2015年11月30日

シベリウスはお好き? 

 昨晩の「クラシック音楽館」は、来月8日でちょうど 150 年目の誕生日を迎えるジャン・シベリウス尽くし! でした。

 フィンランドとくると、叙事詩「カレワラ」や、第2の国歌とも言われる「フィンランディア」… と言いたいところだが、少年合唱好きとしてはかつて NHK BS2 で放映されたヘルシンキ大聖堂少年聖歌隊の来日公演とかがどうしても思い出される( 苦笑)。で、今月はじめにサントリーホールで開かれた公演の録画を見たんですが、これ名演だったと思います! 

 シベリウスの音楽って、じつは「フィンランディア」以外はほとんど聴いたことがなくて、Ottava を聴くようになってからちょくちょく耳にするようになってきた( もっとも NHK-FM でもかかってましたが )。シベリウスの交響曲作品で日本でウケがすこぶるよいのは「2番 ニ長調」… のようだけれども、ワタシは2年ほど前だったか、なにかの番組で聴いた「5番 変ホ長調」が、なぜか自分の感性とフィットして、大好きになった。そしてつい最近、音楽学者の皆川達夫先生が案内役をつとめる「音楽の泉」にて、シベリウス最後の交響曲「7番」をたまたま耳にして、こちらも好きになった[ 以前 BBC Music だったか、作曲者が北の人か南の人かでできあがった音楽作品の「温度」が決まってくる、みたいなコラムを読んだことがある。シベリウスはやはり、夏のクソ暑いときこそふさわしい。冬は … どうなのかな ]。

 いま、ユッカ−ペッカ・サラステ指揮、フィンランド放送交響楽団による音源をいつも行ってる図書館から借りてきて聴きながら書いてるんですが、昨夜見た公演というのが、まさにこの音源のフィンランド放送交響楽団の来日公演だった。まったく知らずに借りてきたので、これはまことにうれしい偶然。

 現首席指揮者ハンヌ・リントゥ氏の説明によれば、「2番」を純粋な音楽作品として聴いてほしい … みたいなことをおっしゃっていたのが印象的だった。ロシア支配からの独立、民族自決 !! みたいなフィルターを通さずに、ただひたすら一音楽作品として楽しんでほしい、そんな趣旨のコメントでした。「ヴァイオリン協奏曲 ニ短調」もすばらしかった。リントゥ氏はソリストの諏訪内さんを、「ひじょうに軽やかに表現してくれた」と評価してました。ヴァイオリン弾きでもあったシベリウスのこのヴァイオリン協奏曲は、それまでの同ジャンルの作品とはたしかに異質というか、とてもユニークだというのは、ワタシのような門外漢が聴いても感じられる( カデンツァの配置の仕方とか )。そして当然の事ながら、と言うべきか、技巧的にも困難を極める難曲だということもリントゥはおっしゃっていた。「2番」と「ヴァイオリン協奏曲」は、ほぼ同時期に作曲されたんだそうです。

 ワタシの好きな「5番」については、終楽章で金管が鐘のような動機を朗々と吹奏する場面が、やっぱり好きですね … 作曲者自身はこの特徴的な動機について、湖面で鳴き交わす白鳥をイメージして作ったとかって読んだことがあります。シベリウス作品とくると北欧の厳しい自然の描写、という先入観がどうしてもつきものですが、なるほど、たしかにこりゃ白鳥の鳴き声だわ。それがまたじつに神々しい。

 最後の交響曲の「7番[ 調性はハ長調 ]」についてはリントゥ氏曰く、「無駄な音などひとつもない」傑作。単一楽章しかない、演奏時間わずか 20 分ほどのこの作品を交響曲と呼んでいいものか、と疑問に思う向きもいるかもしれないが、長けりゃいいってもんでも、またないんじゃないかって個人的には思います。だからってマーラーやブルックナーは長すぎ、なんて言わないけれども … ふだんは短いものだと数分ほどで終わるバロック音楽ばっか聴いているものだから、たまーに「巨人」とか「ロマンチック」とか聴くと、いつの間にか夢の世界へ旅立っていたりする( 苦笑 )。

 サントリーホールでの公演ではアンコールをふたつ(「ベルシャザール王のうたげ」から「夜の音楽」と「4つの伝説」から「レンミンカイネンの帰郷」 )も !! 演奏するなど大サーヴィス。TV 画面を見ていても当日の興奮というか、会場の雰囲気は伝わってきた。この実演に接した人は、幸せだったと思う。

