2008年07月21日

翻訳はむずかしい

1). 折りに触れて書いてきたことかもしれませんが、翻訳、とりわけ文芸ものは難物です。おんなじ原本でも、訳者が変わっただけでがらりと作品の印象が変わったりする。でも版権というものがある以上、当然のことながらある作品の日本語出版の権利は一作品につき一出版社にかぎられる。ことばを変えれば、ひとりの訳者、またはその訳者に代表される翻訳チームにかぎられます。タッチの差で版権を取れず口惜しい思いをした、なんて話もよく聞きます。

 せんだってさる週刊誌に『ハリー・ポッター』シリーズの邦訳は噴飯ものだ、という記事があって、ふだんはあまりこの手の雑誌を買わない人ながら、つい買ってしまった。で、読んでみたら、高山宏先生とかがいろいろとおかしな箇所を指摘していたりする。ただし記事を読んで気になったのはいわゆる誤訳のたぐいではなくて、「手水場(「ちょうずば」と読む)」、「旅籠(「はたご」と読む)」といった、最近めっきり見かけることもなくなった死語(?)になりかけたことばの数々。時代劇じゃあるまいし、なんと「下手人(!)」なんて言い方まで出てくるという。個人的にはこういうことば選びの無神経さのほうがはるかに重大かと思うのでした。

 イジワル爺さんじゃないけれど、さっそく図書館に行って邦訳本第一巻第一章のコピーをとり、それを原文と突きあわせて読んでみた。まだこのへんはそんなにひどい箇所、ヘンテコな部分はなかったように思いますが、やはりなんか読んでいてすわりが悪いというか、科白にやや難ありという印象を受けます。以下、ざっと目についた箇所を列挙してみます(→は拙訳案。ノンブルは邦訳本のページ数)。

・(ダーズリー氏は)ずんぐりと肉づきがよい体型のせいで、首がほとんどない。そのかわり巨大な口ひげが目立っていた。→大柄ででっぷりと肥えた体型で、首はほとんどないくせして口髭だけがやたらと太く目立っている。(p.6)

・どこを探したってこんなにできのいい子はいやしない、というのが二人の親バカの意見だった(下線強調は引用者)。→夫妻にはダドリーという名の幼い男の子がいて、夫妻によればウチの子ほどよくできた子などこの世にはいないと言うのだった。原文にはないけれどもあえて訳には入れる、という補足訳をしないといけない場合はままあるが、ここは不要。( ibid. )

・そんな絵に描いたように満ち足りたダーズリー家にも、たった一つ秘密があった。→ダーズリー家には、望みのものはなんだって揃っている。ただし、秘密もあった。( ibid. )

・――くだらん芝居をしているにちがいない―― →でもダーズリー氏はすぐに、これはなにかバカげたイベントにちがいない、と思いはじめた。(p.9)

・五人の社員を怒鳴りつけ、…→入れ替わり立ち代わり五人の社員を怒鳴りつけた。'He yelled at five different people.'というのはたぶん役職のちがうさまざまな部下を5人叱ったということだろうと思う。つまりダーズリー氏がこの工場すべてを取り仕切っているということを暗示しているように思います。(ibid.)

・「すみません」ダーズリー氏はうめき声を出した。→「失礼、」ダーズリー氏はうなるように言った。この横柄でブタみたいなおっさんの言う科白とは思えないところが問題。(p.11)

・小さな老人はダーズリー氏のおへそのあたりをやおらギュッと抱きしめると、立ち去って行った。→そう言うと、ちっぽけな年寄りはダーズリー氏の腹のあたりに顔をうずめてしっかと抱きしめ、その場を立ち去った。それとすぐあとの「幻想」も「妄想」のほうがいいと思う(ibid.)

・――わしらにかぎって、絶対にかかわりあうことはない……。
 ――[改行]なんという見当ちがい(太字強調は邦訳文のまま)―― [改行]ダーズリー氏がトロトロと浅い眠りに落ちたころ、…→ ――しょせんわしらにはあずかり知らぬことさ。[改行]ダーズリー氏の見込みは大はずれ。[改行]ダーズリー氏はしだいに浅い眠りに落ちていったころだったかもしれないが、塀の上の猫のほうは目をつぶる気配さえなかった。(p.15) ついでにすぐあとの「やっぱりそうか('I should have known')」(p.17)は逆ではないかと…。

・ダンブルドアはやさしく言った。→ダンブルドア教授はなだめるようにこたえた。(p.19)

・「…、何が彼にとどめを刺したのだろうかとか」。ヴォルデモートは逃亡して姿をくらましただけなのに「とどめ」はいただけない。(p.21) ただしこちらの記述を見ると、邦訳のままでもよいのかもしれないけれど…というかこれってまるでシスが滅んだものと思いこんでいたジェダイ騎士団みたいな話だな。

