2020年04月30日

感覚のズレの話

 先日、ここでもすこし触れたことですけれども、なんかここんところのハラリ氏、eagerly sought after ですね。ついに(?)Eテレでも対談がノーカットで放映されたり(じつはその前にもジャック・アタリなどほかのインテレクチュアルズとの「テレビ会議」方式のインタヴューとして放映されてはいたが)、いちやく「時の人」という感じです(こちとらはあいも変わらずだがそれは置いといて)。

 翻訳、ということではそうそう、全著作の日本語版の版権を持ってる版元さんから本家本元の全訳が出たので、お読みになった方もかなりおられると思う。あいにく拙訳版は、後半が有料記事扱い(契約先がそういう方針だから、これはしかたのないこと)だったから、あまり人目に触れずに( ?? )「なんだこの訳は ?! 」とお叱りを受けることもなかったんですけど、もちろん自分の勉強のため、こういう機会もめったにないから、時間があるときにじっくり突き合わせて検討はします。もっともっと、うまくなりたいからね。翻訳は 100 人いれば 100 通りの翻訳ができるものとはいえ、中田耕治先生の警句にもあるように、「世の中には、よい翻訳と悪い翻訳のふたつしかない」というのもまた真、なわけでして、つねに肝に銘じてはいる。

 前置きはこれくらいにして、放映された対談の率直な感想としては、おっしゃっていることはほぼ正しい、とは思う。ご丁寧に自分が訳した原文まで大写しにされ、「NHK 訳」も添えられていた。この対談はどうも Financial Timesの「緊急寄稿」コラム(そういえば日経からも抄訳版が出たとき、版権の扱いはどうなってんだろ、って書いたが、FT は日経の子会社だったことをすっかり失念していた)をベースに話が進んでいるようだったので、ようするにその文章を読んだ人間にとってはとくに目新しくもなんともなかった、というのが偽らざるところ。また、原文を読んだときにも感じていたのだが、「新型コロナ禍に乗じて独裁が正当化される恐れがある」とか、「個人情報を警察などの治安維持組織に渡すな」とか、「このパンデミックを乗り越えるには世界的な連携と連帯が必要不可欠、そうならなければ悲惨な結末が待っている」とか、はっきり言って常識的に考えればしごく当たり前なことしか書かれてないんである。当たり前だけども、いまの米政権なんか見れば、これがなかなかね! 言うは易く …… ってやつでして。だからアフター・コロナの世界のあり方の考察、という点では、たしかに説得力はある。

 それから'empowerment' も、重要キーワードなのでテレビ番組にももちろん出てきたけれども、市民 / 個人に「力を与える」というのは、狭義の「権利拡張 / 権限拡大」ってことじゃないずら! だからない知恵さんざ絞ったけれども訳しあぐねて、しぶしぶカタカナ語のままで通した。カタカナ語だけれども、コンテクストからわかるかなん、と思ったもので。対談でも、「ひとりひとりの負うべき責任」について明言してましたし。

 でもなんかこう、個人的にはモヤモヤがとれない …… いっときはやった「いつやるの? いまでしょ!」じゃないけれども、「ええっ! アフター・コロナの世界はどうあるべきか、ですって(『くまのパディントン』主人公のクマくんふうに) ?! それっていま言うこと ?? 」みたいな自分がいる。主張はごもっとも。「プディング令」の話なんか聞かされればね。でもたとえば、
戦争と考えるべきではありません。まちがったメタファーです。重要なのは人のケアをすることで殺し合いではありません。いかなる人も敵とみなすべきではない。戦争や戦い、勝利といったたとえは使うべきではない。
COVID-19 震源地になったとなりの大国ははやくも「勝利宣言」みたいなことをさかんに喧伝しているから、そこはまったく同感なんですが、「致死率はインフルエンザ以上」、「無症状感染者が知らずにうつしている」、「基礎疾患のない人でも一部は短期間で重篤化」、そしてなんといってもその最前線に立たされている医療従事者にとっては戦争以外のなにものでもなく、この新型ウイルス株の持つ恐ろしさを考えれば、あながち「誤ったメタファー」とは言えないんじゃないでしょうか。それにこの危機、まだ始まったばっかだよ。それよりも先日の地元紙に元静岡県危機管理監が寄稿した、
誰かの指示で避難するのではなく、自ら命を守るためには自らの意思で行動できる国民であることが求められている。自然災害と同様に今回の感染拡大に対しても、誰かの指示を待ち日常の延長からずるずる対応するのではなく、自らの意思で日常から非日常にスイッチを切り替えることができるかにかかっている
のほうが、自分としてはよっぽどストンと腑に落ちるんですわ(下線強調はいつものように引用者、以下同)。ハラリ氏の「監視政治体制を構築する代わりに、科学と公的機関とマスメディアに対する人々の信頼を復活させる時間はまだ残っている」という一節も、いまの日本と日本人はどうなんでしょ …… ってつい思ってしまう。福島の原発事故のときもそうだったけれども、国内の専門家もアテにならないし、せっかくストックしてある備品もけっきょく使われることなくホコリかぶったままになっていたとか、そんな話ばっかじゃないですか。そして、やめろと言われてもあいかわらず玉を弾いて遊ぶギャンブルに通い詰める市民たち。地元放送局のラジオパーソナリティーが、「タバコがあれば吸いますよ。この問題はタバコとおなじで、すべてなくすしか方法はない」とか言ってましたが、これはあきらかに「依存症」なんで、その病んだ精神状態を治療すればいいだけの話。こういう身勝手かつのほほんと惰眠を貪っているような手合いの「権限強化」をされたら、マトモに生きてるこっちが冷水を浴びせられる(ヤなこった)。

 けっきょく、ハラリ氏がもっとも恐れていることと、呼吸器の感染症に罹患して「昔の日本だったらキミはとっくに死んでた」とかかりつけの医師に言われた経験を持つワタシとでは感じ方がそもそもちがう、感覚がズレているだけなんだ、ということに思い至ったしだい。ハラリさんは警察国家にして世界有数のハイテク軍事技術の突出した監視国家のイスラエルに生まれ、いまもテルアヴィヴ に住んでいるから、そっちのほうがむしろ「重大事」だと感じているにちがいないから、こう訴えたかったんだな、と。でもいまのワタシにとっては、正論しか書いてないけれどもどこか虚ろに聞こえる歴史学者の発言よりも、むしろこちらの文章 ↓ のほうがビンビン心に響いてくるのであります。
…… ボタン一つ押せば答えが出てくる、面倒なことは専門家が何とかしてくれるという期待はここでは成り立たない。一人一人が責任を持ち、手を洗いなさいというわけである。…… 最先端技術は、微小なウイルスがいつの間にか体内に入り込むことを防げないのだ。反対に、幼子にもできる手洗いによって自分の体は自分で守ることができ、しかもそれは周囲の人、さらに同世帯の人を守ることになるのである。自己責任などという薄っぺらな言葉で表せるものではない。私が生きていくこと、仲間たち皆が生きていくことが大事であり、そこに自分が参加しているのである。…… 私たちは、ウイルスが存在する自然と向き合って生きているのだ。自然とは、具体的には地球(グローブ)である。
 これまで「グローバル企業」などの用語で使われていた、権力と金の力で世界を支配するという意味のグローバルではない。一人一人が自分の役割を意識して行動することで地球とつながる。皆で同じ危機に向き合っているのだという認識から思いやりが生まれ、現在問題になっている弱者へのしわ寄せや深刻な格差を避ける社会が生まれる可能性がある

[中村桂子 / 2020年4月 22日付「静岡新聞」朝刊 20 面から抜粋。カンケイないけど、おなじ紙面に「社会的距離」について、「目安はパンダ1頭分」なんてあって、苦笑させられた。あいにくこちらが見たことあるのはジャイアントパンダじゃなくレッサーパンダのほうなんで、とんとイメージがつかめず。流行語大賞候補になりそうな social distancing、言い出しっぺはなんとウサイン・ボルト氏らしいが、これを「物理的距離」、physical distancing にすべしと言われはじめたから、近いうちにそうなるかも]

最後に、『21世紀の資本』のトマ・ピケティ氏の論考も参考までに引いときますね。アフター・コロナの世界がどう転ぶのか、についてはこちとら 12 ポイントくらいの特大ハテナマークしか持ち合わせていないけれども、はっきり言えるのは、「個人に力を与えること / エンパワメント」以前に、引用した生命誌研究者の方の寄稿文のように、「いますべきことは自分の生命を未知のウイルスから守り、自身を守ることで世界にいるみんなを救う」ことなんじゃないですかね。これなくしてアフター・コロナの世界は云々、なんて語れるわけもなく、それにハラリ氏だってけっきょくのところ、そういう市民にひとりひとりがなりなさいよ、と言っているわけで(「国民は、科学的な事実を伝えられているとき、そして、公的機関がそうした事実を伝えてくれていると信頼しているとき、ビッグ・ブラザーに見張られていなくてもなお、正しい行動を取ることができる。自発的で情報に通じている国民は、厳しい規制を受けている無知な国民よりも、たいてい格段に強力で効果的だ」など)、矛盾もない。

 Eテレの番組の最後、夜の橋を通過する映像が流れていたけれども、そこに "Save Lives #FLATTENTHECURVE" という電光掲示板の文字が映し出されていたのがなんか印象的でしたね。

posted by Curragh at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 翻訳の余白に