2017年10月16日

『浮世の画家』

 「名訳に学ぶ」、今回は祝ノーベル文学賞受賞カズオ・イシグロ氏、というわけで、『浮世の画家』を取り上げたいと思います。

 原作の An Artist of the Floating World ( 1986 )の邦訳を手がけたのが、キャンベル本の翻訳者としても知られる故飛田茂雄先生で、1988 年のこと。もうずいぶん前のことになるんですねぇ。当時、まだ若かった( !! )ワタシも神保町のタトル商会で初版本見かけたりしたもんですが、今回のノーベル文学賞をイシグロ氏が受けた、との報道に接したとき、まず頭に浮かんだのは当時、ちょっとしたもめごとになったことのほうでした。

 さる女性文芸評論家の先生が、原書と逐一対照したわけでもないのに「 … それなのに翻訳では原文とほど遠い日本語になっているのは残念」という趣旨の書評を書いたもんだからさあ大変。飛田先生はかなりアタマにきたらしく( いや、まっとうな仕事している文芸翻訳者だったらだれだって腹立つよ )、その根拠薄弱な書評書いた評論家に対して反論するという事態になった。

 … なんてこと思い出していたもんですから、つい若きイシグロ氏の書いた『浮世の画家』について書こうかと思い立ちました( 苦笑、参考文献等は最後に列挙しておきます )。

 まず冒頭部、原文と飛田訳をとくと見比べてみましょう( 以下、下線強調は引用者。「銀杏」と「梢」にそれぞれルビあり )。
 If on a sunny day you climb the steep path leading up from the little wooden bridge still referred to around here as "the Bridge of Hesitation", you will not have to walk far before the roof of my house becomes visible between the tops of two gingko trees. Even if it did not occupy such a commanding position on the hill, the house would still stand out from all others nearby, so that as you come up the path, you may find yourself wondering what sort of wealthy man owns it.

 But then I am not, nor have I ever been, a wealthy man. The imposing air of the house will be accounted for, perhaps, if I inform you that it was built by my predecessor, and that he was none other than Akira Sugimura. Of course, you may be new to this city, in which case the name of Akira Sugimura may not be familiar to you. ...

 このあたりには今でも< ためらい橋 >と呼ばれている小さな木橋がある。そのたもとから、丘の上までかなり急な坂道が通じている。天気のいい日にその小道を登りはじめると、それほど歩かぬうちに、二本並んでそびえ立つ銀杏の梢のあいだからわたしの家が見えてくる。丘の上でも特に見晴らしのよい場所を占めているこの家は、もし平地にあったとしても周囲を圧倒するほど大きいので、たぶん坂を登る人々は、いったいどういう大金持ちがこんな屋敷に住んでいるのかと首をかしげることだろう。

 いや、そんな家に住んでいるからといって、わたしは決して金持ちではないし、かつて金持ちだったというわけでもない。この家はわたしではなく、前の住人が ―― ほかでもない、あの杉村明が ―― 建てたものだと言えば、みんななるほどとうなずくのではあるまいか。もちろん最近この市に転居してきた人なら杉村明と言われてもピンとこないだろうが …… 。

 いかがですか。細かく見ると飛田先生の苦心のほどというか、技巧の冴えが見て取れるんじゃないでしょうか。不肖ワタシが最初これ見たときの衝撃は、けっこうなもんでしたね。

 まず気づくのは 'the steep path leading up from the little wooden bridge still referred to around here as "the Bridge of Hesitation' が独立した一文として書き出され、'on a sunny day' 以下がそのまま第二文を導き「 … わたしの家が見えてくる」と締めているところ。そして「銀杏」の前に「二本並んでそびえ立つ」が補足されてます。

 つぎの段落では、'the imposing air of ...' が地の文章に完全に溶けこんでいる箇所がとくに目を引きます。「銀杏の木」の補足訳とここの箇所はいずれも中村保男氏が指摘しているところでもあるけれども、このように訳出した飛田先生本人がこの冒頭部について書いているのですこし引用しておきます。
ここで語り手は、たぶん 60 代半ばの老人という設定になっている。いかにも老人らしい淡々とした語り口を再現しようと、私は次のように訳してみた。

 この界隈では今日でも< ためらい橋 >と呼ばれている小さな木橋を渡って急坂を上ると、そう遠く行かぬうちに、天候さえよければ、並び立つ銀杏の木の間から我が家の屋根が見えてくる。周囲を睥睨する丘の頂上に立っているこの家は、もし平地にあったとしても一際目立つほど大きいので、人々は坂を登りながら、いったいどんな金持ちがこんな屋敷に住んでいるのかと不審に思うだろう。

原文と同じく 2つの文から成る。ひとつの文が長いのは、わざと戦前の小説の調子をまねたからである。…

これを読んだ I 氏というベテラン編集者は、「これじゃいくらなんでも年よりくさ過ぎます。いつものトビタ調で訳してください。イシグロはまだ 20 代の作家ですよ。読者も若々しくてイキのいい訳文を期待しているはずです」ときびしい批判を下された。いや、若い作家がみごとに老人口調を操っているところに面白味がある、と反論したかったが、よく考えてみると、 I 氏のおっしゃるとおりで、こういうもったりとした文章は現代の若者好みではない。…… 翻訳調を少し表に出してみようと、こう改めた。

 もしあなたが天気のいい日に、この近所ではいまだに「ためらい橋」とあだなされている小さな木の橋のたもとから、急な坂道を登り始めると、そう大して歩かないうちに、二本のいちょうの木のあいだからわたしの家が見えてくるはずだ。見晴らしのいい丘の上に立っているこの家は、もし平地にあったとしてもひどく目立つほど大きいので、坂を登るあなたはきっと、いったいどんなお金持ちがこんなお屋敷に住んでいるかと疑問に思うだろう。

文章は相変わらず 2つだが、かなり翻訳文らしくなった。しかし、「あなた」という語りかけの口調はどうも日本人の耳にはなじみにくい。というわけで、また「あなた」を削り、小さな修正を加えた。

 天気のいい日に、この近所ではいまだに「ためらい橋」とあだなされている小さな木の橋のたもとから、急な坂道を登り始めると、そう大して歩かないうちに、二本のいちょうの木のあいだからわたしの家が見えてくる。見晴らしのいい丘の上に建っているこの家は、もし平地にあったとしてもひどく目立つほど大きいので、坂を登る人はきっと、いったいどんな大金持ちがこんなお屋敷に住んでいるかと疑問を抱くだろう。

まだなにかがおかしい。読んですぐ情景が思い浮かばないのだその理由は「天気のいい日に」を最初に置いたことにもありそうだ。そう思って、また何度も訳しなおした結果、ようやくいま中公文庫に載っている訳ができた。

 ちょうど折よく、NHKラジオ第1の「深夜便」で書評家の方が出てこんなことしゃべってました。「カズオ・イシグロという作家は各国語への翻訳も考えて、翻訳しやすいようにわかりやすい文章で書いている、という話もあります」。ほかならぬ翻訳者自身のこうした「告白」を見たあとでは、まさか、って思いますよ。飛田先生がこの小説作品の出だしをいかに苦労して訳出したか。さらに引用をつづけると、
… 文章は 3つになった。まあこれなら若い読者でもなじめるし、老人の口調も出ている、と思ったものの、まだ訳者のひとりよがりが残っているのではないかと恐れた。出版後しばらくして、カズオ・イシグロご本人から、ご両親と叔父に当たられる方が私の訳を読んでたいへん褒めておられたということをうかがい、ほっと胸をなで下ろした。

 それにしても、たいていの読み手は ―― 当然のことながら ―― 翻訳というかたちでイシグロ作品に触れる場合がほとんどだろうから、翻訳者の責任はきわめて重大、ということになる( ついでに飛田先生が最初の訳文について「わざと戦前の小説の調子をまねた」という部分、個人的にはどこかしら佐藤春夫ふうかなとも思った )。もちろん医療関係論文の翻訳だって人命がかかっていたりするわけだから、これはどんな分野 / ジャンルの翻訳作業に対しても当てはまるわけだが、こと文学作品に関して言えば、読み手がその本を手に取ってまず最初に受けるイメージを決定づけてしまうわけなので、きょくたんな話、ヘンテコなやっつけ訳みたいなのに不運にも出会ってしまうともう二度と、その作家の作品は手に取って、あるいは買ってもらえそうにない。逆に読者について言えば、あまりにも翻訳という言語転換作業について無頓着すぎる。とくに書評を書くようなプロの読み手を自他ともに認めるような人たちがそう。翻訳家で書評家でもある鴻巣友季子氏によると、現在の書評業界( ってなんかヘンな言い方ですけど )で翻訳本を取り上げる場合、キチンと原本と対照して書評を書く人ってほとんどいないそうだ。だから約 30 年前のような騒動になったりするんだな。べつに原本じたいが入手できなくても、いまじゃ Google Books だってあるわけだし、部分的にも対照できるはずなのにそういう裏をとるプロセスさえおろそかにして平然としている書評子が大半だ、というのはどう考えても問題だと思うぞ。

 最後に日本文学の英訳例をちょこっとだけ挙げておきましょうか。
The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky. The train pulled up at a signal stop.
 あまりに有名すぎるので川端康成の原文は省略。つまり英語圏の読み手にとって、川端文学の基本的イメージはこの出だしの一文だったりするわけです。でもよーく見るといろいろと食いちがっている。このへんの事情を詳しく知りたい向きは中村保男著『創造する翻訳 ― ことばの限界に挑む( 研究社出版、2001 )』の巻頭で検討しているので、ぜひ読んでみてください。いずれにせよ英文と日本文とではあまりにも言語構造がちがうので( 深層意識レベルでは意外にも[?]似通ったりする場合もあるにはあるが )、ヨコのものがすんなりタテになってくれないのです。それなのに「労多くして得るところの少ない仕事( 村上春樹氏 )」なのが翻訳という営為。2, 30 年前に比べればいまのほうが翻訳、ないし翻訳者に対する世間の態度はマシになってはいるかとは思うが、たとえば「印税率をもっと下げます」なんて言われて悔しい思いをしている先生方も事実、おります。あ、そういえば中村保男氏の本で 'Time flies like an arrow.' というのをコンピュータ翻訳機にかけたらどんなのが出てきたかについて書かれた一節があるんですけど(「時間蠅は矢を好む」とか )、いまの Google 翻訳にかけたら「時間は矢のように飛ぶ」とちゃんと訳してくれまして、このへんは AI だかビッグデータだかアルゴリズム体操だかなんだか知りませんが、ラテン語翻訳まで( いちおう )できちゃう機械翻訳ですからさすが、と言うべきか。でもいまだに英日 / 日英間の機械翻訳ないし自動翻訳はハードルが高いことは相変わらず。たとえば上の諺をちょこっと「変奏」して、'Fruit flies like a banana.' に変えて Google 翻訳に突っこんだらたちまちにして「果物はバナナのように飛ぶ」とハエの脚ならぬ、馬脚を露す(「片腹痛いですわッ」by 黒澤ダイヤ )。

