2021年12月31日

おおいに溜飲を下げた話+英語学習本

 先日、某経済紙夕刊に、字幕翻訳者の戸田奈津子氏のインタビューが連載されていて、ふだん思っていることをこのような押しも押されぬ第一人者の先生が言ってくれている(remarks about what I think on behalf of me)内容だったので、記事読んだ人にとってはウザイと思われるけれども、ここでもすこし紹介しておきます(一部表記を変えてあります。太字強調は引用者)。
【会話先行の英語学習法には疑問】
文法は頭が柔らかいうちにしっかり身につけておかないと、後から勉強するのは大変ですよ。会話は後からでも平気。私は学生時代に基礎をやっていたから先が伸びたと思います。会話だけ先にやっても、理屈が分かってなければ絶対に伸びませんよ。難しくなくていいけど、基本となる文法はちゃんとしておかないと、絶対上達しません。
三人称の s を落としたら教養がないと思われる。いくらペラペラしゃべっても、s を落としていたら教養を疑われ、敬意を払ってもらえません。基礎がしっかりできていれば、そういう間違いはしないのです。

【英語以前に、日本語を学ぶ大切さを強調】
最近は若い人が漢字を読めないようで、映画会社は漢字をひらがなに、と言うけど、かなが並ぶと読みにくいのよ。字数は食うわ、昔の電報みたい。たとえば「拉致」ならば瞬間で分かるけど「らち」だと考えちゃう。そういう場合、私は漢字にしてルビを振るの。日本語はほんらい、字幕に向いた言語なんです。一文字で意味が伝わるし、見た目も締まります。字幕の漢字は使いでがありますね。

文部科学省には「英語より先に、まず日本語を勉強させてください」と言いたいです。英会話も仕事で必要なら、死に物狂いでやるべきよ。でも100人が100人英会話をやらなくてもいいけど、日本語は違う。アイデンティティなんだから。なぜそれをおろそかにしているのかわかりません。

英語の原文はアメリカの大衆向けに作られていて、意味を理解することはそんなに問題ではない。どういう日本語に的確に訳すかが一番の要だから、日本語を知らないとダメ。日本語の語彙や言葉のニュアンスを知らないとぜったいにダメ。
長年、生き馬の目を抜くような業界で第一人者として駆けてきた戸田さんのことばには身に沁みるものがある。

 蛇足ながら、新聞記事にはルビ振ってなかったけれども、「要」は「かなめ」と読む。「理」はどうですか、ちゃんと読めますかね? 日本語ネイティヴが日本語を知らず、読めず、書けない[表現できない]のに、どうして「翻訳者になりたい」などと言えるのでしょうか(昨今の女子アナと呼ばれる人たちの言葉遣いはとくにヒドい)。またこれは最近、とくに思うんですが、いくら翻訳のトライアルの要綱に「TOEIC ○○点以上の方」とかってあっても、「クリアしているオラは翻訳ができる」なんて思うのはお門違いもいいところで、トンでもない話。

 当たり前って言えば当たり前なんですけれどもどうしてどうして、こと翻訳の話となるとこの「常識」がとたんに通用しなくなるから不思議です。「ワタシは野球一筋でやってきたからプロ入りできる」、「ワタシは音大を出たからプロの音楽家としてやっていける」という言説とおんなじくらいバカげているってことにまず気づいてほしい。

 もしほんとうに翻訳、とくに読み物系の英日翻訳をやりたければ、なんでもよいから図書館から訳書を借りてきて、原書と首っ引きで比べ読みするといい。できればその前に、ご自分でもその原書のアタマだけでもよいから訳してみる。できあがったら数日寝かせて、また手を入れる。よし、これで完璧だ、と思って、先達の翻訳書と比べてみる。とたんに彼我の実力の差に愕然とするはずです。

 ネット記事、あるいは戸田氏のインタビューを掲載していた経済紙のように、日本の新聞に転載されている記事の邦訳はどうなのか。これはだいぶ前にもここで書いたような記憶があるけれども、ページやスペースの制約上、どうしても要らん情報は端折ることになります。つまり「全訳」ではなくて、「抄訳(thin translation、「薄い翻訳」ジャナイヨ)」です。だからといって、「正しくない!」と糾弾するのは困りもの。そういえば以前、こんなこともあったようですが …… んなこと言ってたらキリないし、だいいち日本の読者がそこまでキッチリ読みたいと思うものでしょうか。新聞を隅から隅まで熟読玩味する人も、いないわけじゃないでしょうけれども。でも、「新聞なんだから、とりあえずそこに何書いてあるのかがわかればそれでいい」って思う人がほとんどではないかしら。

 というわけで、先日ここで書いたように、ワタシが手許に置いてある英語学習本をいくつか紹介して、またしても混迷をきわめた 2021 年を締めくくりたいと思います。

英語正読マニュアル(研究社出版、2000)
アクセントや引用符、コロンやセミコロン、スラッシュ(/)、イタリック体の説明から、大文字・小文字の区別、乗り物の表記のしかた、句読法(パンクチュエーション)、固有名詞や誤用についてなどなど、まさしく「痒いところに手が届く」読み応えありすぎな一冊。「英文を読めた気になっている」英語力に自信のある人向きの本。

