2019年06月30日

伊東沖海底噴火から 30 年

1). 伊豆半島東海岸の伊東市のすぐ沖合、手石島のあるあたりの海上に突如、爆音とともに噴煙が立ち上ったのは、いまからちょうど 30 年前の 1989 年7月 13 日の夕方のことだった。あのときはほんとうに驚いた。とにかくそれまで毎日のように有感地震がつづいて、あるときなど下からガツン! と突き上げる揺れに飛び起きて、倒れそうになった本棚を必死に押さえていた(というか、本棚といっしょに揺れていた)。

 先日の地元紙朝刊紙面に、当時のことを述懐する静岡大学の小山真人教授の記事が載っていたけれども、「…火口直近の海岸でインタビューを受ける海水浴客の映像を見て、立ち入り規制のない事実に背筋が凍り付いた。……当時は対策ゼロの状態であった。いま思えば、噴火が本格化しなかったことはほんとうに幸運であった」と書いている(当時の状況を現在の伊豆東部火山群の対策に当てはめれば、噴火警戒レベル4への引き上げと想定火口周辺地域の避難勧告→火山性微動発生→噴火警戒レベルを5に引き上げたうえで避難指示、という段階を踏むことになる)。

 2014 年の木曽御岳山の噴火や、昨年の本白根山・鏡池付近の突然の噴火、そしてここ数年、地殻変動のつづいている箱根の大涌谷火口など、日本列島は地震の巣でもあると同時に活火山の集合体でもある。火山ではない場所も、付加体形成に伴う一連の造山運動などによって地殻がズタズタになり、活断層が何本も走っていたりする。温泉や湧水、景勝地などの恵みももたしてくれる日本の自然は、ひとたび荒ぶれば一変する。

 加えて、風水害もある。これからが本格的に警戒しなければならないシーズンだけれども、火山も地震も風水害も、とにかくふだんの、そして不断の備えを心しなければならない、とあらためて痛感したしだい。そういえばけさの朝刊紙面にもけっこう大切なことが書かれた記事が載ってました。今泉マユ子さんという方の寄稿された、防災グッズの準備のしかたについての連載記事。「非常持ち出し袋」の中身はつぎの三つに分けるとよい、というもので、具体的には 1. 地震発生時に「すぐ必要なもの」だけを詰めた袋。これには懐中電灯や手足を守る道具(スリッパや手袋)、そしてホイッスルなどを入れておくとよい、と。2. は「命を守る袋」で、ヘッドライト、マスク、携帯ラジオ、連絡先メモ、すぐ食べられるもの、飲料水、衛生用品など。最後が 3. 避難生活用の袋で、こちらは自宅に置いておく。落ち着いたら取りに行くための袋で、こちらには着替えや備蓄食料を入れておく。もちろん賞味期限 / 消費期限の確認はお忘れなく、という記事でして、なるほどなあと。ワタシも早めに持ち出し袋の中身を入れなおそうと思ったのでした。みなさんも参考にされるとよいでしょう。

2). と、そんな折も折、いま静岡県人にとってもっともホットな話題のひとつが、JR 東海の「リニア中央新幹線」、とくに静岡県側にとっては益どころか害ばっかの気がしてならないトンネル掘削工事の許認可をめぐる県知事との攻防戦でしょう。で、まったくの部外者が見て思うに、いまの日本人って傲慢かつ傲岸不遜な考えの持ち主ぞろいになってしまったなあ、という慨嘆ないし憤懣です(もっともそう感じるのは皮相的で、じっさいには若山牧水が沼津の千本松原伐採計画に轟々たる非難の声をあげた当時となんら変わっちゃいないのかもしれないが)。伊豆半島が押しつづけ、いまも上へ上へ押し上げられつつある南アルプスのどてっぱらを掘削する今回の工事。大井川の流量減少がとくに心配されていますが、個人的には、昭和のはじめのときの東海道本線丹那トンネルの大工事のことを思わずにはいられない。トンネル工事は想定以上の湧き水に落盤、そしてトンネルじたいがズレた北伊豆地震(M 7.3、1930)発生などで事故死者が続出。そしてそのトンネルから湧き出した水=灌漑用水だったので、それが枯れてしまって、当時の旧丹那村の水田はすべて干上がってしまった。いま、函南町の丹那地区は酪農の盛んな地区として有名だけれども、先人たちの血のにじむような奮闘があったからこそいまの姿がある、ということはやはり忘れてはならない。関連の報道を見聞きしているかぎり、いまの JR 東海のやっていることは、80 年以上前の丹那トンネル工事の二の舞になりかねない、との懸念がますます深まるばかりだ。三重県の知事さんは静岡の県知事のことを批判していたが、あんたのとこの県でこの工事をしますと言ったら許可するのか、と噛みついてやりたい気分、ですわ! 

posted by Curragh at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近のニュースから