前々から行こう行こうと思ってはやウン十年、このたびようやく浜松市楽器博物館に行ってきました。いまこれを宿泊先のホテル(われながら柄にもなく!)で書いてます。
中央エントランスを入っていきなりデデンと鎮座ましますのは、ミャンマーの「サイン・ワイン」と呼ばれる大型伝統楽器。ドラゴンとかのきらびやかな装飾の施された太鼓やゴングからなる楽器なんですが、この楽器を使用して以前、行われた実演の映像を観ると、なんとこの楽器の中に演奏者が入って演奏するというからさらにビックリ。
… 展示室に入るなり、すでにしてやられた感ありですが、向かって右手に雅楽や歌舞伎、寺院などで使われてきた邦楽の楽器の展示室が、サイン・ワインを挟んで反対側に有名な「ガムラン」を含むアジアの伝統楽器や中東の民族楽器が広〜い展示室内を埋め尽くすように配置されていて、それだけでも壮観のひとこと。ガムランの奥に、世界最大とされる竹でできたガムラン「ジェゴグ」もあります。
楽器専門の博物館らしく、展示楽器のなかにはヘッドフォンでじっさいの音が聴ける仕掛けもあります。そして写真撮影 O.K. という、なんともありがたいサービスに甘えて、もうキュルケゴールじゃないが「あれかこれか」って感じで食指をそそられるものは手当たりしだいにバシャバシャ撮りまくっていた。サントゥールやカーヌーンというツィターや現代ピアノのご先祖様に当たるイランの古楽器をはじめ、チャルメラみたいなダブルリード楽器に、リュートや琵琶の共通の祖先のような弦楽器ウードとか、名前こそ聞いたことはあれど現物を目の当たりにするのはもちろんはじめてなのでおのずと血が騒ごうというもの。
ほかに印象的だったのはパプア・ニューギニアのいわゆる成人儀礼、イニシエーションのときに吹かれるという尺八みたいな湾曲した巨大な縦笛や、中南米に伝わったマリンバのような打楽器、あと原始的な太鼓をはじめとするアフリカ各地の民族楽器なんかはまるで知らないから、ヘッドフォンで試聴したりするうちに自分のなかで西欧クラシック音楽以外の民族音楽というものに対する考え方、いや偏見なのかもしれないが、とにかく短時間のうちにそれがどんどん変わっていくのに気がついた。たしかにリュートもピアノも、もとははるかかなたの中東起源だから、ほんらいこういう感慨に浸るのはヘンだとは思うが、「クラシック音楽の楽器」というあまりに偏ったモノの見方にいかに慣れきってしまっているか、ということがこうした楽器たちが一堂に会するすばらしい博物館に来るとよくわかった気がして、ほんともう目からウロコが落ちっぱなしで、泣けてきた。
で、当然ながら、当方にとってはなじみの古楽器たちももちろんおりました。その名のとおり真っ黒な蛇がのたくったかのような管楽器セルパン(チューバの先祖、ちなみにセルパンの名はオルガンのストップ名称に残っている)、「愛のヴィオラ」ヴィオラ・ダモーレをはじめとするヴィオール属、そしてオルガンやチェンバロ、フォルテピアノからピアノロールと呼ばれた自動演奏装置付きピアノまで、よくぞこれだけの数を収集なすった、と終始圧倒されどうしでした。
ワタシの大好きなオルガンですけど、見かけは本物のポジティフオルガンかと見紛うほどよくできたストップ付きリードオルガンが三つほどと、チェンバーオルガンが展示してありました。でもここの鍵盤楽器コレクションの白眉は、「鍵盤楽器展示室」を入ってすぐ目につく場所にスポットライト浴びて展示されている、フランソワ・エティエンヌ・ブランシェ2世(F.E. Blanchet II, c.1730-1766)製作の二段手鍵盤のクラヴサン(チェンバロ、ハープシコードの仏語名)。たしかこの楽器、記憶が正しければ、あのレオンハルトも何十年か前に録音で弾いたという歴史的名器だったように思う。例の試聴ヘッドフォンから流れてきたのは、ジャック・デュフリの「三美神 ニ長調」という『クラヴサン曲集 第3巻』に収められた音源から(ちなみにニ長調という調性は、「輝かしさ」や「明るさ」を表現する作品に多く使われる)。音源はたぶん、この楽器を使用して録音された中野振一郎氏のアルバムからだと思う。典型的な古典フレンチの二段手鍵盤タイプの、重厚ではあるがどこか軽やかさ、典雅さも感じられる音色の楽器です。
