2008年03月17日

『航海』が先か『聖ブレンダン伝』が先か(Navigatio, chap.3)

 今日はアイルランドの国民的祝日、「聖パトリックの日」。だから、というわけではないですが、記事もひさびさに聖ブレンダンへともどりたいと思います(ほんとはもっと前に書くつもりだったのが、風邪ひきやらなにやらでえんえん回り道したあげく、ようやく本来の針路へもどってきたような感じ)。

 ラテン語版『航海』第3章。聖ブレンダンは14人の旅のお供を連れ、修道院を継ぐ後継者を決め(これはたぶん「ベネディクト戒律」の影響が見られる部分)、いよいよ出発するわけですが、さてここでのブレンダン一行の行動には読み手としては首をかしげることになります。↓

 …(40日の断食を済ませたあと)聖ブレンダンは兄弟たちに暇を告げ、のちに後継者となる修道院の副院長にすべてをゆだねて、14人のお供とともに西の方角、エンダという名の聖なる父の住む島へと向かった。一行はその島に三日と三晩、とどまった(The Voyage of Saint Brendan, trans. by J.J.O'Meara, pp.7-8)。

聖エンダは現在のアラン諸島イニッシュモア島に庵を構えていた聖人で、マンスター王オエングスからこの島を与えられ、ここで数多くの修道士を養成したことで知られています(ブレンダンもそのひとりだと伝えられる。祝日はもうすぐ、今月21日。あら、奇しくもバッハの誕生日とおんなじ!)。言わば師匠のもとで三日間滞在したということなんですが、このあとではじめて大海原を航海するカラフの建造にかかっています(第4章)。これどう考えてもヘンですよね。順番が混乱しているというか、逆というか(聖エンダの島へはどうやって行ったのか? セヴェリンのレプリカ船はブランドン入江出航後、まっすぐ北上してアラン諸島へ寄港している)。

 この不整合に着目して、ラテン語版『航海』と『聖ブレンダン伝』の成立年代について考察した研究者がいます。それがオランダのストライボシュ女史です。

 先生の労作The Seafaring Saintの主題は12世紀に成立したといわれる古オランダ語韻文による『聖ブレンダンの航海(Reis van Sint Brandaan)』ですが、その成立過程において、アイルランドのimmramaや『ブレンダン伝』、『航海』についてもかなりの紙数を費やして論じていて、ひじょうに刺激的な本です。で、先生の導き出した「もっとも可能性の高い」結論は、ラテン語版『航海』は『聖ブレンダン伝』に出てくる2度の航海をひとつの「7年の航海」として語りなおしたものでは、というもの。それがひょこっと顔を出している箇所こそ、第3章のつじつまのあわない記述だと言います(pp.132-4, pp.278-2)。

 『聖ブレンダン伝』は7つの写本が現存しており、うちふたつは古アイルランドゲール語で書かれています。岩波から出ている『ケルトの聖書物語』にはそのうち15世紀に編纂された通称「リズモアの書」に収録されている写本が挿入詩をのぞいて訳出されているから、手っ取り早く内容を知りたい向きはこちらを入手されるとよいでしょう(本家サイトの「参考文献」ページでも紹介しています)。

 『聖ブレンダン伝』では、ブレンダン一行は最初の5年におよぶ航海(邦訳版底本である「リズモア書」所収のケニーによる分類番号VB6写本のみ、7年になっている)が徒労に終わると、養母である聖女イタのもとへ行った。彼女はブレンダンに、「死んだ動物の血で汚れた獣皮船ではかの聖別された島へはたどり着きません。しかし木で造った船ならば、その島を見つけることができるでしょう」と助言した。ブレンダンはそのことばどおりにこんどは60人が乗船できる大船を建造し、自分たちも乗せてくれとせがんだ大工と鍛冶屋と道化師も乗せ、その船に乗って「エンダが住み、ププがいる」島を訪ね、そこでひと月ほど逗留したのちに航海に出る、という筋立てになっています(岩波版ではpp.133-4)。