 そんなわけできのうの夜は宅配ピザをつまみつつこのすばらしい演奏会を TV 鑑賞して、ボージョレ・ヌーヴォーを開けてたんですが( 笑、それにしてもアルコール度数 13 % というのは … ヴィラージュ・ヌーヴォーにいたっては、13.5 % !! パンチは効いてるけど、その分軽やかさがやや削がれている気はした。色も例年に比べてカベルネ / シラーかと思うほど濃厚ですし )、その 29 日というのは、聖ブレンダンつながりでは「バーの聖ブレンダン」の祝日でもあったりする。だいぶ前に書いた拙記事の二番煎じではあるが、ついでに思い出したのでご参考までに。

 … 「クラシック音楽館」のあと、BBC Radio 3 の Choral Evensong で毎年この時期恒例のセントジョンズカレッジ聖歌隊による待降節礼拝の中継に耳を傾けてました … 今年もあっという間に 12 月、去来する思いはいろいろあれど、とにかく皆さまも ――「きらクラ!」の決まり文句じゃないけど ―― どうぞ時節柄ご自愛くださいませ。

追記:明日、NHK-FMにておなじ公演の放送があります。

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2015年11月29日

『チップス先生 さようなら』

 「名訳に学ぶ」、本日はジェイムズ・ヒルトン不朽の名作 Goodbye, Mr Chips 。訳者は菊池重三郎氏、邦訳本[ 新潮文庫版 ]は 1956 年、というから、ヘルムート・ヴァルヒャが「バッハオルガン作品全集」ステレオ録音に取りかかったのとおなじ年というから、そうとう古い! 訳語の選択もいまからすればやや時代がかっている感ありではありますが、英米文芸ものを勉強する向きにはとても参考になる邦訳だと、個人的には思ってます。というわけで、まずは出だしから( 手許の原書は Bantam Books Edition, 1986、下線強調は引用者 )。
 年をとってくると、( もちろん病気ではなくて )、どうにも眠くてうつらうつらすることがある。そんな時には、まるで田園風景の中に動く牛の群れでも見るように、時のたつのがものうく思われるものだ。秋の学期が進み、日足も短くなって、点呼の前だというのに、もうガス燈をつけずにはいられないほど暗くなる時刻になると、チップスが抱く思いはそれに似たようなものであった。チップスは、老船長のように、過去の生活から身に沁みた色々の合図でもって、いまだに時間を測るくせがあった。道路をはさんで学校と隣り合ったウィケット夫人の家に住んでいる彼にしてみれば、それも無理ない話、学校の先生を辞めてから十年以上もそこで暮らしていながら、彼とこの家の主婦とが守っているのは、グリニッジ標準時間というよりは、むしろブルックフィールド学校の時間であった[ pp. 5−6 ]。

When you are getting on in years ( but not ill, of course ), you get very sleepy at times, and the hours seem to pass like lazy cattle moving across a landscape. It was like that for Chips as the autumn term progressed and the days shortened till it was actually dark enough to light the gas before call-over. For Chips, like some old sea captain, still measured time by the signals of the past; and well he might, for he lived at Mrs. Wickett's, just across the road from the School. He had been there more than a decade, ever since he finally gave up his mastership; and it was Brookfield far more than Greenwich time that both he and his landlady kept.

 彼は年をとってきた ( だが、もちろん病気ではない )。メリヴェイル医師も言うように、まったく、どこといって具合の悪いところは少しもなかった。
 「どうも、あなたの元気にゃあ、かないませんな
 と、たいがい二週間ぐらい間を置いては()に来てくれるメリヴェイルは、シェリー酒をなめながら驚いて見せるのである[ ibid. ]。

He was getting on in years ( but not ill, of course ); indeed, as Doctor Merivale said, there was really nothing the matter with him. "My dear fellow, you're fitter than I am," Merivale would say, sipping a glass of sherry when he called every fortnight or so.
 作者ヒルトンがこの愛らしい作品をものしたのは ―― なかば伝説化しているかもしれないが ―― British Weekly 1933 年クリスマス号に掲載するための小品を依頼されたためで、アイディアが煮詰まって呻吟しているとき、自転車に乗って近所をぐるぐる回っていたときにひらめいて、というか天から降ってきて、締め切り前わずか4日間で一気呵成に書き上げた、と言われてます。

 つぎに、父親がタイタニック号に乗船していた生徒とのやりとりの科白から。
… 「さて、…… あーム …… グレイスン、よかったなあ。めでたしめでたしだ。君もこれでホッとしたにちがいない」
 「は、はい、先生」
 静かな、ものに感じ易い少年だったが …… 後日、チップスがお悔みを述べるような運命( めぐりあわせ )になった相手は、父親のグレイスンで、この息子の方ではなかった。[ p. 56 ]

... "Well, umph−I'm delighted, Grayson. A happy ending. You must be feeling pretty pleased with life."
"Y-yes, sir."
A quiet, nervous boy. And it was Grayson Senior, not Junior, with whom Chips was destined later to condole.
 懇意にしてくれた老校長亡きあと、赴任した若い新校長ロールストンとの諍いの場面。あんたの教えるラテン語の発音は時代遅れだ、ただちに新方式に改めよ、と暗に退職を迫ってきて一悶着あった場面から。
 チップスは敵に組み付く手掛かりを、やっと掴んだ。
 「ああ、そんなことですかい?」
 彼は軽く相手をイナシて答えた。[ p. 60, 「イナシ」に傍点]

... At last Chips had something tangible that he could tackle. "Oh, THAT!" he answered, scornfully.
 やり手( a live wire )のロールストン校長の宣伝工作のおかげ(?)で名門ブルックフィールドにも無教養な「成金」の子息たちが大量に入ってきたことに対する、チッピング[ チップス先生の本名 ]先生の辛辣なコメントから。
… 怒りっぽく、諧謔を解せず、釣り合いのとれた感覚というものを欠いている、それが成り上がり者の正体で …… まったく、均衡感覚の欠如である。だから、何はさて惜いても、ブルックフィールドで教えこまなければならぬものは、このことであって、その意味では、ラテン語もギリシャ語も化学も機械学も実はそれほど重要ではない。しかも、この釣り合いの感覚という奴は、試験問題にしたり、修了証書を与えて、それでどうこう決まりをつけるわけにはいかんじゃないか …… 。[ p. 64 ]

... Touchy, no sense of humor, no sense of proportion−that was the matter with them, these new fellows... No sense of proportion. And it was a sense of proportion, above all things, that Brookfield ought to teach −not so much Latin or Greek or Chemistry or Mechanics. And you couldn't expect to test that sense of proportion by setting papers and granting certificates...
… なんだかどっかの国のお役所に言って聞かせてやりたい独白ではある。

 全欧州を巻きこんだ第1次世界大戦。ある満月の夜、独軍機がバラバラと空爆してきた。そのとき年少者クラスでラテン語の古典を読ませていたチップス先生は、このまま校舎内にとどまっていたほうが安全だと考え、授業を続行した。
… 彼はかまわずラテン語を続けていった。ドカンドカン響き渡る砲声と高射砲弾の耳を貫くような唸りに、ともすれば消されそうになる声を大きくして。生徒は苛々して、勉強に身を入れてるものはほとんどなかった。彼は静かに言った。
 「ロバートスン、世界歴史のこの特別な瞬間に、…… あーム …… 二千年前ガリアで、シーザーが何をしようと、そんなことは …… あーム …… 何となく二義的な重要性しかなく、[ 中略 ] … どうでもいいと、君は思うかもしれない。しかし、わしははっきり言っておくが、…… あーム …… ロバートスン君や、真実( ほんとう )はそんなもんじゃないんだよ」
 ちょうどその時、凄まじい爆発の音が、それもすぐ近くで、爆発した。
 「 …… いけないんだ、…… あーム …… もの事の重大さを、…… あーム …… その物音で判断してはな。ああ、絶対にいけないんだ」
 クスクス笑いが聞こえた。
 「二千年も長い間、大事がられてきた、…… あーム …… このようなことは、化学( バケガク )屋が、実験室で、新種の害悪を発明したからといって、そんなもので、消し飛んでしまうもんではないんだよ」[ pp. 83 −4]

