2015年03月09日

「神の時は最善の時なり BWV. 106 」

 もう絶版だと思うけれど、漫画家の砂川しげひささんのコミカルな音楽エッセイ本『のぼりつめたら大バッハ。各ページの余白に、「ついにやった !! 努力と忍耐の結晶、教会カンタータ 200 曲全曲完聴記」なんてのも書かれていた。「時空を超えた対決、グールド vs. バッハ(「バッハの御前試合」)」なんてのがあったり、版元の名物編集者の迷言(?)、「バッハは『フーガの技法』である」にまつわるエピソードとか、ゆるいイラストとともに楽しめる本なんですが、一昨年、そんな自分が、よもやおんなじことに「挑戦」しようなどとはまるで思っていなかった( → 関連拙記事 )。

 手許の『「音楽の捧げもの」が生まれた晩 / バッハとフリードリヒ大王と小学館の『バッハ全集』によると、この作品はバッハがまだ若きオルガンのヴィルトゥオーゾだった 1707年ごろ、というから「小フーガ BWV. 578 」の作曲時期とほぼおなじころだと思うが、母方の伯父トビアス・レンマーヒルトの葬儀用として作曲されたのではないかとされる作品( なので「哀悼行事 Actus Tragicus 」という別名もついている )。全曲の演奏時間は 20 分そこそこで、晩年、ライプツィッヒ時代の大規模な教会カンタータと比べるととてもちんまりした印象を受ける。でも、この世のものとは思えないほどの浄福感というか、静謐さを湛えたこのカンタータには、後年の巨匠バッハの片鱗というか筆の冴えをすでに雄弁に披露していると言っても差し支えないと思う。
… 曲は 12 の部分にこまかく分かれ … さまざまなレベルで進行する「時間」が曲全体のテーマになっている。天地創造からキリストの再臨にいたる地球上の魂の遍歴としての非常に長いスパンの「時間」、… 贖罪にいたる個々の人生の「時間」、さらには神の「時間」が描かれる。…
―― ジェイムズ・R・ゲインズ著、松村哲哉 訳『「音楽の捧げもの」が生まれた晩 / バッハとフリードリヒ大王』p. 114

 出だしの「ソナティーナ」からして、「マタイ」の冒頭合唱を聴いたときみたいに、いきなり涙腺が緩んでしまう。「エール( アリア、BWV. 1068 )」とか「アンダンテ( 無伴奏ヴァイオリンソナタ BWV. 1003 )」、あとバッハの「アリオーソ」として知られる有名な旋律とか、なんかせっかちでペコペコした印象もつよかったりするバッハ作品には、このような聴く者の心をわしづかみにするような強烈に美しい旋律がときどき顔を出したりします。この本によると、転調プランとかも細かく説明してあるのですが、そのくだりを読むと、いつぞや目にした、さる指揮者先生による「マタイ」と「ヨハネ」の転調についての一文も思い出されます。それによると、「マタイ」では「最後の晩餐」場面以降、急激にフラット圏へと傾き、かたや「ヨハネ」では、「ペトロの否認」と、それにつづく「イエスの受けた平手打ち」あたりからシャープ圏へと遠隔転調し、ちょうど5度圏を5つ、それぞれが逆回りに転調進行している、と言います。このカンタータでも、ボーイアルトが歌うアリア「わたしの霊を御手にゆだねます」でフラット5個の変ロ短調に転じて、「バッハはその後も激しい悲しみや絶望を表現する時にのみ、フラットが非常に多い調性を使い、深く沈み込んでいくような感覚を生み出した。その例のひとつが『マタイ受難曲』のなかで磔にされたキリストが人間的な弱さをさらけだしつつ、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになるのですか』と叫ぶ場面である( 長い時を経て、バッハはふたたび変ロ短調にちどり着くが、それは約 40 年も先の話である )」( ibid., p. 115)。

 この本の著者ゲインズ氏はそうとうバッハに思い入れがあるようで、「この哀悼行事のカンタータは、ほとんど言葉に言い尽くせぬ美しさを備えた芸術作品である」とも書いてます。
… 一度この本を脇に置き、スコアを取り出し、曲を聴きながら歌詞と楽譜の双方に目を配ってみよう。何回となく曲を聴くうちに、… 天才の力がしっかりと伝わってくるはずだ。『マタイ受難曲』も、『ロ短調ミサ曲』も、『ブランデンブルク協奏曲』も、無伴奏チェロ組曲も、すべてはここから始まったのである。( ibid., p. 117 )

 もうすぐ 11 日が来ます … 大津波。未曾有の原発事故。15 日夜の富士山中腹を震源とする最大震度6強( 富士宮市で観測 )の誘発地震。噴火するのではという緊張。いっこうに収まらない余震。計画停電。食パンが、乾電池が陳列棚からいっせいに消えた光景。ますます募る想定東海地震と南海トラフ「3連動」巨大地震への不安。そして直下型地震の場合はいつ、どこで発生するのか、予測さえできない。できることをつづけ、あるいは備えるしかないのでしょうけれども、とにかく「記憶の風化浸蝕」だけは、なんとしても食い止めたいと思う。そして、まったくの偶然なのか、戦艦「武蔵」の船体が発見されたという報も入ってきた。自分には、「武蔵」とともに眠っている親戚がいます … いろいろな思いが去来し、錯綜する。しばらくのあいだ、このカンタータに耳を傾けたいと思う。



posted by Curragh at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽関連
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