2021年04月30日

巨匠アシモフの未来予測

 いつも行っている理髪店(創業 59 年目 !!)には、昭和 50 年代の古書とかも置いてあって、そのなかにはこれまた懐かしい「日本リーダーズダイジェスト」社が出していた事典ものもあります。その一冊、『世界不思議物語(Strange Stories, Amazing Facts 1979)』という大判本の巻末に当時の SF 界の巨匠アイザック・アシモフ(1920−1992)の「人類に未来はあるか」というインタビュー記事も収録されていて、ちょっと興味を惹かれて目を通してみた。

 インタビュアーはアシモフに、「予言者たちは、世界の終わりが来るともう何世紀も言い続けてきました。この地球に終わりが来るとして、それはどんな形でやってくると思いますか」という、あの当時の空気感を知るひとりとしては、ぶっちゃけアリガチな紋切り型っぽい質問から始めている(『ノストラダムスの大予言』シリーズ本なんかが売れまくってた時代。ちなみにスウェーデンの例の方はご存知ないだろうが、あの当時はいまとは逆に、「氷河期が来る !!」っていう予測本が売れていた時代でもある)。

 21 世紀に入ってもう 20 年代に突入してしまっているいまに生きている人間の眼であらためて読むと、さすがのアシモフもやや naïve だったかも、という箇所も散見されるけれども、そこは SF の重鎮だけあって炯眼ぶりはさすが、と思うことしきり。

 たとえば民間宇宙航空開発会社や EV 製造会社をいち早く立ち上げて期道に乗せているイーロン・マスク氏は、並行して「火星移住計画」みたいなことに大マジメに取り組んでいる。取り組んでいるのはけっこうなことながら、あいにくそれは解決策にはならんと一蹴する。
この太陽系内のほかの惑星を、人類の植民地にすることはできるでしょうか
 技術を使って大々的に改造しないかぎり、住めるようになる星は太陽系にはありません。改造の可能性があるのは、月はたしかにそうですが、あとは火星ぐらいでしょう。しかし、太陽が死ぬときにはみんな地球と同じ運命をたどるわけで、長期的にみた場合の解決にはならないわけです。

と答えて、「太陽が死ぬときまでに、われわれ人類がこの銀河系はもちろん、他の宇宙にも散らばって生きていくようになっていることは、ほぼたしかだと思います」と続けてます。

 そして話は「光速での宇宙旅行」や「地球がほかの惑星や流れ星と衝突する可能性」、「地球がほかの星から攻撃されたり滅ぼされたりする可能性」と、新型コロナのパンデミックにすっぽり覆われている 2021 年時点で見ちゃうとやっぱり naïve だなぁ、とひとりごちてしまうわけなんですが、そんなインタビュアーの軽薄さを見透かしてか、アシモフは「[その手の危機は]SF ではよく出てきますが、じっさいにはまず起こらないだろう」と述べて、「いますぐ手を打たなければ、この 30 年か 50 年以内に、人類は現在の文明を滅ぼしてしまう危険性がたぶんにあります。そういう方向に人類は突っ走っています」と警告する。こう切り返されてインタビュアーはなんと言ったか。「それはまたぶっそうな話ですね。しかもそんなに早い時期にですか」(!)
西暦 2009 年までには、地球の人口は 70 億から 80 億という数になりますが、食糧を現在の 2 倍も供給することなどできません。30 年か 50 年のうちには、地球の全人類が飢えることになるでしょう。
 しかも食べる物がじゅうぶんにないために、病気が増えます。世界的に不穏な状態に包まれるでしょう。……

 人類の歴史は、技術の進歩の歴史だったわけです。一時的に技術がおとろえた時代としては、いわゆる暗黒時代があります。人類は過去に何度も、そうした暗黒時代を経験していますが、いずれも特定の地域がそうなったわけで、人類全体の危機ではなかった。……

 しかしわれわれはやがては石油を使いつくしてしまい、石炭も採れるだけ採りつくしてしまい、地球の貴重な鉱物を掘りつくして世界じゅうにばらまいてしまい、環境が放射能をおびるようになるところも出てくるでしょう。しかも増え続ける人口をまかなうべく絶望的な努力をして食糧生産にはげみ、そのために地球の土壌を破壊してしまいます。……

