2018年01月28日

伝説の宇宙飛行士に 'Nouvelle cuisine' の大御所、そして …

 2018年はしずかに幕を開けた …、と思ったらいきなりの噴火。これだから日本の自然は予測できない。いや、予測なんて言い方じたい不遜きわまりないのかも、と最近、つくづく思う。

 東海地震説から 40 年経った昨年、地元紙も
当事者たる石橋氏の取材も交えて検証記事の特集組んだりして問題提起してましていろいろ考えさせられた。それ読んで感じたのは、いまの地球物理学的知見についてとうしろうが乱暴にひとことで要約すれば「予測・予見なんてとてもムリ」ということ。地下深くで起こる地震( 直下型・海溝型ともに )の予測は残念ながらいまの科学では予測不可能、そして目に見える現象の火山噴火でさえ、今回の本白根山の突然の火口列形成と火砕サージ発生で地震と同様にいまの科学では「予見不能」ということがあらためて証明されたかたちになった、ということです。

 今回のことで思い出されるのが、2011 年3月のあの大震災。15日の火曜の夜、突然の大揺れで度肝を抜かれ、しかも震源が富士山西麓直下ということを聞き及んだとき、正直なところ、噴火するかもって真っ青になったこと。さいわいそんなことはなく、こんにちまで富士山は静穏状態なんですけれども、活火山っていつどこで噴火が始まるかなんてわかりっこないんだ、ということを痛感した。本白根山が 3000 年ぶりに噴煙を上げたとき、その場に居合わせたスキー客の方が TV ニュースの取材かなにかにこたえていたのがすこぶる印象に残ってます −−「日本人はだれでも被災者になる。生きていてよかった」。

 そんな折も折、今月は各界の著名人の訃報があいついだような気もする( レオルハルトが亡くなったのも 1月。今年ではや 6年になるのか … )。まずは NASA の伝説的宇宙飛行士だったジョン・ヤング氏。享年 87 歳。「ジェミニ」、「アポロ」、「スペースシャトル」の3つの宇宙計画すべてに参加したただひとりの宇宙飛行士で、ワタシは世代的にとくに「アポロ 16 号( 1972 年 )」で月面着陸した人、という印象が強いです。

 つづいて 20 日、往年のフランス料理界の巨人、ポール・ボキューズ氏の訃報が。享年 91 歳。フランス料理だの、'Nouvelle cuisine' だの、といったものとはまるで縁のない門外漢がああだこうだとコメントするのははなはだお門違いなのだが、ワタシがこの人の名前をはじめて知ったのは大好きなボージョレワインのムックの巻頭を飾っていた寄稿記事でした。へェ、こんなすごい人がいるんだーくらいの感覚でしたが、それでもサントリーの宣伝文句をそのまま借りれば「ボージョレの帝王」と呼ばれるジョルジュ・デュブッフ氏と仲がよくて、みずからボージョレ地区に専用の畑を持っていたらしい。そのムックの記事では日本とボージョレとのつながりについて触れて、「日本万歳。そしてボージョレに感謝」と結んでいた。ボキューズ氏が逝去したということを間接的に知ったのは、いつも見ていたデュブッフ社の公式 Instagram ページ経由だった。あれ、ずいぶんと若いころのデュブッフ氏にボキューズ氏が並んで写ってるなー、なんてのんきに思っていたら、そういうことだったのか。

 そして地元紙の「追想メモリアル」に掲載されていたのが、昨年暮れに 72 歳で亡くなった歌手のはしだのりひこ氏。その記事を読んで、もっとも心打たれたのはこのくだりでした −−「晩年はパーキンソン病と診断され、約 10 年の長い闘病生活を送った。長男端田篤人さんによると、『神はみんなの中にいる』と優しく話していたという」

 ワタシなんかはっきりいって「へっぽこぴー」なたぐいの人間なんだけれども、やはりある境地に到達した人ってみんな異口同音にキャンベルとおんなじことを言うもんだなぁ、ひとりごちたしだい。そこだよね、問題は。ワタシは根っからのアニメ好きでないにもかかわらず(『サザエさん』は例外 )、なぜ居住する街の一角をなす内浦地区を舞台にした『ラブライブ! サンシャイン !! 』にみごとにハマったのか。ひとつには、あの物語にはひとりびとりの内面に輝く原石を見つけることをていねいに描いていたから、と言える。それは言い方や捉え方によっては「神」だったり「輝き」だったりするだけ、と個人的には考える。ニーチェの言う「運命を愛する者 Amor fati 」という発想とも通じると思う。たとえば例の仮想通貨騒動。おまえはひとごとだからそんなこと言えるんだ、と誹りを受けるかもしれないが、ようはアルベルト・シュヴァイツァーじゃないけど「人間はみなエピゴーネン」ならぬ「人間はみなへっぽこぴー」だと思っていれば、こんな危ない橋を渡るわけがない。しつこいようだがここの拙いブログの隠れテーマ「健全な批判精神」が、自分の内面との対話が、徹底的・的なまでに顧客側にもなかった、ということではないのか。「利殖」なんてことばが流行っていた時代やバブルのころとなんにも変わっちゃいない、ってことだろう。取引所を責めるだけでは、またおんなじ愚が繰り返されるだけだ( とくにあの風体の社長さんに大枚預けよう、なんてユメにも思わん )。と、「おくやみ」のはずがけっきょく脱線してしまった。妄評失礼。

posted by Curragh at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | おくやみ