 というわけで、当分のあいだは人間の翻訳者は必要、ということですな( ご同慶の至り )。というかこれをネタにして清水義範さんばりのショートショートでも書けそうな … 気はする( ちなみに英訳冒頭の the ですけど、主人公が乗ってる列車ですのでここはぜったいに定冠詞になる。イシグロ作品の飛田訳とおなじく、あるていど「単純化」された文章に成形している点にも注目。そういえば先日、地元紙連載コラムで「グーグル翻訳が変える生活」という寄稿記事を見かけた。「論より証拠。皆さんも一度ぜひグーグル翻訳を使って英作文や英文翻訳をしてみてほしい。最先端の技術が私たちの生活をいかに変えうるものかを実感できるはずだ」とそのデキをずいぶん高く買っておられるようでしたが、日英 / 英日にかぎって言えば例に挙げたとおりでそんなに楽観的ではない )。

 ついでに図書館ばかりか、本屋も「祝ノーベル文学賞」とかってあるのにカズオ・イシグロコーナーは空っぽ( !!! )。版元はほんとうに予想してなかったみたいで、増刷かけても間に合ってないらしい。しかたないからいつも行ってる図書館に寂しく(?)書架に収まっていたイシグロ氏 20 代のころの鎌倉を舞台にした『夕餉( A Family Supper, 1982 )』という短編の収録された『ペンギンブックス現代英国傑作短編集[ The Penguin Book of Modern British Short Stories edited by Malcolm Bradbury, 1988 ]』を借りてその作品を読んでみた。カポーティの Miriam を思わせるちょっとこわい終わり方だったのが印象的な掌編でした。そういえば文学賞受賞のおかげで再放映されたこちらの番組。あらためて見て、すばらしいな、と感じ入ったしだいです。次回作はどんな作品になるのかな? 



[ 参照した文献 ]
飛田茂雄『翻訳の技法』研究社出版、1997, 2009.
中村保男『名訳と誤訳』講談社現代新書、1989. / 『創造する翻訳 ― ことばの限界に挑む』研究社出版、2001.
村上春樹『村上春樹 翻訳( ほとんど )全仕事』中央公論新社、2017.

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2017年10月02日

'0 ⇒ 1' 、「0を1に」変える物語

 今年になって、急に駅前がにぎやかになりだしたような気がした。かわいらしい女の子が描かれたラッピングバスにタクシーが走る。そんなバスやタクシーを狙って高級デジタル一眼を構える人たち。たまたまそんなラッピングバスに何度か乗ったりもしたが、悟りの遅いワタシはと言えば当初は「いったいなんなのこれ ?? 」としか思えなかった。

 そんな折も折、NHK Eテレでそのアニメ作品が全編放映、とあいなって、それならばと見てみることにした。するとこの作品にはいわゆる「教養小説( Bildungsroman )」の伝統があらたな衣装をまとって「駿河湾の片隅の町」に「降臨」した完成度の高い物語だということがわかった。

 アニメ作品、とくると、なにか小説や戯曲、実写映画などとくらべて格下のもの、という偏見を持ちがちにはなるけれど、「よいものはよいもの」が信条の人間としてはいやいやどうして! この『ラブライブ! サンシャイン !! 』という物語は細部まで計算された、感動的でさえある「少女たちの成長物語」として認めざるを得なくなった。スクールアイドルユニット Aqours の9人にはそれぞれカラーとシンボルがあるようで、このへんはなんかヴァーグナー作品とかの「示導動機( Leitmotiv )」も想起させる( Aqours というのはなんともけったいなスペリングですが、どうも aqua + our[ s ]ということらしい。ジョイスばりの「カバン語」ですな )。

 とはいえ「ラブライブなのか街おこしなのか、よくワカラン」という混沌状態なのが偽らざる現状でして、もちろんファンの方の「聖地巡礼」は大歓迎。けれども問題は、アニメ作品ならば放映期間が終わったあともこれが一過性のブームではなく定着してくれるかどうかにかかっている。以前、市役所が「高尾山古墳」保存と都市計画道路との両立について意見を募っていたから、僭越ながら一市民として意見を書き送った。書いたことはこっちの話でも通じることで、ようするに「回遊性をよくして」ということだ。このあたりはけっこう古墳が多くて、たとえば戸田[ へだ ]地区( 旧戸田村 )の井田というところに7世紀ごろの豪族の墓と言われる「松江山[ すんごうやま ]古墳群」という遺跡がある。高尾山古墳と松江山古墳群の中間地点には深海水族館と食堂街があり、いまは廃止されてしまった( これは前市長が悪い )戸田までの定期船航路を復活させて連絡し、回遊性をもたせたらどうか、ということ。駅の高架化計画が長年の懸案になっているが、もし高架化が実現したら北口にはコンヴェンションセンターがあるので、南口側には高尾山古墳のビジターセンターもくっつけた複合文化施設 ―― 図書館機能の一部をここに持ってくればなおよい ―― にしてほしい、と思っている。

 物語の主人公の高海千歌( ちかっち )がこんなことを言う場面があります。「しかもこんななにもない場所の、地味アンド地味、アンド地味! ってスクールアイドルだし」。「そして町には … えっと町には …… とくになにもないです![「それ言っちゃダメ … 」と同級生に切り返される ]」。この科白、なんかいきなり深層意識を突かれた感じがしたのはワタシだけじゃないはず。たんにアニメ作品の「聖地」としてではなく、高尾山古墳や伊豆半島ジオパークつながりでも連携して点と点を結びつけ、定期船航路も復活させてうまいぐあいに回遊性を持たせることが急務じゃないかって門外漢なりに考えております、ハイ。

 「物語の効用」、ということでは、つい先日も地元紙にこんなすばらしい話が掲載されてました。記事読んで本質を鋭く突いていると感じたのは、実家の廃工場を劇場へとみごとに再生させた東京学芸大の学生さんの指摘です。「産業の発展は重要だが、それだけでは息苦しい」。しかり !! Couldn't agree more !! 正鵠を射る、とはまさにこのこと。たかだかペイントしただけのふつーのバスやタクシーに乗車してまで「巡礼」するのはどうしてなのか。これこそほんとうに人を惹きつける「物語」の持つすばらしい効用ではないか、と思う。ふた昔前だったら「付加価値云々」なんて言われていたかもしれないが、物語はモノじゃない。人間の精神に直接訴える力を持っているから、しぜんと人がやってくるのだと思う( とはいえアニメ作品ではほぼ完全に女子 / 女性しか登場しないから、あれは一種のパラレルワールドの話なのかって気もしないでもない )。

 『サンシャイン !! 』については、すでに熱心な方がたいへんまじめに考察しているサイトとかが複数存在しているから、ワタシなんかが口をはさむ余地なぞなにもないんですけれども、比較神話学者キャンベルの著作や映画 Star Wars シリーズとかとも相通じる思想が透けて見えるのはおもしろいところ。たとえばちかっちが「いちばん大切なのはできるかどうかじゃない。やりたいかどうかだよ!」言う場面では即座に「エピソード5」の 'Try not. Do. Or do not. there is no try. ' と修行中のルークを諭したヨーダ師匠の科白が脳内反射していた( ちかっちのほうが個人の自由意志を尊重しているのに対し、こちらはどちらかと言えば運命論的ではあるが )。あ、そういえば寺の娘の国木田花丸という子は、いちおう設定では「浦の星女学院」の聖歌隊員( !!! )だそうだ。どんな歌声なのかしらって Aqours のみんなといっしょに歌ってるずら( 文学少女で図書委員、という設定も個人的にはたいへん気に入っている。脱線失礼。ついでに花丸ちゃんが学校の図書室で手にしていたのは太宰治の短編集『お伽草紙』だったが、ちかっちの実家モデルになったのはもちろんその太宰が滞在していた老舗旅館で、『斜陽』の1、2章はここで書かれた )。

 最終話にも思いがけず、 13 世紀はじめごろにフランスのシトー会修道院で書かれたと考えられている『聖杯の探求』に出てくる「森のもっとも深いところ、道も小径もないところへとめいめいは出発した[ つまり、「めいめい、すでにだれかが通った道ではない、おのれの道を進んだ」]」と通底するような印象的な科白がまたまたちかっちの口から出てくる ―― 「 μ's のすごいところって、きっとなにもないところを、なにもない場所を、思いっきり走ったことだと思う。…… 自由に走るってことなんじゃないかな … 全身全霊! なんにもとらわれずに! 自分たちの気持ちに従って!」。このへんなんかキャンベルのモットー、「自分の至福に従え( Follow your bliss. )」そのまんまって感じさえする。

 アニメ作品も今月から第2シーズンが始まるので、こちらもますますにぎやかになりそう。いずれにせよ若い人たちがたくさんやってくるのはいいことだ、とくに作品の主要舞台である内浦や西浦木負(「にしうらきしょう」と読む )地区あたりとか。でもオトナの事情( ?! )なのか、せっかくほぼ忠実に現実の街並みとか描かれているのに、第6話で駅南口の「井上靖 詩碑」がそっくり別物に変えられていたのにはいささかがっかり。あのへんもサンシャインファンの方が「のっぽパン」とか食べながらくつろいでいたりするけど、碑に刻まれた「いまこそリアル」な文字もよーく見てちょうだいね。いちおう転記すると、
若し原子力より大きい力を持つものがあるとすれば、それは愛だ。愛の力以外にはない[ If there is something more powerful than atmic power, it is love ; nothing other than the power of love. ]。