 もちろん、人類は海洋から現在以上に、食糧を大量に取ることができるようになるでしょう。植物をタンパク源として、利用することもできるようになるでしょう。……

 またエネルギーについても、太陽エネルギーが人類の主要なエネルギー源になっていくでしょう。しかし、さきほどから言っているような最終的な危機をさけるためには、いますぐにでも画期的な進歩がなければ手おくれになってしまいます。


 そして、アシモフは最後にこう結んでます。
わたしたちが直面しているのは、全地球的な問題です。資源が減り続け、人口が増え続けていること、環境の汚染、そのほかみんなそうです。……

 過去にも、人類は何度も危機を乗り越えてきました。たとえば 14 世紀に黒死病が大流行したとき、人類のおそらく 3分の1 が死にました。しかし 3分の2 は生き延びたのです。衛生学の知識もなかった当時の人が、あのもうれつな伝染力を持った致命的な病気にも打ち勝って生き延びたのです。……

 人口問題を解決することができたら、21 世紀はすばらしい時代になるでしょう。それは量よりも質の時代であり、知識よりも知恵と洗練さが支配する時代であり、新しい技術と文明が打ち立てられることでしょう。そして人類の未来は輝かしいものになると思います。

 最後はなんだか一縷の望みが持てそうなことをおっしゃっていて、40 年以上も前にここまで言えた人って向こうのインテリでもそうはいなかったんじゃないかな。その数少ない例外のひとりは、やはりジョーゼフ・キャンベルだろうと思う。

posted by Curragh at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 翻訳の余白に

2021年04月15日

"systemic discrimination"

 前にも少し書いたことですけれども、昨今、急激によくお目にかかるようになったワードがあります。“systemic discrimination”です。

 たとえば手っ取り早くオンライン英和辞書なんか見てみますと、
構造[組織]的(な)差別、〔社会の構造・制度などと一体化しているような〕深く根付いた差別
なんてあって、わかったようなわからないような、隔靴掻痒感満載なんですね(一般に辞書の定義なんてそんなものだが)。

 こういう抽象的概念に近い横文字って、たとえば「エンパワーメント」のようにいつの間にかカタカナ語化して意味もよくワカランまま定着、というパターンがじつに多い。それじたいが悪い、と言っているんじゃなくて、「その用語、しっかり理解できていますか?」とつねに自問自答する姿勢が大事だとまずは言いたい。

 で、わかったようでまるでわかってないこの“systemic discrimination”。でも、こんな記述を読めばどうですか。
人種差別主義者があれほど肌の色にこだわるのが不思議でならない。有色人種が怖いから、憎いから差別するのではない。有色人種は地位が低い。階級が低いと差別し、自分のコミュニティーに異文化が入り込むのを嫌がり、白人が高い地位につく機会が多いから、白人の方が“優れている”と無意識のうちに思い込んでいる。
 なるほど、そういうことだったのかって、思いますよね? “systemic discrimination”とは、無意識のうちに刷り込まれた意識が、じつはりっぱな人種差別、レイシズムに発展するんだってことがこの一文を読めば伝わってくるではないですか。

 これ書いたのはタン・フランスという人。パキスタン系移民3世として英国北部のサウスヨークシャー州に生まれた人で、世界的に人気のあるリアリティーショー「クィア・アイ」のファッションコーデ担当、と言えば、知ってる人は「ああ、タンだね!」って思われるだろう。とこんなこと書いてる本人は、タンさんに取材した記事の訳出を依頼されるまでまるで知らなかった口なんですが、たまたま図書館にタンさんのメモワール本があったので、あわてて借りて読んでみたらすっかり自分までファンになってしまった。それほど人として魅力的で、なんて懐の広い人なんだろうって、ようは自分にはないものをタンさんの内に見つけたってことにすぎないんですけれども、それでもこの本は内容もすばらしくて、読んだことないって人にはぜひおススメしたいと思ったしだい。

 筆致はとても軽く、心のおけない親友に打ち明け話をしているかのようなノリで幼少期から現在に至るまで話が進んでいくのでじつに爽快な読書感なんであるが、そのじつ、書かれてある内容は、ふつうに書いたらまずまちがいなく暗く、沈んだ気持ちにさせられることまちがいなしの「重さ」がある。ここがすばらしい。こういう文章はなかなか書けない。これはひとえにタン・フランスという人の人柄がなせる業。「文は人なり」だ。

 “systemic discrimination”ということでは、たとえば自身の生まれもった肌の「浅黒さ」をなんとかして隠そうと従姉の使っていた漂白クリームをこっそり塗っては「神様、肌を白くしてください」とお願いしていたそうです。これだけでも胸が詰まる話ですが、人種差別主義的なイジメを受けたことをはじめ、「『クィア・アイ』のスター」として一躍、セレブの仲間入りを果たした現在もなお、空港の入国審査で足止めされ、別室で「検査」を受けるというくだりなんかは読んでいてやや信じられない、という思いさえ抱いていた。ちなみに英国はもともと階級意識が強く、住むところも労働者階級、中流階級、上流階級とはっきり色分けされている地区がいまだに存在しているような国。タンさんはこの本で、そんな英国でも NHS という医療制度は米国に比べてはるかにすぐれていると評価してはいるが、こと“systemic discrimination”に関しては、「僕らはいまだに、9月 11日が来るたび、危険な人種として身元確認作業を受けている」現実、その他いわれのない差別、根拠のない偏見にもとづく理不尽な扱いを受けたことなど、これでもかってぐらい具体的事例を挙げて、それでも「軽いノリで」書いてくれている。

 昔、まだ日本が「ナンバーワン」だともてはやされていたころ、日本人カップルがベツレヘムの紛争現場の真っ只中にフラフラ入り込んで、イスラエルとパレスティナ双方の兵士が撃ち合いを中断したって話、以前ここでも書きましたが、わたしたちもまた、肝に銘じなければならないと思う。やはり周囲を海に取り巻かれている島国で暮らし、それがアタリマエみたいに感じていると、ほんとうの意味でのリアルな世界がまるで見えなくなる。そういう意味でも、日本人ではない人の手になるこのような著作とその翻訳は、意識してでも読まないといけない。そういうふだんからの、「不断」の努力って必要だと思う。

 あと、これは付け足し的な話ながら、日本人以外の著者の本を(原書にせよ、邦訳本にせよ)触れることの効用を書いておきたい。

 たとえば、こんなコラムを見たとする。
……私の米国の知人は引退した普通のサラリーマンだったが、90 歳をこえるまで税金や医療費の申告をパソコンでやっていた。
ちなみにこの引用文、日本がいかにデジタル化の波に乗り遅れ、このままではヤバいぞと警告している(つもり)の定期コラム。かつて「ナンバーワン」だと言われていた技術大国日本はなぜデジタル化の流れではこんなにも出遅れてしまったのか、と「海外の人」から質問されると、「日本は旧来のやり方では非常に優れた仕組みを構築してきた。それがゆえに、デジタル化への対応を軽くみてしまった。別にデジタル技術に頼らなくてもやっていけると甘く考えていたのかもしれない」と答えるようにしているという、「なに言ってんだこの大学教授は、ダイジョブか?」とココロの中で毒づいていた口。

 米国では PC で確定申告は当たり前。どころか、公教育も州によってバラツキはあるだろうが、ほぼオンラインネットワーク化されていて、だいぶ前に見たヴァイオリニストの五嶋龍さんが自宅で仕上げたアサインメントをインターネット経由で学校に送信していた場面とかが印象に残っている。

 で、タンさんの本ではその米国における確定申告については、こんなふうに書かれてたりする。
アメリカに住むようになって一番悩んだのは、何といっても税金問題だった。最初に渡米したとき、アメリカ人がまさか税金の申告を自分でするとは知らなかった。個人が申告した税額を政府が信用するなんて、不条理だと思う。一度、知り合いの確定申告の様子を見せてもらったとき、あれも控除、これも控除って処理していた。アメリカの確定申告って、頭さえうまく回れば基本的には抜け道がいっぱいある。確定申告を一般人にやらせるのはおかしい。だって、ものすごく複雑なんだもの! それでいて、ミスすればうるさいほど指摘してくる。確定申告がアメリカ国民にとって必須の義務なら、学校の必修科目にするべき! だけど自分の税額は自分で計算しなきゃいけないのが現実。
「英国の医療費無料制度(NHS のことね)は百害あって一利なし」と言い切った夫ロブ・フランスのお父さん(つまり義父)に、タンさんは「英国に何年お住まいでした?」と訊く。すると義父は「住んだことはない」。「だったら医療費の話は誰から聞いたんです?」。「FOXニュースでやってた」!!! 

