2014年09月21日

「国際平和デイ」に想うこと

 けさの地元紙日曜版を見たら、1面のコラムにこんなことが。
中米の小国コスタリカ。… 日本と同様に「憲法で軍隊を持つことを禁じている国」と知る人は少なくないかもしれない。/ そのコスタリカと英国の提案で「国際平和デー」制定が国連で決議されたのは30年余り前。通常総会が始まる9月の第3火曜を、平和への関心を高める日とした。

 そんなに前から、しかもコスタリカの呼びかけで始まったとは恥ずかしながらこのトシになるまで知らなかった。ときおり、事務総長たちが国連本部中庭にある「平和の鐘」を鳴らす場面とか TV のニュースで見たことはあったけれども … でもこの世界平和を祈念する日、じつは 2001年9月のこの日まで、こうした行事はいっさいなかったそうです。2001年9月と言えば、そう、あの忌まわしいテロ攻撃のあったときです。

 これではいかん! と思って立ち上がったのが、英国人俳優のジェレミー・ギリ氏だったそうだ。これもまた、本日付コラムにてはじめて知る。
変人扱いもされたが、粘り強い訴えはやがて世界の指導者を動かす。活動が実り、あらためて全世界的な停戦の日として9月21日を「国際平和デー」とする決議が国連で行われた。

 かたや日本じゃどうでせう。以前、さる著名な方の SNS 投稿を見たら、東日本大震災発生後、しばらく言われた「絆」とか「忘れるな」とかいうことばにつよい違和感を感じた、という人が意外や多かったみたいです。口先だけの「絆」とか「がんばろう」じゃたしかにそうだろうけれども、「記憶を風化させない」ことは、なににも増して大事なことなんだと思いますよ。ギリさんの行動は、いまを生きる人に「戦争をなくすことはできる」ということへの覚醒を促すというか、とにかく「意識」させることだったはず。

 日本人はとかく … とよく言われるけれども、ついにあの忌まわしい大戦の記憶まで、葬り去ろうとしているかのごとき不気味な動き、映画の「スター・ウォーズ」好きなのでそっちの用語で言えば「見えざる脅威( Phantom Menace )」になりつつあるんじゃないかって最近、よく感じます。広島・長崎のことを知らない若い人が増えている。ドイツでも同様に、「ベルリンの壁」を知らない若い人が増えている。前にも書いたが、人っていうのはほうっておくと、脆い海蝕崖よろしく、記憶という砦がどんどん undercut に晒されてしまう。侵食され尽くされ、ついにはなくなる。人間の脳は ―― ってべつに脳科学の話じゃないが ―― 誕生からあちらの世界へ召されるまで、すべての出来事を「記憶」しつづける、なんてことはできっこない。記憶のエントロピー過程なるものがないと、一日たりともまともに生きてはいけないでしょう。もしそれができたとしても、おそらく重篤な精神疾患、ようするに発狂して終わり、でしょう。

 だからと言って、いまだに 2,633 人( 今年3月時点 )もの不明の方がいる大震災と大津波、そしていまだ収束のめども立たない原発事故の影響がつづいているというのに、そのときの教訓を忘れていいはずがない。昔の人は、たとえば民話とか伝承という「かたち」で後世に伝えてきた。「物語」というのは、そのための伝達装置としての役目も果たしてきたと思う。逆に言うと、こうした「物語」を失ったとき、またおんなじような災い、いやもっと悲惨なことがふたたび降りかかってくる … と思う。

 「じゃあ関東大震災は? もっと古い地震は? そんなこと覚えている人がいるだろうか」と、たしかその人は書いていたように思う。過去を記憶することではなく、いかにして被害を軽減させるか、その技術を各人が学ぶことのほうが重要、みたいにつづけていた。

 でもやはりそれだけでは足りん、と考える。そして、地震などの自然災害で犠牲になった人を記憶することと、先の世界大戦の惨禍、それをくぐり抜けてきた人の証言を若い人に伝え、みずからも耳を傾ける、というのはけっきょくのところおんなじことだと思います。人間はすぐ忘れる動物なので、過去の教訓を「物語る」ことでリレーしてゆく必要がある。そうしないと、たとえば「なんとか新田」という地名にこめられた先人の警告に気づかずに家を建て、ある日、まったく予期しなかった災難にあう、なんてことも起きかねない( 古地名にはメッセージが隠されている場合が多い )。だいいちあの震災にせよ、それが引き金となって発生した未曾有の事故にせよ、直接・間接の犠牲者および被災者の方がおおぜいいるのに、「いちいち昔の震災 / 戦争のことなど覚えていられるわけがない」という態度は、不遜以外の何物でもない。

 せんだって、とある学生さんのとあるアカウントに、「八紘一宇」なんてそれこそ亡霊のごとき「死語」が麗々しく掲げられてるのを発見して、なんだか目眩をおぼえた。… 国対抗のスポーツを観戦しているサポーターの「応援」と、「愛国心」とをごっちゃにしているのかね … 古くはニーチェ、またキャンベル本にも多く引用されているシュペングラーの『西洋の没落』とかひもとけば、ことはそう単純ではないことに気づくはず。

 ワタシの親戚の伯父さんのお兄さんは、あの大戦末期、1944年に戦艦ごと散ってしまった。またある親戚には、「おまえ、今年でいくつになった?」と訊かれ、「はたちだよ」とこたえたら、「徴兵だな」と返されたこともある。こういう人たちが身近なところからどんどんいなくなっている。げんに「超」高齢化が進行中だし、一部の人が危惧しているように、予想よりも早く「戦争体験者ゼロ社会」に突入するかもしれない。

 もうすぐ大団円を逢える NHK 朝ドラ「花子とアン」に出てくる花子の「腹心の友」、蓮子さんの愛息もまた終戦直前に戦死してしまったが、モデルになった歌人の白蓮( 宮崎Y子 )さんもひとり息子を戦争で亡くしている。戦後、「国際悲母の会」を設立した白蓮さんは、こんな文章も残している( 下線強調は引用者 )。
国境はもはや、不要のものだと思う。地球上の海も陸も、すべては全人類の共有財産であり、自然が與( あた )える無差な恵であり、一国や一民族の独占すべきものではない。全人類の共存と幸福を追求するためだといって、暴力に訴えることは、意味をなさないそれは平和的な手段によってのみ打開されるべきものである。先年の戦争で、日本にはたくさんの犠牲者がいる。これらにたいして、国はなんの救護もしていない。国民を偽って戦争にかりたてた政府が、このうえにまたもや再び人民を戦争に追いやろうとする。その結果として残るものは、混乱と、叛逆と、殺戮と、ついには滅亡だけであろう。*

 比較神話学者ジョー・キャンベルは 1950年代というからこれが書かれたのとほぼおなじ時期、京都で開催された国際宗教会議に出席するため来日している。1960年代終わりごろに完成した大作『神の仮面』にも、じつは似たようなことが書かれているし、そのあとで刊行された『生きるよすがとしての神話( 1971、1996年に飛田茂雄先生による邦訳書が刊行されているが、絶版らしいので公共図書館に行けば置いてあると思う )』に収録された最後の講演録も、「もはや境界線はいらない」という内容だった。

 白蓮さんの言いたかったことは、もちろんキャンベルのような霊的というか、精神的な趣旨というのではなく、文字どおり「国境は必要ない」、そんなもののためにきみ、死にたまふことなかれということだったと思うが、とにかく「八紘一宇」だのわたしはミギだのあんたはヒダリだの、そういう発想は捨ててもらいたい。

 でも … 本家サイトにもあえて目につくところにバナーを貼ってあるように、被災地に寄り添い、ほんとうの意味での復興に日々、取り組んでいる若い人たちもおおぜいいるし、広島の土砂災害被災地にもたくさんの若い人が汗を流して活動している。東北の被災地支援では、たとえばこんな団体もあったりします … 。

 いずれにせよ、いまを生きる若い方々にはもっともっと幅広い視野を持ってほしいですね。あるいは「無言館」のような施設にも足を運ばれるのもよいと思う。

 ちょうどキャンベルが『神の仮面』を書いていた '60年代は「キューバ危機」に代表されるように、全面核戦争の脅威がわりと身近だった( 映画「渚にて」、ティム・オブライエンの作品とか )。前にも書いたかもしれないが、「正義のための戦争」なんてあるわけもなく、あるのはただ破壊のみ。だけど、「創造的破壊」なら大歓迎。若さというのは、そういう底力、いまふうに言うとポテンシャルに満ちあふれている。これはここにいるしがない門外漢の、いわば遺言です。

*… 柳原Y子「片隅からの言葉」(『日本評論』1951年4月号、村岡恵理著『アンのゆりかご / 村岡花子の生涯』p. 327−8 )

posted by Curragh at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の雑感など
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/103832933
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック