2015年08月30日

豪州のおいしいリースリング Jacob's Creek

1). 最近、「ジョルジュ・デュブッフ」輸入元サントリーワインの FB ページを見たら、なんと、もう葡萄の収穫が始まっているらしい( ご苦労さまです )。今年の欧州の夏は場所によっては熱波に見舞われたようでして、音楽の都ヴィーン( これだけはウィーンと書けない人 )でも最高気温が 35°C 近かった日があったとか、チェコやドイツでもそうとう暑かったらしい。ということは葡萄の生育にとってはまずまずだったはずなので、収穫が早まったのもむべなるかな、という気はするけれども … そういえば「セレクションプリュス」というデュブッフ社のとびきり値段の張るヌーヴォーのラベルにはいついつに収穫しました、という日付けとロット番号が表記されてるんですが、ワタシが買ったやつで最も早かったのはたしか9月初めだったと思う。8月末にもう収穫初日って、いままででもっとも早いほうかもしれない。もっとも現地の人の話を聞いたわけじゃないので、よくわかんないけれども。

 ちなみに ―― 怒られるかもしれないが ―― 上記 FB ページの8月 24 日付投稿記事をそのまま転載させていただくと、
「今日からぶどうの収穫がはじまります」

ボンジュール! デュブッフ社のアドリアンです。
8月も好天が続き、ぶどうは健康なまま「Ban des vendanges(バン デ ヴァンダンジュ)」と呼ばれる収穫日を迎える事が出来ました。

今年のぶどうの実は例年に比べ小さく収穫量も少ないと予想されますが、皮が厚く濃度の高いジュースを湛えており、グレートヴィンテージとされる 2009 年(8/27から収穫開始 )、2011 年( 8/24から収穫開始 )を思い起こさせる出来栄えになっていると実感しています。

ボジョレーのヴァカンスはもうおしまい。
美味しいヌーヴォーづくりに邁進します!

2). そんな折も折、暑い夏はやっぱギネススタウトでしょ、というわけでここんとこ缶入りのやつ買っては週末に楽しんだりしているのですが、OTTAVA プレゼンターのひとり斉藤茂 GM から、まったくたまたま耳寄りな情報を聞いた。なんでも斉藤さんは、オーストラリアの歴史あるワイナリーのジェイコブス・クリーク( ブランドン入江も Brandon Creek と書くけど、こっちのクリークは小渓流のほう )のリースリングをたまたま見かけたスーパー(!)で買って家で飲んでみたらこれがよい !!! というわけで「番組に連動したプレゼンターからのオススメ」に。斉藤さん曰く、「かなりシャープでドライな白ワインです。レモンやライムなど柑橘系をイメージさせるアロマ、重さはなく爽やかな飲み口ですが、それだけではない旨みも、しっかり用意されています」。

 安酒専科とはいえ、ワイン好きとあってはこの情報ははずせない( 苦笑 )。というわけで、運よく近所のこれまたスーパーにてハーフボトルの「リースリング」を発見したのでめでたく購入( ワタシが見つけたのは昨年のヴィンテージのもの )。さっそく試してみたけど、たまには辛口リースリングというのもいいもんだ。リースリング、と聞くと、なんか「甘口」の代表みたいな先入観があったもので、たとえばアルザスワインもかつてはドイツ語圏だったためなのか、そんな甘口リースリングが多い印象がある。そんなわけで、いままでリースリングという品種から醸された白を飲んだことがなかった。ようするにリースリング初心者、というわけなんですが、これは買って大正解! でした。もっともこれはワタシ個人の感想なので、こればっかりはじっさいに試してみるより他にないとは思うけれども、シャルドネほどのパンチの強さもドライさもなく、とても軽くて飲み口のよい白だと思いました。グラスから立ち上がるアロマも清々しい柑橘系で、これも個人的には大満足。誤解を恐れずに言えば、これは「白ワイン版ボージョレ」という感じ。すっきり辛口たけど、フルーティな味です。斉藤さんに感謝しなくては。もう少し涼しくなってきたら、こんどはここのカベルネ・ソーヴィニヨンを試してみようかな。

