「大西泰斗の英会話☆定番レシピ」と「ラジオ英会話」をおススメします。
といっても、ステマじゃないよ。ワタシがここでこういうことを書くのはめったになく、書くときはホントに自分がそう思っているから書くんです。とにかくこの番組、だいぶ以前に放映していた「NHK3か月トピック英会話・ハートで感じる英文法」以来のヒット作とさえ思っております。
個人的には、ちょうど納品したばかりのインタビュー記事にもおんなじこと(そちらは英語ではなくて数学の話だったが)が書かれていたけれども、英語をとくべつ必要とせず、人並みの IT 知識さえあれば、AI(!)支援の最先端の通訳/翻訳アプリもあるし、人力だって問いかければロハ(=只、つまりロハ)で何でも教えてくれるという、その昔バカ高い国際電話料金払って海の向こうのインフォーマントに問い合わせてた、なんて往年の世代からしたらディズニーランド級の夢の世界が IT の進化でいともあっさり実現しちゃってるんだから、文明の利器を利用しない手はない。
しかしこと英語に関しては、他の外国語に比べてなぜか(?)、「ラクして身につけたい」とか、あるいは逆に、そういう人をカモにした(pace、言い方失礼)詐欺的商法があいもかわらず横行しているのはどういうことなんでしょうねぇ、といつも慨嘆せざるをえない。
語学留学という手もあるが、あれだって(またまた失礼)けっきょく業界が儲かるからであって、必ずしも払った対価に見合った効果(流暢な会話力とか)が身につくなんて保証はどこにもないんですね、冷静に考えていただければすぐわかりそうなことですが(現地に行って現地民と触れ合うのは貴重な経験ではありますが)。
では、留学資金もなし、忙しくてそんな時間もなし、それでも最低限の英語力だけはなんとしても身につけたい。そんな方にうってつけだと思っているのが、この番組なのです。
大西先生の教授法は掛け値なしにピカ一だと思う。とにかく教え方がうまいし、説明の仕方がストンと腑に落ちまくりです。ここでもかなり以前に書いたことがあるけれども、「to 不定詞と ing 形の違い」についてもじつにわかりやすかった。
というわけで、まことに僭越ではありますが、ここでもすこし大西先生のみごとな講義を補足(いや、蛇足か?)しておこうかと思ったしだい。
❶ It is difficult to study English.
❷ To study English is difficult.
上記2文、文法的にも正しく、意味もおんなじなんですが、では何が違うのか。大西先生は、「to不定詞句を主語に据えた文だともったいつけて大げさに振りかぶっている感じ」、ようするにオーバーな言い方だと指摘して、ふつうは ❶ を使う、と言ってました。補足すると、❷ だと to不定詞句の主語がダラダラ長くなると、頭デッカチでカッコ悪いんです。❝It is ...❞ といわゆる仮主語(+真主語)構文のほうが、スマートな言い方だと言える。英語では、先頭に来るものがなんでも目立つ、つまり「重要度高」ということになります。だから、❝For several years, Mrs. H. T. Miller had lived alone in a pleasant apartment (two rooms with kitchenette) in a remodeled brownstone near the East River...❞ (カポーティ『ミリアム』冒頭から)ときたら強意構文なので、訳すときは注意が必要になる(時間や場所などを表す副詞句はふつう文尾に置かれる。英語は先頭に来ることばほど目立つ、強い)。
そしてこれがもっとも大切かと思うんですが、なによりも口に出したときにすっと言える。❝To err is human, to forgive (is) divine.❞ という定型文みたいなのもあるにはあるが、ソレ以外の日常会話で to不定詞から切り出す、という言い方は個人的にはほとんどお目にかかったことがない。ミステリとかも含めて文芸ものに出てくる科白でこういう表現はめったにない、と言い切ってよいでしょう。
to 不定詞と ing 形の違いは、ずばり「いまそのときの動きが感じられるかどうか」だと思ってます。似たようなことは大西先生も指摘されてましたが、たとえば、
❶ He stopped to say hello to Kate.
❷ He stopped saying hello to Kate.