 …… 当たり前のことですけれども、新聞掲載のコラムだからって鵜呑みにするな、批判的に読め、ってことですかね。で、当方も昨年夏からフリーランスになったんで、この前はじめて(!)、「いーたっくす」なるものを恐る恐る使って申告したんですけど……申告じたいはわりとスムーズだったかな。でも、マイナカードの取得やら申告のために必要なオンラインツールがこれでもかってあって、そっちの下準備がタイヘンだった。もう少しなんとかならんのかねぇ …… って嘆息混じりだったんですけれども、ここで得難い教訓もありました。貧乏人こそ、しっかり確定申告すべきですゾ(還付金は貴重です、あと控除申告で使う領収書ももちろん忘れちゃいけない)!! 

評価:るんるんるんるんるんるんるんるんるんるん

posted by Curragh at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近読んだ本

2021年04月09日

『翻訳家の書斎』

 宮脇孝雄氏、とくると、日本を代表する英米文学、とくにミステリもの翻訳の大家。当方みたいのがこんなとこで取り上げるのはオコガマシイかぎり …… とは思うのだけど、図書館でパラパラめくっていたらめっちゃおもしろかったので、古い本(1998 年刊行)ではあるけれど、文芸ものの翻訳はいかにすべきかを考える上ではずせない書だと思ったのであえて触れておきます。もっとも、いわゆる「書評」めいたことは今回はいっさいやらず、ただ個人的にツボなところのみ取り上げるにとどめておきます。

 外国語辞書の版元として有名な研究社はかつて、「一流翻訳家が手の内を開陳する」みたいな本を立て続けに出していた時期がありまして、たとえば机の上にいつも置いてある飛田茂雄先生の『翻訳の技法(1997)』もそのひとつ。でも宮脇先生のこのご本は雑誌の連載コラムをまとめたものだからか、とにかく読んで肩の凝らない、翻訳よもやま話的な本。にもかかわらず、翻訳のカンどころはしっかりおさえてあるのはさすがです。

 本を開いてまず飛び込んでくるのが、「翻訳家の書斎にある道具」という章。なんでも英米の通販商品カタログはひじょうに重宝するとか書いてありまして、一例として Mars Bar に Victor なんてのが出てくる。前者はチョコレートバー、後者はなんと! オーディオメーカーではなくて、「ネズミ捕り器」の名前だという !! 

 でも、とイマドキの人は思う。べつにこんなのそろえなくても、ググればいいじゃん !! そう。たいていの調べ物はいまや Google で(ほぼ)一発 O.K. な時代。Google、恐るべし、いろいろな方面で。いまのところ個人的にはメリットのほうがデメリットを上回っているから、いつだったかここで書いたことをもう一度引っ張り出して繰り返せば、「コンテンツプロバイダーという巨人の手の上で踊らされてるだけじゃないかって気がする」自分がいる。

 とはいえたかだか 20 数年前の翻訳の現場といまとを比較してみれば …… やはり唖然とする。原書に出てくる映画の邦題がワカラナイとくれば、昔はそれこそ国会図書館だのどこそこへ問い合わせだのとやたら手間がかかり、行きもしないのに(!)NYC の地図とか商品名事典(薄っぺらいくせして5千円はした)とか持っていて、出てくるたびに引っ張り出して調べるのがおそらくどんな翻訳者にとっても当たり前だったと思う。

 いまはラクなもんです。でも出版不況かなんだかはよくわかりませんが、最近とくに思うのが、「単価下げ」、つまりダンピング。そういえばついこの前も第一人者と呼ばれる出版翻訳者の方が赤裸々に暴露した本とかその筋では話題になってましたっけね。駆け出しのペーペーながら、中身はちょっと気になるところではある。ただ、どれだけ MT(機械翻訳)技術が進化しても、あるいは AI の支援を受けた MT が「人力」翻訳を脅かすすようになっても、それを理由に人間の翻訳者の労力を無視した労働対価を押し付けるのは出版人云々以前の、人としてどうなん? という低レベルな話になってくる。ついでに、いまはアナウンサーをはじめ、「日本語のプロ」でなければならぬ人々の日本語レベルがどんどん低下しているように思えてならない。「え? なんでこんな言い回しがダメなの?」ということもしばしば。そのうち「ゆめゆめ〜」とか「いきおい〜」も、「〜なんだ」と同様、死語の世界入りする日も近い(「〜なんだ」は、川端作品にも出てくる過去を表す述語表現)。

