2023年02月11日

『公式より大切な数学の話をしよう』

 邦訳書名(原題はオランダ語の Plussen en minnen『プラスとマイナス』)だけパッと見すると、なにやら 10年くらい前に一世を風靡(?)した、米国人政治学者の書いた本っぽくも思えますが、そちらの先生が説いた「政治的な正義の話」より、ダンゼンこっちのほうが目からウロコが落ちるだろうし、役にも立つと思われます。

 著者はなんと! まだ 20 代の若き天才数学者のステファン・ボイスマン氏。といっても、某週刊誌に「私の愚妻が〜」などと差別用語丸出し寄稿文を長年連載しつづけてきた先生のような思想的に偏った人でもありません。「文は人なり」って申しますが、それはオランダ語原文から直接邦訳された訳文からもいきいきと伝わってきます。

 のっけから、「数学は何の役に立つのか」と「そもそも論」からいきなり入る。この手の一般教養書(いまはあまりこう呼ばないのかもしれないが)を手にとる読み手なら、だれしも必ず抱く通過儀礼のようなこの大きなギモンに真正面から切り込んでゆく。しかも著者自身、「本書は、高校時代の自分に向けて書いたとも言えるが」と告白しているように、かつては公式やグラフの使い方を丸暗記する必要がなぜあるのかと、数学の素養もなにもないワタシとおんなじギモンを抱いていたという! 

 こういう経歴の持ち主が書いた本がおもしろくないはずがない。2018 年にオランダ語初版が刊行されるとたちまちベストセラー入りして、日本語も含む世界 18 か国で翻訳出版されているというのもうなずけるお話ではあります。

 数学の本、とくると数式がゴチャゴチャ出てきてイヤずら、という向きはワタシも含めて大多数かと思いますが、この本で出てくるのは高校までに習った図形の面積や円柱などの立方体の体積を求める公式くらい。著者が繰り返し説いているのは、「数学は現実世界と無縁な抽象世界」ではけっしてない、ということ。公式はあまり出てこない代わりに、わたしたちの身近な応用例をこれでもかってくらいにバンバン提示してきて、それこそ息もつけないくらいです。そんな数学の応用例として、いきなり(?)大阪の地下鉄路線が登場したのには目を丸くしたが(p.19、微苦笑)。数学の歴史について書かれた章はまんま人類がたどった歴史でもあるし、それを読めば(ヒトの赤ちゃんには目に映る物体について、すでに足し算・引き算ができる可能性があるとする研究の引用もあったりとこちらもすこぶるおもしろい)、古代メソポタミアやエジプトのような、わたしたちの祖先が築いてきた文明社会から現代社会にまでつづく人類の営みには、使い方の問題はむろんあるが、数学的思考と、数字や計算式といった数学のツールなくしては実現不可能だったことがしつこいくらいに具体例を紹介して語ってくれる(それゆえ古代ギリシャ人が、音楽を数学の一分野とみなしたのも当然の話。この本によると、古代ギリシャ人は自然数をなによりも重視していたそうですが、そのギリシャでピタゴラス音律が生み出されたのもよくわかる話ではある)。

 ワタシももちろん数学が苦手(なのに、なぜか工業系高校だったが。ドイツの数学者ベルヌーイの名前をこの本でひさしぶりに見たときは、「いやぁベルヌーイの定理か、懐かしいずらぁ」ってひとりごちたもの(これはたとえばポンプなど、流体力学系装置の設計に応用される。ついでにその手の文書で head と出てきたらたいていは「水頭」の意味だと思ってよい)。この本には微積分の応用例もたくさん出てくる。橋や自動車や飛行機といった乗り物の安全設計や建物の構造計算、天気予報(数値予報という言い方を聞いたことがあるでしょう)、果ては政府統計でもちいられる経済予測や税制にまで、人間の活動する分野はほぼすべてではないかっていうくらい、微積分のお世話になっていることを力説する。

