2020年08月23日

もうすぐ絶滅するという紙の新聞について

 COVID-19 パンデミックが全球的に覆い尽くすなか、今年も広島・長崎の原爆忌、終戦記念日が過ぎ、そして旧盆期間も過ぎてゆきました(NHK の自称5歳児の番組でも取り上げられたことがあるけど、「お盆」の正式名はサンスクリットを音写した「盂蘭盆会[うらぼんえ]」)。

 信長じゃないけどすでに「人間五十年」生きちゃった端くれとして思うこと。それは最近の人のダマされやすさについて。なんでこう、なんとかホイホイよろしく引き寄せられちゃうのかって感じ。往年の「ナイジェリアの手紙」の進化系? みたいなチェーンメール詐欺に国際結婚詐欺なんかもそう。その原因を成していると思われる最たるものがやはりソーシャルディスタンス、ではなくてソーシャルメディアだと思う。SNS 中毒の増加とともに年々、右肩上がりしているような印象を個人的には受けてしかたない。

 ここ最近のブロゴスフィアも似たかよったか。以前は──あくまで個人の意見──読んでためになる、というか、おもしろい読み物が多かった気がする。それがいまじゃ Wordpress だかなんだか知りませんが、たいしたこと書いてないのに「目次」を設けてやたらとリーダビリティ、もっと言えば SEO 対策ばかり抜かりのないブログのフリしたフログ(flog、fake + blog のカバン語)ばかりが目立ち、しかもそれがバカみたいに安い単価でアカの他人に書かせて自分は運営してるだけという、長年、せっせとこんなんですけど書いてきた人間からしたらまったく信じがたい、「ブロ〜グよ、おまえもか!」っていうじつに悲惨なことになってます。そういうのって「なんとかハック」とか読み手を惹きつけて小遣い稼ぎしてるんでしょうが、文章の書き方を見ればいかにも、なマニュアルどおりの通り一遍、「…… いかがでしたか? よろしかったら拡散お願い♪」みたいに締め括られて、総じてツマラナイ。はっきり言って時間のムダ。

 だまされやすさ、ということではもうひとつ重要な点があるように思う。それは紙媒体の新聞の凋落と軌を一にしている、ということ。以前も似たようなこと書いたかもしれませんけど、ネットニュースなんていくらリーダーアプリがいくつもあったところで、海外のメディア媒体のようなアーカイヴ記事などほとんどなく、調べたければ図書館行って「日経テレコン」でも見ないと出てこなかったりする。その点、欧米の媒体が運営する新聞の電子版ははるかに品揃えが充実している。電子書籍もそうだけど、いくら Retina ディスプレイだの高精細有機 LED だのといっても、光る画面上の活字を追うのと紙媒体の書籍や新聞の活字を追うのとではアタマへの入り方がやはりちがうし、紙のほうがはるかに読みやすく、目にもやさしい。このへんのことを科学的に研究した論文かなにかがあったら、ぜひご教示願いたいところ。

 もっとも紙の新聞とて人間の手になるもの、そりゃたまにはタイポもあれば訂正もある。論説コラムなんかもそうで、この評者、いいかげん交代してくんないかなとかありますよ(地元紙の例だと、今年1月 14 日付の論説文に、さもご自身で読まれた洋書の抜粋を得々と引用していた先生がおられたが、あれとまったくおんなじ文面をネットで見たことがある)。

 自己啓発ものの元祖とも言えそうな古典的名著『自分の時間──1日 24 時間でどう生きるか』で有名な英国の小説家アーノルド・ベネットは、ものを考えない人間の典型例として「毎朝、新聞を広げてからでないと意見が言えないような人」を挙げてはいるけれども、そんなベネットだって新聞をまったく読んでなかったわけじゃないので(おなじことはショーペンハウアーの『読書について』にもあてはまる)、ここでも紙媒体の新聞の効用、とりわけ「情報の一覧性」というすばらしい特徴があるという点は強調しておきたい。