・「ハリー・ポッターを、伯母さん夫婦のところへ連れてくるためじゃよ。…」→「ここに来たのは、ハリーポッターを伯母さん夫婦の家に預けるためだよ」。「連れてくる」とすると、赤ん坊というより歩ける子どもの手を引いてやってくるような印象をあたえるからまずいと思う。(p.23)

・「――母親がこの通りを歩いている時、お菓子が欲しいと泣きわめきながら母親を蹴り続けていましたよ。ハリー・ポッターがここに住むなんて!」→「――あたしは見たのよ。あのせがれが菓子を買ってくんなきゃヤダヤダって、この通りを歩いてくる道すがらずーっと母親を蹴っ飛ばしていたんですから。こんなヒドイとこにハリー・ポッターを住まわせる気ですか?」(ibid.)

・ダンブルドアは半月メガネの上から真面目な目つきをのぞかせた。→「おっしゃるとおり」ダンブルドア教授はそう言って、半月型メガネの上縁ごしに真面目くさった目つきをしてみせた。(p.24)

・「でもご存知のように、うっかりしているでしょう。…」→「でも軽はずみなところがないとは言えないでしょ」(p.25)

 自分のもあくまで試訳ですので、『ハリー・ポッター』シリーズを愛読している読者のなかには、もっといい代案があるという人もいるでしょう。上記試訳は自分の読んだかぎりの印象にもとづいてこさえたものにすぎないので、誤読・誤解もあるかもしれない。なにしろ原本も邦訳も今回はじめて一部分とはいえ目を通したわけなので…それでもあえて一読者として言わせてもらえば、登場人物にふさわしい科白というものを考えていない訳が多すぎるように感じます。だれがだれだかわかんない、みたいな。それと漢字の使い方もやや気になる。ひらいたほうがいい箇所まで漢字になっている。最近の文芸ものをあまり読んでいないような気もします。それとこれは週刊誌記事でも指摘されていたけれど、全体としてお話がすっと流れていない。なんだかまどろっこしい。もっと推敲すべきだと思います。原文にはない改行箇所もやたらと多い。改行すれば読みやすくなるってもんではないと思いますがね。

 「訳者あとがき」を見ますと(いちおう、これもコピーをとった)、日本語の語感の鋭いご友人に読んでもらって意見を聞いたとか書いてあります。そしてこちらも見ますと、当然のことながら、やはりご自分で全訳されたわけでもないらしい。それゆえいろいろ調べてみると、あちこちで訳語の不統一が目立つようです。こういうのも――一般教養書ならともかく小説では――ちょっと困る。

 あ、それと'Deathly Hallows'についてもいろいろ語っていますが…「イギリス人でも知らない単語です」なんていくらなんでもそりゃひどい。ためしに図書館のO.E.D.を引いたら、

2 In pl. applied to the shrines or relics of saints ... In the phrase to seek hallows, to visit the shrines or relics of saints...

とあり、またこの調べ物サイトを見たら、O.E.D.その他の引用として、

Hallows can refer to saints, the relics (including remains) of the saints, the relics of gods, or shrines in which relics are kept.[5][6] Since the essence of these saints or gods were often considered present at their shrines and in their relics, hallows came to refer to the saints or gods themselves, rather than just their relics or shrines.

とあって、複数形では聖人そのものというより聖遺物箱やそれを奉った場所を指すこともあるとはっきり書いてある。ついでにHalloweenももとをたどればhallowからきた単語で、All Hallow Eveの短縮形。O.E.D.にはHallowmas, Hallow-tide, Hallow-fire(bonfire)といった単語も挙げてありました。

 翻訳…ついでに、図書館で見たある本に、『ハリー・ポッター』イタリア語訳にもうっかりミス(?)による誤訳があるとか書いてありました。ダンブルドア校長の名前Dumbledoreは、古英語で「蜂(=bumblebee、マルハナバチ)」も意味する単語らしい(『リーダーズ』には載っていた)。それをイタリア語版の訳者は、英語のdumb(唖)ととり、イタリア語でもそのまんまProfessore Silencio、「だんまり教授(?)」なる訳語を当ててしまったとか(こちらの記事によると、このまちがい、原作者も知っているようですが、「イタリア人読者は気にしていないようね!」ともこたえてもいるみたい)。げに翻訳とはむずかしき哉。*

