2021年09月24日

「茶色の石造りの建物」って?

 最近、ひさしぶりに参考文献を必要とする案件がありまして、いつものように図書館へ(滞在時間は 30 分以内にせよとのお達し !!)。2冊借りまして、とり急ぎこちらがほしい情報が書かれてあるくだりを読んだ。でもってそちらの訳稿はもう納品したので、あとはふつうに楽しみつつ秋の夜長の読書。

 1冊めを訳したのは、某新聞社の元記者だった手練れ(てだれと読む)の物書きの男性。もう1冊のほうは女性訳者の手になるもので、フツーに先入観なく読んでみた一読者としては、圧倒的に後者の訳書が読みやすかった。もっともこれは、後者の原書の対象読者層が YA つまりヤングアダルトだった、ということもあるかもしれない。でも2冊とも書いたのは「読ませる文章のプロ」たるジャーナリストの著者。後者の「訳者あとがき」を拝読しますと、「日本語版ではとくにそれ[YA 向け]を意識することなく大人向けとして訳した」とあるから、翻訳者の個性、もしくは編集者の手がかなり入った結果の読みやすさだったと推察されます。

 ベテラン訳者の手になる前者の場合、1989 年の消費税導入直前(!)に刊行されたという「古しい(西伊豆語)」本ゆえの宿命みたいなところはあろうかとは思うが、「オラだったらこんな言い回しは使わんなぁ」という箇所が頻出して少々くたびれたのも事実。でも全体としてはすっと読めるし、話が話だけに(原爆技術を共産圏にダダ漏れさせたスパイ学者の話)とてもおもしろい……んですが、いきなりこういうのが現れた──「改装ずみの茶色の石造りの建物」。

 英語ができる人はいっぱいいるし、海外在住の英日翻訳者もゴマンといるからここで言うのも気が引ける……のではありますが、コレ原文見なくてもぜったい brownstone の家のことですよね。その少し先の箇所にも、またまた「茶色の石のアパート」なんてのが出てくる。

 brownstone は 19 世紀から 20 世紀初頭の米国では高級邸宅の象徴みたいな石材で、「赤褐色砂岩」のこと。英米文学がお好きな方なら、以前ここでも取り上げたトルーマン・カポーティの短編『ミリアム』にも出てくるから、あああれのことかと思い出されるかもしれない。↓
For​ ​several​ ​years,​ ​Mrs.​ ​H.​ ​T.​ ​Miller​ ​had​ ​lived​ ​alone​ ​in​ ​a​ ​pleasant​ ​apartment​ ​(two​ ​rooms​ ​with​ ​kitchenette) in​ ​a​ ​remodeled​ ​brownstone​ ​near​ ​the​ ​East​ ​River.​..
 おそらくこの brownstone、辞書にも当たらず適当に片付けちゃったんでしょうね。それとも知っていたけれども、うっかりやってしまったかのどちらか(鈴木晶先生が“corn”を「麦の穂」ではなく「トウモロコシ」と、知ってはいたけれどもついうっかり誤訳した話を著書で明かしている)。

 もっともこの手の間違いはだれにでもあるし、そんなこと言ったらオラもずっと穴の中に籠もってなければならない。だから、たとえ何冊か翻訳書籍を世に問うているような人でさえ、「わたしは翻訳」なんて麗々しく公言するもんじゃないと思う。「翻訳」ならば OK 。日本語の肩書きの「〜家」というのは、それこそその道の大家にでもならないかぎり、気安く使っちゃマズいずら、と個人的には思っている(にしても、いくら宣伝のためとは言え、ブログやら Twitter やらでやたらと「翻訳」を名乗る御仁が多い。よっぽどウデに自信がおありなんでしょうねェ……)。

 それともうひとつ「ほえッ !?」と思ったのは、この一節。
……自分の報告をタイプし、これをカーボンでコピーし、そのコピーをもって……出かけた。
 昨年、タイプライターがらみの記事の訳を担当させていただいたことがあり、またちょうどおなじころ、無類のタイプライター・オタクで知られる俳優トム・ハンクス氏が豪少年に「コロナ」製の黒光りするヴィンテージものタイプライターをプレゼントしたという心温まるニュースにも触れてにわかにタイプライター熱が高まって、ほとんど勢いで 45 年ほど前に製造されたブラザー製タイプライターを某オークションサイトにて入手した経験がある者としては、ここの訳はちょっと信じられない。

 欧文タイプライターでカーボンコピーつまり文書の「複製」を作成するには、「領収書」を切るときとおなじ──すなわち、タイプする原稿用紙を2枚重ね、間にカーボン紙を挟んでバチバチ打ち出して正副2通作成する。当たり前だがコピー機なんてない時代。タイプ打ちした文書なり原稿なりをコピーしようとしたら、これしかやりようがなかったはずです。

 ついでに脱線すると、電子メール(っていまどきこんな言い方しないか……)の「CC」ってのもタイプライター時代の名残。文字どおり「ーボンピー」の頭文字をそれぞれとった呼び名です。「RE:」というのもそう。あれはほんらいはラテン語の“res”(=regarding)であって、“reply(response)”ではない。

 1冊めの本にもどりまして、そうは言っても内容はそれなりにおもしろいので、やはりこの手の歴史資料的な文献が日本語で読めるのはとてもありがたい。2冊めのほうもさすが手慣れたジャーナリスト的な軽快さがあって、おなじ人物を書いても視点が違っているからそれはそれでまたをかし(♪比べるの好き、すごく好き、なてんびん座)。

 ちなみに2冊めのほうを訳されたのはこちらの先生。「文は人なり」って言いますが、やはりこういう姿勢の方が手がけた訳書は安心して読めますね。でもたとえば男のワタシが訳すのと、女性訳者が訳すのとでは、同じ原文でも明らかに違いが出ると思う。原著者が男か女かでも違いが出てくるとは思うが……このへんもまた比較研究してみるとヌマにはまりそうで、ある意味コワい気はする。げに奥深き翻訳の世界。

posted by Curragh at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 翻訳の余白に