts #samplepagesfrommybook #macbook12 #pahoehoelava #questedelsaintgraal #聖杯の探索 #カールユング #carljung #josephcampbell #内浦地区沼津 #三津海水浴場沼津 #shizuokaprefecture #shizuokaprefecturejapan


2019年12月22日

フィンランド発 MaaS サービスの衝撃

 先々月の地元紙で見かけて興味を惹かれ、クリッピングしておいた記事についてもうじきクリスマスで冬至だというのに書いてます。

 昨今は SaaS(=Software as a Service)だの、PaaS(=Platform as a Service)だの、「モノのインターネット」を表す IoT が急激に普及してからだしぬけに飛び交うようになった感があります。で、その記事が報じているのは、フィンランドで開発された MaaS アプリが日本上陸した、というもの。

 MaaS とは Mobility as a Service、「サービスとしての移動手段」のことでして、ようは ICT による交通手段利用の革命ってことらしい。なにが革命的かって言うと、この記事で紹介されているフィンランドのスタートアップの開発した「Whim」の場合、「スマホ1台で目的地までの最適ルート選択、および鉄道、バスなどの交通手段の支払いがまとめてできる」という! 

 ふだんから公共交通機関を使い倒しているおっさんですので、この手の MaaS とかいうサービスをはやく試してみたい、と思ったりします。もちろんどんなテクノロジーにも思わぬ落とし穴はあるから、最低限の現金はあいかわらず持ち歩かないといけないとは思うけど、あれほど嫌っていた「なんとかペイ」、よもや自分がその「なんとかペイ」のキャッシュバックに喜ぶようになるとは昨年のいまごろはツユほども思わなかった(でもこれはいたしかたないこと。こっちだって好きでデジタル決済で支払ってるんじゃないです。おなじようなご同輩は多数いるものと思われる)。

 ちなみにこのサービス、千葉県柏市で年内にも試行するとかで、思うに過疎地域でもあり、観光地でもある伊豆半島なんかまさにぴったりのような気がするんですけどね … 『ラブライブ! サンシャイン!!』効果で自分の住む街には全国どころか海外のお客さんもたくさん来てくれてますが、よく耳にするのが「PASMO 使えないの?」という声。もしこのフィンランド発のサービスがここでも利用できるようになったら、それだけでも「伊豆半島めぐりは楽しい! また来よう!!」ってことに、つまりアピールポイント、差別化につながるんじゃないかな。東海バスの乗り放題パスだけではダメで、タクシーも電車もぜんぶ入りではなければこれからはお客さんを呼べない時代になった、と言えるかもしれない。

 … 自動運転の EV バスとか試験運行するみたいで、それはそれでけっこうとは思うが、もっと利用者の立場に立ったこの手の MaaS の導入に本腰入れないとイカンと思われますがどうでしょうかね。ちなみにヘルシンキの公共交通機関利用者のうち、この会社のサービスを利用した人の利用率はそうでない人が 48 %だったのに対し、63%もいたそうです。目的地までの経路検索+交通機関のデジタル決済付き、とくれば、当然利用者は増えますよね。公共交通機関が元気になれば、地域社会にももっと活力が生まれるはずです。

タグ:MaaS

2019年12月04日

南アルプスの恩人、逝く

 日本の山岳写真の第一人者が亡くなった。白籏史朗氏です。

 静岡県民としては、南アルプスの自然を美しいラージフォーマット(大判写真)やハッセルブラッドなどの中判カメラで捉えた写真作品として世界に発信した功績がまずまっさきに思いつくんじゃないかって感じるんですけれども … それと静岡県主催の「秀景ふるさと富士写真コンテスト」の審査委員長を 2010 年度から 10 年間務め、また NHK 静岡主催の「富士山とわたし」写真コンテストの審査委員長も務めていたこともありました。床一面に並べられたプリント写真を長い指揮棒みたいなスティックで仕分けしていく場面も TV で拝見したことがあります。

 白籏氏は師匠にあたる富士山写真の先駆者、岡田紅陽の強力(ごうりき)みたいなことをしていたそうですが、偉大な写真家ながらたいへん気さくな方でして、ここにいる門外漢も一度だけだが、アットホームな講演会を聴きに行って、質疑応答のときに「寒さでシノゴ(4 x 5 インチの大型カメラ)のレンズシャッターのオイルが効かなくなってシャッターが壊れたことがあるのですが、先生はどんなオイルを使っているのですか?」とおよそ一般人が訊くような質問ではない質問をしたことがあります。そのときの白籏氏のお答えは「ぼくは鯨油を使っています」だったが、その後、自身の写真や主宰する写真愛好会「白い峰」の作品を前にだれとでも気さくに歓談しておられたその姿は、まだ 20 代だった自分にもとてもまぶしく、ああ、こんなふうに歳を重ねていったらすばらしいものだと思ったものでした。とにかく人徳と言うのか、まわりにすぐ人が集まる感じのやさしい人柄の方でした。

