2024年03月28日

劇場版『ラブライブ! The School Idol Movie』

 劇場版『ラブライブ! The School Idol Movie』(2015)が、このたび 4DX 版(!)となって劇場に帰ってくる、と聞いては行かない手はない。というわけで鑑賞してきました。なんと言ってもこのシリーズの元祖にしてファンのあいだでは伝説化している、国立音ノ木坂学院のスクールアイドル、μ's(ミューズ。石鹸じゃないよ。もちろんギリシャ神話に出てくる美をつかさどる9女神[ムーサイ]が下敷きになっている)の物語ですからね……。

 何度か言及しているように、ワタシがこのシリーズとはじめて邂逅したのは 2017 年の夏で、たまたま深夜のEテレで『ラブライブ! サンシャイン!!』1期 13 話の一挙放送があり、自分の住む街が舞台のアニメっていったいどんなのずら、とほとんどなにも考えずに観たのがきっかけ。それから幾星霜 …… は大袈裟ながら、この『ラブライブ!』シリーズを知ってしばらくしてから、不肖ワタシも劇場版『ラブライブ!』で主人公の高坂穂乃果(こうさか ほのか)に「飛べるよ!」と背中を押した謎の「女性シンガー」のことばどおり、思い切って飛んで=Aいまの自分がいるみたいな経験もしているので、よりいっそう思い入れが深い。2015 年と言えば、じつは大晦日の「紅白」で、それとは知らずに μ's の「中の人」たちによるパフォーマンスを観ていた。…… よもや数年後、こんな展開になろうとは当の本人がいちばんオドロいている。

 4DX 版ということで、われわれ観客もじっと静かに鑑賞させてはもらえない。穂乃果が走っている場面でさえ座席がゆさゆさ揺れ、NYC の摩天楼の展望ポイントで東條希や絢瀬絵里が風に吹かれれば肘掛けあたりから風が吹き付け、ハイウェイで μ's メンバーを乗せたタクシーと並走するコンボイトレーラーがホーンを鳴らせばその振動が伝わり、「Angelic Angel」、「SUNNY DAY SONG」、そしてバッハが音名 B-A-C-H でやったように、歌詞に μ's メンバーの名前を織り交ぜた感動的なエンディング曲「僕たちはひとつの光」といったライヴシーンでは座席が動くだけでは飽き足らず、スクリーンに映し出されている世界と同じく紙吹雪まで降ってくる。こちとら 4DX なんて経験したことないから、初回を観に行ったときは正直、面食らった。Don't disturb me! ってな感じで。2回目はもちろん織り込み済みだから、鑑賞に集中することはできましたが。

 たとえばこちらのブログ記事のように、鑑賞がもっと楽しくなること請け合いの小ネタやトリヴィアのたぐいは μ's の物語ゆえ、すでに語り尽くされた感ありなので、ストーリーの感想とかは不要でしょう(cf. 星空凛が、「わかったよ! この街にすごくワクワクする理由が! この街ってね、すこしアキバ[秋葉原]に似てるんだよ!」という科白がある。劇場版『ラブライブ! サンシャイン!!』では、浦の星女学院スクールアイドルの Aqours のめんめんがローマのスペイン広場でライヴを披露したあと、メンバーの国木田花丸が「なんとなく、沼津の海岸にある石階段に似てたからずら」とそこを選んだ理由を答える科白があるが、個人的に花丸の回答は凛の科白とのアナロジーを感じる。花丸が学校の図書室で隠れて読んでいたスクールアイドル雑誌の表紙に登場していたのは、その星空凛で、花丸は彼女に憧れていた)。4DX 版は残念ながら本日で終了するけれども、ダマされたと思ってまずは虚心坦懐に作品をご覧になることをおススメします。何度も言うけれども、ワタシは決して「自分が呑んだことのないワイン」をうまいだのマズイだのと言わない人なので。ただ、エンディングの μ's のラストステージで歌われた「僕たちはひとつの光」に出てくる「いまが最高」という歌詞こそ、この作品がいちばん訴えたかったメッセージが集約されているように感じる。過去でも未来でもなく、「いまここ」で永遠性を経験しなければそれは決して経験することはできないという、比較神話学者キャンベルのことばがどうしてもオーバーラップしてきますね。

 最後に、謎の女性シンガーが歌っていたあの楽曲について。「500 曲(!)にものぼる『ラブライブ!』シリーズ全楽曲がプレイできる」が売りのリズムゲームアプリ「スクフェス2」にも収録されてないから? と思っていたところ、なんとこれ、1930 年代のミュージカルナンバーのカバーだったことが判明した(1942 年の映画『カサブランカ』にも使われている)。どうりでないわけか(ちなみに「中の人」は、あの『名探偵コナン』主人公の中の人)。ブロードウェイの街ということでこの往年の名曲が採用されたのかどうかは不明ながら、『ラブライブ!』オリジナル曲と言われてもわからないほどこの作品にぴたりハマっていて、この楽曲を選んだセンスにも脱帽するほかない。

 観に来ていたお客さんも若い女性が多くて、さすがは名曲と言われる「スノハレ(Snow halation)」の μ's だなァ、と感じたしだい。
…♪切なくて 時を巻き戻してみるかい? 
No no no いまが最高! 
だって だって いまが最高! 