 数学ってたしかにとっつきが悪い。数字にもいろいろ種類(有理数・無理数・自然数・素数・因数)があり、数学を数学たらしめている最大の要素である抽象性が、さらにとっつき悪さに拍車をかける。けれども、「こんなのなんのために勉強するのか? 学校ではもっと社会に出て役立つことを教えればよい」などというのはただの詭弁であり、危険でさえある実例も引いている。それは確率と統計の話だ。

 確率と統計 ── は、この前ここでも紹介した本がまさにそんな内容だったが、この数学の本にもやはりその重要性と落とし穴が、憶測ではなくしっかりしたファクトにもとづいて書かれている。そして、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックがまだ終息していないいまを想起させるような、 170 年くらい前の話も出てくる。
1850 年ごろ、人々はコレラに苦しんでいた。断続的に流行が繰り返されるなか、感染経路は明らかになっていなかった。原因についてはいくつかの説があり、「悪い空気(瘴[しょう]気)」、つまり悪臭を吸うことで病気になると広く信じられていたが、怒るとコレラにかかりやすくなるという妙な考え方もあった。コレラに倒れることがないように、楽しく穏やかにすごしましょう ── ニューヨークの住人は 1832 年と 1844 年にこんな通知を当局から受け取っている。コレラは水を媒介して感染するのであって、本人が怒っているかどうかは無関係であるという正しい原因を予想した者もいた。(ibid., pp.178−179 )

 21 世紀の人間は、この一節を見てとても笑えまい。

 また統計をめぐっては、相関関係と因果関係をゴッチャにする分析やそれを根拠にしたウソ八百(?)のでっち上げがあとを絶たないんですが、この点についても、「ニコラス・ケイジ(!)と溺死者数の関係」のグラフを引いてたいへんわかりやすく、そして的確な警告を呼びかけてもいる。統計統計ってみなさんすぐ口にするが、トランプ政権時代の司法長官の悪用例(pp. 187−88)のように、これを正確に「読み解く」のは、じつはけっこう難しい(おなじことは、X 線写真、つまりレントゲン写真にも言える。そのせいで少年王ツタンカーメンは「後頭部を殴られて」暗殺された、なんて説がでっち上げられた)。

 そして著者は巻末、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」のアリア主題よろしく、また最初の出発点にもどってくる。
毎日の生活のなかで、複雑な計算式を目にすることはまずない。それでも、これは 15 歳のときの僕に向けて言いたいが、身のまわりにあるものは数学が研究した(ママ)ことの成果なのだ。複雑な構造の建物、天気予報、大量のデータに基づく世論調査や予想、検索エンジンや AI。数学の基本的な概念がわかっていれば、これらのことはもっとよく理解できる。(ibid., p. 249)

 検索エンジンのアルゴリズムとして、Google のページランクの計算原理なんかも出てくるけれども、そうそう、Google 以前の検索エンジンってほんと使いものにならなかった。インターネット黎明期なのだから、それもしかたないとはいえ(イン○トミのことね)、それがいまではなんですか、あの ChatGPT というのは。つい先日、Microsoft が自社のブラウザの検索エンジンに順次搭載するってニュースで報じられてましたけれども、これもまた高度な数学を応用した成果。もっとも危険性はある。こういうことが究極まで進んだ世の中が果たしてよいものかどうかは、数学とはまた違う次元と異なる視点でじっくり考え、検討する必要がある。つまり、そのためにも数学以外の学問は存在するわけでして、文学や音楽といった芸術一般も含め、それを身につける、教養を身につけることがなぜ必要かという問いにもつながってくると思う。これは勉強というより、人はなぜ学ぶ必要があるのかという問いです。古代ギリシャの有名な数学者もまた似たようなことばを残しているけれども、勉強、いや学問というものは、「すぐに役に立つか立たないか」で判断したらぜったいにマズいと思う。それがあるなしで、人の一生が変わってしまうこともありうる。それがあったからこそ生きるよすがとなったというケースもある。ようは、生きるために必要なんですよ。

評価:るんるんるんるんるんるんるんるん

posted by Curragh at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近読んだ本