 … なんてこと書いているうちに、もう8月も終わりですね( 汗 ) … 。「きらクラ」じゃないけど、皆さまもどうかご自愛くださいませ。

付記:ヴィーンつながりでは、けさ見たこちらの番組。楽友協会大ホールのことが取り上げられていまして、舞台正面バルコニー上に聳える大オルガンについてもあらたな事実が。前面パイプ列のことを「プロスペクト」と呼んだりするんですが、ここの楽器のプロスペクトパイプ群は、すべてダミー、つまり音の出ない純粋な「飾り」だったんですねぇ。もっともプロスペクトの一部がただの飾り、というのはバッハ時代にもありました。で、あの名門ホールのオルガンのプロスペクトも、もしやって以前から感じてはいたんですが、ほんとにそうだったんだ。ここのオルガンはパイプ総数 8,000 本余、4段手鍵盤という大きな規模の楽器で、パイプのほとんどが実際にはコントラバス奏者の後ろの壁の中に収容されているみたいです。

posted by Curragh at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ワイン関連

2015年08月18日

チェンバロの響きは朝にこそふさわしい? 

 先週の「古楽の楽しみ」は夏休み特番(?)、「特集 “チェンバロの魅力” 〜 チェンバロってどんな楽器? 」。で、ふだんとはちがう大きなスタジオに案内役のおひとり、大塚直哉先生所有の大型2段鍵盤フレンチタイプの楽器まで持ちこみ、必要に応じて実際に音を出したり、あるいはゲストの演奏家とデュオをライヴで(!)聴かせてくれたりと、チェンバロ好きにとっては至れり尽くせりの感ありだったんじゃないでしょうか。

 自分も放送を聴取して、いま一度この楽器の仕組みを再確認したところです … まず2段鍵盤楽器の場合、下の鍵盤がメインで、いわば典型的なチェンバロらしい音を響かせる鍵盤、上のは弦を弾く「爪[ プレクトラム ]」の位置がより端に近いため、下の鍵盤に比べて「軽め」の音が出るようになってます。いずれもオルガンのフィート律で言うところの「8フィート」弦ですが、下の鍵盤にはもうひとつ弦が張ってあり、こちらはオクターヴ高い4フィート弦が張ってある … つまり、ぜんぶで三種類の弦が張ってある、ということになります。鍵盤の両脇にはスライダーのつまみがついていて、これでどの弦を鳴らすかを決める( オルガンで言うストップ / レジスター )。もうひとつ音色を変える機構として、「リュートストップ / バフストップ」という仕掛けがあり、これは弦にフェルトを押し当てて「こもった」ような響きに変えるもの。ポロンポロンと、ハープみたいなやさしい音が出ます。なんでこういうことをするかと言えば、ピアノみたいに切れ目なく音量を上げたり減らしたりができないから。いわゆるデュナーミクの表現については、チェンバロの発想法はオルガンのそれとほぼおなじものと言っていいと思う。つまり鍵盤交替、カプラーによる鍵盤連結による、「階段式」の強弱の付け方、もしくは「陰影の付け方」とでも言うべきか。大塚先生によれば、じつは指先の微調整でもクラヴィコードみたいに音が微妙に変わるんだとか。上の鍵盤を押しこむと、下の鍵盤と連動する( カプラー )ので、イタリア様式の合奏協奏曲のような、「ソロ」と「テュッティ」の擬似効果が生まれる。バッハの「イタリア協奏曲 BWV. 971 」は、まさにそのような2段鍵盤チェンバロ特有の表現を前提にして書かれている( から、ほんらいはピアノでは弾けないはず。ただしグールドの演奏は好きだが )。