評価:るんるんるんるんるんるんるんるん

2024年03月15日

カザルス弦楽四重奏団によるバッハ「フーガの技法」

 先週の「ベスト・オヴ・クラシック」最後の放送回は、個人的には待ってましたな感ありのバッハ最晩年の大作「フーガの技法」BWV.1080 を取り上げたスペインを代表する弦楽四重奏団のひとつ、カザルス弦楽四重奏団(Cuarteto Casals)の来日公演(2023年 11月2日、浜離宮朝日ホール)でした。カザルス弦楽四重奏団のレパートリーは、ワタシも寡聞にして耳にしたことのないスペインのモーツァルトと称される夭逝の作曲家ホアン・クリソストモ・アリアーガとかエドゥアルド・トルドラといった珍しい作品から、ラベル、ドビュッシー、バルトークなど近現代も手がけるほど守備範囲が広い。

 いまは「らじるらじる」の聴き逃し配信で放送後1週間はぞんぶんに楽しめるので、以前の NHK-FM を知っている人間としてはありがたいかぎり。で、公演とは直接、カンケイないけれどもこの作品の説明で、「……その死をもって未完のまま出版された」作品、と紹介してましたが、たしかにバッハは出版するつもり(おそらく「クラヴィーア練習曲集」の続編のようなかたちで)だったけれども、作品後半の各楽曲の配列にはもはやバッハの意図は反映されていない。はっきり言えば、「このフーガで、対位主題に BACH の名が持ち込まれたところで、作曲者は死去した」なんて息子カール・フィリップ・エマニュエル・バッハが書き込んでいるのも、「せっかく高額な銅板まで彫ったんだからモトはとらないと」という切実な(?)事情のもとにあえて未完のままエエイママヨ的に刊行された、というのがほんとうのところのようです。

 演奏の感想に入る前に、まずこの作品で最大の問題が楽曲配列なのでそのへんを少しだけ。上記のような出版に至る経緯に加え、バッハの死後に出版を急いだ息子たちの手になる「初版」譜と、いわゆる「ベルリン自筆譜」(SBB-PK P200)とで曲の書法そのものが一部違っていること、楽曲の構成がバッハの息のかかっていない後半部に大きく食い違っていること(詳細は拙過去記事。バッハは「コントラプンクトゥス11」までは確実に彫版を監督していたと考えられている)があって、事態をさらにややこしくしている。

 先週の放送でかかった浜離宮朝日ホールでの公演で演奏された楽曲の順番は以下のとおり。演奏者は4声曲では全員参加、3/2声曲では手すきのメンバーは舞台後方の椅子に控える、というちょっとおもしろい趣向も盛り込まれていたみたい。そのためなのか、8 ⇒ 13a という変則的な順番になっているのも、「3人で3声を演奏する」ということで3声部曲でまとめたのかな、と。

プログラム前半:コントラプンクトゥス1, 2, 3, 4[4声], カノン 14, 15[2声], コントラプンクトゥス5, 6, 7, 9[4声]
プログラム後半:コントラプンクトゥス10, 11[4声], 同 8, 13a[3声], カノン16, 17[2声], コントラプンクトゥス12a、3つの主題による3重フーガ[4声], コラール「汝の御座の前にわれはいま進み出で(われら苦しみの極みにあるとき)」BWV.668a


 で、聴いた感想ですが、手許にあるケラー弦楽四重奏団のアルバムのように、弦楽四重奏ならではの弾むような、丁々発止とした各パートのやりとりがまるで生き物のように躍動して、それがこちらにビンビン伝わってくるかのような演奏ですばらしい。音友社のポケットスコア繰りながら神経を集中して聴くと、たとえば初版譜にあるスラーなどの指示書きに忠実だったり、さりげなく装飾音を入れたりフレーズの切り方を変えたりしているので、あまりこの特殊作品≠聴く機会のない聴き手でもわりと容易に主題−応答の入り/原形主題−変形主題(の反行形など)がくっきり立ち上って聴こえてきたんじゃないでしょうか。

 なんでもカザルス弦楽四重奏団がこのバッハ畢生の大作を取り上げる気になったのは、結成 25 周年を迎えるに当たり、さてどんな作品がふさわしいか、と考えたとき、「どんな楽器編成でも演奏可能な作品だったから」(アベル・トーマス氏、Vn.)、「フーガの技法」を選曲したんだそうですよ。

 ただ、全曲演奏とはいえ、「鏡像フーガ」の2曲は基本形 a のみの演奏で、「鏡写しにした」ほうのヴァージョン b は省略してます。ま、基本形のあとにまた最初に戻って「鏡像」形を演奏してもいいんでしょうけれども、ライヴ公演的にはあまり意味のないことかもしれない。「ゴルトベルク」BWV.988 の「繰り返し箇所」を演奏するか/しないか問題のようなもの。

 最後の未完の3重フーガですけれども、「すべてニ長調の和音で終結させているので、それに合わせた」ということで、最後のワンフレーズでふにゃふにゃっと尻すぼみで終わるよくあるパターンではなくて、その少し前、ニ長調の和音になるところでキレイに終わらせています。なので、出だしの4声単純フーガの終結部の食い違いと同様、カザルス弦楽四重奏団が演奏で使用しているのは初版譜にもとづく校訂版かと思われます。

 テンポもやたら感傷的に遅くなったりせず、終始一貫安定しています。そして彼らが演奏で使用しているのはバロック・ボウ。「細かい表情や響きが加わり、モダンの弓とは違った音のつながりを感じることができ、音の息遣いが変わる」(ヴェラ・マルティネス・メーナー氏、Vn.)からというのが理由のようです。

 初版譜つながりで言えば、この未完フーガのすぐあとにオルガンコラール BWV.668a で〆ているのもその証拠と言えそう。メンバーによれば、「この作品には、感謝の祈りのような、解放的な結末が必要だと感じる」(ジョナサン・ブラウン氏、Va.)という理由のようですが。公演のアンコールにはスペインらしく、そして、いまだに各地で戦争が続く現代世界を思ってか、カタルーニャ民謡の「鳥の歌」でした。

posted by Curragh at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM