2006年07月30日

どうにも解せない from the U.K.

 先日、いつもお邪魔しているあるblogさま経由でこんなニュースを知りました。

 12歳の仲良し3人組が、近所の公園の桜の木に登って、隠れ家をこさえようとして折れかかっている枝を数本、手折っただけでなんと警察に逮捕され、殺人犯などが入れられるのとおんなじ部屋に2時間も拘留、こっぴどく叱責されたあげく、顔写真を撮られたりDNAサンプルまで(!!)取られて、ようやく解放された、というもの。逮捕容疑は、公共物の破損(日本なら器物損壊罪に当たると思う)。公園の桜の木の枝を折ったことが悪質な落書きなどと同様にみなされ、当の警察側は「反社会的行為」にたいしてはどんなにささいなことでも断固たる態度で臨む、そうすることで重大な犯罪へ発展する芽を摘めるからだ、みたいに返答しているのですが…。

 この記事に寄せられたコメントのなかには「子どもにはこれくらいのお仕置きをしておかないとゴロツキどもが減らない」なんてトンデモない発言もありますが、ほとんどが「警察のやりすぎ」を非難する内容。「こんなくだらないことに税金をかける暇があったらほんとうの極悪人を捕まえてくれ」、「『反社会的行動禁止命令(ASBO, こんな略語はじめて知った)』が必要なのはむしろ警察のほうだ」、「ゆっくりだが確実に警察監視国家になりつつある」…などなど。

 「事件」は先月起きたようですが、もし報道内容が正しければ、英国ではたんなる「子どもの遊び」が「悪質な落書き」と同等にみなされてしまう国になってしまったと思う。どう考えても「折れかかった枝を数本」折っただけで子どもを逮捕、というのはおかしい。

 公共物、といっても、ここの人たちはその昔自分たちが子どもだった当時はやっぱりおんなじようにしてこの桜の木によじ登っては、枝を折って隠れ家を作ったりして遊んでいた…らしい(逮捕された3人のひとりの父親談)。でもこれは「やっているのはウチの子だけじゃない」という理屈で、「悪いこととは認識せずにやったことだからべつにいいではないか」という言い訳のようにも聞こえる。とはいえ子どもたちの悪ふざけがすぎたからといって近所の大人がいちいちこんなことで警察沙汰にするのもまったく大人気なくてやっぱりおかしい。日本だろうと英国だろうと、ここはふつうに「枝を折るな!」と一喝すればすむことではないか。

 …日本でも腫れ物でも触るかのように大人も子どももlive-and-let live policy、悪い意味での「人は人、不干渉主義」が横行し、他人様の子が行儀悪くしていてもなかなか注意できない世の中。地球の反対側でも似たようなもんだなぁ…と嘆息したしだいです。いつごろからこんなことになってしまったのか…すくなくとも自分が子どもだった1970年代にはまだ口うるさい近所の大人がいました。かくいう自分も悪さをしてはよく叱られた口なので、この件についてはまったく人のことは言えないが(ピンポンダッシュなんかもよくやりました…ごめんなさい…もし当時の自分がいまの英国の子どもだったら、まちがいなく悪ふざけがすぎたかどで逮捕されて前科者でしょうorz)…。

 英国での事件では、当然のことながら3人の子どもたちは拘留中ずっと泣いていたようで、さぞかしトラウマになったことだと思います。こういう心の傷は一生、消えることはない。コメントにもあったけれども、警察側の言い分とはまるで逆効果で、この子たちには警察に対する根強い不信感しか残らないでしょう。

 もうひとつ英国発のニュースから。エクセターにある国教会(英国聖公会)系の小学校、セント・レナーズで、学期末コンサートで歌う予定だった故ジョン・レノン氏の名曲Imagineを、「国教会の学校で歌うにはふさわしくない」として急遽べつの歌に差し替えた学校側の対応に保護者が反発している、というもの。学校側の言い分では、「歌うのを『禁止』したのではなくて、『緑の地球を歌う』というテーマをレノンの曲以上に表現しているほかの曲に差し替えた」とか言ってますが、BBCの記事では校長みずから「ウチの学校にはふさわしくないと判断した」とはっきり言ってます(子どもたちがこの曲を練習しているのを知った女性教員が校長に通報したことがそもそもの発端らしい)。

 …う〜ん、なんとも挨拶に困るんですよね、こういう話…。というか、最近の英国国教会どうした?! なんてことがつづいています。カンタベリ大主教があろうことか、映画版 The Da Vinci Codeと「ユダの福音書」は陰謀だなんて復活祭の説教で発言したり…正直、この話を聞いたときは思い切り引きましたよ。かたや虚構の物語、かたやたんなるグノーシス主義文書にすぎない古文書とをごっちゃにするとは…(米国地理学協会がわざわざ映画公開と聖週間にあわせて発表したことは陰謀かもしれませんけど)。

 …それにひきつづいての今回のこの騒動。これだから聖歌隊員志望の子がいっこうに増えないんだな、と勝手に思いこんでしまった。

 原始キリスト教会は、基本的な教理もまちまち、「新約聖書正典」も各派によってバラバラという状況だったから、グノーシスのような「変奏されたキリスト教」宗派についてもわりと寛容だった、というか、正統教会の教父たちが弁の立つグノーシス派と喧々囂々やりあっているなかで、彼らの教義の「使えるところ」は積極的に吸収していったふしが認められます(「ヨハネの福音書」とか)。ようはいま以上に多様性について寛大だったのです(一転して排他的になるのはカトリック教会が地歩を固めたずっとあとの年代のこと)。

 …国教会だってもとはと言えばローマ教会から破門されたヘンリー8世が「それなら自分が教会の首長になってやる!」とあらたにはじめた教会ですから、今回の場合も子どもたちの自主性にまかせて、おおらかに見守ってあげたほうがかえって国教会の株も上がると思うんですがどうでしょうか。

posted by Curragh at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近のニュースから
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