 先に挙げた太宰はじめ、井上靖に芹沢光治良、そして若山牧水と文人墨客に縁の深い土地でもあり、井上靖つながりでは映画化された『わが母の記』の撮影地でもある( 牛臥山公園とか )。Aqours と書かれた文字をたまたま見つけてそれをユニット名にしたという設定の島郷海岸はすぐその先に広がってます、ということでこのへんもご参考までに。

追記:最終話で花丸ちゃんが「黄昏の理解者ずら」とつぶやく科白。これは英語の of とおんなじで、「理解者」は発言者本人ともとれるし、相手、この場合は津島善子( 否、堕天使ヨハネか? )ともとれるけど、ワタシは前者ととりたい。「ありがとね」と予期していなかったことを言われ、ふだんは「ラグナロク( 苦笑 )」だの「リトルデーモン( 苦笑x2 )」だの、「あるナハト( nacht, なぜドイツ語 ?? )」だのとワケわからん「堕天使ワード」連発のある意味問題児の同級生は、じつはわかってくれていたんだ、と感謝してつぶやいたと考えるほうが文学大好きで創造力豊かな彼女らしい、と思うので。ついでに『サンシャイン !! 』第1シーズンはなんとも不吉な「 13 話」で終わっているけれども、キャンベルによれば 13 という数字は「変身と再生の数字」なんだそうですよ。どうりで第2シーズンが始まるわけだ。もっともこの物語は最初の『ラブライブ!』の主役の μ's の存在が大前提になっているので、いわばふたつの作品は「前奏曲とフーガ」みたいに切り離せない … ということだけれども、最初の作品を見ていなくてもじゅうぶん楽しめる内容にはなっていると個人的には思う。「地上に落とされた堕天使」つながりでは、じつはラテン語版『聖ブレンダンの航海』にも出てきますねぇ( → 拙ブログ記事参照 )。さらに脱線すると善子ヨハネが「堕天してしまった … 」とか動詞で使っているけれども、ほんらいは「だ・てんし」、「落とされた天使( fallen angel )」であるはず。

 いまひとつ、11年前の8月末に残念ながら沈没した「スカンジナヴィア」、旧船名 Stella Polaris 号の展示とかもしている「海のステージ」さんというカフェがあるんですけど、あるサンシャインファンの方の声かけで
2月、なんとファン数十名が集まって「スカンジナヴィア」の話とかを店主さんから聞いたりして一泊した、なんていう話まで地元紙に載ってました。これも「物語」の力かな。よもやこういうかたちで「スカンジナヴィア」号の記憶が、こうしてこの客船を知らない若い人たちに語り継がれてゆくとは! そういえば最終話だったか、Aqours のメンバーがトレーニングしている学校の屋上からキラキラ光る奥駿河湾の、「スカンジナヴィア」号がかつて係留されていたまさにその入江の水面が描写されていたのを見たとき、なんか感慨深いものがありましたね。

2017年09月03日

たしかに、だがしかし …

 早いものでもう9月、しかも明日はシュヴァイツァー博士の 52 回目の命日 … だから、というわけでもなんでもないんですけど、突然、音楽演奏における自由ってなんだろ、という哲学的ギモンにとらわれてしまった。

 いまさっき見たこちらの番組。ハンガリーの兄弟デュオということで、「チャールダーシュ」を弾きはじめたはいいがいきなり「シャコンヌ」になったり、ようするになにがなんだかわからない展開に。ご本人曰く、「バッハ、モーツァルト、サラサーテなど、かつては即興演奏が当たり前でした。音楽でもっとも重要なのは、自由であることです」みたいなことを発言されていて、それはそれでハイたしかにそのとおり。だが、… とここで門外漢は止まってしまうわけです。

 音楽演奏における自由はどこまで許されるのか、についてはそれこそ古くて新しい問題で、腕の立つ演奏家ならだれしもこの難題にぶつかっている( はず )。ただ、この手の演奏って聴いたかぎりでは「なにがなんだかわからん」ってことになって、とどのつまり「ただ好き勝手に弾いてるだけじゃん!」という感想に行きついてしまうのですね。

 超絶技巧とかヴィルトゥオーソって度が過ぎればただの客寄せ、見世物小屋かサーカスの曲芸みたいなもので、ようは一発芸の世界。その場で、ライヴで接していたらたしかにそれもアリかとは思うが、とてもじゃないがこんなだれの作品だかわからないチャンポン状態、闇鍋同然の演奏をはいっと差し出されてもこちとら挨拶に困るだけです。ワタシはこと音楽の解釈とか演奏における奏者の自由という点についてはわりと寛容というか柔軟なほうだと自負しているけれども( コワモテ・カチコチの原理主義者じゃない )、さすがにこーゆーのはムリ !! です。おなじエンターティナー型の演奏なら、まだ故カルロ・カーリーのような演奏のほうがいい。カーリーさんの場合はけっして「なにがなんだかよくわからない、だれの作品を演奏しているのかも判然としない」演奏はしなかった。それは 30 年ほど前の NHK ホールでのオルガン演奏会のとき、「わたしは美しいものを信じます」とみずから発言していたことからもうかがえるように、なし崩し的にヴィルトゥオジティに走ることなく、美的観点から、あるいは作品解釈という点から超えてはならない一線を引いていたからです。

 同様なことがこの前 NHK-FM で聴いた、ヴィルトゥオジティを売り物にしたさるチェンバロ奏者によるバッハの「ゴルトベルク BWV. 988 」にも言える。こっちは「アリア」が聴こえてくるものと思って待っていたら、始まったのは不可解な和音の連続。??? って思ったら、なんとこれ演奏者がリサイタル当日に勝手に追加した即興演奏でした … で、肝心の本編はどうかとくると、素人の耳でもなんか雑だなあ、という感じでやはり挨拶に困ったのであった。ついでに招聘元からの DM でこの方のリサイタルの案内はもらっていたけれども、高い金払ってまで行く必要はなかったとなぜか安堵( ?? )したり。

 でも、そのおなじ番組で先週、こういうチェンバロリサイタルの再放送もやってまして、こちらはすこぶるよかった。名演、と言えないまでも、快演だったんじゃないでしょうか。とくにバッハの「フランス組曲 第5番 ト長調 BWV. 816 」はほんとうにすばらしい演奏でした。

 ときおり、畑違いの演奏家がオケと協奏曲で共演して、「自由さ」を前面に打ち出すあまり時代錯誤もはなはだしいカデンツァとかバラバラ弾きまくって煙に巻くということがあるようですけど、いまさっき聴いた兄弟デュオのキテレツな演奏解釈と同様、ワタシにとっては生理的に受け付けられない演奏スタイルです。むろん演奏・解釈というのは時間がたてばどんどん変わるもの。それはしごく自然なことです。人間、だれしもトシとってくれば「変わりつづけること」に対してあまり抵抗を感じなくなるのとおんなじで。名演奏家と言われる人たちはみな、異口同音に「自分の解釈は 10 年前のそれとはちがう」と堂々と発言していて、これはまったくそのとおりです。でも「好き勝手に」弾いていいわけがない。超えてはならない一線はどこかで引くべきだと考えます、ってまたしても文句のオッサンになってしまった … ずら。

[ 関係のない追記 ]:いつものように最近、ちょっと気になったことを勝手につぶやくコーナー( Twitter は情報源として役に立ったりしますが、ワタシ個人はもともと短文で相手に誤解なく伝える力に乏しいと自覚しているため、個人ではあえて使わない )。例の世界的ジャズトランペッター氏が中坊( 失礼 )に手を挙げてしまった、という話。かりに相手がナイフを持って襲いかかってきた場合( 血気盛んな青年バッハが「禿げ頭のバッハ」のポンコツファゴット吹きにナイフだかサーベルだかを抜いて切りかかった、という話も思い出されるが )、これはいたしかたなし。正当防衛ってやつですね。でもいちおう、いかなる理由であれ子どもに対する体罰は法律で禁じられている。なのでカーッとなっていたことは痛いほどわかるけれども( 自分も瞬間湯沸かし器型なので )、ここはたとえばほかのスタッフさんとかも呼んでドラムセットごと片付けちゃうとか「聞こえるようにイヤミを言う[ 昭和時代に放映されていた桃屋の「ごはんですよ!」の TVCM みたいに ]」、そういうやり方だったらスマートに幕引きとあいなった、ということになったような気はする。こういうときこそユーモア精神を発揮しなくては。こういうところでふだんは仮面をかぶって隠れている、われわれ日本人の深層意識がぽろっと出てくるのかもしれません。これが欧米人だったら、彼らはもともと「個人の主張」を前面に出す( いや、出しすぎ )文化なので、もっとほかのやり方、ないし笑える対処法をとっさにとれたりする … かもしれない( 人によるか )。

posted by Curragh at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2017年08月20日

「反戦」ではなく「非戦」

 いまからたしか 30 年ほど前だったと思うけれども、某宅配大手の TVCM で、吉幾三さんとどこかの事務所に所属しているとおぼしきおばあさん俳優が出てきまして、ちょっとコントめいたことをしゃべるんです。で、戦争がらみの報道とか見聞きしたときに、その会話が勝手に脳内再生されることがあります。その CM で、おばあさん俳優はこう訊き返すんです。

−− また、戦争? 

 あれから 30 数年、個人的にはべつに惰眠をむさぼっていたわけでもないのに、戦争の軍靴の靴音が、はっきりと聞こえるような気がするほどその不安は現実のものとなりつつあるのではないか、と今年ほどつよく感じたことはない。例のミサイル問題や、たがいに応酬しあっている愚かな指導者約二名なんですが、あのとき「また、戦争? 」と訊いていたおばあさん本人だってふたたび「第二の戦前」になろうなどとは、夢にも思ってなかったでしょう。

 毎年この時期になると、地元紙にもあいついで戦争関連記事とか特集ものが掲載されるわけなんですが、とくに目についた記事をここでも一部転記して紹介したいと思います。ふだんは意識しなくても、広島・長崎の原爆忌と 8月 15 日がやってくると、どうしても考えざるを得なくなります( 前にも書いたが、ワタシの伯父さんのひとりはいま、戦艦「武蔵」とともに南洋で眠っている )。

 まずは詩人アーサー・ビナードさんの寄稿文。「これからを生きる君へ / いま戦争を伝える」と題された文章でして、自身が戦争体験者から聞き書きした本のことを書いたもの。未読の本をあれこれ言うのはまちがっているが、経験上言わせてもらえば、この手の本は社会派なんとかいう肩書きを持つ人の手になるものより、詩を書くことを生業にしている人の書いた本のほうが内容が格段に深いし、物事の本質を突いていると思っている。心打たれるのは、やはり苛烈な体験をした当事者の声の数々。「兵士はけっきょく、機関銃や大砲や戦闘機とおなじなんだ。使えなくなれば捨てられる」、「おなじ日本兵に手榴弾を投げてかんたんに殺し、相手の食べ物を奪う。こんな光景を毎日見ていた」[ 以前Eテレで、日本文学翻訳家のドナルド・キーン氏のドキュメンタリーを放映してましたが、キーン氏が戦場でじっさいに見た凄惨な日本軍敗残兵たちの末路は、まさにこれだった ]。愚かな約二名にはこのことばのもつ強烈な耐えがたき重みがほんとうにわかっているのだろうか、と思わざるを得ない。「全員が力を振り絞って必死に話してくれた。ぼくも持っている想像力や表現力を限界まで使わなければ、ちゃんと向き合ったことにならない[ ビナード氏 ]」。

 この記事の結びのことばにまた、心打たれる思いがする。「ひとりひとりの語りに『戦後づくり』の知恵が詰まっている。それはわたしたちが生き延びていくための知恵なんです」。ここにいる門外漢は、これからを生きる者にとってのせめてもの希望はここにあるのであり、けっして「戦後レジームからの脱却」なんかではない、と嘆息したのであった。

 いまひとつご紹介したいのは −− そしてちょっとびっくりしたのだが −− 末期癌であることを公表した映画監督の大林信彦氏のメッセージが綴られた「大林信彦監督、映画と平和語る」と題された記事。以下、戦争を知らない世代として年食ってしまった門外漢がつぶやくより、監督の渾身のことばに虚心坦懐に耳を傾けるべきだと思うので、いくつか転記[ 以下、仮名遣いを若干変更して転記。下線強調は引用者で山かっこ内の文言は引用者の心の声 ]。
… 戦争といえば、無意識に、本能的に嫌だ、やめよう、ばかばかしいと思う。反戦じゃないんです。非戦なんです。戦争がないことが一番というのが皮膚感覚としてある。

… いろんな情報が瞬時に等価値で入ってくると< たとえば Twitter >、自分にとってなにが大切かわからなくなる。その結果、ぜんぶ人ごとになってしまうんです< 自分ごととしてとらえなくなると、無関心になる。これがもっともこわい >。

… [ 映画という物語にすることについて ]虚構の真実の中に希望が見えると、人はやっぱりその真実を信じて生き始めるんです。

… 平和を手繰り寄せるためには、限りなく、止めどなく努力して、紡いでいかなきゃいけない。夢は見ていると必ずいつか実現する。平和の映画を作っていれば、いつか世界は平和になる。ぼくは映画という道具を使って、人間の夢を、理想を手繰り寄せたいと思っているんです。
映画や物語といった「虚構」を( もっと言えば「芸術」というものを )、ただの作りものとかまがいものと思っている人は、傲慢だと思う。そういうスキを突いて戦争はやってくる。回想録とか聞き書きとかでよく目にする証言に、太平洋戦争開戦時、気がついたら戦争が始まっていた、というものがある。ドイツの昔話に、「あなた方はどこから来たんですか?」と問う馬鹿に、「平和からだ」と兵隊が返す。どこへ行くのかと問われ、戦争だ、と答える。なぜ戦争へ行くのかと馬鹿に再度問われた兵隊は、「平和を取りもどすためだ」とこたえてそのまま通過する。ひとり残された馬鹿はこうひとりごちる「へぇ、平和からやってきて、平和を取りもどすために戦争に行くとは。なんでもとの平和にとどまらないんだろう?」。

 これは、人間の歴史が過去からずっと引きずってきた重い宿題であり、とてつもなく重い禅問答でもある。せめてそうならないことを祈るほかない。そのためにはいまこそ「芸術」の持つ力が必要だと思う。またとくにフェミニストというわけじゃないが、やはり男性原理の社会構造から女性原理の社会構造へと転換することも大事かと。そんな折、あのマララ・ユスフザイさんが英オックスフォード大学に進学されるとの報道を目にした。こういうときにこのようなことを知ると、生きる希望がすこしは湧いてくるものだ。

[付記]:この前 NHK-FM で聴いたこちらの番組。ギーゼキング好きの人にしてみれば、いまごろ? と言われそうだが、このピアノの巨匠( 体もでかかった )はなんと、1945 年 1月 23 日夜、連合軍のベルリン空襲のさなかにベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番 『皇帝』)」の録音( !!! )をやってのけていたことをはじめて知り、文字どおり驚愕( しかも最古のステレオ録音 )。たしかに弱音部では高射砲の爆音が聞こえたりする。この精神的集中はどうですか。ヴァルヒャが空襲下のフランクフルト市民をバッハのオルガン作品演奏会を開いて慰めた、という話もある。「戦争の世紀」だった前世紀が「巨匠の時代」と言われたのもむりからぬ話だと感じ入るとともに、もうこんなことは二度とあってはならないとやはり思う。

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2017年07月24日

ツタンカーメン王二題

 もう先月の話になるけど、こちらの番組について。「アルバレス・ブラボ写真展」で静岡市に行った折、いつもの癖で美術館とおなじ複合ビル内にある本屋にも立ち寄って、こんなおもしろそうな本も見つけた。というわけで、番組を見た個人的な感想とあわせて思ったことを書き出してみる。

 このドキュメンタリーの主人公はクリス・ノーントンという若い考古学者。さしずめ 21 世紀版ハワード・カーターといったところでしょうか。で、『ツタンカーメン発掘記( 筑摩書房刊、1966 )』は有名ながら、カーターが残した膨大なメモ書きやノート類はその後一度も科学的に検証されたことがない! おまけに王墓が発見されてから 90 年以上も経つというのに、ツタンカーメン王の死因も異常だらけのミイラの状態についてもなにひとつわかってないじゃないか !! というわけで、独自調査した結果報告みたいな構成で、2013 年の制作、というからもうずいぶん前の話です。

 じつはほぼおんなじ内容の記事がこちらにも掲載されてまして、番組でも取り上げられた「埋葬後のミイラの自然発火」について書かれています。もっともこの件に関してはカーターのメモ書きを見ないまでも、『発掘記』にも「 … ミイラも、ミイラをつつんでいる包み布も、危険な状態にあることが、ますますはっきりしてきた。ふんだんに注がれた香油の脂肪酸によるはたらきが作用して、二つながら完全に炭化していたのである[ 前掲書 p. 219 ]」とあるので、埋葬直後かどうかはべつとして、ゆっくり自然燃焼した結果であることは発掘当時も認識されていたことがこの記述からも窺い知ることはできるわけでして、個人的には「完全に予想外の新事実」とは思わなかった[ → こちらの新聞サイトにハリー・バートンの発掘記録写真をカラー化した画像が掲載されてます。最後の純金の人型棺が開けられたとき、ミイラの金製の両手に握られていた「王笏」と「殻竿」はすでに文字どおりの炭となって崩壊していた。ついでにバートンが使用したのはフィルムじゃなくてガラス乾板。おかげでいまなお鮮明な映像として残されている ]。

 もっとも「黄金のマスク」の耳たぶにファラオなのになぜか(?)ピアスの穴が空けられていたことや、ネメス頭巾と顔の部分が入念に接合されていた( つまりべつべつに作られていたものがあとでくっつけられたことを示す )ことなどの指摘は、たしかにそのとおりだし、とくに後者に関しては、マスクは「金無垢の一枚板の打ち出し」だと思いこんでいたものだから、なるほどそれはあるかな、と。

 また 1968 年にはじめてツタンカーメン王のミイラの X 線撮影が行われたときのメンバーで、唯一の生存者でもあるリヴァプール大学のロバート・コノリー教授の取材とかも興味深く見たけど、かつてはやった「暗殺説」の証拠として取り上げられた頭蓋骨内部の骨のかけらについて、「 … カーターが発掘中にミイラを分解した際に、ミイラの首の脊椎の骨が割れたものだと判明した」みたいなナレーションがついてましたが、正確にはミイラの検死解剖を執刀した解剖学者ダクラス・デリー博士のせいだろう[ これは日本語版ではなく、オリジナルが悪い ]。ただし傷つけた犯人はデリーではなく、古代のミイラ職人だったかもしれない。ジョー・マーチャント本にはそのへんの可能性もきちんと書かれてあって、やはりこの手の話は科学ジャーナリストが長期にわたって調べつくして書いた本を読んだほうがいいように思う。以前、古代エジプトものとくれば例のメディア大好き博士の指揮した CT スキャン調査なんかが思い浮かぶんですけど、だいたいにして TV ものは編集段階で恣意的にカットされたり、事実として確定していない事柄までさも既定事実のごとき表現で片付けられがちなので、参考ていどにするのはいいが、鵜呑みにしてはならないように思う。

