キャンベルによれば、「アーサー王」ものの発展の最終段階たる「書きことばによる物語群」は、だいたい 1136−1230 年ごろ。時代順に分類すると、
A. アングロ・ノルマン語による「愛国的な」叙事詩群:1136−1205ということになる。
B. 「フランス宮廷愛」もの( ロマン・クルトワ ):1160−1230
C. キリスト教色の強い「聖杯伝説」もの:1180−1230
D. ドイツ語による「伝記的叙事詩」型:1200−1215
A群について:「アーサー王」ものの元祖的存在、ジェフリーのラテン語本『ブリタニア列王史』も、時代的にはちょうどこのころ( 1136−38 )。ついで、『聖マーリン伝』( c.1145?)。後者には、ラテン語版『聖ブレンダンの航海』で重要な役回りを果たす聖バーリンドらしき修道院長が登場する( → 関連拙記事 )。ついでこの系統に連なるのが、『列王史』のアングロ・ノルマン語による「翻案」ものとして『ブリュ物語』( c. 1155 )を書いたヴァース( 1100−75 )、そしてそれを継いだかっこうのウスターシャーの聖職者ラーヤモンの長大な英訳本( c. 1205 )がつづく。最後の英訳( 中英語 )版は、「原典」の『ブリュ物語』の倍の長さ、32,241 行もの頭韻詩(!)になっている。ヴァースは、言ってみればこの作品が自身の仕えている宮廷に受けて、ノルマンディーのバイユー市参事会員に「昇進」している( バイユーの近くに、「カーンの市民」で有名なカーンがある )。「円卓」が言及されるのは、『ブリュ物語』が最初。その英訳者ラーヤモンによって、「宴のさい、だれが上座かでモメないように」円形テーブルになった、との補筆が。いずれも政治性の強い作品群で、その嚆矢たるジェフリーは、すでに存在していた『ロランの歌( c. 1040−1115 )』など、かつてのカール大帝に関連する武勲詩に対抗する意図があったのかもしれない( ついでにラーヤモン中英語韻文版で、瀕死のアーサー王をアヴァロン島へ迎え入れる「妖精モルガン[ Morgan, Morgant ]」が、訛って「アルガンテ Argante 」に化けている )。
B群について:『ロランの歌』などの武勲詩の影響が強かったためか、ここではアーサー王が主役の座を降りて、「彼の騎士たちへと関心が移った」。この系統の代表格は、マリー・ド・シャンパーニュに仕えていた物語作家クレティアン・ド・トロワの一連の作品群、ということになる。
1. 『トリスタン』;成立年代不詳、現存せず
2. 『エレクとエニード』;c. 1170
3. 『クリジェス』;c. 1176
4. 『ランスロ、または荷車の騎士』;1176
5. 『イヴァン、または獅子の騎士』;c. 1180
6. 『ペルスヴァル、または聖杯の物語』;c. 1180
『エレクとエニード』については、ウェールズ語版『ゲレイントとエニッド』が、『イヴァン』についてもおなじくウェールズ語の『オウェインと泉の貴婦人』が存在し、『ペルスヴァル』についてもやはりウェールズ語版の『ペレディール』が存在する。それぞれの相互関係については米国のアーサー王学者ロジャー・S・ルーミスによると、相違点をそれぞれ比較した結果、『エレクとエニード』と『イヴァン』とそのウェールズ語版ともども古仏語で書かれた「底本」をもとに成立し、『ペルスヴァル』とそのウェールズ語版は、古仏語の異本系統を底本としていると考えたほうが妥当だとしている。
C群について:この系統で、はじめて「聖杯」が「最後の晩餐」でイエスが使用した「杯」と関連づけられている。
1. ロベール・ド・ボロンの平韻八音綴の韻文で書かれた『聖杯由来の物語[ または『アリマタヤのヨセフ』] 』;c. 1180−99 **
2. ロベール本を底本に敷衍した、古仏語散文「流布本系」に属する5つの物語の最初の『聖杯物語』;c. 1215−30、いずれも作者不詳。聖杯はクレティアンと同様、「皿」として出てくる。
3. おなじく「流布本系」に属する散文『ランスロ』もの;c. 1215−30
4. 同「流布本系」『聖杯の探求』;c. 1215−30、同時代に開かれた第4ラテラノ公会議での「全実体変化」についての教義決定が色濃く反映されてもいる。
散文版「流布本」系において、はじめて完全無欠の騎士、ガラハッドが登場する( ボロン版にはない )。
「聖杯」について、ロベール版では「杯」だが、クレティアン本および「流布本」系はすべて「皿」。5つの「流布本系」のうち、『聖杯物語』と『聖杯の探求』はともにシトー会士の手になるもの。そのためランスロ( ランスロット )もケルト系というよりはフランス発祥で、キリスト教倫理感から創作された人物である可能性が高い( cf. トリスタン[ ドラスタン、トリストラム ]はそうではない )。†