 というわけで、終わりはここ数か月で地元紙を眺めて印象的だった文章をランダムに引用しておきます。アマチュアでさえない門外漢がしゃしゃりでてさらに物事を混乱させるなんでもありの玉石混交がまかりとおるいま、記者が足で稼いで書いた紙の新聞の「一覧性」は、まだまだ捨てたもんじゃないと思う(以下、いつものように下線強調は引用者。以前、訳出した海外記事に、'The new hero of journalism was no longer a grizzled investigator burning shoe leather, à la All the President’s Men' という一文があって、こんな言い回しがあるのかと思った。あいにくせっかくひねりだしたここの訳は、端折られてしまったが)。
… さまざまな知恵や意見を得て、納得や反論をしながら自分のフィルターにかけて、己の血肉にするのが学ぶということ。ただ読んで聞いて対応する勉強は、試験が終われば必要ない。その場しのぎの知識にすぎないよ。──絵本作家の五味太郎氏、「教育シンカ論・コロナから問う」から

... 英語の成績がいいのは本人が好きで努力したからであり、別に「頭がいい」とは関係ない。社会に出て、周囲を見渡せば、英語は日常会話でペラペラ話せても、中身のないことしか言えない「頭の悪い」人はいっぱいいる。中身がなければ外国人はもちろん、日本人からも信頼も尊敬もされはしない。──勝又美智雄氏、「日本人の深い病 … 英語コンプレックス」から

「 … 普通の人は家族、社会、宗教などの『大義』と折り合いをつけ、代わりに安心を得る。[ボブ・]ディランはそれを拒み、本当に属すべきものを探してさまよい孤独になった。それでもなお、孤独な者として前に進むんだと歌っている」──「混迷の世 響くディランの言葉」から作家・翻訳家の西崎憲氏の発言から

… さまざまな技術革新によって、大量の生産を行い、地球表面を改変し、他の生物を絶滅させ、人口を増やしてきた。…… 以前はなかった野生生物と人間との接触も増えた。
 そこで、他の動物を宿主としていたウイルスがヒトに感染する機会が増える。今回の新型コロナウイルスもそうだが、そのようなウイルスによる、数千人、数万人の規模での爆発的な感染は、20世紀以降に起こったのである。──長谷川眞理子氏、「現論:温暖化、絶滅、ウイルス」から[ ⇒ 参考リンク

毎日のマスク着用やアルコール消毒を徹底している私たち。そんな中、県外に出歩く人や飲食店に通う人などが多くいる。新型コロナウイルスまん延の今、もう一度危機感を持った方がいいと思う。
…… コロナの流行から数カ月、私たちはコロナのある日常に慣れつつある。でももう一度、危機感を持つべきだと思う。──「ひろば10代」、中学生読者の投稿から

…… 源流である南アルプスの下にトンネルを通して走らせるリニア中央新幹線は、私たちの未来に本当に必要なのか。新型コロナウイルスで世界の経済が減速し、暮らしも大きな変化に直面している今、「豊かさとは何か」を考えてみる時ではないか。…… 想定外を想定することを求めたい。失ったら自然も水も元には戻らないし、30年の補償金で済むことではないと私は思う。──「ひろば」、84 歳の読者の投稿から


 最後のリニア問題について。ネット民のみなさんはどうも「静岡県が意図的に開業を遅らせている!」と息巻いている向きが多く、われわれ県民ははっきりいって不当に貶められている感もなくなくはないが、かつての国鉄が丹那トンネル工事を行った結果、どうなったかを調べてごらんなさい。またこれは科学的に立証されてはいないものの、トンネル工事で大量に湧出した地下水と北伊豆地震とは関係がないわけではなく、工事によって引き起こされた可能性もゼロではないことも申し添えておく。南アルプスは伊豆半島が押しつづけて盛り上がった巨大な「付加体」で、かつての海底堆積層がほぼ垂直にそそり立っている(だけでなく、折れ曲がったりと屈曲も激しいし、近くには糸魚川−静岡構造線も走っている)。「日本一、崩れやすい」とも言われ(安倍川源頭部には日本三大崩れのひとつ、大谷崩もある)、活断層だらけのグズグズな破砕帯だらけなのは言うまでもなく、こんな場所の地下深くを無理やり掘削したら …… と思うとこの猛烈な酷暑でも背筋が寒くなる。

posted by Curragh at 16:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 翻訳の余白に