2015年06月28日

「ブルターニュもの」⇒ 『狐物語』⇒ 『ティル・オイレンシュピーゲル』

 本家サイトのこのページにも書いたことではありますが、本日のお題は『狐物語』と『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』についての蛇足、じゃなくて、補足です。

1). まずのっけの『狐物語 Le Roman de Renart 』からの引用科白ですが、出典は『冥界往来 ――「聖ブランダンの航海」』と題された、松村剛先生による東京大学外国語学科研究紀要から。恥ずかしながらいままで『狐物語』のすばらしい校訂本が、3名の日本人学者の手によりとっくの昔に発表されていた事実を知らずにいまして、この前、いつも行ってる図書館の仏文学系の書棚をなんとはなしにぽかんと眺めていたら、目の前に白水社刊の『狐物語』のハードカバーがでんと鎮座していた。にわかに興味を掻き立てられってなんか最近、こういうパターンが多いですがそれはさておき、さっそく聖ブレンダンの引用箇所を確認してみると、あやや、なんか字面がちがいます。
「一つお尋ねしたいんだが、どうしてヴィエルをもっていないんだね」
「オトトイ、同業者ガオラカラカッパラッタアルヨ。
めるらん王ノ話ヤ鷹ノ話ヤ、
あーさー王の話デゴザレ、とりすたんノ話デゴザレ、
聖ぶらんだん様ノ(すい)(かずら)ノ話デゴザレ、
ぶるたーにゅノ楽シイ小詩、ナンデモ聞カセテヤルヨ」
――「第十話 ルナールが染物屋になった話」、p. 195

この本は先に刊行した校訂本( Le Roman de Runart édité d'après les manuscrits C et M, France Tosho 2 vol. 1983, 1985 )を底本に全体の約3分の2を邦訳したもので、これはさらに 2002 年に岩波文庫版としても出版されている( いま手許にあるのは岩波版。訳者によれば、こちらはさらに抄訳版で、改訳版でもある )。

 松村先生の論文に引用されていた箇所は 1948 年、マリオ・ロックによって刊行が開始された校訂本のもので、写本の系統では β 群と呼ばれる写本群のうち、代表格とされるB写本が底本となっているという( ロックは校訂作業の完了を見ることなく他界し、ロックの遺志を引き継いだ研究者によってようやく 1999 年[!] に、B写本の校訂作業は終わった )。こちらのほうはあいにく未確認のままだが、とにかくこういうヴァージョンもあるよ、ということだけは確認できたしだい。

 そもそもこの『狐物語』、もっとも古い「原作( 最初の6篇と言われる )」を書いた作者は、その「続編」を書いたと主張する作者の言うところでは、ピエール・ド・サン−クルーという人らしい。もっともこの作品は途中から脚色が変わって、もともとの原作に近い初期の枝篇では主人公の悪たれキツネとその伯父で宿敵でもあるオオカミはあくまで動物として描写されていたものが、時代が経つにつれて当時の中世ヨーロッパにおける人間社会そのもののパロディに変質している。おおまかな写本の系統は α、β、γ の3つあり、α と β 群に属する写本はみな前後の脈絡がバラバラの枝篇で構成されていて、つまりはピエール・ド・サン−クルー以降、いろんな逸名作者が入れ代わり立ち代わり書き継いでいった、ということを示している。『聖ブレンダンの航海』同様、こちらも中世ヨーロッパのベストセラーだったわけなんですが、こっちは痛烈な社会諷刺の効いた「ファブリオ」とでも呼ぶべきもの。「聖ブランダン」の名前が出てくるくだりは、染物屋の井戸にはまって全身真っ黄色になったルナールが、宿敵イザングランと出くわしてとっさに異国の旅芸人になりきって、デタラメなフランス語をしゃべって、自分はいろんな芸ができる、トリスタンとイズー、アーサー王、メルラン、そして聖ブレンダンの話やブルターニュの小詩[ レー ]を知ってるヨ、と吹いている場面。ブレンダン関連で重要な点は、ブレンダンの言及が他ならぬ「ブルターニュもの」との関連で語られていることで、おそらくこの悪ギツネめの念頭にあったのは、1121 年ごろに成立したと思われる修道士ブノワによるアングロ・ノルマン語版だったにちがいない。ちなみにピエール・ド・サン−クルーが最初の「枝篇」を書いたのが 1175 年ごろとされている( それにしても聖ブレンダンが「すいかずら」作者に化けているとはこれいかに。ちなみにマリー・ド・フランスの「すいかずら[ のレー ]」は、やはり白水社のこの本で読むことができる )。

