で、さっそく地元の図書館で 27 年も前(!)に刊行された日本語版の上巻を受け取りまして、Kindle 版の原書(コレはもちろん買いました)と出だしから2章にかけて突き合わせてみた …… 結果、コレは翻訳というより、いっとき日本ではやった超訳ずら、という結論とあいなった。
超訳の元祖ってじつはけっこう古くて、記憶がおぼろげで申し訳ないけれども、ウン百年前にオランダ語原典から英訳した本には原典には出てこないアヒルとかの動物の鳴き声がやたらと追加されてにぎにぎしくなっている、というものがあるって高名な翻訳家が書いた本で読んだことがある。その伝でいけばこちらの訳書(?)もりっぱな超訳書ということになる。
どれだけ脚色≠ウれているかをちょっとだけ見ていきます。まずは冒頭部[拙試訳は、字義通りに訳すとこんな感じ、というていどのもの。下線は引用者]。
On the first day of the Month of the Crow, in the fifth year of King Tonio of Xylar(according to Novarian calendar)I learnt that I had been drafted for a year's service on the Prime Plane, as those who dwell there vaingloriously call it. They refer to our plane as the Twelfth, whereas from our point of view, ours is the Prime Plane and theirs, the Twelfth. But, since this is the tale of my servitude on the plane whereof Novaria forms a part, I will employ their terms.で、同じ箇所が日本語版では … ↓
〈試訳〉ザイラー国トーニオ王の治世5年目、ノヴァリア暦でカラスの月の1日に、おれは第1平面(うぬぼれ屋の住人たちは自分たちの住む世界をそう呼んでいる)で1年間、奉公するお役目に召喚されたと知った。向こうはこちらを「第 12 平面」なんて呼んでいるが、こちらから見れば「第1の」平面はここで、奴さんたちの住む世界が「第 12 平面」だ。と言ったところで、そもそもこれは、ノヴァリアを形成する時空世界で丁稚奉公した顛末をあれこれ語るお話なので、ここはおとなしく、奴さんがたの用語で「第1平面」と呼ぼう。
ノバリア暦ザイラーの王トニオの年、烏の月の一日。下線部、間違いなく訳者のココロの声ですな。
いきなりなんのことやらさっぱりわからないのだがかまわずにいこう。
この日、ズドムは強制丁稚奉公の命令通知を受け取った。
強制丁稚奉公とは強制的に丁稚として奉公させられることである。第一地界のノバリアで一年の間丁稚としてこき使われてこいという内容だった。
なにかのまちがいではないか。
「厳正なる抽選により、あなたが今年の丁稚に選ばれました」
ちっとも嬉しくなかった。(p.11)
そのすぐあとに「ノバリアのある地界が第一地界で、ズドムの住んでいるのが第十二地界というのはノバリアから数えた場合で ……」とある。英語版 Wikipedia 記事 を見ると、ノヴァリアは地球(と、そこに住むわれわれ)のパラレルワールドで、こことあちらの違いは「魔法が使えること」。魔法使いがいて、ほかの平面(plane)の住人を呼びだすことができる。ノヴァリアからいちばん離れた平面世界が主人公の悪魔の住む「第 12 平面」。言語も異なり、向こうはノヴァリア語を話す。それが日本語版では
…… 現に今こうして語られているこの言語も、これは実はノバリアの言葉なのである。に化けてしまう。もちろんディ・キャンプはそんなこと書いてないし、だいいちクドすぎる。完全な創作。
ノバリア語は日本語にとてもよく似ている。(p.12)
日本語版には巻頭カラーの4コマ漫画(!)まであって、そこに描かれているのが、これまたいかにもという感じの、丸っこくデフォルメされた各キャラクター(『Dr.スランプ アラレちゃん』に出てくるような絵柄)。訳文はとんでもなく自由闊達ながらも、キャラクターたちのイラストを見ると、主人公や、「第1平面」に住む魔法使いのモルディヴィウスの体つきや身なりなんかはわりと忠実に再現≠ウれている …… 気はした(金属的な青光りするうろこにとがった耳、ナマズのような巻き毛のひげにしっぽを持つズディム[Zdim、邦訳の表記は読みやすさを最優先にしたんでしょう]、もじゃもじゃのひげをたくわえ、猫背だが背丈はズディムと同じくらい高く、ツギハギだらけの黒衣をまとった魔法使いモルディヴィウス、など)。脚色や創作箇所がそれこそあっちこっちにあり、前述したように冗長さはあるものの、そこに目をつぶれば、上巻を見たかぎりは全体的にストーリーや世界観が大きく逸脱したり、破綻はなさそう …… と感じた、あくまで一読したかぎりでは。
しかし出だしからもうすこし先、主人公の悪魔(fiend)ズディムが魔法陣の真ん中に立ち、自分が属する「第 12 平面」から人間の住む「第1平面」へ転送≠ウれた直後の描写(p.20)はどうも落とし穴に落ちておいでのようです。その箇所の原文をすなおに訳せば、「……[ニンの役所の]長官の間が目の前から消えたと思ったら、いきなり荒削りな地下室の中、いまさっきまでいたのとまったく同じ五芒星の上に突っ立っていた。このとき、いま自分が立っているところに 100 ポンドの鉄のインゴットが置かれていて、そいつが自分の代わりに第 12 平面に運ばれたと知った」。過去完了の見落としが原因かと。たしかに巻末近くにも、ノヴァリア第1平面における任務(?)を終え、都市国家どうしの侵略戦争もどうにか切り抜けたこの悪魔(で、しかも哲学者!)氏は、愛する妻と赤ん坊が待っている故郷へハレて帰還するとき、“I sat down on the two hundredweight ingots of iron” ってあるけれども、これはおみやげ的な追加の鉄のインゴット(Wikipedia の要約記事にもしっかり “extra” って付いてる)。彼の住む世界である「第 12 平面」は慢性的な鉄不足で、人間の住む「第1平面」から鉄のインゴットを用立ててもらう代わりに、1年間の「丁稚奉公」要員として悪魔を差し出すという「契約」を、かの地の人間の魔法使いと交わしている、という設定になってます。魔法陣に描かれた五芒星は、一種の転送装置です。
老魔法使いのモルディヴィウスに「メシ炊きと掃除をしろ」と命じられた丁稚奉公の悪魔ズディム。魔法使いの若い弟子グラックスに、キッチンに行く道が迷路みたいでわからん、とこぼしたら、歌みたいにして覚えればいいときて、「いいかい? まず左左右右左右左。はいっ。ごいっしょに」(p.32)なんて調子良く続くがこれもウソ(創作)。原文は「行きは右左右左左右右、帰りは左左右右左右左。できるか?」です。
これくらいにしておきます。キリないし、そんなにヒマじゃないし(苦笑、つづく第2章ものっけから訳者はブッとばしてスピード違反の連続。いもしないロバ[原文は mule、ラバ]だの存在しない「鳥居」だの、グラックスがズディムに「夜這いにいっしょに行かないか」なんてお誘いしているのもぜ〜んぶ訳者の創作だから恐れ入る。全編この調子では、さすがに読まされるほうはたまったもんじゃない)。日本語版はどういうわけか(?)上下巻と分冊になってますが、原書のこちらの版の場合は 200 ページほど。ほかの版も調べた限り似たりよったりで、日本語版を1冊本として出版したとしてもさほどガサばらなかったはず(とはいえ、あれだけあることないこと詰め込まれるといきおい分量は増す…)。
今回、これを書くときに参照した読書家の方が書かれたページがあります。この超訳本については一定の評価をしつつも、「翻訳の出来不出来、原典の再現性はさておいて、海外のおもしろそうなファンタジーを適当に訳してマネーを稼ぐ、悪しき前例とならないように」とクギを刺しています。電撃文庫で翻訳ものっておそらくほかにはないだろうとは思うが、ワタシとしては、やっぱり前にもここで書いたような、ハヤカワファンタジー文庫版『妖精の王国』の名訳者である浅羽莢子先生の訳で読みたかったなァ、というのが率直な感想。