2006年11月04日

巨星堕つ

 白川静先生が亡くなられた。先月30日のことだったらしい。

 齢96にしてなお現役の漢字語源研究者で、地元紙にも「白川博士の漢字ワールド」という、NIE(「教育に新聞を!」運動)協賛の特集記事をときおり掲載して、そのつど自分も「へぇ〜!!」と感心しきりだった。

 白川先生についてはNHKの特集番組かなにかで見て知った、というていど、『字統』のみ図書館でちょっと閲覧したていどなんですが、その学問研究にたいする真摯な姿勢と言うか、求道者という言い方がぴったりな「わが道をゆく」的な物腰がなんともカッコよくて、日本にもこんなすごい大先生がいるんだと強く印象に残っています。NHKテレビで見たときは、京都のご自宅書庫で文字どおり古今の漢字学文献に埋もれて虫眼鏡片手に黙々と研究をつづける姿、午後3時きっかりに「哲学の道」を散歩される姿が映し出されて、その規則正しい生活ぶりはどこかカトリックや正教の修道士然としていた。漢字語源にかんする分野の研究はほとんど白川先生が独力で切り開かれたようなものなので、いわゆる「学閥」とも無縁で、その意味でも真の学究者だった。また漢字の成り立ちについての解説もほんと「目からうろこ」で、これまた驚かされることが多かった。最近、英語学習でも「語源」から系統立てて学ぶことの重要性が説かれているけれども、漢字もまたしかりで、小中学校の国語とくに漢字学習もたんに暗記するばかりではなくて、もっと「漢字の成り立ち」から芋づる式につながるような教授法にしなければほんとうに身につかないのではと思う(自分自身、漢字のど忘れのひどいことは棚にあげてはいるけれどorz)。ことばの学習では、なんの脈略もない単語どうしをいっぺんに覚えようったって生理的に受けつけないのでテストが終わればすぐに忘れてけっきょく非効率。やはり「語源」とか、「成り立ち」とかで系統立てて学習したほうが、一見回り道に見えて一番の早道のような気がする。ことばは歴史・文化にほかならないのだから、いくら語彙が豊富でも、ことばの周辺領域まで学ばなければそれこそ「木を見て森を見ず」で終わってしまうでしょう。

 …と思っていろいろ検索して見たら、なんとおあつらえむきにこんな記事が。そうそう、これこそ理想的な学習法ですね。たんなる詰め込みではだれだっておもしろくもなんともないけれども、漢字の成り立ちをわかりやすく説明することから入れば自然と興味がわいてくる、興味がわけば自分からその先が知りたくなる。子どもってそういうものだと思います。

 「お釣りは…からになります」、「あちらで…お伺いください」などヘンテコな日本語がまかり通り、「心のおけない親友」がまったく逆の意味に取られたりと、日本人相手に日本語が通じなかったりするこのご時世に、またひとり偉大な「ことばの教師」が逝ってしまった。合掌。

 …それと直接関係はないけれど、文学つながりでは『ソフィーの選択』で有名な米国人作家ウィリアム・スタイロン氏も1日に逝去されたとのこと。享年81歳。

 …ついでに有名なことではあるが念のため。「目からうろこ」は聖書(新共同訳版)「使徒言行録」第9章18節、「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった」から派生した表現です(サウロは偉大な伝道者聖パウロのもとの名)。ついでに「豚に真珠」も。有名な「山上の説教」でイエスが述べたとされる説教から(「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう」Matt.7:6.)。

posted by Curragh at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | おくやみ
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