2024年04月25日

『オッペンハイマー』

 ここのところ大好きな『ラブライブ!』シリーズの劇場版作品のリリースが続いて(昨夏のアニガサキ OVA とか今春の『ラブライブ! The School Idol Movie』4DX 版とか)、鑑賞するのもいきおいそっち方面に偏りがちではあるけれど、日本人としてはやはり観ておきたかった作品がコレ  

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 オッペンハイマーとはじつは少しばかり縁がありまして、まだ翻訳を学ぶ側だったころ、当時の師匠の教室の生徒さんたちと共同で下訳したのが写真の歴史に関する大部の著作で、たまたまワタシが担当した箇所がずばり「広島に落とされた原爆」の写真について考察された章だった。人類史上初の核兵器の話なので、「トリニティ実験」も、そして映画でも何度か登場する『わたしは死、世界の破壊者となりし』という、古代インドの聖典『バガバッド・ギーター』の引用句も出てきた。

 映画ではこの引用句が印象的に使用されているのだが、映画の原作にあたるこちらの本(ハードカバー初版本では上巻末尾近く)を見ますと、どうもこれ、オッペンハイマー自身は 1945 年時点で口にしていないって書いてあります。じゃあ初出はいつか、というと、なんと 1965 年(昭和 40 年)、NBC テレビのインタビューだったと明かされている[↓動画クリップ参照]。なので、「きみはわたしのようなジプシーではない」(アインシュタイン)のように、映画に登場する人びとの科白はほぼ原作を忠実になぞっている、と言えそうだが、コレに関してはどうもそうではなさそう、つまり映画の脚色っぽいのです。



 そうなると、当時交際していた精神科医のタマゴだった女性がアラレもない姿で本棚から引き抜いた一冊をオッペンハイマーの目の前に掲げて、「このサンスクリットはなんて書いてあるの?」と訊いた云々も史実とは違う、ということになる(ここの箇所は時間がなくて、原作本で確認できなかった。というかこのベッドシーンその他は必要なカットなのか? ただのサービス? もしこうした一連のカットのせいでこの作品がR指定にされたんじゃ、それこそ本末転倒だと思うが。それと文学の出典つながりでは、冒頭近く、オッピー(オッペンハイマーの愛称)の愛読書らしかった T・S・エリオットの詩集『荒地』も一瞬だけ映っていた)。

 ただ、それ以外は(確認したかぎりでは)ほぼ原作どおりに進行し(実在した人物の評伝的作品だから、当然と言えば当然ながら)、宿敵ルイス・ストローズ(戦後、米政府原子力委員会トップに就き、オッペンハイマーの公職追放を主導した。彼の視点で語られるときは、モノクロ画面に切り替わる仕掛けが施されている)とのやりとり、アインシュタインとのやりとり、そしてトリニティ実験当日に奥さんのキティと交わした「シーツは入れなくていい」「シーツは入れてくれ」のような暗号じみた電話などは史実を丹念に拾っている。カリフォルニア大学バークレー校教員時代、同僚のひとりルイス・アルヴァレズが理髪店で散髪中、たまたま広げた新聞にとんでもないニュースが書かれてあり、「食い逃げッ!」とばかりに店主が追いかけるも、脱兎のごとく(笑)外に飛び出し、そのまま全速力でキャンパスまでもどり、「オッピー、オッピー! ドイツのハーンとシュトラスマンだ! 核分裂に成功したぞ!」と叫ぶ場面とか、細かいところも史実に沿って描かれている。

 トリニティ実験当日のようすも克明に描かれていて、オッペンハイマーが感じていたであろう重圧は観ている側にもダイレクトに伝わってくる。早朝5時30分、やぐらのてっぺんに固定された「ガジェット」に点火。そして──約1分にわたって続く静寂のシークエンス。太陽よりも眩しい閃光。ベース基地にまで届く熱。ややあって猛烈な爆風と轟音。このへんも、実験に居合わせた科学者らの証言をうまく映像化していると感じた。

 しかし …… 地球をもふっとばしかねない「プロメテウス的な」強大な破壊力を手に入れたオッピーたち(と旧ソ連、その他の核兵器保有国)をあれだけ克明に描きながら、なぜ被爆直後のスチル写真のカットひとつも入れないのかと、被爆国の人間としては心情的にどうしても感じてしまう。あそこまで真摯に描いておきながら、じつに惜しい気がした。いくら「原爆の父」の視点中心とはいえ、戦後は一貫して、(かつてマンハッタン計画の仲間だった)エドワード・テラーらが推進した水爆開発が米ソの歯止めの効かない核軍拡競争に全世界を巻き込むことになると異を唱え続けた経緯もあるし、それくらいは許容範囲内だったと思う(日本でもかつて邦訳本がベストセラー入りした物理学者R・ファインマンもマンハッタン計画に参加した研究者で、もちろん映画にも登場する)。

 オッピーと決別したテラーの "Nobody knows what you believe. Do you?"(「きみが何を考えているのか誰にもわからない。きみもそうだろ?」)のオッピー評を含む登場人物たちの科白の端々に、オッペンハイマーという不器用な男の内面が、自分自身でもどうすることもできない複雑性をはらんでいた、ということもしっかり伝わるように描かれていた点は好感が持てた。3時間という長大な作品だけれども、それでもなお尺が足りないくらいだったかもしれない。トリニティ実験以後の世界はそれまでの世界から永久に変わった世界(人新世)であり、ティム・オブライエンなど、'60 年代の狂った核軍拡競争時代を描く文学作品やアートが次々と生み出されていくことになるのは周知のとおり。

※ 参考:広島原爆に使用されたウランの供給源となった鉱山労働者の話

評価:るんるんるんるんるんるん
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2024年04月11日

『シリコンバレー式 よい休息』

 最近、仕事の裏をとるための読書がよくあります。これはこれで「知は楽しみなり」で良しとしても、なかにはなんてヒデぇ本! みたいな噴飯ものもある。本を読みなさい、とは言うものの、明らかに良書どころか悪書のたぐいは昔から引きも切らずでして、「読書案内」的なガイド本より、「☓☓☓という本が本屋に平積みされているが、貴重な人生の時間のムダ遣いだから読まんでいい」的な、反面教師的反骨精神的忖度一切ナッシングの読書案内本もあっていいような …… 気がする今日このごろ。

 今回はラッキーなことに、真に掘り出し物とでも言うべき1冊と巡り会えた。それがお題の本(日本語版は 2017 年 刊行)。原題はあっさり Rest でして、ひと口に言えば、「正しい休息のとり方指南書」といった本。著者は邦題にもあるように、シリコンバレーを拠点に活動してきたコンサルだから、ある意味ハウツー系、自己啓発系のビジネス書と言えるかもしれない(しかし『シリコンバレー式◯◯』という書名の本のなんと多いこと)。

 それでものっけからディケンズ、ポワンカレ、ダーウィンとジョン・ラボック、ベルイマンなど錚々たる面々の休息にまつわる興味深いエピソードが最後の章までてんこ盛りで、読んでいて飽きない。経験上、この手の本はなんとか科学と銘打って、「成功の法則」を伝授します的な胡散臭さが漂うものなんですが、それはこちらの思い過ごしだった(この点で、個人的な基準はパスした本)。物理学者のアルバート・マイケルソンという人の逸話も、映画『リバー・ランズ・スルー・イット』原作本を書いたノーマン・マクリーンの思い出話(!)というかたちで出てきたり、トーマス・マンやアンソニー・トロロープにヘミングウェイ、最近ではスティーヴン・キング、そしてあの村上春樹氏(『走ることについて語るときに僕の語ること』、2007)や、IPS 細胞で一躍時の人になった、山中伸弥氏のエピソードまで出てくる! 

 ただし、休息というのはなにもシエスタをとれとか体を休めろ、と言っているのではない(短い昼寝は創造力を回復させるから有効、とこの本でも推奨されてはいるが)。つまり休息とは必ずしも「物理的に体を休める」ことではない。チャーチルのように風景画を描いたり、名著『夜と霧』で知られる精神科医のヴィクトール・フランクルのように山登りをしたり、クォークに関する先駆的実験で 1990 年のノーベル物理学賞共同受賞したヘンリー・ケンドールのようにフリークライミングに興じたりするのも、りっぱな休息≠スりえるのだということを、最新の脳科学実験の結果も交えて楽しく語り聞かせてくれる(DMN[デフォルトモード・ネットワーク]の働きとか)。

 そうは言っても、たとえば「戦略的休息」といったキーワードを見ると、やはりこの本の想定読者はビジネスパーソンなのだ、ということに気づく。だから広義のビジネス書と言っても間違いではないが、べつに会社で働いてなくてももっと健康的に過ごしたい、と願う一般庶民にとってもいますぐ実行可能なヒントがたくさん詰まっているし、ときには「これってオラも実践しているじゃん」みたいに膝を叩く場面もあった。また、「仕事と休息は対立するものではない」という主張もすばらしい。誰しも経験的に納得しているはずなのに、社会的要請に人間関係のシガラミといった、さまざまなプレッシャーをかけられて、いつの間にか「仕事 vs. 休息」という二項対立のワナにはまりこんで身動きがとれなくなっているのかもしれない。
労働と休息は白と黒、あるいは善と悪のように対立するものではない。むしろ両者は、生活の波の異なるポイントと見なすことができる。谷のない山頂はなく、低地のない高地はない。どちらも、互いがなければ存在し得ないのである。(p.6)

 休息法≠フ具体例としてこの本が提案しているのは……
❶ 仕事や研究に集中的に取り組むのは、4時間が限度。有名な「1万時間の法則」も出てくるが、じつは適切に休息をとることではじめて最高のパフォーマンスを発揮できることが判明している(ラボック、スコット・アダムズ)、トロロープ、ディケンズ、ヘミングウェイ、アリス・マンロー、サマセット・モーム、ノーマン・マクリーン、ソール・ベロー、エドナ・オブライエンガブリエル・ガルシア=マルケスなど)
❷ 歩くこと(キルケゴール、トーマス・ジェファーソン、ベートーヴェン、C・S・ルイス、スティーブ・ジョブズ[ウォーキング会議]、ダニエル・カーネマン、チャイコフスキーなど)
❸ 昼寝をとること(チャーチル、J・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン[あとのふたりはチャーチルの習慣にならって昼寝をとっていた]、レイ・ブラッドベリ、J・R・R・トールキン、村上春樹、ウィリアム・ギブスン、トーマス・マン、S・キング、サルバドール・ダリなど)
❹ 中断すること(ヘミングウェイ「次にどうなるかがわかっている時に、その日の仕事を終える」、サルマン・ラシュディ、ロアルド・ダール、マリオ・バルガス・リョサなど)
❺ 息抜きと回復(アイゼンハワー、ライマン・スピッツァー、ケビン・シストロム[Instagram 創業者。2010 年にメキシコにて休暇中に写真共有型 SNS を着想した]、ブライアン・メイ、ベン・カゼズ[コンピューター科学者でバリトン歌手]など)
❻ 遊ぶこと(この本で「ディープ・プレイ」と呼ばれる活動的休息のことだが、ようするに仕事以外に何かライフワークを持て、ということ。そういえば昔、翻訳教室の先輩生徒だった方が「SE はライスワーク、翻訳はライフワーク」とすばらしいことをおっしゃっていたのを思い出す。出てくる人はマクリーンのシカゴ大学時代の先輩マイケルソン、トールキン、ブラム・ストーカー、フランクル、ヘンリー・ケンドール[ハーケンの発明者でもある])

あと、「長期休暇」に関して述べた章もあるけれども、これはいわゆる「研究休暇(サバティカル休暇)のことで、バカンスではない。でもこの本が引用した実験結果によれば、バカンスがもたらす幸福感って、せいぜい1週間が限界らしいですよ。休暇は長ければ長いほどよいわけじゃないってことです。言われればたしかにそうだろうとは思いますが(もうすぐ皆さんの大好きな GW が巡ってくるけれども、連休明けのあのグッタリ感を思い出せば納得されるでしょう)。

 そして最終章の「現在、わたしたちは、ストレスと過剰労働を名誉なこと、真面目さと献身の証しと見なしているが、それは近年の傾向にすぎない」「疲れ果ててパニックになっている人を、最も真剣に働いていると見なすのは、間違いだ」(p.283)という指摘と警告はまったくそのとおりで、とくに日本企業に言えるのではないかと強く感じたしだい。最後の「遊び」については、1970 年代に書かれた古い本ながら、日本人の「間違った遊び方」に警鐘を鳴らしているという点でいまも読む価値があると思っている、こちらの文庫本も併読されることをお勧めしたい(「日本の古本屋」サイトで探せばあるかも。かく言うワタシも何度かお世話になっている)。

評価:るんるんるんるんるんるんるんるん
posted by Curragh at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近読んだ本