2015年01月19日

NHK ホールの大オルガンって ⇒ カリンニコフ ⇒ 「チャンチャン」チェンバロ

1). 先週放映分の「クラシック音楽館」。今年の「こどもの日」で満 30 歳になるアルメニアのヴァイオリニスト、セルゲイ・ハチャトゥリヤンさんの弾いてくれたアンコールピースは大バッハの「無伴奏パルティータ BWV. 1004 」から「サラバンド( 自筆浄書譜表記は Sarabanda )」。で、これが感涙ものですばらしかった。いつごろからだろうか、ヴィヴァルディの「四季」や、バッハの「ブランデンブルク」でも、なんかこうやたらせかせか、そんなに急いでどこ行くの〜みたいな、そんな「快速通勤型」演奏がすっかりメインストリームみたいになってしまったのは。で、そんな「高速な」演奏スタイルに毒された(?)耳には、セルゲイさんのこの悠揚迫らず、大きく息の長いフレージングの「サラバンド」、すこぶる清新で、目を閉じて聴き入っていた。たまにはこういうスタイルの「解釈」もいいと思う。この人の「シャコンヌ」も、ぜひ聴いてみたい( ちなみにこの「サラバンド」、どことなく「真打」の「シャコンヌ」を予感させる旋律線だと思いませんか? バッハのことだから、おそらく内的関連性はあると思う )。

 しかし … 昨年、R. シュトラウス生誕 150 周年ということだろうと思うが、この番組で聴いた「アルプス交響曲」といい、また昨晩、ネルロ・サンティ氏指揮による「ローマの松」といい、あそこの大オルガンって最近、めっきり「オルガン独奏会」を開かなくなりましたね! そんな折、レオンハルトなどの古楽奏者・団体の招聘元として有名なアレグロミュージックさんから送られてきた公演予定案内を見て、津田ホールが取り壊しになる、という事実をはじめて知った。ほへっ、いったいどんな「オトナの事情」があるのかは知らないが、たかだか開場 26 年くらいで音楽ホールを閉じ、しかも壊すというのは、いかにも日本らしい。そういえばカザルスホールのときも大騒ぎだったような … 話をもどすと、昨晩、「アッピア街道の松」の壮大なフィナーレに酔いしれ、観客とともに TV 画面のマエストロ・サンティに拍手を送っていたら、マエストロはオルガンバルコニーを向いて、「さあ立って、立って !! 」と美しい(!)女性奏者に促していた。で、そのときふと思ったんだが … NHK ホールはすでに開場 40 年以上が経過している。年末の「紅白」ではオルガンバルコニーはただのカメラ / 照明器具置き場となり、そればかりかクラッカー( !! )までがあそこから客席に向けてハデにぶっぱなされ( 「あ〜ビックリしたあ」> 吉高由里子さん )、そんな過酷な環境にもめげず、地震にも倒壊せず、ミシェル・シャピュイ、ヴァージル・フォックス、マリー−クレール・アラン、ジャン・ギユーなどなど世界の名だたる巨匠オルガニストが名演を披露してくれたこの独カール・シュッケ社建造の楽器も、いずれはホールとともに姿を消すのだろうか … とにわかに不安に駆られたのであった。いくら「オトナの事情」とか、自然災害が多いとか、いろいろ理由はあるだろうけれど、たった半世紀ほどで音楽ホールもコンサートオルガンもぶっ壊す、というのでは、この国がいまだ文化途上国だ、ということを証明しているようでとても悲しい。真面目な話、NHK はあの巨大ホールをどうするのかな? 放送センター建て替え資金をせっせと積み立てている最中らしいし … 。

2). きのうの「きらクラ!」。カリンニコフの「交響曲 第1番 ト短調」。かかったのは冒頭楽章でしたが、はじめて聴いた耳にはセルゲイさんの弾いたアンコールのバッハ同様、とても新鮮だったので、図書館で探してみようかと思った。最近、この番組でもよく耳にするフィンジの作品もいいですね。「鏡の中の鏡」とおなじく、この番組を通して新しい音楽を知ることができるのは大いなる喜び。これはもちろん、新生 OTTAVA にも言えますが。

 ふかわさんがしみじみと語っていた、モーツァルト最晩年の傑作「アヴェ・ヴェルム・コルプス ニ長調 K. 618 」。リストやチャイコフスキーなどが名編曲を残していることでも知られるこのわずか 46 小節の声楽作品、ワタシも大好きで、以前にも書いたけど 1993 年暮れに来日した「パリ木( 木の十字架少年合唱団 )」の生歌でこれ聴いたときの衝撃は忘れられない。以来、少年合唱もののコンサートで、いろんな国の、いろんな文化的背景を持つ少年たちの清冽な歌声による「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の実演に接してきたんですが、ふかわさんの言うように、なにかお気に入りの音盤でこの作品を毎日、かならず1回は聴くということを1年つづければ、それこそキャンベル / モイヤーズの対談本『神話の力』じゃないけど、「なにかが起こるでしょう」。それと個人的にラッキーだったのは、立てつづけにバッハの「ブランデンブルク」がかかったこと。なかでも「ピアノ協奏曲の誕生」と言われる「5番」冒頭楽章のカデンツァを、「まるでドラムの派手な即興演奏みたい」と評したリスナーさんに座布団 10 枚!  それと、ふかわさんがリヒター盤の「3番」からの抜粋を聴いたあと、「これってチェンバロ入ってました? 」という質問に対して遠藤真理平師匠が、「ええ、入ってましたよ。チャンチャン、とだけですけど」みたいに受けていた。チャンチャン … たしかにそう聴こえたけどねぇ( 苦笑 )。ちなみにこの音源のチャンチャンチェンバロ、おそらくキンキンした響きからして当時はわりと録音に使われることの多かった、いわゆる「モダンチェンバロ」だと思う。

 今週の「古楽の楽しみ」は、ドイツ・バロック音楽におけるチェンバロの歴史を遡る、という趣旨でして、さっそく楽しんで( 寒くてかなわないが )聴いてます。磯山先生もお風邪など召されずにどうか「ご自愛」くださいね。

 ヨタ話の最後は、ネルロ・サンティ氏の心に残るつぎのことばを。いまの世界、とくに欧州大陸を覆う「空気」を思うと、昨年末に「第九」を指揮した仏人指揮者グザヴィエ−ロトさんの漏らした、「この美しい惑星に生きるわれわれは、共生し、理解するために最大限努力しなければならない。日本は、いろいろな点ですばらしいと思う。欧州の人間がこれまで気づかなかった、共生のコツを知っているからだ。『第九』のメッセージは、われわれはみな兄弟だ、ということだ。互いの個性を認めあい、共生していかなければならない … 」という発言とも共鳴することばだと思う。
人間はただ楽器を奏でているだけだったら、戦争なんかしません。意見がちがって演奏家どうしで殴り合いになることはあるでしょうが、戦争にはなりませんよ

付記:クラシック音楽家のポートレイト撮影で有名な木之下晃さんが 12 日に逝去されたそうです。つい先日、地元紙夕刊の芸能紙面にて連載中の、ピアニスト小山実稚恵さんの「あふれる音の贈り物」にも、特急あずさ車中にてばったり出会い、「旅の道すがらでもあったせいか存分におしゃべりでき、大いに盛り上がりました。そして、未来の話を夢とともに語りながら、人生は何かこういう不思議なご縁に導かれているのだと2人で納得して、確信しました」とあったのに … 合掌。
posted by Curragh at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM
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