 ザイルごと転落して九死に一生を得た話とか、活動拠点が高山なので、常人にはおよびもつかないとてつもない「体験」もふつうの人の何倍もされているから、きっとそういう体験の幅の厚みがすなわち人間力だったのかとも思う … とにかく訃報に接したとき、まず思ったのはああ、先生が愛してやまなかった南アルプスをめぐって大問題が持ち上がっているさなかに逝かれてしまった、という悲嘆だった(ご自宅がなんと三島市だったのにはびっくりした。あのへんはよく通りがかっているんですけども … )。生前、「リニア中央新幹線計画はほんとうに必要なのか」という地元紙のインタビューにも応じていたそうで … 「日本の国土を蜂の巣のようにしてなんのプラスがあるのか」。利潤追求の究極のエゴとマイホーム主義で取り返しのつかない結果を招く愚だけは、なんとしても避けなければならない、と静岡県民のひとりとしてつよく思う。合掌。

 もし白籏氏の意を汲んで南アルプス保全のための署名活動とかが始まることがあれば、まっさきに署名したいと考えている。先日も地元のラジオ番組でパーソナリティーの方が、「(リニア新幹線トンネル工事予定地の)南アルプス直下の破砕帯は巨大な地下ダム。ここにトンネルを通すということは、この地下ダムをいっきに破壊する、ということだ」と卓抜な比喩で危機感をあらわにしていたのが印象的だった。

付記:「署名」、ということに関してすこしだけ補足。インターネットの普及とインフラ化にともない、いろいろなサービスがネット経由で行われるのがごく当たり前な 21 世紀前半のいまなんですが、いまひとつフに落ちないのが、いわゆる「ネットで署名運動ができちゃう」プラットフォーム。以前、高尾山古墳の保存を求める署名活動を進めていた市民団体がそこを利用していて、自分もそこを経由して署名したんですけど、他のネットサービス同様、そもそも「署名を集める」ということをまるで理解していないか、悪ノリ、ないし悪用さえしている例が目立つ気がする(いや、気がするんじゃなくて、じっさいにそう)。たとえば昨年のいまごろ、自分の住む街を舞台にしたアニメ作品『ラブライブ! サンシャイン!!』の主人公のスクールアイドル Aqours を演じる声優さんたちが晴れて紅白に出る、ということになったらなったでさっそく(?)、「彼女たちを出演させるな!」みたいなネガティヴキャンペーンもどきな「署名集め」がそのプラットフォーム上で展開されたことがある。

 ワタシ自身、かつて西伊豆町宇久須[うぐす]の旧珪石鉱山だった山のてっぺんにアスベスト処分施設を造る話が持ち上がったとき、ほんとガラにもなく署名用紙握りしめて親戚や知り合い、馴染みの床屋や写真材料店なんかに飛びこんでは、建設計画の白紙撤回を求める署名をお願いしますと頭下げて廻ったもんだ。もちろん、人によっては断られたりもした。ひとさまの署名を集めるって、よほどの cause がなければとてもできませんよ、ふつうは。紅白出場無効を求めた話については署名を集める正当性もないし、だいいちそんなことよけいなお世話もいいところで時間のムダ、ですわぁ〜、とおおいに呆れたことがあります。そして自分がそこで「署名」して以来、迷惑メールよろしく、そのプラットフォームから「署名のお誘い」メールが頻繁に来るようになった。ほんとよけいなお世話。署名すべきかどうかその当人が判断すればいいだけのこと。Amazon のような商売するためのプラットフォーマーとは根本がちがう。

 いずれにせよ署名活動のキホンはしっかり「顔出し」して、なんでそうする必要があるのか、ほんとうに署名を集めなければならないのか、を第三者にわかるように主義主張を訴えたうえで、「よろしくお願いします」と頭を下げるのが常識ではないですか。だれもかれも「署名集め」にかこつけて揚げ足を取ったり誹謗中傷まがいのことをするのはどこの世界に行ったって許されるもんじゃないって思うんですけどどうですかね。ネットが普及していちばん目につくようになったのは、この手のあと先考えない「安直人間」が爆発的に増えたこと。これには疑いの余地がない。

タグ:白籏史朗
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2019年11月23日

Totally beaten! 参った …

 前々から行こう行こうと思ってはやウン十年、このたびようやく浜松市楽器博物館に行ってきました。いまこれを宿泊先のホテル(われながら柄にもなく!)で書いてます。

 中央エントランスを入っていきなりデデンと鎮座ましますのは、ミャンマーの「サイン・ワイン」と呼ばれる大型伝統楽器。ドラゴンとかのきらびやかな装飾の施された太鼓やゴングからなる楽器なんですが、この楽器を使用して以前、行われた実演の映像を観ると、なんとこの楽器の中に演奏者が入って演奏するというからさらにビックリ。

