2022年05月04日

ヴォーカロイドから教えてもらったこと

 いま、『今日は一日ラブライブ三昧3』を聴取しながら書いてます。

 ちょうどかかっていたのが「Awaken the power」で、コレは函館聖泉女子高等学院という函館市内の私立高校に在籍する鹿角(かづの)姉妹のユニット SaintSnow と、沼津・内浦の浦の星女学院スクールアイドル Aqours の1年生組とが合同した SaintAqoursSnow として披露した劇中歌。畑亜貴さんの歌詞はいつにも増してさらに力強く、「聴いている人の背中を押す」パワーにあふれた楽曲なんですが、昨夜、『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』2期を地上波で観る前に(田舎なんで放映日時が遅いんです)たまたまコチラの番組を視聴した。視聴後、頭の中に響いていたのがまさにこの「Awaken the power」の歌詞(“セカイはきっと知らないパワーで輝いてる/なにを選ぶか自分しだいさ/眠るチカラが動きはじめる”……)でした。

 初音ミクという「16歳の少女歌手」がデビューするまでの経緯ははじめて知ることばかりでそれだけでもすこぶる「蒙を啓かれた」思いもしたんですが、そのなかでもとくにボカロPと呼ばれる、プロデューサー的な人たちの話がかなり刺さったのも事実。ボカロPの人たちは、いわば初音ミクというヴォーカロイドの「中の人」、狂言回し的な役回りの人のことです。

 不肖ワタシが「初音ミク」という名前をはじめて耳にしたのは初音ミクが登場したばかりのころ、当時在籍していた職場の年下の同僚からだった。はつねみくって聞いて、ナニソレ意味ワカンナイ(μ's の西木野真姫の口癖です)状態だったのだが、この番組で紹介されたような、初音ミクがはじめて「一般の人」にも TV で紹介されたときの「偏見に満ちた塩対応」などもちろんしなかった。この手のトピックを取り上げるたびにおんなじこと書いてきたような気もしないわけでもなくなくはないんですが(黒澤ダイヤの科白のパロディ)、ワタシはこう見えて(すでに五十路[「いそじ」と読む、念のため]を超えたおっさん)、自分より若い世代が心血を注いでいることに対してアタマゴナシに「へっ!」と思ったことなど一度もないのが自慢。むしろ逆。「オラにももっと教えてくれずら♪」と相手がドン引きするほど首を突っ込みたいほう。沼津が舞台の『サンシャイン!!』だってそうだったし。首を突っ込みすぎて、ぞっこんというかどっぷりというか、完全に沼にはまってしまった感はある(微苦笑)。

 初音ミクの話にもどって、印象的だったシーンをふたつ。まず、ボカロPきくお氏のこちらの楽曲。「ソワカ」って出てきますが、これは「般若心経」の一節の引用。『デジタル大辞泉』によると「《(梵)svāhāの音写。円満・成就などと訳す》仏語。幸あれ、祝福あれ、といった意を込めて、陀羅尼・呪文 (じゅもん) などのあとにつけて唱える語」とあります(梵というのは梵語、サンスクリット語のこと)。それとそうそう、あの「うっせぇうっせぇうっせえわ!」の Ado さん。彼女がドスを効かせた声で連呼して歌う例のメロディーライン、なんかどっかで聞いたことある …… と思ったら、安良里のお寺の法会でいつも耳にする「般若心経」のリズムとおんなじだった(とくに「ぼーじーそーわーかー」のところ。アレレこれも「そわか」じゃん)。

 米国を代表するジャーナリストのひとりビル・モイヤーズは比較神話学者のジョー・キャンベルとの対談(『神話の力』)で、映画『スター・ウォーズ』の最初の3部作(EP 4〜6)について、「これは最新の衣装をまとった、とても古い話だな」という第一印象を語っている。こちらの楽曲もまったくおなじですね。技術的に音楽をこさえているのは DTM つまり「打ち込み」という「最新の衣装(いや、意匠か)」ながら、その中身は古人(いにしえびと)の叡智というか、古いものなんですね。「最新の革袋に入れたヴィンテージものワイン」といったおもむき。

