2021年05月28日

日本版 “Translation Studies” の必要性

 たまたま図書館で見かけたこちらの本。いかにもみすず書房らしいテーマの本だと思ったら、懐かしの『翻訳の世界』を取り上げた研究論文を叩き台にして書き上げたというのだから、ちょっとビックリ。ついにこんな本が出るほど、「わが青春の日々はすでに過ぎ去り」というか、昭和は遠くなりにけり、なんだなァと思わずひとりごちた。

 月刊誌『翻訳の世界』は、とてもユニークな立ち位置の雑誌だった。内容も硬軟織り交ぜ、とにかく「翻訳」と関係するものは時事問題(湾岸戦争、通信社の舞台裏、『悪魔の詩』事件、国際結婚 etc……)からマンガまで、来るものは拒まず的な言論雑誌だった。しかもなんたる皮肉か、もともとの発行元は「大学翻訳センター」、現在の DHC なんですぞ。しかもこの雑誌のよかったところは、対立意見や主張などおかまいなく、幅広い執筆者が精力的に記事を書いていたことだ。運営する翻訳学校の広報誌的役割(広告塔)も果たしていたから(これはしかたないこと。民間企業が刊行している「商業誌」だったので)、自社宣伝がハナについていたとはいえ、いまどきこんなおおらかな内容の言論雑誌は望むべくもないだろう、と思う(いまの国内の言論がいかに歪められているかは、書店に並んでいる本や雑誌を見れば一目瞭然)。

 本書の著者も巻末に慨嘆しているように、「あのころは多文化・多言語主義というものが十年後には当たり前の社会が来ると感じていた。しかし、これが全くの誤りであり、今は逆行しているように感じることも多い」。

 せんだってここにも書いた systemic discrimination もそう。当たり前だと思って意識してないから、ことはややこしくなる。そんな一例が、すでに 1986 年の『翻訳の世界』誌上で当時、『過越しの祭』で芥川賞を受賞した米谷ふみ子さんのインタビューとして載っていることも紹介している。
日本でもあります。アメリカはまだ法律によって保護されてるんです。日本の場合は法律もないでしょ、偏見に対して。だから危ないです。日本に住んでる日本人はそのことを知らない。…… 教えやすいし、操作しやすい。右向け言うたらみんな右向きますよ。違うことしたくないから。それが嫌な人はみんな出ていってしまう。──「マイノリティの生活経験を伝えたい」から

 英国やドイツでは「人種主義的な差別発言や言動は禁止されており、差別的なことを口にしただけで拘束されることもある」くらい厳しいにもかかわらず、このインタビューが掲載されてから 34 年後の欧州では新型コロナのパンデミックに悪乗り(?)したかのようなアジア系住民などに対するレイシズムの嵐が吹き荒れたことは記憶に新しいところ。

 といってもこの本は、かつて日本に存在したユニークな雑誌をただ懐古してるんじゃなくて、そういった言論雑誌というレンズを通して見たトランスレーション・スタディーズ、「翻訳論(カタカナ語とはニュアンスは異なってはいるが)」の可能性について論じた本。駆け出しのペーペーがこんなこと言うのは口幅ったいのですが、この本読むまで正直、「翻訳論」の必要性について真面目に考えことはなかった。ある意味、「技法と実践」のみに拘泥していたのかもしれない。柳父章さんとかはもちろん知っていたし読んでもいたけれども、海外ではこの手の「トランスレーション・スタディーズ」が盛んで、ご多分に漏れず大学制度「改悪」の進んでいるらしいイングランドの大学(著者の勤務先)では翻訳を学ぶ専門の学部や学科が存在している、と知ってすこぶる新鮮だった。こういう専門学部では、たんに翻訳技術を教えるのではなく、それをはるかに超えた「学問としての翻訳」を教えているという。たとえば、実際の仕事で必ずと言ってよいほど悩みのタネとなる背景知識の調べ方や習得などについても教え込み、このへんが日本国内で翻訳を教える民間学校とは決定的に異なるところだと書いている。

 「雑誌の分析だけでなく、インタビューという手法を取り入れた」とあるように、後半は『翻訳の世界』に携わった関係者諸氏のインタビューで構成されてますが、ここで一点、気になった点が。発行元が運営していた翻訳学校の当時の生徒になぜインタビューしなかったのかな、と。あいにくこちとらも数年間、定期購読していた『翻訳の世界』が山のようにあったけれども、とっくの昔に一部だけ残してすべて処分してしまったし(いまにして思えばモッタイナイことしたかも。地元の図書館に寄贈するという手も考えたが、先述したように「広報誌」的性格がイヤだったため、断念)、お声がけしてくれれば(あるわけないが)、喜んで差し上げたものを。

 あと印象に残っているのは、「翻訳を深めようとすればするほど、その政治性とイデオロギー性を確認することになる」とか、スラヴ文学者の沼野充義先生が著者のインタビューで、「アカデミックな研究の営みは、…… 自由なものでなければならないのではないか。すべてを既成の規範にはめて考えていたら、新しいものは生まれない。翻訳研究の場合も、一定の枠組みからはみ出すところにむしろ豊かさがある」として、欧州生まれの「トランスレーション・スタディーズ」の亜流ではない、1970〜80 年代にかけて芽生えつつあった、日本独自の「翻訳研究」の経験と実践を活かすよう述べていることはひじょうに示唆に富む発言だと思った。

 「翻訳とイデオロギー」ということでは、もうすぐ日本語版が出るトマ・ピケティの新作『資本とイデオロギー』のテーマとも重なる部分がけっこうあります。というわけで著者の次回作もおおいに期待しております。

評価:るんるんるんるんるんるん

posted by Curragh at 13:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近読んだ本

2021年05月02日

画家クールベの生き方に学ぶ

 いまさっき見た「日曜美術館」のクールベ特集。率直な感想は、「なんて戦闘的な人だ(汗)」。

 ギュスターヴ・クールベの名前をはじめて知ったのは、小学生のときに親に買ってもらった『美術の図鑑』に載っていた「こんにちは、クールベさん」。当時、この油絵作品(のカラー図像)を見て思ったのは、「自分で自分のことを『クールベさん』って言っちゃうんだ(笑)」と、なんて気さくな人なんだろ、ということ …… だったんですけど、じつは帽子をとって挨拶している相手というのがなんと当時、クールベの生活を支えてくれていた懇意のパトロンその人ですと ?! しかも『ゆるキャン△』に出てくる松ぼっくりよろしく「\コンニチハ/」されている画家クールベといえば、ふんぞり返って、パトロンなのに相手を上から目線で睥睨している。…… あれから 40 ウン年、気さくどころか、ハナもちならぬ男だったことが遅まきながら判明した(微苦笑)。

 でもクールベという人は、見ようによってはハナもちならない、「世界一傲慢な男」だったかもしれないが、こと芸術となると「レアリスム」つまり写実主義を提唱してそれを生涯、ブレずに一枚看板にして画業に励んだ結果、晩年になってようやくサロンにも認められ、まだ 20 代だったクロード・モネ(!)とも仲よくなったりと、時代の先を行っていた画家だったのはまちがいない。加えて、いまで言う炎上商法的なこともやっていたりと、「ドル紙幣をたくさんもらったときだけぐっすり眠れる」と豪語していたサルバドール・ダリもあのギョロ眼をさらにギョロつかせるくらい、そういう方面にかけても先駆者だった。「個展」というのをいちばん最初に開いたのもじつはクールベだという。

 最晩年、政治犯として投獄されたり、釈放後に失意のままスイスに亡命したりという話は、なんか哀れな末路にも思える。もしそんな政治的誘惑に乗らず、おのれの目指す道を独立独歩で突き進んでいたらと思う。そういう反省もあるのか、番組では「わたしはいかなる宗教にも、いかなる流派にも、いかなる組織にもただの一度も属したことはなかった」ということばを紹介して終わっている(ところであのバカでかい『画家のアトリエ』という作品、あれまさかホンモノなのだろうか?)。個人的に印象的だったのは、一連の「海」の連作もの。白い石灰岩の絶壁の景勝地エトルタの海景ってモネじゃなくて、クールベが最初に目をつけて描いてたんですね、知らなかった。

 ある意味孤高の人だったかもしれないクールベさんですけど、ひるがえっていまのアーティストってどうでしょうか。どこの世界も分業化が進んでいるから、なかなかそういうわけにもいかないとは思うし時代も違うから、単純な比較はいけないかもしれない。しかし「われわれアートの世界の人間にも○○の権利を !!」というのは、なんかちがくね? とも感じてしまう。

 そもそもアーティストって反骨の人、権力の対極にいる人のことでしょう。そういうのはほかの方にお任せしたらどうですかね。アーティストがほんとうにやるべき仕事って、ジョイスの言う「エピファニー」を創り出すことだろう。政治的・教訓的芸術ではないはず。クールベだってそうでした。また、SNS でさかんに発信したりするアーティストも多いし、それはそれでけっこうながら、アーティストのほんらいの仕事との比重が狂ってしまっては本末転倒だとも感じている。

posted by Curragh at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術・写真関連