2016年02月29日

アランソン写本 ⇒「重訳」について

 本日は4年に一度しか巡ってこない貴重な一日ですので、有効活用しようかと思い立ちました( 苦笑 )。まずは本家サイト連動として「アランソン写本」のことについて、ディレッタントなりにすこしまとめてみました。

 本家サイト英語版には、こちらのユトレヒト大学サイト様に全文が掲載されているこの写本の現代仏語訳から ―― Google 翻訳などの便利なツールの助けも借りて ―― 拙訳による現代英語版にて紹介してあります。前にも書いたかもしれないですが、ワタシは仏語はいまだ初心者レベルのままなので、ほんらいはこういうことに手を出しちゃいけない … と思ってるんですが、経験上、Web 翻訳ツールによる仏英翻訳はそんなにハズれがないし、意味もそれなりにきちんと通ったりする。さすがはおんなじ印欧語族だなあという感ありですが、それに加えて手持ちの仏和辞書も引いたり、それでもハテナなときは原典のヒベルノ・ラテン語にもどって、羅和辞典なり信頼できる Web 上の羅英辞典なりで調べて訳語をひねり出したりしてました。見ていただければわかるように、われながらこれよくもやったものだな、と … このセクションを( いちおう、ではあるが )脱稿するまで数年がかりだったような … 訳出にどれくらいかかったかなんていまや記憶も定かではないし。

 本題にもどって … まずはこの「アランソン写本」というものがどういうものなのか、おもに上記サイトから抜粋して書き出してみたいと思います( 適宜、セルマー校訂本その他の資料も使用 )。
1. 写本の所蔵場所、出処、成立年代について:バス・ノルマンディー地域圏オルヌ県アランソン市立図書館蔵 Bibliothèque Municipale d'Alençon, Codex 14, f° 1 r − 11 v. 、出処はサン−テブルー大修道院[ 現在は廃墟 ]。成立年代は 10 − 11 世紀。

2. 『聖ブレンダンの航海』記述箇所について:写本 1 r − 11 v、写本寸法 180 x 140 mm[ 最初の 10 ページ分のみ、その他のページは 290 x 200 mm、全 156 葉 ]、各葉平均 40 行で、ふたり、もしくは3人の写字生によって書かれた可能性がある[ セルマー ]。またセルマーの分類では「長い」終結部、つまり「聖ブレンダンの帰還と死」を描写する章を持つ( セルマーによると、調査した 120 のラテン語写本群の半数強がこの最終章を持つ「長い」ヴァージョンだという[ Selmer, op. cit., pp. 97 − 99 ] )。前にも書いたと思いますが、この航海譚の「元型」にはこの最終章がなかったとする説があります。「短い」ヴァージョンと「長い」ヴァージョンの分化はアランソン、ヘントなど最古の写本群にも見られることから、わりと早い時期に生じたと考えられます。

3. 『聖ブレンダンの航海』本文の特徴:全体は 39 の章に分かれる( セルマー校訂版の底本ヘント写本[ Ghent, Universiteitbibliotheek, 401, ff. 1r − 21v. ]は全 29 章 )。各章の「見出し」はなし、拙英訳版の見出しはあくまで便宜上のもの。全体的に詰めて書かれているため、ヘント写本よりページ数は少ない。最初の4葉のみ 13 章分が、4葉以降は冒頭の大文字を書くためにスペースが空けられているが、一箇所を除いて空白のまま残されている。書体はいわゆるカロリング小文字体主体[ 一部アンシャル体、セミアンシャル体あり ]で、イタリアの研究者オルランディはメロヴィング朝時代の他の写本と共通点がいくつかあることを指摘、カロリング・ルネサンス以前のフランク王国内で書かれた可能性を示唆する[ → 参考までに中世アイルランドのカリグラフィーについてのページ ]。また本文には省略形が多用されている[ キリストを表す i と x の組み合わせ、「つまり id est 」を示す・|・など ]。

4. 異同箇所について:アランソン写本とヘント写本はその大部分がほぼおなじと言ってもよいくらいだが、若干の相違点がある。
アランソン写本にはあって、ヘント写本にはない単語 / 一節:セルマーによると3か所、うちひとつは一文まるまる追加。太古先生による邦訳版訳注 54 を参照。ちなみにその箇所はセルマー校訂版の 16 章「海の怪物」で、怪獣に襲われそうになったブレンダン院長一行が神に対して祈りを捧げる場面で、アランソン写本では預言者ダニエルへの嘆願が記されている。ヘント写本ではこの嘆願がふたつしかなく、次段落出だしの「3つの嘆願」と矛盾する。
ヘント写本にはあって、アランソン写本にはない単語 / 一節:1章の二文(「 … そこですぐに引き返しました。青年も舟のある汀まで来てくれましたが、舟に乗りこむと、たちまち青年の姿は掻き消されてしまいました。そして来たときとおなじ暗がりを抜けて、『歓喜の島』にもどってきました[ 打ち消し線部分がない ]」)、5章の最後( … おまえたちは悲惨な最期を遂げるだろう )、6章( … そのとき聖ブレンダンは弟子たちに言われた、「神はなんとよき使いを寄こしたことか? 彼[ 無人の島にいた犬のこと ]についてゆくのだ」)、 16 章(「今夜、ある魚の一部が打ち上げられ、おまえたちはそれを食べることになる」というブレンダン院長の予言 )、26 章「隠者の島」の描写箇所( ... 泉は湧き出すはじからその岩に吸いこまれ … )。

4. 冒頭部分( インキピット )の比較:ラテン語原文と拙試訳を載っけておきます( [ ]はアランソン写本中の表記 / 写本にある箇所、( )はない箇所、下線はヘント写本の表記、朱文字はヘント写本にない箇所)。

VITA SANCTISSIMI CONFESSORIS CHRISTI BRENDANI
[ INCIPIT VITA SANCTI BRENDANI ABBATIS ]

Sanctus Brendanus, filius Finloc(h)a, nepotis Alt(h)i de genere Eogeni, stagnili regione Mumenensium ortus fuit. Erat v[u]ir magn(a)e abstinentiae[ cie ] et in v[u]irtutibus clarus trium milium fere monachorum pater. / Cum esset in suo certamine in loco qui dicitur saltus v[u]irtutis Brendani contigit ut quidam patrum ad illum[ eum ] quadam v[u]espera v[u]enisset nomine Barinthus nepos illius. / Cumque interrogatus esset multis sermonibus a pr(a)edicto sancto patre, cepit lacrimari et prostrare se in terram et diut[c]ius permanere in orat[c]ione. At Sanctus Brendanus erexit illum de terra et osculatus est eum, dicens : "Pater, cur tristiciam habemus in adv[u]entu tuo ? Nonne ad consolationem nostram venisti ? Magis l(a)eticiam tu debes fratribus preparare. Indica nobis v[u]erbum Dei et refice animas nostras de div[u]ersis miraculis, qu(a)e v[u]idisti in O[o]ceano".

聖なる告解者にしてキリスト[ の使徒 ]ブレンダンの生涯

 聖ブレンダンは、エオガン[ オーガナハト ]王家に連なるアルテの孫フィンルグの息子として、ムウの男たちの治める湿原地帯でお生まれになった。偉大な禁欲の人で、数々の奇蹟と、三千人近い修道士の父としてその名はあまねく知れ渡っていた。その聖ブレンダンが、「ブレンダンの奇蹟の野」と呼ばれる地にて[ 霊的 ]戦いをつづけていたある日の晩、彼の甥* のバーリンドなる霊父がやってきた。聖ブレンダンが矢継ぎ早に質問を浴びせると、バーリンド師は涙を流し、床にひれ伏して長いこと祈りつづけた。聖ブレンダンは彼を床から起こすと、抱擁して呼びかけた。「あなたが来てくれたというのに、なぜ悲しまなくてはならないのか? [ あなたはわれらの心に慰めを与えるために訪ねられたはず。] どうか兄弟たちに喜びを授け、神の御言葉をお示しくだされ。あなたが見たという大洋のさまざまな驚異をどうかわれらにもお伝えくださり、われらの心を満たしてくだされ」。…
… 疲れた( 苦笑 )。ほんとはいまひとつ検討したい箇所があるんですけど、またの機会にでも。しかしそれにしても、いまの Web 翻訳ってすごい、と思う。Google 翻訳も、ついにラテン語からの直接翻訳が可能 ?! になっていてひじょうにおどろいた。そういえばしゃべると自動的に翻訳してくれる拡声器とかあるみたいで … 恐るべきはテクノロジーの進歩哉。

