2015年10月25日

「マタイ」なのか、「ケーテン侯の葬送音楽」なのか

 先週の「古楽の楽しみ」は、大好きなバッハのオルガン作品がまたぞろ出てくる、というわけで、聴取前までそっちの関心しかなかったのではあるが …「 BWV. 244」なる作品、はて、そんなもんシュミーダーの作品目録にあったかしらん、などと首をひねって寝違えそうになり、ええっとたしか 200 番台はモテットとかオラトリオ、ミサ曲( バッハはルター派なので、ほんらいはミサ曲をこさえる職務上の義務などなかったが、当時のライプツィッヒ市ではキリエとグロリア、いわゆる「小ミサ」を上演する習慣があったとかなんとか、そんなことをどこかで耳にした覚えがある )、受難曲だったっけ …… なんて思ってさて聴取してみたら、なんだこれ「マタイ」じゃん !?¿ 

 使用音源は、ハルモニア・ムンディのこの音盤( しっかし NML ってすごいな、こんな新録音までライブラリーに入ってるとは … )。カウンターテナーのダミアン・ギヨンさんて、たしか 2009 年の LFJ で教会カンタータを歌っていた歌手じゃなかったかな。あのときの指揮者はお名前は失念したが、本業がヴァイオリニストの方だと思った。この「ケーテン侯のための葬送音楽」はうまいぐあいに四つの部分に分かれているから、一日ひとつずつ聴いていく、ついでにオルガン作品もね、みたいな構成だった[ → 参考までに磯山先生のブログ記事 ]。

 で、今回、カギとなるのがどうもフォルケルによる『バッハ伝』の記述だったので、幸い、いつも行ってる図書館に岩波文庫版[『バッハの生涯と芸術』]があったので借りてきてまじめに通読してみる気になった( 苦笑 )。* フォルケルのこの評伝はその筋では超有名ながら、恥ずかしながらきちんと読んだことさえなかったから ―― 「 96 」の From Sundown to Sunup のときのように ―― せっかくのよい機会だからこのさい目を通しておこう、と殊勝な思いを抱いたしだい。磯山先生に感謝しなくては。

 そのフォルケルによれば[ 下線強調は引用者 ]、
1723 年、クーナウの死後、バッハはライプツィヒのトーマス学校のカントル兼音楽監督に任命された。… アンハルト・ケーテンのレーオポルト侯は彼を非常に愛していた。それゆえバッハとしては侯に仕えるのをやめるのは、気が進まなかった。しかし、それから間もなく侯が歿したので、天命が彼を正しく導いたことを知った。彼にとって非常に悲しい侯の死に寄せて、とりわけ美しい数々の二重合唱をふくむ葬送の音楽を作って、それをケーテンでみずから上演した。
で、そのすぐあとの「訳注」を見ますと、
 その葬送カンタータは『嘆け、子供たちよ … 』BWV 244a であり、それのバッハ自筆の楽譜をフォルケルが所有していたが、のちに散佚した。
 11 曲から成るこの曲にバッハは、そのころ作曲していた『マタイ受難曲』BWV 244 から9曲を取り入れ、歌詞を書き換えて用いた。冒頭の合唱の音楽は、前に作った別の葬送カンタータ BWV 198 の中のものを用いた。またこの冒頭の曲はのちに『ロ短調ミサ』BWV 232 の冒頭の「キューリエ」に用いられた。
 バッハの教会用の声楽曲は非常に数は多いが、右に見られるように、すでに作ってある曲を、組合わせを変えたり、歌詞を入れ換えたりして作り上げる例が少なくなかった。[ 以上、pp. 44 − 5 ]
むむむ … そうだったのか、遅かりし由良之助、寡聞にしてこの「葬送音楽」はまるで知らなかった。でもそうですねぇ、磯山先生のおっしゃるように、自筆譜ないし筆写譜が残ってさえいれば、レチタティーヴォはまちがいなくバッハの新作だったはずなので、だいぶ印象は変わってくるだろうな。第一印象としては、言い方はなんだかなあとは思うが、まんま「マタイ」のパクり( 失礼 )という印象が拭えない。でも、こういう「再現」の試みじたいは高く評価したいと思う。個人的には、これはこれでけっこう気に入ったので。そしてもちろん、作曲者バッハ本人にしても、いまは亡き愛する主君への文字どおり万感の思いをこめて上演したことは想像に難くない。ワタシは磯山先生がこの『故人略伝』の記述を引いて説明してくれたとき、なんかこう目頭がカーっと熱くなるのであった[ バッハがケーテンの宮廷に仕えていたのは、わずか6年間にすぎない ]。

