2022年01月31日

『くまのパディントン』名訳者逝く

 児童文学者の松岡享子先生が逝去された。享年 86 歳。謹んでお悔やみ申し上げます。

 不肖ワタシが先生のご尊名をはじめて拝見したのは、翻訳の勉強を始めてさほど日が経っていなかったころで、高校を卒業したてのときだったような気がする。いくつか課題に出されたテキストのひとつに『くまのパディントン』シリーズの1作があった。児童文学と言いながらずいぶん凝った(?)言い回しが頻出で、しがない地方のヒヨっこにはなかなか手強かったのを覚えている(テキストには、ディック・フランシスのミステリの冒頭2章なんかもありました)。

 『パディントン』シリーズ最大の特徴。それはずばり、英国流のすっとぼけたユーモア表現でしょうか。あと、イディオムの変形技(変奏)がけっこう出てくること。たとえば‘...he had something up his paw’というフレーズ。これはよく使われる慣用表現の‘to have something up one's sleeve’をもじった表現で、sleeve が paw となっているのは、もちろんパディントンがクマの坊やだから。あと、彼の得意技は、相手をジィ〜っとねめつける‘(giving)a hard stare’ですな(というかあのツブラな瞳でそれされてもたいして効果は …… あ、なんかごめんなさい)。

 ワタシがそのとき読んだのは、こちらの訳書の原書からの抜き出しでした。psychiatrist/head shrinker/trick cyclist なる語もぽんぽん出てきました。いずれも精神科医のこと。なんで shrinker と言うのかは、「誇大妄想にとり憑かれてぶくぶくに膨らんだオツムを空気を抜くみたいにしてシュ〜っとしぼませる」というイメージから。いずれにしても、駆け出しの翻訳初学者にはまことやっかいで課題提出にずいぶん手間取ったものでした(注:いまみたいにネットも Google も SNS もな〜んもない、テレクラとか個人的に不要不急なサービス全開ゴルフ場亡国論真っ盛りだったバブルに阿呆どもがパラパラと踊らされていた平和ボケ時代の話)。

 話戻しまして …… あるとき、図書館で借り出した松岡訳『パディントン』シリーズの1冊と、神保町に当時あった「タトル商会」(!)で入手した原本とを家で突き合わせてまたびっくり。「どうぞこのくまのめんどうをみてやってください おたのみしますPlease look after this BEAR. THANK YOU)」と、(子どもの音読にもじゅうぶん耐えられる)達意でみごとな日本語に移された手際の確かさに目が吸い寄せられたのを、あれからウン十年が経過したいまも鮮烈に覚えている。

 松岡先生は『パディントン』シリーズの訳者としても高名ながら、翻訳ものではやはり『うさこちゃん』シリーズでしょうね。え? ご存じない? ディック・ブルーナの『ミッフィー』シリーズの翻訳です。何年か前、松岡先生がご健在だったときに一度、なんの番組だったかもう失念して申し訳ないのですが、インタビューかなにかで TV の画面越しにお姿を拝見したことがありました。

 『パディントン』原作者のマイケル・ボンド氏、そして『ミッフィー』生みの親ブルーナ氏もとうに鬼籍に入られてしまった。松岡先生の志を継ぐ、若くて才能ある児童文学翻訳者がこれからおおぜい活躍してくれることを祈念してやまない。合掌。

追記:これは「男ことば/女ことば」の問題でもあるのですが、先だって「アタマで考えず、場の流れ(フロー)に身をまかせて行動しよう」と指南するハウツーものっぽいやや毛色の変わった英高級紙の記事を訳したのですが、そこにジェイン・オースティンの代表作のひとつ『エマ』の一節が引用されていた。引用で、しかも邦訳もあるからと図書館で借りてきて確認したのですが …… エマの科白がどうにも読みづらい。NHK のラジオ第1とかでも朗読をやってますが、たとえ手練れの局アナが読んだとしても、ちょっと放送には不向きなのでは、という印象を受けた。「もし」は禁句ながら、もし主人公エマの会話を松岡先生が訳していたら …… きっと目に映る景色はずいぶんと変わっていたことだろう。ちなみにその日本語文庫版の訳者は男性でした。

posted by Curragh at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | おくやみ