*… ここではあえてそのまま訳出した 'Barinthus nepos illius' という箇所は、カーニーによる書評( 1963 )で批判されており、正確にはバーリンドは「9人の人質」ニアルの4代あとの子孫になる。

付記:以上、書いてきたように、ワタシはアランソン写本のヒベルノ・ラテン語原文から現代英訳文を起こすのに、現代仏語訳 → そのまた英語訳という手順を踏んでました。ほんらい翻訳というのはそもそもの土台の原典なり原文から起こすのが原則だと思うが、いろいろな人の手になる英訳とか見てみると、なんというか翻訳という営為そのものを考えなおすいい機会になるというか … 前にも書いたことですけどおなじ現代英語訳と言ったって、オメイラ教授版とそれ以前に出回っていたウェッブ版とはずいぶんちがっていたし、定評あるオメイラ版にさえ「訳抜け」があったり不明な訳語 / 訳文なりがあったりと、いろんな意味で翻訳学校みたいなところがあったのも事実。

 というわけで、いま読んでるところの『 21 世紀の資本』。聞くところによればなんでも版元は邦訳本を刊行するに当たり、訳者先生方に、こんな分厚い大著の翻訳になんと2、3 か月しか猶予を与えなかったというトンでもないムチャ振り( !! )だったようで、訳者先生におかれましては ―― いくらこの手のお硬い本としては異例の売れ行きだったとはいえ ―― たいへん気の毒だったように思う。それでこれだけの品質を維持しているのだから、さすが、と言うべきでしょう。

 とはいえやはり「拙速」だったのかなあ、みたいな箇所もちらほら … 目につくのもまた事実でして、訳者先生自身による「正誤表」でほとんどが訂正され、また増刷分から訂正が反映されてもいるようですが、たとえばこういうのはいかがでしょうか。
… でもそこで問題になっている財産はたいして多くないことに注目。道徳的人物の所有財産は, 物理的な人間が自分のために保有する財産に比べて, 一般にはかなり少ないからだ( p. 190 )
 ちなみにそのおなじ箇所の原文と英訳を並べると、
[ 仏語原文 ]:Il faut toutefois souligner que l'enjeu est relativement limité, dans la mesure où ce que possèdent ces personnes morales est généralement assez faible par comparaison à ce que les personnes physiques conservent pour elles-mêmes.

[ 英訳 ]:Note, however, that the stakes are relatively limited, since the amount of wealth owned by moral persons is generally rather small compared with what physical persons retain for themselves.
 万年仏語初心者なので知らなかったが、こちらの先生の指摘どおり、手許の仏和辞書にも personne morale / personne physique という言い方は載ってました。ということは、ごく普通の言い回しと考えていいわけで、英訳もなんでこういう? 訳語になるのかなあ、と思ってしまう。邦訳書のトビラには「凡例」として、「翻訳には主に、英語版である Capital in the Twenty-First Century ... を用いたが、適宜、フランス語原版も参照した」とあります。

 前記事の引用に使ったケラーの『バッハのオルガン作品』という本の場合、訳者先生たちによると翻訳はあくまで独語原書から起こし、必要に応じて英訳版も参照したそうです( この本の場合は英訳版が事実上の改訂版のような性格だったため )。やむを得ず「重訳」するときは、ほんらいこの手順ですべきものなんだろうな、と思ったしだい。それともうひとつ「 … に注目」みたいな訳がずいぶんと多い。その箇所もざっと見てみたら、なるほど英訳本でも 'Note that ... 'みたいな文が多かったけれども、ピケティ教授の原文は、たとえば ' il est également important ... '、'Il faut toutefois souligner ...' みたいになっていて、こういうのもどうなの、と思った。なんかイマイチ読みにくいなあ … というひとつの原因にもなってます、ハイ。書かれてる内容はいいのにねぇ … 。

 というわけで、本日がお誕生日の方、おめでとうございます !! きっと楽しく過ごされたことでしょう。そういえば閏年って、オリンピックイヤーでもありますね … 。

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