 ツタンカーメン王は、そのもっともよい例、いや最悪の見本なのかもしれない。たとえば王の死因についても、以前は「暗殺説」が圧倒的に人気があって、その人気にワル乗りした米国人考古学者がほとんど妄想にもとづいて書いた本がベストセラーになったり、あるいはいまだに「ファラオの呪い」なんてのがまことしやかに語られたりする。ちなみに真っ先に呪われてしかるべきデリー博士なんか、その後 40 年は生きながらえて 1960 年代に亡くなっているにもかかわらず、「ミイラを調査した直後に死亡」なんていまだにホラ吹いてる本ないし記事があったりするから困ったもんだ。

 ツタンカーメン王の死因ですが、暗殺 → チャリオットからの転落死 → マラリア → 遺伝病による病死とまあ諸説紛々。数十年前の時代遅れな機械を使っての X 線検査から 2005 年の当時最先端のトレーラー移動式 CT スキャン装置による検査まで、ここまでやってもけっきょく決め手というか、ほんとうの死因がいまだつかめずというのが事実。ちなみに上記マーチャント本には、説得力ある仮説としてなんとカバ( !? )を挙げている。なんでもファラオってカバ狩りをたしなんでいたんだそうな。むむ、たしかにツタンカーメン王墓から出土した遺物にはそんな狩りを描写した櫃だったか、そんなようなものがあったにはあったけれども。*

 ジョー・マーチャント −− ちなみにこの方は女性 −− の本は、そのへんの事情も絡めて書いてあるので、「ファラオの呪い」の系譜や、ツタンカーメン王のミイラがたどった数奇な運命について知りたい向きにはもってこいだと言えます。もっともどっかのモルモン教徒の唱えたという「ツタンカーメン=モーセ説」だの、「ツタンカーメン=キリスト説」だのははっきり言って不要じゃないかと、読んでいて思ったんですけど …… なんでツタンカーメンのミイラの組織の一部がリヴァプール大学にあるのかについてもロバート・コノリー博士に取材しているから、そのへんの裏事情も知ることができて、こういうところはさすが、という感じです。

 ノーントン氏の番組では、チャリオットに轢かれたために死んだ、と主張している … なんかもうここまでくると個人的にはどうでもよくなってきた。ツタンカーメン王はもうそっとしておいてやったらどうなのか、とそんな気分にもなってくる。マーチャント本を読むまで知らなかったが、1968 年に X 線撮影のために第1の人型棺を開けて王のミイラを引っ張り出したとき、「 … 愕然とした。ミイラの体が、ばらばら状態になっていたのだ。…… ミイラの傷みぐあいは、カーターが加えた傷の規模をはるかに越えていた」。なんと第二次大戦の混乱に乗じて、最後までミイラに残っていた頭のバンドや「胸飾り」が消えうせ、さらには「両目はつぶれ、まぶたも睫毛もなくなっ」た[ → 現在の王のミイラの顔 ]。「胸飾り」と肋骨のほとんどがなくなっていたことは CT スキャン調査で明らかにされていたけれども、まさか賊が侵入したとは思ってなかったもので、これはいささか衝撃的だった。たしかにハリー・バートンが 1926 年に調査の終わったミイラを( ふたたび四肢を組み立てて )砂を敷き詰めた木のトレイに入れなおした記録写真と、いつだったかやめときゃいいのに王のミイラを保護するんだとか言って木のトレイごと墓の「控えの間[ 前室 ]」に移動させて「展示品」にしてしまったときに撮られた王のミイラの顔の画像と比べてみればそのちがいは一目瞭然。香油の注がれなかったミイラの頭は保存状態がよかったってカーター本人は書いていたんですけど、このぶんじゃほんと、マーチャント女史が心配しているように「現在の保存方法では、ミイラがさほど遠くない将来に、土にもどるのは避けがたいことのようだ」。ついでにマラリア説が出てきたときに言われていた「左足先の異常」についても、デリー博士の所見ではいたって正常だったってはっきり書いてある。

 以上、ノーントン番組とマーチャント本をかいつまんで書くとこんなふうになる。

1). ツタンカーメン王の健康状態はいたって正常で、目立った病変はない
2). 肋骨が人為的に切り取られた痕跡があり、心臓もない
3). なんらかの事故死( カバに襲われた? )、つまりまったく予期しない急死だった可能性が高い
4). 左足先の変形は死後に生じた可能性が高い
5). 左脚膝の骨折は生前のものか死後のものかは不明( 古代 DNA 調査は信頼性に欠ける )

 こうなると、小学生のころに読んだ『ツタンカーメン王のひみつ』に出てきた、「3週間の病の苦しみから逃れてわたしはしずかな眠りにつく」なんて王自身のことばというのは、真っ赤なウソだった、ということになる。いま目を皿のようにして『発掘記』を読んでいるところだけど、いまのところそんな記述は出てこない。創作 ?! 

 「事態にほとんど進展が見られないため、誰もが独自の仮説と好みにしたがって、さまざまな意見を披露するのも、避けがたいこと」とマーチャント女史が書いているように、この薄幸の若いファラオは死んで約 3,300 年後、カーターというひとりの考古学者によって墓を開かれて以来 90 何年、ある意味身勝手な後世の人間たちによって振り回されてきたようなもの( だいぶ前に書いたかもしれないが、ツタンカーメン王の石棺を保護していた四重の厨子の扉は指示書きがあったにもかかわらず、墓職人たちがあせっていたためなのか、ほんらい「西」向きに取り付けるはずが反対の「東」を向いてしまった。おかげで王は来世に行くはずだったのが、ふたたびこの世界に舞いもどってしまった )。墓だってそう。いつのまにか玄室の壁面にはいくつか四角い穴が穿たれているし、壁画の一部は発掘調査時に破壊されているし、今後も王家の谷を襲う洪水で水没する危険性もある。子どものときからツタンカーメン王にまつわる話はずっと好きだったけれども、もうこのへんで「ツタンカーメン産業」にファラオを巻きこむのはやめにしてほしいと最近、思うようになりました。それだけトシをとったということか。ついでにノーントン番組とマーチャント本、制作と出版がともに 2013 年でして、これはいわゆる「共時性」ってやつかもしれないが、なにかしら因縁めいていますな。

* ... ツタンカーメン王墓発見者カーターは『発掘記』で、野鳥やライオンなどの砂漠の動物を仕留める若いファラオの姿を生き生きと活写した調度品の数が多いことに触れ、「王のスポーツ好き、若い王者らしい狩猟熱の証拠もみとめられ」ると記している。では 墓内に 130 本も納められていた「杖」はどう考えればよいのだろうか? たしかにツタンカーメンの狩猟好きはじゅうぶん考えられる[ → カーターが例に挙げていた証拠のひとつ ]。でもひょっとしたらすこし歩行に難ありだったかもしれない[ 個人の感想です ]。カーターが例を挙げている小型厨子の「狩猟場面」は、若いファラオが「腰かけた姿勢で」野鴨を弓で射る瞬間を描写している。ほかにも杖をつく姿が浮き彫りされた櫃とかあるけれど、同時にチャリオットを駆って勇猛果敢に戦っている描写もあったりする。いずれが真の姿だったのかは「永久にわからないかもしれない[ ibid., p. 165 ]」。

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2017年07月09日

パディントン生みの親、逝く

1). 『くまのパディントン』シリーズで世界中のファンから愛された作家マイケル・ボンド氏が先月 27 日に逝去された。享年 91 歳。心より謹んで冥福をお祈りします。

 マイケル・ボンドさん、とくると、以前 NHK の「グレーテルのかまど」でも取り上げられて、そのときの感想をここでも書いたりしたんですけど … ほんとうに残念だ。あともう一作くらいは書いてほしかったかな … 。ボンドさんの訃報に接したとき、すぐ頭に浮かんだのは、番組の取材を受けた際にボンドさんがおっしゃっていた第二次世界大戦のときに見たというロンドン大空襲を逃れて疎開してきた子どもの話だった。「彼らはパディトンとおなじように首から名札を下げていました。わたしはあのときの光景がいまでも忘れられません」。パディントンの首に下げられていたあの荷札、「どうぞこのくまのめんどうをみてやってください おたのみします['PLEASE LOOK AFTER THIS BEAR Thank you.']」は、そうした作者ボンドさんの原体験が投影されていたことをこのときはじめて知ったのであった。そしてこれも繰り返しになるけど、ディック・ブルーナ氏の訃報のときにはじめてお顔を TV で拝見した松岡享子先生の名訳が光る。

2). … ボンドさんの「おくやみ」記事で終わらせたいところだったが、またいつものように関連しつつ悪しからず脱線。ボンドさんの訃報に接して、手許のパディントン本をひさしぶりに繰ってみた。'... Paddington gave the man a hard stare.' というのは、前にも書いたけれどもこの子グマの癖ですな。そしてちょうど折よく( 折悪しく ?? )、「英語は 3語で O.K. 」みたいな英語関連新刊本の新聞広告なんかも目に留まりました。「 … こんないい本があるなんて驚いた」、「 3語で伝わるなんてすごい」、「英語嫌いだったが、だれかと話してみたくなった」という読者の声も紹介されてました。

 で、でかでかと例文として挙げられていたのが 'My job is an English teacher.' でして、'I ... English.' で通じる、としている。中学英語がきちんと身についていればだれだってわかる他動詞 teach が入るわけなんですけども、じゃたとえば 'He races.' なんかはどうですか。これもおんなじ「職業を表す動詞」ってやつで意味は「彼はレーサーだ」。かたちはすごく単純ですけど、ぱっとこういう言い回しが出るかどうか。

 だいぶ前ここでも米国大統領の英語として Plain English のことをすこし書いたことがあり、この新刊本の中身はまだ読んでないからよくわからないけど、ようするに中学英語レヴェルでも伝えたいことはきちんと言い表すことができますよ、ということなんだろうと思う。なのでたしかに英語嫌いの方や英語が苦手だった、という方にはとっつきやすい学習本だと思います。とはいえ編集者なんだろうけれども「たった3語でよい」みたいに言い切る書名を冠するのはワタシの性格上、どうもなあ、と思ってしまう。