 個人的には水曜放送分の西山まりえさんとのやりとりがおもしろかった。とくに「ミーントーン[ 中全音律 ]」話とか … ミーントーンで盛り上がるおふたりの会話を聞いてると、まるで音大生どうしのコアな会話を立ち聞きしているような気がする( 笑 )。さらには西山さんの持ちこんだイタリア様式1段鍵盤楽器は、低音部がいわゆる分割鍵盤、ブロークンオクターヴの楽器だった。なんでもレの半音の上にさらにキーが乗っかってるんだそうだ … マジで弾きにくそう( 苦笑 )。

 通奏低音についてのおふたりの話( と実演 )もすこぶる興味深かったんですが、なんと言っても熱燗だったのが、即興演奏。ドレミファ 〜 長調で即興を披露した大塚氏に対し、西山氏はおなじような音型を短調で弾いて即興を披露。「バッハが遠隔転調したあと、どうやってもどってくるのか、わかるようになる気がする」とかなんとか、即興演奏ができるようになるとそんなことも「見えて」くるのか 〜 と、脱帽状態、いや脱力状態か( 分割鍵盤のレの半音のそのまた上の鍵の音も出していた )。一度でいいからそんなカッコいいこと言ってみたいものだ。

 最終日はおなじみ松川梨香さんと。松川さんは実物に触るのがはじめてだったようで、キーを押すと弦を弾く、あの独特な感覚を体感して感激していたようす。以下、視聴者からの質問コーナーに寄せられた質問に答えつつ進行:

1). チェンバロケースの装飾について
17−18 世紀、貴族の時代から市民階級の時代へと移るとともに、きらびやかな装飾から質実剛健な外観へと変わっていった。イタリアの1段鍵盤タイプは白木のまま、フレンチタイプは華やかな装飾、とくに「シノワズリ」などの東洋風趣味な装飾ケースが流行ったりした
トレヴァー・ピノックの音源でヘンデルの「調子のよい鍛冶屋」
2). 鍵盤の色が黒白逆なのは? 
現代ピアノのようなタイプもけっこうある。イタリアの1段鍵盤タイプの楽器など
白=象牙 / 牛骨、黒=黒檀のことが多い
一説によれば、女性奏者の指先を美しく見せるため? 
3). なぜチェンバロには上下2段の鍵盤なのか
1段鍵盤の楽器も多い( ルッカース一族製作の楽器、たとえばヴァルヒャが「平均律クラヴィーア」録音で使用したような歴史的楽器とか )
ソロとテュッティの交替をひとりの奏者で表現できる
上の鍵盤は張り方の違いと爪の位置のちがいで「軽く」響く
リクエストのヴァルヒャの音源では、モダンチェンバロ( アンマーチェンバロ )を使用している。「イギリス組曲 第3番 BWV. 808 」前奏曲
この演奏では、16 フィート弦や鍵盤連結を使用してオルガンのような重厚さを強調している
4). ヴァージナルは、狭義には箱型小型チェンバロで、英国で流行した
通常の大型チェンバロは、フリューゲル[ 翼型 ]タイプと呼ばれる、独の大型楽器は先端が「丸く」なっているものもあり
ホグウッドの音源でバードの小品「この道を通りゆく人は」
5). ピアノと弾くときとチェンバロを弾くときのちがいは、ピアノが弾ければチェンバロも弾けるのか? 
ピアノ=打弦楽器、チェンバロ=撥弦楽器
はい、ともいいえ、とも答えられる
求められる技術が異なるから
鍵盤のタッチは比較的軽い、幅[ と奥行き ]はピアノより狭い
鍵盤連結するとタッチはその分重くなる
スコット・ロスの音源でD. スカルラッティ「ソナタ ト長調 K. 13」
6). 強弱をつけられないチェンバロでの演奏はどのようにしているのか
弦を弾くタイミングをずらす、鍵盤を連結する、鍵盤交替するなど
リクエスト:ユゲット・ドレフュスの音源によるバッハ「平均律 第1巻 22番」の前奏曲
7). チェンバロの場合、ミーントーンを含め、調律の種類がひじょうに多い
ギターやヴァイオリン奏者と同様、調律は演奏者自身がする
リサイタルの場合は専属の調律師に頼む場合もある
プレクトラムが折れる、弦が切れるというトラブルもまれにある
8). チェンバロのための現代作品はけっこう多い
武満徹、リゲティ、ラッター、グラス、フランセなど
リクエスト:F. クープラン「神秘な防壁」[ 生演奏 ]