 ふたつ目は、ボカロPきくお氏の密着取材の場面。きくお氏はいまは地方にお住まいで、そこで楽曲作りをされているようなのですが、ここしばらく新曲が発表できず、スランプに陥っていたらしい。その間、適応障害(いま、わりとよく聞く症例のひとつ)と診断されたりとしんどかったようですが、ようやく前記の「ソワカの声」を完成させた、というところまでが密着取材されていた。そして番組に登場したボカロPの人たちがほぼ異口同音に、「初音ミクという存在に救われてきた」という趣旨のことをおっしゃっていた。実際の作業のようすも興味津々で拝見したが(人様の仕事部屋とか書斎とかを見るのが大好きなスノッブ人間)、たとえば「発語の最初の音」の調整風景なんか、まんま発声レッスン、楽器で言うところのヴォイシングですね。舞台上のボーイソプラノのソリスト少年に、「そのハ〜…からはじまるくだり、それはもっとアタマの先から客席の真後ろの壁面めがけて思いっきりブツけるように歌ってYO!」みたいにヴォイストレーナーや指揮者が指示を飛ばすのと変わりなかった。

 さて番組のエンディングで「初音ミクとは?」との問いに対し、きくお氏はこう答えていた。
純粋な音楽であること
純粋な魂であって
純粋な美そのものであること

これまたキャンベルや、小説家のジェイムズ・ジョイスが言っていたのとまったくおなじだった。ジョイスは「真の芸術」の定義を、「エピファニーを与えるもの」だと言った。「役に立つ」からとか、「ある政治的イデオロギー」を声高に押しつけるのではない(そういうのをジョイスはそれぞれ「ポルノグラフィー」、「教訓的芸術」と呼んだ)。すなおに感動しましたよ。

 初音ミクの知名度は、いまやグローバル(『ラブライブ!』シリーズの知名度もおなじくグローバル。もっともこれは日本のアニメ全般に言えることかもしれないが)。初音ミク動画を動画共有サイトにアップすれば、速攻で海外ガチ勢の「歌ってみた」的なコール&レスポンス動画が返信代わりにアップされる。これって和歌の「返歌/反歌」にも似ている。なので、こうしたやりとりはじつは平安時代とあまり変わらないのかもしれない。変化したのはそれを相手に伝えるツールと通信手段だけだ。

 前にもここで触れたかもしれないけれども、初音ミクの名がクラシック音楽ガチ勢の耳にも強烈に届いたのは、2016 年に亡くなった冨田勲氏が手掛けた『イーハトーヴ交響曲』での起用でしょう(初演は 2012年)。