 気持ちが暗くなるんで宮脇先生のご本にもどると、「翻訳家の仕事」や「小説を翻訳するということ」、あと誤訳に関して書かれてある章は、戒められる思いがした。とくに、「『翻訳家』という立場は、はたで見るより危ういもので、少し手を抜くと、たんなる『翻訳支援家』になってしまう(pp.47−8)」というくだりとか。ここの一文は、宮脇先生が当時(!)、アキバの PC ショップにて数万円は下らない「翻訳支援システム」の実演販売を見て食指をそそられたときのことと絡めて書かれてあるセクションの締めくくりの文章になります。

 最後にとっておきの一文と名訳を。おなじセクションの最後に紹介された話がまたケッサクだったので、ここでも引用しておきます。
 翻訳者というのは、もっと独立した存在であり、ある面では独裁者なので、自分の責任においては何をやっても許されるのではないかと思っている。
 もちろん、先の例のように、あとあと矛盾が起こるような誤訳はまずいのだが、翻訳者がびくびくしていたのでは、いい訳文が書けるわけがない。
 私がまだ 20 そこそこのころ、敬愛するある翻訳家に初めて会ったとき、前々から疑問に思っていた点を尋ねたことがある。その人の翻訳に少女が一人出てきて、原文では別の髪型になっているのに、訳文では「ポニーテールの少女」となっていたのである。
 未熟な私は、「もしかしたら、あれは誤訳ではないでしょうか?」と尋ねた。
 するとその人は、「おれはポニーテールが好きなんだ」と答えた。
 翻訳者は独裁者であっていい、と悟ったのはそのときのことである。

 ご本にはもちろん、古今の翻訳家の訳例もいろいろ収録されていて、そこだけ読んでも楽しいんですが、思わず脱帽、参りましたと言いたくなるスゴイ名訳もありました。それが、1987 年に王国社から出ていた『不思議の国のアリス』の 'Who are You?' の訳(p.58、訳者は北村太郎氏)。なかなかこうは訳せませんよ。なにがスゴいかって、原文の持つ韻まできちんと日本語に置き換えているんですぞ。一発芸的かもしれないが、不肖ワタシはしばしうなったままじっと凝視しておりました。とりあえず使えそうな手はいつか使えるはずだから、持ち駒としてメモっておこう。

「あーた、だーれ?」

補足:音楽関連の「珍訳」についても少し触れられてました。たとえば『謎のバリエーション(苦笑)』とか(もちろんエルガーの『エニグマ変奏曲』のことじゃね)。

 日本語表現では、こんなことも指摘していました(太字強調は引用者)。
 クラシック音楽に関する文章を読んでいると、独特な言い回しが出てくることがある。気になって仕方がないのは、「手兵」という言葉である。
 たとえば、有名な指揮者が、手塩にかけて育てたオーケストラを使って、演奏会やレコーディングを行ったとき、「巨匠カラヤンが手兵ベルリン・フィルを率いて……」などと書く。
 絶大な権力を持つ指揮者を陸軍大将か何かになぞらえたくなる気持ちもわからないではないが、「手兵」というのはいかにも時代錯誤ではあるまいか。……
 …… 考えてみれば、クラシック音楽にかぎらず、外国のものをどこか仰々しく輸入紹介するのは、ついこのあいだまでの私たちの習慣だった。昔は漢語で凄んだが、近ごろはカタカナで凄んだりする(インテリ用語にそのたぐいの言葉がある)。
 「手兵」、たしかによく見ますわ。そして最後の一文、ここ最近の「反知性主義」とか「フェイクニュース」とかの不穏な動きは、ある筋から一方的に情報や価値観を押しつけられ、そのせいで割りを食ったと不満を募らせている一部「大衆」の反逆を出現させたその一端というか萌芽の要因のひとつにも感じられたしだい。いまでもそうじゃないでしょうかね、某都知事あたりの会見見てればその口から出てくるのは横文字の奔流。ご丁寧にパネルにゴシック体で大きく書かれてもいたりで。こういうのばかり見させられ、そのじつ「3密は避けて」とか言ってる張本人たちがこれまた信用ならんときている(直近のニュースでも流れてくるのはそんな情けない話ばっか)。ことばが人の心におよぼす影響を侮るなかれ。特大のブーメランとなって跳ね返ってきますよ。

posted by Curragh at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近読んだ本