… 願わくば再放送を希望。あるいは次回はオルガン特番にしてほしいです。ちなみに仏語のクラヴサン clavecin は、原型になった古楽器 clavicymbalum から派生したもので、クラヴィ+シンバルだそうです。なるほど。チェンバロはもちろん伊語の clavicembalo の独語読みで、どっちもクラヴィチェンバルム clavicembalum[ 鍵盤で弾くツィンバロム ]から派生した呼び名になります。そういえば「モダンチェンバロ」についての言及もあったけれども、'70 年代の「イージーリスニング」ものにはモダンチェンバロ、ないしは「プリペアド・チェンバロ」とでも言うべき改造楽器がやたら演奏に加わっていたような記憶がある。前にも書いたけど、たとえばポール・モーリアなんかがそうですよね(「恋はみずいろ」など )。



 先週はこのようにチェンバロづくし、松川さんも「チェンバロの響きは朝にふさわしい!」みたいなことをおっしゃっていて、なるほどたしかにそうかもと思ったり。こう暑いと( 苦笑 )、いくら無類のオルガン音楽好きでもワンワン響くオルガンよりすっと減衰する心地よいチェンバロの響きのほうが精神的にもいいかもです。ヴァルヒャの2度目の「平均律クラヴィーア」の音源もあることだし、週末の朝にでも全曲、聴いてみようかと思う、今日このごろ[ * 2016 年 3 月の再放送を聴取しての加筆訂正あり ]。

posted by Curragh at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2015年08月17日

南北戦争 ⇒ 終戦 70 年

1). 新訳版『風と共に去りぬ』に、次のようなスカーレットの科白が出てきます。
「もっと綿を植えよう。もっともっと。あしたポークをメイコンへ
()
って、種を買ってこさせよう。もうヤンキーに焼かれることもないし、味方の軍隊にとられることもないんだ。ああ、やれやれ! この秋には、綿花の値もうなぎ上りよ!」

 70 回目の終戦の日の何日か前だったと思うけれども、地元紙投稿欄にも「明日からはもう空襲はないんだ!」という戦争体験者の方の述懐が載っていました。心情的には、南北戦争時代の南部白人スカーレットと、こちらの述懐とは、なんらの距離もなくて、戦争の惨禍を文字通り命からがらくぐり抜けてきた凄絶な体験をした人ならばだれだって心底、そう思うものだろう。