 ただ、磯山先生によると、この「再現演奏」をドイツのどっかで開いたら、聴衆のうち8名ほどが「気分が悪くなって」会場を出て行った、なんていうこぼれ話までついてました。うーん、たしかにドイツ人聴衆は当然のことながら母国語で聴いているし、なんてったってこれ「マタイ」の「転用[ パロディ ]」作品ですから、無理からぬ話かもしれない。

 そそっかしいワタシは、てっきりいっしょにかかるオルガン作品も、なんらかの関係があるのかなんて期待していたけれど、これは先生の趣味で選曲されたものらしい。でも「パッサカリア BWV. 582 」が「バッハがまだ若いころの初期作品の傑作」というのは、いまだに信じられない人( ケラーはたしかケーテン時代の作品に分類していた )。最新のバッハ研究ではそうなんだろうけれども、あの老成した堂々たる8小節にもおよぶ低音主題といい、つづくフーガの展開といい、そして圧倒的なナポリの6の終結といい、どう考えてもこれがまだはたちになるか、ならないかの時代に作曲されたなんて思えない。いくら「天才」だったとはいえ( → BWV. 582 についてはこちらの拙記事も参照 )。ちなみにかかっていた音源のオルガンの響きもすばらしくて、気に入りました。どっかに売ってないかな? 

* ... 訂正:当初、ワタシはバッハの次男坊 C. P. E. バッハらが書いたと言われる『故人略伝( 1754 )』と、フォルケルが彼らの証言にもとづいて 1802 年に出版した『バッハ伝』とをゴッチャにしてました。誤記をお詫びしたうえで、当該箇所を訂正しました m( _ _)m ちなみに岩波文庫版訳者先生によれば、バッハの長男ヴィルヘルム・フリーデマンとカール・フィリップ・エマヌエルとのあいだには生後すぐ死亡した「双子の姉弟」がいた、とのことで、彼は正確には次男坊ではなく「三男坊」にあたる、ということもはじめて知った … 18 世紀当時のことなので、新生児の死亡率がひじょうに高かったわけですね。

posted by Curragh at 22:57| Comment(4) | TrackBack(0) | NHK-FM

2015年10月11日

「メンバー紹介」番外編

1). 本日の「きらクラ!」の「メンバー紹介」に、バッハの超有名な「ニ短調のトッカータとフーガ BWV. 565 」が登場してまして、なんでも冒頭の嵐のごとく降下するあの音型と、それにつづく減七のアルペッジョばかりに気を取られ、気づかないうちに次のトラックに突入、ということが多いので、これを機会にじっくりフーガを聴いてみたい、ぜひとも「メンバー紹介」してほしい、という趣旨のリクエスト[ 京都市の「消しゴムの角を使って叱られました」さんから ]。番組ではこのフーガ部分がたしか「6分」ほどつづく、とかふかわさんがおっしゃっていたので、ためしにこちらの演奏版で確認してみたところ、もう少し短めの5分でした( ふかわさん曰く、「冒頭の一発芸に気を取られて … 」には、笑った。ちなみにいま、再放送にて確認したら、サットマリー盤でもやはり5分で終わっていた。テンポもけっこう「快速」でしたし … )。

 手許のポケットスコアで確認すると、フーガ主題の入りはちょうど切れよく 30 小節目から始まり、再びトッカータが嵐のごとく舞いもどってくるのが 127 小節目以降( 区切りを示すフェルマータが記されている )。番組でかかっていた音源はサットマリーの新録音のようで、使用楽器は塚谷水無子さんも使用した、オランダのバーヴォ教会のミュラー製作の歴史的オルガン。ちなみに番組ではこの音源でコーダまでかかっていたけれども、BWV. 565 はトッカータが額縁のように真ん中のフーガを取り囲む、ブクステフーデやブルーンスによくある「北ドイツ オルガン楽派」流儀の即興的要素のきわめて濃い作品。たしかサイモン・プレストンだったか、「これはバッハの真作ではない」とか言われたり、また「原曲はヴァイオリン独奏曲」説もあるという、いわくつきの作品。前にも書いたけれども、こういう構造を持ったバッハの他のオルガン用作品って、見当たらないのも事実。技巧的にも鍵盤のために書かれた書法、というより、ヴァイオリンなど弦楽器系だと思う。ところでゲストの三浦友理枝さんが、「このフーガってトッカータの延長線上にあるような書き方ですね、わりとギザギザしていて … 」みたいな発言をされていて、さすが、と思いました。トッカータ冒頭部の音型からフーガ主題が導き出されていることを演奏家の直感でみごと言い当てておりました。