So he went on with his Latin, speaking a little louder amid the reverberating crashes of the guns and the shrill whine of anti-aircraft shells. Some of the boys were nervous; few were able to be attentive. He said, gently: "It may possibly seem to you, Robertson − at this particular moment in the world's history − umph − that the affairs of Caesar in Gaul some two thousand years ago − are − umph − of somewhat secondary importance ...... But believe me − umph − my dear Robertson − that is not really the case." Just then there came a particularly loud explosion − quite near. "You cannot − umph − judge the importance of things−umph−by the noise they make. Oh dear me, no." A little chuckle. "And these things − umph − that have mattered − for thousands of years−are not going to be−snuffed out−because some stink merchant − in his laboratory − invents a new kind of mischief." [ stink について、『ランダムハウス』の語義説明によると「{単数扱い}{英俗}(学科としての)化学;自然科学」]
例によって脱線すると、今年は三島由紀夫生誕 90 年( あのような死を遂げてから 45 年 )でもあるんですが、その三島氏は、こちらの本によるとこんなことも言っていたそうですよ。「若い人は、まず古典を読むべきだ」。英文学者の斎藤兆史先生も、オックスフォードだったか、そこで「宣命[ せんみょうと読む ]」の研究をしている英国人学生のことを NHK の語学テキストに書いていたけど、いまや風前の灯なのかね、チップス先生よろしくこういう「すぐ役に立たないもの[ つまり、お金にならないもの ]」を教えることに関する対立ないし論争は、昔もいまもよくあることだったのかもしれない。げんにロールストン校長の口を借りて、こんな科白も出てくる。「時代は、あなたがそれを理解すると否とに拘らず、今や刻々と変化しているのです。このごろの親たちは、誰にも通じないような言葉の切れ端なんかどうでもよいから、もっと何か、三年間の学費で、役に立つものを仕込んで貰いたいと要求しだしているのです[ p. 62 ]」。

 そして引用が相前後するけど、前出のグレイスン少年、このつながりで気づいた方もおられると思うが、彼はブルックフィールド校出身の戦死者のひとり、というわけなんですね。校内礼拝堂で行われた追悼式典でチップス先生が、戦場に散った教え子とかつての同僚の名前を声を震わせて読みあげるくだりは、この時代を生きた作者ヒルトンの「戦争は絶対悪だ」というつよい思いがひしひしと伝わってくる(「チップスは、礼拝堂の後ろの席にいて、考えるのである、校長にとってはただ名前だけですむ。自分のように顔を覚えているわけではないからまだいい …… 」)。

 最後に訳者先生による巻末の「解説」からも少し引いておきます。
… < チップス先生 >は、…… 音楽的で、緊密で、冗漫なところがなく、散文詩でも読むような美しさである。それは用意周到な計量において創られたものではなく、霊感によって、流るるが如く、歌いあげられたものである。
訳者先生はこう評して、ヒルトンという書き手[ と、その文体 ]の「音楽性」に注目して書いてます。それと同時に、菊池先生の訳文もまた流れるような音楽性というものが感じられます。もっとも「イナシて」に見られるように、この先生お得意の日本語表現、というのもたぶんにあるかもしれない。ことこの作品の翻訳にかぎって言えば、なんというか、原作以上に名調子が随所に顔を出していて、それがまたパンチがほどよく効いていて、読んで心地よいのもまた事実。講談師の名講釈を聞いている趣さえあります。その菊池氏が、ハーパー・リーの名作『アラバマ物語』の邦訳も手がけていたこともつい最近知ったようなていたらくなわが身ではあるけれど、こんどはこちらもあわせて読んでみたいと思った。「翻訳はせいぜいもって 30 年」とかって言われるけれど、半世紀以上も持ちこたえているこの邦訳本は称賛に値する、と思ってます。

posted by Curragh at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 名訳に学ぶ

2015年11月07日

『バッハの生涯と芸術』

 前の拙記事で書いたように、フォルケルの書いた『バッハ伝[ 過去に何点か邦訳が出ているようですが、ここでは岩波文庫版を取り上げます ]』をさっそく通読。以下、読後感などを備忘録ていどに。

 バッハ研究に携わる人にとってはおそらく次男坊たちの書いた『故人略伝』とならんでバッハ評伝に関する「最古の」一次資料であることはまちがいないこの『バッハ伝』ですが、「この芸術家のために不滅の記念碑を建て、… ドイツという名の名誉に少しでも値する者は … 」、「この際、私の目的とするのは、ただただドイツの芸術にそれ相応の記念碑を建て、… 」、そして結語の「そしてこの人間 ―― かつて存在し、そしておそらく今後も存在するであろう最大の音楽詩人であり最大の音楽朗唱者たる彼は、ドイツ人であった。祖国よ、彼を誇るがよい」などからも感じられるように、バッハという名が即ドイツ( 国家 )と結びつけられ、「神格化」されて語られている部分が多くて、言ってみれば「バッハ伝」というより、「リュリ讃」ならぬ「バッハ讃」といったおもむきです。

 ヨハン・ニコラウス・フォルケルの生きた時代は、ヴィーン会議後に成立した「ドイツ連邦」成立と重なるころで、そういう意味では「熱烈な愛国者精神」というものが全編にわたって溢れていてもちっとも不思議ではない。それゆえ「バッハの息子たちから直接聞いたバッハの逸話」に、多少の「お手盛り」があるのは否めず、この著作( 著者本人は「論文」と言っている )を読むときは、「どこからどこまでが事実にもとづき、どこからどこまでが著者のお手盛りか」を意識しながらとくに注意して読む必要があると思う。

 そうは言ってもこの著作に描かれたバッハのエピソードはおおいに興味惹かれるのも事実。だいぶ前に書いたことながら、たとえば作曲の際、鍵盤楽器で音出ししながら曲作りする人を「クラヴィーアの騎士」と呼んで揶揄したこととか[ p. 86 の記述では「指の作曲家( あるいはバッハが後年名づけたように、クラヴィーア軽騎兵 )でしかありえない」]、親戚のヨハン・ゴットフリート・ヴァルターによればなんでもヴァイマール時代の若き巨匠バッハは、「自分はどんな鍵盤作品でも初見でつかえることなく弾ける」とつぶやいたそうで、そこで一週間後、自宅にやってきたバッハに一泡吹かせてやろうと画策した話とかは、以前もほかの本や資料で読んだ憶えがあるのでなるほどこういうことだったかと改めて確認したり( こちらの話は、バッハがクラヴィーアの譜面台に載っかっている楽譜を片っ端から初見で弾くクセがあり、ヴァルターは決して初見では弾けない「難曲」も混ぜて置いてあったんだそうな。その結果、「彼がその楽譜をめくって、端から弾いている間に、彼を招いた友人[ ヴァルターのこと ]は、隣りの部屋に朝食の用意をしに行った。数分たつと、バッハは改悛を余儀なくされるように仕組まれている曲に来て、それを弾き通そうとした。しかし弾き始めてまもなく、一つの箇所で立ち往生をした。彼はその箇所をじっくり眺め、あらためて弾き始めたが、そこまで来ると、また閊えてしまった。『駄目だ』―― 彼は隣室でくすくす笑っている友人に向かって『なんでも弾いてのけられるなんてもんじゃない。とんでもないことだ!』と叫びながら、楽器を離れた[ pp. 67 − 8 ] 」)。大バッハでさえもつかえちゃう「難曲」って、いったいどんなのだったんだろ ?? 

 そしていまひとつは、フォルケル自身もまたすぐれた音楽家で、バッハと同様にオルガニストでもあったので、作品の様式や演奏、作曲といった事柄については「盛られ」ている点は注意が必要とはいえ、この点に関するフォルケルの記述はすなおに受け取っていいように思う。たとえばバッハは「自作の曲を弾く時は、大抵テンポを非常に速くとったが、その生気に加えて、演奏にこの上なく豊かな多様性を与えることを心得ていたので、一曲一曲が彼の手にかかると、まるで弁舌のように物を言った。彼は、強い激情を表そうとする時には、他の人たちがよく打鍵に過度の力を加えるのとは違って、和音と旋律の音型、すなわち内面的な芸術手段によって、それを行った[ p. 73 ]」とか、あるいは弟子に対して、「彼らにむずかしい箇所を緩和してやるために、彼は一つの見事な方法を用いた。すなわち、彼らがこれから練習することになっている曲を、まず全曲つづけて弾いて聴かせた上で、こんな風に響かなければならないのだ、と言った[ p. 121 ]」とか。

 そして、フォルケルの伝記にバッハ作品の特徴として何度か出てくるのが、「歌唱性」です。これは特筆に値する気がする。ヴァルヒャもまったくおんなじようなことを指摘して、弟子たちに「まずは歌うように」と教えていたこととも重なり合います[ そしてヴァルヒャ自身、そのようにして練習もしていた。いつだったかインターネットのどこかで BWV. 1018 のオブリガートチェンバロパートを、その上に乗っかるヴァイオリンパートを「歌いながら」練習していたヴァルヒャの録音ファイルを聴いたことがある]。
… 個々の声部に自由な、よどみない歌を持たせようとするため、… 当時の音楽教科書ではまだ教えられていない、彼の偉大な天分が彼に吹きこんだ方法を用いた。

… いくすじかの旋律、それはいずれも歌うことのできるもので、それぞれ時を得て上声に現れることができ、…

… バッハは … 自分の個々の声部に、まったく自由な、流麗な歌をうたわせようとした …

… 全曲をすべての声部において音符から音符へと転回させることができ、しかも澱みない調べや澄んだ楽節に少しの中断をも生じさせないくらいになった。それによって彼は、どんな音程の、どんな動き方の、どんなに技巧的なカノンをも、いかにも軽やかに、流れるように作って、それに用いた技法を少しも気づかせず、むしろそれをまったく自然な曲のように響かせることを学んだ[ このくだり、たとえば「ゴルトベルク BWV. 988 」の第9変奏「3度のカノン」を耳にすればたちどころに納得されると思う ]。

[ コラール歌詞に作曲する際のバッハの教授法について書かれているくだりで ] … 彼の内声部は、時には上声部として用いることができるほど、歌い易いのである。彼の弟子たちもそれらの練習において、そのような長所を目ざして努力しなければならなかった。
 そして「バッハの作品」と題された第9章では、取り上げた楽曲について、ご丁寧なことに「譜例」までついてます。寡聞にして知らないが、この手の音楽家の「評伝もの」で、このように「譜例」つきなのは、これ以前にもあったのだろうか … 故吉田秀和氏だったか、クラシック音楽評論に「譜例」を添付するやり方は自分あたりが元祖だ、みたいなことをおっしゃっていたけれど、その伝でいけばフォルケルの『バッハ伝』も、「譜例」を使用した嚆矢、ということになるのかな[ とはいえ、p. 175 の図 16 の BWV. 546 フーガ主題のプラルトリラーが、通例耳にする演奏よりふたつ前の4分音符にくっついてますが< → こちらの原文 PDF ファイルの p. 81 > … ]。ちなみに「教師としてのバッハ[ 第7章 ]」では、バッハがいかに教え上手だったかが具体的に語られていてとてもおもしろい。

評価:るんるんるんるんるんるん

関係ない追記:木曜夜の NHK-FM「ベスト・オヴ・クラシック」で流れた「ベルリン・コンツェルトハウス室内オーケストラ演奏会」。同楽団リーダーの日下紗矢子さんをゲストに呼んで、パッヘルベルの「カノン ニ長調」とかおなじみヴィヴァルディの「四季」全曲とかとにかく楽しい放送でしたが( 再放送希望!)、その日下さんの「ドイツと日本の楽団員のちがいについて」のコメントがすこぶる印象的だったのでこちらにもメモっておきます。

 日本の楽団員は、「全体練習前に完璧に予習をすませていて、いつでも準備万端、ほとんど手直しなし」。対するあちらの楽団員というのは、「全体練習前に予習するなんて団員は皆無で時間が来ればさっさと帰る、だがいざ練習にかかると短期間で仕上がる。その集中度は眼を見張るものがある」と、およそそんな趣旨のことを言ってました。列車はダイヤ通りにきっかり来る、荷物は期日通りに届かなければイライラする、何事もタイムテーブル通り杓子定規に事が進むのは当たり前、みたいに思っている国民性がこういう場面でも発揮される、と言えるかもしれないが、同時に根がひねくれているワタシみたいな天邪鬼は、おおやけの義務あるいは仕事と個人の生活との線引きが明確かつ真の意味で効率的な欧州人のやり方はすばらしい、と思ったりもする。30 数年も前に刊行された岩城宏之さんの『岩城音楽教室 / 美を味わえる子どもに育てる』というすばらしい本をこの前買ったんですが、ページを繰ってみて、それこそ目を見張る記述がそこここにある。日下さんのコメントとも重なる部分も多いので、また日を改めてなにか書く … かもしれないってこればっかでスミマセン。

posted by Curragh at 08:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 最近読んだ本