2006年08月19日

「バッハ・オルガン全集」で使われた楽器その2

 ヘルムート・ヴァルヒャが2度目の「バッハ・オルガン作品全集」録音のときに使用した、仏ストラスブールにあるジルバーマンオルガンについて。

 記事を書くにあたって参考にしたのはこちらのサイトです。

 オルガンについてはアルヒーフの「全集」ライナーの最後のページに音楽学者の東川清一氏による邦訳でだいたいは知っていたけれど、あらためて鮮明な写真画像つきのWebサイトで確認すると、いろいろ新しい発見があって興味は尽きません。

 まず教会ですが、仏語を知っている人なら Saint-Pierre-le-Jeune という名称を見てピンとくると思いますが、ストラスブールにはいまひとつ同名の教会堂があり、こちらは「新しく建立された」お堂、ということで「新しいほうの」聖ピエール教会、という名前になったそうです。

 教会の創建年代はとても古くて、なんと6世紀(!)にまでさかのぼるらしい。19世紀におこなわれた修復工事中、キリスト教化される以前の古代の地下墓地(hypogée)が出てきたり、増改築を繰り返された教会堂にはいまだに中世以来の遺構が残っているらしい。

 オルガンとの関係で言うと、ここは内陣側をカトリックが、身廊から西壁までがルター派、というふうに両者仲良く(?)共用していたようで、そのため内陣と身廊は壁によって仕切られていた。オルガンは内陣と身廊側と計3つあったようで、もっとも古い楽器は1404年に建造された、いわゆる「鳥の巣型」オルガンだったらしい。18世紀に入るとこの楽器のメンテナンスを当地で活躍していたアンドレアス・ジルバーマンが引き受け、たびたび修復していたにもかかわらずとうとう演奏不能になってしまった。そこで新オルガンを建造することになり、建造にジルバーマンが名乗りを上げた――けれどもけっきょく教会当局は「代金が高すぎる!」ことを理由にほかのオルガンビルダーに建造を依頼、ジルバーマンはやむなく建造工事の監督に当たったというこぼれ話つき。

 1762年、息子ヨハン・アンドレス・ジルバーマンがこの教会堂のカトリック側内陣オルガンをあらたに建造したものの、プロテスタント側にあった「鳥の巣」型オルガンを西壁バルコニーへ移設する仕事はまたしてもほかの業者に取られてしまう。けっきょくヨハン・アンドレアスがここの教会の新オルガン建造を任されたのは1779年、齢68になろうというころでした(この名工が亡くなったのは4年後の1783年)。完成した楽器はストップ数16、51鍵からなる一段手鍵盤と20鍵からなる足鍵盤のみのささやかな構成の楽器でした。その後1820年、ヨハン・アンドレアスの工房で働いていたオルガン工を父にもつヨハン・コンラード・ザウアーによって6ストップからなるリュック・ポジティフが追加されました。

 1894年、カトリック側が教区を移転したのを機に教会の修復工事が行われて仕切り壁が取り壊され、ジルバーマン製作のオルガンは内陣と身廊とを仕切る低いスクリーン上に移されました(このときストラスブールは独領シュトラースブルク)。移動ついでに楽器はエドモンド・アレクサンドル・レーティンガーによって改造。オルガンケースの美しい多色塗り(polychromie)はこのときからのものです。案外新しいものなんですね、これ。はじめてこのオルガンのジャケット写真を見たとき、おおッ、いかにもバロック、みたいな印象を受けたんですけれども…。1900年じゃほとんど20世紀だわ。

 東川氏の解説では、このとき「外箱は低くされ、そして、さえぎるもののないところに据えつけられたので、その[楽器の]背面にハウプトヴェルクのプロスペクトのコピーが取りつけられた(p.110)」とあり、最初、ここを読んだときはなんのことかピンとこなかった。今回こちらの写真を見てようやくわかりました…ようするに、ヤヌスのごとく、表も裏も飾りパイプをあしらって見栄えをよくした、ということでした…。そうか、この楽器は裏も表もどっちも丸見えですね(内陣側が裏の顔)。プロスペクトそのものをコピー…したんだから、裏面側はただの飾りで音は出ないと思います、たぶん。外箱は低くされ…ということは、本来はもっと高さのあるケースだったんだろうか?? 

 1950年にエルネスト・ミューライゼンによって修復、というか拡張され、41ストップ、3段手鍵盤に足鍵盤、中央のパイプタワーにスウェルオルガン(レシ・エクスプレシフ Récit expressif)が組みこまれ、ストップも機械式に加えて電気式・風圧式アクション(バーカーレバー)に切り替えられた。

 …と、ここまで上記サイトと手許のライナーをもとに書いてきましたが、ここで意外な発見が。1966年にアルフレッド・ケルン社が、一部ストップを当時のジルバーマンの設計に近い仕様(メンズール)に修復した、とあり、はてどっかで聞いた名前…と思ったら、なんとトン・コープマンが弾いた(その前はレオンハルトも弾いた)、静岡音楽館AOIに設置されたオルガンを建造したビルダーではないですか(上記サイトによると鍵盤アクションも機械式のトラッカーアクションにもどされたみたいですね)! 

 以前自分もここの楽器を触らせてもらったことがあるのでおお、こんなところで思わぬつながりが、と感慨しきり…そういえばAOIの楽器もジルバーマンオルガンを思わせる、ひじょうに暖か味のある音色の印象的な楽器です(カプラーで連結された主鍵盤のめちゃくちゃ重かったこと!)。

 ヴァルヒャは、この時代に修復された状態の楽器であの名演を残したのでした。

 …あらためて「フーガの技法」最終未完フーガのヴァルヒャ補筆完成版を聴いてみますと、ストップの使い方がすごく巧みですね。でもけっして奇をてらった使い方じゃない。じつに味わい深いというか、各音色の対比がみごととしか言いようがありません。またこの楽器で演奏された、「おお人よ汝の大いなる罪を嘆け」や「わが心の切なる願い」といった有名なコラール編曲の演奏も、はじめて耳にしたときの強烈な感動はいまでも忘れられません。このジルバーマンオルガンは、まさにヴァルヒャというオルガニストに弾かれるのを待っていたんじゃないかとさえ思う。

 ちなみにこちらのサイトにあるモノクロ写真。ヴァルヒャのCDでよく見かける絵柄ですが、これってここのサイトによるとこのジルバーマンオルガンの演奏台だとある…ケースデザインは昔風なのに、演奏台だけはカペルのシュニットガーオルガンとは対照的にずいぶんモダンなんですね…。

 「フーガの技法」つながりで言うと、ステレオ録音盤による「全集」でトッカータ、前奏曲とフーガなどを録音したオランダ・アルクマールの聖ラウレンス教会のフランツ・カスパール・シュニットガーが改作したオルガン。検索したら、こちらにオルガンの略歴がありました。画像はこちら

 最後にバロック時代のオランダのオルガンについて個人的に気になること。当時のオランダの楽器はニーホフ型もしくはブラバント型とか呼ばれていますが、このアルクマールの楽器をはじめ、ケース前面に「カバー」が取りつけられていることが多いです。これって使わないときはちゃんと閉じられているのかな…?? にしてもこの楽器、リュック・ポジティフにずいぶんたくさんの幼児、じゃなくて天使が乗っかってますね…。

 ヴァルヒャについてはこんなサイトも発見。読んでとても共感をおぼえたので紹介しておきます。

追記(2011年2月14日)。↓は、つい最近見つけた、かつてヴァルヒャが弾いたアルクマールの聖ラウレンス教会の歴史的オルガン。ここで半世紀以上も前、「フーガの技法」録音のために弾いたんだ!! 



posted by Curragh at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連
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