2016年09月18日

バッハは「無名の音楽家」?? 

 以下は、あくまで個人的感想で、それ以下でも以上でもなし。とはいえバッハ大好き人間としては、ちょっと挨拶に困るかなあ、というわけですこし書かせていただきます。

 先日見た民放のクラシック音楽家関連番組。もっともダ・ヴィンチも含まれていたから、必ずしもそうとは言えないかもしれないが( でも、ダ・ヴィンチ自身、すぐれたリュート弾きでもあった、ついでにガリレオの親父さんも )、とにかくその番組の出だしで取り上げられたのがわれらがバッハ。で、のっけから紹介されていたのが最晩年の作品「音楽の捧げもの BWV. 1079 」の「各種カノン」のひとつ、「2声の逆行カノン」。カニさんの横歩きにも似ていることから、「蟹のカノン」とも呼ばれる形式の、一種の音楽クイズじみた作品です。番組でも紹介されていたごとくバッハ自筆譜のままではどうやって演奏してよいものやら見当もつかないが、お尻のハ音記号から逆向きに[ つまり、鏡写しに表記されている ]書かれた音型も同時に鳴らすとアラ不思議、2声カノンとして成立するというもの。

 … と、ここまではよかったんですけど、そのあとで聞き捨てならないこんな趣旨の発言が。「生前のバッハは無名の音楽家だった。それが 19 世紀になって、再発見された」。

 むむむむむ、はへひほふ[ 柳瀬訳『フィネガン』の悪影響 ]、「無名の音楽家」なんて断定しちゃあ、それこそバッハも形無しでしょうよ、「シドいこと言うなあ」なんて。手許の文庫本を繰ってみると、
… 18 世紀をまっぷたつに区切る 1750 年に、どちらかいえば不遇のうちに世を去ったバッハは、音楽家として、特にオルガンやクラヴィーアの大演奏家として尊敬を受けてはいたものの、作曲家としてはすでにある程度時代遅れの存在だった。

 「知名度」ということでは、たしかにハンブルクの盟友テレマンやかのハンデル、昔の名前ヘンデル氏には足許にもおよばず、そういう点では劣っていたことは紛れもない事実。でも即、「名なしの音楽家」呼ばわりされてしまうと、一地方の宮仕え音楽家ていどでほんとに知られてなかったかのような印象を与える。当時の絶対王政社会では、音楽家は宮仕えが当たり前で、「知名度」イコール人口に膾炙していたというわけではない。ジャガイモ畑を汗して耕していた農民にとっては「ザクセン選帝侯宮廷作曲家」の称号も縁遠い話だったろうし、とにかくいまの尺度とはまるでちがっていたはず。いや、バッハの地元の人ならばたとえば礼拝で、あるいは公開演奏会で、はたまた「マルシャンとの公開鍵盤対決!」みたいなことを伝え聞いたりして、バッハのすばらしいオルガン / クラヴィーア独奏の妙技を知らぬ者はむしろいなかったと思う、というかバッハ一族が代々活躍してきた中部ドイツでは「音楽家」= バッハ、音楽家の代名詞的存在とも言える存在だった。いくらバッハが生業として「領主 / 宮廷 / 教会当局のため」に作品を書いたからといって、即それが「名無しの音楽家」というわけでもなかったことは、公共図書館にあるバッハ関連本をいくつか漁ってみれば明らかなこと。ラジオもテレビもなーんもない時代、海の向こうのヘンデル氏がいくら知名度抜群だったからって、当時の領邦国家集合体に住む人みんながみんなその名を知っていたわけじゃないでしょう。むしろ身近なバッハ氏のほうがよく知られていたはず。

 ものは言いよう、とは言うものの、もしバッハがほんとに「無名の音楽家」に過ぎなかったら、それこそメンデルスゾーンのような若き天才に「再発見」されようもなく、あるいはブラームスが、届けられた『ヘンデル全集』には目もくれなかったように、冷遇されたんじゃないかしら? よく知られていることながら、バッハの死後、彼の作品をいわば「伝統流派」のごとく継承していった音楽家が少なからずいた ―― むろんそこにはバッハの息子たちも、そしてバッハ直伝の弟子たちもいた ―― という幸運があったからこそ、メンデルスゾーンが肉屋の包み紙( だったっけ )に使われていたとかいう「マタイ」の自筆譜を見つけ、19 世紀のバッハ再評価へとつながったんじゃないかしら( くどいようだが、それがいいのかどうかはまた別問題 )。