 それで、念のため過去記事探してみたらそれらしい記事がないみたいなので、ここで手短に「メンバー紹介」のそのまたメンバー紹介をしておきたいと思います ―― それは「ドリア調」と呼ばれる、もうひとつの「ニ短調トッカータとフーガ BWV. 538 」のことです。

 こちらのほうはオルガン作品が量産されたヴァイマール時代、1708 − 17年にかけて作曲されたと考えられているもの。あいにく自筆譜は現存せず、親戚のヴァルターによる筆写譜で伝えられています。

 こっちの「ニ短調トッカータとフーガ」は、「ドリア調」の添え名が暗示するように、 BWV. 565 とおんなじニ短調作品ながらフラットなしの記譜法をとっているため、便宜上中世の教会旋法の呼び名がつけられてます[ よって、厳密な意味での「ドリア旋法」というわけではない ]。かつてカルロ・カーリーが NHK ホールでの来日公演の際、この「トッカータ」のゼクエンツ音型を評して「蒸気機関車」と言ったのをいまだに憶えています … で、ご本人はいかにもオルガンのエンターティナーよろしく、わざとらしいほどの推進力をもって(?)、このトッカータを弾きまくっておりました。

 BWV. 565 のほうが即興演奏の記録、みたいな作品であるのに対し、BWV. 538 のほうは主鍵盤 / ポジティフ鍵盤との音色の対比( いまふうに言えば、fortepiano の対比 )をはっきりと念頭に置いたイタリアの協奏曲風書法で全編書かれてます。そして BWV. 565 とのもっとも大きなちがいは、北ドイツ楽派のようなトッカータ−フーガ−トッカータみたいな書き方ではなく、堂々たるトッカータ[ 前奏曲と言ってもいい ]と、これまたどっしりとした厳格かつ古風な対位法書法による巨大なフーガが互いに向き合い、対峙するような書き方になっていることです。フーガ終結部あたりは、複雑に込み入ったストレッタになっていて、足鍵盤のトリルまで出てきて、技術的にも演奏がひじょうに難しいフーガです。

 バッハは生涯にわたって、「オルガン鑑定家」としての仕事もつづけていて、その名声も全ドイツで轟いていたそうですが、この作品、1732 年9月 28 日、カッセルの聖マルティン教会での新オルガン落成式で演奏したという記録が残ってます。ちなみに愛妻家バッハだからかどうかは知りませんが、このカッセル旅行には奥さんのアンナ・マグダレーナも同伴していたとのこと。



2). 先週の「古楽の楽しみ」は、「コンソートの魅力」と題して、プレトリウスの「テルプシコーレ」とかかかってましたが、個人的に聞き耳立てたのが、 16 − 17 世紀スペインオルガン音楽の大家、コレア・デ・アラウホの「無原罪の御宿りの祝日の聖歌」についての大塚先生のこんなコメントでした。
アラウホは四つの声部を独立して記譜しています。これはオルガン / 合奏、どちらでも演奏可能で、当時すでにこのような演奏習慣があったことは確実です。

 むむむそうなのか … ワタシはてっきり、このような書法、つまり鍵盤譜ではなく、S−A−T−B の各声部に分かれて記譜する習慣は、たとえばイタリアの同時代の大家、フレスコバルディあたりかと思ってました。ひょっとしたらスペインのほうが先んじていたのかな? だとしたら、バッハの「フーガの技法 BWV. 1080 」の総譜書法も、辿っていけばアラウホにまで行き着く、ということになる。で、先週の放送ではその「フーガの技法」も、アムステルダム・ルッキ・スターダスト・カルテット( ALSQ )によるリコーダー四重奏版でかかってましたね[ コントラプンクトゥス1と3]。

 「コンソート」ついでに、フレットワークによるヴィオール合奏版によるパーセルとかもかかってました。ヴィオールコンソートは当時の英国で流行っていて、最高音部を「トレブル」って言うらしいけれども、それ聞いた瞬間、ボーイソプラノを想起してしまう条件反射にひとり苦笑するワタシであった。さらにはその「トレブル」な子どもたちによるヴィオールコンソートというのも活躍していたという記録まで残っている。ややこしや。

posted by Curragh at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | バッハのオルガン作品