 … 展示室に入るなり、すでにしてやられた感ありですが、向かって右手に雅楽や歌舞伎、寺院などで使われてきた邦楽の楽器の展示室が、サイン・ワインを挟んで反対側に有名な「ガムラン」を含むアジアの伝統楽器や中東の民族楽器が広〜い展示室内を埋め尽くすように配置されていて、それだけでも壮観のひとこと。ガムランの奥に、世界最大とされる竹でできたガムラン「ジェゴグ」もあります。

 楽器専門の博物館らしく、展示楽器のなかにはヘッドフォンでじっさいの音が聴ける仕掛けもあります。そして写真撮影 O.K. という、なんともありがたいサービスに甘えて、もうキュルケゴールじゃないが「あれかこれか」って感じで食指をそそられるものは手当たりしだいにバシャバシャ撮りまくっていた。サントゥールやカーヌーンというツィターや現代ピアノのご先祖様に当たるイランの古楽器をはじめ、チャルメラみたいなダブルリード楽器に、リュートや琵琶の共通の祖先のような弦楽器ウードとか、名前こそ聞いたことはあれど現物を目の当たりにするのはもちろんはじめてなのでおのずと血が騒ごうというもの。

 ほかに印象的だったのはパプア・ニューギニアのいわゆる成人儀礼、イニシエーションのときに吹かれるという尺八みたいな湾曲した巨大な縦笛や、中南米に伝わったマリンバのような打楽器、あと原始的な太鼓をはじめとするアフリカ各地の民族楽器なんかはまるで知らないから、ヘッドフォンで試聴したりするうちに自分のなかで西欧クラシック音楽以外の民族音楽というものに対する考え方、いや偏見なのかもしれないが、とにかく短時間のうちにそれがどんどん変わっていくのに気がついた。たしかにリュートもピアノも、もとははるかかなたの中東起源だから、ほんらいこういう感慨に浸るのはヘンだとは思うが、「クラシック音楽の楽器」というあまりに偏ったモノの見方にいかに慣れきってしまっているか、ということがこうした楽器たちが一堂に会するすばらしい博物館に来るとよくわかった気がして、ほんともう目からウロコが落ちっぱなしで、泣けてきた。

 で、当然ながら、当方にとってはなじみの古楽器たちももちろんおりました。その名のとおり真っ黒な蛇がのたくったかのような管楽器セルパン(チューバの先祖、ちなみにセルパンの名はオルガンのストップ名称に残っている)、「愛のヴィオラ」ヴィオラ・ダモーレをはじめとするヴィオール属、そしてオルガンやチェンバロ、フォルテピアノからピアノロールと呼ばれた自動演奏装置付きピアノまで、よくぞこれだけの数を収集なすった、と終始圧倒されどうしでした。

 ワタシの大好きなオルガンですけど、見かけは本物のポジティフオルガンかと見紛うほどよくできたストップ付きリードオルガンが三つほどと、チェンバーオルガンが展示してありました。でもここの鍵盤楽器コレクションの白眉は、「鍵盤楽器展示室」を入ってすぐ目につく場所にスポットライト浴びて展示されている、フランソワ・エティエンヌ・ブランシェ2世(F.E. Blanchet II, c.1730-1766)製作の二段手鍵盤のクラヴサン(チェンバロ、ハープシコードの仏語名)。たしかこの楽器、記憶が正しければ、あのレオンハルトも何十年か前に録音で弾いたという歴史的名器だったように思う。例の試聴ヘッドフォンから流れてきたのは、ジャック・デュフリの「三美神 ニ長調」という『クラヴサン曲集 第3巻』に収められた音源から(ちなみにニ長調という調性は、「輝かしさ」や「明るさ」を表現する作品に多く使われる)。音源はたぶん、この楽器を使用して録音された中野振一郎氏のアルバムからだと思う。典型的な古典フレンチの二段手鍵盤タイプの、重厚ではあるがどこか軽やかさ、典雅さも感じられる音色の楽器です。

 とにかく今回、来て、じっさいに観て、触れて(チェンバロ、クラヴィコード、ピアノはアクションと呼ばれる発音機構の模型も置いてあって、だれでも触って音を出してみることができる)、これまでの音楽観を揺さぶられるほどの感動を味わった。こんなとてつもない施設が楽器の街として知られるここ浜松にあるとは、なんともうらやましく、ぜいたくにも感じられたのでありました。というわけで、いまはNHK杯女子・男子フリーをホテルの TV で観ながら持参した読みかけの洋書を読むところ。

@とA 浜松も負けずにsunshine!!
B〜I 浜松市楽器博物館
C サントゥールと
D カーヌーン、ともに現代ピアノの遠い先祖
FとG 陶器のオブジェですけど、オルガンの造りの芸の細かいこと❣️
HとI フランスバロックの歴史的名器、ブランシェ2世製作のクラヴサン(チェンバロ)
このシリーズしばらくつづける予定です〜〜、はじめて来たけど、いや〜〜もうオラびっくりしたずら〜〜
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