 もっとも手許の本にもあるように「バッハの死をもってバロック音楽の終結を見るのは、19 世紀以来のドイツ音楽史観の悪癖」だと思うし、昨今の急激なバッハ研究の進展とかを素人なりに遠巻きに見ても、そういう 19 世紀以来の厚ぼったいバッハ像、バッハ神話はだいぶ崩されてきたようには思う。西洋音楽史におけるバロック音楽の終わりとバッハとの関係は、再検証されてしかるべきでしょう。

 逆に、当時はよく知られていたのにいまはほとんど忘れられている、なんていう音楽家もゴマンといる。たとえばバッハ評伝作者として超有名なフォルケルだって当時としては高名な音楽家で、たくさん作品を残しているのに、「古楽の楽しみ」その他の音楽番組で取り上げられたこととかあっただろうか ?? すくなくともワタシにはそんな記憶はなし。

 こう考えると、「無名」の基準っていったいなんだろ、って思う。なにをもって無名なのか。無名とくるとなんだかアマチュアみたいにも聞こえるが、アルビノーニはまさしくそんなハイアマチュアだった人。でもしっかりその作品は後世に残り、たびたび演奏会で取り上げられてもいる[ もっとも「アダージョ」は、「発見者」ジャゾットの作品だけど ]。そのじつバッハの親戚筋のヴァルターなんかはどうかな。『音楽事典 Musicalisches Lexicon 』編纂者としても有名だったこの人のオルガンコラール作品とかはたまーに耳にしたりするけど、ヴァルターの名前はいまやほとんど忘れられているように思う。パッヘルベルも声楽作品とか室内楽作品とかも書いているのに、「ニ長調のカノン」とちがってこちらは演奏されることはほとんどない、というか「きらクラ!」の「メンバー紹介」じゃないけど、「カノン」につづく「ジーグ」さえ演奏されることはめったにない。

 知名度ということではバッハの次男坊カール・フィリップ・エマヌエルのほうが、あるいはモーツァルトを教えたことでも知られる「ロンドンのバッハ」、末っ子ヨハン・クリスティアンのほうが親父さんのバッハより断然高かった … けれども、いまじゃどうなんでしょうかねぇ。一昨年生誕 300 年( ! )だったカール・フィリップ・エマヌエル作品の「全曲演奏会」みたいな企画はあったのだろうか … 欧州ではそんな企画があったのかもしれませんが( あ、いま聴いてる「リサイタル・ノヴァ」で、その次男坊の無伴奏フルートソナタ[ 無伴奏フルート・ソナタ Wq. 132 ]のオーボエ版がかかってました )。

 そういえばきのう、ヤボ用で静岡市にいたんですけど、駅前の本屋さんの洋書コーナーにてこういう本を見た。ぴろっとめくったら、いきなりバッハのあの例のハウスマンの描いた肖像画が。キャプション読むと、「[ 唯一バッハ当人を描いたものとされる肖像画中の ]バッハのむくんだ顔つきと手、そして晩年の自筆譜の乱れと眼疾は、糖尿病の症例と一致する」* 。むむむそうなのか ?? たしか卒中の発作とかなんとか、それが直接の死因だったような記憶があるけど。たしかにこちらのページにも書いてあるように、バッハがけっこう「よく食べる人」だったのはまちがいないようなので … ちなみに上記の本はやはり、というか、邦訳がすでに出ています。あ、そうそう、その本屋さんでもっとも驚いたのが、シュペングラーの『西洋の没落』の「新装復刊版」が昨年、刊行されていたこと。「現品限り、レジにて 30 % オフ!」というワゴンに突っこんであったけれども、それでもお高いことに変わりはない( 苦笑 )。個人的には、オビに紹介されていたオルテガ・イ・ガセットの全著作とかが復刊されるといいんだけど … というわけで、その本( 第 2 巻しかなかった )はもとにもどして、代わりにサン−テックスの新訳版『人間の大地』を買いました。

