2014年11月24日

「大王の主題」の真の作者は … 次男坊? 

[ 22日夜に発生した長野県北部地震で被災された方へ心よりお見舞い申し上げます ]

1). きのう、いつも行っている図書館にてふと見つけたこちらの本。パラパラと繰ったら、拙い読書経験からでもこれは must 文献だと直感。そのときは先約本があったため借りなかったが、とりわけ目が釘づけになったのは冒頭の章。あの「音楽の捧げもの」の、いわゆる「大王の主題」というのが、以前からどーも引っかかってたんですよね。フリードリヒ大王( 「訳者あとがき」にもあったけれども、ほんらいは「フリードリヒ2世」とすべきところ )って、その性格の悪さゆえ有名だったようで、国籍不明語で言えば「ドS」なお人だったらしい。お抱えのフルート奏者クヴァンツは、大王自身もフルート吹きなので贔屓していたそうだが、当時、宮廷楽団に在籍していた大バッハの次男坊カール・フィリップ・エマヌエルは冷遇されていたとか、どっかで読んだことがあります。そして、なんといっても当時 62 歳の老バッハと、大王の音楽趣味はまるで相容れないものだった … はず。試しに NML でフリードリヒ2世作曲とされている作品なんかを聴いてみるといいです( たとえば、これとか )。

 この本によれば、なんでもシェーンベルクが、早くもこの「主題」の真の作者を見抜いていたらしい( 知らなかった )。ワタシもあんな長ったらしい、半音進行だらけでその後の展開を思うと厄介な代物と言ってもいいような複雑なフーガ主題を思いついたのがフリードリヒ2世だったなんて、とうてい信じられなかった。しかも! またしても白水社の文庫クセジュから出ているマルセル・ビッチ著『フーガ』によれば、「『音楽の捧げ物』の主題はバッハ自身が作ったものだという説もあり、もしそうでなくても、少なくとも彼が手直ししたものだとする説もある。ともあれ、『フーガの技法』の主唱との類似性は著しい( pp. 62−3 )」。これだけでも食指をそそられてしまう。

 ちゃんと通読もしないで中身を云々するのは嫌いですけど、じつはこの本はすぐれたバッハ評伝とも読める。そうか、フリードリヒ2世の音楽観とバッハのそれとは、まるで相容れない水と油、旧世代と新世代の衝突そのものだった … という主張は、言い得て妙かも。1747 年5月7日のポツダムの夜は、たとえばその後のベートーヴェンの「第九」とか、もっと下ってストラヴィンスキーの「春の祭典」とかの初演時のように、時代の転機を画すような出来事だったのかもしれない( バッハ時代までは生き残っていた楽器もこのころになると音楽史の表舞台から次々と姿を消し、また「通奏低音」技法もギャラント様式と和声音楽が支配的になってくるにつれて自然消滅してゆく )。

2). 本日放映予定の「花子とアン 総集編」… ついでに、本編放映中に気づいたこととか少しだけ。

 本編6月 23日放映回( 73話 )で、のちに蓮子さんと「駆け落ち」する宮本龍一をはじめとする帝大生たちが蓮子さんについて非難しているシーンに、村岡印刷父こと村岡平祐が学生たちに割って入り、「詩人のボアローはこう言っている。『批評はたやすく、芸術はむずかしい』」と言うなり、蓮子さん( 白蓮 )の歌集を宮本青年に差し出す。

 これ、ちょっと調べたら、どうもボワローじゃないんですね。意図的かどうか不明ながら、ドラマではボワロー作として誤って伝えられたもの、人口に膾炙した通説を採用したもようです。真作者はボワローではなく、バッハと同時代に生きたフランスの戯曲家のデトゥーシュの作品 Le Glorieux に出てくることばのようです。
La critique est aisée, et l’art est difficile. ≫ ( Le Glorieux, II, 5 ) En fait traduction de Polybe ( HISTOIRE Livre : XII, C : XI, 25c, 5 )

「あら探し」はたやすく、芸術はむつかしい。だからみんなはあら探しに走り、才能ある書き手を萎縮させてしまう … ってところでしょうか。

 いまひとつ、話が前後するけど花子さんや醍醐さん、畠山さん( 答辞読むの緊張しますわ !! と答辞の草稿を小さく小さく折りたたんだり「廊下スライド」でコケそうになったり個人的にけっこうお気に入りのキャラクターでした )たちが修和女学校を卒業するシーン。卒業式後、恩師の富山先生が、ブラックバーン校長の餞のことばを通訳した花子を褒めて、'Every woman is the architect of her own fortune.' と言う場面。これは共和制ローマ時代の政治家アッピウス・クラウディウス・カエクスの演説のもじりみたいです。こちらのページの記述をそのまま引用すれば、
This speech, exhorting the Romans not to make peace with Pyrrhus, was the first to be preserved in written form and so became the foundation for Latin prose composition. The dictum Faber est suae quisque fortunae ("Every man is the architect of his own fortune"), which was quoted by Sallust in his "Speech to Caesar on the State" also is attributed to him.

「花子とアン」のおかげで(?)、長らく絶版状態だった村岡花子の訳業が見直され、復刊があいついだり未発表原稿などがあらためて書籍化されたりと、こういう流れはアーアー、まことにけっこうなこと、デアリマス( 歩ちゃんふうに )。かくいうワタシも『想像の翼にのって』などの「村岡花子エッセイ集」をすべて買ったり、『赤毛のアン』原本とその村岡訳を買ったり、あるいは関連書を図書館で借りたり( この朝ドラが始まったばかりのとき、図書館にて「赤毛のアン」関連本を検索したらほとんどすべてが「貸出中」と表示されたのにはたまげた )と、これはこれで楽しめましたね。なかでも白眉は、やはり教文館で開催されていた「村岡花子展」を見に行ったことでしょうか。とくに3階、村岡花子が編集者として働いていたそのフロアにずらっと並んでいた、バッハのオルガン作品スコア( ペータース版など )とか「オルガン教本」、英国聖公会の聖歌集( Hymns, Old and Newとか )なんかを指をくわえて眺めていた( 笑 )。いまごろはクリスマス商戦ですかねー、近所の山野楽器さんも。

posted by Curragh at 03:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連
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