2008年03月09日

『ユダの秘密』

 ここでも何度か取り上げた、ジェームズ・ロビンソン博士による「『ユダの福音書』を追え! 外伝」みたいな本の邦訳です。前にも書いたように、初版本を底本とした訳稿が上がりかけたころ、原著者ロビンソン博士から「五月雨」式に「謹製増補改訂稿」が――おそらくいまのご時世なので電子メールにくっつけて――つぎつぎと送りつけられてきた。版元と協議した結果、章立ては初版に準じる旨、ロビンソン博士に了解を取りつけ(増補改訂版原本は章立ても変更されている)、さてようやっと訳了、と思いきや、「決定稿ができたよ〜♪」とまたぞろ博士から送りつけられた。このため、いったん初版+追加分といったかたちで邦訳が脱稿したにもかかわらず、けっきょく「完全な第二版」を底本とし、章立ては初版にもとづき、追加分を入れたという、なんともややこしいことになってしまった。このへん、訳者先生のご苦労は並大抵のものではなかったろう、と思う。でもまあ最近は本も出来上がってない段階、ゲラ刷り以前の段階から著者と連絡取り合って、原本とほぼ並行して翻訳も進める、というパターンが増えているようなので、取り立ててどうのということはないのかもしれないが、このへんからしてこの老大家の人となりが透けて見えてくるようなエピソードではある。

2judas.jpg


 かんじんの内容ですが、「正典4福音書」をちらとでも読んだことのない読者にとっては役に立つ情報はあるように思います。ロビンソン博士が長年携わってきた「Q資料」と絡めて、正典福音書成立の背景を懇切丁寧に解説してくれているからです(「1. 新約聖書のユダ」、「2. 歴史上のユダ」)*。しかしながら、このへんの事情をすでに知っている向きには、とりたてて目新しい情報もこれといってなく、やたらと目に付くのは米国地理学協会(以下NG)顔負けのイエロー・ジャーナリズムもどきの「ユダ福音書」再発見までにいたる、内幕すべてぶちまけるぞといったたぐいの暴露がほとんど(4,5,6章。それとあらたに追加された「序言 2006年のイースターの狂騒」。ここだけ読むと内容は学術的でもなんでもなくて、いかにも俗っぽい暴露本のたぐいです)。前にも書いたけれど、ロビンソン博士も何度かこの問題のコプト語古写本に手をかけ損なった経歴の持ち主なので、「読者が手にしておられる本書は…詳細を内々に知らされているわけではない部外者」が書いたもの、なんて「まえがき」で断ってはいますが、それは「ものは言いよう」でしょう。「目くそ鼻くそ」のたぐいですね。

 それといまひとつ気になるのは「実際、私はそのような議論を行った一人なのです(p.152)」、「私はこの点を論じるためだけに論文を七つ発表しています(p.153)」、「私は、…という本で、『マリアの福音書』を英語で読めるようにした最初の人間です(p.154)」。なんかこのへんだけ取り出すと、カウボーイハットにジーンズのあの博士を彷彿とさせますね。とにかく「わしが、わしが」といった書き方が目につき、ハナにもつく。

 改訂稿用の完全な書き下ろしは「序言」としんがりの「7. 『ユダの福音書』」ですが、「チャコスは古物取引きのユダ」呼ばわりしている「序言」はしょせんは新聞報道やその他ライターによる記事の焼き直しにすぎないのでこれはともかくとして(もっとも書かれていることは事実。チャコス女史は「お尋ね者」になり、一度、イタリアの警察にご厄介になっている)、役に立ちそうな記事は最終章くらい。それでも先日ここで取り上げたデコーニック女史の本(The Thirteenth Apostle)でも指摘されていた、チャコス写本p.52の「キリストと呼ばれるセツ」の復元はまちがっていることはこちらの本でも指摘されています(pp.39-40, p.333)。

 初版本を一読した感想として、「書き散らしたみたい」な本だと書きました。「ユダ福音書」と「ナグ・ハマディ」やグノーシスのセツ派との関連について、多くの紙数を費やしている最終章も、ほかの学者からの引用が多すぎるきらいがある。ロビンソン博士は、「タイトル、導入部と結語部分」、「ほかのセツ派文書との関係」、「12人」、「13番目の者ユダ」、「笑う救い主」といった項目に分けて分析を試みていますが、その洞察力に目を見張ったデコーニック先生の本とはちがって、「わかったようなわかんないような」、そんな煮え切らない書き方。皮相的というか、ここでもなんだか書き散らしたような、散漫な印象はぬぐいきれません――せっかく一所懸命書いてくれたロビンソン博士には申し訳ないけれど。ちょこちょこ初版本と較べてみると、あらたに書き下ろした本文以外にも細かな追加がけっこうあります。とはいえそのほとんどは「べつになくてもいいんじゃない?」みたいな蛇足が多い。たとえば「3. グノーシスのユダ」の終わりの部分には弟子のマイヤー先生の文がどーんと引用されているのですが、なんとボブ・ディランまで出てくる(失笑)! ちなみに初版本はもっと手前、ボードレールの「悪の華」の引用につづいて翻訳本の「ユダの裏切りを理解して、…しかしそれは、永らく存在し今も続いている伝統に、立脚したものなのです(p.174)」で終わっています。だいいちボブ・ディランの歌詞なんか、「グノーシスのユダ」という話といったいなんの関係があるというのか(おっと、ついでに初版には言及のなかったボルヘスも出てきますな)? 

 「ユダ福音書」の解釈ですが、ロビンソン博士はなんと、「本文の流れも本文の流れにおける欠如も、単に意味を成していません」、「実際、『ユダの福音書』の全体の構造、或いはより正確には、構造の欠如とおぼしきものは、原著者が書いたものは果たしてこういうものなのかという疑問を抱かせるでしょう。もしそうであるなら、原著者は、例えばナグ・ハマディのグノーシス主義的論考(tractateの訳ですが、たんに「文書」でよいのでは? と思う)の著者と比べて、大変貧相な著者だったでしょう! しかし本文の無内容さは、途中で削除が行われたかもしれないということを示唆しています。しかし、どこでなぜ、誰によっていつ、でしょうか?」(pp.329-331)なんて書いていたりする。「目が点」とはこのこと。ハナから解釈するつもりなんてないんじゃないのかという気さえする。そのくせ「『ユダの福音書』において復活祭に至るまでのこれら三日間に起こっていることは、正典福音書において聖週間に起こっていることとも、また実際イエスの生涯とも、何の関係もありません。イエスとユダの間の対話という形式に入れ込まれているとはいえ、これは、自分の教えにキリスト教的権威を付与するための二次的な手法以上のものではありえません(p.330)」とか、前にもおんなじとこ引いたけれども、「『ユダの福音書』は2世紀の外典福音書で、それはたぶん、2世紀中葉のセツ派(初版本では「カイン派」とはっきり書いてあるけれど、いつのまにか[?]変更されていた)グノーシス主義者について私たちに語っているものであって、紀元後30年に何が起こったのかについて私たちに語っているものではないのです!(p.303)」ということはくどくど繰り返している。そんなこと百も承知なんだけれどもなぁ(苦笑)。で、けっきょくロビンソン博士も――なんだかんださんざまわり道したあげく――ユダを英雄扱いにしている点ではさほどNG側の「公式版」と変わりない結論です。途中で、「13番目の霊(語源的には「悪霊」)(p.347)」と断っているにもかかわらず、です。こっちのほうが「大変貧相な」展開だという気がしますね(ロビンソン風に)! もっとも、今回見つかった「ユダ福音書」を含む「チャコス写本」なるものは、4世紀はじめごろに筆写されたものらしいから、ひょっとしたら、これの持ち主――写本とほかの3つの文書の入った石灰岩の入れ物は家族の墓に埋められていたという――自身が書き写した可能性もあるのではなかろうか。それだと、底本にはあってこの写本では端折られている部分というのも、ことによったらありうる話かもしれない。とはいえデコーニック女史の解釈を読むかぎりでは、写本の保存状態の悪さを差し引いても、おおよそのところは物語として体をなしているように思えます。