 もし「中学英語からやり直したい」という人には、『ゼロからわかる英語ベーシック教本』や、また NHK の英会話講師としてカムバック(?)しているこちらの先生のご本もよいと思う。
日本人の9割が間違える英語表現100(ちくま新書、2017)
これも目からウロコみたいな学習本。お題のとおり、非英語ネイティヴの日本人が間違えやすいところを丁寧に解説してくれる。「“See you again.”を連発する日本人」、「come と go の使い分け(こんな基本もできずに短期留学したい、なんておこがましいかぎり)」、「I'm sorry と Excuse me の使い分け」、「遊びに行くは play ではない」などなど、一読するだけで「正しい英語話者の感覚」の片鱗が会得できようというもの。

 以前もここで紹介したこの本と合わせてオススメしておきます。例文つきでもっと手っとり早く読みたい向きには、❸『英語の品格』という新書本はどうでしょう。よく「英語には丁寧な言い方がない」なんてウソぶいてる人がいますが、人間の言語なんだからそんなことはもちろんない、という実例をてんこ盛りの豊富な文例で教えてくれる良書です。

英語のあや(研究社、2010)
東大の現役の先生であるトム・ガリー氏の本で、雑誌「英語青年」その他媒体に寄稿した文章をまとめたもの。エッセイふうな書き方ながら、「ことばを学ぶと何か」、「初対面の相手に依頼するときに“Will you 〜”はたいへんぶしつけな言い方」、「日本人が書く英文に思わず知らず出てしまう“味”とは」のような、英語と日本語とのはざまを往き来する人なら誰しも思い当たることがコラム仕立てで随所に書かれてあって、コラムを拾い読みするだけでもたいへん参考になる。とくに巻末近くのコラム「外国語学習の害」を読むと、いまはやりの「外国語早期学習」にまつわる論争が、100年以上も前の英国ですでに戦わされていたことのエコーにすぎないことを知る。

 え? たったこれだけ? って思ったそこの方。もちろんまだまだ持ってますけれども、以上の本をマジで端から端まで読むだけでも、冗談抜きにウロコ落ちまくること請け合いです。最近、某オークションサイトでさる個人の方から入手した T・H・セイヴァリーというクモ学者(!!)の先生が書き下ろした『翻訳入門(The Art of Translation, 1957)』の日本語版。日本語版刊行からでもすでに半世紀は経過しているというのに、いやもう、開巻早々ビックリした。最終章がなんと、「機械翻訳」なんですぞ !!! しかも英⇔仏語間の翻訳における機械翻訳の未来について書かれてあったんですが、原始的ながらも翻訳者が介在して手を入れればそれなりに使い物になるくらいの訳には仕上がっていたことにほんとうにビックリした。なるほど、こんにちの AI 支援翻訳(いまも MT 翻訳って言うのかな?)の基礎は戦後まもないころにすでにあったのね。

 字幕翻訳の話に戻れば、字幕というのはある意味、究極の翻訳だと思う。「科白が正しく訳されてないじゃないか!」とケチつけるような人は、なんてことない、字幕もなにもないオリジナルを気が済むまでご覧になればいいだけの話。もちろん吹き替えに逃げちゃダメですぞ。オリジナルを観るべきです。

posted by Curragh at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 語学関連

2021年12月25日

小さき者を想う日

 真夏に猛威を振るった COVID-19 デルタ変異株が秋に入って急に下火になり、思う存分手足を伸ばすこともできない、そんな息苦しささえ感じていたひとりとしては正直ホッとひと息つけた気がしていた。けれども、どうやらそれも終わりで、またぞろ実効再生産グラフは上向きになってきた。欧米しかり。そして遅れて日本でも。

 今回、個人的に思い知ったのは、このウイルスは水際作戦だけでは勝ち目はないということ。いくらルールを守らない人がいるからとはいえ(とはいえ、こちとらマジメに半径ウン km 以内しか移動していないし、伊豆半島の人間なのに同じ半島にある墓参りも行けてなくて嘆息しているというのに、海外から帰国して言いつけも守らず、フラフラ出歩いて市中感染の原因を作った人に対しては正直怒りを覚える。といってもオラは自粛警察ジャナイヨ、だれだってそう思うのではないかしら。自粛警察というのは、ようするに自分とこに火の粉が降りかかると烈火のごとくイキりだし、ふだんはノホホンと過ごしているような典型的マイホーム主義な人のこと)。いずれにせよ、年明けとともに日本国中に厭戦的雰囲気がいよいよ蔓延し、いわゆる専門家の意見や指示を守らず、「赤信号、みんなで渡れば ……」な手合が堰を切ったように急増しやしないかというのが、もっかいちばんの気がかり。

 この感染症の恐ろしいところは、英米で long COVID と呼ばれている、長期にわたる原因不明な後遺症というやっかいきわまりないオマケまでくっついていること。感染しても無症状な人がいる反面(若い芸能関係者にはこの手の人が多かった印象がある)、いつまでもしつこく苦しめられる罹患者もおおぜいいる。だからけっきょく、なんとしても COVID だけは罹患しないようにしないといけない。もっともそれはそれでいいとしても、そのように身構えたまま生活していれば弊害も出てくる。体を動かさなくなったせいで筋力が落ちた、あるいはもっと深刻な場合には「エコノミー症候群」になったり、脚のふくらはぎがパンパンになって静脈瘤(!)ができかかった、とか。もっとも影響が出やすいのは、なんといっても子どもですよね(もちろん高齢者もだが)。事態が長期化しているので、このへんのことも気を配らないといけなかったりで、たしかに厭戦ムードがはびこるのはあるていどしかたないことかとは思う。お気持ちはわかる。

 でもいちばん大切なのは、こういうときこそ、他者への想像力が必要だ、ということではないかと、人一倍 self-serving な人間のくせしてそう思ってしまう(偽善者なので)。前にも書いたが、感染症というのは自分が罹患して治ればそれでよし、という病気ではない。全地球を覆っているのは、未知のウイルスによる未知の感染症なんです。それでもいまはワクチンだって曲がりなりにもあるし、特効薬ではないにしても、承認待ちの飲み薬もある(あいにく mRNA ワクチンはブースター接種なるものを打つ必要があるけれども)。

 いまだ先の見えない COVID 禍ですが、パンデミックが始まった昨年春、英国の NPO の Nesta がこんな未来予測を出しています。「将来の予測なんてアテになるものか」という気もたしかにするけれども、やはりこの手のものがないといられないのもまた人間の性分なのかもしれない(Nesta は、英国国立科学技術芸術基金を母体とした NPO 法人。科学・技術・芸術における個人および団体による先駆的プロジェクトや、人材育成を支えるイノベーション支援を行っている)。

 たとえば「経済」に関しては、こんな「青写真(言い方が古い?)」を描いています。
新型コロナウイルスの世界的流行(パンデミック)が引き起こした不況は、2008年の金融危機よりも深刻な事態を招くだろう。しかもそれは、これまでに経験したような「通例の」不況ではない。多くの国で、考えうるかぎり最悪な不況となり、大量解雇も起こり得る。コロナ以前ではラジカルだと考えられていた財政出動や金融政策がもはや政治や国民的な議論の場で当たり前のように取り沙汰されるようになるだろう。コロナ危機を乗り切った企業も、それまで重視していた事業や商習慣の見直しに着手することになるだろう。それはサプライチェーンの抜本的再編だったり、効率一辺倒から事業の強靭性(レジリエンス)への転換だったりする。
この1年で見ても、たとえば急激な「脱炭素化社会」へ舵を切ったかに見える欧州諸国の動きなんかが当てはまりそうな気がします。もっとも「二酸化炭素取引」というカラクリもあったりで、どこまで本気なのかはよくわかりませんが。それでもひとつ言えるのは、島国日本の企業さんたちが手をこまねいている時間はあまり残されてないってことです。ヘタすると 19 世紀末の欧州列強の再来にもなりかねない気がする。興味ある方は一読してみるとよいでしょう。

 一連の予測項目はあくまで英国国内のことなので、これらがいちいち日本の事情に当てはまるわけでもない。しかし参考にはなると思う。というか、向こうの人ってホント筋金入りのマスク嫌い、ということがこの1年半のあいだでよくわかった気がする。人種差別の件も含めて。

 「一連の予測は推測の域を出ない」と断ってはいるが、「新型コロナウイルス(COVID-19)パンデミックは、世界のありようを根底から恒久的に変えた。向こう数か月、この新型感染症の蔓延を制御できる国があったとしても、政治、経済、社会、テクノロジー、法律、環境の各方面に与えた影響は甚大であり、それは今後数十年にわたって続くだろう」という見立ては、おそらく間違ってないでしょう。

 というわけで、なんか暗い話になってしまったが、いみじくもローマカトリックのリーダーがクリスマスイヴのメッセージでこんなことを言ってましたので最後に引用して終わりますね(以下、さる全国紙記事の引用)。
「不平を並べるのはやめよう。(イエスは)われわれに人生の小さなことを見直し、大事にすることを求めている」

 昔、写真評論ものの大部の本を何人かで下訳したとき、福音書の一節がそのまま引用された箇所にぶつかった。たまたまローマ教皇の記事を見て、忘れかけていたそんな記憶も久しぶりに甦りましたね(日本語版聖書の引用は「新共同訳」から)──「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこのもっとも小さい者のひとりにしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(Matt. 25:40)

 よきクリスマスと新年を。

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posted by Curragh at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近のニュースから