2021年11月30日

単数か複数か、可算か不可算か、それが問題だ

 先日、ちょっと調べもので Web の海を漂流していたら、「“have a lunch”は間違い !! 正しくは不定冠詞なしの lunch で」とか、「I had a lunch. は特別なランチ!」とか、そんなことを麗々しく掲げた学習(?)サイトに打ち上げられた。

 問題は、その説明のしかた。「通常メニューだけどおいしい食事も特別なものとして扱うので冠詞を付けます」みたいなことを書いてあったので、オイオイちょっと待ってくれずら、と。

 ようするに「その人にとって特別なランチなら不定冠詞付き、そうでないふつうのランチは無冠詞」とのことなんですが、まさか向こうの人間がそんなこと考え考え発言しているわけもなし。これ、英語における冠詞というものの本質に関わる大問題だと個人的には思ってるので、揚げ足取りみたいにとられるかもしれないが、門外漢でもあえて聞こえるように文句を言う(♪ごはんですよ〜、ダジャレが古すぎてわかんないか)。

 ひらたく言えば、これはかつてベストセラーだったこちらの新書本に書いてあるのと言ってることは重複するんですが、こういう言い回しの不定冠詞のある・なしというのは、「発言者にとって印象に残っているかどうか」のサジ加減でしかない。つまり感覚ひとつ。もしその人にとってなんのことないフツーの、取り立ててどうということのないランチならば無冠詞だけれども、「○○の店のランチはうまかった」とか、たまたま印象に残っているからそれはその人にとって意味あるランチになったにすぎない。その微妙な心の動きが、不定冠詞として表に出ただけのこと( lunch、dinner、supper はふつうは無冠詞扱い )。「a が付いているからそれは特別なランチ/食事/ディナー」というわけじゃない。逆だ。このさい特別かどうかはどうだっていい。その人にとって印象に残っているから不定冠詞付きになる。もっとも手許の『ランダムハウス』で確認すると、不定冠詞付きは“a late lunch”、“a business lunch”と修飾語を伴ってもちいられるのが一般的らしい。

 でもたとえばある英米人がしゃべっている最中、「アレレ不定冠詞付きにしちゃったけれども、ええいままよ! このまま move on! move on!(cf. 「虹色 Passions!」)」なんて場合だってあります(にんげんだもの)。単数か複数かにしてもそうで、たとえば“There are some people who are doing such and such ...”のはずが、つい“There is some people who are doing such and such ...”ってやっちゃう場合がある(単数複数混在文はわりと見かける)。people はこれだけで複数的に扱われる名詞の代表格ですが、「ある特定の人びと、民族」という概念で口にすれば、ナニナニ+ peoples複数形になる。このへんが感覚的にわかるようになるまでがけっこうタイヘン。「どこそこの人びとか、指折り数えて言っているのか、そうでないのか」といった感じでしょうかね ……。くだけた調子でズラズラ殴り書きしたようなコメントや書き込みなんかに、とくにそういう崩れた英文が散見される。
And so, to all the other peoples and governments who are watching today, from the grandest capitals to the small village where my father was born, know that America is a friend of each nation, and every man, woman and child who seeks a future of peace and dignity. (オバマ大統領の就任演説から)

ついでに「聖職者(階級)」を意味する clergy も、「ひとりの(男性)聖職者」だったら a clergyman となって、ほんとややこしや。

 だいぶ前にもおんなじこと書いたけれども、冠詞の習得はほんと日本人には最難関で、昔は「前置詞3年、冠詞8年」とかって言われたもの。前置詞や、前置詞を含む句動詞なんかをマスターしても、冠詞の使い方の習得になおこれだけの年月がかかるよ、ということをわかりやすくたとえたもの。前置詞より冠詞習得のほうが長くかかるため、冠詞の使い方がいかに難しいか、ということを表した言い方になります。

 で、先述したようなサイトによく引き合いに出されているのが、たとえば“do lunch”。でもこれって「英辞郎」によりますと、なんでも半世紀くらい前のハリウッド起源の、言語史的にはわりと新しい口語表現なんですね。英語も日本語もナマモノには違いない。だってシェイクスピア時代の言い回しでカッコつけたつもりで“good speed”を! なんてだしぬけに言ったら、向こうの人間でもそれと知らなければなんのこっちゃとキョトンとするばかりだろう(意味は“good luck”。そうそう、昔読んだジャック・リッチーの短編ミステリで、“She's expecting.”という言い回しを覚えたもんですが、いまじゃズバリ“She's pregnant.”って言っちゃう世の中でゴザイマス)。

 ということなので、老婆心ながらひとこと申し上げたしだい。で、たまたま昨晩の「ラジオ深夜便」で定期的に登場するロバート・キャンベル先生による井上陽水の歌詞を英訳してみよう! 的なコーナーを聴取してまして、個人的にはむしろこちらを聴いていただきたいとも思ったしだい(「らじる☆らじる」アプリ、Web 版ストリーミングサービスでは今週いっぱい聞き逃し配信をしています)。

 冠詞のある・なしと肩を並べるのが、「可算名詞の単数・複数」の問題。キャンベル先生は、井上の歌詞の訳詞という作業を通じて、「なぜここは無冠詞でもなく単数でもなく、複数形にしなければならないか」、その理由を懇切丁寧に説明されています。オラなんか感激して、「そうそうコレなんだYO、オラが聞きたかった単数複数問題の説明ってのは! MAN ALIVE !!」ってひとりで勝手にぶっ壊れてたくちです。

 もしほんとうに英語という言語の構造、native speakers と呼ばれている英語話者の人がどういう発想で名詞の単数・複数を使い分けているかを知りたいと思ったら、マーク・ピーターセンのような定評ある先生のご本でもいいし、キャンベル先生のご本でもいいから、とにかくそっちを読んだほうが長い目で見ればはるかにマシかと、重ねて申し上げておきます。

 後日、今回のことともからめまして、「それじゃオマエはどんな本で英語を学んだのか?」という疑問へのアンサーとなるような、いちおうこれでも英日翻訳者のはしくれとしてオススメして恥ずかしくない英語の学習本を何冊かご紹介したいと思います(以前も散発的に紹介したのかもしれないが)。とりあえずコロ助のこととか書いたあと、年末までには投稿するつもりではおります。

posted by Curragh at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 語学関連