2020年07月28日

嗤う COVID-19

 全世界で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の猛威が止まらない。
今年に入ってから、引き受ける案件には毎月必ず1本は COVID-19 関連の記事訳出が含まれるくらいで、やはりそのことを実感せざるをえない。最近だと NYT の救急救命士の聞き書き記事とかがあって、そうそう、そうなんだよな、と思わざるをえなかった(→ 原文記事を引用したブログ記事、なお拙訳文はじっさいに掲載された邦訳記事とは異なっている点をお断りしておきます)。
私の仕事を知りたい人など誰もいないだろう。あなたたちは英雄だ、と口先だけの称賛を送る人はいるだろうが、救急救命士の話は誰もが聞きたいと思うような話ではない。……
…… 死者は2万人余りに達しているというのに、レストランの外には早くも長い行列ができ、バーはごった返している。このウイルスはまだ市中にいて、消え去ったわけではない。毎日、新型コロナウイルス感染症の 911 番通報を受けて出動する。これまで 200 人を超える市民が亡くなった現場にいて、蘇生処置を施し、家族に慰めのことばをかけてきた。しかし世間の人は 1.8 メートルの社会的距離も守れなければ、マスクをつけようともしない。なぜだ? 自分はタフガイだから? 弱そうに見られないため? このウイルスの真実に向き合おうとせず、自分はぜったいに大丈夫と見せかけて済ますつもりなのだろうか? 
…… われわれが英雄? 冗談じゃない。怒りに圧し潰されそうだ。

 'Friday Ovation'って英国が発祥らしいけれども、最前線で生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされ戦っている人の発言の重みとパンチの強さの前にはむなしい。

 ブラジルの大統領なんか、もはや歩く人災だね。経済がぁ、とのたまわっているが、かんじんの国民の生命がつぎつぎと失われてしまっては、元も子もないじゃないかっていう子どもでも理解できることがわかってない。その点、COVID-19 でいっとき猖獗を極めたイタリアの人は(みんながみんなそうではないと思うが)腹が据わっている。『テルマエ・ロマエ』原作者の方が電話越しに耳にしたイタリア人の旦那さんの発言を引用した文章を地元紙で見たんですが、旦那さんいわく、「イタリアはかつてのペスト以降、疫病に何度も襲われてきた。経済か人間の命か、どちらが大切かと問われれば、人間の命に決まってる」、だからロックダウンされようと平気だ、と。

 個人という意識の弱さ、マイホーム主義やムラ意識に代表される集団同化意識と同調圧が疫病とおなじく蔓延する島国に住む人間として、なんか民族性のちがいをまざまざと見せつけられたような気がした。欧州は日本より遅れている点、とりわけマスクをする習慣さえなかったことも考えれば、そりゃいろいろと問題はあるでしょう。でもドイツみたいに WHO のパンデミック宣言の出る前から検査体制や医療体制の拡充を図っている国の例などを見るにつけ、せいぜい胸を張れるのはマスク着用とか「3密(3C)」を避けよう、くらいのものかと。いくら都知事選とかがからんでいるからって、個人の意識の徹底という点では日本も米国もブラジルもたいして変わらないと思う。個人的に意外だったのは、スウェーデンの対応だった。「集団免疫」戦略だったんですが、あいにくうまくいってない。他の北欧諸国がなんとか抑え込んでいるのに対し、高齢者を中心に死者数がとんでもないことになっている(→ NYT 報道記事の邦訳ページ)。

 もちろん、未知のウイルス(コロナウイルスじたいの発見もせいぜい数十年前)によるいままで経験したことのないパンデミックなので(パンデミックという用語は、そもそもインフルエンザのみに適用されてきたもの)、絶対確実な方法なんてあるわけもなく、各国の対策とか見ているとお国柄というか国民性みたいなものが出ていると感じる。しかしたとえ未知のウイルス感染症パンデミックでも、そのおおもとの方針は揺るぎないはず──「人間の生命を守ることが最優先」されるべきではないか。ブラジルの大統領がもし国内経済を好転させたとしても、この点においては為政者失格、ということになる。この人の「無策」の最大の犠牲は、アマゾンの密林に暮らす先住民だ。

 いまひとつよくわからないのは、しきりと「第2波」だ、とテレビとかが喧伝していること。個人的には、病原体があきらかに変異して、100 年前のスペインかぜパンデミックを引き起こしたようなことが起こればまちがいなくそれは「第2波」と言える。ただ、いま現在は「再流行」と言うべきで、「第2波」と決めつけるような言い方はいかがなものか、といつも感じる(WHO の専門家も含め、世界の感染症研究者で新型コロナウイルスが「変異」したと明言する人は現時点ではひとりもいない)。今月の地元紙切り抜きを見ると、たとえばポルトガルでは「[外出規制]緩和後、若い世代の感染率が高まり、首都リスボン近郊の一部地域に外出規制を課した」とある。規制再拡大の動きは隣国スペインでもおなじで、パブ文化のある英国でも規制強化を望む声が世論の8割を超えている、という。これって日本でもおんなじですよね、とくに「若い世代の感染率が高まり」というくだりは。ようするに、規制緩和したらやっぱり感染率が高くなって、市中感染が始まりつつある、ということだと思う。