 そんなワタシが好きな初音ミクヴァージョンは、やっぱコレですかねぇ(以前にも関連動画を紹介したことがあったが、重複を顧みずもう一度)↓



 最後に、備忘録代わりに『今日は一日ラブライブ三昧3』のオンエア曲リスト(セットリスト、略してセトリと言うそうですが)をコピペしておきます(注:番組公式さんに怒られたらすぐ引っこめますずら、悪しからず)
01. 始まりは君の空/Liella!
02. 僕らのLIVE 君とのLIFE(TVサイズ)/μ's
03. 僕らは今のなかで(TVサイズ)/μ's
04. ユメ語るよりユメ歌おう(TVサイズ)/Aqours
05. 未来の僕らは知ってるよ(TVサイズ)/Aqours
06. 虹色Passions!(TVサイズ)/虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
07. NEO SKY, NEO MAP!(TVサイズ)/虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
08. START!! True dreams(TVサイズ)/Liella!
09. 未来は風のように(第11話ver.)/Liella!
10. SUNNY DAY SONG (Movie Edit)/μ's
11. Fantastic Departure!/Aqours
12. TOKIMEKI Runners /虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
13. もぎゅっと“love”で接近中!/μ's
14. Snow halation /μ's
15. Love wing bell /星空 凛(飯田里穂)、西木野真姫(Pile)、小泉花陽(久保ユリカ)、 絢瀬絵里(南條愛乃)、東條 希(楠田亜衣奈)、矢澤にこ(徳井青空)
16. なってしまった!/μ’s
17. ススメ→トゥモロウ/高坂穂乃果(新田恵海)、南ことり(内田彩)、園田海未(三森すずこ)
18. ほんのちょっぴり/澁谷かのん(伊達さゆり)
19. 輝夜[かぐや]の城で踊りたい/μ's
20. ミはμ'sicのミ/μ's
21. 未熟DREAMER /Aqours
22. 想いよひとつになれ/Aqours
23. Thank you, FRIENDS!!/Aqours
24. DREAMY COLOR/Aqours
25. 青空Jumping Heart/Aqours
26. BANZAI! digital trippers(1CHO)/Aqours × 初音ミク
27. VIVID WORLD (TVサイズ)/朝香果林(久保田未夢)
28. サイコーハート (TVサイズ)/宮下愛(村上奈津実)
29. La Bella Patria(TVサイズ)/エマ・ヴェルデ(指出毬亜)
30. 決意の光(1CHO)/三船栞子(小泉萌香)
31. Dream with You(TVサイズ) /上原歩夢(大西亜玖璃)
32. Poppin' Up!(TVサイズ)/中須かすみ(相良茉優)
33. Solitude Rain(TVサイズ) /桜坂しずく(前田佳織里)
34. Butterfly(TVサイズ)/近江彼方(鬼頭明里)
35. DIVE!(TVサイズ)/優木せつ菜(楠木ともり)
36. ツナガルコネクト(TVサイズ) /天王寺璃奈(田中ちえ美)
37. L!L!L! (Love the Life We Live)/虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
38. 夢がここからはじまるよ/虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
39. Music S.T.A.R.T!! /μ’s
40. Wonderful Rush /μ’s
41. それは僕たちの奇跡/μ’s
42. Cutie Panther /BiBi(南條愛乃、Pile、徳井青空)
43. START:DASH!!/μ's
44. Tiny Stars /澁谷かのん(伊達さゆり)、唐 可可[タン・クゥクゥ](Liyuu)
45. ノンフィクション!!/Liella!
46. 未来予報ハレルヤ!/Liella!
47. Awaken the power /Saint Aqours Snow
48. 夜明珠[イエミンジュ](1CHO)/鐘 嵐珠[ショウ・ランジュ](法元明菜)
49. Toy Doll(1CHO)/ミア・テイラー(内田 秀)
50. HOT PASSION!!/Sunny Passion
51. Shocking Party /A-RISE
52. LIVE with a smile!/ Aqours、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会、Liella!
53. A song for You! You? You!!/μ's
54. なんどだって約束!/Aqours
55. ユメノトビラ/μ's
56. WATER BLUE NEW WORLD /Aqours
57. KiRa-KiRa Sensation!/μ's
58. キセキヒカル/Aqours
59. 夢が僕らの太陽さ/虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
60. Wish Song /Liella!
61. 僕たちはひとつの光/μ's
62. 勇気はどこに?君の胸に!/Aqours
63. MONSTER GIRLS /R3BIRTH(小泉萌香、内田 秀、法元明菜)
64. 常夏☆サンシャイン/澁谷かのん(伊達さゆり)、唐可可(Liyuu)、嵐千砂都(岬なこ)、平安名すみれ(ペイトン尚未)
65. Colorful Dreams! Colorful Smiles!/虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
66. Starlight Prologue /Liella!

……ええっと個人的にひとこと。……「ビリアゲ」からの「ブラメロ」が入ってないんか〜い!! 

posted by Curragh at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM

2022年05月02日

『暴力の人類史』

 ……の、個人的読後感です。

 じつはコレ必要に迫られてあわてて図書館で借り出したものなんですが …… なんせ上下巻合わせて千ページ超えというトンデモない本だったので、とりあえず上巻から、と思ってほぼ一日1章の分量で5日くらいで付箋貼りつつ読んだんですが、はっきり言って駄作だと感じた(ワタシは基本的に断定的な物言いはしたくない人ながら、この本に関してはそもそも時間のムダだったように感じたもので)。

 もちろん部分的には卓見というか、なるほどと思わせることも書かれてありますよ。でもそれはシェイクスピアやワイルド、カントの『永遠平和のために』、ホッブズの『リヴァイアサン』の引用や説明など(「旧約聖書の歴史的記述はフィクションである[p.14]」というのは正解)、いわば「ネタの部品取り」には最適かもしれない、という話。しかしながら、そもそもの主張(といっても、この先生の仮説)と、その裏付けでえんえんとつづく講釈とグラフや数字などの「統計データ」の扱いがかなり恣意的ないし誘導的で、「上巻でこれじゃあ、下巻までしっかり付き合う必要はなさそう」と思い至りました(苦笑)。とりあえずなんとか短めに、上下巻に分けて妄評をば(いつものことながら、下線/太字強調は引用者。なお縦書き本の数字表記はすべてアラビア数字表記に変換してある)。

上巻:1991年にアルプス山中で発見されたアイスマン「エッツィー」(この前、NHK でも再放送されてたんで観てましたが)はじつは殺害の被害者だった、というのは有名な話から始まって、その当時から比べていまはどれだけ危険/安全か、と論を起こすわけですが……ようするに、「昔はヨカッタ」的なことを平然と口走る面々に対して「んなことはない。昔の人類はいかに残虐で暴力的だったか」を力説しているような話が続く。それだけ歴史(当然ここでは西洋史だが。もっとも日本にもその手の人はゴマンといて、「江戸時代はヨカッタ」なんてこと言い出す人はいまだ後を絶たず)を知らない白人が多いのかってこっちは思ってしまいますが、それはともかく気になったのは、やたらと昔の人と過ぎし日の社会の「暴力性(とその死亡者数の多さ)」ばかりをあげつらっていること。アーサー王もののひとつ『ランスロット(ランスロ、または荷車の騎士)』などを例に挙げて、「たしかに騎士は貴婦人を守りはするが、それはほかの騎士に誘拐されないためにすぎなかった」、「今日言われるような騎士道精神とはほど遠い(pp.56−7)」と手厳しい。

 この手の本を読み慣れてないとついスルーしてしまいがちなところなんですが、では今日言われるような騎士道精神って、いったいなんなんでしょう? 中世史家がここを読んだら、きっと「それは一般の現代人が勝手にこさえた妄想」だと現下に返すんじゃないですかね。「イルカはかわいいし頭もいいから食べるな」というじつに手前勝手な屁理屈と似たかよったか(西伊豆語)で、けっきょくいまのわたしたちの(=西洋人の)物差しで書いているだけなんじゃないでしょうか。こういう書き方がためつすがめつのオンパレードです。

 だいぶ前にここでも書いたヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルツィヴァール』。たしかに当時は戦死者も多かったし、殺し方、とくに刑罰は磔刑をはじめ八つ裂きあり火あぶりあり串刺しありと、とても正視できるものじゃありませんが(そういう刑罰道具ばかりを陳列した博物館まである。pp. 247 ff)、新生児や感染症の死亡率の高さなども考えると、「暴力死」の割合が突出して高かったわけでもなかろう、と凡人は思うわけです。では、全死亡の「外生的(こういう社会学用語ってどうもムシが好かないが)」要因をカテゴライズして、「戦死」とか「リンチ」とか「殺し」で死んだ人、つまり広義の「暴力」で死んだ人がいったいどれくらいいたんだろ、って当然疑問に思うわけです。第2章にそんな疑問の答え(?)になりそうな横棒グラフがあったりしますが、いずれ研究が進めば根拠にした数字はコロコロ変わりそうな印象のほうが強い。では時代が下れば下るほどデータは正確になるのか、といえばそうでもなくて、「近代国家になると……一つの『正しい』推計を示すことは不可能だ(p.112)」。というわけで、この本では、仮説を立証するために、当然のごとくこういうテクニックが多用されることとあいなる──「もし記録に残されていない戦闘による死や、飢饉や病気による間接的な死も含めるために 20 倍にしても、依然としてその割合は1パーセントに満たない(p.113)」!!!

 第二次大戦後、ロシアのウクライナ侵攻まで(この邦訳書の原著が刊行されたのは 2011 年)70 余年、「平穏な戦後体制(この本では「長い平和」と呼んでいる)」が続いたのはなぜか、という話で著者は、「[ゲリラ、準軍組織間の戦争は]『長年にわたる憎悪』が動機になっているとされる。カラシニコフ銃を抱えたアフリカの少年というおなじみのイメージは、世界の戦争の負荷は減ったのではなく、北半球から南半球へと移動したにすぎないという印象を裏打ちしている(p.522)」と書いてます。で、「この新しい戦争には飢饉や病気がつきものであり、そのため民間人の犠牲者が数多く出ることになる。だがその犠牲者は戦死者としては数えられない場合がほとんどだ」。…… なんか前の段落で引用した記述と矛盾してませんか?? 

 こういう記述の齟齬に加え、なんでもかんでも「暴力」でひっくるめて論じているものだから、「それとコレとは違うやろ〜」ってツッコミたくなることもしばしば。下巻にはなんと「菜食主義者」増加との相関関係まで取り上げられていて、ここまでくるとため息しか出てきません。

 古代史で戦争、とくるとたいてい引き合いに出されるのが『バガヴァッド・ギーター』の、アルジュナ王子を叱責するクリシュナ神の有名なくだり。果たせるかなこの本にも出てきたんですが(オッペンハイマーの有名な捨てゼリフ? の引用もね)、それがなんとジェノサイド(!)を論じたセクションでして、クロムウェルによるアイルランドのドロヘダ虐殺と同列に扱われてて草(いまふうの言い方をしてみましたずら)。「行動の結果を恐れる気持ちと、行動の成果を望む気持ちとをすべて捨てることによって、人はこれから果たさなければならない務めを、執着心なしに果たすことができます」(ジョーゼフ・キャンベル『生きるよすがとしての神話』)。こっちの解釈のほうが言い得て妙、て気がしますがね。