 それでもめぼしい指摘をひろえば、「ユダ福音書」の作者が下敷きとして知っていたのは「ルカ伝」と「使徒言行録」だけかもしれない、とか、後半の「ユダの昇天」については、「…つまり正統教会の『12人』が入っているカオスと陰府を支配する12の天使の上にあるとしても、[ユダの位置は]かなり下の方にあるのかもしれません(p.348)」くらいですか。後者については、当たらずとも遠からず、だいたいセツ派の権威(らしい)ターナー教授やデコーニック女史とほぼおなじ指摘ではあります。

 ロビンソン博士は「まえがき」で、「楽しい読書を皆さんにお約束することはできませんが、それはきっと、エキサイティングな読書にはなることでしょう!(p.8)」なんて得々と書いてありますが、すくなくとも自分には当てはまらなかったみたい(笑)。

 翻訳について。以下に記すことは門外漢の妄評、あくまで一読者としての視点に立ったものであることをまずお断りしておきます(自分の浅学非才ぶりはタナにあげています)。まさか自分が買った本(初版本)がこんなに早い時期に日本語で読めるとは夢想だにしていなかったので(自分が買う本はみんなが見向きもしないものばかりなので)、そういう意味では今回はなんだか得した気分です。やはりこなれた日本語で読めるのはありがたい。「訳者あとがき」にもあるとおり、もともとがワンマンバンドと言うか、ニュースショー的な書き方なので、「です・ます」の講演調で訳されたのはとてもよかったと思う。ちなみに↑で引いた「わしが、わしが」の箇所はそれぞれ'In fact, I for one have made just such an argument.', 'I have published seven articles arguing this point alone.', 'It so happens that I was the first to make The Gospel of Mary available in English, in ...'。もっとも最後の文は、「『マリア福音書』を『ナグ・ハマディ』に収録して英語で読めるようにするための任に当たった最初の人間が、たまたま自分だった」くらいだろうと思います。この手の「学術もの」にしてはひじょうに良心的な翻訳と言ってよいでしょう(昔は読みにくい悪訳のたぐいは人文科学系の書籍がほとんどだった。「高くて売れない」本というやつですね。たまに文学ものにもそんな代物はありましたが)。原本もってる人間が言うんだからこの点はまちがいなし(ただし、ロビンソン博士の肩書き表記で「UNESCOのナグ・ハマディ写本国際委員会常設秘書」というのはやや疑問。'permanent secretary'の訳なのですが、この肩書きの人がロビンソン博士しかいないのかほかにも複数いるのかがわからないけれども、「常任事務局長」もしくは「常任事務官」くらいの意味ではないかと思います。米国のSecretary of State[国務長官]という役職を、まさか「秘書」とは訳せないでしょう)。

 そして訳者先生は、「訳者あとがき」でこうも書いています。「…本書一冊だけで、『ユダの福音書』に関してすべてわかろうというのは、それはやはり横着だと言うべきだろう。訳者自身、本書刊行の暁には、『ユダの福音書』のグノーシス主義について、より本格的な解説を行っている書籍(原著はオランダ語)を紹介したいと考えていることを、ここで付け加えておきたい」(下線強調は引用者)。これを深読みしますと、ほんとはあんまり乗り気じゃなかったんじゃなかろうか、という気さえしてきます。それはともかく、その「オランダ語の解説本」、こちらはおおいに気になるところ。ぜひ出していただきたい。

 というわけでこの本の5段階評価はるんるんるんるん

 *…Q資料と正典4福音書成立についてかんたんにまとめておきました(出典:大貫隆編著『イスカリオテのユダ』日本キリスト教団出版局、2007、p.20にもとづき作成)。

正典4福音書の成立とQ資料

追記。先日、エジプトでミイラ4体を盗み出したとして墓泥棒の一味が逮捕されたという記事を見ました。こういうたぐいのコソ泥が暗躍しているから、いつまでたっても不法な古美術品市場というものがなくならない。ほんと困ったもんだ。しかも今回、ミイラを盗んだとされる場所が、よりによってミニヤー県。「チャコス写本」の発見されたところです。そういえば欧州でもまた有名絵画が何点か盗まれましたね。ときおり、なんと美術館員が窃盗の手助けをしていたりするので、ますますたちが悪い。どうにかならないものかという感を強くした一報でした。

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/12136492
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック