2014年10月12日

「偉大なロ短調( BWV. 544 )」

 BBC Radio3 の Choral Evensong、今週はローマカトリックの通称「ウ大( ウェストミンスター大聖堂 )」から。で、本放送を聴いていたら、締めくくりのオルガン ヴォランタリーとして、大バッハの「前奏曲とフーガ ロ短調 BWV. 544 」が流れてきました( リンク先は、IMSLP 上のスコア。なおこの曲はバッハのオルガン作品としてはたいへん珍しく、自筆譜が現存している希少な例 )。

 ほぼ同時期に作曲された「ホ短調 BWV. 548 」については以前ここでも書いたけれども、ワタシが中学生のころ毎週日曜朝に NHK-FM で放送されていたのは「朝のハーモニー」という、オルガン音楽のみで構成された、いまにして思えばなんてぜいたくな番組! でした。で、そのとき NHKホールのカール・シュッケ社建造の大オルガンではじめて聴いたのが、この BWV. 544 なのでした。

 バッハのオルガン作品では「小フーガ」くらいしか知らなかった中学生ながら、この BWV. 544 の前奏曲とフーガをはじめて聴いたときの印象はなかなか強烈で、とりわけ単純な音階で上がって、また下がるフーガ主題がけっこう気に入っていた。その後たとえば「フーガの技法」とかにも触手を伸ばすようになって、晩年のバッハ作品の主題の多くがなぜ一見すると素っ気ない、単純な音型なのかが理解できるようになった。その後の巨大な展開、あるいは音楽としての可能性をとことん突き詰められるからだったんですね。

 だいぶ前に邦訳が出たドイツの音楽学者マルティン・ゲック氏の4巻本『ヨハン・ゼバスティアン・バッハ』にも、この「偉大なロ短調」が出てきてすこぶるおもしろくて(3巻の「古典的なるものの完成」、pp. 53−60)、ひさしぶりに当該箇所を見てみると、『ダ・ヴィンチ・コード』で見かけたような「黄金分割」の話(「第一部分は第二部分に対して、また第五部分は第三部分と第四部分の合計に対して、それぞれ黄金分割の小部分が大部分に対するのと同じ比率になっていることがわかる」etc. )とかあって興味は尽きないのですが、個人的には引き合いに出されているヘルマン・ケラーの引用に着目したい。
彼( ヘルマン・ケラー )はこの ≪ プレリュード ロ短調 ≫ が ≪ ミサ曲 ロ短調 ≫ の < キリエ > と、アリア < 哀れみたまえ > を思い起こさせるような気がするというのだ。

バロック音楽では「調性による象徴」という考え方が生きていて、たとえば「神の栄光を讃える」にはニ長調( 輝かしい感じを抱かせる )を用いるといった使い方がされる場合が多かったようですが、ではロ短調はどうだったかというと、ずばり「受難」。ケラーの文章(『バッハのオルガン作品』音楽之友社刊、p. 209 )では、指摘された「マタイ受難曲 BWV. 244」中のロ短調で歌われるアルト独唱アリアの譜例を引いて、「… あるいは、その終結部が、オルガン・プレリュードの中にふくまれていたとしても、けっして不思議ではない」とし、「形式上はホ短調プレリュード[ BWV. 548 のこと ]に近いにもかかわらず、まったくべつの基本的性格、すなわち、受難曲のアリアの叙情性と苦悩の性格をもっている」と書いてます( いまさっき見た「クラシック音楽館」の「第 1788回N響定演」で、マエストロ・ブロムシュテット氏[ 87歳 !! ]が、モーツァルトの「40番」について「ト短調は悲劇的」と評していた、ということもいちおう付記 )。

 フーガについては、ケラーが指摘していることは正鵠を射ている、と自分も感じます。つまり、手鍵盤のみで奏される中間パッセージのあとで、「雲間からの一条の光のように、… 一つの新しい主題が … 上方から天の力のようにやってくる。そして、主題を大きな高まりの中で集結に運んでいく」。

