2017年09月03日

たしかに、だがしかし …

 早いものでもう9月、しかも明日はシュヴァイツァー博士の 52 回目の命日 … だから、というわけでもなんでもないんですけど、突然、音楽演奏における自由ってなんだろ、という哲学的ギモンにとらわれてしまった。

 いまさっき見たこちらの番組。ハンガリーの兄弟デュオということで、「チャールダーシュ」を弾きはじめたはいいがいきなり「シャコンヌ」になったり、ようするになにがなんだかわからない展開に。ご本人曰く、「バッハ、モーツァルト、サラサーテなど、かつては即興演奏が当たり前でした。音楽でもっとも重要なのは、自由であることです」みたいなことを発言されていて、それはそれでハイたしかにそのとおり。だが、… とここで門外漢は止まってしまうわけです。

 音楽演奏における自由はどこまで許されるのか、についてはそれこそ古くて新しい問題で、腕の立つ演奏家ならだれしもこの難題にぶつかっている( はず )。ただ、この手の演奏って聴いたかぎりでは「なにがなんだかわからん」ってことになって、とどのつまり「ただ好き勝手に弾いてるだけじゃん!」という感想に行きついてしまうのですね。

 超絶技巧とかヴィルトゥオーソって度が過ぎればただの客寄せ、見世物小屋かサーカスの曲芸みたいなもので、ようは一発芸の世界。その場で、ライヴで接していたらたしかにそれもアリかとは思うが、とてもじゃないがこんなだれの作品だかわからないチャンポン状態、闇鍋同然の演奏をはいっと差し出されてもこちとら挨拶に困るだけです。ワタシはこと音楽の解釈とか演奏における奏者の自由という点についてはわりと寛容というか柔軟なほうだと自負しているけれども( コワモテ・カチコチの原理主義者じゃない )、さすがにこーゆーのはムリ !! です。おなじエンターティナー型の演奏なら、まだ故カルロ・カーリーのような演奏のほうがいい。カーリーさんの場合はけっして「なにがなんだかよくわからない、だれの作品を演奏しているのかも判然としない」演奏はしなかった。それは 30 年ほど前の NHK ホールでのオルガン演奏会のとき、「わたしは美しいものを信じます」とみずから発言していたことからもうかがえるように、なし崩し的にヴィルトゥオジティに走ることなく、美的観点から、あるいは作品解釈という点から超えてはならない一線を引いていたからです。

 同様なことがこの前 NHK-FM で聴いた、ヴィルトゥオジティを売り物にしたさるチェンバロ奏者によるバッハの「ゴルトベルク BWV. 988 」にも言える。こっちは「アリア」が聴こえてくるものと思って待っていたら、始まったのは不可解な和音の連続。??? って思ったら、なんとこれ演奏者がリサイタル当日に勝手に追加した即興演奏でした … で、肝心の本編はどうかとくると、素人の耳でもなんか雑だなあ、という感じでやはり挨拶に困ったのであった。ついでに招聘元からの DM でこの方のリサイタルの案内はもらっていたけれども、高い金払ってまで行く必要はなかったとなぜか安堵( ?? )したり。

 でも、そのおなじ番組で先週、こういうチェンバロリサイタルの再放送もやってまして、こちらはすこぶるよかった。名演、と言えないまでも、快演だったんじゃないでしょうか。とくにバッハの「フランス組曲 第5番 ト長調 BWV. 816 」はほんとうにすばらしい演奏でした。

 ときおり、畑違いの演奏家がオケと協奏曲で共演して、「自由さ」を前面に打ち出すあまり時代錯誤もはなはだしいカデンツァとかバラバラ弾きまくって煙に巻くということがあるようですけど、いまさっき聴いた兄弟デュオのキテレツな演奏解釈と同様、ワタシにとっては生理的に受け付けられない演奏スタイルです。むろん演奏・解釈というのは時間がたてばどんどん変わるもの。それはしごく自然なことです。人間、だれしもトシとってくれば「変わりつづけること」に対してあまり抵抗を感じなくなるのとおんなじで。名演奏家と言われる人たちはみな、異口同音に「自分の解釈は 10 年前のそれとはちがう」と堂々と発言していて、これはまったくそのとおりです。でも「好き勝手に」弾いていいわけがない。超えてはならない一線はどこかで引くべきだと考えます、ってまたしても文句のオッサンになってしまった … ずら。

[ 関係のない追記 ]:いつものように最近、ちょっと気になったことを勝手につぶやくコーナー( Twitter は情報源として役に立ったりしますが、ワタシ個人はもともと短文で相手に誤解なく伝える力に乏しいと自覚しているため、個人ではあえて使わない )。例の世界的ジャズトランペッター氏が中坊( 失礼 )に手を挙げてしまった、という話。かりに相手がナイフを持って襲いかかってきた場合( 血気盛んな青年バッハが「禿げ頭のバッハ」のポンコツファゴット吹きにナイフだかサーベルだかを抜いて切りかかった、という話も思い出されるが )、これはいたしかたなし。正当防衛ってやつですね。でもいちおう、いかなる理由であれ子どもに対する体罰は法律で禁じられている。なのでカーッとなっていたことは痛いほどわかるけれども( 自分も瞬間湯沸かし器型なので )、ここはたとえばほかのスタッフさんとかも呼んでドラムセットごと片付けちゃうとか「聞こえるようにイヤミを言う[ 昭和時代に放映されていた桃屋の「ごはんですよ!」の TVCM みたいに ]」、そういうやり方だったらスマートに幕引きとあいなった、ということになったような気はする。こういうときこそユーモア精神を発揮しなくては。こういうところでふだんは仮面をかぶって隠れている、われわれ日本人の深層意識がぽろっと出てくるのかもしれません。これが欧米人だったら、彼らはもともと「個人の主張」を前面に出す( いや、出しすぎ )文化なので、もっとほかのやり方、ないし笑える対処法をとっさにとれたりする … かもしれない( 人によるか )。

posted by Curragh at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM