2015年10月11日

「メンバー紹介」番外編

1). 本日の「きらクラ!」の「メンバー紹介」に、バッハの超有名な「ニ短調のトッカータとフーガ BWV. 565 」が登場してまして、なんでも冒頭の嵐のごとく降下するあの音型と、それにつづく減七のアルペッジョばかりに気を取られ、気づかないうちに次のトラックに突入、ということが多いので、これを機会にじっくりフーガを聴いてみたい、ぜひとも「メンバー紹介」してほしい、という趣旨のリクエスト[ 京都市の「消しゴムの角を使って叱られました」さんから ]。番組ではこのフーガ部分がたしか「6分」ほどつづく、とかふかわさんがおっしゃっていたので、ためしにこちらの演奏版で確認してみたところ、もう少し短めの5分でした( ふかわさん曰く、「冒頭の一発芸に気を取られて … 」には、笑った。ちなみにいま、再放送にて確認したら、サットマリー盤でもやはり5分で終わっていた。テンポもけっこう「快速」でしたし … )。

 手許のポケットスコアで確認すると、フーガ主題の入りはちょうど切れよく 30 小節目から始まり、再びトッカータが嵐のごとく舞いもどってくるのが 127 小節目以降( 区切りを示すフェルマータが記されている )。番組でかかっていた音源はサットマリーの新録音のようで、使用楽器は塚谷水無子さんも使用した、オランダのバーヴォ教会のミュラー製作の歴史的オルガン。ちなみに番組ではこの音源でコーダまでかかっていたけれども、BWV. 565 はトッカータが額縁のように真ん中のフーガを取り囲む、ブクステフーデやブルーンスによくある「北ドイツ オルガン楽派」流儀の即興的要素のきわめて濃い作品。たしかサイモン・プレストンだったか、「これはバッハの真作ではない」とか言われたり、また「原曲はヴァイオリン独奏曲」説もあるという、いわくつきの作品。前にも書いたけれども、こういう構造を持ったバッハの他のオルガン用作品って、見当たらないのも事実。技巧的にも鍵盤のために書かれた書法、というより、ヴァイオリンなど弦楽器系だと思う。ところでゲストの三浦友理枝さんが、「このフーガってトッカータの延長線上にあるような書き方ですね、わりとギザギザしていて … 」みたいな発言をされていて、さすが、と思いました。トッカータ冒頭部の音型からフーガ主題が導き出されていることを演奏家の直感でみごと言い当てておりました。

 それで、念のため過去記事探してみたらそれらしい記事がないみたいなので、ここで手短に「メンバー紹介」のそのまたメンバー紹介をしておきたいと思います ―― それは「ドリア調」と呼ばれる、もうひとつの「ニ短調トッカータとフーガ BWV. 538 」のことです。

 こちらのほうはオルガン作品が量産されたヴァイマール時代、1708 − 17年にかけて作曲されたと考えられているもの。あいにく自筆譜は現存せず、親戚のヴァルターによる筆写譜で伝えられています。

 こっちの「ニ短調トッカータとフーガ」は、「ドリア調」の添え名が暗示するように、 BWV. 565 とおんなじニ短調作品ながらフラットなしの記譜法をとっているため、便宜上中世の教会旋法の呼び名がつけられてます[ よって、厳密な意味での「ドリア旋法」というわけではない ]。かつてカルロ・カーリーが NHK ホールでの来日公演の際、この「トッカータ」のゼクエンツ音型を評して「蒸気機関車」と言ったのをいまだに憶えています … で、ご本人はいかにもオルガンのエンターティナーよろしく、わざとらしいほどの推進力をもって(?)、このトッカータを弾きまくっておりました。

 BWV. 565 のほうが即興演奏の記録、みたいな作品であるのに対し、BWV. 538 のほうは主鍵盤 / ポジティフ鍵盤との音色の対比( いまふうに言えば、fortepiano の対比 )をはっきりと念頭に置いたイタリアの協奏曲風書法で全編書かれてます。そして BWV. 565 とのもっとも大きなちがいは、北ドイツ楽派のようなトッカータ−フーガ−トッカータみたいな書き方ではなく、堂々たるトッカータ[ 前奏曲と言ってもいい ]と、これまたどっしりとした厳格かつ古風な対位法書法による巨大なフーガが互いに向き合い、対峙するような書き方になっていることです。フーガ終結部あたりは、複雑に込み入ったストレッタになっていて、足鍵盤のトリルまで出てきて、技術的にも演奏がひじょうに難しいフーガです。

 バッハは生涯にわたって、「オルガン鑑定家」としての仕事もつづけていて、その名声も全ドイツで轟いていたそうですが、この作品、1732 年9月 28 日、カッセルの聖マルティン教会での新オルガン落成式で演奏したという記録が残ってます。ちなみに愛妻家バッハだからかどうかは知りませんが、このカッセル旅行には奥さんのアンナ・マグダレーナも同伴していたとのこと。



2). 先週の「古楽の楽しみ」は、「コンソートの魅力」と題して、プレトリウスの「テルプシコーレ」とかかかってましたが、個人的に聞き耳立てたのが、 16 − 17 世紀スペインオルガン音楽の大家、コレア・デ・アラウホの「無原罪の御宿りの祝日の聖歌」についての大塚先生のこんなコメントでした。
アラウホは四つの声部を独立して記譜しています。これはオルガン / 合奏、どちらでも演奏可能で、当時すでにこのような演奏習慣があったことは確実です。

 むむむそうなのか … ワタシはてっきり、このような書法、つまり鍵盤譜ではなく、S−A−T−B の各声部に分かれて記譜する習慣は、たとえばイタリアの同時代の大家、フレスコバルディあたりかと思ってました。ひょっとしたらスペインのほうが先んじていたのかな? だとしたら、バッハの「フーガの技法 BWV. 1080 」の総譜書法も、辿っていけばアラウホにまで行き着く、ということになる。で、先週の放送ではその「フーガの技法」も、アムステルダム・ルッキ・スターダスト・カルテット( ALSQ )によるリコーダー四重奏版でかかってましたね[ コントラプンクトゥス1と3]。

 「コンソート」ついでに、フレットワークによるヴィオール合奏版によるパーセルとかもかかってました。ヴィオールコンソートは当時の英国で流行っていて、最高音部を「トレブル」って言うらしいけれども、それ聞いた瞬間、ボーイソプラノを想起してしまう条件反射にひとり苦笑するワタシであった。さらにはその「トレブル」な子どもたちによるヴィオールコンソートというのも活躍していたという記録まで残っている。ややこしや。

posted by Curragh at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | バッハのオルガン作品
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