付記:「クラシック音楽館」で今月 4 日に放映されていたこちらのコーナー(?)。N響コンマスの「まろ」さんこと篠崎史紀さんと指揮者の広上淳一さんとの対談がすこぶるおもしろかった。そうそう、バッハって、「誰が弾いてもおんなじように感動」を味わえる、稀有な作曲家だってワタシもジュッっと前から思ってたんですよ! それを受けてまろさんが、「バッハの前では万人が平等なんだよね」と受けていたのも、またつく嬉ずうぜ[ ただし、エルマンのジョイス評伝に引用されていた、「バッハは変化のない人生を送った」というジョイスのことばは、むむむむ、はへひほふ、なのであった ]。

* … 追記。静岡市美術館にて開催中のこちらの展覧会を見に行ったついでに、ふたたび確認してみると、
... His puffy face and hands in his only authenticated portrait, and his deteriorating handwriting and vision in his later years, are consistent with a diagnosis of diabetes[ p. 449 ].
とあり、数十歩行った先の書架にその邦訳本2巻もあったので( 苦笑、すぐ近くにキャンベル本もあった )、確認してきました。「 … 後年失明して自分で書けなくなったのは、糖尿病のそれ[ 症例 ]と一致する」みたいな訳でした。ようするにダイアモンド氏は、ちょうどバッハが生きていたころのドイツでは「甘い尿の出る奇妙な病気」が流行っていたらしくて、バッハ晩年の症状が糖尿病患者の「それ[ こういう書き方は好きじゃないけど邦訳書ふうに書くと ]」とおんなじだ、っていうことが言いたいらしい。で、その話はこれでおしまいで、そこからつぎのセクションが始まっていた( 苦笑x2)。
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2016年09月04日

フローベルガー ⇒ 『フィネガンズ・ウェイク』

 先週の「古楽の楽しみ」は夏の特番のようでして、古楽界で活躍されているさまざまなゲストの方といっしょに進行する、というものでした。で、なかでもおもしろかったのは、以前ここでも取り上げたフローベルガーの「組曲 第 27 番 ホ短調 アルマンド」。これ作曲者自身が「ライン渡河の船中で重大な危険に遭遇して作曲」とかっていう副題つけている作品で、なんと、レオンハルトや弟子のボプ・ファン・アスペレンが各フレーズを説明する独白とともに弾いているというひじょーに珍しい音源があるという! で、番組ではその珍しい音源ふたつがかかりまして、レオンハルトのほうはたしかに「ノーブルな( 当日のゲスト演奏家の弁 )」、あの落ち着いた声でチェンバロばらばら弾きつつライン川に落っこちた顛末を語ってました。なるほど、状況を描写する「語り」付きだと、だれが聴いてもとてもわかりやすいですな。

 で、聴いてるうちにふと思ったんですが … そうか、ジョイス最晩年の畢生の大作『フィネガンズ・ウェイク』も、こんなふうな「講釈」付きで「演奏」される「楽譜」みたいな作品なんだな、と。ほんらい文学作品というものは、ふつーに活字を目で追って読んで楽しめばそれでいいんですが、これはそうはいかない。それがジョイスの仕掛けた「小説のたくらみ」なんだから。でもこちとらとしては目の前の本をなんとか読まなくてはならない( あるいは throw-away しちゃうか、ブルームみたいに )。楽譜それじたいでは音も鳴らず、作品として完成させるにはまずもって演奏家の介在が絶対不可欠なんですが、ジョイス自身、「純粋な音楽( エルマンの『ジョイス伝』から )」だと語っていたところからして、そんなら「講釈付き」の演奏ヴァージョンで柳瀬訳を読んでみたらどうだろうか、と思ったしだい。というわけで、本日は「ヤナセ語」訳、いや、演奏版かな、ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』冒頭部を見てみようと思います。まずは「講釈」付きの原文から、開巻ページ( p.3 、この作品は世界で唯一、ページ構成が異なる刊本や版であってもすべておんなじという本になっている。だから読むのはくたびれるが、検索するときはすこぶる便利な造りになっている )。「講釈」はおもにこちらの注釈付きサイトおよび手許のキャンベル本( Campbell, H.M. Robinson, A Skeleton Key to Finnegans Wake )、そして手に入れたばかりの古本『フィネガン辛航紀( 1992 )』を参照しました。*
riverrun, past Eve and Adam's, from swerve of shore to bend of bay, brings us by a commodious vicus of recirculation back to Howth Castle and Environs.

riverrun:コールリッジの詩 Kubla Khan 冒頭節[ In Xanadu did Kubla Khan / A stately pleasure-dome decree : Where Alph, the sacred river, ran / Through caverns measureless to man /
Down to a sunless sea. ]を暗示するという説あり。地誌的に読めば、「リフィー川がフランシスコ会アダムとイヴ教会の前を過ぎ、曲がりくねって湾に達し、ホウス岬にある城とその周縁へとわれらをふたたび引き連れる」。Eve and Adam's:フランシスコ会系教会で、別称「無原罪の御宿り教会」。アングリカン系のクライストチャーチ大聖堂にも近い場所にある。昔、同じ名前の居酒屋で隠れてミサをあげていたことからいまでもそう呼ばれている。cf.「死せるものたち」( 新潮文庫版『ダブリナーズ』p. 298 )
commodious vicus :ローマ皇帝コンモドゥス、ジャンバッティスタ・ヴィーコが隠れている。commodious は「広くてゆったりした空間」または good の意。vicus は中世の分教区単位としての小村で、' a convenient cycle' ともとれる。
「イヴとアダム[ アイルランド神話のアナじゃないけど、ジョイスはここで大地母神的なイヴのほうを先に出している ]」ということからして、ここは「創世記」の記述も暗示させる。ようはすべての始まり、ということ[ そしてまた巻末の the でぐるっともどってくる ]。

Sir Tristram, violer d'amores, fr'over the short sea, had passencore rearrived from North Armorica on this side the scraggy isthmus of Europe Minor to wielderfight his penisolate war: nor had topsawyer's rocks by the stream Oconee exaggerated themselse to Laurens County's gorgios while they went doublin their mumper all the time: nor avoice from afire bellowsed mishe mishe to tauftauf thuartpeatrick: not yet, though venissoon after, had a kidscad buttended a bland old isaac: not yet, though all's fair in vanessy, were sosie sesthers wroth with twone nathandjoe. Rot a peck of pa's malt had Jhem or Shen brewed by arclight and rory end to the regginbrow was to be seen ringsome on the aquaface.