とにかく今回、来て、じっさいに観て、触れて(チェンバロ、クラヴィコード、ピアノはアクションと呼ばれる発音機構の模型も置いてあって、だれでも触って音を出してみることができる)、これまでの音楽観を揺さぶられるほどの感動を味わった。こんなとてつもない施設が楽器の街として知られるここ浜松にあるとは、なんともうらやましく、ぜいたくにも感じられたのでありました。というわけで、いまはNHK杯女子・男子フリーをホテルの TV で観ながら持参した読みかけの洋書を読むところ。
2019年11月23日
2019年11月20日
まずは「読める」ことから
NHK も含む TVニュースのアナウンサーでさえまともな日本語が使える人がめっきり減ったと感じる昨今ですが(「今日はなまぬるい陽気で … 」なんてだしぬけに切り出され、目が点になったことが最近あったばかり)、こちらもまたうっかり本音が出たにせよ、ヒドいし乱暴な話でほんとあきれる。なにがって、「身の丈」知らずの大臣のアホな発言ですわ。おそらくそんなこんなスッタモンダして収拾がつかなくなったんでしょう、ええいままよ、でいきなり大学入試英語の民間丸投げ計画を唐突に延期すると決定したものだから、現役受験生のみならず非難の嵐轟々、といった混乱状態になってます。
やはりこれも以前、ここで書いたことの焼き直しになるかもしれませんけれども、大学に入るための試験なのに、なぜ英語の「聴く・話す・読む・書く」のすべてを「採点」しようとするのだろうか? いちばんワケわからないのは、なぜそれをビジネスライクな利益を追求する民間会社に丸投げするのだろうか。そんな共通試験なんてやったところで、カネと時間と貴重な労力のとほうもないムダ遣い、まったく意味がないって思うのはこれ書いてる門外漢だけじゃないはず。
いつも思うんですけど日本を含む東アジア文化圏って、やはり昔の「科挙」思想の残滓が残っているせいなのか、やたら入試、入試で騒ぎますよね。ぶじ難関を突破して大学に入りました、ではそこで 4年間、なにをテーマにしてどんな分野を深く掘り下げて学ぶのか。あるいは休学してバックパックの旅に出て実地の体験を通じてなにかを学ぶのか(こういうことができるのも若い人の特権)、あるいは留学するのか、大学院に進むのか。はじめからなにか「大学ではこれこれをしたい」というものを持っている人ならいいんですけど、いちばん困るのは「合格して入学したはいいけど、さてどうしたものか、とりあえずサークル活動中心でいこうか」なんていう学生じゃないかと個人的には思う。サークル活動が悪いって言ってるんじゃなくて、全入時代、目的意識ゼロのくせにただ「みんなが行ってるからオレも」ていどの認識ってどうなのよって言ってるんです。
だっていまどき大学くらい出てないと就職が … なんて声も聞こえてきそうだが、大学出なくても「手に職」つけておられる先達はたくさんおられますし、家庭の事情もあるとは思うが、ワタシは前出の消極的理由だけだったら、背伸びしてでも大学に行くことはないと思っている。大学というところは入学希望者をほぼ合格させる代わりに、本気で学ぼうとしない、もっと言えばデキの悪い学生をバンバン落として落としまくって選ばれた少数のみが卒業するという、英米の大学によく見られるシステムのほうがよっぽど健全かと思うんですけどね。もっとも『21世紀の資本』によれば、アイビーリーグなどの名門大学の財団とかに多額の寄付したいいとこの坊っちゃんや令嬢のみが不当に優遇されてるんじゃないか疑惑がけっこうあるようですけど …。