で、なぜ文意が反対になるのか。to不定詞は「ing 形と違って動きがなく、これから起こることをただ待っている状態」というイメージ(つまり未来を向いている)。ing 形だと「すでにやっちゃったこと」という動きがすでにあるから、意味的に過去のことを指す、というイメージだと言ってよいと思う。
「英会話☆定番レシピ」に関してさらに付け加えると、エンディングの前置詞・基本動詞のイメージをとらえる(コアイメージ)ミニコーナー。あれだけ見てもいいくらい。英語の前置詞や基本動詞こそ、日本人がもっとも苦手としているところだから。何度目かの蒸し返しでたいへん申し訳ないけれども、英語学習に関しては昔から「前置詞3年、冠詞8年」って言われてますから、必要最低限と言いながらも、それなりに腰を据えて取り組むことはなんにせよ大事かと思いますね。
2023年01月27日
2023年01月05日
「統計」もクリティカルに見よ
昨年の初夏だったか、日経新聞に広告が出ていたこちらの本。著者は現役の英 FT 紙シニアコラムニストで、BBC ラジオ番組のプレゼンターでもある人。「統計にダマされるな」的なご本かと思いきや、『データ探偵(The Data Detective : Ten Easy Rules to Make Sense of Statistics)』という原書名が暗示するように、統計のウソを暴くことより、統計とはそもそもどんなもので、どのように扱えばよいかを 10 の方法として提示し、論じた本になります。
たとえば「とっさの感情には注意する」、「俯瞰する」、「背景を知る」……とかはなんか既視感ありあり。「背景を知る」なんて、拙訳書に出てくるクリティカル・シンキングの技術として語られるものですね。なので共通項はかなり多い、という印象がまずあった。「とっさの感情には注意する」では、著者自身の失敗例(グラフの時間軸も確認せずリツイートした話)もさらけだして、その危険性を訴えてます。ほかにもあのフローレンス・ナイチンゲールがじつは「近代統計学の母」的存在でもあったことなどの歴史トリビアも満載で、教えられるところは多い。「公的統計の存在を重視する」では、ギリシャとアルゼンチンそれぞれの公的統計部門のトップが被った妨害工作の事例なんかも暴露されていて、このへんはよくあることですけれども、ジャーナリストたる原著者の腕の冴えが光っている。しかし公的統計の信頼が揺らいじゃったら、それこそわたしたちの生命財産に直結しかねない。そういえばこの国でも、ついせんだって似たような失態があったような …… 。
ただ、この本を読んでもっとも印象に残ったのは、COVID-19、つまり新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)初期の混乱を記述したくだりです。「疫学者、医療統計学者、経済学者といった現代のデータ探偵たち」が、「生死にかかわる判断を手探りで模索する状態」だったが、「数週間が経つ頃には、彼らの捜査と探索のおかげで、ウイルスの主な特徴と、そのウイルスがもたらす疾病の性質について、多少なりと把握した全体像が浮かび上がってきた」。
あと、よく言われることですけれども、この手の本にはたいていダニエル・カーネマンの著作『ファスト&スロー』からなにかしらの引用があったりするものですが、この本ではたとえば「出版バイアス」が、公正な研究成果をゆがめかねないものとして出てきます。たとえば、世間をアっと言わせる、意外性のある論文のほうが出版物として世に出る確率が高い、というのも出版バイアスの一例。そのじつ、真に価値あるデータなり統計は、じつに地味ぃ〜なグラフやチャートのほうだったりする(でもこちらはなかなか出版されない)。またそれとはべつに「速い統計」(拙速な集計データによる統計)と、「遅い統計」という用語も持ち出しているけれども、たとえ信頼できそうな「遅い統計」でも、「個人的な印象のほうを信じるべき場合」は、ゼロではない。世の中の問題すべてが数値化され、見える化されて、表計算シートに転記できるものばかりじゃないから(マスク着用問題なんかがそうかも。呼吸器系に問題があると自覚していれば、統計的に問題なくても予防的に着用するのはごく当たり前の行動でしょう)。
昨今はやりの AI(人工知能)やアルゴリズムについても、新型インフルエンザの予測に失敗した「Google インフルトレンド」プロジェクトを引き合いに出して警鐘を鳴らしてます。こと統計学に関する本にはほとんど縁がない人間とはいえ、やはり統計と無縁では済まされない時代に生きている者のひとりとして、この本は読むべき1冊だと思ったしだい(数式はいっさい出てこないので、その点はご安心を)。
評価:



たとえば「とっさの感情には注意する」、「俯瞰する」、「背景を知る」……とかはなんか既視感ありあり。「背景を知る」なんて、拙訳書に出てくるクリティカル・シンキングの技術として語られるものですね。なので共通項はかなり多い、という印象がまずあった。「とっさの感情には注意する」では、著者自身の失敗例(グラフの時間軸も確認せずリツイートした話)もさらけだして、その危険性を訴えてます。ほかにもあのフローレンス・ナイチンゲールがじつは「近代統計学の母」的存在でもあったことなどの歴史トリビアも満載で、教えられるところは多い。「公的統計の存在を重視する」では、ギリシャとアルゼンチンそれぞれの公的統計部門のトップが被った妨害工作の事例なんかも暴露されていて、このへんはよくあることですけれども、ジャーナリストたる原著者の腕の冴えが光っている。しかし公的統計の信頼が揺らいじゃったら、それこそわたしたちの生命財産に直結しかねない。そういえばこの国でも、ついせんだって似たような失態があったような …… 。
ただ、この本を読んでもっとも印象に残ったのは、COVID-19、つまり新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)初期の混乱を記述したくだりです。「疫学者、医療統計学者、経済学者といった現代のデータ探偵たち」が、「生死にかかわる判断を手探りで模索する状態」だったが、「数週間が経つ頃には、彼らの捜査と探索のおかげで、ウイルスの主な特徴と、そのウイルスがもたらす疾病の性質について、多少なりと把握した全体像が浮かび上がってきた」。
無症状の感染者も多数いることがわかった。…… 若者よりも高齢者において大幅にリスクが高いこともすぐに明白になった。感染致死率の合理的な推定値も出た。…… 特に、イギリス国家統計局などの機関が実施・分析する適切な検査の価値はどれほど大きかったことか。パンデミックという戦争において、統計は、いわばレーダーに相当する存在だった。最近、この手の本でときおりお目にかかるのが、tribalism という単語。この本にも顔を出していて、「同族意識」と訳されています。で、たいていこれはどっちかの陣営(同族)から見た「真実」しか見ないというきわめて偏向した態度を助長し、すんなりケリがつくはずの話も尾ひれがついていっそうややこしくして、対立を先鋭化させたりするのですが、そんな陥穽にはまらないためにも統計、とくに公的機関の発表する統計をないがしろにしてはいけませんよということも強調されています。その最たる実例としてやり玉に挙げられているのが、くだんの放言ばっかかましていた米国前大統領の話。しかし、もっとも信頼に足るはずの公的統計も、このような政治的圧力の前に歪曲されるリスクがどこの国にも起こりうることは、引き合いに出したギリシャとアルゼンチンの教訓で警告しています。
…… 正確でシステマティックに収集された数字というものを、ふだんの私たちがどれほど当然視しているか、これ以上にありありと描き出す例はほかに考えつかない。…… 私たちは、「嘘、大嘘、そして統計」などと気軽に口に出し、統計のありがたみを軽んじる。今回のコロナ危機は、統計データが出そろっていないと状況がどれほど混乱するものか、私たちにあらためて思い出させている。
あと、よく言われることですけれども、この手の本にはたいていダニエル・カーネマンの著作『ファスト&スロー』からなにかしらの引用があったりするものですが、この本ではたとえば「出版バイアス」が、公正な研究成果をゆがめかねないものとして出てきます。たとえば、世間をアっと言わせる、意外性のある論文のほうが出版物として世に出る確率が高い、というのも出版バイアスの一例。そのじつ、真に価値あるデータなり統計は、じつに地味ぃ〜なグラフやチャートのほうだったりする(でもこちらはなかなか出版されない)。またそれとはべつに「速い統計」(拙速な集計データによる統計)と、「遅い統計」という用語も持ち出しているけれども、たとえ信頼できそうな「遅い統計」でも、「個人的な印象のほうを信じるべき場合」は、ゼロではない。世の中の問題すべてが数値化され、見える化されて、表計算シートに転記できるものばかりじゃないから(マスク着用問題なんかがそうかも。呼吸器系に問題があると自覚していれば、統計的に問題なくても予防的に着用するのはごく当たり前の行動でしょう)。
昨今はやりの AI(人工知能)やアルゴリズムについても、新型インフルエンザの予測に失敗した「Google インフルトレンド」プロジェクトを引き合いに出して警鐘を鳴らしてます。こと統計学に関する本にはほとんど縁がない人間とはいえ、やはり統計と無縁では済まされない時代に生きている者のひとりとして、この本は読むべき1冊だと思ったしだい(数式はいっさい出てこないので、その点はご安心を)。
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