1). 先だってこういう拙記事を書いたりしましたが、もうすこし書き足しておきます。昨年暮れの恒例「N響の第9」。常任指揮者就任記念としてエストニア出身のマエストロ、パーヴォ・ヤルヴィ氏を迎えての公演だったんですが … フタを開けたら超特急な演奏で口あんぐり。マエストロ曰く、「スコアのメトロノーム指示に従った」とのことで、ようするにいままでの名だたる指揮者たちの「解釈」は作曲者の意図を無視していた、と。ベートーヴェンがわざわざこういう指示書きをしているのだから、多少なりとも演奏に反映させよ、というのが言いたいことだったようです。
で、念のためいつも行ってる図書館で『ベートーヴェン事典』とか見てみると、このベートーヴェン交響曲作品における「メトロノーム表記問題」、ことはそう単純じゃあないようで。まず「8番」までの「速度指定」は 1817 年 12 月 17 日付ライプツィッヒの新聞に「一覧表」というかたちで発表したものだという。で、たとえば「3番」、俗に「英雄」とか「エロイカ」とか呼ばれている作品の最初の主題提示部での歴代指揮者によるテンポ一覧が掲載されてまして、本文に「 … ここでも、古楽器オケ世代の中核を担ってきたノリントン、アーノンクール、ガーディナーが快速を競ってタイムを短縮してきたことが判明する」とあったのにはちょっと笑ってしまった。やっぱり「快速」かぁ〜、みたいな( 一覧を見ると、「最速」はジョルディ・サバール指揮ル・コンセール・デ・ナシオンによる演奏で、付点2分音符[=1小節 ]= 60!)。もっともだからと言ってずっとインテンポ 60 でゴリ押ししているわけではなくて、どの指揮者も演奏に「緩・急」はしっかり入れてます。ここが大事なところ、こういうのがその音楽作品をいかに演奏するか、という「解釈」になります。
「第9[ ほんとは「第九」と漢字で書きたいけれど表記を統一しておきます ]」はどうかと言えば、1824 年作曲者自身による指揮の初演時、すでにメトロノームじたいはあったけれども、「メトロノームの数字が登場するのは、やはり初演よりも大分後になる[ 引用者注:ワタシだったらここはひらいて書く。ワタシみたいに「おおいたあと」なんて誤読する向きも、いないとは限らないから。ついでに小学校にあがったばかりのころ、TV の天気予報で「ハロウ警報 … 」ということばを聞いて、てっきりハロウ=hello, 外国人警報だとアホなカンちがいをしていた ]」。
ちなみにこのベートーヴェンの「メトロノーム表記」を遵守すべし、というのはいわゆるいまはやりの「受容」のしかた、ないし「解釈」の主流らしいです。もしいまの時代に Compact Disc Digital Audio が開発されていたら、「約 74 分」という規格は通らなかったかもしれない。
2). この前、ようやく『 21 世紀の資本』を読了 … 図書館の順番待ちのお鉢がようやくまわってきて( というか、みんなが飽きはじめた頃合いと言ったほうが正確か )、いざ読みはじめたらたしかにバルザックとかオースティンとかの引用もおもしろく、むつかしい数式もないにもかかわらず、全体としては意外と(?)難物で、けっきょく買っちゃいました( 苦笑、もう自分の本だから自由自在にポストイット貼ったりアンダーライン引きまくり )。ちょうどそんな折も折、って毎度こればっかのような気もするが … そのピケティ教授、世界中で大騒ぎされている例の「パナマ文書」、いったいどう思ってんだろうなー、なんて漠然と思っていたら、Le Monde 電子版上の自身のコラムにしっかり寄稿していた。もちろん印刷して目を通して、せっかくあのぶあちい本( 苦笑 )読んだことだし、我流で訳してみようかな … と思っていた矢先、もう日本語版「抄訳」が公開されてました。
全文対照して読んでみたら、「抄訳」と言いながら手練れというかけっこううまく訳されてまして[ 当たり前か ]、これはこれで勉強になった( かな?)。たとえばうまい「省略」例をいくつか挙げれば ――
... In 2016, the Panama Papers have shown the extent to which financial and political elites in the North and the South conceal their assets.などなど。fiscal という語を「税の / 税制 / 金融」と適切に訳し分けているのもよいですね。ついでに「ペーパーカンパニー」というのは shell company と言ったりする。つまり「殻」だけで、中身[ 実態 ]はカラッポということ。「パナマ文書」関連で個人的な感想を言えば、アイスランドの国家元首( !! )が出てきたり、北朝鮮や IS 関連まで出てきたりと、呉越同舟ならぬ、「おなじ穴の … 」、英語で言えば 'It takes one to know one' というやつですかね、これは … さるスーパーの休息コーナーにて一息入れていたとき、ふと「東京新聞」がほっぽり出されているのに目が留まってつい広げて読んだりしたんですけど( 苦笑 )、「公正な税制を !! 」と訴える人のなかに、奨学金の返済に追われる女性会社員の切実な声も掲載されていた。一部のカネ持ちが優遇され、自分たちは割りを食っている、と。そのことば、現都知事さんこそ聞いてほしい、と感じたしだい。
… 16 年の「パナマ文書」が明らかにしたことが何かというと、先進国と発展途上国の政治・金融エリートたちが行う資産隠しの規模がどれほどのものかということだ。
... Let’s take each topic in turn.
… 順を追って見ていこう。
... In other words, we continue to live under the illusion that the problem will be resolved on a voluntary basis, by politely requesting tax havens to stop behaving badly.
… つまり、私たちは「お行儀よくしてください」と頼めば、各国が自発的に問題を解決してくれる、そんな幻想の中にいまだに生きているのだ。
… と、ここでまた脱線すると … 先日、本屋さんでとある版元のフェア(?)をやってまして、「神話」もののハードカバーシリーズ本がいくつも平積みになってました … 立ち寄ってみたら、なんと 20 年以上も前(!)に、その筋では有名な「欠陥翻訳時評」の俎上に載せられてしまった訳書まであった ―― あった、というか、この本そもそも初版が 1991 年、湾岸戦争の年ですよ( 覚えている人がどれくらいいるだろうか。ちなみに不肖ワタシは都内でなんとか新聞の人につかまって戦争協力反対の署名をしてしまった、なんてことも思い出した )。奥付を見るとすでに何刷か重版していて、いくらナンでもこりゃないだろ、と気が遠くなる思いがした。
そもそもこの訳者先生ってそは何者、と思ってあとでちょこっと検索かけたら、なんか商社マンかつ詩人だったようだ。ま、それはそれでべつにいいんです。二足だろうが四足だろうがワラジ履いたって( 喩えが古すぎるか )。さる高名な先生が言っていたように、出来さえよければ、一定レヴェルの及第点さえ取れればそれでいいんです。シェイクスピア戯曲翻訳者としても知られた福田恆存氏が常盤新平氏に語った話だったか、忘れたけど、「うまく訳してあるところとそうでないところとの差をなるべくつめろ」と言ったんだそうです。片岡義男氏だったかな、「全編、平均 80 点くらいで訳すこと」とか書いていたのは。でもこのご本 … だいぶ前に静大図書館でコピーしたキャンベルの寄稿文のこと書いた拙記事で、ついでに言及したアイルランド人ケルト学の碩学でロイヤル・アイリッシュ・アカデミー会長を務めたこともあるプロインシャス・マッカーナが 40 数年も前( !! )に書いたこの本の邦訳の「でき」は … 門外漢のワタシから見てもそうとうなもんですよ、これ( 苦笑 )。*
たまたま単行本化されたこのときの「時評」本は持っているし、とりあえずひとつだけ例をここでも孫引用させていただくと[ 下線強調は引用者 ]、
... Irish literature leaves us in little doubt that the druids were unremitting antagonists of the Church in a long-drawn-out ideological struggle which ended in the virtual annihilation of the druidic organisation( P. Mac Cana, Celtic Mythology, p.137 ).
アイルランドの文学を読むと、ドルイドは、その組織が実質的に壊滅する日までの長期的な思想的闘争の期間、ずっと教会にたいして休むことなき敵対者だったのではないかとの、かすかな疑いが残る。…( p. 278 )
… ここの箇所、古代アイルランドのドルイド / フィリ支配社会と、新参者の初期キリスト教会側との抗争についてちょこっとでもかじったことある向きは、まさかって思うはず。原文は下線部分を見ればわかるようにただの否定( ベン・ジョンソンがシェイクスピアをくさした 'Small Latin and less Greek' とおんなじ用法の little )だから、文意はほぼ真反対、ということになり、当然、そのあとの文章ともつながらなくなる。こういうのは「解釈」云々以前の問題。なのでこういう「ひび割れた骨董[ 吉田秀和氏ふうに ]」、あるいはもっとかわいく「シドいほんやくだ[ 寺田心ちゃんふうに ]」がよくもまあ麗々しく生き残っているものかと、なんかよくわかんないけどハラが立ってきた( 苦笑 )。そしてなんと当の「時評本」にも、「ちなみに、本書は 1996 年 7 月現在、第五刷まで出ているが、ここに指摘した箇所を修正したにとどまる。もちろん、実際はほかに修正すべきところが数知れず … 出版社、翻訳者の良心を疑う」とまで書かれてます。おやや、本屋で見た「最新版」、いま例に挙げたとことか、直ってたっけ ?¿? 訳者先生は故人のようですし[ ついでながら「時評」にも瑕疵があって、「マッカーナ女史」ってあるけど、この先生はれっきとした男性です。後日談:あらためて本屋で確認したら、今年3月時点でなんと九刷 !! でした。しかもほんとだ、例に引いた箇所はしかるべく訂正されており、初版本の「はじめに」第一文冒頭の「古代ケルト族の結合は、… 」なるヘンテコな言い回しも「古代ケルト族のまとまりは、… 」と訂正されてました。とはいえ開巻 1 ページ目からして ??? できわめて文意がたどりにくいのはあいかわらずだったので、この際だからどっかオンラインの洋書古書店にて原本買ってみようかと思います ]。