 ところでふたつ前の拙記事で取り上げた Ninety Six という地名の出てくる本。『風と共に … 』を読み進めていくうちに、なんか急に(?)当時の南部プランテーションで奴隷として白人に従事していたアフリカ系米国人のことが気になりだして、件の本がいつぞやお世話になった静大附属図書館(!)の書庫に入っていることを知り、いつも行ってる図書館経由で( 相互利用制度 )借りることができたので、さっそく読んでみた。例の '96' は、当時北軍の第3海兵歩兵部隊に所属していたジェイムズ・マクファーソンという名の中尉さんだった人の行軍日記が出典だということがわかった。1864 年5月5日、マクファーソン中尉はヴァージニア州の戦闘で南軍側の捕虜になり、サウスカロライナ州コロンビア近くの収容所に送られた。同年 11 月下旬、マクファーソン中尉は仲間3人とともに収容所から脱走。テネシー州ノックスヴィル近くの北部合衆国側との境界線を目指し、200 マイル以上もの距離をひたすら逃げ、脱走にからくも成功したという話。で、マクファーソン中尉の「日記」からわかるのは、当時の黒人たちの共同体が彼らの脱走成功には欠かせなかった、ということです。「口コミ」という連絡手段がありますが、あれのもっと大掛かりなやつ( bush telegraph )を駆使して、ひとつの黒人コミュニティからつぎのコミュニティへと、彼らの逃亡ルートの道案内をリレーしただけでなく、「おいしい食べ物( 'Here the negroes could not do enough for us, supplying us with edibles of a nice character ...', p. 114 )」までたっぷり用意してくれたりとその働きぶりに目を見張ったことが鮮やかに活写されています。ようするに貴重な第一級史料のひとつ、なんですな。例の Ninety Six の北にあったとかいう鉄道を横切った、という話は、12 月5日付の日記に出てきます。

 この本( George P. Rawick, From Sundown to Sunup, 1972 )全体を ―― 期限が切られていたのでやや大雑把ではあるが ―― 通読してみて思ったのは、「南部の黒人奴隷たちは人間としての自由を剥奪された被害者だ」とか、「強制収容所だった」みたいな言説は必ずしもあたらない、ということだった。そしてこれも寡聞にしてはじめて知ったのだが、南北戦争前にも、奴隷ではない「自由な」黒人たちというのがきわめて少数ながらも存在していたこと、そして、『風と共に … 』でもそれとなく出てきたのでありますが、黒人奴隷女性が「マッサ( またはマースなど )」と呼ばれていた使用者( 主人 )の子どもを産む(!)というケースもけっこうあったらしい。つまり「黒人社会と白人社会とは完全に断絶されていたわけでなく、抑圧的な場合が多かったとはいえ、南部プランテーション制度での両者の交流は活発だった」ということでした。なのでスカーレットの乳母が黒人の大女マミーであったのも、当時の南部ではよくあることで、それにもとづいて書いた、ということになる。そしてこれもはじめて知ったのだが、南北戦争当時、すでに黒人奴隷および解放奴隷に対する「聞き書き」調査が連邦政府後援プロジェクトとして行われていたという事実。この「聞き書き」は 1930 年代、FSA の写真家ドロシア・ラングとかウォーカー・エヴァンス、ゴードン・パークス、カール・マイダンスとかが活躍していた時代にもさらに大規模に実施されていたけれども、その存在は 1960 年代に「再発見」されるまで埋もれていた( その間、黒人奴隷の記録はほとんど残っていないというまちがった認識がはびこった )。この本は、そういう元奴隷だったアフリカ系米国人による膨大なナラティヴを集めたもの( Volume I Of The American Slave: A Composite Autobiography, 1972−79 )で、この本はその巻頭を飾る、言わば全体を俯瞰したような内容の本だった( これらの調査はほとんどが聞き書きだが、なかには元奴隷本人の直筆もある。書名の From Sundown to Sunup は、昼間は主人にこき使われている黒人たちが、日没から夜が明けるまでのあいだは「自分自身のために生き、完全な犠牲者になるのを防ぐための基盤としての行動や制度を創り上げていった」ことを指している )。

