松崎町那賀川提沿いに植えられたソメイヨシノ並木はその数1200本とも言われ、農閑期の田んぼを利用したお花畑から県道越しに見ると、両岸ともに満開なので、まるでピンク色の幕がえんえんと川伝いに伸びているような、文字どおり桃源郷を思わせるなんとも言えない光景が広がっています。朝早くなにも食べずに出発したので、県道沿いにあるイタ飯屋さんでピッツァをいただいた(「大きいほうの」サイズを注文したら、想像以上の大きさにちょっとびっくり)。窓越しにワイルドフラワーの花畑と、満開のソメイヨシノ並木。花しか見えません(
おなかが満足すると、歩き疲れた足を休めようと、地元有志の方が竹を組んで造ってくれた健康足湯に浸かり、しばし花ざかりの風景をただボーッと眺めてました。ここだけ日常から切り離されて、時間が止まってしまったかのようなあの感覚をふたたび抱きました(以前、堂ヶ島でべた凪の春の日に撮影していたときもまったくおなじ感覚に襲われた)。いい意味でも悪い意味でも、この国は平和だなあとつくづく感じた。もっとも「平和ボケ」は困るが…。いま戦争状態にある地域の指導者が宇宙船に乗って地球を眺めたら、たがいのいがみあいをつまらないことだと悟るのでは、というのはよく言われる譬え。そこまでいかなくても、ここへ来てみんなで足湯に浸かりつつ満開の花畑を眺めたら、たがいの心に抱く憎しみの情も薄らぐのではないかとも感じた。また日本が世界平和に貢献するというのは、どっかの国の言いなりになって自衛隊を海外派兵することではなくて、こういうことではないかとも感じる。ここ数年の動きは、いずれもなしくずし的で、「主権在民」と言いながらそのじつ国民すべての総意ではない。このへんたしかに戦前と似ているかもしれない。よくよくの注意が肝要です。
足湯から出て、県道の反対側に行って川面を見れば、一面の花いかだ。自然風景が人間精神にあたえる影響というものはひじょうに大きいと考えているので、こういういかにも日本的な、四季のはっきりした気候とうつろいやすい風土が物事を白黒決めつけないあいまいな態度や無常観とか、「八百万の神」といった発想を生み出しているのではないかとも思う。逆に言えば、一神教的な発想は発達しにくい風土。またグノーシス主義のような、「現世をすべて否定した反宇宙論的二元論」というのも、このような風土に生を受けた人間ではありえない発想だと思う。足湯近くの花畑では、幼い子どもたちがうれしそうにはしゃいでいる。前にもちょこっと書いたことの蒸し返しになるけれど、感性の塊みたいなちいさな子どもには、「早期学習」なんていらんお世話。自然に感動する体験(sense of wonder)こそが必要で、そういう経験がまるでない子どもがやがて平気で人を傷つけ、殺してしまうような輩に成り果てるのではないかと感じる。先日、経済発展著しいインドで、受験のストレスが原因で自殺が急増している、という記事も見ました。似たような事例は、以前ここで紹介したビル・マッキベンの近著Deep Economyにも出てくる(p.196)。それによると、中国の66%の生徒が、押しつぶされそうなくらいの強いストレスを感じているらしい。それぞれお国の事情というのもあるでしょうが、人は生き生きしていることがなによりも肝心だと信じているので、こういう話を見聞きするとよけいなお世話ながら、なんだか気の毒のような気がする。
また話がそれてしまいました。温暖化の影響が脅威に感じられる今日この頃ではあるけれど、今年のさくらのすばらしい咲きっぷりに、まずは感謝。春爛漫の伊豆西海岸にて。