大学入試の英語にもどすと、先日、元外交官の佐藤優氏が地元紙に、「英語圏に暮らした経験がある帰国子女を除いて、大多数の高校生は日常的に英語に接していない。そのような生徒にいきなり『書く・話す』能力を求めることにそもそも無理がある」と主張する論説文を寄稿しておりまして、まったくそのとおりだなあ、とひとりごちた[いつものように下線強調は引用者]。「読んでわからないことは、聞いてもわからない。読んでわからないことについて、話したり書いたりすることもできない(当たり前だ)」。
じつはワタシも大学は出ていない。でもいま、二足も三足もワラジ履きながらではあるが、こうして翻訳や原稿書きの仕事をあまり途切れることなくいただいてたりする。ほんとうにありがたい、と思う。ちなみにべつにこれ自慢じゃないですけど、ワタシの拙サイト『聖ブレンダンの航海』の英語版、あそこに書かれた英文がすらすら読め、かつ、「ここのところ表現おかしくない?」なんてコーヒー片手に思えるような学生は、ほぼまちがいなく世界を相手に活躍できることでしょう。ちなみに書いた当人は、いまだ日本国外に一歩も出たことはないが。
今回の騒動に巻き込まれてしまった受験生のみなさんは、ほんとうに災難だったと思う。でもかつて高校の先生に、「おまえらは不幸の星の下で生まれたっていうか、こんな円高不況のときにぶつかってしまったが … 」なんて慰めにもクソにもならないことばをかけられた記憶のある元高校生から言わせてもらえれば、かつてスタッド・ターケルの著作を邦訳した先生とおなじことばをここでも繰り返したいと思う──「あきらめずにつづけていれば、そのうちいいこともありますよ」。人生すでに半世紀を生きたしがない人間は、このことばは真実だと思っている。ほんとうに好きなことがあるのなら、それにあきらめずに食らいついていくべきだと思う。
ついでながら、大政奉還後の徳川家によって設立された「沼津兵学校」というのがありまして、今年は設立から 150 周年にあたるんだそうです(地元民のくせしてだそうです、はないと思うけれども)。で、初代校長だった西周[にし・あまね]という人はいまふうに言えば超絶デキる人でして、哲学者にして教育家、そしてなんといっても福沢諭吉や森有礼と並ぶ近代日本語の基礎をなす数々の「翻訳日本語」を作った人でもあり、「哲学」、「芸術」、「理性」、「科学」、「技術」といった、いまやふつうに使用されている日本語もすべてこの人が作ったもの。で、たとえば新聞なんかぴろっと広げれば、やれ「CSF」がどうしたとかってある。はて? セルロースナノファイバー (こっちは CNF)?? なんてツッコみたくなるところだが、なんとこれ例の「豚コレラ」のことだそうでして。なんでも Classical Swine Fever の頭文字かららしいが … いつぞやの「修飾麻疹(modified measles)」も挨拶に困るけど、もうすこし芸がないのかってつい思ってしまう。西がこれ見たらいったいなんとコメントするのだろうか。「典型的 / 標準的豚熱病」じゃダメなんだろうか。国際標準だからこれでいいんだ、というのはたしかにわかるが、なんでもかんでも横文字の符牒みたいなナゾナゾ用語にして事足れり、では千数百年、受け継がれてきた日本語に対して申し訳ない気がする。
やはりこれも以前、ここで書いたことの焼き直しになるかもしれませんけれども、大学に入るための試験なのに、なぜ英語の「聴く・話す・読む・書く」のすべてを「採点」しようとするのだろうか? いちばんワケわからないのは、なぜそれをビジネスライクな利益を追求する民間会社に丸投げするのだろうか。そんな共通試験なんてやったところで、カネと時間と貴重な労力のとほうもないムダ遣い、まったく意味がないって思うのはこれ書いてる門外漢だけじゃないはず。
いつも思うんですけど日本を含む東アジア文化圏って、やはり昔の「科挙」思想の残滓が残っているせいなのか、やたら入試、入試で騒ぎますよね。ぶじ難関を突破して大学に入りました、ではそこで 4年間、なにをテーマにしてどんな分野を深く掘り下げて学ぶのか。あるいは休学してバックパックの旅に出て実地の体験を通じてなにかを学ぶのか(こういうことができるのも若い人の特権)、あるいは留学するのか、大学院に進むのか。はじめからなにか「大学ではこれこれをしたい」というものを持っている人ならいいんですけど、いちばん困るのは「合格して入学したはいいけど、さてどうしたものか、とりあえずサークル活動中心でいこうか」なんていう学生じゃないかと個人的には思う。サークル活動が悪いって言ってるんじゃなくて、全入時代、目的意識ゼロのくせにただ「みんなが行ってるからオレも」ていどの認識ってどうなのよって言ってるんです。
だっていまどき大学くらい出てないと就職が … なんて声も聞こえてきそうだが、大学出なくても「手に職」つけておられる先達はたくさんおられますし、家庭の事情もあるとは思うが、ワタシは前出の消極的理由だけだったら、背伸びしてでも大学に行くことはないと思っている。大学というところは入学希望者をほぼ合格させる代わりに、本気で学ぼうとしない、もっと言えばデキの悪い学生をバンバン落として落としまくって選ばれた少数のみが卒業するという、英米の大学によく見られるシステムのほうがよっぽど健全かと思うんですけどね。もっとも『21世紀の資本』によれば、アイビーリーグなどの名門大学の財団とかに多額の寄付したいいとこの坊っちゃんや令嬢のみが不当に優遇されてるんじゃないか疑惑がけっこうあるようですけど …。
大学入試の英語にもどすと、先日、元外交官の佐藤優氏が地元紙に、「英語圏に暮らした経験がある帰国子女を除いて、大多数の高校生は日常的に英語に接していない。そのような生徒にいきなり『書く・話す』能力を求めることにそもそも無理がある」と主張する論説文を寄稿しておりまして、まったくそのとおりだなあ、とひとりごちた[いつものように下線強調は引用者]。「読んでわからないことは、聞いてもわからない。読んでわからないことについて、話したり書いたりすることもできない(当たり前だ)」。
じつはワタシも大学は出ていない。でもいま、二足も三足もワラジ履きながらではあるが、こうして翻訳や原稿書きの仕事をあまり途切れることなくいただいてたりする。ほんとうにありがたい、と思う。ちなみにべつにこれ自慢じゃないですけど、ワタシの拙サイト『聖ブレンダンの航海』の英語版、あそこに書かれた英文がすらすら読め、かつ、「ここのところ表現おかしくない?」なんてコーヒー片手に思えるような学生は、ほぼまちがいなく世界を相手に活躍できることでしょう。ちなみに書いた当人は、いまだ日本国外に一歩も出たことはないが。
今回の騒動に巻き込まれてしまった受験生のみなさんは、ほんとうに災難だったと思う。でもかつて高校の先生に、「おまえらは不幸の星の下で生まれたっていうか、こんな円高不況のときにぶつかってしまったが … 」なんて慰めにもクソにもならないことばをかけられた記憶のある元高校生から言わせてもらえれば、かつてスタッド・ターケルの著作を邦訳した先生とおなじことばをここでも繰り返したいと思う──「あきらめずにつづけていれば、そのうちいいこともありますよ」。人生すでに半世紀を生きたしがない人間は、このことばは真実だと思っている。ほんとうに好きなことがあるのなら、それにあきらめずに食らいついていくべきだと思う。
ついでながら、大政奉還後の徳川家によって設立された「沼津兵学校」というのがありまして、今年は設立から 150 周年にあたるんだそうです(地元民のくせしてだそうです、はないと思うけれども)。で、初代校長だった西周[にし・あまね]という人はいまふうに言えば超絶デキる人でして、哲学者にして教育家、そしてなんといっても福沢諭吉や森有礼と並ぶ近代日本語の基礎をなす数々の「翻訳日本語」を作った人でもあり、「哲学」、「芸術」、「理性」、「科学」、「技術」といった、いまやふつうに使用されている日本語もすべてこの人が作ったもの。で、たとえば新聞なんかぴろっと広げれば、やれ「CSF」がどうしたとかってある。はて? セルロースナノファイバー (こっちは CNF)?? なんてツッコみたくなるところだが、なんとこれ例の「豚コレラ」のことだそうでして。なんでも Classical Swine Fever の頭文字かららしいが … いつぞやの「修飾麻疹(modified measles)」も挨拶に困るけど、もうすこし芸がないのかってつい思ってしまう。西がこれ見たらいったいなんとコメントするのだろうか。「典型的 / 標準的豚熱病」じゃダメなんだろうか。国際標準だからこれでいいんだ、というのはたしかにわかるが、なんでもかんでも横文字の符牒みたいなナゾナゾ用語にして事足れり、では千数百年、受け継がれてきた日本語に対して申し訳ない気がする。
2019年11月11日
比較神話学者キャンベルの絶筆について
毎週更新、と言っておきながら早くも公約違反 … orz フリーの身なんでいつ仕事が来るかは予測不能、予定は未定、なしがない門外漢のこと、そこは生暖かい目で見逃してくださいませ。
と、前置きしているあいだ(?)にも、ついにみんなの大好きな Halloween はとうに過ぎ、そして「日本晴れ」のなかすばらしい祝賀御列の儀のパレードもぶじ終わって(まったく関係ない感想ながら、この前買い替えたばかりの 4K TV に国立国会図書館前の通りが大写しにされたとき、個人的にはすごく懐かしく感じた。何度もおなじこと言って申し訳ないけど、あのころはネットもなにもなかった時代。いまこうしてフツーにググって調べ物して仕事もらってる人間としては、いったいどうやって訳文をひねり出してたんだろっていささか信じられない気分にもなってくる)、ではあるけれど、先月 30 日は米国の比較神話学者ジョーゼフ・キャンベルの命日(1987 年没)ということもあり、ひさしぶりにキャンベルのことについて書きます。
キャンベルの「遺作」は、ジャーナリストのビル・モイヤーズとの対談を収録した『神話の力』ということになってますが、本人が書いたほんとうに最後の著作は Historical Atlas of World Mythology という大部の巻本もの。文字どおりの「白鳥の歌」で、当初計画されていた4巻本のうち、キャンベル自身が書き終えたのは最初の巻のみ。みまかるその当日も原稿を執筆していたという2巻目は、親友の編集者の手によって補筆完成というかたちで日の目を見た。ちなみにその編集者がキャンベルの未亡人ジーン・アードマンとともに設立したのが、いまのキャンベル財団(JCF)。
で、著作についてはたしかに上記の本がキャンベルの絶筆なんですが、印刷された最後の文章、というのがべつにあります。それが、リトアニア出身の米国人女性考古学者マリヤ・ギンブタスの著した、The Language of the Goddess: Unearthing the Hidden Symbols of Western Civilization という研究書に寄せた「まえがき」。
この絶筆となった「まえがき」なんですけど、じつは JCF から刊行されているキャンベル本シリーズの一冊 Goddesses の巻末付録として収録されてまして、昨年、勝手に試訳をつけたままずっと仕事用 PC のデスクトップ上に放置してました。仕事や雑事にかまけているうち、やっぱりここでも紹介したいずら、と思いまして、書籍の一部引用にしては長いのでクレームがくる可能性もありますが、書いてある内容はやはりすばらしいと考えるので、僭越ながら全文を転記しておくしだい[JCFからなにか言われたら即、引っこめます。あとする人はいないと思うが、二重引用は厳禁]。
… 繰り返しになるが、この絶筆の「まえがき」が書かれたのは 1987 年。ベルリンの壁崩壊は、その2年後のことでした。とくに最終パラグラフの文章は書かれて 32 年が経過しているいまなお、これを読む者の胸にひしひしと響いてくるものがあります。昨今の情勢を見るにつけ、キャンベルの残した「遺言」はとても重い。
なお、この拙訳についてもコメントしたいので、それは次回に書く予定 … あくまでも予定 … 。
と、前置きしているあいだ(?)にも、ついにみんなの大好きな Halloween はとうに過ぎ、そして「日本晴れ」のなかすばらしい祝賀御列の儀のパレードもぶじ終わって(まったく関係ない感想ながら、この前買い替えたばかりの 4K TV に国立国会図書館前の通りが大写しにされたとき、個人的にはすごく懐かしく感じた。何度もおなじこと言って申し訳ないけど、あのころはネットもなにもなかった時代。いまこうしてフツーにググって調べ物して仕事もらってる人間としては、いったいどうやって訳文をひねり出してたんだろっていささか信じられない気分にもなってくる)、ではあるけれど、先月 30 日は米国の比較神話学者ジョーゼフ・キャンベルの命日(1987 年没)ということもあり、ひさしぶりにキャンベルのことについて書きます。
キャンベルの「遺作」は、ジャーナリストのビル・モイヤーズとの対談を収録した『神話の力』ということになってますが、本人が書いたほんとうに最後の著作は Historical Atlas of World Mythology という大部の巻本もの。文字どおりの「白鳥の歌」で、当初計画されていた4巻本のうち、キャンベル自身が書き終えたのは最初の巻のみ。みまかるその当日も原稿を執筆していたという2巻目は、親友の編集者の手によって補筆完成というかたちで日の目を見た。ちなみにその編集者がキャンベルの未亡人ジーン・アードマンとともに設立したのが、いまのキャンベル財団(JCF)。
で、著作についてはたしかに上記の本がキャンベルの絶筆なんですが、印刷された最後の文章、というのがべつにあります。それが、リトアニア出身の米国人女性考古学者マリヤ・ギンブタスの著した、The Language of the Goddess: Unearthing the Hidden Symbols of Western Civilization という研究書に寄せた「まえがき」。
この絶筆となった「まえがき」なんですけど、じつは JCF から刊行されているキャンベル本シリーズの一冊 Goddesses の巻末付録として収録されてまして、昨年、勝手に試訳をつけたままずっと仕事用 PC のデスクトップ上に放置してました。仕事や雑事にかまけているうち、やっぱりここでも紹介したいずら、と思いまして、書籍の一部引用にしては長いのでクレームがくる可能性もありますが、書いてある内容はやはりすばらしいと考えるので、僭越ながら全文を転記しておくしだい[JCFからなにか言われたら即、引っこめます。あとする人はいないと思うが、二重引用は厳禁]。
ジャン=フランソワ・シャンポリオンは 150 年前、ロゼッタストーン解読作業を通じたヒエログリフ(神聖文字)の用語法の確立によって、紀元前 3200 年前からプトレマイオス朝時代にいたるエジプト宗教思想というすばらしい大宝典の解明の糸口を開いた。シャンポリオンとおなじくマリヤ・ギンブタスも、紀元前 7000 年から前 3500 年にかけてのヨーロッパ最古の新石器時代村落跡から出土した二千点あまりの象徴的遺物の収集、分類、特徴の解釈といった作業を通じて、絵画的モティーフという基本語彙を、それ以外の方法では記録されえなかった時代の神話を解く鍵として提供することに成功している。それだけではない。ギンブタスはまた、それら表象の解釈にもとづき、当時崇拝されていた宗教の主要思想と主題の確立にも成功した。彼女の解釈によれば、それは母たる創造の女神の生ける体としての宇宙であり、女神に宿る神性の一部としての生きとし生けるものすべてである。ここでただちに想起されるのが、新石器時代ヨーロッパにおける「宗教」とは、「創世記」第3章19節に出てくる「父たる創造主」とは対照的だ、ということだ。アダムはその父たる創造主に言われる。「おまえは顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。おまえがそこから取られた土に。塵にすぎないおまえは塵に返る」。ところが「創世記」よりさらに古いこのヨーロッパの神話では、全被造物が生み出された大地はたんなる「塵」ではなく「生きて」おり、母たる女神の創造主と同格なのだ。
ヨーロッパ学文献の図書館において、ヨーロッパ地域と近東で形成された歴史形態に先立ち、また基盤でもある前述のような母権制時代の思想と生活について最初に言及した著作が、1861年に出版されたヨハン・ヤコブ・バッハオーフェンの『母権制』である。彼はその著作で、古代ローマ法に母系相続法の痕跡が残存していることを示した。またバッハオーフェンの著作の10年前にアメリカで、ルイス・H・モーガンが『ホ・デ・ノ・ショ・ニー連邦、またはイロクォイの諸部族』を刊行している。この二部の調査報告で彼は「母権制」原理がいまなお生きている部族社会を確認し、その後のアメリカ・アジア大陸全域の親族制度の系統的調査によって、父権制支配以前にこのような母権制原理の集団生活がほぼ世界全域に分布していたことを実証した。1871年ごろにバッハオーフェンがモーガン研究と自身の研究との関連性を認めたことが突破口となり、ヨーロッパ地域に特有のものと理解されていたこの社会学的現象は、じつは地球上の広い地域に広がっていたという認識が生まれた。同様にマリヤ・ギンブタスが再構築した<女神の言語>により、その歴史的重要性は紀元前7000年から3500年にかけての大西洋からドニエプルまでの古代ヨーロッパ世界に限定されない、ひじょうに広範な地域におよぶことが認識されるようになるだろう。
さらに、このような母権制はインド−ヨーロッパ語族系の牧畜部族に見られる神話群とも対照的である。インド−ヨーロッパ語族系諸部族は紀元前 4000 年以後、古代ヨーロッパ諸地域を波状的に侵略し、侵略された土地では彼らの社会的理想や法、彼らの属する部族の政治的目的の反映たる男性上位の神々へと取って代わられた。それに対して大地母神は大自然の法則の反映と尊重の表れとして生まれたものだ。ギンブタスに言わせれば、万物の驚異やその美しさの理解と共生をめざした人間側の原初の試みと言えるのが彼らの残した絵画的表象群であり、有史以後、西洋で優勢になる人為的に歪められたシステムとは元型シンボル的に見て、あらゆる点において対極にある人間の生き方の輪郭を描くものなのだ。
ちょうど世紀の変わり目にさしかかっているこの時期に本書が世に出たことと、意識の全般的変革の必要性がひろく認識されていることには明らかな関連がある、との思いを禁じ得ない。本書のメッセージは、有史以前の四千数百年のあいだ、自然の創造的エネルギーと調和し、平和に暮らしていた時代が現実に存在していた、ということである。その後につづいたのは、ジェイムズ・ジョイスの言う「悪夢[『ユリシーズ』のスティーヴン・ディーダラスの発言]」の時代、部族間や国家間の利害の衝突といった悪夢の五千年だったが、この惑星は目覚めのときをいま、確実に迎えつつある。──© 2013 Joseph Campbell Foundation
… 繰り返しになるが、この絶筆の「まえがき」が書かれたのは 1987 年。ベルリンの壁崩壊は、その2年後のことでした。とくに最終パラグラフの文章は書かれて 32 年が経過しているいまなお、これを読む者の胸にひしひしと響いてくるものがあります。昨今の情勢を見るにつけ、キャンベルの残した「遺言」はとても重い。
なお、この拙訳についてもコメントしたいので、それは次回に書く予定 … あくまでも予定 … 。