 とはいえ当時の黒人奴隷たちの境遇がひどかったことに変わりはないけれど、そんな逆境の中でもたくましく生きていた黒人たちの話がたくさん出てくる。たとえば先祖の土地である西アフリカ沿岸地域に伝わる土着の神々が姿と役割をがらりと変えて、新大陸でも崇拝されていたとか、黒人教会の母体になった「夜の密会」の話とか( 黒人奴隷たちは、わりとすんなりキリスト教を受け入れていた。たとえば「三位一体」という教義については、土着のトリックスター信仰にもあった「神さまはいろいろに変身する」というふうに捉え再解釈していた。この関連でハイチのヴードゥー教の話なんかも出てくる )、結婚するときに不可欠な「ほうき飛び越えの儀式」とか「地下鉄道」とか、とにかく知らない話がいろいろ出てきて個人的にはおおいに刺激を受けた。そして( 当然と言えば当然ながら )南北戦争勃発時の北部は黒人奴隷に依存する綿花栽培経済とはまるで構造の異なる経済と社会であり、北部にいた黒人の数も南部に比べれば圧倒的に少なかったらしい。南部人にとってはありふれた黒人も、北部人にとっては人づてに耳にするていどのもので、南北戦争開戦時は「なんでそんな連中のために戦わなければならないのだ」と、アイルランド系移民などの低賃金労働者からの突き上げ、ないし反発がすごかったという。なかでももっとも大きかった暴動が、1863 年に起きたニューヨーク徴兵暴動だった。ちなみに終戦後、黒人「もと奴隷」たちはせっかく解放されてもまともな仕事にありつけず( 識字率も低いしろくな教育を受けていなかったため、というのもあるが、「プアホワイト」と呼ばれた低所得白人層の子弟にとっても事情はおんなじだった )、仕事を求めてやっとの思いで北部にたどり着いてもおなじく低所得でこき使われていた白人労働者階級から迫害されたりで、けっきょくもとの「マッサ / マース」たちの経営する大農園へともどったり、あるいはどこも行くあてがないからと、戦前同様にそのまま農園主の許で働く黒人たちが大半だったようです。その後も悪名高い KKK や南部諸州による隔離政策の合法化など、マルコムXやキング牧師の時代まで苦汁をなめつづけたアフリカ系米国人たちの歴史は、周知のとおり。あと、黒人霊歌( 'Steal Away' とか )の話もちょこっと出てきたりします。そして社会学の立場から、北部流儀のいびつな資本主義の産業構造が押しつけられた結果、白人の底辺労働者層と「もと奴隷」黒人とがいかに搾取され、かつ人種偏見も助長されたか、みたいなくだりも目を開かれる思いがして、なんだか部分的にながらも『 21 世紀の資本』の先取りみたいな印象も受けた。

 … ついでながら、かつて日本でもブームを巻き起こしたアレックス・ヘイリーの自伝的作品『ルーツ』も思い出した … 当時、小学生だったけれども見てましたよ、あのテレビドラマシリーズ !! 最後には著者( カメオ出演ではなく、演じていたのはプロの俳優 )も出てきて、「[ 自分のご先祖さまは ]クンタ・キンテだ !! 」と叫ぶ場面とか、米国で苦労した年老いた父親に空港(?)かどっかの売店で自ら買った自分のベストセラー( !! )を差し出して、受け取った父親が息子に向かって微笑んで「ありがとう」と言う場面とか、ほんとうに久しぶりに思い出しましたよ … ちなみに「ルーツ roots 」なる外来語が定着したのも、この『ルーツ』がきっかけでした。以後、「自分のルーツ探し」が巷で流行ったりする[ 老婆心ながら、著者ヘイリーは『大空港』で知られるアーサー・ヘイリーとは別人 ]。

