2015年11月29日

『チップス先生 さようなら』

 「名訳に学ぶ」、本日はジェイムズ・ヒルトン不朽の名作 Goodbye, Mr Chips 。訳者は菊池重三郎氏、邦訳本[ 新潮文庫版 ]は 1956 年、というから、ヘルムート・ヴァルヒャが「バッハオルガン作品全集」ステレオ録音に取りかかったのとおなじ年というから、そうとう古い! 訳語の選択もいまからすればやや時代がかっている感ありではありますが、英米文芸ものを勉強する向きにはとても参考になる邦訳だと、個人的には思ってます。というわけで、まずは出だしから( 手許の原書は Bantam Books Edition, 1986、下線強調は引用者 )。
 年をとってくると、( もちろん病気ではなくて )、どうにも眠くてうつらうつらすることがある。そんな時には、まるで田園風景の中に動く牛の群れでも見るように、時のたつのがものうく思われるものだ。秋の学期が進み、日足も短くなって、点呼の前だというのに、もうガス燈をつけずにはいられないほど暗くなる時刻になると、チップスが抱く思いはそれに似たようなものであった。チップスは、老船長のように、過去の生活から身に沁みた色々の合図でもって、いまだに時間を測るくせがあった。道路をはさんで学校と隣り合ったウィケット夫人の家に住んでいる彼にしてみれば、それも無理ない話、学校の先生を辞めてから十年以上もそこで暮らしていながら、彼とこの家の主婦とが守っているのは、グリニッジ標準時間というよりは、むしろブルックフィールド学校の時間であった[ pp. 5−6 ]。

When you are getting on in years ( but not ill, of course ), you get very sleepy at times, and the hours seem to pass like lazy cattle moving across a landscape. It was like that for Chips as the autumn term progressed and the days shortened till it was actually dark enough to light the gas before call-over. For Chips, like some old sea captain, still measured time by the signals of the past; and well he might, for he lived at Mrs. Wickett's, just across the road from the School. He had been there more than a decade, ever since he finally gave up his mastership; and it was Brookfield far more than Greenwich time that both he and his landlady kept.

 彼は年をとってきた ( だが、もちろん病気ではない )。メリヴェイル医師も言うように、まったく、どこといって具合の悪いところは少しもなかった。
 「どうも、あなたの元気にゃあ、かないませんな
 と、たいがい二週間ぐらい間を置いては()に来てくれるメリヴェイルは、シェリー酒をなめながら驚いて見せるのである[ ibid. ]。

He was getting on in years ( but not ill, of course ); indeed, as Doctor Merivale said, there was really nothing the matter with him. "My dear fellow, you're fitter than I am," Merivale would say, sipping a glass of sherry when he called every fortnight or so.
 作者ヒルトンがこの愛らしい作品をものしたのは ―― なかば伝説化しているかもしれないが ―― British Weekly 1933 年クリスマス号に掲載するための小品を依頼されたためで、アイディアが煮詰まって呻吟しているとき、自転車に乗って近所をぐるぐる回っていたときにひらめいて、というか天から降ってきて、締め切り前わずか4日間で一気呵成に書き上げた、と言われてます。

 つぎに、父親がタイタニック号に乗船していた生徒とのやりとりの科白から。
… 「さて、…… あーム …… グレイスン、よかったなあ。めでたしめでたしだ。君もこれでホッとしたにちがいない」
 「は、はい、先生」
 静かな、ものに感じ易い少年だったが …… 後日、チップスがお悔みを述べるような運命( めぐりあわせ )になった相手は、父親のグレイスンで、この息子の方ではなかった。[ p. 56 ]

... "Well, umph−I'm delighted, Grayson. A happy ending. You must be feeling pretty pleased with life."
"Y-yes, sir."
A quiet, nervous boy. And it was Grayson Senior, not Junior, with whom Chips was destined later to condole.
 懇意にしてくれた老校長亡きあと、赴任した若い新校長ロールストンとの諍いの場面。あんたの教えるラテン語の発音は時代遅れだ、ただちに新方式に改めよ、と暗に退職を迫ってきて一悶着あった場面から。
 チップスは敵に組み付く手掛かりを、やっと掴んだ。
 「ああ、そんなことですかい?」
 彼は軽く相手をイナシて答えた。[ p. 60, 「イナシ」に傍点]

... At last Chips had something tangible that he could tackle. "Oh, THAT!" he answered, scornfully.
 やり手( a live wire )のロールストン校長の宣伝工作のおかげ(?)で名門ブルックフィールドにも無教養な「成金」の子息たちが大量に入ってきたことに対する、チッピング[ チップス先生の本名 ]先生の辛辣なコメントから。
… 怒りっぽく、諧謔を解せず、釣り合いのとれた感覚というものを欠いている、それが成り上がり者の正体で …… まったく、均衡感覚の欠如である。だから、何はさて惜いても、ブルックフィールドで教えこまなければならぬものは、このことであって、その意味では、ラテン語もギリシャ語も化学も機械学も実はそれほど重要ではない。しかも、この釣り合いの感覚という奴は、試験問題にしたり、修了証書を与えて、それでどうこう決まりをつけるわけにはいかんじゃないか …… 。[ p. 64 ]

... Touchy, no sense of humor, no sense of proportion−that was the matter with them, these new fellows... No sense of proportion. And it was a sense of proportion, above all things, that Brookfield ought to teach −not so much Latin or Greek or Chemistry or Mechanics. And you couldn't expect to test that sense of proportion by setting papers and granting certificates...
… なんだかどっかの国のお役所に言って聞かせてやりたい独白ではある。