 いちばん大切なのは、「発想を転換する」ということ。日本語そのまんまの発想を捨て、英語話者がふだん使っているような言い方が口から、あるいは書き出せるかどうかにかかっていると思う。これをどうにかこうにか、身に着けないことには英語を含めて印欧語族系はなかなか上達しないんじゃないでしょうか。いまひとつ例文が掲載されてまして、なんと驚くことに 'I found her smile attractive.' という典型的第 5文型の「3語書き換え」だった。こちらも学校英語をまじめにやってきた人なら即答できるはずの 'I like her smile.' で、はっきり言ってなんてことはないんですけど( もっと強く love でもいい )、書き換える前の言い回し、これどう転んでもふつうの言い回しじゃないでしょうよ。慣れてくれば、「わたしは彼女の笑顔を魅力的だと思った」→ I like her smile. への変換はぱっとできると思う( Facebook の「いいね!」ボタンも、もとは LIKE! )。すくなくとも 'I found her smile ... ' なんてヘンな言い回しを思いつく人のほうが圧倒的に少ない( はず )。

 英語的発想というのは、たとえば以前ここでも取り上げたオバマ前大統領の就任演説に出てきた '... This country is more decent than one where a woman in Ohio, on the brink of retirement, finds herself one illness away from disaster after a lifetime of hard work.' なんかがそうですね。「いままでずっと汗して働いてきたというのに、いざ退職間近になって病気ひとつでもしたらそれこそとんでもないことになりかねない」、この国はそんなひどいところじゃない、もっとまともな国なのだ、ということを述べたこの下線部あたりがきわめて英語らしい発想だと思います。

 たしかに字数は少ないに越したことはないし、誤解も少なくはなると思う。でもそれよりも have, give, take のような基本動詞とそれとセットになってくっついてくる前置詞フレーズ( 句動詞 )をマスターするほうがまだしも英語習得には役に立つと思う、経験上は。それと大統領の英語ついでにいまの大統領に関しては、ほんと indecent な言い回しが多すぎてびっくりするやら、あきれるやら。前任者とはエライちがいだ。もっともそれだって「個性」だと言えるかもしれないが、英語の使い手という観点から前任者と現大統領について言えば、「ただわかりやすいだけではない、品格と教養ある大人の英語[ 米国英語 ]」使いなのか、「子どもの喧嘩レヴェルの、下世話な単純フレーズ連発英語」使いなのか、ということに尽きるように思う。

 こういういささか人間としてどうかと思わざるを得ない人の「ついーと」なんかで英語学習するよりも、すっとぼけた英国流ユーモアの典型みたいなパディントンものを読んで英語の奥深さを追体験しつつ学ぶほうがよっぽどいいと思いますよ。「英語らしい発想」という点では、個人的にはこっちの学習本のほうがよいと思う( p.100 の 'dust' について、「dust はゴミではなくて、ホコリの意味で使われるのが一般的」と書いてあるけど、英国では trash can ではなく dust bin という言い方をする、ということも念のため付記 )。

posted by Curragh at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | おくやみ

2017年06月11日

アルバレス・ブラボ写真展

 静岡市美術館にて先月までやっていたこちらの写真展に最終日に見に行ってきました。

 写真は好きなくせして、寡聞にしてこのマヌエル・アルバレス・ブラボなるラテンアメリカを代表する写真の大家のお名前はまったく知らなかったので、せっかく静岡市で回顧展みたいのが開かれているのだからとのこのこ出かけたわけ( ついでに駿府城天守台跡の発掘調査現場にも行ってみた )。薄暗い会場に一歩入るとそこはゼラチンシルバープリントやプラチナパラジウムプリントの数々、モノクローム特有の豊かな階調の支配する世界。ふだん PC やスマホの画面でデジタル画像のあのギザギザを見慣れている目には懐かしさよりもむしろ新鮮さのほうがつよく感じられた。それにしても人物を撮っても風景を撮ってもどれもみんなサマになっていて、おなじ写真好きとしてはなかなかこういうふうには撮れんよなーとかって思いつつ眺めてたんですが、サボテンとか山並み、街角のショーウィンドウとかの風景はジナー(!)の 4 x 5 判ヴューカメラを使っていたようです( 撮影風景の写真を見るかぎり )。どうりで構図の切り取り方の斬新さもさることながら、美術で言うマチエールというのか、とにかく細かい部分がシャープに像を結んでいて、初期の代表作「ラ・トルテカ[ 1931 ]」なんかは 90 年近くも前に撮影されたとは思えない臨場感にいまさらながら驚かされる( ロラン・バルトふうに言えば「たしかにかつてこの世に存在していた」という紛れもない事実が立ち現れる )。これはひとつにはオリジナルプリントの保存管理が適切だった、ということなのかもしれない。ブラボ氏は 2002 年に満 100 歳( !! )の天寿を全うしたからその後の膨大な原版の管理は娘さんをはじめ遺族の方々を中心にされているようなので、これはけっこう骨が折れる作業だろうと思う( 最晩年のブラボ自身がプラチナパラジウムプリントを仕上げるようすを記録した動画クリップも上映されていた )。

 ブラボ初期の 1930 年代から晩年の 1990 年代まで 4部構成で俯瞰する回顧展を見て思ったのは、キャッチコピーにもあるけれども一貫して流れる「静謐さ」。とくに街角の雑踏の只中で撮影したと思われるお店の看板(「眼の寓話[ 1931 ]」)とかショーウィンドウとかは、どことなくウジェーヌ・アッジェを彷彿とさせる雰囲気がある( じっさいにアッジェの薫陶を受けていた )。いっぽうで「身をかがめた男たち[ 1934 ]」なんかはアンリ・カルティエ−ブレッソンの言う「決定的瞬間」、あるいは「絶対非演出 / 絶対スナップ」のお手本のような作品。トロツキー、ディエゴ・リベラフリーダ・カーロ、『シュルレアリスム宣言』のアンドレ・ブルトン、ノーベル文学賞作家オクタビオ・パスなどの錚々たる著名人のポートレイトもいくつか展示されてまして、一見すると間口の広い器用な写真家のようにも見えて、そのじつ「写風」はブレてない印象がある。展示会場にはブラボ本人の「名言」みたいなのも掲げられてまして、そのなかのひとつがこの大写真家の写真という芸術に対するスタンスというか考え方というかそれをみごとに集約していることばだった ―― 「わたしにとって、写真とは見る技法です。ほぼそれに尽きると思います」。「見る技法」、至言だ !! また「光と影には生と死とおなじ二元性がある」などの引用もありました。もっともオルガン好きなワタシがいちばん気に入った 1 枚は、「大聖堂のオルガン[ c. 1931 ]」ですかねぇ。ブラボ氏だけに、BRAVO !! でした。

 同時代の貴重な関連資料も展示されてまして、ブラボ作品の初出雑誌( Aperture とか )や展覧会図録なんかがあったけれども、1933 年に出会った米国の写真家エドワード・ウェストン( 8 x 10 インチ、エイトバイテンと呼ばれる巨大な組立暗箱カメラで風景や人物や静物を撮りまくった人。8 x 10 インチのシートフィルムは「六切」とおなじサイズ )がブラボ宛てにしたためた賛辞の手紙( 出だしに '... I am wondering if I'm not sure why I have been the recipient of a very fine photograph series from you.' とかって達筆な筆記体[ !! ]で書いてあった )まで展示されてまして、興味津々で見入ってました。

 美術館の外に出ると、その日は地元商店街近くの神社祭典があったらしくて、とてもにぎやか。呉服町商店街ではストリートオルガン弾き( 日曜日午後に見られるらしい )もぐるぐるぐるぐる、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」などを演奏してまして、否が応でも写真撮影熱が高まるわけなんですが、そこはヘタの横好きの悲しさ、「会心の作」みたいにはいきませんねー( 嘆息 )。

posted by Curragh at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術・写真関連

2017年05月16日

オルランディ版『聖ブレンダンの航海[ 2014 ]』

 Beannachtaí na Lá Fhéile Bhreanainn !! というわけで、今年もぶじにこの日を迎えることができました … と、これだけでも感謝ものなんですが、なんと !!! セルマー校訂版『航海』邦訳者、太古先生よりほんとうにひさしぶり(!)にメールをいただきまして、驚くことにイタリア人学者ジョヴァンニ・オルランディ教授による新校訂版『聖ブレンダンの航海』が 2014 年に刊行済みとのこと、驚愕x九層倍なんであります( もっとも、時間のあるときにちょくちょく某密林書店を渉猟してはいたが、こちらの目が悪かったらしく、まったく知らずにいた )。

 じつはオルランディ先生、すでにこの完全な校訂本を出版されるずっとずっと前、1968( !!! )年、というから不肖ワタシが生まれる前に序論とも言うべきご本を上梓されている。その後約 40 年、急逝される 2007 年までこつこつ、ひたすら後半生をラテン語版『航海』の「完全な」エディションを編むことに心血を注いでこられた、ということもいまさらながら知ることとあいなり、ひとり涙したのであった( といつものごとくこんな調子で書くといかにもノリの軽い人間のように思われてしまう危惧なきにしもあらずだが、とにかくこれ書いている当人はいたってまじめに発言している )。*

 2007 年にオルランディ教授が亡くなられたあと、その遺志を継いでこの新校訂本を完成させたのが、同教授の教え子だったというロッサーナ・グリエルメッティ女史。以下、おなじく太古先生より頂戴した書評コピーをもとにかいつまんで内容紹介。

Navigatio sancti Brendani. Alla scoperta dei segreti meravigliosi del mondo, a cura di Giovanni Orlandi e Rossana E. Guglielmetti, introduzione di Rossana E. Guglielmetti, traduzione italiana e commento di Giovanni Orlandi, Firenze, SISMEL - Edizioni del Galluzzo 2014( pp. CCC + 215 ).

ジョヴァンニ・オルランディ / ロッサーナ・E・グリエルメッティ校訂『聖ブレンダンの航海 世界の驚異を求めて』 序文:ロッサーナ・E・グリエルメッティ、翻訳および註釈:ジョヴァンニ・オルランディ」

1). 新校訂本の構成:英文によるまえがき( 筆者は中世ラテン文学の碩学マイケル・ラピッジ元ケンブリッジ / 米ノートルダム大学教授で内容はほとんど「献辞」と言ってよい )、伊語によるグリエルメッティ女史の序文( 300 ページ!)、『航海』ラテン語本文と現代伊語による対訳文+註釈[ 後注 ]+索引( 215 ページ )、つまり 500 ページ超という文字どおりの労作。

2). ヒベルノ・ラテン語本文について:新しい校訂本のたたき台となっているヒベルノ・ラテン語の原典は、かつてのセルマー本とちがって単一の写本[ ヘント写本 G ]をベースにいくつかの異本を組み合わせたものではなく、141( 制作年代は 10 − 15 世紀 )の現存ラテン語写本すべての関係性を精査して5つの系統樹(!)を構築したうえで、「祖型となる物語にもっとも近い構成」の写本群を選んで本文としている。

 しかしそれにしても … 、現存写本数がセルマーのころからさらに増えてたんですねぇ … これをすべて検討した上で校訂し、「最古型」に近い姿に復元する、なんて常人のなせる業じゃないですよ、これ。ほんとにすごいことです。歴史言語学史上の偉業とさえ言っていいんじゃないでしょうか。ところでアイルランド国立大学メイヌース校教授デイヴィッド・スティフター氏の書評によると、冒頭部の 'Sanctus Brendanus, filius Finlocha nepotis Alti ... ' のコメントにやや難ありとし、またこの箇所で当時すでに廃れかけていた古アイルランド語の用語用法がひょっこり顔を出していると指摘してもいる。具体的には、この下線部分のラテン語本文は、後期古アイルランド語の「… の孫の息子」という言い回し 'macc huí' をそのまま「逐語訳」したもので、初期古アイルランド語の「[ アルテ ]の家系に属する」の意の 'moccu / maccu [ Alti ]' と取りちがえた結果によるもの、という。つまりは単純な誤訳、ミステイク、ということになる。この廃れかけていた古い用法はたとえば『聖コルンバ伝( c. 690 − 700 )』にも出てくるという。言い換えるとこの moccu の「再定義」が起きた時期にアイルランド語話者によって書かれた作品ということになり、現存する『航海』の成立年代はこの「再定義」が生じた時代にほかならないだろう、としている。もっともこれは例外でして、シュティフター教授は全体的にひじょうに好意的な書評を書いている( セルマー本が刊行されたのは 1959 年なんだから、当然と言えば当然な話 )。

 ところが驚くのはまだ早かった。太古先生によると、これは一般読者向けに編まれた本で、より専門的な校訂版、つまり「決定版」が近いうちに刊行される、とのこと。でもいまだにそのようすはないらしい。もっともディレッタントなワタシとしては、現代伊語対訳じゃなくて、現代英語の対訳形式にしてもらいたいところではある。

 3). 冒頭部と終結部の比較:以下、セルマー本[ C ]と比較したものを転記しておきます( 赤字がセルマー本の本文、u / v の相違は無視、Carney, 1963 はすでにカーニーが指摘したセルマーの誤り、< > は C にある語句でオルランディ O にない語句、[ ] は O にあり、C にはない語句 )

● 冒頭部:

Sanctus Brendanus, filius Finlocha nepotis Alti / Althi, de genere Eogeni stagni Len regionis Mumenensium ortus fuit( Carney, 1963 ). Erat vir magnae abstinentiae / -nencie et in virtutibus clarus, trium milium fere monachorum pater. Cum esset in suo certamine, in loco qui dicitur Saltus Virtutum / uirtutis Brendani, contigit ut quidam patrum ad illum / eum quodam / quadam vespere / vespera venisset, nomine Barrindus / Barinthus, nepos Neil / illius( Carney, idem, 1963 ). Cumque interrogatus esset multis sermonibus a praedicto sancto patre, coepit lacrimare / -mari at / et [ se ] prostrare < se > in terram at diutius / diucius permanere in oratione / oracione. < At >Sanctus / sanctus Brendanus erexit illum de terra et osculatus est eum, dicens : “Pater, … ”

 聖ブレンダンはアルテの後裔フィンルグの息子として、オーガナハト・ロカ・レイン配下のムウの人の地に生まれた。偉大な禁欲の人で、数々の奇蹟と、三千人近い修道士の父としてその名はあまねく知れ渡っていた。その聖ブレンダンが、「ブレンダンの奇蹟の野」と呼ばれる地で霊的戦いをつづけていたある日の晩のこと。アイルランド教会の修道院長のひとりでニアルの子孫バーリンドと名乗る長老がやってきた。聖ブレンダンが矢継ぎ早に質問を浴びせると、長老は涙を流し、床にひれ伏して長いこと祈りつづけた。聖ブレンダンは長老を起こすと、抱擁して呼びかけた。

● 終結部[ いわゆる「ショートヴァージョン」で終わっている ]:

… < tunc uero >Acceptis de fructibus terrae et omnibus generibus gemmarum dimissoque benedicto procuratore et iuvene / , sanctus Brendanus cum suis fratribus naviculam ascendit / ascendit nauiculam et coepit navigare per medium caliginis. Cum autem pertransissent /, venerunt ad Insulam quae vocatur Deliciarum /. ibique trium dierum hospitium peregerunt. < atque > Accepta benedictione sanctus Brendanus recto itinere ad locum suum reversus est.

… この地の果実と、この地から産出するありとあらゆる宝石すべてを受け取ると、聖なる給仕と若い人に別れを告げて、聖ブレンダンと彼の兄弟たちは舟に乗りこみ、霧の只中を進みはじめた。霧を抜けると、彼らは「歓喜の島」にたどりついた。その島で 3日間もてなしを受けたのち、祝福を受けて、聖ブレンダンはまっすぐ故国へ帰還した。

 ほかにもたとえば「夏至の太陽に向かって[ Ch. 6冒頭 ]」とか「銀の馬勒[ Chs. 6−7]」、「鳥の姿をした中立な天使の来歴[ Ch. 11 ]」とか、比較検討してみたい箇所はいろいろあれど、日本語にしたときにはさして意味内容に変化なしというか、思っていたほど異同は少ない … という印象を受けたので、もっとも目立つ出だしと終章を引っ張り出してみたしだい。セルマー本では「聖人たちの約束の地」につづいて「聖ブレンダンの帰還と死[ Ch. 29 ]」で終わるんですけども、「祖型」にはそういう「最終章」はなかった、という見方でおおかた一致しているので、オルランディ / グリエルメッティ本はこの「ショートヴァージョン」を採っている。

 この物語最大の謎のひとつスカルタ( scalta, scaltas、Ch. 17 )については、グリエルメッティ女史はおもしろい仮説を立てています。最後に太古先生が不肖ワタシに紹介してくださったこの大胆な仮説( ?! )について、その転載を快諾してくださったので、以下に太古先生みずから訳された引用箇所をここでも紹介しておきます。

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 もはやほとんど現世を超越した次元に昇っているこの隠修士たちの島は、『航海』の解釈者に一つの奇妙な謎、たぶん意図したものではないだろうが、既に中世の読者を戸惑わせるような謎を投げかける:不可思議なスカルタ( scaltae )だ。土地は、樹も草も欠く環境だが( XVII 6 )、同時に白と赤のこの果実で覆われており、のちに旅人たちはそれを豊かな糧食として受け取る。この果実の例外的な大きさ(「大きな玉のような」XVII 30 )に対するブレンダンの感想は、基準となす現物をブレンダンも作品の読者も知っていることを前提とし、実際、アイルランドの別のテクストも scaltae または caltae に言及する。しかし、こうした背景にもかかわらず、この語がきわめて難解であることは、一方で『航海』の書写生の奇妙な間違いや注釈が、他方で、しばしばラテン語語彙をあえて翻訳せずに書き写す俗語訳者の書き替えが証明するとおりである。旅人たちに贈られるスカルタが赤だけであることも新たな謎である:ケルト的な神の知恵の色への想起か、あるいは、この場面の他の部分が典礼聖務であるゆえ聖体への想起か。多年の議論の末席にいる者として、あえて一つの仮説を提出したい。テクストが提供する情報と相容れる性質の植物として、corbezzolo「イチゴノキ」( 英語でstrawberry tree、時にIrish strawberry treeもしくは Killarney strawberry treeと特別化される )があり、ヨーロッパの他の地域にも分布しているが、アイルランド南西部( ブレンダンおよび多くの旅の物語の故郷 )に固有の種の一つである。リンネがつけたラテン語名 arbutus unedo は、その液果の美味しさに欠けるところに負うが、直径 1−2cm のなんとか食べられる実である:『航海』におけるこの果物の極上の味と目を見張る大きさは矛盾するものではなく、問題の島に存在する標本の例外性と完全に一致するものだ。もっとも重要な点、そして考えうる他の多くのベリー類からこの木を区別する点は、色に関わる特異な事実である:白に始まり赤に達する果実の熟成期間は 12 か月で、もっとも熟成した状態の果実が次の開花の果実と同じ時に見られる;言い換えると、同じ木が白と赤の果実をたくわえているということだ、島に広がっているスカルタと同じように。当然ながら、ブレンダンが受け取る贈り物が選ばれた一色であることと一致して、赤の果実だけが食用に適する。樹がなんであれ、一つの問題が未解決のまま残る:植物は( 少なくとも風に揺れるようなものは )ないとテクストは明言していることだ。おそらくアイルランドのイチゴノキが、習性として岩だらけの険しい場所でも岩の隙き間に生えるという事実も、この問題に答えるには充分ではない( 'Introduzione', pp. LXXI-LXXII )。

* ... オルランディ教授の先行論文の発表された 1968年は、比較神話学者キャンベルが代表作『神の仮面』シリーズ最終巻を世に問うたころでもある。論文は I 部と II 部とあり、I 部はラテン語版『航海』と『聖ブレンダン伝』の関係について書かれ、II 部では自身のゼミ生のために用意した『航海』本文を収録。

2017年05月15日

[ 緊急 ]WannaCrypt 情報まとめ

 なんでまたこういうハタ迷惑なもんこさえて世界中にバラまくんだろうか。いつぞやの MS Blaster のときも、あるいは Web サイトに飛んだだけで地雷を踏んでしまうみたいなほんとロクでもないものをこさえてるヒマがあったら … と嘆きたくもなるが、ひとりで愚痴ってもしかたないので、少しでもお役に立てればと思い、ここでも手短にまとめておきます( ついでながら、「ファイルを回復できますか? / 確かに」などというど阿呆な日本語表現を平然と書いてまで平和ボケな日本人からカネを巻き上げたいのか )。

運よく被害に遭ってない方Windows を最新版に … と言ってもとくに「 Windows 7 」の場合、頼みの綱の Windows Update がいつまでも終わらない … という症状の方も多いようです[このへんの使い勝手の悪さはあいも変わらず。「Windows XP のアップデイトでも何度か問題が起こった。この種のものは数日のうちにさまざまなメイルで通知されるので、3日ほど様子を見て、人柱が出なかったことを確かめてから実行するようにしている」と、さる文芸翻訳家先生が著書で書いていたけれども、まったく同感 ]。そういう場合は、

1). こちらのサイトに飛んで、使用中の Windows OS 用修正パッチを取り急ぎ個別に当てる[ 64 ビットシステムを使っている方 →「 Windows 7 for x64-based Systems Service Pack 1 」、32 ビットシステムの方 →「 Windows 7 for 32-bit Systems Service Pack 1 (4012212)」、スタンドアローン型インストーラーが立ち上がるので、指示に従ってインストール → 再起動 ]

2). お使いのマルウェア対策ソフト( Norton とか )の「定義ファイルパターン」を最新にする

3). 可能ならば、お使いの Wi-Fi / ブロードバンドルーターの設定で「 TCP 445 番 」ポートを塞いでおく

4). 最後に PC の HDD / SSD を丸ごとバックアップ、またはべつの HDD / SSD にクローニング( こうしておけばいつでも取り替えできる )

運悪く感染してしまった場合:下記専門機関サイトへ相談すること( ただし、感染した PC はネットワークから切り離し、べつの PC もしくはスマートフォン / タブレット端末で )。

IPA 情報セキュリティ安心相談窓口
Phone:03-5978-7509( 受付時間は平日の10:00〜12:00および13:30〜17:00 )
E-mail:anshin@ipa.go.jp

JPCERT/CC JPCERT コーディネーションセンター インシデント対応依頼

 以上ですが、やっぱり日ごろからこまめに丸ごとバックアップ、あるいはクローニング作業をしておけば、こういう想定外なトラブルが起きてもなんとかなる、と経験上言える( それと「不審な添付ファイルはぜったいに開封しない」という古典的だけどひじょうに重要な防御策もあらためて徹底する )。それと PC は複数台持っていたほうがいいですね。とくに不肖ワタシみたいに中古 PC 使いの場合はなおさら。いまはもうふた昔前とは比べものにならないほど PC の価格は日用品並みに下落しているので、複数台持つのはさほど経済的負担にはならないと思う( お古の DELL ノートには Linux が入っている )。

posted by Curragh at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | OS/PC関連

2017年05月07日

ジルバーマン、トロースト、ヒルデブラント

 早いものでもう連休もおしまい、みたいな感じで相も変わらずゴタゴタしている不肖ワタシです。そういえば先月はこういうすんばらしい番組を放映してくれた NHK にはほんと感謝しかなし。とくにうれしかったのは動画配信サイトでもわりと露出度の高いフライベルクの聖マリア大聖堂ジルバーマンオルガンとかナウムブルクの聖ヴェンツェル教会のヒルデブラントオルガンだけでなく、ジルバーマン(兄のアンドレアスのほうではなく、中部ドイツで活躍し、バッハとも親しかったゴットフリートのほう)の建造した比較的小型の知られざる名器も紹介してくれたこと。あと、当然のことながら案内役の鈴木雅明先生はじめ、取材先の 3つのオルガンのオルガニストの顔ぶれとかお話とかが聞けてほんとうに得難い経験でしたね。

 最初に紹介されたフライベルクの楽器は 1714 年建造のもので、ゴットフリートがアルザスにあった兄さんの工房で修行したのち故国にもどって最初に手がけた大きな仕事の成果と言われている楽器。フランス趣味が混在する楽器ということもあり、鈴木先生の選曲( と演奏 )はたとえば「幻想曲 BWV.572 」とか「パッサカリア BWV.582」などこのオルガンにぴったりのもの(「パッサカリア」の成立年代は 1710 年代、バッハのヴァイマール時代なので、このオルガンとほぼ同時期の作品になる )。ところでここのオルガン、とくると昔買った日本コロムビアから出ていた PCM(!)録音によるハンス・オットーのこととか思い出すんですけれども、オットーさんはとうに故人になっており、現在のオルガニストは寡聞にして知らなかった。番組ではアルブレヒト・コッホという若い人が出てました。ここのオルガンの演奏台って基壇から一段下がっていて、なんかちょっと狭苦しい感じ … がしないでもない。

 つぎに出てきたのが、「ジルバーマンとは対照的な」トビアス・ハインリヒ・ゴットフリート・トローストの建造したオルガン( 1738 年完成、奉献は 1741 年 )で、丘を登りきったところに聳えるお城の付属教会にある楽器。番組でも紹介されていたから二番煎じなのだがバッハは 1739 年 9 月はじめ、ここの楽器を「試奏」している。以下、『バッハの街』という本からの引用になるが、これは非公式の訪問であったらしい。つまり新オルガンの公式な鑑定ではなく、トローストとバッハとのあいだでの個人的なやりとりであったらしい( 城館教会入口付近にはバッハ訪問を示す銘板があり、番組でもちゃんと紹介されていた )。上掲書によると、バッハは「楽器の構造に耐久性があり、それぞれのストップ群の特性と魅力がみごとに引き出されていると判定した」。絶賛だったわけですな( ただし鈴木先生によると、ここのオルガンの鍵盤は「ひじょうに重い」んだそうだ。いったいどんなすごい力で速いパッセージとか弾くんだろ ?? )。

 番組でも鈴木先生はここのオルガンの音色の特徴について触れながら、「いざ来ませ異邦人の救い主よ BWV.599 」の出だしを例にいろんな可能性があるよ、ということをじつにわかりやすく説明されていたけれども、これってたとえば翻訳にも通じる気がする。翻訳者は目の前の原書なり原文なりを前に「いかに」日本語文へと移し替えるかに腐心するわけですけれども、このプロセスはオルガニストがあれやこれやストップを引っ張り出し、さまざまな音色のパレットを試すのと似ている。ちなみにここのオルガンは「保守的な」ジルバーマンの楽器とは正反対に前衛的なストップが多く、ここのオルガニストのフェーリクス・フリードリヒ博士によるとフルート系と弦楽器系の、自然倍音を心地よく響かせる独奏に向いたストップが多いようです。

 最後に出てきたのが、お待たせしました、という感じのナウムブルクにある聖ヴェンツェル教会の大オルガン( 1746 )。ここのオルガンはバッハが生涯最後に鑑定した楽器でもある( ってこれもそうナレーションされてましたっけ )。ツァハリアス・ヒルデブラント( 1688 − 1757 )はゴットフリートの弟子だった人で、独立後、師匠とは仲が悪かったらしい。1746年 9月 26 日、師匠ゴットフリートとバッハはともにこの楽器の鑑定試験を行っているけど、ヒルデブラントを高く買っていたバッハはこの機会を利用して師匠と弟子とを仲直りさせようとした、という話もある( 上掲書著者は、当時のナウムブルク市参事会の記録からそう推察している )。

 ところでこの大オルガン( 実働 53 ストップ、3段手鍵盤と足鍵盤 )、「中部ドイツ型としては珍しく演奏者の後ろにリュックポジティフがある」というナレーションのとおり、そのパイプ列を収納したケースを演奏者が文字どおり「背負って」いるのですけれども、これってひょっとしたら「豪華なプロスペクトを新しいオルガンに採り入れること[ 上掲書 ]」が建造家ヒルデブラントに課せられた注文だった、というのとなんらかの関係があるのかもしれない( もっともこれはたんなる下衆の勘繰りかもしれないが )。プロスペクトというのはオルガンの顔、ケースを飾っているパイプ列のこと。ナウムブルクではバッハとジルバーマンの泊まった宿屋「緑の盾」のあった建物までしっかりと映されており、しかも「商館『赤い鹿』という新しい建物が造られた」という記述を裏付けるように「鹿」の意匠まで大きく映し出していたのは拍手もの(「緑の盾」は「赤い鹿」に建て替えられて現存しない )。

 でも「上手の手から水が」。せっかくこんなすばらしい番組放映してくれたのはありがたいかぎりだが、鈴木先生はうろ覚えで( これに関しては当方も常習者だから、人のことを言えた義理ではないことは重々承知のうえ )バッハ晩年の傑作「前奏曲とフーガ BWV.548 」を「二楽章のシンフォニー」と評した人物をシュヴァイツァー博士だったかな? と疑問符つきでコメントされていた。そこまではいいけど、裏も取らずそのまま字幕にするのはどうにも挨拶に困るところ。昔の NHK だったらきちんと校閲しているところだと思う( じっさいはシュヴァイツァーではなく、ブラームス[ 本日が誕生日 ]の友だちの音楽学者フィリップ・シュピッタ、ちなみに「『オルガン小曲集』はバッハの音楽語法の辞典」と古典的著作『バッハ』に書いたのはまちがいなくシュヴァイツァー。んなことだれが言ったっていい、なんて向きもいるでしょうけど、「NHK なんで」やはりこういうところはしっかり確認してほしい )。それにしても先生がごくごく飲んでいたあのリースリングカビネットの白、いいですねぇ、今夜はワタシも呑むぞ( ↓ は、ナウムブルク聖ヴェンツェル教会ヒルデブラントオルガン、弾いているのはここのオルガニストのダーヴィット・フランケ氏。ただ Organlive とかでこの楽器を使用した音源を聴くと、個人的にはここの会堂は少々残響時間が長すぎてワンワンしがちだと思う )! 


posted by Curragh at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連