2). 『風と共に … 』を読んでいまひとつ強く感じたのは、太平洋戦争時の日本と南北戦争時の米国南部の情況が不気味なくらい符合することが多々ある、ということです( 周りの「空気」を怖れてなにも言えないとか )。人間のやることだから、あるいは人間心理というのは洋の東西を問わず … と括ることもできるかもしれないが、先の大戦での犠牲者 310 万人余、南北戦争に斃れた兵士 50 万人以上、というとんでもない犠牲を払ったその「大義」、「正義」っていったいなんだったのかと思わざるをえない。IS などの原理主義勢力によるテロリズムの脅威や、核戦争の危機もいまだ拭えていない 21 世紀のいまに生きるわれわれにとって、やはり確実に言えることは「戦争というのは絶対悪である」ということだろう。米国の作家で L. スプレイグ・ディ−キャンプという人がいたけど、その人のファンタジーものに、「ひとりだろうが百人だろうが、殺人は殺人だ」というくだりが出てくる。そういえば最近、与党の若手議員だかが、安保法制法案に反対を叫ぶ学生団体に対して「自分勝手だ」とかなんとか、のたまわったなんて話を聞きますと、連日 33 度超えのクソ暑さにもかかわらず、怪談よろしく背筋が凍りつく思いがする。若い人たちが反対するのはしごく当然だ。いつの時代も、戦争に駆り出されるのは体力のある若い人。その人たちの両親だって、わが子に進んで見ず知らずの若い人を殺してほしいなんて思うわけもない。憎しみの連鎖というものを断ち切らないと、詩人の谷川俊太郎さんじゃないけど、「戦争はなくならない」。そういうことを平然と垂れる議員さん方には、先日、松崎町在住の主婦の方が地元紙に投稿した一文を見るといい。
 近年世界情勢は変化しましたが、自国の防衛が個別的自衛権では、どこがどのようにいけないのでしょうか。…… 今回も戦争の悲惨さを知らない世代の政治家たちが、国民の安全は政治家が守ると言いながら自分達の解釈によって議論もそこそこに法案を成立させようとするのは、あまりにも乱暴なように思われます。…… 民主主義国家とは国民が主権者ではないでしょうか。
 前にも書いたかもしれないが、自分がはたちのとき、癌で入院していた伯父さんが、「おまえはたちになったのか? なら徴兵検査だな」とつぶやいたのを鮮明に覚えている。そして Microsoft の創業者のひとりによって発見されたのが、もうひとり別の伯父さんが乗艦していた「戦艦武蔵」だった。戦争体験者のほとんどが 80−90 歳代になり、ほとんどが自分も含めて戦争を知らない世代が大半を占めるようになった。

3). 首相の談話の公式な「英訳」というのが地元紙紙面に大きく掲載されてました。で、気になったのは下線部分。
Thanks to such manifestation of tolerance, Japan was able to return to the international community in the postwar era. Taking this opportunity of the 70th anniversary of the end of the war, Japan would like to express its heartfelt gratitude to all the nations and all the people who made every effort for reconciliation.

 In Japan, the postwar generations now exceed eighty per cent of its population. We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with that war, be predestined to apologize. Still, even so, we Japanese, across generations, must squarely face the history of the past. We have the responsibility to inherit the past, in all humbleness, and pass it on to the future.

[ 談話原文 ]寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

ここ、どうにもつながりが悪いと思いませんか? なんか前後の文脈顧みずむりやりって感じで … ほかの人はどうかなって思っていたら、たとえばこちらの比較ページにも、この箇所が取り上げられていたりするし、こちらの記事でも、'But he added:“We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with the war, be predestined to apologise ... "' みたいに紹介している。ワタシはこの件に関して、基本的にこちらの先生の意見とおんなじですね。「歴史の延長線上に自分たちがいると認識する」ことがなくなったら、またこの国の指導者は暴走するだろう、立憲君主としての時の天皇の意見や心情もろくに斟酌せずにね。こういう発想は、原発再稼働とおんなじです。「喉元すぎれば … 」とか「ほとぼりが … 」とか、そろそろいい頃合いだろうとか、見くびっているというかタカをくくってるんじゃないでしょうかねぇ。そういえば最近、中電の「浜岡原子力館」の TV CM がやたら目につくようになった。

 この英訳にもどれば、新聞紙上のコメントにあるように、remorse とか repentance などの単語はよほど洋書・洋雑誌を多読しないかぎり、あんまりお目にかからないだろうから、この際覚えておいて損はないでしょうね。

追記:いまさっきひょっとして、と思って動画サイトあたってみたら、↓ のようなクリップが出てきました … そしていまさらながら、原作者ヘイリーを演じていた俳優というのが、なんとなんとあのジェイムズ・アール・ジョーンズだった !! そうかあ、ダース・ヴェイダーのあの声の吹き替えやっていた黒人名優さんだったのか … と、遅かりし由良之助の心境( 苦笑 )。



posted by Curragh at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の雑感など

2015年08月14日

ジョン・スコット先生急死 !! 

 いまさっき知った、衝撃の悲報。なんとあの名伯楽、ジョン・ギャヴィン・スコット 先生が今月 12 日に急逝していたことが判明 !!! ほんとうにショックだ。享年 59 歳、6月に誕生日を迎えたばかり。

 ここでも何回か書いたかもしれないけれど、日本で一時期、その筋では人気の高かった Boys Air Choir。この「聖歌隊のドリームチーム」に選ばれた名ソリストくんたちは、セントポール大聖堂聖歌隊の出身者が多かった。そのセントポールで 14 年間、聖歌隊員の音楽指導に当たり、2004 年からは転じて米国ニューヨークの名門セントトーマス教会聖歌隊の指導者として活躍。その一方でたとえばこちらの拙記事とかにも書いたように、名オルガニストとして大活躍されてました。

 セントトーマスのこちらの追悼記事と英語版 Wikipedia 記事によると、スコット先生は6週間の欧州大陸でのオルガンリサイタルツアーを終えて、8月 11 日、帰路に就いた。ところが翌朝、急に気分が悪くなったようで、急性心臓発作を起こしたらしい。すぐルーズヴェルト病院へと救急搬送されたものの、意識が回復することなく、現地時間 12 日に息を引き取ったという。今年の欧州は地域によっては熱波に見舞われたようなので( チェコとかかなり暑いらしい )、知らず知らずのうちにダメージを受けていたのかもしれません。さらに悲しいことには再婚した奥さんとのあいだの最初のお子さんが来月、誕生する予定 … なのだという。

 こちらとしてはただただ呆然とするばかり。前任のセントポールの先唱者( precenter )、マイケル・ハンペル惨事会員は 2012 年にドレスデン(!)で開かれたセントポール、セントトーマスの合同演奏会やセントポールでのオルガンリサイタルに触れて、「スコット氏との思い出はいつまでも光り輝き、色褪せることはない。今日はセントポールにとってたいへん悲しい日になってしまった」とお悔やみの言葉を述べています。

 スコット先生自身も、やはり英国アングリカンの伝統と言うべきか、自分が指導してきた聖歌隊員の子どもたちとおなじく聖歌隊出身者( ウェイクフィールド大聖堂、その後副オルガニストにもなってます )で、その後ジョージ・ゲスト時代のケンブリッジ大学セントジョンズカレッジ礼拝堂聖歌隊オルガン奨学生を経てセントポールとサザック大聖堂の副オルガニストになり、1990 年にセントポールの音楽監督に就任。やはり名オルガニストとして知られるジリアン・ウィーア女史にも師事していたようです。ちなみに知らなかったが Royal College of Organist というオルガニスト養成機関でも学んでいたようで、やはり公式サイト上で今回の悲報を伝えています。ちなみにチャールズ皇太子とダイアナ王妃のロイヤルウェディングのときのオルガン演奏も、スコット先生が担当してました。

 セントトーマスでの追悼式は木曜日に執り行われたようですが、正式な葬儀の日程はこれから発表されるみたいです。セントトーマスもそうですが、とりわけセントポールでスコット先生の薫陶を受けて育ったかつての少年聖歌隊員の受けたショックはいかばかりか。

 ジョン・スコット先生の御魂安かれと祈りつつ。合掌。

追記: 来日時に撮影したとおぼしき紹介記事がありましたので → JAZZ TOKYO 関連ページ。また、Pipedreams でも追悼番組を放送したようです。

posted by Curragh at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | おくやみ