2014年10月19日

本日の音楽番組から2題

1). けさ、たまたま見た「題名のない音楽会」。「らじる」の「名演奏ライブラリー( 本日はヘンリク・シェリング !! )」をかけっぱなしにしたまま視聴していたら、思いがけない内容だった。

 いまの公立小・中学校の音楽ってどんな教科書で、何時間くらいやってんだかまるで知らないけれど、いくらなんでもこりゃヒドいんじゃないでしょうか … 「埴生の宿」や「翼をください」、そしてかのフォスターの名曲、「ローレライ」などなど、一覧のフリップも見たけれど、音楽の教科書からこんなにたくさんの「名曲」が、いつの間にやら消えていたんですねぇ、こちとらとしては、ただもう絶句するほかなし。

 なんでこういった作品が、いまの「検定済」音楽教科書からごっそり消えてしまったのか。ゲストの先生がしゃべっていたその理由というのが、たとえば「埴生の宿」ですと、「使用されている日本語歌詞が古すぎて、わからない子が多いから」みたいなことでさらにビックリ。教えるほうも、「はにゅう」の意味がわからない … って、そういうことを教えるのがみなさんの仕事なんじゃありませんか、と TV 画面に激しく突っこんでいた(苦笑x2)。

 たしかに義務教育現場はただでさえ疲弊している。現場の先生はほんとたいへんだ。精神を病んで離職する教員も後を絶たず … という話も見聞します。小学校の英語教育云々なんか見ていても、この前 NHK のこちらの番組とか見たんですが、なんというか、しょせんは「2020年東京五輪向け対策」なのかしら、とも思う。あっちへブレ、こっちにブレ、ツケはみんな現場に負わせる。音楽などの芸術教育なんか、そのアオリをもろに食らっているだろうことは容易に察しがつく。キャンベル本にも引用が多いシュペングラーの2巻本『西洋の没落』の最終節がずばりお金、経済についてでして、古代世界における貨幣といま流通している貨幣とはその意味がまるでちがう、というくだりがあります。21世紀のいま、音楽などの芸術教育、広い意味での教養を育む教育は、「費用対効果」というモノサシから見るとはなはだ心もとなく、ようするに「いますぐ結果」が出せない、もっと言えば「手っ取り早くおカネにならない」。大学なんかもそうでしょ? 文科省の方針転換で、このままでは早晩、国内の大学から文学部は消滅するかもしれない、と危惧する当事者はけっこう多いです。

 音楽教科書の問題にしても、小学校からの英語必修化にしても、大学の文学部に代表される教養課程の消滅問題にしても、「費用対効果」とか、「いますぐ役に立つかどうか」、ただそれだけで判断されている。ほかの基準なり、あるいは将来像なりにもとづいて計画的に … なんてことは微塵も感じられず、その結果がこういったかたちとなって現れているのではないかって思わざるを得ません。

2). というわけで、そのあとそのシュペングラーを読みつつ、「きらクラ!」を聴いて過ごしてました( ふかわさん、お帰り! )。ええと、なんですか、また新コーナーですか。「お仲間紹介」。初回は、パッヘルベルの超有名な「カノン」と、「ジーグ( 2曲ともニ長調 )」。ふかわさん、そうとう驚いていたみたいですね。「ええッ !! このふたつってユニットだったの ?! 」みたいなことを言っていた。ユニットかあ、なるほど、言い得て妙だ。「あまり知られていない仲間作品」という趣旨ならば、ワタシだったらオルガンのためのバッハの一連の「小フーガ」を挙げるかも。バッハの「小フーガ」とくると、有名な BWV. 578 の愛らしい、だが一度聴いたらまず忘れないであろう、ひじょうに印象的なフーガ主題のあの作品を思い浮かべる人が大半だと思うが、じつは BWV 番号のあの近辺には他にもオルガン独奏用の「小フーガ」作品が7つほど並んでいます。「( レグレンツィの主題による )フーガ ハ短調 BWV. 574 」、「フーガ ハ短調 BWV. 575 」、「フーガ ト長調 BWV. 576」、「フーガ ト長調 BWV. 577 」、「( コレッリの主題による )フーガ ロ短調 BWV. 579 」、「フーガ ニ長調 BWV. 580 」、「フーガ ト長調 BWV. 581 」。ただし BWV. 576、BWV. 577、BWV. 580、BWV. 581 は偽作ないしはその疑いあり、つまりアカの他人の作品らしいです。『バッハ事典』によれば、BWV. 580 / 581 は弟子の作品ではないか、としています。Organlive.com とか聴いていると( とくにバロック特集を組む水曜日 )、この中で比較的よくかかるのは BWV. 577 のわりとアップテンポで調子のいいジーグ風フーガ( ありゃ、またしてもジーグだ )、ついでコレッリ( コレルリという表記には抵抗がある )、レグレンツィの主題にもとづくフーガですね。

 本日出題の「BGM 選手権」、音楽教科書とはべつの意味でたいへん驚いた。なんと、北原白秋訳の『まざあ・ぐうす』所収の「コケコッコおどり」なのです !! ちなみに原文はこちらのページに掲載されてました。
Cock A Doodle Doo!
My Dame has lost her shoe,
My Master's lost his fiddling stick,
And doesn't know what to do.

Cock A Doodle Doo!
What is my Dame to do?
Till Master finds his fiddling stick,
She'll dance without her shoe.

コケコッコ、コケコッコ、コケコッコ。
おくさんがおくつをなァくした。
だんなさんがヴァイオリンの弓をなくし、
どうしていいのかおおよわり。

コケコッコ、コケコッコ、コケコッコ。
おやおや、おくさんどうなさる。
だんなさんがヴァイオリンの弓をさがす、
それまで、はだしでおおどりか。

「ローレライ」といい、以前、東京 FM 少年合唱団( TFM )で聴いたシューマンの「流浪の民」といい、明治の先達の訳業のすばらしさはどうですか。というか、白秋が『マザー・グース』の翻訳をしていたことじたい知らなかった。村岡花子さんをモデルにした朝ドラ「花子とアン」の影響で、当時の児童文学者の錚々たる面々が、競うようにトウェインとかストウ夫人とかの作品を邦訳紹介していて、三島市出身の小出正吾氏なども『トム・ソーヤー』を翻訳していたなんていう事実もあらためて発見したけれども、「埴生の宿」も含めて、子どもたちにほんとうに英語を身につけさせたいんなら、まずもって先達の残してくれたこういう「知の遺産」を十全に活用すべきではないですか。いまこの国に必要なのはカジノなんかじゃなくて、「美しい」日本語と、それを血肉として身につけた子どもたちへの、真の意味での「投資」だと思いますよ( 英語がらみで言えば、筆記体の読み書きにも力を入れてもらいたいところではある )! 

posted by Curragh at 20:27| Comment(3) | TrackBack(0) | 音楽関連
この記事へのコメント
はじめまして。

こちらのサイトにたどり着いたのはいつだったか。また検索だったかリンクを辿ったのか。興味深いと思いつつブックマークにしてから忘れていました。(ここに何か言葉を残すには、私に知性が足りないと思った記憶があります)
くだらない前置きはさておき。

私もこの番組を見ていました。
なんともいえない気持ちでした。
歌は想いをのせた言葉であり詩であるのかな、と思うことがあります。
ご指摘の「費用対効果」、いつももやもやしてています。
お金(経済)が一番大切なんでしょかね。
すぐに役に立つことが重要なんでしょ(物事は役に立たないように見えていても、実は繋がっていると思いますが)

Posted by さちこ at 2014年11月03日 21:27
さちこさま、コメントどうもありがとうございます。m( _ _)m

お金は、たしかにないと困りますが( 苦笑、いつも懐が寒い人 )、すべての価値判断を金銭的見地というか、手っ取り早く得になるかどうか、すぐ元がとれるかどうかでしか見ようとしない、あるいはそう仕向けている資本主義「原理」主義的ないまの社会、ひいては「文明」にはおおいに問題があると思っております。先ごろ、「哲人」経済学者と呼ばれた宇沢弘文先生がお亡くなりになりましたが、40年も前、国内のモータリゼーション全盛期に、「社会的共通資本」という視点からは自動車というものはとても見合うものではないと声をあげたのは、まことに炯眼だったと遅まきながら感服しているところです。奇しくも IPCC が今世紀中に、「温暖化ガス排出0」を要求するというニュースも入ってきました。温暖化問題については米国人ジャーナリストのマッキベンもけっこう早かったですが、1990年代に経済学が専門の人で、温暖化問題に真摯に向き合っていた学者先生がほかにもいたのかどうか … 。

ツワブキのお写真、いいですね。ワタシもイソギクとかツワブキはけっこう好きです。
Posted by Curragh at 2014年11月04日 20:41
こんばんは。

返信ありがとうございます。


資本原理主義
なるほど。

日本の資本主義?はまるで拝金主義に見えます、資本主義って本当は違いますよね。西欧の資本主義はプロテスタンティズムだから。・・・利益は社会に還元するから利益追求しても何も悪いことはないのだよって言われたことがあります。(二十代の頃、勘違いしてました)

ツワブキも見ていただきありがとうございます。艶のある蕗に似た葉から、艶葉蕗(つやはぶき)といい転じてツワブキとなったようですよ。
Posted by さちこ at 2014年11月04日 21:29
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