 ウェストミンスター大聖堂副音楽監督による演奏は、とくにこのフーガ部分において、ほぼケラーの解釈どおりの「テラス式増強法」でクライマックスへと突き進んでいってます。つまり 16分休符をはさんだ特徴的な新主題が上から降ってくると同時にプレーノへと移行し、さらにストップを追加、あるいはカプラーで鍵盤どうしを連結して増強していく、という演奏です。オルガニストによっては、もう達観(?)の境地なのか、そんなせせこましい小細工なんぞ必要ない、と言わんばかりに前奏曲からフーガまで一貫してオルガノプレーノで統一、なんて猛者もいます。トン・コープマンあたりの演奏も、そんな感じだったような … 。

 BWV. 544 は 1731年には完成されていたらしい。『バッハ事典』によると、ヴァイマール時代の若いころの「原形」に手を加えた作品、という見方もあり、またドレスデンあたりのオルガン演奏会で披露された可能性についても言及している。ちょうどその年、46歳のトーマスカントル、バッハはドレスデンの聖ゾフィア教会のジルバーマンオルガン( のちに長男ヴィルヘルム・フリーデマンがオルガニストに就任、リンク先記事にもあるように、第2次大戦末期の連合軍爆撃により、この歴史的楽器は教会もろとも焼失 )でリサイタルを開いているから、ひょっとしたらそのとき初演されたのかもしれない。↓ は、2010年 10月16日、オランダのデン・ハーグ( デン・ハーハ )での演奏会のもよう。



posted by Curragh at 23:55| Comment(3) | TrackBack(0) | バッハのオルガン作品
この記事へのコメント
お久しぶりです。来る11月8日(土)にキャンパスプラザ京都でバッハとダ・ヴィンチの思想的共通性について講演会を予定しています。もし、ご興味あるかたがおられましたら、紹介いただければ幸いです。北海道、群馬、広島、東京などからも申し込みをいただいています。詳しくは以下にアクセスください。
http://jsbachcode.com/The_JS_Bach_Code/Conference.html
Posted by Tamotsu Hashimoto-Gotoh at 2014年10月19日 19:10
書き忘れました。ご存じの様に、バッハは中世以来の、いわゆる調性格論は無視しています。平均律の彼にすれば当然のことですが、ただし、批判の意味を込めて独自の意味を調性に与えています。ロ短調はイエスの愛、ト短調はイエスの人間性、イ短調は憎悪などを表わしています。ただ、器楽曲ではそのあたりは明確でなく、小林義武氏の言う様に無頓着だった可能性もあります。ただし、おそらくBWV544だけは例外的に、《マタイ受難曲》と同様にイエスの愛を表現している可能性が高いと言う事ができます。作曲がほぼ《マタイ受難曲》成立と同時期だからです。この曲を講演会のオープニングに使う予定です。
Posted by Tamotsu Hashimoto-Gotoh at 2014年10月19日 19:19
橋下様、

こちらこそお久しぶりです !! それと、講演会のご案内までいただき、びっくりしております。のちほどシェアさせていただきますね。というか、ほんとなら聞きに行きたいくらいです … 。

BWV. 544 については、おっしゃるとおりだと思います。作曲時期は「マタイ」とみごとにかぶりますね !! 調性については、いわゆる「数象徴」のひとつの手段としてみなしていたのかもしれませんね。これはさる指揮者の先生が指摘されていたことなのですが、…「マタイ」はホ短調で開始してしばらくは#の調を推移するが、「最後の晩餐」以降、急激に♭の調へと傾き、10曲目のコラールでは♭4つの変イ長調へと転じる。かたや「ヨハネ」ではト短調で開始され、しばらく♭を進むが「ペトロの否認」と「平手打ち」から#へと転じ、11曲目のコラールでイ長調となる … 互いに逆回りに五度圏を5つ移動することになり、ほぼおなじ場面で響きが一変するこの転調は、あたかも互いの調性が十字としてクロスしているかのようだ … という趣旨のことを書いていたのも思い出しました。m( _ _ )m
Posted by Curragh at 2014年10月19日 21:08
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