2014年11月22日

熱い心 → 思いの強さ → ことばの力

1). 去る9月 18日、ノーベル経済学賞候補にも名前の挙がった宇沢弘文氏が逝去された。享年 86歳。恥ずかしながら宇沢氏の業績の一端でもかじることになったのは、逝去されたあとのことだった( → 先日放映の「クローズアップ現代」ページ )。

 地元紙コラムにて紹介記事を読み、にわかに興味を掻き立てられて、図書館にてこちらの本とか借りて、つづいて『地球温暖化を考える』を読んでみた。そこで感じたのは、ああ、日本にもこんなすごい大学者がいたのだ、という慨嘆でした。

 このような門外漢が宇沢氏の業績について書き散らすよりも、まずは著作を読んでみることをおすすめします。でもすこし述べさせてもらえば、宇沢氏はなにより現場第一主義者で、とりわけ弱い立場の人々を救うことこそ経済学の使命、みたいな意識が徹底していたように思います( 水俣病患者支援活動に携わったり、成田空港建設問題では住民の調停役を買って出た )。昨今の経済学者を名乗る人に、このような人っているのだろうか … 失礼ながら専門バカに終始しているような学者が多いような気がする( 「死亡消費税」なんてことを平然と言ってのける人とか )。

 以前、ここでマッキベンの『ディープ・エコノミー( 原書 )』を取り上げたことがあったけれども、いまの経済システムというのは「大量生産、大量消費」を前提にした「経済成長」ありきのもので、必ずしも「そこに生きる人間」にとって最善とは言いがたい。マッキベンの前出本にはそんな事例がいかにも気鋭のジャーナリストらしくこれでもかというくらい引き合いに出されているが、宇沢氏のもっとも言いたいことも、じつはおんなじだったと気づいた。「人間が、人間らしく生きてゆくための経済学」。現状はどうか。おカネはほんらい、人間の道具のはずなのに、われわれはおカネにがんじがらめにされて、神話学者キャンベル一流のウィットに富んだ言い方で言えば、「多くの人々は人生の大半を、金はどこから来るのか、それはまたどこに行ってしまうのかという瞑想に費やします」*。産業革命以降、資本主義とその原動力のような市場原理主義経済が続いてきた結果が、「持続不能な」現代文明を作ってしまった気がする。たとえば、これもマッキベンの著作ともカブるけれども、地球温暖化の脅威。宇沢氏の関連著作を読んで、あらためてその炯眼ぶりには脱帽した。デング熱。強大化する台風。大気循環の異変がもたらす世界的な気候変動とその結果もたらされる異常気象。宇沢氏ふうに言えば、これは「社会的共通資本」にとって著しい損失であり、もはや温暖化への対応は待ったなし … のはずなのだが、残念ながら遅々として進んでない。われわれの意識そのものを変える必要がある問題だけに、ことは容易ではない。宇沢氏もマッキベンも、インドや中国の人が米国とおなじ台数の自動車を保有したらどうなるか、みたいなことを書いているけれども、われわれ日本人だってけっして人さまのこと言えた分際じゃない。TV 受像機が一家1台からひとり1台。クルマも一家に1台どころか、各人にそれぞれ1台、いや数台といった場合もある。宇沢氏も書いているように、公共交通機関の充実こそ、真の意味でみんなにとっての「共通資本」になるのにねぇ。超高齢化社会というのに、田舎に行けば行くほどクルマ依存率は高いし、公共交通機関は赤字路線ばかりでサービスは縮小されるいっぽう。宇沢氏は温暖化問題についてもいろいろ提言されているので、IPCC の警告を受けるまでもなく、為政者はもっと真剣に検討すべきだと思う( そして、われわれ自身の意識も変えなくてはいけない )。

2). そして … これにはほんとうに愕然とした。名優、高倉健さんの突然の訃報。享年 83歳。公表されたのは今週になってからだけど、今月 10日に息を引き取られたとのこと … じつは不肖ワタシはそのころ風邪が治りかけだった。ふと、洗面所の鏡に向かって、なんでかはまったく当人も関知しないながら、ここでも書いた「あなたへ」の、あの名場面を唐突に思い出し、気づいたら鏡に向かってこぶしを軽く突き立てて、「ありがとう … 」なんて口走っていた。

 高倉さんの人となりについては、いやもうただただ驚くことばかりで、門外漢があらためて喋々するまでもないのだけれど( 志村けんさんのこちらの記事とか )、江利チエミさんの死別後、終生、独身を貫いたり、撮影中、他の人があくせく動いているからと椅子が用意されてもけっして座らなかったとか( 風景写真家の故前田真三氏は、仕事に同行していた若いスタッフがのらくらしているのを見て、ほかの人間が働いているときに休むなと一喝したなんていう話も思い出した )、「幸福の黄色いハンカチ」では出所後、ひさしぶりに食堂でラーメンにありつく主人公の気持ちを表現しようと、なんと前日から絶食していたとか、ほんと枚挙に暇がないんですが、とにかく日本男児の鏡、男の中の男、みたいなイメージがどうしても強くなりがちだが …。

 以前ここでも書いた、あの気仙沼の「水を運ぶ少年」とのエピソード( → 関連記事 )。東日本大震災後にクランクインした「あなたへ」の台本の裏表紙に拡大コピーしてもらった新聞切り抜き写真を貼り付け、毎朝、撮影に臨む前に少年の写真を眺めて「ぎゅっと気合」を入れていた、という。† じつはワタシはその話を知ったとき、少々意外な気もしていた。高倉さんのような「硬派を絵に描いたような」人までも、心揺さぶられたんだ、と。個人的にはそういうイメージではなかったんです、失礼ながら。というわけで、「あなたへ」もすばらしかったし、それ以後、すっかり高倉ファンになってしまった。次回作ってどんなのだろ、なんてのんきに待っていたら、はからずもその「あなたへ」が遺作になってしまった。もうひとりの名優、大滝秀治さんもこの作品が遺作になってしまったが … その大滝さんの迫真の演技を見て、「ひさしぶりに美しい海ば見た!」という科白にこめられた「思い」に( ご自身も 200本を超える映画に出演された大ヴェテランなのに )打たれ、涙を流した、というその謙虚な姿勢というか、真摯な態度にはほんとうに頭が下がっぱなしです。

 ワタシはあのとき、健さんは気仙沼に行ったのかな? なんて無邪気に思っていたけれども、健さんの訃報のあと、このような記事を見てさらに仰天した。
むしろ、背中に蹴りを入れられた感じ。強烈でした。ただ、後悔もしています。僕がこの話をメディアにしたため、少年はメディアに注目されてしまった。悪いことをしてしまった。いつか謝りに行かないと、といつも思っています。

TV でもこの松本少年のいまのようすとか拝見しましたが … さすが、空手で鍛えているだけあって、見ちがえるほどたくましく成長されていて、そのことにも感動しきりではあったが、この健さんの気遣いたるやどうですか。わが身を顧みて、そうやすやすと「こういうふうに歳を取りたい」なんてとてもじゃないが口にできません。

 松本少年との「手紙の交流」についても、いかにも健さんらしいなあ、と感じた。最後の主演作もまた、亡き妻の残した「手紙」の物語だったし … というか、これもまたびっくりなんですが、健さんがこれほどまで筆まめな人だったとは思わなかった。どういう話だったか失念したが、100 人の女生徒がしたためた手紙一通一通に目を通しただけでなく、それぞれに一通一通、きちんと返信を書いていた、という話を知るにいたっては、こちらはもうどこにアタマを上げればよいのかわからない。
人生は切ない。切ないからこそ、何かに「うわっ」と感じる瞬間がある

これはキャンベルとジョイスの言う「エピファニー」の瞬間であり、和風に言えば、「積極的無常感」とおんなじことだと思う。感受性ということを、とくに大切にしておられたそうです。そういえば、蒸し返しになるけど『スター・トレック』シリーズの翻訳者だった斎藤伯好氏もまた、生前あるインタヴューで感受性の大切さについて力説していた。「美しいものに触れて涙を流すことができること」。健さんは暇さえあれば、美術展などに積極的に足を運んでいたらしい。

 「不器用ですから」は、健さんらしさがにじみ出るような名キャッチコピーでしたが、器用に立ちまわるような生き方ではなく、無骨でも泥臭くても、懸命に真摯に生きることの大切さを文字どおり体現した人だったのかもしれない。文化勲章受章のときの会見でも、「( 映画で )ほとんどは前科者をやりました。そういう役が多かったのにこんな勲章をいただいて、一生懸命やっているとちゃんと見ていてもらえるんだな」というようなことをおっしゃってましたし。

 地元紙には、贔屓にしていた熱海市内の老舗喫茶店のコーヒーの話とか、「東京新聞」静岡版でも、やはり熱海の老舗ラーメン屋さんの話とか載っていて、あらためてその律儀さ、そして度量の深さ大きさにまたしても頭が下がってしまうのでした。

 こうして見てみると、宇沢さんも健さんも、けっこう似ているのではないか、と感じる。人として、真に偉大な先達があいついで逝ってしまった。そしてちょうどいま、どういうわけか総選挙になってしまった( はなはだ迷惑千万 )。まちがいなくいまの日本は、重大な曲がり角にさしかかっている。宇沢先生と健さんの霊安らかに、という気持ちと同時に、どうかこの国が誤った道を進まないように見守ってほしいという気持ちとが入り交じっている。と同時に、まだ亡くなって日が浅いというのに、健さんゆかりの人々が語る数々のエピソードを聞いているうちに、なぜか力が、勇気が湧いてくるような気もしているのも事実。「心が熱い人」の「つよい思い」が「ことばの力」となって、残されたわれわれに精神的エネルギーを与えてくれるものなのかもしれない。自分にとってのキャンベル本が、そうであるように。合掌。

*… 『神話の力』飛田茂雄訳、早川書房刊、p. 51
†… 「高倉健のダイレクトメッセージ( 「日本経済新聞電子版」から転載 )」3月 16日発信号「1枚の写真」より。高倉さんはこの写真を、イタリア在住の作家・塩野七生さんから紹介されて知ったという。

posted by Curragh at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | おくやみ
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