 『狐物語』の現存写本で最古のものは 13 世紀とされ、完全なかたちで残っている写本は 14 点、断片のみ現存する写本は 19 点、うちひとつがなんと! 広島大学附属図書館にあるというからびっくり。ラテン語版『聖ブレンダンの航海』、そして『エネアス物語』共訳者のひとりでもある太古先生の出身大学 !! なんだか不思議な縁を感じます。

 「ファブリオ」は中世仏文学の一ジャンル、のような印象を受けるけれども、時代は下って 13 世紀のドイツにおいて、なんの前触れもなく(?)、こんどは「聖ブランダーネの御頭」として甦り、さらにそれがそっくり借用されるかたちで『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』として顔を出したりするから、少なくとも作品が書かれた 15 世紀、というからちょうど「揺籃期本」が出回っていたころも依然として聖ブレンダンの知名度、あるいは人気は高かったということは言えると思う。引き合いに出されたものがあれ、なんだっけ、というのでは笑い話になりませんから。でもまあ、ブレンダン修道院長に関して言えば、どこの地域でも、またいつの時代でも、人間の世の中というのはそういうもんかもしれないが、「神格化」されるか「茶化し」の道具にされるかのどっちかで、しかもこの両者はおなじコインの異なる面、という気がする。ヤーヌスですな、いや、トリックスターか。アイルランド修道院文学もそうかな。「ケーリ・デ」霊性刷新運動の高みが、その後の修道院の堕落とノースメンの襲撃による修道制度そのものの衰退にともなって、こんどはそういう歴史じたいをパロディにして茶化した『マッコングリニの幻想』としてすべてがひっくり返され、笑い飛ばされることになる。

2). 『ティル・オイレンシュピーゲル … 』のほうは本家サイトにも書いたように、故 阿部謹也先生の邦訳本( 岩波文庫版 )を読んだんですが … かのゲーテも、『狐のラインケ』から着想した詩があるみたいですが、『ティル・オイレンシュピーゲル … 』にも『司祭アーミス』のみならず、『狐のラインケ』の借用があるというから、ここでも線はつながっている。でもひとつ、こちらのイタズラ者の主人公の特徴を言わせてもらえれば、『狐物語』のほうにもそういう傾向はあったが、とにかく徹頭徹尾しようもないスカトロ野郎で、行く先々で … を垂れている。阿部先生の邦訳本にも揺籃期本のものからだろうか、当時の木版画が転載されているけれども、オイレンシュピーゲルが … を垂れている場面の描写の多いこと多いこと、見ているうちになんだかこっちまでトイレに行きたくなってくる( 苦笑 )。

 聖ブレンダンにもどると、松村先生の論考にも指摘されていたことだけれども、やはり当時のフランスではアーサー王、メルラン、トリスタンなど、一連の「ブルターニュもの」の系譜につながるものとして[ おそらくブノワのアングロ・ノルマン版 ]『聖ブレンダン[ ブランダン ]の航海』は認識されていたことだけは、確実に言えると思う。だから、こちらのフランス中世文学案内本の巻末の「フランス中世文学史年表」にもあるように、『聖アレクシス伝』、『聖女フォワの歌』、『ロランの歌』と並んで『聖ブレンダンの航海』が明記されていることは、個人的にはとても喜ばしいことではあります。

 ちなみにティル・オイレンシュピーゲルが「聖ブランダーヌスの頭蓋骨」を持ち歩いて「説教」していたのは、ようするに平信徒の庶民から体よく有り金を巻き上げるための「口実」として使っていたもので、じっさいにはもちろんブレンダンのされこうべでもなんでもなくて、「おそらくどこかの墓地から拾ってきた鍛冶屋の頭蓋骨」。おなじダマされるんなら、ちっとも笑えない三文芝居を打つ「振り込め」より、まだこっちのほうがはるかにましだろう、とふとそんな思いがよぎったりもした。

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