2). 本題とはまるで関係ないが、今日いちばんの印象深いニュースもすこしだけ。いまさっきNHKのニュースを見ていたら、なんと「定家本」より古い『源氏物語』の異本「大沢本」が完全なかたちで見つかった、というもの。なんでもいままで行方不明だったらしい。そして「定家本」とは異なる部分もあるとか。こういう話を聞くと無性にわくわくするたちなので、備忘録ていどに書き足しておきました。

*...Dumbledoreについてすこしだけ追記。念のためO.E.D.で確認したら、英方言としてこの単語が載ってましたが、語源的にはdumb+dore(doreはdroneする昆虫)らしい。というわけで、イタリア語版は語源的に見ればそんなにはずれてない(?)かもしれない。

posted by Curragh at 23:23| Comment(5) | TrackBack(0) | 語学関連
この記事へのコメント
す、すごいです!
ささっと検証してしまえるのですねぇ。(羨望の眼差しで)

私は日本語だけで読んでいます。一巻の頃からずっと「なんでか知らないけど入り込みにくい文章だな」と感じていました。そしてそれはきっと自分が汚れた大人だからだろうと一人で納得していました。
「登場人物にふさわしい科白というものを考えていない訳」とのご指摘に、云われてみればそうかもと膝を打ちました。
これは映画のイメージが強い作品なので、途中からはどんな科白も情景も頭の中で勝手に「映画っぽく」なっていき、文章に対する違和感は薄れました。
もし映画がなかったら、今でも訳文を好きになれずにいたのかなと思います。

翻訳に100%はあり得ませんが、だからこそ120%の気配り目配りをしていただきたいです。
光文社の『カラマーゾフ』や『赤と黒』も翻訳で揉めていますけれど、最近は翻訳チェックが流行りなのでしょうか??

そして源氏の大沢本のニュースには私も興奮しました。
詳細が私にも理解できる形で世に出てくるのはいつだろうと、今から待ち焦がれています。
Posted by すい at 2008年07月23日 23:04
すいさん

そんなにささっとではないのですよ。そしてもちろん、自分のほうができがいいとかなんとか、そんなつもりも毛頭ありません。一読者として邦訳版の第一巻第一章のみを読んで感じた、腑に落ちない点を示したかっただけです。拙訳も、ほんとうならばこんなの恐れ多くて、引っこめたいのはやまやまながら、人の訳にケチつけている以上、出さざるを得ないかなと思ってあえて恥を忍んで公開したというのが正直なところです。

ささっと見えるようですが、わかる範囲内で裏も取り、記事にもあるように関連書籍や辞書も引きましたし、長い長い物語の冒頭ですから、まず文章の流れを意識しないといけないので、章の途中まではいちおう試訳を起こしてから記事を書いています。なので週刊誌に記事が掲載されたのが今月初旬ですから、拙記事を書き上げるまで2週間以上はかかっています。おかげでなんだかタイミングをあわせたような投稿になってしまいました(苦笑)。
Posted by Curragh at 2008年07月24日 08:20
さすがCurraghさん、もっと第二弾、三弾とやっていただきたいですね・・・

拝読していくつか思ったことがあるのですが、、、ちょっと今ゆっくりコメントする時間がないので・・・出版翻訳特に文芸に携わる翻訳者は、われわれ実務翻訳者とは違って、さほど納期に追われない(・・もしかいsたら、納期あってなきがごとしか???)と思うので、調べ物くらいちゃんとやって欲しいとだけ言わせてください(苦笑)

ちなみに、、、すいさん、、石井訳Poohについて考察する記事、もうしばらく待ってやってください・・・ううう
Posted by Keiko at 2008年07月25日 00:17
そうそう、、、Curraghさん、Aledのバイオグラフィーの邦訳、出版してくださいよー本気で期待してるんですよ、私。
Posted by Keiko at 2008年07月25日 06:12
Keikoさん

まずこのシリーズの場合、版元の社長みずから翻訳しているというひじょうに特異なケースなので、原本が出て約一年後に邦訳版を出すというスタイルをとっているのだと思います。たしかに納期の厳しい実務翻訳とちがって文芸のほうはわりと悠長ですね。それでもたとえば『大国の興亡』のような世界的に売れた本の場合、邦訳版も大急ぎで出版されることはありますが、例外的だと思います。ただし映画の原作本などの場合はそれこそ超特急で出すこともあるようです。

『プーさん』は、たしか自分はstoutだとか、stoutという言い方をよく使っていたような気がしました。ついでに『タオのプーさん』という本も思い出しました(笑)。『プーさん』記事、楽しみにしています。

シャルロット・チャーチの自伝は邦訳本が出たのだから、アレッドのも出てよさそうなもんですねー…とはいえ長年の出版不況、はたしてどれくらい売れるものなんでしょうか…? 
Posted by Curragh at 2008年07月26日 04:29
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