violer d'amores:楽器の「愛のヴィオラ」と violeur d'amours を引っかけている。チェンバロやクラヴィコード、オルガン、サックバットなんかも登場することからして、中世以来の「古い」楽器を取り上げているところもこの作品の中世趣味が伺われる[ cf. 「そりゃあもう魂臨菜 ( こんりんざい )、昼邪 ( ひるじゃ ) つきあいきれないくらい中世だった<『フィネガン III 』p.51、原本では p. 423 > 」 ]。サー・トリストラムは前にも書いたけど実在のホウス初代城主サー・アモリー・トリストラムで、もちろん騎士トリスタン( ウェールズ語ではドラスタン・ヴァーブ・タスフ )が響き、ひょっとしたら(?)『トリストラム・シャンディ』も隠れているかも。
fr'over the short sea:from over the Irish 'Choppy' Sea、日本の「鳴門海峡」なんかもそうだけど、だだっ広い大洋ではなく「短い海」は狭く、潮流の激しい荒海も想起させる。
environs:郊外、周縁部。
had passencore rearrived ... :仏語 pas encore で「まだ … ない」。North Armorica はブルターニュの古名と北アメリカの暗示。過去完了とそれと矛盾する「まだ … ない」で、直線的ではない円環する時間の流れを暗示。
scraggy isthmus:「ぎさぎざの地峡」、子宮の一部名称も暗示か? 
his penisolate war:歴史上の「半島戦争」と「男女の一戦[ あとはご想像にお任せします ]」とを掛けているらしい。ナポレオンとの戦いについてはすぐあとの「博茸館」の展示案内で細かく描写される。
wielderfight his penisolate war:独語の wieder( again )と wielder と戦いを掛けあわせている。
topsawyer's rocks by the stream Oconee exaggerated themselse to Laurens County's gorgios while they went doublin their mumper all the time:topsawyer は材木のてっぺんに立って鋸引く人、親方。これと当地ダブリン建設者としてジョイスが出版人宛て書簡で言及したアイルランド移民ピーター・ソーヤー → トム・ソーヤーとを掛けている[ ただし、実際の名前はジョナサン・ソーヤー ]。オコネー川は米国ジョージア州ローレンス郡庁所在地ダブリンを流れる川。ダブリン市の守護聖人聖ローレンス、初代ホウス城主の改名後の名前ローレンスとも掛けている。
exaggerated themselse to:ダブリンのモットーは ' Doubling all the time.' でもある。rocks には money の意もあり、好景気で町の人口が増えつづけ発展したこと、または rocks を睾丸と取れば文字通り子孫が繁栄して町が栄えたことを暗示。
gorgios:非ジプシー民あるいは「若造」と、gorgeous が響く。
doublin their mumper:double + Dublin、mumper:number + 1492 年に初めて醸造された当地の地ビール MUM からか。
avoice from afire bellowsed mishe mishe to tauftauf thuartpeatrick:a voice from a fire bellowed ME to baptise thou-art-peat-rick.
独語 taufen は「洗礼を施す」、mische miche[ アイルランド語で I AM, ME ]は混線しがちな無線交信で繰り返した時代の表現。全体として聖パトリック来島によるアイルランド全土のキリスト教化を暗示。また mishe にモーセが響くとする説あり。そうすると燃える柴の話(「出エジプト 3:2」)ともからめて「燃える柴」を「燃える泥」、ピートの島アイルランドとも読める。
venissoon:very soon と鹿肉の venison。
kidscad buttended a bland old isaac:以下、「創世記」のエサウとヤコブの家督権をめぐって父親のイサクじいさんを騙した話につながる( 「創世記」27:19 )。またここではチャールズ・パーネルによりアイルランド国民党当主の座を追われたアイザック・バットの話も同時に織り込まれてもいる。双子兄弟の息子と親父の HCE との確執、世代間闘争の暗示。
all's fair in vanessy, were sosie sesthers wroth with twone nathandjoe:vanessy には vanity とスフィフトの愛人のひとりヴァネッサが、sosie sesthers にはもうひとりの愛人名ステラが入っている。
twone nathandjoe:twone は two + one、うしろのは Jonathan をひっくり返してふたつにしたアナグラム。Jonathan の愛称 Nathan は「サムエル記」に出てくる預言者の名前でもある[ ナタンはダビデ王が人妻を娶ったことを非難した。HCE のフィーニクス公園での「罪」の暗示 ]。
Jhem or Shen, rory end to the regginbrow was to be seen ringsome on the aquaface : いずれも「創世記」のノアの息子たちのセム、ハム、ヤフェトを暗示、また Jhem or Shen = Jameson ととれば、ギネス醸造所と並んで老舗ウィスキー蒸溜所のジェイムソンとも読める。全体で「親父の麦芽を2ガロンほどジェムかシェンがアーク灯の明かりで発酵させると、虹が弧を描いてその赤い端が水面を囲んで見えはじめた」。rory end には orient も響く[ ジョイス自身の説明では rory は red の意らしい ]。regginbrow は 独語 regenbogen + rainbow で、新しい時代の幕開け、移行を暗示。また『フィネガン II 』冒頭の章に出てくるイシーの友だち「四重虹集い」のフローラたち[ 4x7= 28 人 ]も暗示。

The fall (bababadalgharaghtakamminarronnkonnbronntonnerronn- tuonnthunntrovarrhounawnskawntoohoohoordenenthurnuk!) of a once wallstrait oldparr is retaled early in bed and later on life down through all christian minstrelsy. The great fall of the offwall entailed at such short notice the pftjschute of Finnegan, erse solid man, that the humptyhillhead of humself prumptly sends an unquiring one well to the west in quest of his tumptytumtoes: and their upturnpikepointandplace is at the knock out in the park where oranges have been laid to rust upon the green since devlinsfirst loved livvy.

