2008年03月22日

聖金曜日・バッハの誕生日に「ヨハネ」

 いまさっきNHK教育で大バッハの「ヨハネ受難曲 BWV.245」を聴きました。演奏者は初来日というオランダ・バッハ協会、指揮はヨス・ファン・フェルトホーフェン。いま調べてみたら招聘元は、レオンハルトでおなじみの(?)アレグロミュージックでした。しかも聖金曜日、バッハの323回目の誕生日、くわえて満月の夜(いまは明けて22日)。こういうめぐり合わせは、めったにないこと。

 「ヨハネ」は2週間くらい前にも「バロックの森」で聴いたのですが、TVで、しかも全曲放映という機会はほんとめったにないので、もちろん録画して見ました(NHKのBS放送は見てない人…orz)。解説には、あの樋口先生が登場してました。

 自分はバッハの鍵盤作品に偏った聴き方をしているので、200曲以上もある「教会・世俗カンタータ」などバッハの声楽曲にかんしてはまるで疎く、口幅ったいことは言えませんが、今回、はじめて知ったのは、「ヨハネ」のもともとのオリジナル自筆譜が失われていることでした。かろうじて現存しているのは通奏低音とか、ほんの一部にすぎないらしい。また「バロックの森」の案内役の先生によると、「マタイ」では台本作者が筆名ピカンダーなる詩人だったことがわかっているが、こちらはだれなのかいまだにわかっていないこと、バッハは1724年4月7日、ライプツィッヒ聖ニコライ教会での聖金曜日礼拝で初演したあとすくなくとも4回、改訂していること(最後の1749年版は、もともとのオリジナル自筆譜に近いかたちにもどされているらしい)とか話してました。あと拙いながらも予備知識として知っていることと言えば、「ペトロの否認」で、「外に出て激しく泣いた」という一節が「マタイ伝」から借用されて追加されていること、聖書の言葉とコラール以外の自由詩のうち少なくとも9曲は、3種類の既存の受難詩に変更を加えたものだということ(1. バルトルト・ハインリヒ・ブロッケスの受難詩『世の罪のために苦しみをうけ、死にゆくイエス』[通称「ブロッケス受難曲」]、2. クリスティアン・ハインリヒ・ポステルの《ヨハネ受難曲》のなかのアリア歌詞、3. クリスティアン・ヴァイゼ『若人のための思想』所収「泣くペテロ」)、ちょうど「ペトロの否認」のあたりで「マタイ」のときとは逆周りで5度圏を5つ、調を移動すること(ト短調で開始される冒頭合唱からしばらくはフラットの調で推移するが、「ペトロの否認」以降、急激にシャープ圏へと遠隔転調する。逆に「マタイ」ではシャープひとつのホ短調から「ペトロの否認」のあたりで急激にフラット圏へ傾き、やがてフラット4つの変イ長調へと転じる。ある指揮者の方のことばを借りれば、「ここで調性による十字架が描かれている」ような転調プランになっている)くらいですか。個人的には「マタイ」はすこぶる激情的で聴く者の胸ぐらをわしづかみにするかのような印象がありますが、「ヨハネ」はひじょうに内省的で、文字どおり「音楽による礼拝」という印象です。もっともこれは「ヨハネ伝」の書き方を反映させてのものだと思います。今回の演奏では合奏・合唱・ソリストも入れて総勢20名ほどというひじょうにちんまりとした編成(これがバッハ時代のスタイルにもっとも近いという)で、昨年聴いたドレスデン聖十字架合唱団みたいに大掛かりではなかったものの、むしろここまでちんまりした編成のほうが、「ヨハネ」の場合はぴったりだったかもしれません。それゆえ聴いた印象は、コラールもみんなで合唱、というより、ひとりひとりの歌声がはっきりと聴き取れるような、ヴォーカルアンサンブルといった感じでした。今回は現存しないオリジナルはこうだったのでは、という復元の試みでもあり、復元を担当したのが舞台中央のチェンバーオルガンで通奏低音を弾いていたピーター・デュルクセンという方。またリュートも加わってんのかな、と思ってよくよく見たら、もっとでかいテオルボでした。団員が使用している楽器も、もちろんバッハ時代の復元楽器です。通奏低音ではチェンバロも入ってました。

 「ヨハネ」と「マタイ」、この現存するバッハ最高の二大金字塔とも言うべき声楽作品を耳にするとき、聴き手は作品から一見、相反するふたつの感情を抱きます――いっぽうで近づきがたいほどの神々しさを、そしていっぽうではわれわれ弱い存在である人間にたいする、作曲者の溢れるほどの慈しみ、慈愛という名の共感です。バッハの視線は無限の高みに向けられていると同時に、こうして聴き入るわれわれ人間にもひとしく向けられている、ということを、このニ作品を聴くたびに強く感じます。バッハなくしては到達しえなかったような、まさしく奇蹟のような音楽だと思います。受難曲を英語でPassionと称しますが、バッハの場合、たんなるpassionではなく、compassion、「深い憐れみの情」だと思っています。compassionの本来の意味は、「ともに苦しむこと」。バッハの受難曲はまさにこれを追体験させられる音楽。なのでこの作品を聴くのに、なにがなんでもルター派信徒でなければならない、なんてことはないと思う。バッハの音楽は普遍的で、目に見えるもろもろの相違など軽く超越しています(この「自由」さはやはり従来のミサ曲の枠から大きくはみ出している最晩年の傑作、「ロ短調ミサ BWV.232」にも当てはまる)。

 終曲も、「マタイ」では墓の中のイエスに呼びかけるところで終わるのにたいし、「ヨハネ」では「最後の裁きの日まで、わが身を安らかに憩わせてください」とイエスへのとりなしの祈りのコラールで静かに全曲を閉じます。全体的に独唱アリアは少なく、みんなで歌うコラールと合唱のほうが多いといった特徴が、この受難曲をさらに内省的な音楽たらしめているような気がします。しっとりとした、いい演奏でした。

posted by Curragh at 03:34| Comment(0) | TrackBack(1) | 音楽関連
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聖金曜日でバッハの誕生日!
Excerpt: Curraghさんが昨日の記事にコメントを下さったので、NHK教育テレビでバッハの「ヨハネ受難曲」全曲演奏をやることを知りました。 これを綴り始めた時間(22:40頃)は、貴重な解説が終わりかけで・・..
Weblog: Ken
Tracked: 2008-03-22 11:27