最新作『ラブライブ! スーパースター!!』は、ここまで観てきた一視聴者の率直な感想としては、これまでのシリーズで一貫して流れていた“One for all, All for one”などのメッセージも含め、もっとも完成された作品に仕上がっているのではないかと思った(制作陣の方、お疲れさまです。いつもステキな物語をありがとう)。
前にも書いたけれども、このアニメシリーズはどういうわけか(?)バッシングする向きも多くて、そのへんが「アニメだろうがルネサンスの傑作絵画だろうがバッハだろうがすばらしいアートはおしなべてすばらしい」芸術至上主義的人間な門外漢にはサッパリ理解できんのですが、この最新作に関しては主人公の澁谷かのんの実家という設定の某喫茶店さんとちょっとしたトラブルになったりと(これは制作側も落ち度があったとはいえ)、出だしからすでに前途多難なところもあって大丈夫かなと思いつつも、初回放映から欠かさずに観てきた。初回放映で流れた挿入歌に関しては、「○○ハレルヤ」と名のつく楽曲はほかにもいくつかあるから、既視感ならぬ既聴感のほうが先に来たということくらいが気になったと言えば気になったくらいで、物語の構成や小物を象徴的に使った場面、そしてなによりも Liella! メンバーとなっていく5人の少女たちそれぞれの内面描写がほんとうにすばらしくて、さすが『ラブライブ!』シリーズだとうなってしまった。
これには、観る者の心に鋭く刺さる科白をここぞという場面でキャラクターにしゃべらせる、脚本とシリーズ構成の花田十輝氏の名調子のなせる技かとも思う。個人的にもっとも心に響いた、というか痛いほど身にしみた科白は前回、澁谷かのんが幼少時の自分に向けて語りかけていたシーンだった(ちなみに、かのんの父上の仕事がなんと翻訳業 !!! ってのもビックラこいた。さらに祖母が「スペイン人」だそうで、つまりかのんはクォーターということになる)。
澁谷かのんは歌が大好きなのに、人前に出ると極度のアガり症を発症させてしまう。そのきっかけが小学生のときに出場した、「N コン」を思わせる合唱コンクールのステージでぶっ倒れてしまった事件だった。以来、それがトラウマとなり、旧音楽学校が前身の新設校、私立結ヶ丘[ゆいがおか]女子高等学校の音楽科入試でも歌えなくて失敗。「バ〜カ、歌えたら苦労しないっつーの!」。そんなかのんが中国からやってきたスクールアイドル大好き留学生の唐可可[タン・クゥクゥ]と出会い、彼女とコンビを結成したことで徐々に自信をとりもどし、その後加わったあらたな仲間といっしょだと歌えるようになったのだが、小学生のときのトラウマからは逃げたままで、完全に克服するには至っていなかった。そのことを察した幼なじみの嵐千砂都が、あえて「独唱」のステージ、しかもぶっ倒れたのと同じ母校の講堂ステージにかのんを押し出す(余談だが、かのんが通っていた小学校の「講堂」ってのがこれまたリッパすぎて、プロセニアムステージの音響反射板のデザインが NHKホールのとそっくり !! 当然、大オルガンはありませんが)。
大道具なんかが雑然と置かれているステージ裏で、そのかのんが嵐千砂都に電話を入れる。
ちーちゃん、ありがとね。…… わたし、みんながいたから歌えてた。それでいいと思ってた。でもそれじゃダメなんだよね。だれかを支えたり、力になるためには、ちーちゃんががんばったみたいに、ひとりでやり遂げなきゃいけないんだよね ……
ここで、合唱コンクールのときとおなじ絵柄の世界地図が背景に現れる。かのんはかつての幼い自分と向き合って、「大丈夫。大好きなんでしょ、歌?」と話しかける。
…… まだ遠くまで旅を続けなければと思っていたところで、われわれ自身の存在の中心に到達するだろう。そして、孤独だと思い込んでいたのに、じつは全世界が自分と共にあることを知るだろう。―― ジョーゼフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』( 飛田茂雄訳『神話の力』、早川書房刊、太字強調は引用者 )
これは、『サンシャイン!!』で桜内梨子が、ピアノが人前で弾けなくなったトラウマと向き合い、文字どおり自身の心の奥底へ「下降して」いった内浦の海にキラキラと陽射しが差し込んだ場面がどうしても思い出される。拙冊子では、ここをカール・ユングの言う「夜の海の航海」が響いていると書いたのだが、かのんのこの場面はもっとわかりやすく、もっと直接的な表現で、「かつての自分と真正面から向き合う」というふうに描いている。ココがすばらしい。
たとえば μ's の活躍を描いた劇場版『ラブライブ!』。クライマックスで、主人公の高坂穂乃果の分身ともとれるナゾの「女性シンガー」が穂乃果に向かって、「答えは見つかった? …… 飛べるよ …… いつだって飛べる! あのころのように!」と、行く手を塞ぐように広がっている水たまりから逃げず、自分を信じて思い切り飛ぶように促すシーン。劇場版『サンシャイン!!』でも冒頭、なぜか(?)会ったことがないはずの幼少時の高海千歌と桜内梨子が、千歌の実家の旅館前に広がる三津[みと]浜で出会って、紙飛行機を飛ばしてたりしていた。
ワタシはこういう、一見して矛盾しているが、あえて象徴性を全面に押し出した手法はアリだと考えているので、これはこれでいいと思ってるんですが、はじめてこの手の作品を鑑賞するような人の場合は「なんてとっつき悪いんだ」というふうにもとられかねない心象風景の描き方でもある。その点、『スーパースター!!』のように、幼少時の自分と直接向き合ってトラウマを克服したかのんの描き方は正攻法で、正解だと思う。このときはじめて、かのんは「ほんとうになりたい自分」になれたのだと思う。まさにキャッチコピーどおりの「わたしを叶える物語」! このへん、ホセ・オルテガ・イ・ガセットの「わたしは、わたしとわたしの環境である」という名言とも重なってくる(最近、個人的には聞き捨てならないヘンテコな造語がはやっている。それがなにかはあえて言わないが、けっきょく最後にどうするかを決めるのは、仲間の力も大事だが、それはあなた自身しかいない。これはいつの時代も変わらない真理だと思っている)。
あとこれも何度も言っているからくどいと思われるだろうが、畑亜貴氏の歌詞、そしてそれ以外の挿入歌の楽曲も、「神ってる」。と同時に、トラウマのきっかけとなった同じステージで、かのんがみごとな独唱を聴かせてくれたシーンを観ながらちょっと不思議な感覚もおぼえていた。はじめて Liella! というグループ名を耳にしたとき、「なんか英国のボーイソプラノグループの Libera みたい」と思ったものだが、澁谷かのんの美しいソロは、かつて自分がよく聴きに行っていた少年合唱団や少年聖歌隊の演奏会で美声を聴かせてくれたソリストたちの姿とも重なっていた。歌詞のすばらしさと、バラ色の頬の少年ソリストたちの面影がダブって、ことさらに印象に残る回だった。
いつものように2期へと確実につながって最終回は終わるだろうから、まだまだ『ラブライブ!』シリーズには目が離せないのだ!
チャンスはある日突然
目の前に舞い降りてきた
思うかたちと違っても
そっと両手を伸ばしたんだ
なにが待つの? なにをやれるの?
勇気出して進もう
できっこないよって思ってたことも
踏み出せばほら叶うんだ
新しいわたし
いま 始まるよ Symphony