著者が主張していることはたいへんシンプルです。慈善事業、たとえば数か月前に来日したこちらの方が奥さま(当時)と設立した超がつくくらい有名な財団とかに寄付する場合、キャッシュフローや費用対効果(B/C または ROI)もすごく大事、だからくれぐれも大切なあなたのお金がほんとうに世の中に役立てられているか、貧困にあえいでいる人びとの援助に有効に充てられているか、批判的に考えて(これまたクリティカル・シンキングですかね?)からにしましょうね、というもの。
著者はなんと! 28 歳であのオックスフォード大学の哲学科准教授となった俊英で、たしかにそのとおりでございます、と最初は思いました …… でも、とくに6章の内容はオラのアタマではやや大きなハテナマークがついてしまい、そのまま呑み込むのも気分悪いからこの場を借りて吐き出してみようと思ったしだい。たとえばこんな一節はいかがですか?
…… ベンジャミン・フランクリンは 1790 年、アメリカ議会に奴隷制廃止を嘆願する書簡を記した。議会はこの嘆願について2日間議論した。奴隷制の支持者たちからはとめどない反論が押し寄せた。…… それでも、奴隷制は撤廃され、今ではそうした反対意見を養護するのは不可能だ。女性、黒人、LGBT の人々の権利向上を訴えてきた活動家たちの行動が正しかったといえるのは、すぐに成功する確率が高かったからではなく、成功した場合の見返りがあまりにも巨大だったからなのだ。(p.99)
下線部を読んで、「ちょっとなに言ってんのかよくわかんない」とツッコミたくなった。ことばのあやってやつかもしれない。しかしこの本はそこここにこの手の功利主義的な発想が顔を出していて、その点、誤解されぬようにということなのか、巻末注にも「効果的な利他主義」と功利主義は似て非なるものだと先回りして断ってもいるが、こういう「活動家」の人たちは、そもそも見返りなんて期待すらしていない(はず)。みずから信じるところこそ、世の中をより良くするはずだ! そういう内なる理想を追求する情熱に突き動かされておのおの活動しているものだと思いますけれどもね。原文見てないからなんとも言えないが、ここは個人的には「直感に反する(counterintuitive)」箇所で、経験とも反して引っかかってしまった。
引き合いに出したのは、政治家になるべきかどうか決めかねて、著者(この手の意識高い系の後輩が進むべきキャリアに関してコーチングもやっている人)にお伺いを立てに来た女子大生の話のくだり。彼女は、どうすれば世のため人のためになる費用対効果が最大化されるキャリアに就けるのか、「寄付するために稼ぐ」か、政治家になって影響力を直接振るえる立場の人間になるか、どっちがよいかわからない、と著者に助け舟を求めているわけなんですが、有権者の立場から言わせれば、まだなんの経験もないヒヨッコ同然の(失礼)世間知らずの高学歴なだけの人に投票しようなんてぜったいに思わないですね、悪いけど。ワタシが著者の立場だったらこう訊き返しますわ。「あなたの政治家になりたいという志には、そのていどの覚悟しかないのか?」って。政治家にほんとうになりたい若者には、キルケゴールばりに「あれか、これか」なんて迷いはないでしょう。
なんかこう、この本は全編が費用対効果のモノサシしかないんです。慈善事業だって人さまからカネを集めて行うりっぱなビジネスだ。だからキャッシュフローを見て、「行っている活動がほんとうに世の中を良くすることに寄与しているのか、現地の人の役に立っているのか、ワタシのおカネはほんとうに役立てられているのか」という視点に立って寄付するのは、ひじょうに重要だと思う。いくら非営利の慈善事業だからって、寄付している人はある意味、投資家とおんなじだし。ただ、「その事業内容は人さまや世の中を変えるためにほんとうに効果的か?」というモノサシだけで十把一絡げにされては当事者はかなわないんじゃないかって思ったりもする。新型コロナウイルスのメッセンジャー RNA ワクチンが好例だと思いますよ。このワクチン、なんか急ごしらえに作られたみたいな都市伝説(?)が一部でまことしやかに流布していたりするんですが、事実ではない。開発にはじつに 30 年もかかっていて、実用化まであともうちょい、のタイミングでまさかのパンデミックになっただけの話。だから世の中、なにが役に立つかなんて最後までわからんものだ、とここにいる門外漢は考える(そのワクチンのおかげで、いまこうして書いていられる。オラはもう4回め打ったずら)。