 『ブレンダン伝』と『航海』には共通要素がほかにも多く出てきます。三人の遅れて乗船した者、ユダとの邂逅、大魚の背で祝う復活祭などなど。ストライボシュ女史およびイタリアの研究者オルランディ教授の見方では、これらはみな『ブレンダン伝』では単純なかたちの挿話にすぎないが、『航海』ではそれぞれが拡大されている場合が多い。だから『ブレンダン伝』の作者が『航海(もしくはそのプロトタイプ)』を下敷きに書いた、というよりも、『航海』の作者が『ブレンダン伝』を下敷きにしたというふうに考えたほうが自然だ、ということです。両者の関係および成立年代についてはいろいろな主張がありますが、基本的には自分もこちらの主張を採用し、本家サイトにも『ブレンダン伝』のほうが成立年代が古いという学説にもとづき両者の成立年代を書いてあります(ただし現存する『ブレンダン伝』の5つの写本には『航海』の要素が合成されているから、話はややこしくなる)*。

 またストライボシュ女史は『聖ブレンダン伝』よりラテン語版『航海』のほうが成立年代は新しいのではないか、という根拠として、「大魚(クジラ?)ジャスコニウス」の挿話も指摘しています。こちらも『ブレンダン伝』より『航海』のほうが手のこんだ話になっていて、おそらく『フィジオログス』なども下敷きにして書いたのではないかと推測しています。また『ブレンダン伝』に「大魚の上で復活祭を祝う」という発想をもたらしたのは、現在では失われてしまったブレンダン伝説――書き言葉にせよ口承にせよ――にもとづくかもしれないとも述べています。こちらのほうはまた後日、こちらで書くかもしれない(忘れてたりして)。

 ラテン語版『航海』第3章における不整合は、ただたんに原作者がディングル半島の地理に疎かったためかもしれない。もしそうだとしたら、カール・セルマーの言っているように、大陸に逃れたアイルランド人修道士のブレンダンを信奉する一派が、修道院長の功績を記録として残すために書いたのかもしれない。

 『航海』と『聖ブレンダン伝』、それにまつわるアイルランドゲール語で書かれた一連の「航海文学」との関係は、オルランディ・ストライボシュ両氏によれば、つぎのようになります。

1). ラテン語版『航海』成立年代は800年ごろ。ゲール語による「航海譚(immrama)」は、最古のものは7-8世紀に成立。

2). ラテン語版『航海』の作者が『ブレンダン伝』から挿話を借用した可能性のほうが高い。

3). 『ブレンダン伝』の原型には2度の航海と、「大魚の上で復活祭を祝う」エピソードが含まれていた(これを下敷きにしてスピンオフとも言うべき『聖マロ伝』が書かれた。後者にも酷似した「大魚」の挿話が登場する)。

4). 『聖マロ伝』には、現存しない『ブレンダン伝』航海部分からの借用とおぼしき箇所が見られる。

5). アイルランドと大陸双方に、「大魚に乗った聖ブレンダン」という伝説が11世紀にはひろく知られていた。

6). 『ブレンダン伝』の原型物語は、失われたと推定される「ブレンダン伝説」に近かったかもしれない。ここからブレンダンものの伝承が書き残されてゆく。

7). 『メルドゥーンの航海』の原型になった物語の後半部分から、『航海』のプロトタイプが派生した。両者のプロトタイプが結合して『航海』となり、それぞれ独立した伝承として伝えられたのち、オランダ語韻文版『航海』へと発展する。

『メルドゥーンの航海』原型後半部分

『航海』原型
↓   ↓
『航海』   オランダ語版『航海』

(ibid. p.142)

* .... 『聖ブレンダン伝』と、ラテン語版『航海』における構成関係をかんたんに示した表。(VB6,7はゲール語、それ以外はラテン語写本。現存写本はすべて12世紀以降に筆写されたもの。出典:The Seafaring Saint, p.132)

『聖ブレンダン伝』と『航海』との関係

*... 3のエピソードはおそらく底本テキストが失われたために、唐突に終わっている。

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