2015年03月20日

The Masks of BACH

 いま、この特番を聴いてます。なんでも今年の今月 22 日は、日本でラジオ放送が始まって ―― つまり、「花子とアン」にも出てきた NHK の前身、あーあー、JOAK 東京放送局、デアリマス ―― 90 年の節目に当たるんだとか。で、当然のことながら、ラジオ放送のご本家である NHK では、木曜日あたりから「90 周年特集」がつづいてます。

 最初、公式ページ見たときは ??? 、なぜにバッハのこの大曲、しかも「キリストの受難」をテーマにしたこの声楽作品を2時間の特番に、とか不審がっていたけれども、時期的にぴったりなこと( 来月3日が「聖金曜日」、つぎの日曜が「復活日( ルーテル教会での呼び方、ローマカトリックでは「復活の主日 )」)だし、このさいヘンな詮索はよそう、と心に決めて、虚心坦懐に聴取することにした。

 まず番組のっけから、「マタイ」の分厚い冒頭部二重合唱とコラール。はじめてこの冒頭合唱「来たれ、娘たち、ともに嘆こう」の、定旋律コラール「おお神の仔羊よ、罪なく十字架につけられし汝 … 」を CD で聴いたとき、凛とした清々しささえ伴って、はるか天の高みからさっと光が差しこんできたかのようなこのすばらしい音楽に文字どおり圧倒されて涙腺崩壊状態に陥った。もともと少年合唱好き、というのもたぶんに影響しているとは思うけれども、この冒頭合唱だけですっかりシビれてしまったわけです。曲の後半は、磯山先生によると鋭いスタッカートで強調された音型が、「ごらんよ / いずこを / われらの罪を!」と、これはわれわれ自身の問題でもあるのだ、ということの再確認を促している。このへんの音楽の作り込みのすばらしさはさすが、としか言いようがない。

 解説の磯山先生は、往年のマエストロ、オットー・クレンペラーによる「マタイ」ではじめてこの作品に触れたらしいですが、「合唱はまだですか?」と隣りから突っこまれるほど、ほんとテンポがやたら遅くて、悪く言えばもたついててヘンに重々しい。つぎにかかったリッカルド・シャイー音源ではクレンペラー盤の「2倍以上」の通勤快速ライナー並みで、こんどは速すぎてここにいる門外漢はついていけない( 苦笑 )。ワタシは 2007 年2月、ドレスデン十字架合唱団による「マタイ」実演に接しているけれど、あのときはシャイーさんほどにはやたらせかせかしてなくて、クレンペラーとシャイーのちょうど中間のテンポだったと思う。

 そして、なにをいまごろって思われる人もいるでしょうけれども … 「最後の晩餐」場面に出てくる宗教詩人パウル・ゲルハルト作コラール「おお俗世よ、おまえの生活を見よ( 1647 ) 第5節」って、あれもともとの「原曲」が、あのハインリッヒ・イザークの超がつくほど有名な「インスブルックよ、さようなら」だったんですねぇ! あらためて聴き比べてみると( 原曲とコラールがつづけてかかった )、なるほど、たしかにこれは「インスブルック」でした orz

 おなじゲルハルトの「おお、御頭は血潮にまみれ( 1656 )」の有名なコラールもかかってました。こちらはいぞや書いたけれども、ルネサンス期に流行っていたという、ハンス・レオ・ハスラーの「恋わずらひ」の世俗歌曲「わが心は千々に乱れ」が原曲です( リンクは、出来心で初音ミク版にしてみました )。

 なんか重いですよねー、やっぱり、とか出演者が言っていると( 「受難曲」ですからね … )、でも後半にはかすかながら希望の光も見えてきます、みたいなことを磯山先生が述べて、有名なアルトのアリア「憐れみたまえ、わが神よ」や、バスのアリア「わが心よ、己を清めよ」がかかりました( たしかこちらは3年前に逝去したフィッシャー−ディースカウの音源でした )。ちなみにワタシは、これまた往年のアーノンクール / レオンハルトによる「教会カンタータ大全集」の、ウィーン少年合唱団( WSK )のソリストくんが歌った「愛ゆえに、わが救い主は死にたまわんとす」が大好きで、これが入った「聖なる歌声 / ボーイ・ソプラノ・バッハ」でよく聴いてました。第2次世界大戦直前のオランダでの録音( これまた往年のメンゲルベルク盤 )など、歴史的音源がいくつかかかったこともあり、途中からもと NHK の録音技師( だったかな )の方が入ってきて、当時の録音技術といまのデジタル全盛時代の録音とのちがいなどを話してました。まあたしかにいまは、「何百曲もポケットに入れて持ち歩ける」時代ですね、いいんだか、悪いんだかはさておいて。

 最終合唱の「われらは涙を流してうずくまった」。文字どおり駆け足的な感じではあったが、ゲスト一同「いやあ、やっぱり全曲聴かないとダメですね!」。まあなんでもそうだとは思うけれども、「食わず嫌い」は、ほんとうにもったいない。じつはいまさっき、当の磯山先生の「日記」を見つけたんですが、なるほど、薄氷を踏む思いだったんですな。でもワタシ思いますに、これ成功じゃないでしょうか。とくに「マタイ受難曲ってなに? バッハ ?? 」という向きにはぴったりだったと思う。

 と、こんなこと書くと、「いいや、受難曲を正しく理解するにはクリスチャンでないと」とかいう反論も聞こえてきそうです。磯山先生自身、「バッハ音楽を聴くにはキリスト教の信仰は必要か?」という問題にずいぶん悩んだ、とある本に書いてます。

 で、ここにいるしがない門外漢のワタシの卑見を述べさせていただければ、「信仰」は、あればそれに越したことないけれど、なくったって平気。このことはとくに番組後半で磯山先生が強調していたところでもある。以前、こんな拙記事書いたことがあるけど、「ロ短調ミサ」を書くにいたるバッハにとって、だれだれはローマカトリック、だれだれはルター派、というのはもはやどうでもよくなっていったように思えてしかたがない。ここんとこキャンベル本に入れこんでいるから、多少はその影響を受けているだろうけれども、真に天才的芸術家、というのは、ある到達点に達すると、そういう表面的皮相的な「くくり」は、必然的に突き抜けるものだと考える。キャンベル本に導かれるようにして接したジョイスやマンの小説作品だって、おんなじことが言えると思うな。バッハの、とくに最晩年の音楽は、そういう「組織宗教」云々を「超越」している。そこが、非キリスト教徒がほとんどの国民も感動できる最大の理由だと思いますね( とはいえ、イエスの受難物語くらいは知っていたほうがいい。できれば「共観福音書」と「ヨハネ」の該当箇所は読んでおいたほうがいい )。もっとも若かったときから、バッハの書く音楽にはかたじけなさ、神々しさが備わっていたのも疑う余地はない( ひとつ前の拙記事参照のこと )。これはたとえば、10 歳になるかならないかであいついで両親を失って孤児になったこと、ふたりの奥さんとのあいだに生まれた 20 人(!)の子どもも、成人したのは半分だけだったという事実からして、バッハにとって「死」は必然的に身近なものにならざるを得なかったことがほぼまちがいなく影響していると思う。

 そして、どんな演奏スタイルになっても、やっぱりバッハはバッハなんである。ザ・スィングル・シンガーズにも、「マタイ」のアリア編曲があったんですね、こちらははじめて聴いた( と思う、「フーガの技法」の「12度転回対位法による原形主題と新主題の二重フーガ」は、聴いたことあるけど)。でも、いかに「変形」されても、バッハの音楽のもつ生命力は、いささかも失われていない。どころか、新しい「仮面」をかぶって、ますますその音楽のもつ力、エネルギーは増しているようにさえ思う。そういえば今週の「古楽の楽しみ」はおなじく磯山先生の担当でして、テーマは「バッハの管弦楽組曲」、で、マーラーが 1911 年に出版したという「管弦楽組曲」もかかってまして、こちらにもたいそう驚いた。これはバッハの「管弦楽組曲」の「2番」と「3番」から、有名な「アリア」や「バディヌリ(!)」など、5曲をまったくあらたにつなぎなおしたある意味ひじょうに野心的かつ大胆な試みでして、初演時は、なんとマーラー自身が「ピアノを改造したチェンバロ」を弾きながら指揮をしたんだとか。… いまみたいに TV 中継とかが当時あったのなら、ぜひ見たかったものだ。さぞ見ものだったでしょうに。

 巷では『21 世紀の資本』が売れているらしい … そして、「解説本」と称する本もついでに売れているらしい。でもほんとうにそのものを知りたければ、そのものをとにかく全部、読むしかない。意味不明語の連続である『フィネガンズ・ウェイク』を読まされるわけじゃないし、前にここにちょこっと書いたけれども、すくなくとも「はじめに( 日本語版表記による。ワタシが目を通したのは英語版の Kindle 本[ 買ってはいない、立ち読みしているだけ ] )」数ページ読んだ感じとしては、「だれにでもわかる」ように書いてあります。もっとも「各論」に入れば、それなりにテクニカルなんでしょうけれども、英訳本の Introduction を読んだかぎりでは、カポーティや『赤毛のアン』を原文で読むよりはやさしい、と思った。今回の「特番」で、バッハの「マタイ」や、「ロ短調ミサ」などの宗教声楽作品に興味を抱かれた向きには、ぜひ全曲通して聴いてみることをおすすめします( 磯山先生のサイト経由で知ったけれども、明日、バッハの 330 回目の誕生日! に、大阪でこんなおもしろそうなオルガンリサイタルが開かるんですねぇ、ええなあ。いずみホールのオルガンは、デザインが古風でこれまたいいなあ。「グラントルグ」という表記法を使っているところから見ると、フランスの楽器みたいです。静岡駅前の AOI で、「バッハのオルガン作品全曲演奏会」みたいなことをやってくれたのなら、全曲聴きに行ったのに )。

追記:『21 世紀の資本』ついでに … きのうの地元紙朝刊紙面に、「ピケティブームの意味 / 経済観転換 必要性示す」と題されたコラムが載ってました。書いたのは佐伯啓思氏。結びに、「… 先進国はもはや成長を求め、物的富を追求し、さらにはカネをばらまくことで無理に富を生み出そうというような社会ではなくなっている。経済成長の追求に中軸をおいたわれわれの価値観を転換しなければならない。ピケティが述べているわけではないが、この本が暗示することは経済観の転換なのである」とありました。この分厚い本をきっちり読めば、おのずとこんな感想なり読後感を持つのがふつうなんじゃないでしょうか。この労作の評として、これほど的確に本質を言い当てているのはほかに見たためしなし。

posted by Curragh at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | NHK-FM
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