キャンベルによる『聖杯物語』要約を読むと、たとえば冒頭で、作者と称する人が A.D. 717 年の聖金曜日に見た夢に現れたイエスに、「復活後」に書いたという書物を贈られ、読むとたちまち気を失って天国に引き上げられ「聖三位一体」を見た。地上にもどると、その聖なる書物をしまっておいたが、忽然と消えてしまった … とかのくだりは、なんだか中期オランダ語版『航海』冒頭部に似ているなあとか( もっともこちらはブレンダン修道院長が「真理の書かれた本」を火にくべちゃうんですけどね )、ソロモンが王妃の助言に従って作らせた大船というのがひとりでに岸辺に接岸して乗船者を乗せるとかいう箇所などは、ラテン語版『航海』冒頭の、聖マーノックの「聖人たちの約束の地」訪問の挿話がダブって見えたりする( もっとも、「ひとりでに目的地に向かう船[ 小舟 ]」というモティーフは、トリスタンをアイルランドに運んでいった革舟の挿話にも現れている )。ケルト伝承から借りた要素がいくつか、ここにも紛れこんでいるようです。そしてこの大船は『聖杯の探求』にも出てきて、やはりいつのまにか岸辺に停泊してランスロを待ち構えていて、ペルスヴァルの妹の亡骸とともに月明かりのもとひとりでに出航して、聖杯城コルベニックへと向かったりする。また、初期の「アーサー王」ものから「流布本系」にいたる過程で、いつのまにか(?)主人公がアーサー王その人から円卓の騎士、ランスロ( ランスロット )、ペルスヴァル、ガウェイン、そして「流布本系」ではじめて登場するサー・ガラハッドへと移っている( 同様に、『聖杯由来の物語』では初代聖杯王アランに聖杯を授ける役回りの司教ヨセフが、のちの作品ではその息子[!]のヨセフェへと置き換えられている )。ラテン語版『航海』の場合、主人公が修道院長ブレンダンその人から、たとえば『聖マロ伝』に見られるように、弟子のひとり聖マロへと代えられていたりする。よくある書き換え、翻案と言えば、それまでだけど。ちなみに「ガラハッド」という名前の由来は、「創世記」31:47−52、「ラバンはまた、『この石塚( ガル )は、今日からお前とわたしの間の証拠( エド )となる』とも言った。そこで、その名はガルエドと呼ばれるようになった」から来ているとしている。この名前( Galaad, Gilead, Galahad )は、『聖杯の探求』→『聖杯物語』へと受け継がれていったらしい[ この系譜では『聖杯の探求』がいちばん古いらしい ]。
… ヨセフもヨセフェも、ともに史的イエスが史的ペトロの岩に確立した史的ローマ教皇座の系統に属さず、「復活したイエス」が確立した系統に属している。彼らの隠された城にして教会、コルベニックへと至る道は皆が通る道ではなく、内面的に支配された個人によって、もっとも深い森の、もっとも暗い場所からはじまる。聖杯と、その神秘的探求へ召命する天使がアーサー王宮廷の宴の間に出現したとき、もろもろの歴史上の営為や目的といったものは忽然と終わりを告げる。これは終末的瞬間だ。「聖霊の時代」の始まりである。アーサー王宮廷の共同体は強力な磁石にでも引き寄せられるように、世俗的な騎士としての勤めという領域から逸脱した( p. 549 )。
他のキャンベル本にもよく引用されている、円卓の騎士が消えた聖杯探しに出かけるくだり、「それぞれが選んだところ、もっとも暗く、一筋の小道さえなかったところから( 飛田茂雄訳『時を超える神話( 1996 )』にもとづく )」めいめいバラバラに旅立っていく、という描写は、このキリスト教色の強い『聖杯の探求』に出てくる[ ただし、けっきょくは教会の言う「楽園へとまっすぐ至る一本道」をたどることになるが ]。というわけで、真にみずから選んだ道を進む、という方向で書いたのが …
D 群「中期ドイツ語の伝記的叙事詩型」。なかでもキャンベルが「中世西欧文学の最高傑作」と賞賛する、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの全 16 巻、30 行ひとまとまりの二行連句 827 詩節、総計 25,000 行に迫る大作『パルチヴァール[ パルツィヴァール ]』 ‡ もこの系統に入る。フィオーレのヨアキムの霊的時代区分で言うところの「聖霊の時代」のはじまり[ 1260 年ごろ ]。ちなみにエッシェンバッハの「聖杯」は、前にも書いたけれども、「杯 / 盃」でもなく「皿」でもなくて、「石 [ 賢者の石、ラピス・エクシリス ]」!
* ... クリストファー・スナイダー著、山本史朗訳
『図説 アーサー王百科
ベルンハルト・マイヤー著、鶴岡真弓監修 / 平島直一郎訳
『ケルト事典
** ... 松原秀一ほか編訳『フランス中世文学名作選』白水社 2013.
† ... 「流布本系」について、以前の関連記事にて不適切な記述をしていたので、あしからず訂正させていただきます。古フランス語散文で書かれた『アーサー王の死』は、ほかでもないこの「流布本系」掉尾を飾る作品だという認識がなかったもので[ p. 531 の脚注に「流布本系」5つの物語がしっかり明記してあったのに、ボンヤリ読み過ごしていた m( _ _ )m ] … 。
‡ ... ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ著、加倉井粛之、伊藤泰治ほか共訳『パルチヴァール』郁文堂出版 1974.