2014年08月31日

西伊豆の海から定期船航路が消えた

1). 以前からこの日が来る悪い予感はしていたが … 伊豆西海岸の海から、とうとう定期船航路が本日をもって消滅してしまいました。市長に航路継続を求めて陳情に行った人のなかには、「見捨てられたようだ」とつぶやいた方もしたらしい。そういえば伊豆箱根鉄道船舶部( 当時 )の高速船「こばるとあろー」号が廃止されたのも 11年前、2003年の今月31日のことでした。

 一連の動きを見ていると、巨大な?マークが浮かんでしまう。だってジオパークでしょ? 「深海水族館」ってまだ行ったことないけど、いま人気者らしいダイオウグソクムシなどの深海生物に興味を持ってもらったら、そのまま高速船で戸田港に運んで、そこで「戸田塩作りの体験」とか、深海魚釣り体験とか、着地型の体験サービスを楽しんでもらって、タカアシガニを食べてもらって、あるいはそのまま宿泊してもらって … それでまた高速船に乗って帰る、そんな「ひとつの線で結ぶ」という回遊性をもたせるというか、なぜそうした発想がないのだろう。なぜ、首長みずから乗り出そうとしないのだろう。沼津駅 → 沼津港 → 「港八十三番地」/「深海水族館」→ 戸田港 → 沼津港 → 沼津駅というふうに。

 また静岡市みたいに、LRT を導入するというのもひとつの手だと思う( 昭和 30年代まで、沼津駅 → 三島広小路駅間にはいわゆる「チンチン電車」が旧東海道沿いに走っていた )。クレイダーマンの住んでいる南仏ニースには、2007 年開業のトラムがある。欧州の大きな都市、たとえばパリでも20年くらい前からトラムが復活していて、今後も拡張させる計画らしい。トラムの利点を挙げればけっこうある。地下鉄みたいに穴を掘る必要がない、環境負荷が少なく、建設費用も安上がりで、なんといってもお年寄りにもやさしい公共交通。「駅」は、道路上にあるから、上がったり下がったりする必要もない。

 この前、鶴瓶さんと松下奈緒さんがやってきた安良里では、たとえばこんな体験会を開催して大盛況だったそうだ。バブルのころだったらおそらく受けなかっただろうが、いまは囲炉裏とか土壁の古民家とか、はたまた近所の名もないような神社でも「パワースポット」として売り出せる時代( 「御朱印帳」だって、いまはカラフルなものがたくさん !! )。けっして悪い発想じゃないと思う。

 そして、交通不便な過疎地域の定期船航路というのは、地元の人にとってはなくてはならない「足」、インフラのはず。そのへんのところをもうすこし考えてほしいと思う。大地震とか、陸路がズタズタに寸断されたら ―― 何年か前の土肥新田地区の地すべりみたいに ―― 海しかないでしょうに。空という手もあるが、いざというときは船を出したほうが早い。そういえば西伊豆は「ヘリコミューター計画」というのがバブルのころに持ち上がったものの、計画倒れに終わったことがある。

 伊豆西海岸の定期航路の歴史はたいへん古くて、こちらのページによると、なんと明治時代から存在していた( 1969年「第22龍宮丸が黄金崎沖で遭難者を救助」、そんなことがあったんだ!)。三島由紀夫が 1960年8月、『獣の戯れ』構想を練るための現地取材から帰京するときに乗ったのは伊豆箱根鉄道の「龍宮丸」という客船だったが、当時は宇久須や安良里にも寄港していた(「こばるとあろー」に切り替わってからは沼津 → 土肥 → 堂ヶ島 → 松崎という航路になった )。伊豆箱根鉄道以前に西伊豆航路に就航していた東海汽船の「あやめ丸」とかは船が大きくて、安良里港に入ってくるときに船底がつく恐れがあったため、「はしけ」を出してお客さんを岸壁まで運んでいた( 洋画家の中川一政が紀行文「安良里日記」を書いたころは、東海汽船の定期船航路だった )。

2). ジオパークつながりでは、今週、世界ジオパーク推薦関連で地元紙でも報じられていたけれども、日本ジオパーク委員のひとりがこんな指摘もしていた。「[ 伊豆半島という ]エリア全体の一体感醸成が必要」。しかり。でも、これがなかなかね … 伊豆半島って入江の独立性がつよくて、たがいに張り合っていたみたいなところが昔からある。たとえば宇久須と安良里は明治時代に一度、「宇久須村」として合併しているけれども、行き来が不便なうえに気質がちがうなどで、数年後には分離している[ 当時はまだ黄金崎廻りの旧国道もなくて、急峻な峠路を越えていくしかなかった ]。そうかと思えば南隣にあるおなじく漁村の田子( たご )の住民とは江戸時代に「田子島」をめぐって境界線争いしていたり( 安良里側が島に綱かけてエンコラと「しょびいた」という内容の俗謡まで残っている ) … 。

 頭では「伊豆はひとつ」とわかっていながら、いざとなると狭い市町の単位でしか物事を見られなくなってしまうというこの悲しい欠点、長いこと染みついた一種の習性みたいなものなので、そうかんたんにはなくならないと思う。おんなじ静岡県でも、このへんの住民の気質のちがいが、浜松のような遠州とこのへんの地域の大きな差だと感じる … けれども、世代交代も進んでいるし、またほかの地域から移住する人が増えればそれが刺激となって、よい方向に進めば見通しはそんなに暗くはないはず … です。

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