 また、「接触8割減」ということばが独り歩きしたことがあったけれども、舌の根の乾かぬうちにこんどは「これまで感染が確認された人のおよそ8割はほかの人に感染させていない」と言って GOTO トラベルを見切り発車してトラベルならぬ無用のトラブルを招き、沖縄などの離島部を含め地方都市で集団感染が立て続けに発生したり。目を覆うようなことがつづいて正直、ウンザリでもある。

 言っておくが自分は「ナントカ警察」ではない。ただ、マスクひとつとっても、先日の地元紙にコラムを寄稿した米ジョンズ・ホプキンズ大学大学院副学長ケント・カルダー氏が書いたように、「多くの米国人はマスクを着けるようになっているのだが、強制には反発している。草の根の米国人、特に南部の人々はマスク着用を銃所有と同じように個人が自由に決めるべきものだと強く」思っているかぎり、人類はこの新型ウイルスという強敵にはとうてい勝ち目はないだろう、と感じている。いま一度つよく言いたいのは、もはや COVID-19 以前のような日常生活にはもどれない、ということ。個人ひとりびとりが、ここをよ〜く考えてから行動すべきだ。ダレダレが悪いから、というのは通用しない。あなたがどうすべきかだ。このままだと COVID-19 の思うツボになるのは目に見えている。

タグ:COVID-19
posted by Curragh at 07:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の雑感など

2020年07月19日

オルガンが丸焼けに

 …arson、だそうです。フランス西部の港町で、近年は「ラ・フォル・ジュルネ」音楽祭発祥の地としても知られているナントの「サンピエール・サンポール大聖堂」の火災。放火犯はてっとり早く燃やそうと、木製部品だらけの大オルガンに火を放ったようです(海外の速報記事とか見ると「会堂内3箇所から火の手があがった」というから、オルガンは出火場所のひとつということになる。なお日本語版記事には「破損」とあるけど、全焼しているから、「全壊」と書くべきだろう。手を加えて修理できるレベルの話じゃないですわ! ちなみにこの楽器、4段手鍵盤と足鍵盤 / 実動 74 ストップの威容を誇る、教会オルガンとしてはかなり大型の部類に入るものだったようです)。

 どこのどいつがこういうバカげたことをしでかしたのかはまだわからないし、それについてとくに喋々するつもりもない。ただ、昔からこういうことは意外にも(?)繰り返されてきた、というのもまた事実なんですね。もっとも顕著な例ですと、18 世紀後半に勃発したフランス革命とその後の動乱期。ちょうどこのときは、王侯貴族と教会権力の失墜とともにオルガンとオルガン音楽そのものの「価値」がブラックマンデー顔負けに暴落して、オルガン音楽がクラシック音楽のメインストリームから脱落する時期とぴたり重なっている(それを言えば、かつての王侯貴族に付き物だった鍵盤楽器クラヴィチェンバロ / クラヴサンもそう)。フランスは基本的にユグノー、すなわちローマカトリックの国なので、このとき各地のカトリック教会、とりわけ司教座付き聖堂(大聖堂)は目の敵にされ、略奪されるわ放火はされるわ狼藉の限りを尽くされ、オルガンの金属パイプ(鉛と錫の合金、ようはブリキ合金)は引き抜かれて溶かされ建築資材にされるわで、オルガン音楽好きからしたら目を覆いたくなるような惨状だった[ → AFPBB サイトの速報記事]。

 オルガンの受難は海峡を挟んでお隣りのイングランドでも似たかよったかでして、こちらはもっと早く 17 世紀に起きた内戦、世界史で言う「ピューリタン[清教徒]革命」前後数年の混乱に乗じて、おなじキリスト教徒のくせに清教徒側が「なんで会堂内にモーセの禁じた偶像やら金ピカな贅沢品があるんだ、聖書の教えと違う!!」と狂信者心理だか群集心理だかなんだかわからん烏合の衆的ポピュリズム的暴徒と化した連中が、やはり未来の隣国同様のことをやらかしている。大聖堂の貴重な聖遺物や代々受け継がれてきた宝物、絵画・彫刻といった芸術品、そしてもちろん、いちばん目立つオルガンが標的になった。でもオルガンをバラして燃やした、のではなくて、他の用途に転用したことが多かったようです(「革命」と名はつくが、約1世紀あとの市民革命とはそもそも目的が違う)。また、暴徒が押しかけてくる前にひそかに解体されて「疎開」し、ロンドンから遠く離れた片田舎に保管されて難を逃れたオルガンも少数ながらあった、という話もあります(どこの楽器だったか失念したが、たしかアルプ・シュニットガー建造の歴史オルガンの中にも、第二次大戦の爆撃を避けて解体され、疎開した楽器があったはず)。

 昨年のいまごろ、パリのシンボルたるノートルダム大聖堂の尖塔部分や屋根などが失火で焼失したときもたいへんなショックだったが、このときは不幸中の幸いで、有名なカヴァイエ=コル建造の歴史的楽器はほぼ無傷ですんだ。火災後の聖堂内を映した動画を見ながら、「ウン、……オルガンはダイジョウブみたい」と、東京芸術劇場の「回転」オルガンを建造したオルガンビルダーのマチュー・ガルニエ氏が NHK のニュース番組で心底ホッとしたような表情を浮かべて話しておられた姿がいまも思い出される。ナント大聖堂のこの歴史的楽器もいずれ再建されるだろうが、この楽器が持っていた400年という歴史の重みは、紅蓮の炎に焼け落ちる背後のステンドグラス絵と同様、この世界から永遠に消滅した。

posted by Curragh at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近のニュースから