訳者あとがきを入れる/入れないの判断は、翻訳書の邦題をどうするかも含めて担当編集者さんの裁量に一任されているのが一般的だと思う(文芸もので、しかも訳者が出版社に話を持ちかけた「持ち込み企画」の場合は、訳者の熱量にほだされてそのままあとがきもお願いしますねってこともあるかもしれないが)。
問題は、そうやって翻訳者以外の第三者が書いた解説がてんで明々後日の方向を向いていたり、牽強付会我田引水的だったり、はっきり言ってつまらなかったりピンポケだったりしている場合。そういうわけで今回は、日本でもよく知られたハーバード大学の政治哲学者マイケル・サンデル氏の能力主義を批判した邦訳書の文庫版を例に引いて、ちょこっとジジイ放談してみたくなりました(※老婆心ながら、ワタシが小学生時代の日曜の朝に放映していた、政治評論家のおっさん2名が言いたい放題意見をぶつけ合う「時事放談」という番組タイトルをもじったもの)。
のっけから「本書は、〜 の邦訳である」とバーンと(それこそ優木せつ菜のえいがさき楽曲「BURN!!」じゃないけど)いきなり書き出されていて、なんかこうムズムズしちゃいます。そんなこと読了したばっかの読者は百も承知ずら。それに訳者でもないのに「でR」(ネタが古すぎるか)と断言されても …… そして巻末なのにまるでこの本を読んでない人向けに書いたような各章の「要約」がつづき(長ッ!)、「以上が本書の概略である」と要約だけにようやく(?)ここから本題でございって感じになる。しかしサンデルの言わんとするところを深堀りするというより、ご自身の用語系なんかを引っ張り出して、「…… 何を善とみなすかについての議論の必要性を説くことに留まっており、曖昧さを含むことは否めない印象である」とまたしても「でR」調なのはいいとして、そもそもキチンとこの本読んだのかいなって、本文/原注に誤植を見つけた読者は率直に思う(p. 419 の Open Crass は著者名 Oren Cass の間違い)。言い方はたいへん失礼ながら、ハズレの解説に当たっちゃった感じは否めない印象である(おまけに merit の原義は「功績」という話までくっつけてる …… この本が問題視しているのは功績は功績でも、成果主義のほうでは? ご丁寧に文庫版にもあらたな解説を書き下ろし、それがさらに脱線気味なのも挨拶に困ってしまう)。
…… 市場化によって締め出される道徳的規範について熟慮し、人々のあいだで議論することの意義は、市場の力が増す現代社会においてこそいっそう高まっていると言える。社会の市場化を擁護する人々は、市場は道徳的価値から中立だと主張するが、それは間違いなのだ。そもそも、市場化は社会における幸福の量を増すのだから望ましいとする時点で、功利主義的な価値観を前提としているのは明らかだろう。道徳的価値からの中立は幻想だとするこの主張は、サンデルの著作に多く現れる重要なテーマでもある。──M. サンデル/鬼澤忍 訳『それをお金で買いますか:市場主義の限界』(p. 300)↑ は、同一の訳者による 2014 年に刊行された文庫版の「訳者あとがき」から。同じ読むのなら、一読者としてはこちらの「訳者あとがき」のほうがはるかに好ましく思われますけどね(個人的印象としては、日本語版としては最新刊のお題のご著書より、10 年以上前に出たこちらの本のほうが内容的におもしろいから、こちらは書店に行ってしっかり買っておきました)。
…… 文庫化されたキャンベル本にも、そんな迷解説≠ェかつてあったっけ──「つまりこういうことなのだ。私は、小説家で、数ヵ月前に五十歳になった。それは一つの『区切り』なのだと思った。で、私は何をしたのか? これは現在も続行中なのだが、モノの片付けに入った …… なにしろ膨大な量がある。
(中略)さて、私はここまで何を書いているのか? ジョーゼフ・キャンベルの『生きるよすがとしての神話』の文庫解説用の文章で、何を書き連ねているのか?」ってきて、「至高のもの=究極点に人類が近接したいと望む時、やはりそこにもニ種のアプローチがあり、そのことをキャンベルは本書できっちりと書いている ── 講演録なのだから『語っている』がまず最初に来る ── ということだ」(pp. 440−442)
ハァ???(『ちいかわ』のうさぎで)
幸い、こちらの文庫版には初版の「訳者あとがき」が全文再録されている。なのでよけいに蛇足感が否めないのである。
というわけで、ようするにワタシは訳者御本人が書き下ろした「訳者あとがき」が読みたい人なんです。せっかく多大な労力と時間をかけて(それこそサンデル教授が「貢献の真の価値は、受け取る賃金では測れない。賃金は、経済哲学者フランク・ナイトが指摘したように …… 需要と供給の偶発性に左右されるからだ。貢献の価値を決めるのはそのような需要と供給ではなく、力を注ぐ対象の道徳的・市民的重要性だ」と書いているように[p. 369]、金銭的にまったく割に合わない仕事、という事実もものともせず!)ヨコのものをタテにして(場合によっては横書きの訳書もあるけど)いる翻訳者自身による分析や解釈や批評が読みたいんです。そういえば『訳者解説』なんてタイトルの本もありました …… すこぶる fun to read な本でした。
【補足】:❶ 「能力主義の専制」(本書の原題)の残酷な副作用として、苛烈な競争を経た高学歴者もまた精神がボロボロに傷ついている、という話に関しては、ビル・マッキベンの本にもこんな一節が出てくる(下線強調は引用者)。
…… 中国青年報の最近の調査によれば、若者の 66 %が成功しなければならないという「厳しいプレッシャーにさらされていると考えている」…… 中国の一流大学を卒業して年俸1万1000ドルの職に就いているという典型的な 三〇代男性の言葉を引用している。「人生はストレスだらけです。いつも肩にものすごいプレッシャーがかかっているのがわかります。どうにかしてもっとうまくやりさえすれば、金持ちで幸せになれるのかもしれません」(『ディープ・エコノミー』, 2008, p. 268)米国の場合も、まったく同じ病理が学歴競争の勝者のあいだにはびこり、一方、ありもしない「白人の特権」をタテに社会から忘れられたそうでない人々(おもに白人男性)はそんな彼らを憎悪し、こうして社会の2極化と分断は容赦なく進行して、その結果がいまわたしたちが目の当たりにしている現米政権のやりたい放題の横暴、ということになる。また、「アメリカン・ドリーム」の考察も個人的にはおおいに興味を惹かれた(昔、アメリカン・ドリームは論文のテーマに値すると書いていた英米文学翻訳家の先生がいたので。ついでに第7章後半に出てくるラナ・フォルーハーは、日経を読んでいる人にはおなじみな感ありの、 英 FT 紙のグローバルビジネスコラムニスト。引用されていた原著はおもしろそうなのに、あいにく邦訳はないみたい)。
❷ 第4章原注(p. 448)の 74. の著作は邦訳が出ている(のに、なぜか引用がないから)⇒ スティーブン・レヴィ/仲達志・池村千秋 訳『グーグル:追われる立場から追う立場へ』(2011)の第7章(pp. 499−519)。たまたまコレ持っていたので気がついたしだい。「監視資本主義」的な本ももちろん良いけど、巨大 IT 企業の内幕暴露的なノンフィクションが好きな方には合わせておススメしたい1冊。
❸ 同じ章の原注 11.(p. 455)について。原記事を見たら "Turning to his central theme, education , he said: 'Ask me for my three main priorities for government and I tell you: education , education and education .'" とあり、おそらくコレは往年の洋画に出てくる、「新聞記者にとって重要なものが3つある。第一に accuracy、第二に accuracy、第三に accuracy だ!」という科白が元ネタだろうと思う*
❹ 本文中、トマ・ピケティの論文と著作の引用もいくつか出てくるけれども、そのピケティ先生、じつはこのサンデル本の「大ファン」だって御本人の前で明かしちゃってもいる(『平等について、いま話したいこと』, p. 64)。ハーバードを含むアイビーリーグなどの米名門大学のブラックボックス化している寄付金とその問題について、ピケティは『21 世紀の資本』(2014)でも触れている(pp. 464−469, pp. 504−506)
*:うろ覚えだったため、最初にそれを知ったタネ本が地元の公共図書館に納本されていることも知っていたから(ホントは持ってるんですけれども、行方不明中 …)確認しに行って、タリーズでエスプレッソ飲み飲みスマホでウラとりしていたけれどもいっこうに出てこず。??? のまま帰宅してあらためて PC で検索したら、こちらのラブコメものが引っかかった(本にはグレゴリー・ペックなんて書いてあったけれども、正体を隠してジャーナリズム講座に潜り込んだ腕っこき新聞記者を演じたのはクラーク・ゲーブルだった orz)。どうもピュリッツァーの逸話の孫引用らしい(ピュリッツァーは「新聞作りで忘れてならない重要な3点とは何か?」と訊かれたとき、「それは正確性、正確性、そして正確性です」と返した)。
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