 あと 19世紀末のドイツロマン主義を「(人道主義的な革命を起こした)啓蒙主義と相容れない、反知性主義」とばっさり切った考察とかイスラム世界に関するくだりとか(あくまで西洋中心の記述のため、言及箇所は本の分厚さの割にめちゃ少ない。というかコレ「索引」くらいつけろよ〜、探すのタイヘンじゃんか)、「まったく新しい暴力エンタテインメントの形態であるビデオゲームが人気を博している(p.242)」ってありますが、ワタシはむしろ見方が逆でして(女性を商品化して見せているきわどいポルノはイカンと思うが)、たとえば昨今隆盛を見せている eスポーツ。あれって考えようによっては文字どおりスポーツ、つまりかつては血みどろの殺し合い、ないし「名誉の決闘」だったものが、じつに平和的に昇華されたすばらしい競技じゃないですか。あいにくこの本を書いた先生の眼には、低俗なポルノ産業とおなじものに映ったようです。

下巻:とりあえず目についたことだけを少し。p. 230以降の「ヒトの脳の構造」の話は興味を惹かれますが、とにかくあっちこっちと記述が飛びすぎて、ついてゆくのがタイヘン。でもけっきょく結論、言いたいことはひとつなので、めんどくさいと思ったら飛ばし読みをおススメします(プロットの入り組んだ小説とちがって、この手のノンフィクションものは流れがつかみやすい)。

 菜食主義者の話(pp. 169ff)ですが、動物の肉を食べることと、長期間にわたる暴力低下傾向との相関関係……は、あるとは思うが、なんかこう「肉食は悪」みたいな印象は拭えない。もちろんそれが著者の主張ではないものの、西洋の白人の価値観を押し付けられているような感じは残る。というかそもそも次元の異なるトピックどうしを、なんでもかんでも「暴力」枠に押し込んで論じているものだから、本の厚みだけはいや増し、という感じ。

 それでも著者はとても clever(この形容詞は「頭がよい」というより、「キツネみたいにずる賢い」というニュアンスが強い。あなたは clever だと言われたら、それは褒められたのではなく、ケナされたと思ったほうがいい)な書き方をしています。上巻から下巻まで、随所に「もっとも[暴力の]減少はなだらかに起きたわけではなく、……暴力が完全にゼロになったわけでもない(上巻 p.11)」みたいな逃げ口上を用意している。ひとりだろうと全人類が吹き飛ぶ戦争だろうと、殺しは殺しではないですか、という根源的な問いに対してもしっかり答えを用意して、「逃げて」いる(下巻 p.579)。

 最後に翻訳について。訳者先生は名うてのベテランの大先生なので、最初のほうとか「Kindle 試し読み」で突き合わせたりしましたが、もちろん問題なし。むしろ勉強になる(とくにこの手のとっつきにくい本では)。ただし誤植はやや多め。これは訳者先生ではなくて、校正・校閲側の見落としのせい(pp.236−37の「フローニンゲン」と「クローニンゲン」、p.606の「徹底した」など)。それと p. 143の『ローランドの歌』って、『ロランの歌』のことですかね? 

 この本を読んでここにいる門外漢がどうにも腑に落ちてこなかったのは、けっきょくこういうことではないかと思う:
マクルーハンの本自体が、新しいメディアの作り出した問題よりむしろ印刷文化特有の問題を立証しているように見える……この本は、いかに資料過多が一貫性の欠如につながるか、さらなる証拠を与えてくれた

 引用したのはつい最近、「日本の古本屋さん」で手に入れた 30 数年も前の『印刷革命』という、「印刷術の発明によって、旧来の文字文化から新しい文字文化=活字メディアへと移行したとき、それはどんな影響をおよぼしたか」を考察したホネのある原書の邦訳本の「まえがき」なんですが、ワタシがこの大部の本に抱いたウソ偽りない読後感が、まさしくコレだった。ウクライナ情勢が日増しに緊迫度を増すなか、「戦争」という究極の暴力に関して読むのなら、こちらも先日、NHK で再放送されていたロジェ・カイヨワの『戦争論』のほうがまだよいかと思ったしだい。

評価:るんるん

posted by Curragh at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 翻訳の余白に