2008年02月10日

墓泥棒の仕業??

 先週の「地球ドラマチック」。「ツタンカーメンを殺したのは誰か」という刺激的なタイトルに惹かれて見てみました。

 まずのっけからびっくりしたのは…第8代カーナヴォン伯爵の登場! 容姿はどことなくアレッドをもっと崩したような…なんて言ったら怒られますね。8代目ということは、だいぶ前、吉村教授の出演された番組に登場した前カーナヴォン伯爵、つまり父上はお亡くなりになった、ということなのか。そういえばハイクレア城にはツタンカーメン王墓からくすねた、と言うとまた言い方が悪いが細かな装身具のたぐいが何点か保管されているのもそのときに見ました。で、先代は丘の上にある祖父の墓にはけっして近寄らなかった。どんなに頼まれたってあそこだけはダメ、と顔が引きつっていたのがいまでも印象に残っているんですが…8代目はそんなことおかまいなし(?)、あっさりと墓参りしているところまで映し出されていた

 番組では曽祖父ジョージ・ハーバートが果たせなかった、ツタンカーメン王にまつわる謎を解明しようと乗り出す役回り。よくわからないけれど、この人も曽祖父同様、アマチュア考古学者らしい。もちろんプロの学者も出てきます。カウボーイハットにジーンズでおなじみのあの博士も(「ハイクレア城にある出土品を返せ!」と面と向かっては言ってませんでした)。

 8代目カーナヴォン伯爵の目のつけどころはアマチュアらしく柔軟です。たとえば発掘当時は見過ごされていた食べ物の出土品とか。ナブクやコリアンダーの実とかが大量に納めてあったらしい。当時ナブクの実は降圧剤として、コリアンダーの実は頭痛薬・解熱剤として使われていたようです。また発掘当時、いったいなんのために使われていたのかわからなかった白くて長い布。これはコルセットだそうで、二輪戦車に乗るときに腰にぐるぐると巻きつけて使用していたらしい。こういう日用品が埋葬されていたということは、ツタンカーメンが頻繁に二輪戦車を乗り回していたことを物語っている。番組で紹介されていたのはすでにわかっている事柄とも若干カブってはいたけれど(ツタンカーメンの母親はアクエンアテンの第二王妃キヤで出産時に亡くなり、母親代わりをつとめたのが乳母として王宮に仕えたマヤだったとか)、あのアマルナ芸術に見られるような、異様な体型についての解釈は目新しかった。アクエンアテン同様、ツタンカーメンもお尻が異様に突き出した「洋梨型」の特異体型だったらしい。これが遺伝的なものなのか、当時の流行り病だったのかは不明。でも以前言われていたような病弱説…ということもなくて、つい3年前のCTスキャン調査の結果でも示されたように、王はきわめて健康で、狩猟が大好きな活発なスポーツマンだったらしいことがわかってきている。死因についてはもっとも内側の純金製人形棺にかけられていた矢車草の花輪から推定して埋葬されたのは3月ごろ、ミイラ作りに70日くらいかかるので逆算すると亡くなったのは12月末ごろ。死因についてはCTスキャン調査で明らかになった、左脚大腿骨下部の骨折と考えるのが妥当だろうという。12月末というのも、狩りのシーズンとも一致するし、狩の最中に二輪戦車から投げ出されたのではないか。そして感染症にかかったのではないか(なんだか曽祖父のときみたいだな…と思うのは自分だけかしら? 曽祖父の場合、蚊に刺された傷から化膿し、敗血症を起こして亡くなっている)。

 以前から言われていた「暗殺説」のほうも検討していて、例によってアイとホルエムヘブが容疑者として挙げられています。決定的な証拠はないとはいえ、かぎりなく黒に近いグレーだという見方でした(自分もそう思う。ひょっとしたら戦車に細工でもしていたのかもしれないし、狩りに熱中する若きファラオを見て、早晩事故死でもするのではと期待していたのかもしれない)。

 自分も以前は、物静かに妃と過ごすのが好きな華奢な少年王、というイメージが強かったのですが、番組でも検証していたように、じっさいのツタンカーメンはそうとう活発でスポーツ好きな少年だったみたいです。それが仇となったのだろうか。最近になって、ひじょうに短期間のうちに都をもとのテーベにもどしたり、アメン神殿を再興するという偉業を成し遂げたのはツタンカーメン以外にはいないと再評価されているくらいですから、当時の人々にとって、王が不慮の事故で急逝した、という知らせは現代人が想像する以上にショッキングな出来事だったかもしれません。あの黄金のデスマスクをはじめ、10代で夭折した少年王のためにあれだけの豪華な埋葬品を狭い石室に納めたのはいったいどうしてか、という謎を解く鍵もこのへんにありそうな気がします。それだけ若い王はみんなから慕われ、愛されていたのではないかという気がしてならないのです。もっともあまりにあっけなく旅立ってしまったから、埋葬品は大急ぎで用意しなくてはならなかった。大急ぎで埋葬されたらしいということもいろいろな事実からわかっています。たとえば人形棺も、少々はみ出た部分を無理やり削ってまで石棺に納めた形跡があるし、石棺も、ふただけなぜか本体に使った石英ではなくて花崗岩、しかも真ん中で割れて、セメントで補修されている。厨子も本来とは逆向きに安置されていたりする(厨子の扉は本来西を向かなければならないのに、東向きになってしまったため、王はあの世ではなくてこの世に舞いもどってきた?)。

 ただ、番組を見ていて唯一気になったのは王のミイラについて。日本語版NG誌(2005年6月号)に掲載されたCTスキャン調査の記事にもあったけれども、王のミイラからは胸部と肋骨のほとんどが消えていた。これは1968年の英国リヴァプール大学によるX線調査のときにすでになくなっていた(X線調査した技師、王の頭部を素手で持ち上げているよ〜信じられん…orz)。カーターたちがはじめてミイラ調査した1926年にハリー・バートンが撮影した写真には、ビーズの胸飾りとともにしっかり写っている。これはいったいどういうことか? 

 番組では、なんと第二次世界大戦中、警備が手薄になった王墓に墓泥棒が入り、王の胸部ごと切り取って持ち去ったのではないかと推測しています。こんな話はじめてだ、と思ってあらためてWeb上に公開されているCTスキャン調査報告書を見てみると、

 Opinion among team members is divided as to whether the ribs and sternum were removed by the embalmers or by Carter’s team. Carter’s team does not mention that the ribs and sternum were missing, and a beaded collar and string of beads can be seen covering the chest cavity in photos taken at the time, but before their examination of the body was completed. Therefore it is perhaps more likely that this area of the body, which is now completely missing, was removed by Carter’s team in order to collect the artifacts present(although he does not mention doing so). Archaeological investigation will continue in an effort to resolve this issue.

問題は下線部。たしか『ツタンカーメン王墓発掘記』には、王のミイラはすべて調査が終わったあと、バートンの写真撮影のためにふたたび組み立てられて――王の亡骸はバラバラにされていた――砂を敷き詰めた木箱に入れて撮影された、とか書いてあったような気がするし、常識的に考えても上記報告文では順番が逆じゃないかと思う。やはり墓泥棒の仕業なんだろうか。もしそうなら、悲しいことに古美術品の闇市場に出回り、だれかが所有していることになる。なんと罰当たりな、というか、これこそまさしくファラオに呪われてもしかたないように思うんですけれどもね。

posted by Curragh at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・考古学
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