 全欧州を巻きこんだ第1次世界大戦。ある満月の夜、独軍機がバラバラと空爆してきた。そのとき年少者クラスでラテン語の古典を読ませていたチップス先生は、このまま校舎内にとどまっていたほうが安全だと考え、授業を続行した。
… 彼はかまわずラテン語を続けていった。ドカンドカン響き渡る砲声と高射砲弾の耳を貫くような唸りに、ともすれば消されそうになる声を大きくして。生徒は苛々して、勉強に身を入れてるものはほとんどなかった。彼は静かに言った。
 「ロバートスン、世界歴史のこの特別な瞬間に、…… あーム …… 二千年前ガリアで、シーザーが何をしようと、そんなことは …… あーム …… 何となく二義的な重要性しかなく、[ 中略 ] … どうでもいいと、君は思うかもしれない。しかし、わしははっきり言っておくが、…… あーム …… ロバートスン君や、真実( ほんとう )はそんなもんじゃないんだよ」
 ちょうどその時、凄まじい爆発の音が、それもすぐ近くで、爆発した。
 「 …… いけないんだ、…… あーム …… もの事の重大さを、…… あーム …… その物音で判断してはな。ああ、絶対にいけないんだ」
 クスクス笑いが聞こえた。
 「二千年も長い間、大事がられてきた、…… あーム …… このようなことは、化学( バケガク )屋が、実験室で、新種の害悪を発明したからといって、そんなもので、消し飛んでしまうもんではないんだよ」[ pp. 83 −4]

So he went on with his Latin, speaking a little louder amid the reverberating crashes of the guns and the shrill whine of anti-aircraft shells. Some of the boys were nervous; few were able to be attentive. He said, gently: "It may possibly seem to you, Robertson − at this particular moment in the world's history − umph − that the affairs of Caesar in Gaul some two thousand years ago − are − umph − of somewhat secondary importance ...... But believe me − umph − my dear Robertson − that is not really the case." Just then there came a particularly loud explosion − quite near. "You cannot − umph − judge the importance of things−umph−by the noise they make. Oh dear me, no." A little chuckle. "And these things − umph − that have mattered − for thousands of years−are not going to be−snuffed out−because some stink merchant − in his laboratory − invents a new kind of mischief." [ stink について、『ランダムハウス』の語義説明によると「{単数扱い}{英俗}(学科としての)化学;自然科学」]
例によって脱線すると、今年は三島由紀夫生誕 90 年( あのような死を遂げてから 45 年 )でもあるんですが、その三島氏は、こちらの本によるとこんなことも言っていたそうですよ。「若い人は、まず古典を読むべきだ」。英文学者の斎藤兆史先生も、オックスフォードだったか、そこで「宣命[ せんみょうと読む ]」の研究をしている英国人学生のことを NHK の語学テキストに書いていたけど、いまや風前の灯なのかね、チップス先生よろしくこういう「すぐ役に立たないもの[ つまり、お金にならないもの ]」を教えることに関する対立ないし論争は、昔もいまもよくあることだったのかもしれない。げんにロールストン校長の口を借りて、こんな科白も出てくる。「時代は、あなたがそれを理解すると否とに拘らず、今や刻々と変化しているのです。このごろの親たちは、誰にも通じないような言葉の切れ端なんかどうでもよいから、もっと何か、三年間の学費で、役に立つものを仕込んで貰いたいと要求しだしているのです[ p. 62 ]」。

 そして引用が相前後するけど、前出のグレイスン少年、このつながりで気づいた方もおられると思うが、彼はブルックフィールド校出身の戦死者のひとり、というわけなんですね。校内礼拝堂で行われた追悼式典でチップス先生が、戦場に散った教え子とかつての同僚の名前を声を震わせて読みあげるくだりは、この時代を生きた作者ヒルトンの「戦争は絶対悪だ」というつよい思いがひしひしと伝わってくる(「チップスは、礼拝堂の後ろの席にいて、考えるのである、校長にとってはただ名前だけですむ。自分のように顔を覚えているわけではないからまだいい …… 」)。

 最後に訳者先生による巻末の「解説」からも少し引いておきます。
… < チップス先生 >は、…… 音楽的で、緊密で、冗漫なところがなく、散文詩でも読むような美しさである。それは用意周到な計量において創られたものではなく、霊感によって、流るるが如く、歌いあげられたものである。
訳者先生はこう評して、ヒルトンという書き手[ と、その文体 ]の「音楽性」に注目して書いてます。それと同時に、菊池先生の訳文もまた流れるような音楽性というものが感じられます。もっとも「イナシて」に見られるように、この先生お得意の日本語表現、というのもたぶんにあるかもしれない。ことこの作品の翻訳にかぎって言えば、なんというか、原作以上に名調子が随所に顔を出していて、それがまたパンチがほどよく効いていて、読んで心地よいのもまた事実。講談師の名講釈を聞いている趣さえあります。その菊池氏が、ハーパー・リーの名作『アラバマ物語』の邦訳も手がけていたこともつい最近知ったようなていたらくなわが身ではあるけれど、こんどはこちらもあわせて読んでみたいと思った。「翻訳はせいぜいもって 30 年」とかって言われるけれど、半世紀以上も持ちこたえているこの邦訳本は称賛に値する、と思ってます。

posted by Curragh at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 名訳に学ぶ
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