a once wallstrait oldparr:昔、英国シュロップシャーにいた 152 歳まで生き長らえたというトーマス・パーという老人とその老人にちなんだウィスキー OLD PARR およびウォール街の株式相場。「暴落」、つまり「転落」の暗示。ちなみに百語の「雷鳴」の日本語について、ジョイスはあるとき、「日本には四つの怖いものがあると聞いたが、カミナリはそのひとつに入っているか?」と質問している。retaled:retold
christian minstrelsy:19 世紀、米国からロンドンにやってきて公演していた Christy Minstrels という一座と Christian ministry を引っ掛けている。あるいは中世ヨーロッパのミンネゼンガーたちの後裔か。
pftjschute of Finnegan:pfui → 嫌悪、chute → 転落
erse solid man = Irish man
humptyhillhead of humself prumptly:ハンプティ・ダンプティと「背こぶのある」HCE の暗示。
humptyhillhead:落っこちてダブリンに横たわるフィネガンの「頭」の丘、つまりホウス岬。
to the west in quest of his tumptytumtoes:ふくれた「あんよ」を探して西へ、つまりフィーニクス公園の丘。その前の well は公園化される前にここに存在したとされる「泉」も暗示か。
their upturnpikepointandplace is at the knock out in the park where oranges have been laid to rust upon the green since devlinsfirst loved livvy :フィーニクス公園近くチャペリゾッドには 19 世紀までターンパイクがあった。HCE のパブはそのチャペリゾッドにある。knock out はアイルランドゲール語 cnoc、つまり hill + Castleknock。カッスルノックはフィーニクス公園北西の門 … らしいが、キャンベルによるとそこにはセメタリーがあったみたいです。死のイメージなのかな。西は死者の国の方角ですし。
orange, green はカトリック( 土着のアイルランド人 )とプロテスタント( 侵略者 )との対比。
 … とってもちかれた。暑いし( 苦笑 )、でもこれまだ開巻 1 ページ[ p. 3 ]目だけナンスよ。キャンベル本はこの冒頭部だけ「精密に」検討していて、次のページのパラグラフもあるんだけど、とても邪ないがもうムリ。文献資料のたぐいがワタシの周囲を囲んで( environ )いるので、暑さはさらに輪をかけられ、化身とならざる身、いよいよもって混乱の度を増しております、というわけで、暑さに負けずに気力を振り絞って( ? )つづけますと、ヤナセ語訳による冒頭部が意外にも( ! )すなおな直訳に近く、しかも日本語の文章として読んでもすこぶるおもしろいという、とんでもない離れ軽業を披露している、ということをあらためて再確認したしだいであります … ほんとに清水ミチコさんじゃないけど、「世界初の活字芸人」の面目躍如です。

 以上の「講釈」―― と言ってもこれが完全な「解釈」なんてことはありえず、あくまで可能性のひとつにすぎないが ―― を踏まえて、柳瀬先生による名訳をじっくり味わってみましょう[ 訳文の総ルビは割愛 ]。
 川走、イブとアダム礼盃亭を過ぎ、く寝る岸辺から輪ん曲する湾へ、今も度失せぬ巡り路を媚行し、巡り戻るは栄地四囲委蛇たるホウス城とその周円。
 サー・トリストラム、かの恋の伶人が、短潮の海を越え、ノース・アルモリカからこちらヨーロッパ・マイナーの凹ぎす地峡へ遅れ早せながら孤軍筆戦せんと、ふた旅やってきたのは、もうとうに、まだまだだった。オコーネー河畔の頭ソーヤー団地がうわっさうわっさとダブリつづけ、ローレンス郡は常時阿集にふくれあがったのも、もうまだだった。遠炎の一声が吾め割れ目とのたまわって汝パトリックの泥誕を洗礼したのも、もうまだだった。鹿るのちに、山羊皮息子が若下司のいたりで盲碌伊作爺さんを食ぶらかしたのも、じきにまだだった。恋は発条サというものの、ステラれ姉妹がふたりでに情ナサン男に憤ったのは、まだだった。親父の麦芽をちょっぴり醱酵させたのをジェムかシェンがアーク明りのもとで醸造し終えると、赤にじむ虹弓の端が水面に弧つぜんと見えようとしていた。
 転落( ババババベラガガラババボンプティドッヒャンプティゴゴロゴロゲギカミナロンコンサンダダンダダウォールルガガイッテヘヘヘトールトルルトロンブロンビピッカズゼゾンンドドーッフダフラフクオオヤジジグシャッーン!)、旧魚留街の老仁の尾話は初耳には寝床で、のちには命流くキリシ譚吟遊史に語り継がれる。離壁の大潰落はたちまちにしてごっ墜男フィネガンのずってーん落を巻き込んで、頭んぐり身が食むしゃらに浅索好きを西へと井戸ませ、無垢っちょあんよを探しにやらせる。するとそのひっくり肢ってん場っ点は公園の隅ロッキー、どぶリンの初いとしいリフィーがく寝って以来、オレンジたちが寄りどりち緑に赤さびるままにい草っているところ。( pp. 19 − 20 )