ただ、当の女子大生からすれば、不安だったからそう尋ねたんでしょう。それだったら引用もされている、スティーヴ・ジョブズが 2005 年にスタンフォード大学で行った卒業生へのはなむけのスピーチの引用のほうがよっぽどマシかと思う。この本では、「あなたの夢と情熱」にやみくもにこだわると、かえって道を誤る恐れがある(ダ・ヴィンチも言ったとされる、「できることとやりたいこととのギャップ」を指摘している)とジョブズのスピーチを批判的にとらえ、ジョブズ自身もまた日本で禅僧になろうとしていたりと行きあたりばったりを繰り返したすえ、「しかたなく」入ったコンピューター業界で道が開けた、みたいなふうに書いてありますが、だからって自分の心の声を聞かなくていいということにはならない。どんなキャリアに適性があるかなんて、本人もよくわからない。でも、ほんとうにやりたいことは捨てるべきではないと思う。「これがなければワタシは死ぬ」くらいの覚悟があるのなら、どんな嵐にも動じないだろうと思うから。というかこの本の後半では、試行錯誤を奨励してもいるんですよね …… 費用対効果の最大化ガ〜と言っているかと思えば返す刀でこう来たりと、よくワカリマセン。
たとえば、この先、どうしようかと白紙状態の人が費用対効果式の計算のみで晴れて弁護士になったとしましょう。もちろん世の中には良い弁護士もいれば、弁護士の風上にも置けないトンデモナイ輩もいる。アメリカだったら、後者のほうが多いかもしれない(訴訟大国だから、ようするに儲かるんです)。もし就職先がそんなトンデモ弁護士事務所だったとしたら、はたしてこの若き弁護士は「ほんとうに世のため人のため」の働きをしてくれる、りっぱな弁護士になるでしょうか?
けっきょくそれを最終的に左右するのは法律の専門知識ではなくて、哲学だったり文学だったり歴史だったり、まったくカンケイがなさそうに見え、本業になんの役にも立たないと一般には思われているムダな「教養」をどれだけたくさん身に着けているかどうかだとオラは思ってます。
会話のおもしろい人っていうのは間口が広い。アメリカはよくパーティー文化の国、パリピ連中ばっかでお付き合いするだけでクタクタになる、とは、かつて日系企業の駐在社員さんたちがこぼす定番のネタみたいな話でしたが、ほんとうに英語ができる人というのは、話がシェイクスピアから『空飛ぶモンティ・パイソン』にトンでも会話のキャッチボールを自分なりに相手に返せる人です。弁護士の実例では、昔、TV でこんな趣旨のすばらしい答えを返した米国人青年弁護士がおりましたよ──「ぼくは、世の中の弱い人たちをひとりでも多く救いたくて弁護士になった」。
話をもとにもどして、明日は比較神話学者ジョー・キャンベルの命日。で、その次がみなさんお待ちかねの ❝Trick or treat!❞ な日なわけですが(⇒ こちらの拙記事)、キャンベルはお金の使いみちについて、こんな趣旨のことを講演で話してます。「食事にお金を使うより、精神の糧となる本に使ったほうがいい。食事の場合はもっと安価で同じくらいの栄養価がとれるが、本の場合は代わりがきかない」。また、キャンベルが若かったころ、自身は「金儲けするような手合を侮蔑していた」そうなんですが、後年、そんな不倶戴天の敵たち(?)とも交友を重ねるにつれて、「たとえばアートとか、ビジネスの収益で得たお金の一部でも回すのが、しかるべき使い方ではないか」とも言ってます。この点に関してはまったく同感ですわ。ダ・ヴィンチやベートーヴェンくらいまでの時代で言う「パトロン」みたいなものです。
ただし、いまの NFT ってのはいただけない。暗号資産ベースで使いにくい。そもそも暗号資産が胡散臭い。昨今、わたしたちの生活を直撃しているドル円為替も真っ青の乱高下相場。そういうリスクマネーというものは通例、地政学的危機やエネルギー危機、政策金利の大幅な引き上げといった金融引き締め政策が開始されると ❝マニー(鬼塚夏美ふうに)❞ の流れが逆回転して、「ミーム株」とか暗号資産みたいな高リスク資産から潮が引くみたいにいっせいに引いてゆくもの。だから現状の NFT は解決すべき課題がまだまだ多いと感じてマス。
なんか悪口みたいになってしまったけれども、この本に出てくる計算の根拠とか統計に関して補強したい向きは、まずはこちらの本を読んだほうがいいと思うずら。次回はよほどのことがないかぎり、この本について書く予定。今回、紹介した本の評価は