3). … 昔、「 Creap を入れないコーヒーなんて … 」という TVCM があり、またなんとかスウェットという飲料水がいまだに売られていて、おそらく英語圏の人は見るたびに失笑していたんじゃないかって思う( 誤記訂正、ここで言いたいのは英語圏の人間が「クリープ」という音の響きを聞いて連想するものについて )。そういえばだいぶ前にここでも書いた、近所のスーパーの誤記っぽい表示( DAIRY FOODS とすべきところを DAILY FOODS )としちゃってる件。この前そのスーパーがリニューアルオープンしたので、ついでに確認したら … なんも直ってなかったりして orz
ところがつい最近、教えてもらったんですけど、欧州だか英国だか、とにかく向こうではこういうブランド名があって、しかもあの BBC のリポーターまでそのブランドの服着て TV に映ってるときたからまたしてもオドロキです … 最初、このブランド名を見たとき、「え、なにこれ? ビールのことかしら ?? 」なんて考えていた。こういうことばのプレイとミスプレイ、なにも日本だけじゃなかったんですねぇ、とここでお時間が来たようで。
* … 一定レヴェル以上の「解釈」のちがいによる表現の相違 / 書き方の差異については、もうこれは究極的には読み手それぞれの好みの問題になってしまうと思う、音楽作品の演奏とおんなじで。もっともこういうところで訳者それぞれの解釈の深さがもろに現れるので、こわい、と言えばこわい。でもそんなこと言ってたらいつまでたっても翻訳なんてできない( 苦笑 )。たとえば、たまたま手許にある邦訳書のある箇所をべつの人が訳した事例にこの前、Web 上の写真関連の記事でお目にかかった[ 下線部、あえて個人的な好みを述べさせていただくなら、「無慈悲にも溶けゆく時の証拠」と動詞的に読み下した訳語表現のほうが好きです。欧文系はこのような「名詞表現」がひじょうに多く、これをそのまま日本語化するとどうしても言い方が堅くなる、つまり日本語としてこなれなくなる。もっともこのさじ加減も程度の問題ですが ]。↓
1). すべての写真はメメント・モリである。写真を撮ることは、他人の死、弱さ、移ろいやすさに参加すること。すべての写真は、瞬間を正確に切り取って凍結することで、無慈悲にも溶けゆく時の証拠となるのだ。
2). 写真はすべて死を連想させるもの[ メメント・モリ ]である。写真を撮ることは他人の( あるいは物の )死の運命、はかなさや無常に参入するということである。まさにこの瞬間を薄切りにして凍らせることによって、すべての写真は時間の容赦ない溶解を証言しているのである。
── スーザン・ソンタグ『写真論』 近藤耕人 訳、1979, p. 23.
付記:こちらの電話募金、ウチの「黒電話」でも障害なく(?)できたので、こちらの番号もひとつ前の投稿記事分とあわせて紹介しておきます[ 29 日付で受付終了ってちょっと店じまいが早すぎ ]。ちなみにお若い人は知らないかもしれないが、「黒電話」はいざというときは最強 … かもしれませんぞ。電源は電話線からとっているので、電話線さえ生きていれば物理的には使用できるため。とはいえいまの子どものなかには、ホントに黒電話の使い方を知らない子がいるようだし、これも時代の流れなのかと思ったしだい。
森永乳業の『クリープ』は『Creep』ではなくCreamy Powderからとられた『Creap』です。
吉田氏の引用の件ですが、
―― 「今、わたしたちの目の前にいるのは骨董としてのホロヴィッツにほかならない。この芸術は、かつては無類の名品だったろうが、今はもっとも控え目に言ってもひびが入っている。それにひとつやふたつのひびではない。忌憚なく言えば、この珍品には欠落があって、完全な形を残していない」
とあり( 一部表記については吉田氏本人の原文ママではありませんが )、文脈全体で見ますと、やはり批判の意味合いが込められていると思われます。後年、吉田氏本人も NHK の番組に出演した際、そのような趣旨のことをおっしゃってましたし。なのでこの文脈でこの批評を引いたのは、場違いではないと思ってます。
'Creap' についてのご指摘はまさにそのとおりで、しかるべく訂正しました。m( _ _ )m ようするにここで言いたかったのは「音」のこと、つまり「クリープ」ということばの響きが英語圏の人間になにを連想させるのか、ということなのです。