 そして、対立する二者の闘争、あるいは「意くさ」の話につながり、「棟梁フィネガン」の埋葬へとつながっていく。「く寝る」とか「委蛇たる」、「短潮の海」、「孤軍筆戦」なんかはさすが。代わりに「愛のヴィオール」はあんまり反映されてないけど、おそらく全体としての軽重( ケイジュウじゃないですよ )を判断してのことだと思う。「行」や「礼亭」にもトリスタン伝説、あるいは「聖杯」のニュアンスが入っているように思う。

 ただ、この作品については、手許の Penguin 版の序文を書いてるジョン・ビショップさんという人の意見に全面的に諸手を挙げて賛成ですね。つまり一般的な「直線的語り」で話が進む小説とまるでちがって、この本の語りはそれこそのれつの回らない酩酊言語の夢言語の多層言語構造なので、「理屈の上では、この本の読者はどこから読んでも、楽しみと恩恵を得ることができる」。† もっとも、「現場作業員」たる翻訳者はそういうわけにはいかないが。

 以前、柳瀬先生のこの『フィネガン』翻訳について、日本の地名( このへんだと石廊崎や田子 )や川名( 黄瀬川[!]、那賀川まで出てくる )、果ては著名人の名前まで出てきて、なんて自由な翻訳なんだろう、と書いた覚えがあるけれど、こうして『辛航紀』を読みますと、いやいやどうしてそんなことはなかったんですね。たった一行しか、訳せなかった日もあったそうですし( そりゃそうだろう … )。大変失礼しました、と言いたいところだが、それでもある意味では先生はとても恵まれた方だったように思う。先生ご自身、べつの著作でこう書いてます。
… 当時は、ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳に没頭していた。昼夜の別なくジョイス語の世界にどっぷり浸かっていた。一睡もしないまま大学に行って授業に入る日も多く、それが体力的にかなり無理になっていた。『フィネガンズ・ウェイク』を取るか大学を取るかの選択で、ぼくは『フィネガンズ・ウェイク』を取った。
――『日本語ほど面白いものはない:邑智小学校六年一組 特別授業』p. 13
 柳瀬先生の御霊安らかにと祈りつつ、この前「きらクラ!」で耳にしたフィンジの「エクローグ」を捧げたいと思います。



*... 参考文献など:
宮田恭子『ジョイスと中世文化 ―「フィネガンズ・ウェイク」をめぐる旅』みすず書房 2009
同    『抄訳 フィネガンズ・ウェイク』集英社 2004
柳瀬尚紀『フィネガン辛航紀:「フィネガンズ・ウェイク」 を読むための本』河出書房新社 1992
同   『翻訳は実践である』河出書房新社 1997
同   『辞書はジョイスフル』TBS ブリタニカ 1994
同   『日本語ほど面白いものはない:邑智小学校六年一組 特別授業』新潮社 2010
J. Campbell & H.M. Robinson : A Skeleton Key to Finnegans Wake: Unlocking James Joyce's Masterwork 1944 ; Collected Works of Joseph Campbell, New World Library Edition, 2005

† ... 使用した原書は James Joyce, Finnegans Wake, Penguin Classics Reissue edition, 1999 。引用箇所は p. x 。なおこちらのようなすばらしいサイトも「遅れ早せながら」、このたび発見した。そして余談ながら、「日本ジェイムズ・ジョイス協会事務局」がなんと !! 静岡市にあったこともつい最近知った( joyceful ! )。

posted by Curragh at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 名訳に学ぶ